★8月13日 
Friday, August 13, 2010, 09:19 PM
 中東A国の駐日大使とお話しする機会がありました。学者であられる大使のお話は極めて多岐にわたり、改めてイスラム世界の広さと奥の深さを感じました。
 A国には、周辺諸国からお酒、映画、その他の娯楽や投資を求めてたくさんの人がやってくるそうです。
 それにしても、複雑な人種構成、宗教構成・・を持つあの地域。問題が起きた時どうされるんでしょうか、という質問に、「ディスカッション、ディスカッション」と強調されたのには感動しました。
 しかし、ディスカッションが通用するには、やはり前提としての教育が必要でしょう。
 その教育とは、決して暗記の教育ではなく、また、考えない教育でもなく、考える、クリエイティブな人間を作る教育であるべきだと思います。
 その意味から、我が国の教育も、正に根本的改造が必要だという気がします。

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★8月9日 
Monday, August 9, 2010, 12:31 AM
 知り合いのN先生は、最後の海兵出身者で、昭和20年8月6日には江田島におられ、広島への原爆投下時には強烈な爆風(多分、その表現は適切でないくらいの強烈な圧力。いわゆるピカ・ドン)を感じたとか。先日まで日経に私の履歴書を連載されていたノーベル賞の下村先生も諫早で同様な経験をされたことを書かれていました。
 そのN先生と同期に近い海兵の出身者が、その昔、私の勤務していたところにいましたが、彼はコチコチ国粋の代表みたいなことになっています。
 ゼロ戦の撃墜王・坂井三郎さんも言われていましたが、海軍というのはチト変わったところといってよいでしょう。最近で言うなら空軍もそうです。
 要はメカの世界ですから戦争というものが肌身に滲みてきていないところがある。
 東条英機の弁護人で、衆議院議長をされた清瀬一郎さんの息子さん信次郎先生とは、同じ大学で講師仲間でしたし、ご町内仲間で、よく一緒に食事をしましたが、「海軍はね、海を見ているんでおかしくなっちゃうんですよ」と言われていました。
 坂井さんも言われたとおり、陸軍がだめで海軍がよいなんて逆ですよ、というわけで、我々はこの8月の評価をするについても、おかしな常識?は断固かなぐり捨てなければならないと思います。
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★8月5日 
Thursday, August 5, 2010, 01:14 PM
 仕事場にゴキブリが登場したというので、食事ついでに薬屋さんへホウサン団子を買いに行きました。
 大通りに出て歩いて行くと、向こうから大きなポリ袋をたくさん下げた女性がとぼとぼとやって来ます。よくみると食材の山が入った袋がいっぱい。やれやれ大変だね。と思いながらすれ違って、「あれっ」と思い出したのがいつもいくミャンマー人がスタッフのお店の人。「ああ、あの人か。髪を下していたので気づかなかったわ」と思って振り返ると。その女性は余りの重さに荷物をおろして一休みしていました。お店まではわずか2、30メートルしかないのに。多分ああして、遠い食材屋さんから運んできたのでしょう。わずかだから手伝ってあげようかな、と思いましたが、でも、すぐそこだしプライドの問題もあるんじゃ、というわけでやめにしました。
 そして、ゴキブリ退治の団子を買って、帰りにそのお店に寄ると、もうひとりのインド系ミャンマー人の学生アルバイトさんがいて、くだんの女性は、汗をふきふきしていました。
 
 ラーメンを食べながらミャンマーの情勢についておしゃべり開始。
 そんな中で、五戒の話になり、その女性は、「ミャンマーの人は殺すのはきらい。私も絶対、ゴキブリだって殺さない。ゴキブリにだって生きる権利ありますよ」と。ありゃ、ここにゴキブリ殺しありますよ、とはもちろん言いませんでしたが、かつて、今のネピドーのそばで、おしっこで虫を死なせるのもいや、というわけでかがんでおしっこをしたミャンマーのお医者さん(男性)を思い出しました。
 しかし、最近のミャンマーは、政治経済の影響から、こうした伝統的な仏教の習慣にも、若干の陰りが見えないではないとのこと。
 色々なことを考え、やっぱりあの時手伝ってあげればよかったなー、と思われたことでした。



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★8月3日 
Tuesday, August 3, 2010, 11:23 PM
 先日、蓬莱という名の中華料理の店で食事をしました。
 この蓬莱は、山東省にある町ですが、古くは秦の始皇帝が徐福を送り出した所と言い、明の時代には、倭寇を撃退するための海の城が造られました。
 このあたりから遼東半島の大連に向けては多数の島があり、はるかに九州までつながっていることを思うと、前者の話もまんざら嘘ではなさそうな気もしてきますし、後者の話にもおもしろいプラスαがあります。
 というのは、長崎県のある島を訪れた時のこと、その島の正に倭寇の出撃基地と上記の蓬莱の海城とが全く同じスタイルであることに気づいたのです。

 東支那海を挟んで東と西とに全く同じものがあることは、そのほかにも数々の事例があります。
 その意味から、かの国・地域について勉強しなければ、日本とは何かは解らない、というのが私の結論。
 ついでにいえば、それをきちんと行って、今までと違う価値観を打ちたて得ないところに昨今の政権党の迷走の原因もありそうに思います。
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★7月26日 
Monday, July 26, 2010, 11:40 PM
 このところ読んでいた本が、我々の世界の大先達の本2冊。自身の来し方を振り返る、といったたぐいのものです。

 しかしてそうした人の本は、話がアメリカとヨーロッパに片寄っているなーという感想しきりでした。ただでさえ明治以降ヨーロッパからの法律導入は急であったので、ある程度以上はやむを得ないでしょう。でも、昔の人に近い例えば田中耕太郎さん(東大教授、最高裁長官、文部大臣などをした人)などには「法家の法実証主義」なんていう本があって、しっかり東洋に足をおいています。
 しかし、最近の長老?は、全くといってよいほどそういう教養に欠けるようです。
 そして、そのうえで「日本では」という議論をしますから、現象としての日本を語ってもその理由には関心が行っていません。
 だから政策提言的なことを言っても、根本的解決法を語れていないと思えるのです。

 その意味から、真の批判的学者よ出でよ!と言いたくなります。

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★7月20日 
Tuesday, July 20, 2010, 10:38 PM
 かつての教官の一周忌にお参りして、その昔、お酒の席で「民主か責任か、どちらかにしてほしいものですね」と息巻いたことを思い出しました。

 私の世界の後輩を久しぶりに預かってみると、様々に勉強になります。
 その中で驚いたのは、インセンティブということ。国選弁護をして、示談をすると法テラスからいくら、執行猶予はいくら、どこかでは、準抗告をするといくら、まで、まるで手数料制公務員の如く決まっているようです(詳細は私にも不明)。
 しかし、そういう発想はおかしいのではないかと思います。
 資格を付与されれば、責任が生じます。なぜなら、その被付与者はその仕事を独占しているのですから。これは、個人の資格も、電気、ガス会社もかわりません。
 ですから、電気、ガス会社が、嵐が吹こうと大雨が降ろうと、電気ガスを供給しなければならない責務を負っているとおり、我々も、お金をもらおうがもらうまいが、受任した仕事はやらねばならないのです。
 なのに、一体どうしてこんな下品な発想が生じてしまったのでしょうか。
 この延長には、公私の別の弛緩があります。下品な、と書きましたが、確かに官尊民卑は排除しなければなりません。しかし、公私の別は厳然として存在すべきです。公から付託を受けたことの重さを体することの重要性はいやでも自覚しておかなければなりません(もちろん、民間会社での責任も大切ですが、国民を守る最後のとりでである国家との関係における責任は別個のはずです。そのことを前提にして、処理する法律も分かれています)。
 ああいう発想に立つなら、警察も手数料を払えば捕まえてくれる、という先日の韓国の事例を制度化すべきでは・・・なんて、考えてしまいます。
 このあたり、単なる保守的な発想とは異なる、本質論が大切と思います。
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★7月18日 
Sunday, July 18, 2010, 03:55 PM
 先日ある会議に参加しました。
 それはタクシーの初乗価格設定についての許可の話です。
 こうした企業の料金については許可制が敷かれ、様々な考慮から許可、不許可が決まります。
しかし、スカイマークの例でわかるとおり、余りにもの仲良しは、一般消費者の便益を減殺させ、はっきり言えば組織ぐるみの詐欺になろどころか、日本自体の競争力を減退させます。

 ただでさえ和をもって・・のお国柄。こういうところの掃除はやはり必要と思います。


 我前幾天参加一個会議。
 在那会議一個律師発表了一個事件。那個事件的内容是出租車的初座車価格。在日本的某地方一個出租車公司対日本政府申請了便宜価格。
 可是日本政府没受理了那個申請。所為那個公司控訴了。透過二個月左右審判所暫定許可那個価格。
 現在、那個審判継続。
 我ting了那公司没有参加同業界的協会。那個傾向性在日本的別的業界也有。那個傾向性消弱日本的競争力。
 
 現在、在日本hen多建設公司、hen多病院。在那個業界有友好結構。
 可是、我イ門要深思那個壊影xiang。


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★7月15日 
Thursday, July 15, 2010, 10:36 PM
 7月12日は2・26事件の青年将校が刑死した日。14日はフランス革命のパリ祭と、色々「国家」を考えました。

 2・26については、様々な本などが出ていますが、ある席で「私は自分が現実に会って話した人の、その人となりと合わせて判断しなければ信用しない」と言いますと、目の前にいた女性が「その通り!」と握手を求めてきました。その人は松本清張の本など全くあてにならないと言います。私は1行も読んだことはありませんが、元々読む気もしません。
 いずれにしても、昭和維新を唱えた彼らの純粋さは明治維新を起こした志士に劣らないどころか、かえって純粋培養ともいうべきピュアな教育を受けたという意味では明治以降の最高の高まりを見せた時期とも言えるでしょう。そこのところが、多分、小説家にはわからないのじゃないかと思います。いささか不遜ながら。

 フランス革命については、我々はいくら勉強しても、し足りるということはないのではないでしょうか。以後の何十年かの歴史には人類のあらゆる政治形態がそろっているともいえますし、また向かうべき将来を示しているともいえるのではないかと思います。アメリカの独立戦争とも深いつながりがありますし。

 そして今日は、韓国から留学中の大学院生などと日本と韓国との最近の違いを話しました。
 私は、今の日本の保守的傾向は、その持って生まれた博物館性が、いよいよもってはっきりと出てしまっている現象ではないかと思っています。
 今の韓国の民主制というか、元気のよさは、アメリカの影響という面もあるでしょうが、元々、中国は当然として、大陸はヨーロッパに近いということがいえると思います。例えば、北京には戦前、街角にトイレがなかったとかもその一つでしょう。
 しかもいくら儒教的な徳目が強いと言っても、何せその本場ですから、その裏に実質を持っています。日本のように闇雲ではありません。
韓国儒教は細かい。日本の儒教はラフといえます。ラフということはただ闇雲に輸入してくっつけただけ、ということです。お墓の段階論にしても細かくない。
 でも強烈で、後生大事にしている。外側は別として、エッセンスはもらいものなのに、自分のものと思っている。
 こういう博物館性を除くには視野を広くする必要がありますが、若い人が外へ出ていかないというのは大いなる問題と思います。



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★7月14日 
Wednesday, July 14, 2010, 11:48 PM
 最近読んだ本で印象に残ったのは、6月7日にも書いたナチス・ゲシュタポの本。ゲシュタポに逮捕されて生還したフランスの警察官が書いた本ですが、民族問題から文化の問題など示唆するところ多い本でした。
 人種的な観点からいうと、どうしてもエルベ川以東の東方性、それは日本にまでつながるものを感じざるを得ない気がします。ゲシュタポ幹部の中に流れる北方東洋の血を指摘したくだりを読んで。
 そんな目で最近の政治状況を見ると、結構危ないな、と思われてきます。日本がおかしな国になれば最後はアメリカの鉄槌が下るでしょうが、それもアメリカに不利益を及ぼした場合のこと。ゴ・ジンジエムなどの故事を見るまでもなく、自国に有利であればアメリカも手は出しません。
 その意味で、社会を正常な方向にもって行くのは、一つはマスコミの役割ですが、これが今や能力地を払っている感じ。売らんかなの週刊紙は論外としても、一般の新聞がお粗末(当然ですが、これも売らんかな。どころか最近は売れなくて風前の灯火状態)。
 しかも、このあたりは、昭和10年代初め、朝日新聞まですっかり当時の軍主流派に迎合していたことを思い出します。
 特に始末が悪いのは、私の若い時代の左翼(?)共が政党的には右にも左にも入って仲良しこよしで政策を立案遂行していること。
 だから、それを推進した朝日も当然文句を言わない。これでは社会の木鐸なんて空手形のようなもの。
 それに輪をかけて、深い考察力を要求する社会になっていない。考えない暗記国。
 これじゃ困る・・・というのが最近の感想です。



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★7月4日 
Sunday, July 4, 2010, 11:02 PM
 相撲界が荒れています。関係のA先生には本当に御苦労様です。
 一方、久しぶりに同窓との会合で入手した話。
 今年のある団体の入社試験の問題は、「朝昇龍について」であったとか。これはよい問題と思います。どんなふうにも論じられます。正解がありません。例え彼の日常を知らなくても色々な切り口から論じていくことができる。もちろん、試験官の力量も要求されます。
 こういうよい問題にひきかえ、最近の色々な場所における多くの問題は正解があります。
 最も創造性を要求されるはずの我々の仕事でも、正解を書かなければ白い目で見られるような風潮。
 おまけに、政治家の議論まで、各政党に応じた段階論があるような気さえします。マスコミ界も記者が正解を求める、とは先日、食事をしたあるジャーナリストの話。
 こんなことでは「世界」に太刀打ちできません。いいかげんに目を覚ますべし、と相撲界でないところにも言いたい気がします。
 それにしても、あの問題を作った人は立派です。
 そういえば、40年近く前、私が受けた裁判所でのある問題は「小野田さんの生き方について述べよ。」でした。あれもよい問題。最近、そういうよい問題が少なくなっているのでは、という気がします。
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