Friday, September 7, 2012, 10:59 PM
ちなみにこの軍務局長というもの、永田鉄山、富永恭次、武藤章、佐藤賢了なんていう人、私にも霞の如きご縁のある人もいますが、これ総じて東條一派であり、いわば日本をおかしくした張本人たちです。だから戦争を起こし、負けたのであって、領土問題なんてその結果にすぎません。これの総括もしないで固有も何もありません。世界中で、取られちゃったら取られちゃった、が常識で、ブツブツ言ってるのは素人国だけです。南チロルその他考えろです。だから舐められるのです。
永田鉄山が陸軍三長官の合意なければ解任できなかった一種の法を無視して、真崎甚三郎教育総監を解任。それが、相澤三郎中佐による永田斬殺事件となり、2・26事件に、遂には粛軍人事とともに、いわゆる統制派に陸軍は牛耳られ、日中の戦争へと進んだという構図です。相澤中佐のお孫さんとは親しくお付き合いさせていただいています。
この真崎大将を悪く書いている本は、全く実態を知らない本だと思います。
私は大将のご子息、つまりは昭和天皇の通訳をされた元アフガニスタン大使と亡くなるまでお付き合いさせていただきました。かの方も、立場上何も言われませんでしたが、尊攘派の害だけはしっかり言われました。
富永が特攻出撃を散々命じながら、自身は敵前逃亡をしたこと、なのに師団長に栄転?したことは有名です。この人とは特にご縁はありません。
武藤が東京裁判でなぜ死刑になったかは、勉強してみればわかります。
佐藤賢了は、その東京裁判の弁護を私の恩師の父上がされたので少しはご縁がありますが、それよりも、彼は例の黙れ事件で有名である以上に、昭和30年代か40年代かの三国一朗さんが司会をされたテレビ・私の昭和史に出てきた時がひどかった。横柄を絵に描いたような態度でした。
あの番組に出てきた内、この佐藤、東條英樹の奥さんの勝子さん、それにインパール作戦の牟田口軍司令官、この3人は最悪でした。この番組は旺文社文庫に収録されています。
以上の連中は、みんないわゆる統制派に属し、中国のコアの部分に兵を進めようとし、つまりは文化人類学が分かっておらず、また、真崎大将の首を切った宮中の女官系のいわば公家さん的人間(だから敵前逃亡をした)だったことをよくわからなければいけません。
侵略がどうした以前の問題です。やってはいけない戦争だったのです。そんなことを始めたからビルマまでも兵を進めることになったのです。
アメリカでは、オバマ、ロムニーが2つの価値観をぶつけ合って大統領選を戦っています。日本にはそのような理念のぶつかり合いが民主、自民の間に見えません。維新に至っては、あの尊攘派の志士と称する人間の手紙なり文書なり読んでみたの?と聞きたいです。明治維新はよかった、という薩長の呪縛から抜け出ていません。改革とか言いながら。ここに日本の底の浅さがあると思います。
まだ、昭和史の中途までの方が、理念の対立がはっきりしていたのです。ただし、もちろん上級の軍人の間においてですが。
しかし、こんな現状をみると、せめて昭和史でもしっかり正確に把握してみたら、と思います。その場合、本じゃダメです。上記のとおり嘘を書いた本がたくさんある。最近の評論家などは本当に駄目。少しでも自分に関係ある、経験した部分から考えを押し進めて行くことが大切であると思います。
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Wednesday, September 5, 2012, 10:39 PM
下に最高裁長官と書きましたが、ちょっと珍しいかもですね。今から何十年も昔ですが、あるところで、私の目の前にその人が座ったのです。おまけに色々な縁があって、結婚式にも出てもらいましたし、昨年は久しぶりに奥様にも会いました。その初対面の時、その人は言いました。
裁判官ってのはね、大きな間違いは許されても、小さな間違いは許されないんだよ、と。
これに対して、私は答えました。わかりました。私は小さな間違いはしても、大きな間違いはしませんと。
何だか禅問答みたいでしょう。私はこの答えが正解と思っていますし、以後、すっかりお前分かってるなっていう感じになりました。
要は、戦前において「部」と名がついたところは、軍部と司法部だけなのです。そして、戦争により軍部は潰れました(今、威勢のいいことを言ってる連中はドラマをやってるようなもの)。でも、司法部は残り、その元締めさんは、昔でいえば陸軍省の軍務局長みたいなもの。
となれば、兵隊を動かすにはそれなりの発想をしているのです。思想問題に関わるのでこれ以上は書きませんが、そういうことにピンとこない人間だらけになったことが、今の日本のこれまた悲劇です。
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Tuesday, September 4, 2012, 10:16 PM
政治のレベル低下は目を覆うばかりですが、かといって、この「目を覆うばかり」ということの意味はそれこそ千差万別だと思います。ある人は日本の弱腰を言うでしょうし、ある人は逆にポピュリズムの横行を言うでしょう。つまりは全く反対の意見で、日本の政治状況を慨嘆しているところに、今の日本の本当の悲劇があると思っています。
私は、本質的に、名君待望論的傾向や日本は一番的小児傾向が最大の問題と思っています。いずれも小児的傾向であることは同様です。
英雄の出る国は悲劇的である、とは大島直政さんがケマル・アタチュルクに関する伝記に書かれていたことでしたが、誰々が期待できるとか、実行力がある、とかと言っているうちは一向国民は進歩しません。いや、現状は退歩でしょう。
私も子供の時から、言っては何ですが、真崎勝次少将、辰巳栄一中将など昭和史に名を残した人々から大空のサムライ・坂井三郎さんのようなたたき上げで世界的な海軍中尉、その他将官や衆議院議長、総理大臣、最高裁長官などなど色々な人に膝詰めで親しくお会いしてきましたが、最近の同種の人物はほとんどが小粒で話にならない。
唯一会社だけがまともなので、アメリカの傘の下で何とかご飯が食べられているというのが実態でしょう。そのまともな会社の足を引っ張っているにのが政治家なのですから何をかいわんや。
ただし、財界はどうみてもへんてこで、昔の財界人とは違うし、例えば桜田武さんみたいな本当に骨のある財界人もいない。日経連が経団連にいわば吸収されてしまってから、いよいよ財界にも危機が訪れているという気がします。その奥にはソ連などの崩壊による左右対立の消滅という事実があるわけで、現状の低落はその影響が遅く来たわが国ではまだまだ続くのかもしれません。
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Wednesday, August 29, 2012, 10:30 PM
こんな時間に電車に乗ると、なかなか座れません。で、腹が立つのは、男も女も、詰めりゃ座れるのにわざわざ寸土でも譲ってやるものかとばかりテコでも動かない人間。
だから領土問題が・・・なんて言いたくもなりますが、この点は中国、韓国、台湾では、チョットでも年上の人が近くに来ようものなら、気持ちよく譲ってくれます。
なぜそうなのか。優しいからか。基本的には正にいつも書く孝の教えのせいでしょう。長幼の序をわきまえないで、本人が恥をかくということは、その親に恥をかかせることであり、孝に反するのです。
つまりは桑原じつぞう先生が言うとおり、孝の持つ論理の結果であり、それは一種の法の世界です。
これを、法の世界の問題から道義というより慈悲の世界の問題に持って行くことにより、国民は大人になります。
その辺り、アジア人が十分に大人になっているのかはどうなのかな、とは思いますが、我が国人の一部の対応は、この議論以前の段階にしかないこともまた確かでしょう。
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Wednesday, August 22, 2012, 10:12 PM
今日はカナダの人と話していて、どうして日本は有罪率が高いのかという質問。それは中国の影響ですよ、というと、もっと教えて、との話。
葉隠を読んでいると、家来の失敗は次から次に出てきます。しかし、その失敗した侍が次には手柄を立てたりする。こうして再チャレンジがあるという事は、当然、殿様が失敗を許すという事。戦国時代とはそういう時代でした。ただし、それでおしまいではなく、その殿様の死に際して、情に感じて切腹するという段取り?です。
ところが、この博物館に書いたとおり、江戸時代の文治主義の発生と共に失敗は許されなくなります。誰かさんがご推奨している会津の日新館の教えにあるとおり、ならぬことはならぬものです、になる。
つまり、検事が起訴したら絶対に有罪でなければならなくて、無罪なんていうのは、枠組みから外れたありうべからざること、検事の失敗ということになります。
このことをもたらした上記の什の教えは、その名のとおり中国から来たものなのです。ここのところが分からないから、何で?なんてことになる。嘘だと思ったら科挙制度でも勉強してみたら、と言いたいですが、これが困ったことに、科挙についてよく売れている本を書いた宮崎市定なんていう人、自信過剰でどうにもいただけない。
あのクラスの先生をしっかりチェックしてみることが今後の我が国の行く末を考えるにとっても大事なことじゃないかと思われてきます。
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Tuesday, August 21, 2012, 07:37 PM
8月16日の続きをちょっと書くと、今回の色々な状況は、一つは日本人いや日本のマスコミの多くが持っている、いえいえ、本当は持っていなくても持っている前提で報道している関係数カ国の現実に目を開かせたという意味で、少し役に立った面があり、もう一つはアジア人の民度を世界に示したという意味で、正に世界への恥かきの面があったかと思います。前者の話については香港や台湾の人々の本当の意識は、単なる親日などという一語で語れるものではないということです。早い話が、同じ職場の台湾人の先生の意見は、南の島は日本の領台時代から元々宜蘭県だ、ですし、香港の博物館に行けば、日本の占領時代を厳しく批判する多くの展示物にぶつかります。
台湾は日本大好き、なんて言っているマスコミなどは、少し頭を冷やせよ、です。
逆に、この間、中国の大学に行っていたのですが、あちらの新聞は、日本の一部人士のやったことと、限定を加え抑制の効いた報道をしていました。これまた、こういう平穏な状況を報道せず、ごく一部の事象のみを報道するマスコミは正確な報道という原則を放擲しています。これは国益を損ないます。
要は、どこの国にも腹芸があるということで、これがある意味アジアの特徴。というか、同行した元ヨーロッパの大使をされた方とお話しましたが、外交官試験が別になっていたのは、外交官には腹芸が必要だから、ということなのです。その点でも、最近の日本の政治家にしろ外交官にしろ腹芸ができない。これは問題です。
第二の点については、ロシアを含めた極東諸国の民度は低いな、と、16日の記述を改めて駄目押ししたくなりますが、紙幅?の関係でやめておきます。
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Thursday, August 16, 2012, 06:53 AM
日本を含めた東アジア諸国の一部人士が、奇妙なパフォーマンスを繰り広げた8月15日前後でした。日本の場合、こういう感覚が官僚の世界にまで蔓延していないことを祈りたいですが、そうでもないどころか、むしろ蔓延していることに危機感を覚えます。遠泳したり上陸したりは、私がいつも言うお話歴史人間の一典型です。鍋島直茂や伊達政宗の「実」の発想ではありません。
一方、日本の閣僚が、一般兵士に死ねと命じた立場の、責任を取るべきいわゆるA級戦犯を合祀した、つまりはけじめのつかない靖国神社に参拝し、臣何とかと書いたなど、国家の揺れはひどいものです。
以前も散々書いたので今更ですが、私のお友達、零戦の撃墜王坂井三郎さんは、東條らを合祀した靖国神社に対し、貴様らに下げる頭はない、として、ご自宅にきちんとその他の戦没者の霊位を祀り参拝しておられました。
このA級戦犯の多くはとんでもない人間といって良いのです。例えばビルマ方面軍の司令官をした東條の家来(陸軍次官だった)は、英印軍がラングーン、今のヤンゴンに、マンダレー街道をひた寄せて来る時、女性を連れてモールメンに「逃亡」したのです。私の身内が、戦後、親しくお付き合いさせていただいた田中新一参謀長は一人踏み止まった。彼は統制派ですが、東條とぶつかってビルマに左遷されたことはどの本にも書いてあります。
なのに、その軍司令官はのちに大将に昇進。牟田口氏と同様、けじめのつかないことおびただしい。ちょうど軍法会議のこともテレビでやっていて、これまた事件でぶつかったこともある元法務官の話が出てきましたが、敵前逃亡罪で死刑になっておかしくない人間を昇進させてけじめをつけられず、この点は一水会の木村三浩さんと同意見ですが、彼らへのけじめを日本人がつけきれなかった。こんなことまでアメリカのお世話にならなきゃいけなかったというのが、遺憾ながら東京裁判の本質です。
一方、そんなことで、敗戦となり、300万人もの人が亡くなって下さったおかげで今の日本となりました。
その結果、それまで官吏は、天皇陛下及びその政府に対し、忠順何とかを旨とすべし、だったのを、国民全体の奉仕者として、に直したのです。しかも、これは勅令で直したのですから、正に天皇の意思です。
それを、臣ムニャムニャなどというのは、国家の法体系が全くわかっていない。そこまで書くなら、天皇陛下の股肱の臣として死ぬ覚悟があるのか、ということです。こういうことは全て法的問題であっておとぎ話じゃないのですから、ソクラテスと同様、命のかかったことです。
この点は、臣ムニャムニャを標榜していた吉田茂が、偉い人ではあったけれど不徹底だったということでしょう。
つまりは、日本人が、否、アジア人が、まだ十分育っていない。マッカーサーから12歳と言われたレベルから脱却していない、法輸入国家群であるということを露呈した数日間でした。
もっとも、その向こうには12歳にもなり切らない幼稚園国家群が存在しているのも事実です。
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Friday, August 10, 2012, 12:39 AM
8月9日ということで、長崎の原爆、ソ連の参戦といったことが世上に色々出てきます。しかし、概ねは極めて皮相的です。もちろん両方の事象ともアメリア、ソ連の戦争犯罪に間違いありません。
でも、それを騒ぐだけでは昭和30年代、つまり50年前の議論であって、そんなことは小学生の私が言っていたことです。
今の私になってみれば、先ずは自分つまり日本自身の問題として、何ゆえそこまでいわば1年以上戦争を引っ張っていたのか。その責任者は誰で、実際責任を取ったのかということです。
分かりやすい話、昭和19年の7月7日、サイパン島陥落以降は日本の戦争遂行能力はなくなりました。だから東條は総理を辞めるに至ったのですが、そのあとの人間もいわば尊王攘夷の志士宜しく、美辞麗句を並べるのみ。
私の身内が19年の8・9月頃、南シナ海で潜水艦による輸送船の撃沈に会い17・8時間の漂流の末助かったという正に奇跡の生還をしたことは以前も記しましたが(だから私がここにいる)、大海原でどれだけの人間がある意味原爆と甲乙つけがたい救助なしの状態で死んでいったことでしょう。そういうことが1年以上続いたあとの原爆でありソ連の参戦であったことを忘れてはいけないでしょう。
一方、イタリアにしろドイツにしろ、こんな戦争やってられるかといい、「ここにもう一つのドイツがある」と言ってヒットラー暗殺に失敗し、銃殺された人々、その数約5000人がいたことに、真の武士道を見る思いです。
私のごく近い子爵家の御姫様の学習院時代の一つ下の嵯峨公爵家の浩様は、例の愛新覚羅ふけつさんと結婚させられたわけですが、ソ連軍が入ってきた時。関東軍はいち早く逃げてしまい、さすがは関東軍なんていう皮肉を浩様が本に書かれていますが、軍人なのに全くもって国家とは何かがわかっていないし、要は責任感がなかった。
このことは、9月17日に米軍が来るまで、多くの将官が自決するのにしなかった東條にも末端の左官クラスにもいえるでしょう。
そして、そんな人間がなぜできたか、総理なんぞをやっていたのか、どうしてそういうシステムだったのか、ということなのです。
こうなると、正に文化人類学の分野かな、と思われてきます。そして、この文化人類学が政策にいかせる国にならなければ、まともな国家とは言えないのではないでしょうか。
当然、こういうことは、現代の日本にも残念ながら十分いえることです。
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Monday, August 6, 2012, 10:22 AM
今日は、広島に原子爆弾が投下された日。瞑目。刑法、刑事訴訟法の団藤重光先生が亡くなられた記事を思い出しました。
私は一度しかお会いしていませんが、今の職業につくようになったのは、団藤先生が仲人をされたK先生に勧められたからです。K先生のお父さんが団藤先生の仲人さんという関係でもあります。
学生運動という、今もそれが尾を引いていると思われる感情過多な動乱(と言っても戦争とは比べ物にならず)のおかげで、人生の予定が狂ってしまった私に、修正を施して下さった方の仲人さんに心から哀悼の誠を捧げたいです。
で、それはそれとして、団藤先生の本の素晴らしさはというと、「理想」を語っていることだと思います。法律の本の中には、理想を語る本と語らない本とがあります。一般的にいって、憲法や刑法は語る方でしょうが、民法や会社法などは淡々が多い。いわば、理想というよりも悪くいえば「魂胆」が隠されている。一方、行政法のように理想を語らなければおかしい本が判例の整理に終始し、一向理想を語らない場合もある。それは、それを書いた先生の「位置」によるのでしょう。
団藤先生のように理想を語るというのは、つまり根本に哲学というか、価値観の集合体があって、そこから演繹的に論理を紡ぎ出し、法律を動的にに運用し、動かすという発想が働いているということになります。一方の理想を語らない方は、判例の知識だけです。
今、その後者が幅をきかせているのが問題だと思います。
過日、ロンドンに行って、念願のベンサムのオートイコン、つまり、彼のミイラに会ってきたことは、先に記したと思います。彼は、法律どころか、経済、社会政策などなど極めて幅広い人ですが、ロック、ヒュームといった先行する哲学者を根本的に批判して功利主義を打ち立て、そこから様々な法的概念や発想を導き出しました。
アムステルダムのスピノザが通っていたシナゴーグにも行ったことがありますが、彼もコナツウスというホッブズなどから流れてきた概念から民主国家というものを導いています。このような演繹的思考を最近は軽視し、きちんと咀嚼もせずに帰納がいいとか言っているのは、どうも変です。要は、両方大事です。帰納なのかどうか知りませんが、判例を順序だてて並べるのは、逆に儒教主義(特に日本の一部の)であることを知るべきではないでしょうか。
法律学も、グルグルと論理を回し続けること、歴史もそう。そんなことを団藤先生の死亡記事から考えました。
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Thursday, August 2, 2012, 04:33 PM
神宮外苑の花火大会があるというので、交通規制の横断幕が歩道橋の上に貼ってありました。それを見たら、数年前の上海で、外灘のイルミネーション見物日(これは極めて大規模なもの)に、直近の地下鉄駅がみんな閉まって、地下鉄はす通りしたのを思い出しました。
当局からは前触れもなくこうしたことが行われる、と地元の人はぶーぶー。駅に小さな紙は貼ってありましたが、周知不徹底は間違いないようです。
これで、やはり中国はだめ、日本はよい、で終わってしまっては、それこそダメなのです。
論語にある「よらしむべし、知らしむべからず」。正にそのスタイルというわけで、同様の事象は日本にも沢山あるわけです。例えば通達などというものは、正にそのための道具です(もちろん全ての通達が悪いとは言いませんが)。
花火大会のお知らせは、こうした伝統?から脱皮した良い例。こうした良い例をもっと増やしていくことが大切だと思います。
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