★8月16日 
Sunday, August 16, 2009, 08:23 PM
 今日は8月16日、旧盆も終わって、地獄の釜の蓋も開くと九州では言われる要は薮入りです。
 
 今年の8月15日前後は、様々に戦争の悲惨さを訴える番組が多かったように思います。戦後60数年たって、当時の事情を知る人が少なくなり、いわゆる観念論に陥る傾向が見える現在、大事な事かとは思いますが、問題を感じないではありません。いや、むしろ感じます。

 それはいつも言う、「お話し歴史」ということ。戦争の悲惨さだけで戦争はいやだいやだと叫ぶだけでは、どうして戦争が起きたのか、あるいは起こさないようにする国家体制とは何か、という論理につながりません。

 ちょうど今、マニュフェストが騒がれていますが、どうするこうするがあるだけで、どういう国が何をする、がありません(もちろん、一部にはそれをメインに持ってきている新政党もありますが)。つまり、昔で言えば、「木口こ兵は死んでもラッパを口からはなしませんでした」なんていう話を歴史としていた(古い!!)国定教科書大切の傾向人も、戦争は悲惨だったの人々も、同じ発想ということなのです。

 そうなると、金メダルを取ったから国を誇りに思いましょう、とかという小学生以下の子供の発想から抜けきれないというわけです。
 最近、東京で目にする「日本だけが出来る何とやら」という旗の文字も同じでしょう。

 我々は、要は大人にならなければいけない。そのことを恐縮ながら強く感じたここ数日でした。

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★8月11日 
Tuesday, August 11, 2009, 11:41 PM
 おとといから、NHKで、日本海軍軍令部のことをやっています。我々の世代からは、そうだろうな、解るよ、という話も多いですが、若い人には新鮮なこともあるでしょう。
 亡くなってしまいましたが、同じ海軍の坂井三郎さん(私と仲良しの64機の撃墜王。「大空のサムライ」で有名)がいれば、その通り。もっとひどかった、と言うでしょうし、仕事場ご町内のお仲間・東条英機の弁護人清瀬一郎さん(60年安保時の衆議院議長。戦後最大の議長)の息子さんとお酒を飲むと、「海軍はね、海を見ているので変な気持ちになるんですよ」と言われていたことも思い出されます。
 海軍はスマートで戦争に反対だった、なんて言うのは大嘘だということがわかります。
 そこで、私の感想も忘れない内にここに記しておこうと思います。

 まず1日目は伏見宮軍令部長(後、軍令部総長)のいわば弊害の話。これは、今までも指摘されてきたことですし、全く同じことは陸軍にも言えて、参謀総長を閑院宮様が長いこと務めて、特に真崎甚三郎参謀次長とよくなかった話は、子供の時から聞かされてきました(大将の息子、つまり昭和天皇の通訳で、アフガニスタンの大使をされた秀樹様とはなくなるまで懇意にさせていただきました。また、弟の勝次少将から小学校に入るときは洋服をいただいたりしたものです)。閑院宮も確か伏見宮家から出ていたはず。

 真崎参謀次長の時に中国との間で締結されたのがタンクー停戦協定で、この線でストップしておけば、蒋介石としてもやむなしの線であり、それは蒋介石の文書にも書いてあります。
 ところが多くの本は、この機微がわからず、2・26事件後の所謂統制派による中国万里の長城以南への侵入、ひいては破滅の意味がわかっていません。これはチベット問題などともかかわるのに。
 そして、番組でも言っていた宮様総長や軍令部長を利用した悪巧みや組織的欠陥等々のことがわからねば、本当の歴史はわかりません。

 2日目の特攻の話。正にそのとおりですが、足りなかったのは、ああしたとんでもない戦法に導いた思想と、それを指導した人物のほっかむりの件。この無責任な人物の後継者は現在もしっかりと、いわゆる言論界どころか、学会と称するところにまで根をはっているから困ってしまう。
 それも私の関係者といえば関係者。大西中将も(海軍でただ一人〔一人しか!〕自決した将官。宇垣纏氏がやったのは、とんでもない戦争終了後の若い人道ずれの特攻自殺。指揮官としてとんでもない上に、世界への恥)。

 それはそれとして、1回目もそうですが、ムードに流されて、ここまで来たからやっちゃいましょう的言辞は、今の社会というか、最も根幹である役所に今も巣食っていて、最近の様々な「改革」と称されるものの中にも、とんでもないものがあろうかと思う次第です(戦争じゃないだけましか。それじゃ寂しいものです)。

 今日の東京裁判での島田大将の話など。島田さんの弁護人関係者とも大いにかかわりありですが、あの人の判決後の態度も有名といってよいでしょう。
 戦争責任の遡及を阻む話は、この博物館の江戸武士道の話と非常に関り深いです。

 
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★8月8日 
Sunday, August 9, 2009, 01:18 AM
 ある方の紹介で某国憲法裁判所の裁判官が事務所にやってきました。以前、別の裁判官からもらったその国最高裁正面の正義の女神の写真を種に何十分かの正義談義。そのあと食事をしながら色々話しました。

 その中で、今回の裁判員制度について、量刑を素人に担わせるのは奇妙と。これは過日、米国の弁護士も言っていたことで全く同感。
 最近、日本では刑事で400日以上も未決勾留されるんですよと言ったら、「それじゃ裁判官も無罪にはしにくくなりますね」と、目の覚めるような素直な感想。同感。
 最高裁が平等かどうかを判断するには条文によるべきで(例えば憲法14条後段。これは今の日本では少数説)、単なる平等という一言をもって判断しては法治主義ではなく、裁判官の個人的趣味の裁判になってしまう、との言。これはドイツの学者ヴィントシャイドや日本の滝川さんの言葉を思い出し、相当にそのとおり。特に、最近の行き過ぎには同感。
 
 要は、彼は裁判官は自己を信じるな、冒頭の正義論でも、正義の女神はやはり目隠しをするのが正しい、との見解。

 私はひところ、目隠しはしない方がよいと思っていましたが、最近の自信満々で無罪の推定を受けている人を400日もぶち込んでいる裁判官を見ると、やはり目隠しが正しいかと思ってきます。

 それで、葉隠にも関係深い名裁判官板倉重宗(彼は、当事者の顔が見えないように、目隠しの代わりに障子を立てて話を聞いた)のことを書いた穂積陳重の法窓夜話を贈ってさし上げました。

 これからも大いに仲良しになれそうです。



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★8月6日 
Friday, August 7, 2009, 12:50 AM
 今日は広島に原爆が投下された日。犠牲者、遺族の皆様に哀悼、同情の念を捧げたいと思います。

 私が小学生のころ、あの記念碑の碑文について、いわゆる右系の論客T教授は過ちをしたのはアメリカであって、我々日本人が過ちは繰り返さぬなどと誓うのはおかしい、といわれていました。私も正にそう思っていました。昭和30年代の話です。
 そして、今の保守を標榜する多くは正にあの時代の理屈といってよいでしょう。要は古い。

 しかし、昭和19年7月7日、サイパン陥落以降の日本は、正に戦争遂行能力喪失。にもかわらず、更に1年以上の戦争を続け、こうした悲劇(どころか、それ以上ともいえる悲劇)を惹起した為政者には、正に責任があり、しかも、その発想の元、例えば国体などという観念は、直接は水戸の会沢安らの産物としても、その大元は中国にあったとあっては、正に何をかいわんや。

 この観念醸成の元を作った徳川のお坊ちゃん、つまり黄門(これまた中国の言葉)の罪は深く、繰り返さないぞ、と誓うことはそれこそ必要なことと思われてきます。
 とまあ、ここまで書いてもなかなか今の若い人には難しいかもしれません。

 それにしても、広島の資料館は新しく快適になって、あの重苦しさはなかなか伝わりません。これは、靖国神社の遊就館にもいえますし、過日訪問した南京の例の記念館にもいえます(南京は、そういうことでなく行ってみるべきところ。ある意味中国の本質)。

 先日、裁判所の見学とあわせて、久しぶりにB29が原爆を積み込んだテニアン島に行きましたが、以前と異なり、ピットの上には風防がかけてあって、何となく以前より迫力がありませんでした。

 歴史は決してお話ではない、とは、右にも左にも言いたい私ですが、洋の東西を問わず、余りにもきれいになり過ぎてその重苦しさを忘れるようでは、やはりいけないと思います。その点で、最近できたドイツのホロコースト記念館はどうなのかな、と思っています。



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★8月2日 
Monday, August 3, 2009, 01:23 AM
 今日は大安だったそうで、あちこちで選挙事務所の開所式があったようです。もちろん日曜ということもあったのでしょう。

 政権交代といったことが言われていますが、問題は今の政体とは異なったビジョンは何か。わかりやすい(にくい?)話、それは中世武士道を取るか近世武士道を取るかと言うことではないか、と思っているのですが、固まった頭にはこういう話はしみこんでいきません。せいぜい冗談と取られる程度。
 そこに日本の発想の貧困さを見ます。

 明治維新以後、中国では日本のそれを学ぼうという一方、アジアの知恵ではどうか、ということが常に意識されました。
 現代においても、その意識がなければ、単なる猿真似の議論にしかならないと思っているのですが。最近のマニュアル傾向、裁判員などという人工ミックス型などを見るにつけ、そんな思いを深くします。
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★7月29日 
Thursday, July 30, 2009, 01:31 AM
 台湾人のR先生と中国を旅行していて考えたのが、韓国の裁判所正面にある「自由、平等、正義」の3文字と、フランスのあちこちにある「自由、平等、博愛」、そして、南京の孫文の墓の正面にある「博愛」。
 裁判員制度の日本では、一体何を考えたらよいのか。全部、といえばそれもよいけれど、各国でわざわざ3つを選んであるからには、韓国はやはり儒教の国か・・・。
 日本で、裁判員にまでも量刑を判断させるなら峻厳な正義を持ち出すより、フランス式なりが大事では?いやいや、「ジャスティス」こそ命と先生は言われます。もっとも、広いジャスティスと狭いジャスティスがあるとも。

 どっちにしても、日本ではまだまだ基本からの思考が足りないでしょう。

 孫文の三民主義は、民族主義、民権主義、民生主義で、リンカーンの焼き直し、などと言う人も多いですが、彼が辛亥革命をなす前提には清国という存在があり、だからこその民族主義です。それができれば、今の言葉で言う住民自治と同じ自決の問題、そして、民生へと行きます。
 そういう生きた論理を身につまされて考えていないから「焼き直し」などという言葉が出てくるのです。

 要は考えることが大事。そこらの本に書いてあることや六法全書の条文暗記は必要なし。ただし、条文や一語一語の「文言」は、考えるよすがとして大事。
 
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★7月27日 
Tuesday, July 28, 2009, 12:40 AM
 歌舞伎座が再建工事に入るというので、お別れの公演を観に行きました。

 夜の部で、二つのお芝居。最初の方は人情物。中身で感じたのは正に「孝」を基軸とした展開。男性を預かるというので、疑われたご内儀が、自分の顔に傷をつけ、「親からもらたこの顔に傷までつけたのですから、疑ってくれるな」は、「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の初めなり」そのもの。

 そのあと、牢屋から解放された男が、養父のやらかす悪巧みを止めようと殺人の挙に出るその時、親は、自分は親だ、殺すことはできないとうそぶく、これまた孝。後者の矛盾をどう解決するかと注目しましたが、結局は殺人場面のこれでもか、という描写でおしまい。このいやなものをさんざん見せて、芸術と称しているあたりに、毎度出てくる歌舞伎の限界を感じました。知り合いの某ゼネコンの会長さんもいいつも同意見です。

 次の芝居は、泉鏡花の戯曲・天守物語り。同年代の玉三郎氏の美しさも大したものですが、この孝(このケースでは忠)の処理の仕方には感動しました。やっぱり鏡花はよい!と。殿様による無実の切腹も甘んじて受けようとする若侍に、幽霊がそんなばかな、と意見。
 正に葉隠の言葉を否定する鏡花の明治人としての真骨頂。暇になったら読もうと思って、全集を確保してありますが、楽しみです。

 要は、ここに、江戸と明治(ただし、目が覚めた人。江戸時代にも目が覚めた人はいるので、不適か)との違いがあるのかな、と思われました。



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★7月25日 
Saturday, July 25, 2009, 11:12 PM
 友人のE女史が主宰する集まりに出席し、先頃なくなったS女史ゆかりの国際的活動をしている団体の方のお話し拝聴。
 テーマはアジア諸国との真の友好に関するもの。とにかく私の話しは理屈的で難しいわけですが、出席者が韓国、ベトナム、インドなどの方々となっては益々大変。

 しかし、韓国人なら本来、孝経は、少なくともハングル文字ではご存じのはずですが、漢字で説明しようとしても一向不明。
 最近の韓国では、漢字教育が見直されているようですが、当然でしょう。民族主義を鼓舞することと、道具としての文字にこだわることとは別です。今のままでは、韓国人は祖先の考えた思想がわからなくなってしまいます。
 
 これは日本も全く同じで、先日、高校時代の恩師で、日本語の大家であるN先生と話した際も、最近の古文教育のレベル低下が話題となりました。古文、漢文は、もっとしっかり勉強しなければなりません。



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★7月23日 
Friday, July 24, 2009, 12:57 AM
 改めて蒋介石の秘録を読んでいます。
 それを以前出したのはS新聞社。今や保守?の牙城みたいな新聞社ですが、数十年前はしっかり蒋総統をたたえ、日本のかつての政策を侵略として反省していました(前文でも)。 何だかねじれているここ何年かの日本、中国、台湾の関係をしっかりつかまえ直すには、ソ連(ロシア)への正当な評価とあわせて絶対必読と思われます。



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★7月13日 
Tuesday, July 14, 2009, 12:58 AM
 昨日7月12日は、2・26事件の青年将校らの多くが死刑に処せられた日であり、法要がありました。

 このあたりの評価も、ずいぶん難しいものになってきたようです。
 それなりにしっかり勉強した人の本を読んでも、読みが「甘い」と言わざるを得ません。それは、要は明治憲法というものが解っていないことによるかと思われます。何のかんのと非難しつつ、「平和憲法」の中でぬくぬくと生きて来た世代は、日本書紀の神勅、すなわち天孫ににぎの尊に天照大神が下した勅を国家の基本に据えて、その子孫たる天皇の無謬性を法的な観念にまで高め、それを前提にした法律家、しかも、それは解釈を一切許さない上命下服の軍人として生きた彼ら、なんていう観念は、持ちたくても持てないのでしょう。

 だから、局面が違うとはいえ、北朝鮮問題など、一向ピントはずれの前提に立ってしまうのです。そういう状態ですから、中途半端に解られても危険。いわゆるオタクも困る。

 今の世の中の最大の便利さは、時空を容易に越えられる、ということなのですから、とにかく大きくものを見なけりゃいけません。

 というようなわけで、さっきは、イラン人の友人と、イラン問題、新疆の問題など話しました。つくずくと日本からトルコ、いやローマまで通ずる絹の道を感じます。このアジア大陸の北のルート、つまりはペルシャ語の道と、南のアラビア語の道を分けて考えることが大切でしょう。
 関西の某(大)学者のように、日本だけが特殊な言語、文化、なんていってるようでは、まともな政策もとりえません。この人については、友人のメキシコ人Aさんとのウェブ対談でも「おかしいですね」と、偶然意見一致。

 青年将校の純粋な気持ちを現代に生かすには、村中大尉が公判調書の中でも述べているような、アジアにおける日本、あるいは日本人の、正に武士道にもとる行為の、世界的に見た問題点に広い視点から気が付き、今後に生かしていくことが大事です。
 まるで針小棒大ともいえる話、無理なのかなーとも思われますが。




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