★7月27日 
Tuesday, July 28, 2009, 12:40 AM
 歌舞伎座が再建工事に入るというので、お別れの公演を観に行きました。

 夜の部で、二つのお芝居。最初の方は人情物。中身で感じたのは正に「孝」を基軸とした展開。男性を預かるというので、疑われたご内儀が、自分の顔に傷をつけ、「親からもらたこの顔に傷までつけたのですから、疑ってくれるな」は、「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の初めなり」そのもの。

 そのあと、牢屋から解放された男が、養父のやらかす悪巧みを止めようと殺人の挙に出るその時、親は、自分は親だ、殺すことはできないとうそぶく、これまた孝。後者の矛盾をどう解決するかと注目しましたが、結局は殺人場面のこれでもか、という描写でおしまい。このいやなものをさんざん見せて、芸術と称しているあたりに、毎度出てくる歌舞伎の限界を感じました。知り合いの某ゼネコンの会長さんもいいつも同意見です。

 次の芝居は、泉鏡花の戯曲・天守物語り。同年代の玉三郎氏の美しさも大したものですが、この孝(このケースでは忠)の処理の仕方には感動しました。やっぱり鏡花はよい!と。殿様による無実の切腹も甘んじて受けようとする若侍に、幽霊がそんなばかな、と意見。
 正に葉隠の言葉を否定する鏡花の明治人としての真骨頂。暇になったら読もうと思って、全集を確保してありますが、楽しみです。

 要は、ここに、江戸と明治(ただし、目が覚めた人。江戸時代にも目が覚めた人はいるので、不適か)との違いがあるのかな、と思われました。



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★7月25日 
Saturday, July 25, 2009, 11:12 PM
 友人のE女史が主宰する集まりに出席し、先頃なくなったS女史ゆかりの国際的活動をしている団体の方のお話し拝聴。
 テーマはアジア諸国との真の友好に関するもの。とにかく私の話しは理屈的で難しいわけですが、出席者が韓国、ベトナム、インドなどの方々となっては益々大変。

 しかし、韓国人なら本来、孝経は、少なくともハングル文字ではご存じのはずですが、漢字で説明しようとしても一向不明。
 最近の韓国では、漢字教育が見直されているようですが、当然でしょう。民族主義を鼓舞することと、道具としての文字にこだわることとは別です。今のままでは、韓国人は祖先の考えた思想がわからなくなってしまいます。
 
 これは日本も全く同じで、先日、高校時代の恩師で、日本語の大家であるN先生と話した際も、最近の古文教育のレベル低下が話題となりました。古文、漢文は、もっとしっかり勉強しなければなりません。



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★7月23日 
Friday, July 24, 2009, 12:57 AM
 改めて蒋介石の秘録を読んでいます。
 それを以前出したのはS新聞社。今や保守?の牙城みたいな新聞社ですが、数十年前はしっかり蒋総統をたたえ、日本のかつての政策を侵略として反省していました(前文でも)。 何だかねじれているここ何年かの日本、中国、台湾の関係をしっかりつかまえ直すには、ソ連(ロシア)への正当な評価とあわせて絶対必読と思われます。



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★7月13日 
Tuesday, July 14, 2009, 12:58 AM
 昨日7月12日は、2・26事件の青年将校らの多くが死刑に処せられた日であり、法要がありました。

 このあたりの評価も、ずいぶん難しいものになってきたようです。
 それなりにしっかり勉強した人の本を読んでも、読みが「甘い」と言わざるを得ません。それは、要は明治憲法というものが解っていないことによるかと思われます。何のかんのと非難しつつ、「平和憲法」の中でぬくぬくと生きて来た世代は、日本書紀の神勅、すなわち天孫ににぎの尊に天照大神が下した勅を国家の基本に据えて、その子孫たる天皇の無謬性を法的な観念にまで高め、それを前提にした法律家、しかも、それは解釈を一切許さない上命下服の軍人として生きた彼ら、なんていう観念は、持ちたくても持てないのでしょう。

 だから、局面が違うとはいえ、北朝鮮問題など、一向ピントはずれの前提に立ってしまうのです。そういう状態ですから、中途半端に解られても危険。いわゆるオタクも困る。

 今の世の中の最大の便利さは、時空を容易に越えられる、ということなのですから、とにかく大きくものを見なけりゃいけません。

 というようなわけで、さっきは、イラン人の友人と、イラン問題、新疆の問題など話しました。つくずくと日本からトルコ、いやローマまで通ずる絹の道を感じます。このアジア大陸の北のルート、つまりはペルシャ語の道と、南のアラビア語の道を分けて考えることが大切でしょう。
 関西の某(大)学者のように、日本だけが特殊な言語、文化、なんていってるようでは、まともな政策もとりえません。この人については、友人のメキシコ人Aさんとのウェブ対談でも「おかしいですね」と、偶然意見一致。

 青年将校の純粋な気持ちを現代に生かすには、村中大尉が公判調書の中でも述べているような、アジアにおける日本、あるいは日本人の、正に武士道にもとる行為の、世界的に見た問題点に広い視点から気が付き、今後に生かしていくことが大事です。
 まるで針小棒大ともいえる話、無理なのかなーとも思われますが。




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★7月10日 
Friday, July 10, 2009, 07:58 PM
 中国では、新疆ウイグル自治区が大変です。西安あたりへ行けば、回族の目の青い人がたくさんいますから、あのあたりはもっとヨーロッパに近い。清朝・乾隆帝の親征により清国の版図に入っところです(もちろん昔からシルクロードの関わりはありますが)。

 辛亥革命のあとの、その独立をつぶしてしまったのは、日本の稚拙な大陸政策のなせるわざ、とは以前書きました。うまく対応して「衛星国」モンゴル人民共和国をこしらえたのがソ連でした。
 しかし、それが持ちこたえられなくなって、結局「人民」を外さざるを得なくなったように、新疆やチベットの現状維持は、中国にとってなかなかしんどいことと思われます。しかし、ここまできたらそう簡単には手放さないのも間違いないでしょう。相当な不安定要因です。
 
 それにしても、大正、昭和と、本を読んでみれば、日本のお粗末外交には慨嘆。
 そんなことを思う日々に、ちょっと読んだ中外日報の佐藤鉄太郎海軍中将の話が面白かったです。彼は、大陸へと矛先を向ける勢力に対し、日本は海へ目を向けるべきで、イギリスの百年戦争が大陸への介入を重ねた結果失敗した故事に学ぶべしと言ったとか(もっとも、今のイギリス王室はノルマンから出ていて1066年のノルマンコンクエストにより大陸を征服したのだと思えば確かに大陸に関心を持つのは運命みたいなもの。日本にもそれはいえるかもですし、あちらもノルマン以来からいえば、正に万世一系的)。

 要は、気宇壮大な考えがあったわけで、現代においても、外交にはそうした気宇壮大性が必須ではないかと思いますが、そのためにはアメリカやヨーロッパの方ばかり見ないで、足下のアジアを眺めましょうよ、と言いたい気がします。



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★7月2日 
Friday, July 3, 2009, 12:54 AM
 久しぶりにアメリカの同業者Cさんとランチしました。彼とは、数年前、一緒に伊万里、平戸、長崎を回り、わずか1歳の息子さんをバギーに乗せて連れて歩いたのには、変なところでアングロサクソンの強さを感じたものです。
 同業者とはいっても、アジア、オセアニアの投資にかかわっていますから、日本のそれのように視野が狭くはありません。しかも話すと、お互いの知り合いが次々出てきて、世界は狭いなとつくづく感じます。

 そんな今日、20年位前から中国ビジネスを展開している同郷人からの便り。最近、北から南まで回ってきたそうです。私と同様、今後の発展は十分期待される、との話しとともに、特に品質におけるかの国の問題もズバリ指摘。

 一方、中国の持つ国家戦略を強く意識したと書いてありました。私も同意見です。むしろ漢民族のというべきでしょうが。この言葉は数日前のドイツ人も、再三言っていた言葉ですが、我が国は、この「国家」概念が誠に問題。国家主義とかいう概念がすぐ想起されてしまう発想の貧困。

 いつも書く北マリアナはもとより、南の島の新しい国作りにでも多くを学んで、早くしっかりした国家概念を作らなければ、戦略も何も生まれるはずがありません。



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★7月1日 
Thursday, July 2, 2009, 01:02 AM
 秋葉原の町にはコスプレのお姉さんたちがたくさんいます。コスプレはコスチューム・プレイ、つまりはアニメなどの役になりきって遊ぶことですが、日本の一文化として世界に広まっているとか。もちろんこうした現象は元々日本以外にもあったわけですが、どうも最近は劇場国家ならぬコスプレ国家として本家本元になってしまったようです。
 何しろ全てが外側だけで満足。「ごっこ」の世界。なぜか、なぜかと追求することをしない・・・。

 政治も正にごっこ。この期に及んで内閣改造とは、正にごっこですが、人間の「欲」という「実」を種にして覇権を握ろうとしている様は、一応、ごっこではない「健全さ!?」の残り火か。

 それにしても、解散権が内閣総理大臣にある、などと書いた条文は憲法のどこにもないのに、ご本人も回りもすっかりその気になっている。如何に解釈したとて、解散権があるのは総理大臣にではなく内閣そのものに。ただし、総理大臣に逆らった大臣はやめさせられるというだけ。
 要は、先日の件もそうですが、そんな度胸のある大臣はいないので、結局、事実上総理大臣にあることになっているだけ。
 
 しかし、この解散権というもの、フランス革命の三部会にみられるとおり、また、明治憲法にもみられるとおり、恐ろしい権力として機能してきた歴史あり。
 なのに、軽々しくも「総理の大権」だなどと述べる政治家がいるに至っては、正に、コスプレ国家の面目躍如!?と言わざるを得ない気がします。大権という言葉の意味、わかっているのかね、と。

 こういう状態を何とか支えてきたのは、このアジアでは、民主的ではないとはいえ、長い間官僚であったわけですが、その官僚にも陰りありでは、いよいよもってごっこをやり続けていくのかねと、いささか悲観的になります。


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★6月29日 
Tuesday, June 30, 2009, 12:51 AM
 今日は、若干の関係もある郵政の株主総会があったよう。株主総会シーズンも一段落で、先々週以来の様々なドラマもようやく一区切りとなったようです。
 個人的には今日も総会の現地から急信が入って緊張しました。
 今年ほど緊張の多かった年はなかった気がします。

 一方、昼間はイランの友人と、かの地の選挙を話し、先ほどは、あるドイツ人さんの講演を聞きました。イランの彼によれば、一応騒動は収束とか。アメリカ的見方だけではいけないな、と思います。今も色濃く陰を落としているイラン・イラク戦争。

 一方、ドイツの彼は、ヨーロッパでドイツ、ブランス共同でエアバスができたように、アジアも日本、中国、韓国で飛行機を作るようにならなければ置いてきぼりになるよと。
 正にそのとおりでしょうが、それには我々の意識変革がまず先行しなければ。現代における、ドイツの発想の変換は、日本的旧ドイツ観からは想像できないでしょう。その象徴が、ベルリンにできたホロコーストの記念碑でしょうか。

 20年も昔、札幌の友人らがドイツ連邦憲法裁判所の判事を招聘しましたが、その判事は、毎日、バイクに乗ってヘルメットを被って通勤していたとか。日本の最高裁判事が、秘書官つきで、大きく静かな部屋にいるのとは大違いです。
 アジア全体の劇的変化を考えるべきとき、一方の中国でも、逆に儒教的退歩的面がないとはいえないところに、アジア全体の問題を考えます。
これは、夜分話した中国の人との会話。

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★6月21日 
Monday, June 22, 2009, 01:23 AM
 株主総会の季節、当該会社では、想定問答などの整理に余念ありません。
 この時期、他の社団、財団などでも同種会議が集中しています。特に最近の公益法人の見直しで、一時はどうなるかと肝を冷やした団体も多いことでしょう。それが何とか収まり傾向にあるというのも正に日本的か。
 
 ところで、こうした会議というもの、正に国民の資質が問われます。中には審議の運営が相当いい加減あるいは不当ないしは違法まがいの団体もあるようで、会社と違ってこうした団体には監督官庁というものがありますから、それが最後のチェック機関とはなるわけですが、余りにひどい、民主主義の掛け声を種に人権や正義がないがしろになるようなケースでは。お上の裁断も必要になるでしょう。

 本来、それでは困るわけで、以前も書いたとおり(京都の槇村事件など)、明治初めの政府が中央集権を進めたのも余りに極端な地方のエゴを是正する一面がありました。再びそこへ戻らざるを得ないケースがちらほら見えるようでは、裁判員などというものも、当面希望が持てなくなってしまいます。

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★6月15日 
Monday, June 15, 2009, 07:25 PM
 科学的鑑定の問題で中部地方のある県に行きました。小学生の時以来の友人がお願い先。
 彼のような理科系の人と話すのは楽しいものです。嘘いつわりのない世界だからでしょうか。
 私も工作や理科の実験が大好きだった昔に帰って、もういちど別の人生をやってみたい気になります。もっとも、おっちょこちょいの私は、計算がからきしだめで、理科系では点数が取れなかったと思いますが。

 で、ひとわたり話が終わって、案内してもらったところが武田八幡宮。
 武田信玄が改築した本殿はじめ、みどころ満載。素晴らしいの一語。特に、この神社に願文をささげ、武田勝頼とともに自害した奥方は、小田原の北条氏政の妹で、わずか19歳ときては、その願文の素晴らしさとあわせて、昔の人はやっぱりすごかったな、とただただ感じ入るばかりでした。辞世の歌は
  黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒
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