★8月2日 
Thursday, August 2, 2012, 04:33 PM
神宮外苑の花火大会があるというので、交通規制の横断幕が歩道橋の上に貼ってありました。
それを見たら、数年前の上海で、外灘のイルミネーション見物日(これは極めて大規模なもの)に、直近の地下鉄駅がみんな閉まって、地下鉄はす通りしたのを思い出しました。

当局からは前触れもなくこうしたことが行われる、と地元の人はぶーぶー。駅に小さな紙は貼ってありましたが、周知不徹底は間違いないようです。

これで、やはり中国はだめ、日本はよい、で終わってしまっては、それこそダメなのです。
論語にある「よらしむべし、知らしむべからず」。正にそのスタイルというわけで、同様の事象は日本にも沢山あるわけです。例えば通達などというものは、正にそのための道具です(もちろん全ての通達が悪いとは言いませんが)。

花火大会のお知らせは、こうした伝統?から脱皮した良い例。こうした良い例をもっと増やしていくことが大切だと思います。
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★7月28日 
Saturday, July 28, 2012, 08:23 PM
ロンドンオリンピックが始まりました。
開会式をテレビで見ていたら、聖火がやって来ました。この聖火を始めたのは「民族の祭典」をうたったナチスだそうで、その昔の東京オリンピックで、日本選手がナチスばりのせい然としすぎた?入場行進をして、諸外国から顰蹙というか、驚かれたことなど思い出されました。

しかるに今回の聖火、グググッと持ち上がって、沢山の聖火が一つに。
うん、これはいいや。葉隠的にいうと、一味同心というやつだよ、と、さすがイギリスだなと思ったことでした。

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★7月22日 
Sunday, July 22, 2012, 11:19 PM
忙しくてもう一つのホームページ「東方からの見聞録」に手が伸びません。でも、材料は揃っています。

忙しくても移動時間のせいなので、本は読めます。最近、久しぶりに法社会学の本を読みましたが、ちょっとビックリでした。

昔の法社会学というと、「社会」と名の付くとおり、いわゆる左翼っぽい学者が有名で、そういう中身も相当あって、史的唯物論を前提とする論理過剰な本が主流?とも言えたのではないかと思うのですが、近頃読んだ新しい本は、逆にお上の代弁みたいなもので、これじゃ学者の批判精神はどこへ行ったのさ、と言いたくなりました。古い言葉ですが、大本営発表の社会学。これじゃ困ります。

もっとも、そんなことを言ったら学会から追い出されてしまうかも。でも、元々入る気もないよ、と言っている元気な学者もいるわけです。
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★7月12日 
Thursday, July 12, 2012, 10:21 AM
その昔、丸々帝国が滅びたのは、法治主義が機能しなくなったためである、ということを大学の先生から聞いたことがありますが、いよいよもってそういう気がしたのは、例のイジメ自殺の話。
テレビで夜回り先生こと水谷先生の言われていたことには正に大賛成でした。
つまり、イジメは犯罪です。但し、大人がやっていたのではないから、少年法で厳格に責任、というか矯正処分を受けるべき。そのためには、当然、警察が最初から動くべきです。
ところが、実際は警察が動かない。学校ももやもや。要はけじめがつかない。法治主義は貫徹されない。
そして、今になると、いじめた生徒や親を人民裁判的にいじめるという第二次非法治主義が始まる。
前者を厳正に、そして、後者はあってはならず、但し、上記の通り悪い少年は、少年院でもどこでも、必要な処分を受ける、というのがけじめでしょうに。
全くの非法治主義がまかり通っているのがこの国、というところに根本的問題があると思います。それは、ここの所の様々な事件なり社会問題、果ては外交問題でも経験しました。
つまり、ことは少年問題に限らないのです。
こうして、子供の時から非法治主義の教育では、まともな大人に育つはずもありません。マッカーサーならずとも12歳!と軽蔑することでしょう。
以前、ギリシャの民会やアゴラに行き、ソクラテスが幽閉された場所を訪れましたが、この日本国民は、「悪法が法か」といった根本的問題には全く関心がないようです。

もっとも、その法というもの、これは一種の道具ですから、国民に合うように常に改良を怠らず、自分の身につくようにしていかねばなりません。
私の友人の米国の弁護士で大学教授のAさんは、先日、日本の司法試験を自分で受けてみたそうです。その昔の刑事政策学者のM先生は、刑務所に入ってみました。
そういうことは、今は全く聞かず、つまりは、この方面の学者の多くが、ただの暗記人間になってしまっていることが、大いに危惧されるところです。

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★6月30日 
Saturday, June 30, 2012, 03:46 PM
中身が濃くてクラクラしそうな何日かでした。

福建で、福建語で、12345はなんと言う?とタクシーの運転手さんに聞くと、いちにさんしご。
台湾で、台湾語ではどう?と聞くと、何とかさんしご。
客家語がいちにさんしごなのは知っていましたが、面と向かってミン南語自体もそうだとは驚きました。こりゃ、あの辺りと日本との関係は普通じゃないなと考えた次第(日本の元はひふみとも)。
もちろん、鄭成功のお母さんは平戸の日本人です。

福建で郵便局に行ったら、ときどき一緒に旅行する同郷のおばさんがカウンターの向こうにいました。あなたどうしてこんなところにいるの?とは聞かなかったけれど、喉元まで出るのを抑えられませんでした。
台湾で開催された会に参加したら日本人・・・としか思えない人が来て、一緒に写真を取りました。その人のお母さんは台湾人ですが、綺麗な日本語をお話しされるので、120パーセント違和感がありません。

今更ですが、これらは、私が今まで言ってきたことのいわば物理的裏付けです。
しかし、まだまだ調べたいことが多いな、と思ったことでした。

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★6月19日 
Monday, June 18, 2012, 02:33 PM
今日は、外国人と結婚した若い女性に会いました。

若いけれども、やはり外国を知っている人は考えが広いなと思いました。要は外国人と付き合っている人は、ということです。必ずしも行かなくても、外国人の発想に出会うことはできます。

私なども、ラーメン屋さんのミャンマー人、お弁当やさんの中国人。駅の売店の台湾人とはしょっちゅうお話ししていますし、アメリカやベトナムが加わるので発想の違いや、もちろん各国の国情の違いを肌で感ずることがしばしばです。

その点、最近の日本というか一般的な日本の若者の内向き志向には一種の危機感を感じざるを得ません。
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★6月6日 
Wednesday, June 6, 2012, 10:47 PM
今日は、カリブ海から来た人と話をしたので、スペイン系の話題となりました。

スペインが太平洋のフィリピン、メキシコ(ノバエスパニア)の航路を確立したのは1565年のことであると言われます。
ですから、以後、相当数の日本人がメキシコに渡りました。
咸臨丸で渡ったのの300年も昔です。

ところが日本の教科書では、咸臨丸がいかにも初めてと読めるような記述。もちろん、支倉常長の話はあるけれど。よく読むと日本人が主導権をとって操縦した船で行ったのが初めて、とかいうことになっています(勝さんは船酔い的だったとの話もありますが)。
見てきたわけでもないのにどうしてそういう限定をつけて咸臨丸を持ち上げるのか。ここでも、すごいお話大好き、という日本人の性癖が見えます。限定を付けて世界一の塔とかも。

実際のところ、秀吉死去後の徳川家康政権の積極策は大したものでした。
先ごろも、スペイン国王から贈られた時計が久能山にあって、その部品が今や西洋にはなくて見せて欲しいとかいう話があるとの報道。
それが珍しい話ではなく当たり前の話になるような日本でなければ、国際国家とは言えません。

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★5月27日 
Sunday, May 27, 2012, 03:59 PM
京都の木屋町通りといえば、そのすぐ西に池田屋があり、幕末には歴史に現れ、あるいは現れない数多くの殺傷事件があったところです。
いわゆる志士と、それを取り締まる方との争闘。それは文久、元治の数年間特に激しく、その結果は蛤御門の変、長州征伐、そして幕府の瓦解へと向かいました。
これは、尊王攘夷を軸とするスローガンと法治主義との争いであったと思っていますが、本当は、当時、そんなことをしている時だったのか、と思われてきます。

それというのも先日来青森に出張して、当時の北方の情勢に改めて目が開かれたからです。

岡本監輔は、ロシアの南下が激しいその時、京都何ぞで視野の狭い争いをしている時ではないと、樺太を探検。ロシア当局との交渉。明治に入ってからも続いた彼らの努力の結果、ようやく劣勢を盛り返して樺太・千島交換条約にまでこぎつけたというわけ。

田沼意次以来の北方への関心がより本格的になされていれば、今の北方領土問題どころか、樺太、千島あるいはカムチャッカまで、日本のものになっていたでしょう。むしろ北海道を日本のものにしてくれた田沼こそ偉いというべきで、ロシアがシベリアを我がものとし、アメリカがアラスカをロシアから買って自分のものとしても、一応、侵略とは言われていません。樺太が、今やエネルギーで巨大に潤いつつあることを考えるとこの損失は数字ではかれません。
我が国とてロシアらに勝ることができたのに、田沼意次の芽を摘んだのは、彼の政敵で、でありながら彼に賄賂を贈ったともいわれるコチコチの観念論者・松平定信でした。

岡本らの努力、そして強力な外国に対して騙し騙し対応していた幕府の足を引っ張り、会津藩などの北方への配置をさせないようにしたのは、定信の後継者ともいうべき尊王攘夷の観念論者です。しかも尊王攘夷の元は尊華攘夷という外来思想であるとなれば、正に何をか言わんや。

改めて今の国情を見ても、こうした遠大な経綸を欠いた勢力が、本当に努力している人の足を引っ張っていることにむしろ義憤を覚えざるを得ない気がします。

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★5月22日 
Tuesday, May 22, 2012, 09:45 PM
昨日は日食で、今日はスカイツリー。

私にとっては子供の頃、下敷きや煤をつけたガラスを通して見た日食が懐かしいものです。
一方、この日食が日本の武士道に大きな影響を、というとへーなんてことになりそうですが、それは本当です。この博物館の本文のところに書いてある話です。お隣の韓国でも、慶州にある天文台と思しき石積みは、アジア最古の天文台として、韓国人の誇りですが、一方、江戸時代初期の日本のように日食の予想が2日ずれるなんてことになりますと、国粋主義が承知しません。だから、天文学者と国粋主義なり武士道とが結びつくのです。

もちろん今のブームには直接的にはそうした要素はありません。何しろ見事に予想が当たるわけですから。しかしそれを思うと数千年も前に予想を当てていた数学者はなかなかすごいものだな、と思います。本当に天動説だったんでしょうか。

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★5月12日 
Saturday, May 12, 2012, 11:01 PM
昨日から頭について離れなかったある軍歌。学徒動員の歌です。荘重、悲壮な調べと歌詞は、中学生の時分の私を奮い立たせたものでした。ちなみに私は相当な軍歌を知っています。某所で行われた軍歌の会ではもっぱら壇上で歌いましたっけ。

かといって私は軍国主義者ではありません。いや、「今はありません」なのかも。中学生の時は相当なもので、だから英語もやらなかった。

しかして、今のいわゆる保守の多くは、いわば中学時代の私みたいなものかもしれません。保守と言いながら、「中身が外来思想」であることを自覚していない。はっきりいって今の私までに至るには、相当に本を読み、かつ現場に臨まねばならないでしょう。自信満々で言うわけではありませんが。

「真の日本」を探るために多くの山を超えてきた・・・。そして、それなりの自信の持てる「日本」に到達しかかっている。そんな目から見ると、上記の歌の持つ悲壮さに、改めて深く重いものを感じざるを得ないのです。
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