Tuesday, May 25, 2010, 11:00 PM
近ごろ渋川春海の本が売れているそうですが、先日、その競争相手、関孝和の墓にお参りしてきました(仕事で近くに行ったので)。二人とも天文学、暦の大家といえます。
そして、彼らにやや遅れて活躍した天文学者に、長崎の西川如見がいます。彼の華夷通商考には世界各国の情報が満載。ブラジルのアマゾン川からペルーの地震、中東では死海の話。ヨーロッパのグリーンランドまで。
そんな本が出た同時代の本が葉隠であることを考えると、葉隠は余りにも遅れ過ぎだよ、と思うことも確かです。
もっとも、春海にせよ如見にせよ、あれだけ広い見方をしながら、一方、日本は世界最高だ、なんて言っていることに、特に、地球の形をしっかり把握しながら、太陽が最初に上る国だから世界一などと言っていることに、なんという視野の狭さかな、と思うことも確かです。
こういうことの原因をしっかり突き止めることが大事でしょう。
| このエントリーのURL
Sunday, May 23, 2010, 10:43 PM
私に一人の中東出身の友人がいます。彼は、極めてまじめな性格です。彼が先日、ある相談をもちかけてきました。それは、彼の子供が運動会でケガをしたというものでした確かに学校に落ち度があります。しかし、交渉しても校長先生はのらりくらりとか。
彼いわく「こうなった上は、校長先生にもケガをしていただきたい」。正にハムラビ法典の世界です。
ところで、先日の鹿児島出張の際、書店で特攻隊の本を購入しました。鹿屋、知覧と、その基地が多かった鹿児島ならではです。
その本の帯に、自爆テロといっしょにしてほしくない、との文字があります。
何たる認識不足かと思いました。しかも、それによる影響も考えない正に平和ボケです。余りにも世界とかけ離れています。
我々は、特攻隊の悲劇を繰り返してはならないばかりか、中東の上記のとおりまじめそのものの人々が起こすあらゆる意味で悲惨なあのような事件を起こさぬよう努力しなければならないはずです。
そのためには、日本人はもっともっと広い視野を持つことが絶対に必要です。
我有一個中東人的朋友。他常々在我事務所付近売地毯。
他最近対我提出問題来商量。那個問題是以下。他的女児以前在小学体育運動中出了事故。女也骨折了。
所為他gen校長交渉了。可是没有什麼進展。
他説如果這様継続校長的骨也得折。這個意好像漢mu拉比法典。我覚得他是認真的人。
対了。我前ji天去鹿児島。在鹿児島有日本二戦時特攻隊的書。在那個書上有一個文章。那個文章説這個死和自爆恐怖不一様。
可是我不同意那個看法。日本的特攻隊和自爆恐怖的精神一様。我イ門要制止那個認真為国犠牲自己的想法。
I have an honest friend.He is from middle east.
The other day he asked me one problem.For,his daughter got hurt in the school event.
The school made a mistake.
He has been negotiating with the school about the matter for long time,But it has been difficult to reach agreement about that.
And he seid,the principal has to get hurt,too.This idea is the same as the idea of Hammrabi code.
By the way, I went to Kagoshima the other day.I bought a book in there.It was a book about the kamikaze.
On that book,There was the next phrase.
The kamikaze is different from the suicidal explosion terrorism.
I don't agree with this idea.And I think the writer doesn't know the world.
We must pursuit the peace of the Middle East.And we doesn't repeat the tragedy of kamikaze.The sucide bomber and the kamikaze pilot were same honest person.
| このエントリーのURL
Saturday, May 15, 2010, 11:47 PM
先日は、ある会合でA元B国大使の話を伺い、外務省でも若い人が外国に行きたがらないという慨嘆を拝聴しました。また、一昨日は、製造業におけるクリエイティブな発想をする人の減少が話題になりました。これらは確かに言えることだと思います。
私がかつて教えた法科大学院で、カタカナ・難しい漢字の昔の本を(ただし、昭和時代)コピーして配ったら、こんなのは読めません、と。また、別の教授さんが大先生の本の抜き刷りを配ったので、その一節について、「では、どうしてそう言えるの?自分の言葉で言ってみて」と聞くと、「大先生の書かれた言葉なのでコメントできません」との「院生」の答え。これには、全く驚きました。
しかも、もっと驚いたことに、そのご本人が、試験にめでたく合格して、ご立派なる地位に就いたこと。上記の方々ならず私も、こりゃ、この国は一体どうなるのかね、と思わざるを得ないのです。
どうしてこんな現象が起きているのか。我々は早くその病気の原因を突き止め、処方しなければ、欧米はもとより、周辺諸国にも負けてしまいます(もちろん、今年、GDPは中国に逆転されます)。
今は、日本製品ナンバーワンと思ってくれている中国の富裕層だって、なんだ、うちのだって負けていないや、と思う日が必ず来るでしょう。
現に、20年くらい前のアメリカでは、ソニーを始めとする日本製品が最高で、今もそれなりの評価は受けているにしても、当時から見ると、相当落ちているのではないでしょうか。
いったいどうしてそうなってしまったのか、が問題。
そこで病気の根源ですが、一言でいえば頭が古い。しかも、外側は新しいから始末におえない。例えば、以前離婚した外国の友人の奥さんは日本人で、いわゆるキャリアウーマン。年収何千万単位でかせぐカッコいい人ですが、思考方法は完全に東洋封建社会。全くグローバルじゃない。というようなのがよい例でしょう。もっと簡単にいえば、右翼!を称しているご本人が、着物という大陸伝来のものを着て、日本的!と称しているおかしさです。そういうのをマスコミは掃除できない(どころか、そちらの方が記事が売れる。つまりは読んだり観たりするほうが無能力という悪循環)。
そして、その傾向が益々強くなって行くという少なくとも一面がありそうです。
要は幼稚化、小学生化(きちんと言えば愚民化)。
例えば、中国では以前(というより今でも)、裁判なんか起こすのはとんでもない、もっとおとなしくしていなさい、みたいな傾向がありましたが、今は、厳しい中で人権を推進する一派がいます。ところが日本では、お上によけいな手間隙をかけさせるようなことはやめるべし、「品格」を持て、みたいな傾向が強まっています。つまりはあの中国の逆です。
どうしてあなたがたはそんなに頑張るの?(頑張るのが当たり前なのに)なんて聞いてきた裁判官は、今はどこやらの長官とやらをやっています。裁判を実際は担当しない裁判官を抱えているのが日本国民なのです。
こんなことでは、当然、国民はアクティブじゃなくなるし、クリエイティブでもなくなります。
この傾向の背後には、正に慶安のお触書的な、この日本ほどよいところはない、お前達はお上のいうことを聞いていればよろしい、という家光、綱吉以来の愚民政策、正に近世士道完成期の思想があります。
そして、こんなによい国はない、という根拠が国定教科書的な、「お話」。歴史を論理ではなくお話で考える明治維新ドラマが大好きな、あるいは当たる国民性。それは本来的右翼の大物・大川周明が言うとおり江戸初期に作られてしまったもの。
だから私は、それ以前の鎌倉、室町、戦国の時代の武士の生き方に戻るべし、と言っているのです。
そのためには、古文の知識も必要ですが、これが今やだめ。もっとも、先日、T大の大学院に留学中の中国人に孝経の話をしたらご存じありませんでした(留学生枠は広いですが)。
そんなことだと、日本だけでなく、中国も、そしてハングルにしちゃった韓国も、「自分」というものがわからず、その延長たる組織法がわからず、政策の末端だけを議論する今の国会やマスコミの風潮を止められない愚に陥りそうな気がします。
この部分は、以前、木村三浩さんと誌上対談した折りも言いましたが、日本は今、組織法という体が病気なのであり、病気を直して(あるいは平行して)、国家の作用(法律的には作用法)を云々すべし、と言ったことにつながります。何とかの党とやらがこの部分を言ってはいますが甘い。
とにかく大変です。
| このエントリーのURL
Sunday, May 9, 2010, 10:33 PM
ゴールデンウィークは、初日、やりつけないスポーツのために埼玉県の比企郡まで行きました。そこにあった立て札が、「足利基氏館跡」。なるほど、こんなところで関東の豪族と対峙していたのか、と、ジーンと来ました。以前にも、彼が夢窓疎石に帰依して禅を修養しつつも、死から逃れられないことを率直に語った文章に、心打たれるものがあることを記しましたが、正にその場所があそこのあたりであったとは。
父である足利尊氏は京都で戦争。息子は関東と、大きなものを感じます。
中間は、その足利系の故地が並ぶ鎌倉の北東部を歩きました。足利と対抗した北畠顕家が、今の青森から長躯鎌倉の杉本城を攻め、更に近畿地方に進出して石津で敗死したというのもすごいものです。
昔の人は、規模が大きい。
最後は久しぶりに鹿児島に仕事に行き、新幹線の威力にびっくり。昔の西鹿児島の面影はどこへやら。鹿児島中央駅の大きさと活気には驚きました。
そして、駅の前に昔と同じく立つ「若き薩摩の群像」のモニュメントには、どこかの県のように、大臣をやったおじいさん数名を「偉い人」とやっているのとは全く異なる薩摩の発想のすごさを感じました。
そしたら、たまたま通ったのが、ザビエル公園のそば。そこにもモニュメントあり。やっぱり鹿児島の大きさは、こういう国際性のなせるわざかな、と改めて国際的であることの「効用」を考えたものです。
薩長土肥の藩閥が、日本を破滅に導いたともいえますが、とにもかくにも日本を変えた薩摩の大きさだけは改めて考えたいものです。
例えば、佐賀藩の反射炉の遺構らしきもの?が最近掘り出されていますが、例の尚古集成館で昔みたその大きさは、多分佐賀より大きいですし、もちろん韮山どころではありませんでした。しかも、今回、指宿枕崎線に乗ってみると、そういう遺構がまだ外にもありそうです。薩長土肥じゃなくて、やっぱり薩長の二つだよね、と、改めて思いました。
| このエントリーのURL
Saturday, May 1, 2010, 11:58 PM
29日、日本では叙勲ということが行われました。この日本の叙勲なるもの、その本質は、社会的地位に対するものであって、実質的な功績に対するものとはいえません。新聞にも地位が書いてあります。そもそも、長いこと存在した勲何等という「数字」。正に中国文明そのものですが、一体、本家?の中国ではどうなってますか?と、中国の人に聞いてみると、そんなのありませんよ、との答えが。
確かに、共産主義の時代は平等平等で、軍隊の階級までなくしてしまったこともありました。
ただし、「何とか英雄」という実績に応じたご褒美や称号はあるとのこと。
詳しく調べてはいませんから不正確かもですが、地位に応じて勲章をあげるなどというお公家さん的で、しかも、公務員など、給料のかわりに名誉をあげる、などという不明朗で馬鹿げた、「実(戦国武将)」から外れたものは、廃止すべきだと思います。
そんなことを考えていると・・・このたび上海万博を始めた最近の中国は、国全体が一種の会社みたいなもの(ただし、少々古いタイプ)になったな、という気がしてきました。
会社では、単なる地位に対してご褒美なんてあげられません。実績です。売上です。一方、会社の中では、やたらに会社の批判はできないのが実情(?といっても、もちろん色々)。自由がないのは、あの国がいわば国ぐるみでどでかい会社になった、ともいえる。日本でも、どでかい会社の方が自由に物を言えない傾向あり。
そして、その会社が、正に世界で利潤追求に走っている。その意味で効率がよいというのも事実。
これについては地震がよい例で、台湾の高雄地震の時、馬英九総統は緊急勅令を簡単に出さないという民主的行動を取ったがために、対応が遅いとして非難されました。日本の阪神地震も同じ。
それに対して四川地震では早速軍隊出動(最近の青海地震はまた一味違うか)。
民主主義が決して負けないように、その本質の「研ぎすまし」が必要と思っています。研ぎすましの中身は、長い話になりますが。
| このエントリーのURL
Tuesday, April 20, 2010, 11:21 PM
最近、仕分けなるものの第2弾が始まっているので、一言。ただし、関係者もあるので日本語は省略。前ji天、我和我的客人一起去一個日本的政府機関。在那個機関的大sha一個復印処。
在那個復印処hen多那個機関的退休人。
当然有一些復印機。
問題是復印費。那個復印費是一張五十日円。彩色復印是一張八十日円。
為shenme那me貴。因為対那個職員来説那個工作是晩年最重要的工作。他イ門用那
個費用和養老金生活。
可是、這個制度hen奇怪。
在日本、我イ門有hen多一様的奇怪制度。
可能在中国、在別的東洋国也有。
我イ門亜州人得改進那個旧的制度。
そこで、アジア人として考えるのは、
対思索官僚主義、我想起鎌倉時代。我覚得、那個時代、在日本官僚主義比較少。因為那個時代京都政権的力量比較小。所以我対那個時代有興趣。我希望用那個時代的思想改進我イ門現在的文化。
| このエントリーのURL
Wednesday, April 14, 2010, 12:33 PM
仕事場近くにあるラーメン屋さんでラーメンを作っているのはミャンマーの外科のお医者さん。故有って日本で生活しています。「ミャンマーでは水かけ祭りの季節ですね」と話すと、「よく知っていますね」と喜んでいました。今の季節はミャンマーも、今回の騒動が起きているタイも、正月です。
「ミャンマーの最近は、全て金次第になってしまいました」と彼は言います。日本だったらアウトローにカスリを取られるかもですが、あらゆる場面で取られるので、江戸時代の日本で言えば、何公何民の公が莫大になるとのこと。今の政権は、ちょうど江戸時代の日本にそっくりであることも思い出されます。
私も3度ほど行きましたが、電気のついている建物とそうじゃない建物が隣り合わせており、それは上記の次第によるとのこと。
それにしても、ヤンゴンから北上するマンダレー街道の広さと、途中にある橋の立派さは、かつての宗主国イギリスの強大さをまざまざと見せつけます。
久留米の18師団の一員として、北部ビルマの戦闘に参加した身内は、イラワジー川(エーヤワディー川)にかかるサガインの鉄橋を見て、筑後川にかかる豆津橋との大きさの違いにびっくりしたと言っていましたが、私も両方を見て、同様な感想を持ちました。ヤンゴン市内に今も残る競馬場の大きさを見ただけでも、その国力はわかります。
昨日は別のところで、アメリカ人と話して、ガダルカナル、ソロモン海海戦の話になり、「私の先生は、その海戦で捕虜になり、カリフォルニアにいたんですよ」と言うと、「すごい」。そして、日本の戦車とアメリカの戦車の装甲の厚みの話に。
留学経験がありながら、あの無謀な戦争を始めてしまった当時の上層部の罪はまことにけしからぬものですが、一方、一応のエリートがなぜそういうことを決断したか、という「心理学?」が大事でしょう。
これは、現代においてもほとんど手付かずのテーマ(もちろん、分かっている人は分かっていますが、国民に普遍的でない)でしょう。
昨年、行政訴訟制度の視察で台湾に同行した神戸大学のY先生も同様な問題意識でしたが、ここを普遍化させることは、学者の使命でもあると思っています。
| このエントリーのURL
Sunday, April 11, 2010, 10:42 PM
10日の話の続きです。平沼騏一郎というと、日本史では、独ソの提携に直面して「欧州の政情は複雑怪奇」というような言葉を残して退陣した総理大臣として出てきますが、元々は大審院検事などを務めた保守派、というより「国本」などで有名な右翼の政治家です。
しかし、それほど単純な人ではなく、近衛文麿さんと近く、ナチスなどに心酔する人々に対してあんなものにかぶれるのは日本人としておかしい、とも言った人です(近衛さんが、そのヒットラーの格好をして仮装した写真があったりするのが誠に残念なのですが)。
このころの極端右翼の行動をみると、東大の先生でありながら憲法の講義の前には拍手を打ってそれを行ったというコチコチのKさんでも、その後、今の長春にあった満州建国大学に行った折だったか、韓国でだったか、しっかり地元の衣装に身を包み、「こうでなければならぬ」と言ったとか。
K元教授の本を所持し、時々紐解いてはあきれている私としては、それを出したのがあの岩波書店であるということにも何ともいえないものを感ずるとともに、一方、今の保守派ほど単純ではないよな、とも思うところです。
上記の人とも関係ある政党の再編なのか分裂なのか・・・、色々動いてはいますが、このあたり、下に書いた元学生運動という問題とともに、「二代目や三代目」の問題は、同じ保守でも考えの厚みは先祖に及ばずという気がしてなりません。
いずれにもいえることは「ステレオタイプ」ということではないでしょうか。考えてみると、マスコミが正にそうであり(先日話したマスコミ人、政治家、ともに、ジャーナリストが「正解」を求めている、と嘆いていました。保守は、こういう行動パターンでなければならぬ、とか)、教育、言論の罪が大きかったかなと思われてきます。
| このエントリーのURL
Saturday, April 10, 2010, 12:58 PM
テレビを看ていたら、自民党の再船出。民主党と同様に「ガンバロー」の掛け声。あれって、以前、社会党などがやっていたスタイルだったよな、と思っているうち思い出したのが霞ヶ関での話。それは「右翼」の皆さんの集会で、一区切りついてから聞こえたのが「シュプレヒコール!」という掛け声。そして、何とかいうスローガンの連呼が始まりました。あれって、その昔「左翼」がやってたやり方だよね、と思わざるを得ませんでした。
こんな調子で、「右」も「左」も同じスタイルの昔の左翼方式。これじゃ政治がうまくいくはずないよと。
要するに70年安保式で、考えの底が浅い.
マッカーサーならずとも、これでは「日本人は12歳」と言われてしまいます。
| このエントリーのURL
Monday, April 5, 2010, 11:23 PM
仕事上のこともあって、台湾の少数民族(といってもいわゆる高砂族でななく数百万の人口を持つ)の会に参加しました。同じテーブルに座った年配の方にニイハオと呼びかけると、「僕は北京語は嫌いなんだよ」との答えが。聞けば日本の元陸軍中尉で、大陸は大嫌い、日本は台湾でよいことをたくさんした、とのお話。
「うん、なるほど。でも、最近の一部のように、日本人がそういうことを言ってはおしまいですね。要は植民政策として行ったのであって、反射的利益とは関係ありませんし、大陸よりましだっただけのこと。亡くなった私の昔からの知り合いが『僕の体の半分は日本人なんだよ。この気持ちわかるかい』と言われたことを思い出すと、何とも言えない気持ちになります」というと、じっと考えていたその人、だんだんと打ち解けて、「自分は弁護士の○○さんと友達だったんだ」と。「ああ、先日亡くなった方ですよね。実は私も、事件の相手方でしたが、それが終わってから仲良し?になりました。私から独立した勤務弁護士が、彼の手伝いで、台湾の従軍慰安婦を最高裁までやりましたよ」などなどの会話。
本当は、正にその人にこそ、「日本人」を話題にすることは酷ともいえます。その方こそ天皇陛下の股肱の臣(軍人勅諭)として、正に帝国軍人としての教育を受けた、今の日本人以上の「日本人だった!」のですから。聡明なその方は、複雑な思いを抱きつつ許して下さると思って、その言葉を使いました。
そして、日本大好き、大陸嫌いの元日本陸軍中尉が、従軍慰安婦の件で日本政府を追及してきた弁護士と仲良し。
このことにこそ台湾というところの複雑さが、ごく一端とはいえあるのであり、我々は、決してステレオタイプな思考に陥ってはならないことを示しています。
別れ際に、「今日は面白い経験をさせてもらってありがとう」と、気さくに握手して別れたあの方のご長寿と今後益々の有意義な人生を祈ってやみません。
若い日本人が、何とかここのところを解り、真のアジアと世界の平和を考えてほしいと思います(もちろん素朴な理想論ではなく)。
| このエントリーのURL
戻る 進む