Monday, April 20, 2009, 11:21 PM
あまり私にとってなじみの話しではないのですが、先日の痴漢最高裁の判決、事実を審理するところでもない最高裁が、1、2審の手続きを、紙を見ただけでああだこうだと言い、破棄自判というのはどうかなと思いました。裁判には事実審と法律審とがありますが、法律審の典型は、フランス革命のあと、革命派の議会が作った法律を裁判所がねじ曲げて適用したことに対して、これを是正する破棄院に見られます。
私はこれが上級審の本来の姿で、その前提として民主的な裁判所であることが要求されると考えています。
これに対して、日本の旧憲法時代の大審院は、今とは比べ物にならない力のなさで、力は司法省に握られていましたから、下級審をコントロールするすべがなく、個々の事件を通じて、言葉は悪いですがイビリみたいなことで下級審の判決を破棄してコントロールしていたといわれます。
今回のことなど、昔の残滓ともいうべきものが威を振っていなければ幸いです。
ちなみにこの話し、上記は民主主義の話しでしたが、皇帝権力や将軍が自らの命令に反して裁断を下した奉行の行ったことを破棄する話しになれば、武士道につながるわけ。大岡裁きなどがその流れです。武士の行き方を官僚の倫理という面からみると、極めて現代的な問題なのです。
我々はこのあたり、感度をよくして国を自ら造る気概と知恵が必要です。そのリアリズムを欠いているのが現代の様々な議論といえるかもしれません。
| このエントリーのURL
Saturday, April 18, 2009, 01:03 AM
先日、仕事場のレクで横浜の金沢文庫に潮干狩りに行きました。潮の具合も最高で、貝もたくさん採れましたが、25年くらい前、そこに3年住んでいた私としてはなつかしい場所でもありました。もし、あそこに住まなかったら、今のような考えを持ったかどうかわかりません。当時の県立金沢文庫は昭和5年に建てられた古い建物で、国宝がそのあたりにコロコロという状態でした。それは中世の日宋貿易の産物で、いやでも国際的興味をそそるものでした。鎌倉北条氏の発想が体に伝わってくるところだったのです。
博多などに負けない国際都市(地区)と言えるかもしれません。北条氏は鎌倉の周りにたくさんああいう地域を持っていたとも言われますが、今日まで奇跡的に残った唯一といってもよい場所です。
県立金沢文庫の当時の館長さん(今、ある仏教系の資料館長)にはお会いしていませんが、実は佐賀の人。その弟さんには1年半ほど前にお会いし、知的で良心的な著述をなさっています。
文庫のある六浦では中世、潮干狩りどころか殺生禁断がなされました。吾妻鑑にあるような殺伐とした時代なればこそ生き物を大切にした、という文庫展での見解は、葉隠の鍋島清久に通じ、多分アジア全体の放生に通じるものでしょう。
| このエントリーのURL
Monday, April 13, 2009, 01:11 AM
日比谷公会堂を上から眺めるプレスセンターの建物で、5月から始まる裁判員制度について講演しました。このことについては、もっぱらどうしたら裁判員にならないで済むか、とか、守秘義務に反したらどうなるとかのおよそ瑣末としかいえない議論が横行し、一般の啓蒙書も正に「啓蒙」のレベルです(あれでずいぶん儲けた人もいるでしょう)。
この博物館の本文に書いたとおり、昭和3年の陪審法施行に際して、国民のレベルアップを図るべく日比谷公会堂ができたり、公民教育と称する国民的勉強が行われ、本質論がたたかわされたのとは大違いです。 これじゃ、私のように国民参加(否、むしろ国民による司法実現)に賛成な者でも時期尚早かな、と思わざるを得なくなります。
例えば過日の凶悪事件についての審理が余りにリアルでいやになった等の議論をしている一方、サムライジャパンなどと盛り上がっているのを見ても、サムライなら生々しいのも見ざるを得ないでしょうに、あれじゃ正に公家であり、「第八条 裁判員は、独立してその職権を行う」とある裁判員法の文言の本質を踏まえているのかね、と一言いいたくなります。もちろんいない国民が大部分であることでしょう。
こういうふうに、一般が国家なるものの本質を掴まえて議論していませんから、北朝鮮に対する防衛情報たる迎撃ミサイルの移動まで全部テレビ報道というお粗末。
要は、全てが「ごっこ」状態で、司法にしろ、立法、行政にしろ、国造りについてのリアルさにも欠けるわけ。公民教育研究に、マカーサーと同じ日本人12歳論が書いてあったのと一向変わっていないのです。
これを機会に、「国家」と言っただけで鼻息が荒くなるような見せかけばかりの威勢のよさを放擲し、国民が真に国家の本質にせまるよすがになれば裁判員も反射的に役には立つでしょうが、一方、その法律の第1条に、「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法及び刑事訴訟法の特則その他の必要な事項を定めるものとする」とあるのは一体何を言いたいの?被告人は一種の材料?と思わざるを得ないと言わざるを得ません。
下に書いたことを若干敷衍。
| このエントリーのURL
Friday, April 10, 2009, 01:35 AM
最近、一流会社の会長さんたちと食事をして、話が某会社顧問さんの自叙伝に及びました。その人が、戦争中、500キロ以上を行軍したというので驚きの声。戦後生まれの私ですが、その反応にはこちらが驚きました。だって、500キロの行軍なんて当時は当たり前でしょうにと。現に我が身内はシンガポールから北ビルマまで毎日のようなに機銃掃射を受けながらタコツボを堀って行軍したんですから。
もっと時代を溯れば、関東から九州、また京都と動き回った足利尊氏とか、その反対派で、青森から鎌倉を落として近畿地方和泉の石津で敗死した北畠顕家とか。アレキサンダー大王まで持ち出すまでもなくそんことはつい最近まで当然のことだったのです。
ちなみに鎌倉時代の歴史書東鏡をみますと、京都から鎌倉までの500キロ弱、馬では4日という記録があります。
武人とはそういうものであって、びっくりしていては困る訳。
このことはほかのことにもいえ、来月開始の裁判員とかいう制度が始まるということは、国民が死に向き合わなければならないということなのに、「私はいや」などという態度をとる一方で、サムライジャパンなどとはやしていることとは矛盾します。
このあたり、威勢のいい掛け声と実際何をするのかというリアリズムとの乖離が、年代の移行による必然ではないことを祈りたいと思います。
| このエントリーのURL
Thursday, April 9, 2009, 02:56 PM
その昔の勉強仲間の会の50周年行事があり、取りまとめ役であったことから、打ち上げ旅行で2度目のテニアンを訪問。地元の人との交歓や、サイパンでは裁判所を見学したり、高校生の陪審コンテストで優秀な成績を収めた高校生に話を聞いたり。有意義な時間を過ごしました。そのテニアンの衛星放送テレビで見たのが日本による台湾領有の話。
NHKが好きというわけではありませんが、やっとまともな台湾領有論が行われているわ、と思いました。
以前台北で1度食事をしたこともある台湾人の医者Kさんがメインの登場人物。彼らはR総統の仲間でもありますが、むしろ批判的です。その大きなポイントは、かつての台湾領有における差別にありといってよいでしょう。私のごく近い親戚にも台北一中や台北第一高女に行った人がいますが、番組でも言っていたとおり明らかな差別がありました。
この差別の根源や蒋介石進駐後の悲劇に番組はふれていませんでしたが、当時の日本人の意識は正にこの博物館に記述した儒教武士道の延長にあり、それがああしたことに至る大きな要因になったと思います。
それは、正にサイパンなどの南洋諸島においても全く変わりません。サイパンガラパンにある博物館で購入してきた本に、台湾の人々との全く共通することが書いてありました(当たり前ですが)。
もちろん、一応原地の人に納得してもらえば、それなりの評価も得、それが台湾人は日本好きという半分は本当の話にもなるわけですが、ことはそんなに単純ではありません。
番組の最後で、言葉というアイデンティティの根幹を奪われ、自らの思いを台湾語で語れない憤りが述べられていましたが、その苦しみは十分わかります。
以前、Kさんの仲間と食事したときも、「Rがそんなに日本が好きなら日本人になってしまえ」と吐き捨てるように言われた人がいたことが思い出されます。
そんな彼らも徐々に減ってきています。去年、台北に行った時、取りまとめ役のCさんと電話で話しましたが、既に施設で生活する日常となっていました。
私に「僕の体は半分以上日本人になってしまっているんだよ」と言いつつ、様々なもどかしさを訴えていた祖父以来の関係者・別のKさんの悲痛な言葉が今も思い出されてなりません。
| このエントリーのURL
Saturday, April 4, 2009, 01:04 AM
旧知の考古学者O先生が中近東の遺跡発掘の件で新聞に出ていました。トルコは、日本と同じころ成文憲法を作ったアジアの同胞です。そのケマル・アタチュルクの改革は、私が尊敬する日本人の改革者・原敬と同方向ながらその困難さと到達点は原のはるか上をいくものでしょう。まちろん、原の生命を賭しての改革もすばらしいもので、最近の「改革まがい」とは大違いです。
そして、このあたりは、2000年くらい前は、中国、ローマのちょうど中間としてのパルチアの地域。
ここを知らずしては人類の何たるかもわかりません。
金銭抜きで何十年にもわたって真実を求める発掘活動をしているO先生の仕事が日の目を見てほしいと思うとともに、こういう学者の功績を実際の政治や経済に生かすことこそ余人の務めではないかと思われます。
| このエントリーのURL
Tuesday, March 31, 2009, 11:15 PM
ソマリア沖の海賊対策のため、護送船団が組まれることで思い出すのが私の身内。昭和19年7月、サイパン島陥落後の日本は、南方へのシーレーンは正に喪失。私の故郷・佐賀県の北の海も朝鮮半島への安全は確保されず、今も多くの船が呼子沖の海に沈んでいるそうです。
ですから、シンガポールから護送船団を組んだ我が身内の船も、海南島近辺の大海原で米軍の潜水艦の攻撃を受け、運よく私の身内は、17、8時間の漂流ののち助けられました。その反面、助けられなかった人がこれまたおびただしい数、南の海に沈んでいることでしょう。
つまり、すでに戦争遂行能力など全くなかったわけで、にもかかわらずこれを遂行したトップは、一体どんな頭の構造をしていたのか、それを明らかにしなければ、再び同じ過ちを起こしてしまいます。
その、深い深い理由を探るのが私のテーマ。
そんな中、昨日も今回の裁判員制度の話と武士道とがどう結び付くのか・・・といった質問を受けましたが、被告人という国民ないし人間に、刑罰という賦課を与える権限の問題ということになれば、切り捨て御免などの権限(権力)を持っていた武士の倫理と当然結び付いてくるわけで、我々はそうした発想法を常に磨いておかなければ、深いところからの「改革」にはなり得ないと思うのです。
ソマリアも裁判員もつながっている・・・これは本当のことです。
| このエントリーのURL
Monday, March 30, 2009, 07:35 PM
中国からの留学生を連れて長野の善光寺に参拝。先日、盛岡での学会に参加した留学生は、ついでに有名な平泉に行ったそうですが、金色堂の小ささにびっくり、がっかりであったとか。しかし、善光寺の大きさには納得。しかも、立派な庫裏にはこれまたびっくり。
そんな現象を見ていて思ったのは、確かに善光寺は大きいということと、この大きさはどこから来たのか、ということでした。
今の善光寺の元は飯田にあって、その前は蘇我、物部の仏教をめぐる戦争にあり、つまりは聖徳太子の時代に由来することは解説書にあるとおりです。そして、これを造った本田善光さん夫妻の像をよく見ると、奥さんの方はいわば立て膝をして韓国の女性と同じ姿勢をとっていることに大陸との関連が言われてきました。
そうすると、今の建物は江戸時代のそれとは言いながら、あの大きさそのものが、正に大陸的ということではないかと思います。いわば、東国にある数少ない大陸的規模を持つ遺跡といってよいのではないかと。
2年前に、また最近、ある雑誌に我が国民の「気宇壮大さ」の大切さを書き、その代表として大野城や奈良の大仏様のことを書きましたが、同じことがここでも言えそうです。
もちろん、平泉の遺跡も、現象面の小ささとは反対に、目に見えない大きさはあることを、留学生ならぬ日本の「地元」人間として、踏まえなければならないことはもちろんです。
| このエントリーのURL
Monday, March 23, 2009, 01:33 AM
今年も先日、北マリアナ連邦、つまりサイパン、ロタ、テニアンの連邦で、高校生の陪審コンテストが行われたとの報が入りました。友人のHさんが送って下さった資料によると、敗訴した検事による相手弁護士殺し。それに至るまでのおぞましいともいえる様々な事情。中には性的スキャンダルまで。そして、心神こう弱の主張。
これを種にして高校生が陪審の訓練をしている。しかも本来小学校から。
こういう下地があっての陪審だよね、といつも思います。
一方、これまたいつもいうとおりで、昭和3年の旧陪審法が施行されたとき、わが祖先たちは、しっかりそれを行うには勉強をしなければ、というわけで、あの日比谷公会堂を造り、模擬裁判に汗を流したものでした。
どういうときに辞退できるの?が論点になっている最近の傾向をみれば、まさに退歩です。
もちろん、裁判員とかいう中途半端なものには全面的に賛成できるわけではありませんが、あまりにも今の論点はお粗末です。
なお、こういう民意の反映(この言葉も変)は、戦後の司法改革でも調停委員など行われたわけで、あの下請け的やり方を清算できる国民にならなければ当面成功は・・・と思います。
| このエントリーのURL
Wednesday, March 18, 2009, 09:53 PM
数年前、地下鉄の中で偶然言葉を交わした紳士がスーダンの難民の方でした。以来、何かとスーダンが気になっていました。もちろんその西部での紛争のことです。そんな最近、国際刑事裁判所(ICCP)が、同国大統領に対する逮捕状をが出たとのこと。
一方、地元ではICCPにやられるなんて国家の体をなさないじゃないかというわけで、独自に裁判にかけるという勢力が。
もちろん、アラブ系、その反対のチャドの支援を受けている系、その中でも政府にくっついた系などなど、複雑極まりないのでやたらなコメントはできませんが、思い出すのは日本の戦後、東条英樹らの責任を自分たちで問おうとしたまともな勢力がいたことです(以前、木村三浩さんと誌上対談)。
今の日本にこうした動きが極めて少ないのは憂うべきことです。
一方、この紛争を見ていると、国家という枠組みの罪が正にアフリカという人工性の極致で現れているなという感じがします。
となると、本来、コミュニティーとは何だったのかという基本に人類は立ち返らなければならないのではないか。やはり人工性の極致であるアメリカなどにおいて、州やカウンティーは人工的な線で引かれていても、その下の単位は一つのまとまりとして協同体を作る。それは東洋の社しょくに通ずる、という具合。会社や社長という言葉も本来はこの社から来ていると本文に書いたとおりです(会社法が改正されましたが、私が作ったなどと宣っていた某公務員には、こんな発想は一向なさそうでした)。
今や、スダーダンは資源争奪がからんで大変な具合ですが、人類がこの基本に帰らなければ、宇宙船地球号の乗組員には若田さん以上のプレッシャーがかかりそうです。
| このエントリーのURL
戻る 進む