2人で講義ってあり? 
Monday, October 21, 2013, 10:57 AM
たまたまテレビを観ていたら、放送大学をやっていました。
明治時代の話で、日本の大陸政策を紹介するものだったので、「ふんふん」という感じで観ていたら、1人の先生がしゃべったと思ったらもう1人の先生がしゃべる。広島大本営の跡に2人で立って、交々「紹介」する。

これって大学の授業なのかな、と、疑問を持ちました。大学は考える所ですから、当然、一人一人で説が別れるはずです。2人で一緒にその説を紹介できるはずがないでしょう。

よくよく聞いていると、「あれがありました。これがありました。」の羅列です。本当にあったかも問題ですが。そしてついには、明治天皇紀というのがあって、中身は非常に面白い、というお説。そりゃ、面白い筈ですよ。だって紀と付いているとおり、元を正せば中国の史記的な本紀としての伝記で、「お話し」なんだから。ましてやあれは原典でもないんですから。問題は、それを鵜呑みにせず、検証するのが大学じゃないの?というのが当たり前の発想と思うけど。

困るのは、あの発想が標準化してしまうと、学生もそれでいいのか、と思ってしまう(というと、学生さんに失礼?)のでは、それでは、学問としての進歩がないということです。日本の全体的創造性に水がさされます。

因みに、1人の先生はテレビのコメンテーターか何かでよく見る人。でも、いくら忙しくても、あの手法はないよね、と思いました。

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アジアを体で知ることが大切 
Monday, October 14, 2013, 12:01 PM
しばらくお休みしていると、何人かの人から何処かに行ってたんですか、と聞かれました。いえいえ、せっせと仕事をしてただけですよ、と。

そして久しぶりに、ご町内のラーメン屋さんに。東南アジア某国からの政治難民であるNさんからも、心配してたんですよと。Nさんは、故国の政治情勢の変化に応じて近々帰国するそうですが、大使館に出頭するとごっそりお金を取られるので、日本の入管に出頭して、しばらく牢屋に入り、強制送還で帰国することにしたとのこと。その国では、在日の国民は毎月大使館にお金を払うことになっています。

そこへいくと、日本人の平和ボケぶりは、いよいよ病膏肓に入るかなと思わざるを得ません。オリンピックが来る、というので喜ぶのはよいとして、その後のことはやはり考えなければ。

昭和39年の東京オリンピックは中学2年生の時。あの時の貧しさから立ち上がった日本は素晴らしかったです。東洋の魔女の1人、旧姓河西さんが先日亡くなりましたが、女子バレーの優勝は、真に国民全体の願いだったでしょう。全くの仕掛けもわざとらしさも無く。
それから10年くらいして、大松監督とお酒を飲んだことがありました。もの静かで、鬼の大松のイメージはありませんでした。
昭和45年になると、世情は学生運動、70年安保で騒然とする一方、大阪万博が。その頃、首相は昭和元禄田舎芝居と。そしてそのあと、列島改造を経て、バブル開始まで長期の不況に突入したわけで、私も造船不況などに絡む相当な案件に関与しました。でも、まだまだ日本は若かったので、何とかなったと思いますが、問題はこれからの日本でしょう。

この少子高齢化、人口問題という基礎的問題を克服するには、日本人が国際的にならなければいけない気がします。国際的というのは、東だけではありません。アジア全体です。
CNNやBBCをみればわかるとおり、中国のプレゼンスは極めて高まっています。アメリカの関心は中国に向かっているのに、一部知日派?のアメリカ人から褒められて、「日本では」などと、頓珍漢な日本の売り込みをしていたのでは、より多くのアメリカ人の失望をかうだけだと思います。

元祖民族主義?の私としては、だからこそ、真の日本とは何か、又、その問題提起自体どうあるべきかを長いこと考え続けてきたつもりです。端的な話、擬似中国のものを日本のものという一部人士の言は滑稽です。日本人自体が日本とは何かがわかっていない。

要するに、アジアに広く目を開いていないからです。
日本の首相が、このところ東南アジアの中国の周囲を歴訪し、上手く行ったなんて言っていましたが、最近、中国首相は、タイ、ベトナムを回り、ベトナムともしっかり握手しました(少なくとも外見は)。
タイもそうですが、ベトナムに至っては、中国南部の人たちはほとんどベトナム系です。ミャンマーにしても、北部は中国と関係深く、例えば日本が第二次世界大戦で駐留し水上源一中将の自決で有名なミートキーナ、今はミッチーナは蜜支那です。アメリカとイギリス以上の、血は水よりも濃し、の関係があります。

そういうことを官僚が政治家にプレゼンして、真に勝てる戦略を組まねばならないのに、以前書いたとおり、何代か前のベトナム大使のお粗末ぶりには呆れましたし、そういえば、昔、憲法の勉強会をしていた時出会ったタイ大使もおかしかった。何人もの大使を知ってはいますが、ちゃんとした人ほど不遇な感じで、これは役所の組織に問題があるとしか思えません。

結局、外務省にしても何省にしても、入省したら、若いうちに、世界放浪の旅でもやらせれば宜しい。それに耐えられない官僚は失格。

その昔、満鉄調査部なんていうのがあって、尾崎秀実などという人が、その悲劇的死もあって有名ですが、所詮組織人のせいか、書いたものを読んでもピンとこない。むしろ、上海にあった東亜同文書院の学生が、牛車に乗って旅行し調べた「大旅行」の記事こそが役に立つ。

昨年の台湾旅行で、100人200人の19・20歳の尼さんと一緒に食事をしてショックでしたが、今年は他の台湾人からそのことについての貴重なコメントも得ました。単なる親日なんていう薄っぺらなものではない本当の情報を得て、それを分析する力がこれからこそ求められています。

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国中を遺産にしてどうする 
Wednesday, September 18, 2013, 07:17 PM
近頃やたらに流行っているものに、「遺産」があります。このままだと日本中が遺産になりそうです。ついには八幡製鉄や三菱の長崎造船所まで遺産にしようという話とか。

この傾向は危険です。だって遺産じゃ食い潰す、つまり直接的には観光しか飯の種にはならず、製品を本当に生み出し、ご飯を食べようというのなら、遺産なんかにしている暇はありません。もっとよいものにリニューアルしていくだけの話です。

そして、こういう発想の奥には、私がいつも書くお話の歴史、あるいは美談大好きの、止まった発想があります。すごかったんだ、誇りを持とう、なんていうのは子供の発想(子供に失礼)です。

もっと機能的にものを考えようよ、と言いたくなります。
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台湾監察院のトラブルから 
Monday, September 16, 2013, 10:23 PM
この間、頭にこびりついていたのは、過日滞在中に起きていた台湾の監察院のゴタゴタでした。院長と監察委員との対立です。新聞を置いてきたので詳しいことは忘れましたが、このゴタゴタで野党は、監察院なんてやめて立法院で監察せよと主張しているようでした。

孫文の考えにならい、立法院、行政院、司法院の他に監察院と考試院を置く最も東洋的なやり方が台湾です。

しかし、何十年も前に会った大学の先生は、やはり、「あんなものいらない」と言っていました。
あくまでも個人の責任に依存する、そのような制度がよいのか、一種の委員会方式に近い立法院による議院内閣制によるチェックがよいのか、一個の問題です。

結論としては私も廃止の方がよいだろうと思いますが、そういう基本的制度論を国民がワイワイ議論していることはよいことではないかと思います。
どこかの国のように、機関の機能はそっちのけにして、形だけ整えようというのではないだけましな気がします。

閑話休題、もう一つ。
今、読んでいる一冊は「台湾海峡1949」。台湾、香港で42万部売れた大反響の本とか。
確かに読ませます。筆者は外省人系の女性で、本省人と長く付き合ってきた私からすると馴染みがないし、むしろ反発する友人も多分いるでしょうが、重たい。
まだ半分も読んでいませんが、国共内戦のさ中、台湾を足がかりに沢山の人が死に、別れ、会った話。同様のことは、戦国時代の真田家の分離にもありましたが、別のベトナムの友人のおじさん。ベトナム戦争における北に行く兄と南に行く弟の別れ。かと思えば、中国大陸で別れた日本軍の戦友の死をサイパン島に観光に来た友人が正に現地のツアーで知った、なんていうこともありました。あれも劇的でした。

全て戦争が絡んでいます。私はありがたいことに、その局面には関わっていない。でも、今現在、そういうことが世界のどこかで行われていることを忘れてはならないでしょう。
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台湾の悩みとその奥深さ 
Thursday, August 29, 2013, 10:06 PM
暑い夏。色々なご縁でいくつかの地域を回りましたが、締めは台湾の大学での発表会に臨むことでした。

学生の発表の中で特に印象に残ったのは、客家人の世界の言語の問題でした。老年の人は日本語。中堅は客家語。若い人は北京語。だからコミュニケーションがとれない。これは、私が度々書いた台湾の深刻な問題です。しかも、そのことには、上記のとおり日本が大きく関わっている。私が台湾を単純な親日国とは言えない(言っては申し訳ない)所以です。
もっとも、そのことをあるアメリカ人に話したら、それはアメリカも同じですよ、と言われました。人種のモザイク、確かにそうかと。ただ、強制と、そうでないという違いはあるかと思います。

で、最もショックだったのは、台北での最後の1時間でした。
かねてからの知り合いで、日本時代の文物を残す運動をしているAさんに、ホテルで会いました。「私たちの運動の一端を見せてあげる」と言われて連れていかれたのが中正記念堂の裏手。そこにある多くの建物は、戦後日本から国民党が接収し、分譲した土地に建てられたものだそうです。
なるほどこれでは国民党がお金持ちになるはずだわ、と納得。

で、その地域は、元は日本時代の刑務所です。その刑務所の塀を見せてもらいました。お盆の時期で、多くの菊の花が供えてありました。
実はこの塀、以前は台北城を取り巻く城壁で、日本がそれを刑務所の塀に転用したようです。
周りは日本時代の職員宿舎や、弓道場など。

この一角を見るだけで、日本のやったこと、国民党の本質、引いては共産党と国民党との対比、あるいは共通性、などなど、様々なことが浮かんできます。もちろん本質的には、国家とは何かということが。

台湾の奥の深さを嫌でも思い知らされました。

私は子供の時からのご縁と色々なアクシデント、そして、ある人のお勧めにより、55歳からインターネットで中国語を習い始めました。その後良い先生に恵まれて、少しはしゃべれるようになりましたが、真の日本を探るためには中国語は必須です。
否、むしろ閔南語など多くの言葉が必要と思いますが、少なくとも英語だけではいけないと思います。日本人が広い視野を持つために、こうしたことは極めて重要でしょう。

世界的見地から色々なことを考える「東方からの見聞録」
http://kamura-lu.jp/ 上記の塀の写真があります。

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後藤新平を想う 
Sunday, August 11, 2013, 10:50 PM
で、中国東北部を最初に占領したのはロシアでした。日清戦争のあと、日本が三国干渉で清に返した遼東半島をちゃっかり租借。明治33年の義和団事件のあとも東北を占拠し続け、韓国では大韓帝国皇帝がロシアに頼る。これが日露戦争につながって行きます。日本のその後のやり方は、この前後のロシアの行動様式をお手本にするようなものだった、とも思われます。
しかして今、この東北部にはロシアのお土産がいっぱいで、日本のものはなし。同じ占領を行っても。

そりゃそうだよ。スターリンが日本を追い出してくれたんだから。とは言えるものの、いかにも日本のやり方は下手ではないかと思います。
少なくとも、後藤新平のような、文を前面にして武備を後ろに下げるような政策をとってこなかったということにも、相当な原因があるように思います。

モグラ叩きじゃないんですから、武備だけで人間を帰服させることはできません。憧れを持ってもらわなけりゃいけなかったのです(憧れを持ってくれている人もいますが)。
その辺り、最近は益々モグラ叩き的発想になっているように思います。

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★8月6日 
Tuesday, August 6, 2013, 09:52 PM
このところ色々な都合で中国、台湾を立て続けに訪問することになりました。
因みに、私は日本こそこの2つを取り持つ位置にあると思っています。それが本当の気宇壮大性です。

今、千代田区の永田町の一角にマンションが建てられています。そこには以前もマンションがあって、その一棟のオーナーは、台湾の人でした。ふとしたことから彼は私のクライアントになり、彼の死亡時、私は葬儀に列席しましたが、日本人は私だけで、あとは台湾人と大陸の人でした。
国民党の閻錫山につながる彼らにとっては、中国、台湾の交流がないその頃、日本だけが互いに会える共通の場所だったのです。
つまりは日本だけが彼らを取り持つことのできる場所でした。

時代は変わり、台湾は三通の政策を取り、今や観光地では、日本からのお客のバスが1台とすれば、大陸からのお客は3台も4台もです。この現実を私たちは忘れてはいけません。
ただそのことをきちんと把握すれば、日本がむしろ主導権を握る場があります。それには単なる親日云々といったステレオタイプの発想から抜け出すことが第一歩です。

で、とりあえず中国では色々なことがありました。ここのところの領土をめぐるトラブルから、かつて以上に日本に関心があることは事実で、経済的なマイナスもあるでしょう。しかし、日本のファンもたくさんいます。飛行機の隣に座った西安からの女子高生は、ここ3ヶ月間日本にホームステイしたそうですが、日本が大好きと言っていました。街中の公園で筆をふるって字を書いていたおじさんは、「中日友好」と大きな字で書いてくれました。

日本のマスコミの報道は実態とは相当にずれています。これからの台湾でも、もちろんディープな実態を見てきたいと思っています。

長崎原爆の日に。
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★7月31日 
Wednesday, July 31, 2013, 09:47 PM
久しぶりに学生と法廷傍聴をしました。学生さんは全て外人です。
刑事の法廷と民事の法廷とでは、尋問の手法が大違い。もっとも、小さな法廷の普通の刑事は民事とさほど違いません。

何が違うかというと、刑事はシナリオの棒読みみたいな尋問なのです。何しろ傍聴席が一杯で、皆から見られているものですから、検事はしっかりシナリオ状のものを作ってくる。それを読んでいるわけです。
あれじゃ真実の解明にはならないんじゃ、と思いました。

問題は、司法の世界でそれなりに優秀と思われている人たちの中にこうした傾向があることです。これは民事の巨大事件を扱う弁護士の中にも見られます。

要は、正解を出せ、という教育の成果でしょうか。
かつて、世界的に有名な大空のサムライ坂井三郎さんと何度も話をしていて、人間の社会というか、私の職業は、戦闘機のバトルの世界と同じだな、と思ったことがあります。縦横高さの三次元に時間という四次元目が加わり、それに意志力というものが加わる。
その中で瞬時に計算して次の手を出して行く。間違えたら修正する。そういうことで良いのであって、その方が総合的にみて良い結果になる。

学生の意見もそうでしたし、それが外人で、しかもクレバーなことに、ちょっと我が国の未来に危惧を覚えました。

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★7月6日 
Saturday, July 6, 2013, 11:18 PM
また少し開きました。ただいま、リニューアル中のせいです。
で、この間の話題は、エジプトの話など色々ありますが、1つ、武士道に関わるものとして、富士山の世界遺産登録があります。
私に言わせると、世界遺産になろうがなるまいが関係ないよ、と思っていたところ、事は意外な所に発展。

というのは、あれのおかげで富士講が見直され、御師などが再び見直されている、という報道があったからです。

御師は、富士講や伊勢信仰の、いわばお札を配ったり、参拝者の世話をしたりという役回りの役職ですが、新しい武士道の主唱者ともいうべき水戸黄門は、これを整序されないものとして嫌いました。何より、神仏習合であったり、伊勢という皇室の世界に庶民が入るのを嫌ったのです。

でも、お伊勢信仰という庶民の力を押しとどめる事はできませんし、富士信仰が復活するという事は、神仏習合になるという事です。
そしてこれは約1000年に渡る日本人の祖先の信仰のあり方そのものであったわけで、まさに先祖に帰るものです。

世界遺産登録という意外な事から、我々の先祖のあり方に目が開かれれば面白いなと思っています。

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★6月23日 
Monday, June 24, 2013, 12:55 AM
トルコとブラジルの騒動は、何日か前に書いたことを裏書しています。

オリンピックなんかよりも大事なものがある、という当たり前のことを言っているトルコの青年の言葉に共感を覚えました。

ブラジルにしても、元々お金がないことを前提に、誰でもどこでもできるサッカーが強くなったのに、ちょっとお金ができたからとて、豪華スタジアムではやりきれない人も出てくるでしょう。

トルコの沈黙の抗議も考えさせられます。自由のための戦い方の一つとして。

こんな具合に色々なところで怒りが爆発している今、日本では、むしろ自由があって、色々な不正があることにアクセスできる社会なのに、国民はちっともそれを知ろうともせず、是正する動きや投票に向かわず、いわばポピュリズムで大きく振れる。
極めて不健全な姿ではないか、という気がします。

世界的見地から色々なことを考える。 「東方からの見聞録」
http://kamura-lu.jp/


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