Thursday, August 5, 2010, 01:14 PM
仕事場にゴキブリが登場したというので、食事ついでに薬屋さんへホウサン団子を買いに行きました。大通りに出て歩いて行くと、向こうから大きなポリ袋をたくさん下げた女性がとぼとぼとやって来ます。よくみると食材の山が入った袋がいっぱい。やれやれ大変だね。と思いながらすれ違って、「あれっ」と思い出したのがいつもいくミャンマー人がスタッフのお店の人。「ああ、あの人か。髪を下していたので気づかなかったわ」と思って振り返ると。その女性は余りの重さに荷物をおろして一休みしていました。お店まではわずか2、30メートルしかないのに。多分ああして、遠い食材屋さんから運んできたのでしょう。わずかだから手伝ってあげようかな、と思いましたが、でも、すぐそこだしプライドの問題もあるんじゃ、というわけでやめにしました。
そして、ゴキブリ退治の団子を買って、帰りにそのお店に寄ると、もうひとりのインド系ミャンマー人の学生アルバイトさんがいて、くだんの女性は、汗をふきふきしていました。
ラーメンを食べながらミャンマーの情勢についておしゃべり開始。
そんな中で、五戒の話になり、その女性は、「ミャンマーの人は殺すのはきらい。私も絶対、ゴキブリだって殺さない。ゴキブリにだって生きる権利ありますよ」と。ありゃ、ここにゴキブリ殺しありますよ、とはもちろん言いませんでしたが、かつて、今のネピドーのそばで、おしっこで虫を死なせるのもいや、というわけでかがんでおしっこをしたミャンマーのお医者さん(男性)を思い出しました。
しかし、最近のミャンマーは、政治経済の影響から、こうした伝統的な仏教の習慣にも、若干の陰りが見えないではないとのこと。
色々なことを考え、やっぱりあの時手伝ってあげればよかったなー、と思われたことでした。
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Tuesday, August 3, 2010, 11:23 PM
先日、蓬莱という名の中華料理の店で食事をしました。この蓬莱は、山東省にある町ですが、古くは秦の始皇帝が徐福を送り出した所と言い、明の時代には、倭寇を撃退するための海の城が造られました。
このあたりから遼東半島の大連に向けては多数の島があり、はるかに九州までつながっていることを思うと、前者の話もまんざら嘘ではなさそうな気もしてきますし、後者の話にもおもしろいプラスαがあります。
というのは、長崎県のある島を訪れた時のこと、その島の正に倭寇の出撃基地と上記の蓬莱の海城とが全く同じスタイルであることに気づいたのです。
東支那海を挟んで東と西とに全く同じものがあることは、そのほかにも数々の事例があります。
その意味から、かの国・地域について勉強しなければ、日本とは何かは解らない、というのが私の結論。
ついでにいえば、それをきちんと行って、今までと違う価値観を打ちたて得ないところに昨今の政権党の迷走の原因もありそうに思います。
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Monday, July 26, 2010, 11:40 PM
このところ読んでいた本が、我々の世界の大先達の本2冊。自身の来し方を振り返る、といったたぐいのものです。しかしてそうした人の本は、話がアメリカとヨーロッパに片寄っているなーという感想しきりでした。ただでさえ明治以降ヨーロッパからの法律導入は急であったので、ある程度以上はやむを得ないでしょう。でも、昔の人に近い例えば田中耕太郎さん(東大教授、最高裁長官、文部大臣などをした人)などには「法家の法実証主義」なんていう本があって、しっかり東洋に足をおいています。
しかし、最近の長老?は、全くといってよいほどそういう教養に欠けるようです。
そして、そのうえで「日本では」という議論をしますから、現象としての日本を語ってもその理由には関心が行っていません。
だから政策提言的なことを言っても、根本的解決法を語れていないと思えるのです。
その意味から、真の批判的学者よ出でよ!と言いたくなります。
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Tuesday, July 20, 2010, 10:38 PM
かつての教官の一周忌にお参りして、その昔、お酒の席で「民主か責任か、どちらかにしてほしいものですね」と息巻いたことを思い出しました。私の世界の後輩を久しぶりに預かってみると、様々に勉強になります。
その中で驚いたのは、インセンティブということ。国選弁護をして、示談をすると法テラスからいくら、執行猶予はいくら、どこかでは、準抗告をするといくら、まで、まるで手数料制公務員の如く決まっているようです(詳細は私にも不明)。
しかし、そういう発想はおかしいのではないかと思います。
資格を付与されれば、責任が生じます。なぜなら、その被付与者はその仕事を独占しているのですから。これは、個人の資格も、電気、ガス会社もかわりません。
ですから、電気、ガス会社が、嵐が吹こうと大雨が降ろうと、電気ガスを供給しなければならない責務を負っているとおり、我々も、お金をもらおうがもらうまいが、受任した仕事はやらねばならないのです。
なのに、一体どうしてこんな下品な発想が生じてしまったのでしょうか。
この延長には、公私の別の弛緩があります。下品な、と書きましたが、確かに官尊民卑は排除しなければなりません。しかし、公私の別は厳然として存在すべきです。公から付託を受けたことの重さを体することの重要性はいやでも自覚しておかなければなりません(もちろん、民間会社での責任も大切ですが、国民を守る最後のとりでである国家との関係における責任は別個のはずです。そのことを前提にして、処理する法律も分かれています)。
ああいう発想に立つなら、警察も手数料を払えば捕まえてくれる、という先日の韓国の事例を制度化すべきでは・・・なんて、考えてしまいます。
このあたり、単なる保守的な発想とは異なる、本質論が大切と思います。
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Sunday, July 18, 2010, 03:55 PM
先日ある会議に参加しました。それはタクシーの初乗価格設定についての許可の話です。
こうした企業の料金については許可制が敷かれ、様々な考慮から許可、不許可が決まります。
しかし、スカイマークの例でわかるとおり、余りにもの仲良しは、一般消費者の便益を減殺させ、はっきり言えば組織ぐるみの詐欺になろどころか、日本自体の競争力を減退させます。
ただでさえ和をもって・・のお国柄。こういうところの掃除はやはり必要と思います。
我前幾天参加一個会議。
在那会議一個律師発表了一個事件。那個事件的内容是出租車的初座車価格。在日本的某地方一個出租車公司対日本政府申請了便宜価格。
可是日本政府没受理了那個申請。所為那個公司控訴了。透過二個月左右審判所暫定許可那個価格。
現在、那個審判継続。
我ting了那公司没有参加同業界的協会。那個傾向性在日本的別的業界也有。那個傾向性消弱日本的競争力。
現在、在日本hen多建設公司、hen多病院。在那個業界有友好結構。
可是、我イ門要深思那個壊影xiang。
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Thursday, July 15, 2010, 10:36 PM
7月12日は2・26事件の青年将校が刑死した日。14日はフランス革命のパリ祭と、色々「国家」を考えました。2・26については、様々な本などが出ていますが、ある席で「私は自分が現実に会って話した人の、その人となりと合わせて判断しなければ信用しない」と言いますと、目の前にいた女性が「その通り!」と握手を求めてきました。その人は松本清張の本など全くあてにならないと言います。私は1行も読んだことはありませんが、元々読む気もしません。
いずれにしても、昭和維新を唱えた彼らの純粋さは明治維新を起こした志士に劣らないどころか、かえって純粋培養ともいうべきピュアな教育を受けたという意味では明治以降の最高の高まりを見せた時期とも言えるでしょう。そこのところが、多分、小説家にはわからないのじゃないかと思います。いささか不遜ながら。
フランス革命については、我々はいくら勉強しても、し足りるということはないのではないでしょうか。以後の何十年かの歴史には人類のあらゆる政治形態がそろっているともいえますし、また向かうべき将来を示しているともいえるのではないかと思います。アメリカの独立戦争とも深いつながりがありますし。
そして今日は、韓国から留学中の大学院生などと日本と韓国との最近の違いを話しました。
私は、今の日本の保守的傾向は、その持って生まれた博物館性が、いよいよもってはっきりと出てしまっている現象ではないかと思っています。
今の韓国の民主制というか、元気のよさは、アメリカの影響という面もあるでしょうが、元々、中国は当然として、大陸はヨーロッパに近いということがいえると思います。例えば、北京には戦前、街角にトイレがなかったとかもその一つでしょう。
しかもいくら儒教的な徳目が強いと言っても、何せその本場ですから、その裏に実質を持っています。日本のように闇雲ではありません。
韓国儒教は細かい。日本の儒教はラフといえます。ラフということはただ闇雲に輸入してくっつけただけ、ということです。お墓の段階論にしても細かくない。
でも強烈で、後生大事にしている。外側は別として、エッセンスはもらいものなのに、自分のものと思っている。
こういう博物館性を除くには視野を広くする必要がありますが、若い人が外へ出ていかないというのは大いなる問題と思います。
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Wednesday, July 14, 2010, 11:48 PM
最近読んだ本で印象に残ったのは、6月7日にも書いたナチス・ゲシュタポの本。ゲシュタポに逮捕されて生還したフランスの警察官が書いた本ですが、民族問題から文化の問題など示唆するところ多い本でした。人種的な観点からいうと、どうしてもエルベ川以東の東方性、それは日本にまでつながるものを感じざるを得ない気がします。ゲシュタポ幹部の中に流れる北方東洋の血を指摘したくだりを読んで。
そんな目で最近の政治状況を見ると、結構危ないな、と思われてきます。日本がおかしな国になれば最後はアメリカの鉄槌が下るでしょうが、それもアメリカに不利益を及ぼした場合のこと。ゴ・ジンジエムなどの故事を見るまでもなく、自国に有利であればアメリカも手は出しません。
その意味で、社会を正常な方向にもって行くのは、一つはマスコミの役割ですが、これが今や能力地を払っている感じ。売らんかなの週刊紙は論外としても、一般の新聞がお粗末(当然ですが、これも売らんかな。どころか最近は売れなくて風前の灯火状態)。
しかも、このあたりは、昭和10年代初め、朝日新聞まですっかり当時の軍主流派に迎合していたことを思い出します。
特に始末が悪いのは、私の若い時代の左翼(?)共が政党的には右にも左にも入って仲良しこよしで政策を立案遂行していること。
だから、それを推進した朝日も当然文句を言わない。これでは社会の木鐸なんて空手形のようなもの。
それに輪をかけて、深い考察力を要求する社会になっていない。考えない暗記国。
これじゃ困る・・・というのが最近の感想です。
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Sunday, July 4, 2010, 11:02 PM
相撲界が荒れています。関係のA先生には本当に御苦労様です。一方、久しぶりに同窓との会合で入手した話。
今年のある団体の入社試験の問題は、「朝昇龍について」であったとか。これはよい問題と思います。どんなふうにも論じられます。正解がありません。例え彼の日常を知らなくても色々な切り口から論じていくことができる。もちろん、試験官の力量も要求されます。
こういうよい問題にひきかえ、最近の色々な場所における多くの問題は正解があります。
最も創造性を要求されるはずの我々の仕事でも、正解を書かなければ白い目で見られるような風潮。
おまけに、政治家の議論まで、各政党に応じた段階論があるような気さえします。マスコミ界も記者が正解を求める、とは先日、食事をしたあるジャーナリストの話。
こんなことでは「世界」に太刀打ちできません。いいかげんに目を覚ますべし、と相撲界でないところにも言いたい気がします。
それにしても、あの問題を作った人は立派です。
そういえば、40年近く前、私が受けた裁判所でのある問題は「小野田さんの生き方について述べよ。」でした。あれもよい問題。最近、そういうよい問題が少なくなっているのでは、という気がします。
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Sunday, June 27, 2010, 11:58 PM
この季節は株主総会の季節。リスボンやアムステルダムの港を出て1年の航海をして交易し、帰国した船が、出資者にその報告をして、もうけを分配することに由来します。葉隠の佐賀県には昔からVOCのマークがあちこちに見られました。特に輸出品である焼き物の表面に多く、これはオランダ東印度会社のマークを表します(OはイーストのEだとか)。
オランダ東印度会社の本社あとは今もアムステルダムにあり、近くにある倉庫のそばには当時の船が復元して係留されています。
このオランダ、日本では最初平戸に。その後色々動いて最終的には長崎に落ち着いたのですが、新教国として自由な絵画などがはやり、その細密画は秋田の角館などに伝わって、ターヘル・アナトミア、つまり解体新書の挿絵などに大きな影響を及ぼしたとか。
しかし一方、この博物館の本文に書いたとおり、当時のオランダには、グロチウス、デカルト、スピノザ、ライプニッツらが行き交い、人類の将来を決定づけた哲学が生まれたのに、あれほど強いつながりを持ったオランダから、そうした影響は、少なくとも表面的にはうかがわれません。
レンブラントの家の前で東洋伝統の石碑を見てびっくりした私でしたが、我々の思想の中にこうしたものの影響が全くないわけではないのではないか、と、ひそかに思っているこの季節です。
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Tuesday, June 22, 2010, 06:17 PM
ある件の打ち合わせで上海に行ったついでに万博をのぞいてきました。しっかり観るには一週間あっても足りません。中国館はもとより日本館、アメリカ館、台湾館、韓国館などはすごい人気で、外から人間だけを拝見しました。それに比べて全く人気のない日本の近くの国もありました。中国の各省、ポルトガル、トルコ、アフリカ諸国などに入ってみましたが、いずれも大いに勉強になりました。
例えば、現在の資源外交の時代、特に東アフリカについては、明の時代の鄭和が大きな役割を果たしていることに我が国と中国との違いを強く感じました。
鄭和は、船団を率いて東アフリカまで到達。現にたくさんの陶磁器がアフリカから出てくるでしょ、我々は昔から友達だったんですよね、というわけ。本当をいうと日本だってそんなに捨てたものではなくて、天正少年使節だけじゃなく、色々なご縁があると思うのですが、永年、為政者の頭がすっかり鎖国概念に取り込まれていましたから、今まではだめ。何とかしたいものです。
それよりも強く感じたのは、日本人の真面目すぎ、というか非国際性。
宿泊地近くのデパートでは日本特集をやっていて、舞子さんのおどりをやっていました。きれいで宜しかったのですが、何しろ無表情なのは受けない。西洋人に喜ばれるから・・はだめです。
万博会場でもちょうどステージで日本の出し物。しかし、踊りが余りにも年の方々。白塗りゴテゴテでおまけにこれも無表情。そのあとの若い人はよかったけれど、これも踊りが静か過ぎ。もっと笑えよと言いたくなりました。やってるかもですが、是非阿波踊りなどを。アフリカの迫力のは負けますが。ニュージーランドのマオリの人たちのフレンドリーさにも大いに譲るといわざるをえませんでした。
そのあとの演歌の歌手はニコニコしていてよかったのですが、開口一番のニーハオが何とか欲しかった。ごく簡単でよいから中国語を使えばドッとどよめくのに、惜しいです。
帰りの地下鉄の中、おじいちやん、おばあちゃんがどっと入ってきた途端、メガネの食い込んだ少女が、おじいちゃんどうぞ、と席を譲る。そのあと、自分は持参の小さな椅子にすわっておじいちゃんとぺちゃくちゃ。そういう国民性というか、儒教的かつフレンドリー・・?
もちろん?お行儀の悪い人もいて、地下鉄の中で携帯。しかし、トンネル内でもしっかり通じるのは東京メトロ以上です。
マナーといっても、初めて上海に行ったころと比べれば生活も向上し、正に衣食足りて礼節を知る、の国だけに、どこでもずいぶんよくなりました。
本当に、日本は真の意味つまり空威張りや考えちがいでなくしっかりしなければならないと思った次第です。
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