Sunday, September 5, 2010, 10:18 PM
初代若乃花が亡くなりました。彼は昭和30年代はじめの大関の時、私の故郷に巡業に来て、私の実家に宿泊しました。その前には、大鵬の師匠佐賀乃花も2度ほど泊まり、赤ん坊だった私もだっこしてもらったとか。当時は、力士も山の奥まで巡業に来ていたものです。しかし、その後はそういう田舎まで巡業することはなくなったのではないでしょうか。
そんなわけで、私が子供の時は、栃錦、若乃花の勝負には真剣でした。また、現に面白かったです。
彼とも関わり深い青森県十和田市にも行ったことがありますが、新渡戸稲造さんのお祖父さんという傳さんらが開いたと言われる寒冷地で、全ての木の枝が東にしか張っていない、寒い、強風の吹くところです。やませの本場で、冷害に強い水稲藤坂5号ができたところ(古い!)。
あそこから戦後出てくれば、土俵の中にお金がある、というわけで、頑張るのも分かる気がしました。本当に力の入った相撲でした。
最近、木村庄之助を務められた元行司さんともたまに会いますが、今の相撲はつまらない、という点で意見一致です。まして形式だの品格なんて二次的なもので、そんなことを問題にしている識者?は実は全く識者じゃありません。
昔の相撲がなぜ面白かったかといえば、うっちゃりがたくさんあったこと。だから見る方にも力が入るし、最後まで気が抜けない。とく俵に足がかかってからこそ本当の勝負が始まる。
ところが今の相撲は、俵の手前で勝負あって、あっさり土俵を割ってしまう。これじゃ面白い相撲になるはずもありません。
識者なら、もっと一途に相撲を取らせるべし。意見をいうならまず相撲の内容に。
そういうポイントを知らないでよけいなことばかり言っている人間は識者じゃないし、そうしないで余計な注文を付けるから、正に力士は余計な所に目が行くというのも一理ありではないでしょうか。
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Wednesday, September 1, 2010, 03:48 PM
日本の政治がどうもうまく回っていない気がする(もちろん、うまく回っているとする意見も有り得るでしょうが。現にあるんです)、その原因は何かと考えています。一つの大きな要素に「年代」というものがあるでしょう。昔の政治家がよかったとは言いたくないけれど、いわゆる健全な保守が厳然として存在したでしょう。
「個人の責任か民主か」と問われたとき、しっかり「責任だ」と答える一群が。
しかるに今は、責任は取らないわ、民主はあやふやだわ・・・。
こうした傾向の奥にやはり戦後の教育の問題があるように思います。それは日教組がどうのなどという小さな話ではありません。国民全体が考えた戦後の国家像というものの底の浅さです。
私の小学校、中学校時代といえば、戦後わずか10数年しかたっていませんでした。なのに先日まで鬼畜米英といっていたその国にすっかり心を奪われた礼讚教師がいたのには腹が立ちました(笑)。そうした教師はソ連などと仲良くしようというわけではありませんから、日教組なんぞには入っていません。だから日教組が原因なんていうのは当たらないのです。
ある意味日本人というものの持つ、数百年にわたって作られた抜き難い性癖です。
で、そうした教師の教育内容は、ごく単純な自由と民主と平和です。これは、もちろん巨大メディアも同様です。
だから、バカの一つ覚えのようにしか平和が捉えられないし、戦争反対、平和!!というごく単純な図式です。
もちろん一方には、日本は悪くなかった、日本のお陰でアジアは独立した!!なんていう権利と反射的利益をゴチャゴチャにしたような議論をする一群やメディアもあるわけです。
いずれも、戦前なら戦前、今なら今の行政システムを前提にして、どうずれば戦争が起きなかったか、とか、起こさないためにはどうするべきか、なんていう議論がありません。
また、アジア全体から見た戦前のシステムの欠陥とか、本当に問題のあった人物についての評価とかもまるっきりできていません。
だから、森久男教授が「日本陸軍と内蒙工作」に書かれているとおり、何を伝えたいのかわからないような本(そこで指摘されているのは岩波新書の「満州事変から日中戦争へ」)が本屋にうずたかく積まれ、ますます総理大臣のお勉強が必要になるわけです。
そして、そういう教育や吹き込みを受けた一般国民はもっとお勉強が足りませんし、否、むしろ変なお勉強をさせられてきましたから、悪い奴は死刑にしろ、といった単純な論理!?明治人の奥の深い議論には到底及びません。新聞の論説委員長クラスでも勉強不足で疑うことを知らない(疑うことは悪いこと、なんていう信じられない発想も)人が、最近は結構いるもの。
そして、全て底が浅いので簡単にステレオタイプになる。
僕たち早く、学校の教科書レベルから脱却しようよ、と言いたい訳ですが、「た
だこれも非なり非なりと一生嘆息し、心を守りてうちおくことなく」の葉隠精神(葉隠が全てすばらしいわけではありませんが、この言葉はよい。上記の疑うこ精神)が ないので進歩しない。
先日会った中国の友人、別れる時よい言葉をプレゼントしてくれました。
「偏聴則信
兼聴則明」
一方に偏して聴いたのでは、単純な信に。
色々と聴いてみれば、物事を明らめることができる。
というようなことみたいです。上記葉隠の「非知り」の精神につながるものといえるでしょう。
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Thursday, August 26, 2010, 09:56 PM
大学同士の交流大会に出席するため、中国の山東省に行って来ました。久しぶりの煙台はすっかり変わって、特に海のそばには青島風のすばらしい建物が建っていました(奥に入るといまいちでしたが)。
煙台の名は、倭冦の襲来に備えてのろし台が建てられたことに由来するとか(市内の蓬莱には海城あり)。そののろし台あとの周囲は、今は公園になっており、日清戦争のあとの日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、デンマークなどの領事館あとがあります。
そして、宿泊したホテルの隣には、古い建物があって、そこは昭和に入ってから日本と満州国との出先に相当する役所になっていたようです。
第一次大戦以来、日本が山東省に権益を得ようとして様々なことを行ったことは歴史の本にあるとおりですが、こうして現物を見ると、なるほどと思われてきます。
それにしても、このあたりの人々の顔は日本人によく似ています。それは、大連との間、対馬海峡が、それぞれ島を介して正に指呼の間にあることによるのでしょう。
上記お役所の屋根の形は、高麗門、つまりお城の門として据えられた門のそれにそっくりでした。
どちらかというと地味な山東省ですが、実は日本と切っても切れない関係にあるのでは?と思われてきます。
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Friday, August 13, 2010, 09:19 PM
中東A国の駐日大使とお話しする機会がありました。学者であられる大使のお話は極めて多岐にわたり、改めてイスラム世界の広さと奥の深さを感じました。A国には、周辺諸国からお酒、映画、その他の娯楽や投資を求めてたくさんの人がやってくるそうです。
それにしても、複雑な人種構成、宗教構成・・を持つあの地域。問題が起きた時どうされるんでしょうか、という質問に、「ディスカッション、ディスカッション」と強調されたのには感動しました。
しかし、ディスカッションが通用するには、やはり前提としての教育が必要でしょう。
その教育とは、決して暗記の教育ではなく、また、考えない教育でもなく、考える、クリエイティブな人間を作る教育であるべきだと思います。
その意味から、我が国の教育も、正に根本的改造が必要だという気がします。
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Monday, August 9, 2010, 12:31 AM
知り合いのN先生は、最後の海兵出身者で、昭和20年8月6日には江田島におられ、広島への原爆投下時には強烈な爆風(多分、その表現は適切でないくらいの強烈な圧力。いわゆるピカ・ドン)を感じたとか。先日まで日経に私の履歴書を連載されていたノーベル賞の下村先生も諫早で同様な経験をされたことを書かれていました。そのN先生と同期に近い海兵の出身者が、その昔、私の勤務していたところにいましたが、彼はコチコチ国粋の代表みたいなことになっています。
ゼロ戦の撃墜王・坂井三郎さんも言われていましたが、海軍というのはチト変わったところといってよいでしょう。最近で言うなら空軍もそうです。
要はメカの世界ですから戦争というものが肌身に滲みてきていないところがある。
東条英機の弁護人で、衆議院議長をされた清瀬一郎さんの息子さん信次郎先生とは、同じ大学で講師仲間でしたし、ご町内仲間で、よく一緒に食事をしましたが、「海軍はね、海を見ているんでおかしくなっちゃうんですよ」と言われていました。
坂井さんも言われたとおり、陸軍がだめで海軍がよいなんて逆ですよ、というわけで、我々はこの8月の評価をするについても、おかしな常識?は断固かなぐり捨てなければならないと思います。
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Thursday, August 5, 2010, 01:14 PM
仕事場にゴキブリが登場したというので、食事ついでに薬屋さんへホウサン団子を買いに行きました。大通りに出て歩いて行くと、向こうから大きなポリ袋をたくさん下げた女性がとぼとぼとやって来ます。よくみると食材の山が入った袋がいっぱい。やれやれ大変だね。と思いながらすれ違って、「あれっ」と思い出したのがいつもいくミャンマー人がスタッフのお店の人。「ああ、あの人か。髪を下していたので気づかなかったわ」と思って振り返ると。その女性は余りの重さに荷物をおろして一休みしていました。お店まではわずか2、30メートルしかないのに。多分ああして、遠い食材屋さんから運んできたのでしょう。わずかだから手伝ってあげようかな、と思いましたが、でも、すぐそこだしプライドの問題もあるんじゃ、というわけでやめにしました。
そして、ゴキブリ退治の団子を買って、帰りにそのお店に寄ると、もうひとりのインド系ミャンマー人の学生アルバイトさんがいて、くだんの女性は、汗をふきふきしていました。
ラーメンを食べながらミャンマーの情勢についておしゃべり開始。
そんな中で、五戒の話になり、その女性は、「ミャンマーの人は殺すのはきらい。私も絶対、ゴキブリだって殺さない。ゴキブリにだって生きる権利ありますよ」と。ありゃ、ここにゴキブリ殺しありますよ、とはもちろん言いませんでしたが、かつて、今のネピドーのそばで、おしっこで虫を死なせるのもいや、というわけでかがんでおしっこをしたミャンマーのお医者さん(男性)を思い出しました。
しかし、最近のミャンマーは、政治経済の影響から、こうした伝統的な仏教の習慣にも、若干の陰りが見えないではないとのこと。
色々なことを考え、やっぱりあの時手伝ってあげればよかったなー、と思われたことでした。
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Tuesday, August 3, 2010, 11:23 PM
先日、蓬莱という名の中華料理の店で食事をしました。この蓬莱は、山東省にある町ですが、古くは秦の始皇帝が徐福を送り出した所と言い、明の時代には、倭寇を撃退するための海の城が造られました。
このあたりから遼東半島の大連に向けては多数の島があり、はるかに九州までつながっていることを思うと、前者の話もまんざら嘘ではなさそうな気もしてきますし、後者の話にもおもしろいプラスαがあります。
というのは、長崎県のある島を訪れた時のこと、その島の正に倭寇の出撃基地と上記の蓬莱の海城とが全く同じスタイルであることに気づいたのです。
東支那海を挟んで東と西とに全く同じものがあることは、そのほかにも数々の事例があります。
その意味から、かの国・地域について勉強しなければ、日本とは何かは解らない、というのが私の結論。
ついでにいえば、それをきちんと行って、今までと違う価値観を打ちたて得ないところに昨今の政権党の迷走の原因もありそうに思います。
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Monday, July 26, 2010, 11:40 PM
このところ読んでいた本が、我々の世界の大先達の本2冊。自身の来し方を振り返る、といったたぐいのものです。しかしてそうした人の本は、話がアメリカとヨーロッパに片寄っているなーという感想しきりでした。ただでさえ明治以降ヨーロッパからの法律導入は急であったので、ある程度以上はやむを得ないでしょう。でも、昔の人に近い例えば田中耕太郎さん(東大教授、最高裁長官、文部大臣などをした人)などには「法家の法実証主義」なんていう本があって、しっかり東洋に足をおいています。
しかし、最近の長老?は、全くといってよいほどそういう教養に欠けるようです。
そして、そのうえで「日本では」という議論をしますから、現象としての日本を語ってもその理由には関心が行っていません。
だから政策提言的なことを言っても、根本的解決法を語れていないと思えるのです。
その意味から、真の批判的学者よ出でよ!と言いたくなります。
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Tuesday, July 20, 2010, 10:38 PM
かつての教官の一周忌にお参りして、その昔、お酒の席で「民主か責任か、どちらかにしてほしいものですね」と息巻いたことを思い出しました。私の世界の後輩を久しぶりに預かってみると、様々に勉強になります。
その中で驚いたのは、インセンティブということ。国選弁護をして、示談をすると法テラスからいくら、執行猶予はいくら、どこかでは、準抗告をするといくら、まで、まるで手数料制公務員の如く決まっているようです(詳細は私にも不明)。
しかし、そういう発想はおかしいのではないかと思います。
資格を付与されれば、責任が生じます。なぜなら、その被付与者はその仕事を独占しているのですから。これは、個人の資格も、電気、ガス会社もかわりません。
ですから、電気、ガス会社が、嵐が吹こうと大雨が降ろうと、電気ガスを供給しなければならない責務を負っているとおり、我々も、お金をもらおうがもらうまいが、受任した仕事はやらねばならないのです。
なのに、一体どうしてこんな下品な発想が生じてしまったのでしょうか。
この延長には、公私の別の弛緩があります。下品な、と書きましたが、確かに官尊民卑は排除しなければなりません。しかし、公私の別は厳然として存在すべきです。公から付託を受けたことの重さを体することの重要性はいやでも自覚しておかなければなりません(もちろん、民間会社での責任も大切ですが、国民を守る最後のとりでである国家との関係における責任は別個のはずです。そのことを前提にして、処理する法律も分かれています)。
ああいう発想に立つなら、警察も手数料を払えば捕まえてくれる、という先日の韓国の事例を制度化すべきでは・・・なんて、考えてしまいます。
このあたり、単なる保守的な発想とは異なる、本質論が大切と思います。
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Sunday, July 18, 2010, 03:55 PM
先日ある会議に参加しました。それはタクシーの初乗価格設定についての許可の話です。
こうした企業の料金については許可制が敷かれ、様々な考慮から許可、不許可が決まります。
しかし、スカイマークの例でわかるとおり、余りにもの仲良しは、一般消費者の便益を減殺させ、はっきり言えば組織ぐるみの詐欺になろどころか、日本自体の競争力を減退させます。
ただでさえ和をもって・・のお国柄。こういうところの掃除はやはり必要と思います。
我前幾天参加一個会議。
在那会議一個律師発表了一個事件。那個事件的内容是出租車的初座車価格。在日本的某地方一個出租車公司対日本政府申請了便宜価格。
可是日本政府没受理了那個申請。所為那個公司控訴了。透過二個月左右審判所暫定許可那個価格。
現在、那個審判継続。
我ting了那公司没有参加同業界的協会。那個傾向性在日本的別的業界也有。那個傾向性消弱日本的競争力。
現在、在日本hen多建設公司、hen多病院。在那個業界有友好結構。
可是、我イ門要深思那個壊影xiang。
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