Sunday, August 9, 2009, 01:18 AM
ある方の紹介で某国憲法裁判所の裁判官が事務所にやってきました。以前、別の裁判官からもらったその国最高裁正面の正義の女神の写真を種に何十分かの正義談義。そのあと食事をしながら色々話しました。その中で、今回の裁判員制度について、量刑を素人に担わせるのは奇妙と。これは過日、米国の弁護士も言っていたことで全く同感。
最近、日本では刑事で400日以上も未決勾留されるんですよと言ったら、「それじゃ裁判官も無罪にはしにくくなりますね」と、目の覚めるような素直な感想。同感。
最高裁が平等かどうかを判断するには条文によるべきで(例えば憲法14条後段。これは今の日本では少数説)、単なる平等という一言をもって判断しては法治主義ではなく、裁判官の個人的趣味の裁判になってしまう、との言。これはドイツの学者ヴィントシャイドや日本の滝川さんの言葉を思い出し、相当にそのとおり。特に、最近の行き過ぎには同感。
要は、彼は裁判官は自己を信じるな、冒頭の正義論でも、正義の女神はやはり目隠しをするのが正しい、との見解。
私はひところ、目隠しはしない方がよいと思っていましたが、最近の自信満々で無罪の推定を受けている人を400日もぶち込んでいる裁判官を見ると、やはり目隠しが正しいかと思ってきます。
それで、葉隠にも関係深い名裁判官板倉重宗(彼は、当事者の顔が見えないように、目隠しの代わりに障子を立てて話を聞いた)のことを書いた穂積陳重の法窓夜話を贈ってさし上げました。
これからも大いに仲良しになれそうです。
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Friday, August 7, 2009, 12:50 AM
今日は広島に原爆が投下された日。犠牲者、遺族の皆様に哀悼、同情の念を捧げたいと思います。私が小学生のころ、あの記念碑の碑文について、いわゆる右系の論客T教授は過ちをしたのはアメリカであって、我々日本人が過ちは繰り返さぬなどと誓うのはおかしい、といわれていました。私も正にそう思っていました。昭和30年代の話です。
そして、今の保守を標榜する多くは正にあの時代の理屈といってよいでしょう。要は古い。
しかし、昭和19年7月7日、サイパン陥落以降の日本は、正に戦争遂行能力喪失。にもかわらず、更に1年以上の戦争を続け、こうした悲劇(どころか、それ以上ともいえる悲劇)を惹起した為政者には、正に責任があり、しかも、その発想の元、例えば国体などという観念は、直接は水戸の会沢安らの産物としても、その大元は中国にあったとあっては、正に何をかいわんや。
この観念醸成の元を作った徳川のお坊ちゃん、つまり黄門(これまた中国の言葉)の罪は深く、繰り返さないぞ、と誓うことはそれこそ必要なことと思われてきます。
とまあ、ここまで書いてもなかなか今の若い人には難しいかもしれません。
それにしても、広島の資料館は新しく快適になって、あの重苦しさはなかなか伝わりません。これは、靖国神社の遊就館にもいえますし、過日訪問した南京の例の記念館にもいえます(南京は、そういうことでなく行ってみるべきところ。ある意味中国の本質)。
先日、裁判所の見学とあわせて、久しぶりにB29が原爆を積み込んだテニアン島に行きましたが、以前と異なり、ピットの上には風防がかけてあって、何となく以前より迫力がありませんでした。
歴史は決してお話ではない、とは、右にも左にも言いたい私ですが、洋の東西を問わず、余りにもきれいになり過ぎてその重苦しさを忘れるようでは、やはりいけないと思います。その点で、最近できたドイツのホロコースト記念館はどうなのかな、と思っています。
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Monday, August 3, 2009, 01:23 AM
今日は大安だったそうで、あちこちで選挙事務所の開所式があったようです。もちろん日曜ということもあったのでしょう。政権交代といったことが言われていますが、問題は今の政体とは異なったビジョンは何か。わかりやすい(にくい?)話、それは中世武士道を取るか近世武士道を取るかと言うことではないか、と思っているのですが、固まった頭にはこういう話はしみこんでいきません。せいぜい冗談と取られる程度。
そこに日本の発想の貧困さを見ます。
明治維新以後、中国では日本のそれを学ぼうという一方、アジアの知恵ではどうか、ということが常に意識されました。
現代においても、その意識がなければ、単なる猿真似の議論にしかならないと思っているのですが。最近のマニュアル傾向、裁判員などという人工ミックス型などを見るにつけ、そんな思いを深くします。
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Thursday, July 30, 2009, 01:31 AM
台湾人のR先生と中国を旅行していて考えたのが、韓国の裁判所正面にある「自由、平等、正義」の3文字と、フランスのあちこちにある「自由、平等、博愛」、そして、南京の孫文の墓の正面にある「博愛」。裁判員制度の日本では、一体何を考えたらよいのか。全部、といえばそれもよいけれど、各国でわざわざ3つを選んであるからには、韓国はやはり儒教の国か・・・。
日本で、裁判員にまでも量刑を判断させるなら峻厳な正義を持ち出すより、フランス式なりが大事では?いやいや、「ジャスティス」こそ命と先生は言われます。もっとも、広いジャスティスと狭いジャスティスがあるとも。
どっちにしても、日本ではまだまだ基本からの思考が足りないでしょう。
孫文の三民主義は、民族主義、民権主義、民生主義で、リンカーンの焼き直し、などと言う人も多いですが、彼が辛亥革命をなす前提には清国という存在があり、だからこその民族主義です。それができれば、今の言葉で言う住民自治と同じ自決の問題、そして、民生へと行きます。
そういう生きた論理を身につまされて考えていないから「焼き直し」などという言葉が出てくるのです。
要は考えることが大事。そこらの本に書いてあることや六法全書の条文暗記は必要なし。ただし、条文や一語一語の「文言」は、考えるよすがとして大事。
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Tuesday, July 28, 2009, 12:40 AM
歌舞伎座が再建工事に入るというので、お別れの公演を観に行きました。夜の部で、二つのお芝居。最初の方は人情物。中身で感じたのは正に「孝」を基軸とした展開。男性を預かるというので、疑われたご内儀が、自分の顔に傷をつけ、「親からもらたこの顔に傷までつけたのですから、疑ってくれるな」は、「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の初めなり」そのもの。
そのあと、牢屋から解放された男が、養父のやらかす悪巧みを止めようと殺人の挙に出るその時、親は、自分は親だ、殺すことはできないとうそぶく、これまた孝。後者の矛盾をどう解決するかと注目しましたが、結局は殺人場面のこれでもか、という描写でおしまい。このいやなものをさんざん見せて、芸術と称しているあたりに、毎度出てくる歌舞伎の限界を感じました。知り合いの某ゼネコンの会長さんもいいつも同意見です。
次の芝居は、泉鏡花の戯曲・天守物語り。同年代の玉三郎氏の美しさも大したものですが、この孝(このケースでは忠)の処理の仕方には感動しました。やっぱり鏡花はよい!と。殿様による無実の切腹も甘んじて受けようとする若侍に、幽霊がそんなばかな、と意見。
正に葉隠の言葉を否定する鏡花の明治人としての真骨頂。暇になったら読もうと思って、全集を確保してありますが、楽しみです。
要は、ここに、江戸と明治(ただし、目が覚めた人。江戸時代にも目が覚めた人はいるので、不適か)との違いがあるのかな、と思われました。
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Saturday, July 25, 2009, 11:12 PM
友人のE女史が主宰する集まりに出席し、先頃なくなったS女史ゆかりの国際的活動をしている団体の方のお話し拝聴。テーマはアジア諸国との真の友好に関するもの。とにかく私の話しは理屈的で難しいわけですが、出席者が韓国、ベトナム、インドなどの方々となっては益々大変。
しかし、韓国人なら本来、孝経は、少なくともハングル文字ではご存じのはずですが、漢字で説明しようとしても一向不明。
最近の韓国では、漢字教育が見直されているようですが、当然でしょう。民族主義を鼓舞することと、道具としての文字にこだわることとは別です。今のままでは、韓国人は祖先の考えた思想がわからなくなってしまいます。
これは日本も全く同じで、先日、高校時代の恩師で、日本語の大家であるN先生と話した際も、最近の古文教育のレベル低下が話題となりました。古文、漢文は、もっとしっかり勉強しなければなりません。
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Friday, July 24, 2009, 12:57 AM
改めて蒋介石の秘録を読んでいます。それを以前出したのはS新聞社。今や保守?の牙城みたいな新聞社ですが、数十年前はしっかり蒋総統をたたえ、日本のかつての政策を侵略として反省していました(前文でも)。 何だかねじれているここ何年かの日本、中国、台湾の関係をしっかりつかまえ直すには、ソ連(ロシア)への正当な評価とあわせて絶対必読と思われます。
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Tuesday, July 14, 2009, 12:58 AM
昨日7月12日は、2・26事件の青年将校らの多くが死刑に処せられた日であり、法要がありました。このあたりの評価も、ずいぶん難しいものになってきたようです。
それなりにしっかり勉強した人の本を読んでも、読みが「甘い」と言わざるを得ません。それは、要は明治憲法というものが解っていないことによるかと思われます。何のかんのと非難しつつ、「平和憲法」の中でぬくぬくと生きて来た世代は、日本書紀の神勅、すなわち天孫ににぎの尊に天照大神が下した勅を国家の基本に据えて、その子孫たる天皇の無謬性を法的な観念にまで高め、それを前提にした法律家、しかも、それは解釈を一切許さない上命下服の軍人として生きた彼ら、なんていう観念は、持ちたくても持てないのでしょう。
だから、局面が違うとはいえ、北朝鮮問題など、一向ピントはずれの前提に立ってしまうのです。そういう状態ですから、中途半端に解られても危険。いわゆるオタクも困る。
今の世の中の最大の便利さは、時空を容易に越えられる、ということなのですから、とにかく大きくものを見なけりゃいけません。
というようなわけで、さっきは、イラン人の友人と、イラン問題、新疆の問題など話しました。つくずくと日本からトルコ、いやローマまで通ずる絹の道を感じます。このアジア大陸の北のルート、つまりはペルシャ語の道と、南のアラビア語の道を分けて考えることが大切でしょう。
関西の某(大)学者のように、日本だけが特殊な言語、文化、なんていってるようでは、まともな政策もとりえません。この人については、友人のメキシコ人Aさんとのウェブ対談でも「おかしいですね」と、偶然意見一致。
青年将校の純粋な気持ちを現代に生かすには、村中大尉が公判調書の中でも述べているような、アジアにおける日本、あるいは日本人の、正に武士道にもとる行為の、世界的に見た問題点に広い視点から気が付き、今後に生かしていくことが大事です。
まるで針小棒大ともいえる話、無理なのかなーとも思われますが。
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Friday, July 10, 2009, 07:58 PM
中国では、新疆ウイグル自治区が大変です。西安あたりへ行けば、回族の目の青い人がたくさんいますから、あのあたりはもっとヨーロッパに近い。清朝・乾隆帝の親征により清国の版図に入っところです(もちろん昔からシルクロードの関わりはありますが)。辛亥革命のあとの、その独立をつぶしてしまったのは、日本の稚拙な大陸政策のなせるわざ、とは以前書きました。うまく対応して「衛星国」モンゴル人民共和国をこしらえたのがソ連でした。
しかし、それが持ちこたえられなくなって、結局「人民」を外さざるを得なくなったように、新疆やチベットの現状維持は、中国にとってなかなかしんどいことと思われます。しかし、ここまできたらそう簡単には手放さないのも間違いないでしょう。相当な不安定要因です。
それにしても、大正、昭和と、本を読んでみれば、日本のお粗末外交には慨嘆。
そんなことを思う日々に、ちょっと読んだ中外日報の佐藤鉄太郎海軍中将の話が面白かったです。彼は、大陸へと矛先を向ける勢力に対し、日本は海へ目を向けるべきで、イギリスの百年戦争が大陸への介入を重ねた結果失敗した故事に学ぶべしと言ったとか(もっとも、今のイギリス王室はノルマンから出ていて1066年のノルマンコンクエストにより大陸を征服したのだと思えば確かに大陸に関心を持つのは運命みたいなもの。日本にもそれはいえるかもですし、あちらもノルマン以来からいえば、正に万世一系的)。
要は、気宇壮大な考えがあったわけで、現代においても、外交にはそうした気宇壮大性が必須ではないかと思いますが、そのためにはアメリカやヨーロッパの方ばかり見ないで、足下のアジアを眺めましょうよ、と言いたい気がします。
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Friday, July 3, 2009, 12:54 AM
久しぶりにアメリカの同業者Cさんとランチしました。彼とは、数年前、一緒に伊万里、平戸、長崎を回り、わずか1歳の息子さんをバギーに乗せて連れて歩いたのには、変なところでアングロサクソンの強さを感じたものです。同業者とはいっても、アジア、オセアニアの投資にかかわっていますから、日本のそれのように視野が狭くはありません。しかも話すと、お互いの知り合いが次々出てきて、世界は狭いなとつくづく感じます。
そんな今日、20年位前から中国ビジネスを展開している同郷人からの便り。最近、北から南まで回ってきたそうです。私と同様、今後の発展は十分期待される、との話しとともに、特に品質におけるかの国の問題もズバリ指摘。
一方、中国の持つ国家戦略を強く意識したと書いてありました。私も同意見です。むしろ漢民族のというべきでしょうが。この言葉は数日前のドイツ人も、再三言っていた言葉ですが、我が国は、この「国家」概念が誠に問題。国家主義とかいう概念がすぐ想起されてしまう発想の貧困。
いつも書く北マリアナはもとより、南の島の新しい国作りにでも多くを学んで、早くしっかりした国家概念を作らなければ、戦略も何も生まれるはずがありません。
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