Friday, May 15, 2009, 01:13 AM
昨日は、小人数の佐賀関係の会で卓話を頼まれ、30分ほどおしゃべりしました。大きなテーマは佐賀の国際性。
色々ありますが、ドルメン(支石墓)から入りました。以前の掲示板に写真を貼っているとおりのものですが、遠くはアイルランドまでつながる?もの。それが福岡と佐賀、熊本に多いのがおもしろいところです。
私は、九州への風の吹き方も関係しているのではと思います。冬なども関東と異なり、西風が激しいので、大陸からの渡来者は、福岡だけでなく、佐賀や熊本へもやってきやすかったとみます。
下って中国でいえば宋の時代、1133年、宋の船が神埼の荘にやって来たというのもわかります。多分有明海ルートでしょう。
これと私貿易をした平忠盛は、儲けたお金で、平家物語りにいう「三十三間の御堂を建てらる」。
やはり中世はおもしろい時代です。
我昨天講演了佐賀的歴史。我説佐賀是国際県。
yu古代hen多人従大陸来了。比如説在佐賀有hen多古石墓。一様的古石墓在韓国、在中国、在印度、在欧州有hen多。
特別在法国、在愛er蘭有。
我興趣那箇吉石墓的放置。在福岡有hen多.在佐賀、在熊本有hen多。
我覚得這箇放置根据在九州的風向。
宋朝時代1133年、一箇船従宋到佐賀了。
那箇時候一箇武士平忠盛和那箇船開始日宋貿易。他貝兼了hen多銭。
所為他在京都興建三十三間堂了(這箇堂hen最有名的寺廟)。
日本的中世hen有意思。
I did a table speech at a dinner the other day.
The big theme of that speech is internationality of Saga.
There were many old tombs called "dolmen".
It is like a small ston henji.
Same shaped stones are in Ireland as well.
In Fukuoka,Saga and Kumamoto,ther are them a lot.So these places are interesting.
Why did they gather in those places?
I think there is a strong relationship between wind and locationing of Kyushu.
Strong wind blow from west in winter.So,a lot of sips arrived in western Kyusyu.
In 1333,one ship from China arrived in Kanzaki in Saga prefectur by western wind.
And the master of this place Tadamori Taira made new connection with this sip,and he started private trade with China at that time.
He got a lot of money from the trade and he built one big temple in Kyoto.Japanes famous book "Heike monogatari" said "33 ken no Mido wo tateraru".
The Japaneas middle Age is very interesting.
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Monday, May 11, 2009, 12:51 AM
連休は、葉隠にも登場する有名な坊さん、潮音道海ゆかりの山寺に参拝し、近くで蕎麦を食べてきました。そして今日は親戚の法事で鍋島家ゆかりの寺での宋朝禅の雰囲気いっぱいの法要。我が家の宗旨は浄土真宗ですが、宋朝禅のきりりと引き締まった禅風は見事です。潮音といえば、先代旧事本紀にからむ事件でも有名ですが、詳しいことは別として、その山寺のまわりには、熊や鹿などの動物を初め、ブッポウソウ、ジヒシンなどが鳴くとか。そして潮音禅師は、背後の山に日、月、星の名を付けたとのこと。これまた旧事本紀事件とかかわるものの、要は、この森羅万象が仏法を語って下さる、我々人間は、その中における小さな存在であるということを教えたかったことは間違いないでしょう。
実は、浄土真宗においても、以前の掲示板に写真で示した三笑図を、お寺の本堂、庭園、書院で示した結構があります。
こうした大きさこそ仏教の国際性といってもよいでしょう。
そういえば、以前、長崎で会った傑僧は、その山寺方丈様の同期とか。おへそを出してゴミ焼きをしながら、不生禅の由来を語って下さったその禅師もすごかったです。道者、隠元、木庵ら明末清初の渡来僧と武士の道は、この博物館の本文にも書きましたが、奥が深いです。もちろん、ただ今勉強中。
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Tuesday, May 5, 2009, 07:21 AM
ある席で同席し、帰りのエレベーターで偶然言葉を交わしたアメリカの研究者。「日本人はどうして法律を解釈してしまうんでしょうか」という一言にドカンときました。
この博物館でいえば、公事方御定書は解釈が許されないもの。それを無理やり解釈した大岡越前は一応「名裁判官」。
問題は誰が法律を作るのか、ということにあります。国民が作る、あるいは国民にもっとも近い人が作るからこそ裁判官による解釈は許されないというのが彼の論理のはず(フランスがそうですから)。
日本では一体どうか。本当に国民が作っているかどうかは、先般の会社法でも喫緊の民法でも・・・。
話はそのあと、日本人12歳論まで行って、あとは次回となりましたが、話の切れが残念ながら日本人の学者より上だわと思いました。
ただし、この話はとても深いです。
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Wednesday, April 29, 2009, 01:16 AM
外国からのご来所も多いらしいので、これから時々、3か国語で書いてみることにします。ある若者が破廉恥罪でおかしな逮捕をされ、逮捕自体は現行犯だから仕方がないとして、その後、家宅捜索まで行われたのには、やっと色々批判が出ているようです。
ただし、この捜索差押令状を発布した裁判官の話は聞きません。
捜査機関は刑事訴訟法に則り、一定の要件を主張して裁判官にその許可を求め、許可状を発布してもらいます。だから、捜索できたのです。
ということは、裁判官が極めてゆるく許可を出したわけです。もちろん、私はこうした許可が簡単に出てしまうことを知っていますが、余りにも安易な運用は、裁判所や裁判官の存在意義を失わせます。
そして、何より、国民がここの点に関心を持たないことが最大の問題です。正にサンクチュアリ。
司法部はかつては裁判所構成法という法の下にありましたが、一般行政部は天皇の官制大権の下にあり、国会(帝国議会)さえ容喙できにくかったのです。こういうところに感度よく切り込める国民でなければ、憲法改正なんてできる資格がありません。憲法記念日を含むゴールデンウイークを前にして。
最近、一箇年軽人被逮捕了。他的行為不好、可是不大。
多人批判警察検査他的家。
我覚得在日本、如果警察要検査犯人的室内、警察要去法院ban捜査許可。
所為、這箇事件的真的問題是許可的簡単化。
総之、真的問題人是審判員。可是、大部分的日本人不批判那箇問題。
In Japan, one young man was arrested by the police though not a great thing.
Moreover the police searched to the inside of the young man's house.
Many people criticize it.
However, in Japan there is a system of the warrant principle.
So,the search can't be done without judge's permission.
Then, we have to concern about the judge who issued the warrant easily .
The tendency of Japanese doesn't criticize a judge is a big problem.
Exactly, sanctuary.
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Sunday, April 26, 2009, 03:59 PM
台湾の友人が来日したので、お寿司屋さんに連れていったところ、そこでアルバイトしていたのが上海人。もちろん台湾の人にも色々ありますが、このケースでは、台湾の方の目がバチバチ。困ったような上海のお兄ちゃんに「メイグアンシー大丈夫ですよ」と。お兄ちゃんもにっこり。その席では正に台湾の将来について、色々な議論になりましたし、彼らは日本人がどう考えているのかに大いなる関心を示しましたが、私の意見はとりあえずは現状をかえない。
台湾が経験してきた様々な苦労を考えると、大陸と台湾との関係をうまく取り持つのは、過去のことを考えれば、ある意味老いも若きも、日本人の責務だと考えますし、政治とはそういうものでしょう。若者が「自分には関係ない」というのはそれ自体がおかしい。
ドイツのイエーーリングの「権利の為の闘争」を翻訳されたある先生は私の尊敬する法思想史家であるとともに、本来、民法学者ですが、彼は、ドイツの戦争責任について、若い人間もそのことに気づかないかぎり責任ありというのがドイツのポリシーであり、若者は関係ない、というのは間違いである、と言われています(ちなみに、その学問上の叔父にあたるKさんは、私のいわゆる元上司みたいな人ですが、先般、その法律書がドイツ語に翻訳されました。86歳の今も旺盛な知識欲です。あれに見習いたいと思います。なお、もう一人の知人で大家S先生の本は英語に訳されていますが、同先生はこれまた?二本松の方で、当然。武士道に関心。何と色々繋がることよ)。
「日本人たる前にアジア人でなければならぬ」という川島芳子の言葉を持ち出すまでもなく、そのくらいの度量と能力を持ってこそ彼女のいう「武士(もののふ)の道、大陸の道」でしょう。
こせこせした議論が横行している現状については、分かりやすい話し、「もっと勉強せよ」と言いたくなります。その勉強に当っては、近ごろの本は、学者の大論文は別として、たいていが役立たずです(もちろん例外あり)。なぜなら書いている人の能力が落ちているからです。古本屋の安い、よい本を読めば、安上がりでしかも色々考えることができます。
昔の人を馬鹿にするなよ、というのが私の意見。
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Thursday, April 23, 2009, 10:56 PM
オバマ大統領がペンタゴン(アメリカの国防総省)を訪問した映像を見ていて色々なことを思いました。かつて見たペンタゴンは、ワシントンのはずれのようなところにペッチャリとありましたが今も変わらずです。あの形、築城の基本に忠実と見ました。ヨーロッパでは、城は古くは高い塔状の形態をとっていましたが、火器特に攻城砲と呼ばれる強力な砲が生まれると、高い塔は役に立たず、平面化して広さを利用した砲の威力の減殺で対抗するようになります。日本の五稜郭もその主義です。
そうするとあのペッチャリもそういう主義を取り入れたんだろうなと思います。
もちろん、真上からの攻撃には9・11のとおり弱いわけですが。
一方、日本の防衛省の建物は如何。あんなタワーは、古代西洋みたいなもので、攻撃して下さいといわんばかり。
先日の北朝鮮の騒ぎ同様、どうも平和ボケだな、と言わざるを得ない感じです。
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Monday, April 20, 2009, 11:21 PM
あまり私にとってなじみの話しではないのですが、先日の痴漢最高裁の判決、事実を審理するところでもない最高裁が、1、2審の手続きを、紙を見ただけでああだこうだと言い、破棄自判というのはどうかなと思いました。裁判には事実審と法律審とがありますが、法律審の典型は、フランス革命のあと、革命派の議会が作った法律を裁判所がねじ曲げて適用したことに対して、これを是正する破棄院に見られます。
私はこれが上級審の本来の姿で、その前提として民主的な裁判所であることが要求されると考えています。
これに対して、日本の旧憲法時代の大審院は、今とは比べ物にならない力のなさで、力は司法省に握られていましたから、下級審をコントロールするすべがなく、個々の事件を通じて、言葉は悪いですがイビリみたいなことで下級審の判決を破棄してコントロールしていたといわれます。
今回のことなど、昔の残滓ともいうべきものが威を振っていなければ幸いです。
ちなみにこの話し、上記は民主主義の話しでしたが、皇帝権力や将軍が自らの命令に反して裁断を下した奉行の行ったことを破棄する話しになれば、武士道につながるわけ。大岡裁きなどがその流れです。武士の行き方を官僚の倫理という面からみると、極めて現代的な問題なのです。
我々はこのあたり、感度をよくして国を自ら造る気概と知恵が必要です。そのリアリズムを欠いているのが現代の様々な議論といえるかもしれません。
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Saturday, April 18, 2009, 01:03 AM
先日、仕事場のレクで横浜の金沢文庫に潮干狩りに行きました。潮の具合も最高で、貝もたくさん採れましたが、25年くらい前、そこに3年住んでいた私としてはなつかしい場所でもありました。もし、あそこに住まなかったら、今のような考えを持ったかどうかわかりません。当時の県立金沢文庫は昭和5年に建てられた古い建物で、国宝がそのあたりにコロコロという状態でした。それは中世の日宋貿易の産物で、いやでも国際的興味をそそるものでした。鎌倉北条氏の発想が体に伝わってくるところだったのです。
博多などに負けない国際都市(地区)と言えるかもしれません。北条氏は鎌倉の周りにたくさんああいう地域を持っていたとも言われますが、今日まで奇跡的に残った唯一といってもよい場所です。
県立金沢文庫の当時の館長さん(今、ある仏教系の資料館長)にはお会いしていませんが、実は佐賀の人。その弟さんには1年半ほど前にお会いし、知的で良心的な著述をなさっています。
文庫のある六浦では中世、潮干狩りどころか殺生禁断がなされました。吾妻鑑にあるような殺伐とした時代なればこそ生き物を大切にした、という文庫展での見解は、葉隠の鍋島清久に通じ、多分アジア全体の放生に通じるものでしょう。
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Monday, April 13, 2009, 01:11 AM
日比谷公会堂を上から眺めるプレスセンターの建物で、5月から始まる裁判員制度について講演しました。このことについては、もっぱらどうしたら裁判員にならないで済むか、とか、守秘義務に反したらどうなるとかのおよそ瑣末としかいえない議論が横行し、一般の啓蒙書も正に「啓蒙」のレベルです(あれでずいぶん儲けた人もいるでしょう)。
この博物館の本文に書いたとおり、昭和3年の陪審法施行に際して、国民のレベルアップを図るべく日比谷公会堂ができたり、公民教育と称する国民的勉強が行われ、本質論がたたかわされたのとは大違いです。 これじゃ、私のように国民参加(否、むしろ国民による司法実現)に賛成な者でも時期尚早かな、と思わざるを得なくなります。
例えば過日の凶悪事件についての審理が余りにリアルでいやになった等の議論をしている一方、サムライジャパンなどと盛り上がっているのを見ても、サムライなら生々しいのも見ざるを得ないでしょうに、あれじゃ正に公家であり、「第八条 裁判員は、独立してその職権を行う」とある裁判員法の文言の本質を踏まえているのかね、と一言いいたくなります。もちろんいない国民が大部分であることでしょう。
こういうふうに、一般が国家なるものの本質を掴まえて議論していませんから、北朝鮮に対する防衛情報たる迎撃ミサイルの移動まで全部テレビ報道というお粗末。
要は、全てが「ごっこ」状態で、司法にしろ、立法、行政にしろ、国造りについてのリアルさにも欠けるわけ。公民教育研究に、マカーサーと同じ日本人12歳論が書いてあったのと一向変わっていないのです。
これを機会に、「国家」と言っただけで鼻息が荒くなるような見せかけばかりの威勢のよさを放擲し、国民が真に国家の本質にせまるよすがになれば裁判員も反射的に役には立つでしょうが、一方、その法律の第1条に、「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法及び刑事訴訟法の特則その他の必要な事項を定めるものとする」とあるのは一体何を言いたいの?被告人は一種の材料?と思わざるを得ないと言わざるを得ません。
下に書いたことを若干敷衍。
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Friday, April 10, 2009, 01:35 AM
最近、一流会社の会長さんたちと食事をして、話が某会社顧問さんの自叙伝に及びました。その人が、戦争中、500キロ以上を行軍したというので驚きの声。戦後生まれの私ですが、その反応にはこちらが驚きました。だって、500キロの行軍なんて当時は当たり前でしょうにと。現に我が身内はシンガポールから北ビルマまで毎日のようなに機銃掃射を受けながらタコツボを堀って行軍したんですから。
もっと時代を溯れば、関東から九州、また京都と動き回った足利尊氏とか、その反対派で、青森から鎌倉を落として近畿地方和泉の石津で敗死した北畠顕家とか。アレキサンダー大王まで持ち出すまでもなくそんことはつい最近まで当然のことだったのです。
ちなみに鎌倉時代の歴史書東鏡をみますと、京都から鎌倉までの500キロ弱、馬では4日という記録があります。
武人とはそういうものであって、びっくりしていては困る訳。
このことはほかのことにもいえ、来月開始の裁判員とかいう制度が始まるということは、国民が死に向き合わなければならないということなのに、「私はいや」などという態度をとる一方で、サムライジャパンなどとはやしていることとは矛盾します。
このあたり、威勢のいい掛け声と実際何をするのかというリアリズムとの乖離が、年代の移行による必然ではないことを祈りたいと思います。
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