★5月23日 
Saturday, May 23, 2009, 01:18 AM
 今日は埼玉に行ってきました。
 埼玉で好きなのはその県立博物館です。何しろそこには、レプリカとはいえたくさんの板碑がありますから。これこそ、本当に日本的なものではないかという気がします。もとより大もとはインドの卒塔婆ですが。
 中に、最も感動的なのは、臨剣頌が彫られた入間市のもの。
 円覚寺開山である無学祖元は、南宋福建省の寺にいた時、元の軍隊に押し入られ、今まさに殺されそうになった時、この頌を吐きました。
 驚いた元の兵隊は、失礼しました、というわけで、引き上げたというわけ。
 その情報は、1333年の鎌倉幕府滅亡時、この埼玉にも届いており、新田、北条の戦争で死んだ武士の供養塔に、この頌が彫ってある次第。正に感動的です。

 ところで、ここまでは以前にも記しましたが、この話には更に続きがあり、今度は日本の僧・雪村友梅が中国に行き、元の政府に怪しまれ、殺されそうになりました。
 その時、雪村友梅は、正にこの頌を詠んだのです。驚いた元の官員は、これまた失礼しましたというわけで、殺すのをやめました。
 ですから長い間中国では、この頌は友梅のものと思われていたとか。
 なんともおもしろい話しです。


 在日本的埼玉県有hen多石碑。我イ門叫這箇石碑板碑。我最感興趣是入間市円照寺的石碑。 那箇石碑上有一箇詩。那箇詩是一箇中国人的和尚作的。他在南宋的一箇寺廟的時候、蒙古的士兵進入了。那箇士兵想殺了那箇和尚。那箇時候、那箇和尚作了那箇詩。那箇士兵口下了一跳。他没殺那箇和尚。那和尚的名字是無学祖元。
 那首詩叫臨剣公頁。以后、他来日本。在鎌倉建立了円覚寺。円覚寺最有名的鎌倉的寺廟。

 然后、那箇石碑1333年建了。那箇時候鎌倉幕府結束了。那箇戦争的時候、日本人為供奉戦争死的人建立了那箇石碑。
 我覚得中国的詩到日本的農村hen有意思。

 然后、日本的和尚雪村友梅在中国的時候中国的官員逮捕了他。官員想殺了那箇和尚(雪村友梅)。那箇時候、那箇和尚説了那箇詩。那箇官員口下了一跳。所為、在中国長箇的時間、中国人覚得那箇詩是日本的作品。hen有意思。

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★5月20日 
Thursday, May 21, 2009, 12:40 AM
 京浜東北線を横浜から出発して、すぐ右手に見えるのが権現山城。

 もちろん、昔は左手にもあったと思いますが、現在は線路で分断されています(あるいは、山側が攻め手であったようです)。

 この城は、足利尊氏や北条早雲の権現山合戦の場所であることは知っていましたが、実は東京湾から八丈島まで支配していた海賊の拠点ということを、横浜市立博物館で行われている特別展で知りました。

 かつての水運の重要性に鑑みれば、こうした海沿いの城が単なる陸地の城としての機能以上に海城としての意味を有していたことがうなずかれます。
 水運を中心として歴史を見なければいけないということを強く感じる特別展でした。

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★5月14日 
Friday, May 15, 2009, 01:13 AM
 昨日は、小人数の佐賀関係の会で卓話を頼まれ、30分ほどおしゃべりしました。
 大きなテーマは佐賀の国際性。
 色々ありますが、ドルメン(支石墓)から入りました。以前の掲示板に写真を貼っているとおりのものですが、遠くはアイルランドまでつながる?もの。それが福岡と佐賀、熊本に多いのがおもしろいところです。
 私は、九州への風の吹き方も関係しているのではと思います。冬なども関東と異なり、西風が激しいので、大陸からの渡来者は、福岡だけでなく、佐賀や熊本へもやってきやすかったとみます。
 下って中国でいえば宋の時代、1133年、宋の船が神埼の荘にやって来たというのもわかります。多分有明海ルートでしょう。
 これと私貿易をした平忠盛は、儲けたお金で、平家物語りにいう「三十三間の御堂を建てらる」。
 やはり中世はおもしろい時代です。


我昨天講演了佐賀的歴史。我説佐賀是国際県。

yu古代hen多人従大陸来了。比如説在佐賀有hen多古石墓。一様的古石墓在韓国、在中国、在印度、在欧州有hen多。
特別在法国、在愛er蘭有。

我興趣那箇吉石墓的放置。在福岡有hen多.在佐賀、在熊本有hen多。
我覚得這箇放置根据在九州的風向。

宋朝時代1133年、一箇船従宋到佐賀了。
那箇時候一箇武士平忠盛和那箇船開始日宋貿易。他貝兼了hen多銭。

所為他在京都興建三十三間堂了(這箇堂hen最有名的寺廟)。
日本的中世hen有意思。

I did a table speech at a dinner the other day.
The big theme of that speech is internationality of Saga.

There were many old tombs called "dolmen".
It is like a small ston henji.
Same shaped stones are in Ireland as well.

In Fukuoka,Saga and Kumamoto,ther are them a lot.So these places are interesting.

Why did they gather in those places?
I think there is a strong relationship between wind and locationing of Kyushu.
Strong wind blow from west in winter.So,a lot of sips arrived in western Kyusyu.

In 1333,one ship from China arrived in Kanzaki in Saga prefectur by western wind.
And the master of this place Tadamori Taira made new connection with this sip,and he started private trade with China at that time.

He got a lot of money from the trade and he built one big temple in Kyoto.Japanes famous book "Heike monogatari" said "33 ken no Mido wo tateraru".

The Japaneas middle Age is very interesting.


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★5月10日 
Monday, May 11, 2009, 12:51 AM
 連休は、葉隠にも登場する有名な坊さん、潮音道海ゆかりの山寺に参拝し、近くで蕎麦を食べてきました。そして今日は親戚の法事で鍋島家ゆかりの寺での宋朝禅の雰囲気いっぱいの法要。我が家の宗旨は浄土真宗ですが、宋朝禅のきりりと引き締まった禅風は見事です。
 潮音といえば、先代旧事本紀にからむ事件でも有名ですが、詳しいことは別として、その山寺のまわりには、熊や鹿などの動物を初め、ブッポウソウ、ジヒシンなどが鳴くとか。そして潮音禅師は、背後の山に日、月、星の名を付けたとのこと。これまた旧事本紀事件とかかわるものの、要は、この森羅万象が仏法を語って下さる、我々人間は、その中における小さな存在であるということを教えたかったことは間違いないでしょう。
 実は、浄土真宗においても、以前の掲示板に写真で示した三笑図を、お寺の本堂、庭園、書院で示した結構があります。

 こうした大きさこそ仏教の国際性といってもよいでしょう。
 そういえば、以前、長崎で会った傑僧は、その山寺方丈様の同期とか。おへそを出してゴミ焼きをしながら、不生禅の由来を語って下さったその禅師もすごかったです。道者、隠元、木庵ら明末清初の渡来僧と武士の道は、この博物館の本文にも書きましたが、奥が深いです。もちろん、ただ今勉強中。

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★5月5日 
Tuesday, May 5, 2009, 07:21 AM
 ある席で同席し、帰りのエレベーターで偶然言葉を交わしたアメリカの研究者。
 「日本人はどうして法律を解釈してしまうんでしょうか」という一言にドカンときました。
 この博物館でいえば、公事方御定書は解釈が許されないもの。それを無理やり解釈した大岡越前は一応「名裁判官」。
 問題は誰が法律を作るのか、ということにあります。国民が作る、あるいは国民にもっとも近い人が作るからこそ裁判官による解釈は許されないというのが彼の論理のはず(フランスがそうですから)。
 日本では一体どうか。本当に国民が作っているかどうかは、先般の会社法でも喫緊の民法でも・・・。
 話はそのあと、日本人12歳論まで行って、あとは次回となりましたが、話の切れが残念ながら日本人の学者より上だわと思いました。
 ただし、この話はとても深いです。
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★4月28日 
Wednesday, April 29, 2009, 01:16 AM
 外国からのご来所も多いらしいので、これから時々、3か国語で書いてみることにします。

 ある若者が破廉恥罪でおかしな逮捕をされ、逮捕自体は現行犯だから仕方がないとして、その後、家宅捜索まで行われたのには、やっと色々批判が出ているようです。

 ただし、この捜索差押令状を発布した裁判官の話は聞きません。
 捜査機関は刑事訴訟法に則り、一定の要件を主張して裁判官にその許可を求め、許可状を発布してもらいます。だから、捜索できたのです。
 ということは、裁判官が極めてゆるく許可を出したわけです。もちろん、私はこうした許可が簡単に出てしまうことを知っていますが、余りにも安易な運用は、裁判所や裁判官の存在意義を失わせます。
 そして、何より、国民がここの点に関心を持たないことが最大の問題です。正にサンクチュアリ。
 司法部はかつては裁判所構成法という法の下にありましたが、一般行政部は天皇の官制大権の下にあり、国会(帝国議会)さえ容喙できにくかったのです。こういうところに感度よく切り込める国民でなければ、憲法改正なんてできる資格がありません。憲法記念日を含むゴールデンウイークを前にして。

最近、一箇年軽人被逮捕了。他的行為不好、可是不大。

多人批判警察検査他的家。

我覚得在日本、如果警察要検査犯人的室内、警察要去法院ban捜査許可。
所為、這箇事件的真的問題是許可的簡単化。

総之、真的問題人是審判員。可是、大部分的日本人不批判那箇問題。


In Japan, one young man was arrested by the police though not a great thing.

Moreover the police searched to the inside of the young man's house.
Many people criticize it.

However, in Japan there is a system of the warrant principle.
So,the search can't be done without judge's permission.

Then, we have to concern about the judge who issued the warrant easily .

The tendency of Japanese doesn't criticize a judge is a big problem.
Exactly, sanctuary.



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★4月26日 
Sunday, April 26, 2009, 03:59 PM
 台湾の友人が来日したので、お寿司屋さんに連れていったところ、そこでアルバイトしていたのが上海人。もちろん台湾の人にも色々ありますが、このケースでは、台湾の方の目がバチバチ。困ったような上海のお兄ちゃんに「メイグアンシー大丈夫ですよ」と。お兄ちゃんもにっこり。

 その席では正に台湾の将来について、色々な議論になりましたし、彼らは日本人がどう考えているのかに大いなる関心を示しましたが、私の意見はとりあえずは現状をかえない。

 台湾が経験してきた様々な苦労を考えると、大陸と台湾との関係をうまく取り持つのは、過去のことを考えれば、ある意味老いも若きも、日本人の責務だと考えますし、政治とはそういうものでしょう。若者が「自分には関係ない」というのはそれ自体がおかしい。

 ドイツのイエーーリングの「権利の為の闘争」を翻訳されたある先生は私の尊敬する法思想史家であるとともに、本来、民法学者ですが、彼は、ドイツの戦争責任について、若い人間もそのことに気づかないかぎり責任ありというのがドイツのポリシーであり、若者は関係ない、というのは間違いである、と言われています(ちなみに、その学問上の叔父にあたるKさんは、私のいわゆる元上司みたいな人ですが、先般、その法律書がドイツ語に翻訳されました。86歳の今も旺盛な知識欲です。あれに見習いたいと思います。なお、もう一人の知人で大家S先生の本は英語に訳されていますが、同先生はこれまた?二本松の方で、当然。武士道に関心。何と色々繋がることよ)。

「日本人たる前にアジア人でなければならぬ」という川島芳子の言葉を持ち出すまでもなく、そのくらいの度量と能力を持ってこそ彼女のいう「武士(もののふ)の道、大陸の道」でしょう。

 こせこせした議論が横行している現状については、分かりやすい話し、「もっと勉強せよ」と言いたくなります。その勉強に当っては、近ごろの本は、学者の大論文は別として、たいていが役立たずです(もちろん例外あり)。なぜなら書いている人の能力が落ちているからです。古本屋の安い、よい本を読めば、安上がりでしかも色々考えることができます。
 昔の人を馬鹿にするなよ、というのが私の意見。




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★4月23日 
Thursday, April 23, 2009, 10:56 PM
  オバマ大統領がペンタゴン(アメリカの国防総省)を訪問した映像を見ていて色々なことを思いました。かつて見たペンタゴンは、ワシントンのはずれのようなところにペッチャリとありましたが今も変わらずです。
 あの形、築城の基本に忠実と見ました。ヨーロッパでは、城は古くは高い塔状の形態をとっていましたが、火器特に攻城砲と呼ばれる強力な砲が生まれると、高い塔は役に立たず、平面化して広さを利用した砲の威力の減殺で対抗するようになります。日本の五稜郭もその主義です。
 そうするとあのペッチャリもそういう主義を取り入れたんだろうなと思います。
 もちろん、真上からの攻撃には9・11のとおり弱いわけですが。
 一方、日本の防衛省の建物は如何。あんなタワーは、古代西洋みたいなもので、攻撃して下さいといわんばかり。
 先日の北朝鮮の騒ぎ同様、どうも平和ボケだな、と言わざるを得ない感じです。



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★4月20日 
Monday, April 20, 2009, 11:21 PM
 あまり私にとってなじみの話しではないのですが、先日の痴漢最高裁の判決、事実を審理するところでもない最高裁が、1、2審の手続きを、紙を見ただけでああだこうだと言い、破棄自判というのはどうかなと思いました。
 裁判には事実審と法律審とがありますが、法律審の典型は、フランス革命のあと、革命派の議会が作った法律を裁判所がねじ曲げて適用したことに対して、これを是正する破棄院に見られます。
 私はこれが上級審の本来の姿で、その前提として民主的な裁判所であることが要求されると考えています。
 これに対して、日本の旧憲法時代の大審院は、今とは比べ物にならない力のなさで、力は司法省に握られていましたから、下級審をコントロールするすべがなく、個々の事件を通じて、言葉は悪いですがイビリみたいなことで下級審の判決を破棄してコントロールしていたといわれます。
 今回のことなど、昔の残滓ともいうべきものが威を振っていなければ幸いです。

 ちなみにこの話し、上記は民主主義の話しでしたが、皇帝権力や将軍が自らの命令に反して裁断を下した奉行の行ったことを破棄する話しになれば、武士道につながるわけ。大岡裁きなどがその流れです。武士の行き方を官僚の倫理という面からみると、極めて現代的な問題なのです。
 我々はこのあたり、感度をよくして国を自ら造る気概と知恵が必要です。そのリアリズムを欠いているのが現代の様々な議論といえるかもしれません。
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★4月17日 
Saturday, April 18, 2009, 01:03 AM
 先日、仕事場のレクで横浜の金沢文庫に潮干狩りに行きました。潮の具合も最高で、貝もたくさん採れましたが、25年くらい前、そこに3年住んでいた私としてはなつかしい場所でもありました。
 もし、あそこに住まなかったら、今のような考えを持ったかどうかわかりません。当時の県立金沢文庫は昭和5年に建てられた古い建物で、国宝がそのあたりにコロコロという状態でした。それは中世の日宋貿易の産物で、いやでも国際的興味をそそるものでした。鎌倉北条氏の発想が体に伝わってくるところだったのです。
 博多などに負けない国際都市(地区)と言えるかもしれません。北条氏は鎌倉の周りにたくさんああいう地域を持っていたとも言われますが、今日まで奇跡的に残った唯一といってもよい場所です。 
 県立金沢文庫の当時の館長さん(今、ある仏教系の資料館長)にはお会いしていませんが、実は佐賀の人。その弟さんには1年半ほど前にお会いし、知的で良心的な著述をなさっています。
 文庫のある六浦では中世、潮干狩りどころか殺生禁断がなされました。吾妻鑑にあるような殺伐とした時代なればこそ生き物を大切にした、という文庫展での見解は、葉隠の鍋島清久に通じ、多分アジア全体の放生に通じるものでしょう。
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