★8月29日 
Wednesday, August 29, 2012, 10:30 PM
こんな時間に電車に乗ると、なかなか座れません。
で、腹が立つのは、男も女も、詰めりゃ座れるのにわざわざ寸土でも譲ってやるものかとばかりテコでも動かない人間。
だから領土問題が・・・なんて言いたくもなりますが、この点は中国、韓国、台湾では、チョットでも年上の人が近くに来ようものなら、気持ちよく譲ってくれます。

なぜそうなのか。優しいからか。基本的には正にいつも書く孝の教えのせいでしょう。長幼の序をわきまえないで、本人が恥をかくということは、その親に恥をかかせることであり、孝に反するのです。

つまりは桑原じつぞう先生が言うとおり、孝の持つ論理の結果であり、それは一種の法の世界です。

これを、法の世界の問題から道義というより慈悲の世界の問題に持って行くことにより、国民は大人になります。

その辺り、アジア人が十分に大人になっているのかはどうなのかな、とは思いますが、我が国人の一部の対応は、この議論以前の段階にしかないこともまた確かでしょう。

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★8月22日 
Wednesday, August 22, 2012, 10:12 PM
今日はカナダの人と話していて、どうして日本は有罪率が高いのかという質問。
それは中国の影響ですよ、というと、もっと教えて、との話。

葉隠を読んでいると、家来の失敗は次から次に出てきます。しかし、その失敗した侍が次には手柄を立てたりする。こうして再チャレンジがあるという事は、当然、殿様が失敗を許すという事。戦国時代とはそういう時代でした。ただし、それでおしまいではなく、その殿様の死に際して、情に感じて切腹するという段取り?です。

ところが、この博物館に書いたとおり、江戸時代の文治主義の発生と共に失敗は許されなくなります。誰かさんがご推奨している会津の日新館の教えにあるとおり、ならぬことはならぬものです、になる。

つまり、検事が起訴したら絶対に有罪でなければならなくて、無罪なんていうのは、枠組みから外れたありうべからざること、検事の失敗ということになります。

このことをもたらした上記の什の教えは、その名のとおり中国から来たものなのです。ここのところが分からないから、何で?なんてことになる。嘘だと思ったら科挙制度でも勉強してみたら、と言いたいですが、これが困ったことに、科挙についてよく売れている本を書いた宮崎市定なんていう人、自信過剰でどうにもいただけない。

あのクラスの先生をしっかりチェックしてみることが今後の我が国の行く末を考えるにとっても大事なことじゃないかと思われてきます。

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★8月21日 
Tuesday, August 21, 2012, 07:37 PM
8月16日の続きをちょっと書くと、今回の色々な状況は、一つは日本人いや日本のマスコミの多くが持っている、いえいえ、本当は持っていなくても持っている前提で報道している関係数カ国の現実に目を開かせたという意味で、少し役に立った面があり、もう一つはアジア人の民度を世界に示したという意味で、正に世界への恥かきの面があったかと思います。

前者の話については香港や台湾の人々の本当の意識は、単なる親日などという一語で語れるものではないということです。早い話が、同じ職場の台湾人の先生の意見は、南の島は日本の領台時代から元々宜蘭県だ、ですし、香港の博物館に行けば、日本の占領時代を厳しく批判する多くの展示物にぶつかります。
台湾は日本大好き、なんて言っているマスコミなどは、少し頭を冷やせよ、です。

逆に、この間、中国の大学に行っていたのですが、あちらの新聞は、日本の一部人士のやったことと、限定を加え抑制の効いた報道をしていました。これまた、こういう平穏な状況を報道せず、ごく一部の事象のみを報道するマスコミは正確な報道という原則を放擲しています。これは国益を損ないます。

要は、どこの国にも腹芸があるということで、これがある意味アジアの特徴。というか、同行した元ヨーロッパの大使をされた方とお話しましたが、外交官試験が別になっていたのは、外交官には腹芸が必要だから、ということなのです。その点でも、最近の日本の政治家にしろ外交官にしろ腹芸ができない。これは問題です。

第二の点については、ロシアを含めた極東諸国の民度は低いな、と、16日の記述を改めて駄目押ししたくなりますが、紙幅?の関係でやめておきます。

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★8月16日 
Thursday, August 16, 2012, 06:53 AM
日本を含めた東アジア諸国の一部人士が、奇妙なパフォーマンスを繰り広げた8月15日前後でした。日本の場合、こういう感覚が官僚の世界にまで蔓延していないことを祈りたいですが、そうでもないどころか、むしろ蔓延していることに危機感を覚えます。
遠泳したり上陸したりは、私がいつも言うお話歴史人間の一典型です。鍋島直茂や伊達政宗の「実」の発想ではありません。

一方、日本の閣僚が、一般兵士に死ねと命じた立場の、責任を取るべきいわゆるA級戦犯を合祀した、つまりはけじめのつかない靖国神社に参拝し、臣何とかと書いたなど、国家の揺れはひどいものです。

以前も散々書いたので今更ですが、私のお友達、零戦の撃墜王坂井三郎さんは、東條らを合祀した靖国神社に対し、貴様らに下げる頭はない、として、ご自宅にきちんとその他の戦没者の霊位を祀り参拝しておられました。

このA級戦犯の多くはとんでもない人間といって良いのです。例えばビルマ方面軍の司令官をした東條の家来(陸軍次官だった)は、英印軍がラングーン、今のヤンゴンに、マンダレー街道をひた寄せて来る時、女性を連れてモールメンに「逃亡」したのです。私の身内が、戦後、親しくお付き合いさせていただいた田中新一参謀長は一人踏み止まった。彼は統制派ですが、東條とぶつかってビルマに左遷されたことはどの本にも書いてあります。
なのに、その軍司令官はのちに大将に昇進。牟田口氏と同様、けじめのつかないことおびただしい。ちょうど軍法会議のこともテレビでやっていて、これまた事件でぶつかったこともある元法務官の話が出てきましたが、敵前逃亡罪で死刑になっておかしくない人間を昇進させてけじめをつけられず、この点は一水会の木村三浩さんと同意見ですが、彼らへのけじめを日本人がつけきれなかった。こんなことまでアメリカのお世話にならなきゃいけなかったというのが、遺憾ながら東京裁判の本質です。

一方、そんなことで、敗戦となり、300万人もの人が亡くなって下さったおかげで今の日本となりました。
その結果、それまで官吏は、天皇陛下及びその政府に対し、忠順何とかを旨とすべし、だったのを、国民全体の奉仕者として、に直したのです。しかも、これは勅令で直したのですから、正に天皇の意思です。
それを、臣ムニャムニャなどというのは、国家の法体系が全くわかっていない。そこまで書くなら、天皇陛下の股肱の臣として死ぬ覚悟があるのか、ということです。こういうことは全て法的問題であっておとぎ話じゃないのですから、ソクラテスと同様、命のかかったことです。
この点は、臣ムニャムニャを標榜していた吉田茂が、偉い人ではあったけれど不徹底だったということでしょう。

つまりは、日本人が、否、アジア人が、まだ十分育っていない。マッカーサーから12歳と言われたレベルから脱却していない、法輸入国家群であるということを露呈した数日間でした。
もっとも、その向こうには12歳にもなり切らない幼稚園国家群が存在しているのも事実です。

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★8月9日 
Friday, August 10, 2012, 12:39 AM
8月9日ということで、長崎の原爆、ソ連の参戦といったことが世上に色々出てきます。

しかし、概ねは極めて皮相的です。もちろん両方の事象ともアメリア、ソ連の戦争犯罪に間違いありません。
でも、それを騒ぐだけでは昭和30年代、つまり50年前の議論であって、そんなことは小学生の私が言っていたことです。

今の私になってみれば、先ずは自分つまり日本自身の問題として、何ゆえそこまでいわば1年以上戦争を引っ張っていたのか。その責任者は誰で、実際責任を取ったのかということです。

分かりやすい話、昭和19年の7月7日、サイパン島陥落以降は日本の戦争遂行能力はなくなりました。だから東條は総理を辞めるに至ったのですが、そのあとの人間もいわば尊王攘夷の志士宜しく、美辞麗句を並べるのみ。
私の身内が19年の8・9月頃、南シナ海で潜水艦による輸送船の撃沈に会い17・8時間の漂流の末助かったという正に奇跡の生還をしたことは以前も記しましたが(だから私がここにいる)、大海原でどれだけの人間がある意味原爆と甲乙つけがたい救助なしの状態で死んでいったことでしょう。そういうことが1年以上続いたあとの原爆でありソ連の参戦であったことを忘れてはいけないでしょう。

一方、イタリアにしろドイツにしろ、こんな戦争やってられるかといい、「ここにもう一つのドイツがある」と言ってヒットラー暗殺に失敗し、銃殺された人々、その数約5000人がいたことに、真の武士道を見る思いです。

私のごく近い子爵家の御姫様の学習院時代の一つ下の嵯峨公爵家の浩様は、例の愛新覚羅ふけつさんと結婚させられたわけですが、ソ連軍が入ってきた時。関東軍はいち早く逃げてしまい、さすがは関東軍なんていう皮肉を浩様が本に書かれていますが、軍人なのに全くもって国家とは何かがわかっていないし、要は責任感がなかった。

このことは、9月17日に米軍が来るまで、多くの将官が自決するのにしなかった東條にも末端の左官クラスにもいえるでしょう。
そして、そんな人間がなぜできたか、総理なんぞをやっていたのか、どうしてそういうシステムだったのか、ということなのです。

こうなると、正に文化人類学の分野かな、と思われてきます。そして、この文化人類学が政策にいかせる国にならなければ、まともな国家とは言えないのではないでしょうか。
当然、こういうことは、現代の日本にも残念ながら十分いえることです。

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★8月6日 
Monday, August 6, 2012, 10:22 AM
今日は、広島に原子爆弾が投下された日。瞑目。


刑法、刑事訴訟法の団藤重光先生が亡くなられた記事を思い出しました。
私は一度しかお会いしていませんが、今の職業につくようになったのは、団藤先生が仲人をされたK先生に勧められたからです。K先生のお父さんが団藤先生の仲人さんという関係でもあります。
学生運動という、今もそれが尾を引いていると思われる感情過多な動乱(と言っても戦争とは比べ物にならず)のおかげで、人生の予定が狂ってしまった私に、修正を施して下さった方の仲人さんに心から哀悼の誠を捧げたいです。

で、それはそれとして、団藤先生の本の素晴らしさはというと、「理想」を語っていることだと思います。法律の本の中には、理想を語る本と語らない本とがあります。一般的にいって、憲法や刑法は語る方でしょうが、民法や会社法などは淡々が多い。いわば、理想というよりも悪くいえば「魂胆」が隠されている。一方、行政法のように理想を語らなければおかしい本が判例の整理に終始し、一向理想を語らない場合もある。それは、それを書いた先生の「位置」によるのでしょう。

団藤先生のように理想を語るというのは、つまり根本に哲学というか、価値観の集合体があって、そこから演繹的に論理を紡ぎ出し、法律を動的にに運用し、動かすという発想が働いているということになります。一方の理想を語らない方は、判例の知識だけです。
今、その後者が幅をきかせているのが問題だと思います。

過日、ロンドンに行って、念願のベンサムのオートイコン、つまり、彼のミイラに会ってきたことは、先に記したと思います。彼は、法律どころか、経済、社会政策などなど極めて幅広い人ですが、ロック、ヒュームといった先行する哲学者を根本的に批判して功利主義を打ち立て、そこから様々な法的概念や発想を導き出しました。
アムステルダムのスピノザが通っていたシナゴーグにも行ったことがありますが、彼もコナツウスというホッブズなどから流れてきた概念から民主国家というものを導いています。このような演繹的思考を最近は軽視し、きちんと咀嚼もせずに帰納がいいとか言っているのは、どうも変です。要は、両方大事です。帰納なのかどうか知りませんが、判例を順序だてて並べるのは、逆に儒教主義(特に日本の一部の)であることを知るべきではないでしょうか。
法律学も、グルグルと論理を回し続けること、歴史もそう。そんなことを団藤先生の死亡記事から考えました。

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★8月2日 
Thursday, August 2, 2012, 04:33 PM
神宮外苑の花火大会があるというので、交通規制の横断幕が歩道橋の上に貼ってありました。
それを見たら、数年前の上海で、外灘のイルミネーション見物日(これは極めて大規模なもの)に、直近の地下鉄駅がみんな閉まって、地下鉄はす通りしたのを思い出しました。

当局からは前触れもなくこうしたことが行われる、と地元の人はぶーぶー。駅に小さな紙は貼ってありましたが、周知不徹底は間違いないようです。

これで、やはり中国はだめ、日本はよい、で終わってしまっては、それこそダメなのです。
論語にある「よらしむべし、知らしむべからず」。正にそのスタイルというわけで、同様の事象は日本にも沢山あるわけです。例えば通達などというものは、正にそのための道具です(もちろん全ての通達が悪いとは言いませんが)。

花火大会のお知らせは、こうした伝統?から脱皮した良い例。こうした良い例をもっと増やしていくことが大切だと思います。
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★7月28日 
Saturday, July 28, 2012, 08:23 PM
ロンドンオリンピックが始まりました。
開会式をテレビで見ていたら、聖火がやって来ました。この聖火を始めたのは「民族の祭典」をうたったナチスだそうで、その昔の東京オリンピックで、日本選手がナチスばりのせい然としすぎた?入場行進をして、諸外国から顰蹙というか、驚かれたことなど思い出されました。

しかるに今回の聖火、グググッと持ち上がって、沢山の聖火が一つに。
うん、これはいいや。葉隠的にいうと、一味同心というやつだよ、と、さすがイギリスだなと思ったことでした。

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★7月22日 
Sunday, July 22, 2012, 11:19 PM
忙しくてもう一つのホームページ「東方からの見聞録」に手が伸びません。でも、材料は揃っています。

忙しくても移動時間のせいなので、本は読めます。最近、久しぶりに法社会学の本を読みましたが、ちょっとビックリでした。

昔の法社会学というと、「社会」と名の付くとおり、いわゆる左翼っぽい学者が有名で、そういう中身も相当あって、史的唯物論を前提とする論理過剰な本が主流?とも言えたのではないかと思うのですが、近頃読んだ新しい本は、逆にお上の代弁みたいなもので、これじゃ学者の批判精神はどこへ行ったのさ、と言いたくなりました。古い言葉ですが、大本営発表の社会学。これじゃ困ります。

もっとも、そんなことを言ったら学会から追い出されてしまうかも。でも、元々入る気もないよ、と言っている元気な学者もいるわけです。
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★7月12日 
Thursday, July 12, 2012, 10:21 AM
その昔、丸々帝国が滅びたのは、法治主義が機能しなくなったためである、ということを大学の先生から聞いたことがありますが、いよいよもってそういう気がしたのは、例のイジメ自殺の話。
テレビで夜回り先生こと水谷先生の言われていたことには正に大賛成でした。
つまり、イジメは犯罪です。但し、大人がやっていたのではないから、少年法で厳格に責任、というか矯正処分を受けるべき。そのためには、当然、警察が最初から動くべきです。
ところが、実際は警察が動かない。学校ももやもや。要はけじめがつかない。法治主義は貫徹されない。
そして、今になると、いじめた生徒や親を人民裁判的にいじめるという第二次非法治主義が始まる。
前者を厳正に、そして、後者はあってはならず、但し、上記の通り悪い少年は、少年院でもどこでも、必要な処分を受ける、というのがけじめでしょうに。
全くの非法治主義がまかり通っているのがこの国、というところに根本的問題があると思います。それは、ここの所の様々な事件なり社会問題、果ては外交問題でも経験しました。
つまり、ことは少年問題に限らないのです。
こうして、子供の時から非法治主義の教育では、まともな大人に育つはずもありません。マッカーサーならずとも12歳!と軽蔑することでしょう。
以前、ギリシャの民会やアゴラに行き、ソクラテスが幽閉された場所を訪れましたが、この日本国民は、「悪法が法か」といった根本的問題には全く関心がないようです。

もっとも、その法というもの、これは一種の道具ですから、国民に合うように常に改良を怠らず、自分の身につくようにしていかねばなりません。
私の友人の米国の弁護士で大学教授のAさんは、先日、日本の司法試験を自分で受けてみたそうです。その昔の刑事政策学者のM先生は、刑務所に入ってみました。
そういうことは、今は全く聞かず、つまりは、この方面の学者の多くが、ただの暗記人間になってしまっていることが、大いに危惧されるところです。

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