★7月4日 
Sunday, July 4, 2010, 11:02 PM
 相撲界が荒れています。関係のA先生には本当に御苦労様です。
 一方、久しぶりに同窓との会合で入手した話。
 今年のある団体の入社試験の問題は、「朝昇龍について」であったとか。これはよい問題と思います。どんなふうにも論じられます。正解がありません。例え彼の日常を知らなくても色々な切り口から論じていくことができる。もちろん、試験官の力量も要求されます。
 こういうよい問題にひきかえ、最近の色々な場所における多くの問題は正解があります。
 最も創造性を要求されるはずの我々の仕事でも、正解を書かなければ白い目で見られるような風潮。
 おまけに、政治家の議論まで、各政党に応じた段階論があるような気さえします。マスコミ界も記者が正解を求める、とは先日、食事をしたあるジャーナリストの話。
 こんなことでは「世界」に太刀打ちできません。いいかげんに目を覚ますべし、と相撲界でないところにも言いたい気がします。
 それにしても、あの問題を作った人は立派です。
 そういえば、40年近く前、私が受けた裁判所でのある問題は「小野田さんの生き方について述べよ。」でした。あれもよい問題。最近、そういうよい問題が少なくなっているのでは、という気がします。
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★6月27日 
Sunday, June 27, 2010, 11:58 PM
 この季節は株主総会の季節。リスボンやアムステルダムの港を出て1年の航海をして交易し、帰国した船が、出資者にその報告をして、もうけを分配することに由来します。

 葉隠の佐賀県には昔からVOCのマークがあちこちに見られました。特に輸出品である焼き物の表面に多く、これはオランダ東印度会社のマークを表します(OはイーストのEだとか)。
 オランダ東印度会社の本社あとは今もアムステルダムにあり、近くにある倉庫のそばには当時の船が復元して係留されています。
 このオランダ、日本では最初平戸に。その後色々動いて最終的には長崎に落ち着いたのですが、新教国として自由な絵画などがはやり、その細密画は秋田の角館などに伝わって、ターヘル・アナトミア、つまり解体新書の挿絵などに大きな影響を及ぼしたとか。
 しかし一方、この博物館の本文に書いたとおり、当時のオランダには、グロチウス、デカルト、スピノザ、ライプニッツらが行き交い、人類の将来を決定づけた哲学が生まれたのに、あれほど強いつながりを持ったオランダから、そうした影響は、少なくとも表面的にはうかがわれません。
 レンブラントの家の前で東洋伝統の石碑を見てびっくりした私でしたが、我々の思想の中にこうしたものの影響が全くないわけではないのではないか、と、ひそかに思っているこの季節です。



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★6月22日 
Tuesday, June 22, 2010, 06:17 PM
 ある件の打ち合わせで上海に行ったついでに万博をのぞいてきました。しっかり観るには一週間あっても足りません。中国館はもとより日本館、アメリカ館、台湾館、韓国館などはすごい人気で、外から人間だけを拝見しました。それに比べて全く人気のない日本の近くの国もありました。
 中国の各省、ポルトガル、トルコ、アフリカ諸国などに入ってみましたが、いずれも大いに勉強になりました。
 例えば、現在の資源外交の時代、特に東アフリカについては、明の時代の鄭和が大きな役割を果たしていることに我が国と中国との違いを強く感じました。
 鄭和は、船団を率いて東アフリカまで到達。現にたくさんの陶磁器がアフリカから出てくるでしょ、我々は昔から友達だったんですよね、というわけ。本当をいうと日本だってそんなに捨てたものではなくて、天正少年使節だけじゃなく、色々なご縁があると思うのですが、永年、為政者の頭がすっかり鎖国概念に取り込まれていましたから、今まではだめ。何とかしたいものです。

 それよりも強く感じたのは、日本人の真面目すぎ、というか非国際性。
 宿泊地近くのデパートでは日本特集をやっていて、舞子さんのおどりをやっていました。きれいで宜しかったのですが、何しろ無表情なのは受けない。西洋人に喜ばれるから・・はだめです。
 万博会場でもちょうどステージで日本の出し物。しかし、踊りが余りにも年の方々。白塗りゴテゴテでおまけにこれも無表情。そのあとの若い人はよかったけれど、これも踊りが静か過ぎ。もっと笑えよと言いたくなりました。やってるかもですが、是非阿波踊りなどを。アフリカの迫力のは負けますが。ニュージーランドのマオリの人たちのフレンドリーさにも大いに譲るといわざるをえませんでした。
 そのあとの演歌の歌手はニコニコしていてよかったのですが、開口一番のニーハオが何とか欲しかった。ごく簡単でよいから中国語を使えばドッとどよめくのに、惜しいです。
 
 帰りの地下鉄の中、おじいちやん、おばあちゃんがどっと入ってきた途端、メガネの食い込んだ少女が、おじいちゃんどうぞ、と席を譲る。そのあと、自分は持参の小さな椅子にすわっておじいちゃんとぺちゃくちゃ。そういう国民性というか、儒教的かつフレンドリー・・?
 もちろん?お行儀の悪い人もいて、地下鉄の中で携帯。しかし、トンネル内でもしっかり通じるのは東京メトロ以上です。
 マナーといっても、初めて上海に行ったころと比べれば生活も向上し、正に衣食足りて礼節を知る、の国だけに、どこでもずいぶんよくなりました。

 本当に、日本は真の意味つまり空威張りや考えちがいでなくしっかりしなければならないと思った次第です。



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★6月17日 
Thursday, June 17, 2010, 11:32 PM
 政権交替のあと、思われるのはマスコミの問題です。今や正にマスコミこそが平均的日本人を代表して、報道やコメントをしている気がします。
 しかしてそれを担う人物は、主として西洋的教養?から事に処します。あるいはそれもない人もいるでしょう。
 大きな問題は、東洋的教養が欠けていて、逆に名君待望論的東洋思想のただ中にありながらそれを自覚しないため、為政者の個人的是非を云々していることです。
 これは学者にも大いに責任があり、つい数年前まで、憲法における「立法」概念について、通説?は、国家と国民との関係を規律する規範の定立行為などと、組織法に全く目をくれない官制大権的、明治憲法的、ドイツ的、中国的意識から抜け出していなかったのです。
 今、果たして本当に抜け出ているのか、大いに疑問と言わざるを得ません。
 このままでは本当に百年河清を待っても国家のコアの部分は変わらないでしょう。
 そんなことでは、つい最近の独立国にも劣る東洋の伝統的文化財?国家になってしまいます。

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★6月13日 
Monday, June 14, 2010, 12:01 AM
 東京の千代田区では、日枝神社のお祭りでにぎやかでした。
 東叡山寛永寺からみると南西に当たる江戸城の逆鬼門。いずれも比叡山・三井寺に対するもの。家康という人は常人の及ばぬ深い考えをもって江戸を造り、徳川の体制を造ったなと思われます。

 これらの社寺も江戸防衛のためですし、久能山のご神体に罪人を切らせた血塗りの刀を西国目指して向けさせた(葉隠などにあり)など鬼気迫るばかり。そのほかにも芝の増上寺の一角にある東照宮に自身の木像があることも、殿様の像がやられてはいけないと家臣が頑張るだろうという深謀遠慮かと思われます。
 鍋島直茂が敵に向けて小さな墓をこしらえさせたり、伊達政宗のお墓が仙台城の出丸というべき地点にあったり、戦国武将は戦略ということを本当に深く考えたなと思いますし、この発想は以前書いたフリードリッヒ大王も同類かと思われます(小さな墓で、愛玩していた6匹の犬と一緒)。
 
 ところが親の心子知らずで、三代家光ともなれば殉死した堀田正盛らは上野公園のそばに置いてけぼりで、自身の墓は日光に行ってしまう。
 正にここから葉隠のいう「上方風の打ちあがりたる武道」始まれり、という気がします。
 ところがこれを武士道なりと称している人が多いから困ったものです。
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★6月7日 
Monday, June 7, 2010, 11:16 PM
 友人で中国旅行などをいっしょにしたKさんがかつて言ったものでした。「日本人もドイツ人もスーツケースを蹴飛ばさない。やっぱりよく似ているなだよな」と(今は両方とも蹴飛ばし派?)。

 今、電車の中で読んでいる「ゲシュタポ・狂気の歴史」を読んでいるとつくづくそうだよね、と思われてきます。
 何世紀にもわたってお上の言うことに従順だった国民なんていう表現は日本人にすっぽり当てはまります。
 著者のジャック・ドラリュはあるナチ幹部の顔立ちの中に潜むモンゴリアンの血のことも取り上げます。彼らが歌い上げたアーリアン人種なるものが、あのあたりに純粋に存在したはずもない。
 ベルリンのニコライ地区を見れば明らかなスラブ文化があり、東方との共通性は顕著です。
 問題は、そんなわけなのに、「自分たちは特殊だ」と考える志向傾向。
 日本でも、いまだに日本人は特殊な民族、日本語は独自に発達した特殊な言語、などというありえない視野の狭い見方が大先生によって唱えられていることに大きな疑問を感じざるを得ません。
 まずは教科書をしっかり検証する必要を強く感じます。
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★5月29日 
Sunday, May 30, 2010, 12:03 AM
 1年過ぎた裁判員制度。ネーミング役さんたちは、順調な滑り出しなどと言っているようですが、何を基準に順調なのかさっぱりわかりません。司法への国民の理解が深まったなんていうのは正にお門違い。あそこは勉強の場ではないはず。適正な刑罰権の行使がなされているかこそが問題でしょう。
 ところが、わざと軽い刑で起訴してみたり何なりと・・・どうも(やはり)変。
 漏れ聞いたところでは、裁判員の恐怖感というかいやな気持ちを軽減するため、証拠を手直しとか。以前もマネキンが登場なんていうのもありました。とんでもないことです。
 怖いシーンを見ることができない裁判官が裁判官として不適格であるのと同様、見ることができない裁判員も裁判員として不適格です。適正な刑罰権の行使ができないのですから。もちろん、適正とは無罪の推定を受けている被告人の人権も踏まえてのこと(裁判員裁判も人民裁判じゃありません。当然有罪なんていう前提はありません)。
 早期にしっかり見直すべしです。
 
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★5月25日 
Tuesday, May 25, 2010, 11:00 PM
 近ごろ渋川春海の本が売れているそうですが、先日、その競争相手、関孝和の墓にお参りしてきました(仕事で近くに行ったので)。
 二人とも天文学、暦の大家といえます。
 そして、彼らにやや遅れて活躍した天文学者に、長崎の西川如見がいます。彼の華夷通商考には世界各国の情報が満載。ブラジルのアマゾン川からペルーの地震、中東では死海の話。ヨーロッパのグリーンランドまで。
 そんな本が出た同時代の本が葉隠であることを考えると、葉隠は余りにも遅れ過ぎだよ、と思うことも確かです。
 もっとも、春海にせよ如見にせよ、あれだけ広い見方をしながら、一方、日本は世界最高だ、なんて言っていることに、特に、地球の形をしっかり把握しながら、太陽が最初に上る国だから世界一などと言っていることに、なんという視野の狭さかな、と思うことも確かです。
 こういうことの原因をしっかり突き止めることが大事でしょう。

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★5月23日 
Sunday, May 23, 2010, 10:43 PM
 私に一人の中東出身の友人がいます。彼は、極めてまじめな性格です。彼が先日、ある相談をもちかけてきました。それは、彼の子供が運動会でケガをしたというものでした
 確かに学校に落ち度があります。しかし、交渉しても校長先生はのらりくらりとか。
 彼いわく「こうなった上は、校長先生にもケガをしていただきたい」。正にハムラビ法典の世界です。
 ところで、先日の鹿児島出張の際、書店で特攻隊の本を購入しました。鹿屋、知覧と、その基地が多かった鹿児島ならではです。
 その本の帯に、自爆テロといっしょにしてほしくない、との文字があります。
 何たる認識不足かと思いました。しかも、それによる影響も考えない正に平和ボケです。余りにも世界とかけ離れています。
 我々は、特攻隊の悲劇を繰り返してはならないばかりか、中東の上記のとおりまじめそのものの人々が起こすあらゆる意味で悲惨なあのような事件を起こさぬよう努力しなければならないはずです。
 そのためには、日本人はもっともっと広い視野を持つことが絶対に必要です。

 我有一個中東人的朋友。他常々在我事務所付近売地毯。
 他最近対我提出問題来商量。那個問題是以下。他的女児以前在小学体育運動中出了事故。女也骨折了。
 所為他gen校長交渉了。可是没有什麼進展。
 他説如果這様継続校長的骨也得折。這個意好像漢mu拉比法典。我覚得他是認真的人。
 対了。我前ji天去鹿児島。在鹿児島有日本二戦時特攻隊的書。在那個書上有一個文章。那個文章説這個死和自爆恐怖不一様。
 可是我不同意那個看法。日本的特攻隊和自爆恐怖的精神一様。我イ門要制止那個認真為国犠牲自己的想法。

 I have an honest friend.He is from middle east.
 The other day he asked me one problem.For,his daughter got hurt in the school event.
The school made a mistake.
 He has been negotiating with the school about the matter for long time,But it has been difficult to reach agreement about that.
 And he seid,the principal has to get hurt,too.This idea is the same as the idea of Hammrabi code.
 By the way, I went to Kagoshima the other day.I bought a book in there.It was a book about the kamikaze.
 On that book,There was the next phrase.
 The kamikaze is different from the suicidal explosion terrorism.
 I don't agree with this idea.And I think the writer doesn't know the world.
 We must pursuit the peace of the Middle East.And we doesn't repeat the tragedy of kamikaze.The sucide bomber and the kamikaze pilot were same honest person.



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★5月15日 
Saturday, May 15, 2010, 11:47 PM
 先日は、ある会合でA元B国大使の話を伺い、外務省でも若い人が外国に行きたがらないという慨嘆を拝聴しました。また、一昨日は、製造業におけるクリエイティブな発想をする人の減少が話題になりました。
 これらは確かに言えることだと思います。
 私がかつて教えた法科大学院で、カタカナ・難しい漢字の昔の本を(ただし、昭和時代)コピーして配ったら、こんなのは読めません、と。また、別の教授さんが大先生の本の抜き刷りを配ったので、その一節について、「では、どうしてそう言えるの?自分の言葉で言ってみて」と聞くと、「大先生の書かれた言葉なのでコメントできません」との「院生」の答え。これには、全く驚きました。
 しかも、もっと驚いたことに、そのご本人が、試験にめでたく合格して、ご立派なる地位に就いたこと。上記の方々ならず私も、こりゃ、この国は一体どうなるのかね、と思わざるを得ないのです。
 どうしてこんな現象が起きているのか。我々は早くその病気の原因を突き止め、処方しなければ、欧米はもとより、周辺諸国にも負けてしまいます(もちろん、今年、GDPは中国に逆転されます)。
 今は、日本製品ナンバーワンと思ってくれている中国の富裕層だって、なんだ、うちのだって負けていないや、と思う日が必ず来るでしょう。
 現に、20年くらい前のアメリカでは、ソニーを始めとする日本製品が最高で、今もそれなりの評価は受けているにしても、当時から見ると、相当落ちているのではないでしょうか。
いったいどうしてそうなってしまったのか、が問題。
 そこで病気の根源ですが、一言でいえば頭が古い。しかも、外側は新しいから始末におえない。例えば、以前離婚した外国の友人の奥さんは日本人で、いわゆるキャリアウーマン。年収何千万単位でかせぐカッコいい人ですが、思考方法は完全に東洋封建社会。全くグローバルじゃない。というようなのがよい例でしょう。もっと簡単にいえば、右翼!を称しているご本人が、着物という大陸伝来のものを着て、日本的!と称しているおかしさです。そういうのをマスコミは掃除できない(どころか、そちらの方が記事が売れる。つまりは読んだり観たりするほうが無能力という悪循環)。
 そして、その傾向が益々強くなって行くという少なくとも一面がありそうです。
 要は幼稚化、小学生化(きちんと言えば愚民化)。
 例えば、中国では以前(というより今でも)、裁判なんか起こすのはとんでもない、もっとおとなしくしていなさい、みたいな傾向がありましたが、今は、厳しい中で人権を推進する一派がいます。ところが日本では、お上によけいな手間隙をかけさせるようなことはやめるべし、「品格」を持て、みたいな傾向が強まっています。つまりはあの中国の逆です。
 どうしてあなたがたはそんなに頑張るの?(頑張るのが当たり前なのに)なんて聞いてきた裁判官は、今はどこやらの長官とやらをやっています。裁判を実際は担当しない裁判官を抱えているのが日本国民なのです。
 こんなことでは、当然、国民はアクティブじゃなくなるし、クリエイティブでもなくなります。
 この傾向の背後には、正に慶安のお触書的な、この日本ほどよいところはない、お前達はお上のいうことを聞いていればよろしい、という家光、綱吉以来の愚民政策、正に近世士道完成期の思想があります。
 そして、こんなによい国はない、という根拠が国定教科書的な、「お話」。歴史を論理ではなくお話で考える明治維新ドラマが大好きな、あるいは当たる国民性。それは本来的右翼の大物・大川周明が言うとおり江戸初期に作られてしまったもの。
 だから私は、それ以前の鎌倉、室町、戦国の時代の武士の生き方に戻るべし、と言っているのです。
 そのためには、古文の知識も必要ですが、これが今やだめ。もっとも、先日、T大の大学院に留学中の中国人に孝経の話をしたらご存じありませんでした(留学生枠は広いですが)。
 そんなことだと、日本だけでなく、中国も、そしてハングルにしちゃった韓国も、「自分」というものがわからず、その延長たる組織法がわからず、政策の末端だけを議論する今の国会やマスコミの風潮を止められない愚に陥りそうな気がします。
 この部分は、以前、木村三浩さんと誌上対談した折りも言いましたが、日本は今、組織法という体が病気なのであり、病気を直して(あるいは平行して)、国家の作用(法律的には作用法)を云々すべし、と言ったことにつながります。何とかの党とやらがこの部分を言ってはいますが甘い。
 とにかく大変です。



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