Tuesday, April 20, 2010, 11:21 PM
最近、仕分けなるものの第2弾が始まっているので、一言。ただし、関係者もあるので日本語は省略。前ji天、我和我的客人一起去一個日本的政府機関。在那個機関的大sha一個復印処。
在那個復印処hen多那個機関的退休人。
当然有一些復印機。
問題是復印費。那個復印費是一張五十日円。彩色復印是一張八十日円。
為shenme那me貴。因為対那個職員来説那個工作是晩年最重要的工作。他イ門用那
個費用和養老金生活。
可是、這個制度hen奇怪。
在日本、我イ門有hen多一様的奇怪制度。
可能在中国、在別的東洋国也有。
我イ門亜州人得改進那個旧的制度。
そこで、アジア人として考えるのは、
対思索官僚主義、我想起鎌倉時代。我覚得、那個時代、在日本官僚主義比較少。因為那個時代京都政権的力量比較小。所以我対那個時代有興趣。我希望用那個時代的思想改進我イ門現在的文化。
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Wednesday, April 14, 2010, 12:33 PM
仕事場近くにあるラーメン屋さんでラーメンを作っているのはミャンマーの外科のお医者さん。故有って日本で生活しています。「ミャンマーでは水かけ祭りの季節ですね」と話すと、「よく知っていますね」と喜んでいました。今の季節はミャンマーも、今回の騒動が起きているタイも、正月です。
「ミャンマーの最近は、全て金次第になってしまいました」と彼は言います。日本だったらアウトローにカスリを取られるかもですが、あらゆる場面で取られるので、江戸時代の日本で言えば、何公何民の公が莫大になるとのこと。今の政権は、ちょうど江戸時代の日本にそっくりであることも思い出されます。
私も3度ほど行きましたが、電気のついている建物とそうじゃない建物が隣り合わせており、それは上記の次第によるとのこと。
それにしても、ヤンゴンから北上するマンダレー街道の広さと、途中にある橋の立派さは、かつての宗主国イギリスの強大さをまざまざと見せつけます。
久留米の18師団の一員として、北部ビルマの戦闘に参加した身内は、イラワジー川(エーヤワディー川)にかかるサガインの鉄橋を見て、筑後川にかかる豆津橋との大きさの違いにびっくりしたと言っていましたが、私も両方を見て、同様な感想を持ちました。ヤンゴン市内に今も残る競馬場の大きさを見ただけでも、その国力はわかります。
昨日は別のところで、アメリカ人と話して、ガダルカナル、ソロモン海海戦の話になり、「私の先生は、その海戦で捕虜になり、カリフォルニアにいたんですよ」と言うと、「すごい」。そして、日本の戦車とアメリカの戦車の装甲の厚みの話に。
留学経験がありながら、あの無謀な戦争を始めてしまった当時の上層部の罪はまことにけしからぬものですが、一方、一応のエリートがなぜそういうことを決断したか、という「心理学?」が大事でしょう。
これは、現代においてもほとんど手付かずのテーマ(もちろん、分かっている人は分かっていますが、国民に普遍的でない)でしょう。
昨年、行政訴訟制度の視察で台湾に同行した神戸大学のY先生も同様な問題意識でしたが、ここを普遍化させることは、学者の使命でもあると思っています。
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Sunday, April 11, 2010, 10:42 PM
10日の話の続きです。平沼騏一郎というと、日本史では、独ソの提携に直面して「欧州の政情は複雑怪奇」というような言葉を残して退陣した総理大臣として出てきますが、元々は大審院検事などを務めた保守派、というより「国本」などで有名な右翼の政治家です。
しかし、それほど単純な人ではなく、近衛文麿さんと近く、ナチスなどに心酔する人々に対してあんなものにかぶれるのは日本人としておかしい、とも言った人です(近衛さんが、そのヒットラーの格好をして仮装した写真があったりするのが誠に残念なのですが)。
このころの極端右翼の行動をみると、東大の先生でありながら憲法の講義の前には拍手を打ってそれを行ったというコチコチのKさんでも、その後、今の長春にあった満州建国大学に行った折だったか、韓国でだったか、しっかり地元の衣装に身を包み、「こうでなければならぬ」と言ったとか。
K元教授の本を所持し、時々紐解いてはあきれている私としては、それを出したのがあの岩波書店であるということにも何ともいえないものを感ずるとともに、一方、今の保守派ほど単純ではないよな、とも思うところです。
上記の人とも関係ある政党の再編なのか分裂なのか・・・、色々動いてはいますが、このあたり、下に書いた元学生運動という問題とともに、「二代目や三代目」の問題は、同じ保守でも考えの厚みは先祖に及ばずという気がしてなりません。
いずれにもいえることは「ステレオタイプ」ということではないでしょうか。考えてみると、マスコミが正にそうであり(先日話したマスコミ人、政治家、ともに、ジャーナリストが「正解」を求めている、と嘆いていました。保守は、こういう行動パターンでなければならぬ、とか)、教育、言論の罪が大きかったかなと思われてきます。
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Saturday, April 10, 2010, 12:58 PM
テレビを看ていたら、自民党の再船出。民主党と同様に「ガンバロー」の掛け声。あれって、以前、社会党などがやっていたスタイルだったよな、と思っているうち思い出したのが霞ヶ関での話。それは「右翼」の皆さんの集会で、一区切りついてから聞こえたのが「シュプレヒコール!」という掛け声。そして、何とかいうスローガンの連呼が始まりました。あれって、その昔「左翼」がやってたやり方だよね、と思わざるを得ませんでした。
こんな調子で、「右」も「左」も同じスタイルの昔の左翼方式。これじゃ政治がうまくいくはずないよと。
要するに70年安保式で、考えの底が浅い.
マッカーサーならずとも、これでは「日本人は12歳」と言われてしまいます。
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Monday, April 5, 2010, 11:23 PM
仕事上のこともあって、台湾の少数民族(といってもいわゆる高砂族でななく数百万の人口を持つ)の会に参加しました。同じテーブルに座った年配の方にニイハオと呼びかけると、「僕は北京語は嫌いなんだよ」との答えが。聞けば日本の元陸軍中尉で、大陸は大嫌い、日本は台湾でよいことをたくさんした、とのお話。
「うん、なるほど。でも、最近の一部のように、日本人がそういうことを言ってはおしまいですね。要は植民政策として行ったのであって、反射的利益とは関係ありませんし、大陸よりましだっただけのこと。亡くなった私の昔からの知り合いが『僕の体の半分は日本人なんだよ。この気持ちわかるかい』と言われたことを思い出すと、何とも言えない気持ちになります」というと、じっと考えていたその人、だんだんと打ち解けて、「自分は弁護士の○○さんと友達だったんだ」と。「ああ、先日亡くなった方ですよね。実は私も、事件の相手方でしたが、それが終わってから仲良し?になりました。私から独立した勤務弁護士が、彼の手伝いで、台湾の従軍慰安婦を最高裁までやりましたよ」などなどの会話。
本当は、正にその人にこそ、「日本人」を話題にすることは酷ともいえます。その方こそ天皇陛下の股肱の臣(軍人勅諭)として、正に帝国軍人としての教育を受けた、今の日本人以上の「日本人だった!」のですから。聡明なその方は、複雑な思いを抱きつつ許して下さると思って、その言葉を使いました。
そして、日本大好き、大陸嫌いの元日本陸軍中尉が、従軍慰安婦の件で日本政府を追及してきた弁護士と仲良し。
このことにこそ台湾というところの複雑さが、ごく一端とはいえあるのであり、我々は、決してステレオタイプな思考に陥ってはならないことを示しています。
別れ際に、「今日は面白い経験をさせてもらってありがとう」と、気さくに握手して別れたあの方のご長寿と今後益々の有意義な人生を祈ってやみません。
若い日本人が、何とかここのところを解り、真のアジアと世界の平和を考えてほしいと思います(もちろん素朴な理想論ではなく)。
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Saturday, April 3, 2010, 10:47 PM
アジアのA国裁判所の方から質問がきました。その国では、死刑についてあることをきっかけにより議論がなされるようになり、人権団体が死刑は違憲であるとの裁判を起したとのこと。それで、裁判所も慎重に考えているとのこと。
で、質問というのは、日本では裁判所が死刑判決を出したあと、慎重を期するため、自身で上訴する制度はないか、ということ。もう一つは、上告審は、死刑事件についてやはり慎重を期するため、必要的に口頭弁論を開くことになっていないか、ということです。
答えはいずれも否定。
前者については、むしろ検事が、いわば裁判官の監視役みたいなもので、死刑が課せない事件に裁判所が誤って課したような場合、控訴できます(この点は、明治以来、本当に検事には監督権がありました。江藤新平のやったことは、実はそういうことなのであって、神様みたいにいうのは間違っているのです。一定の意義を認めるのはよいのですが。つまり、お相撲の行事と審判みたいな関係です〔本当は、怖いことです〕)。
後者の問題についての典型は、三鷹事件。死刑事件を、口頭弁論を開くことなく、1票差で死刑の原判決維持としました(なお、当該死刑囚は獄中死)。
今、日本の多くの法律家は、上記の問題について議論の必要性さえ感じていないのが実態でしょう。
日本が色々な意味でアジアで置いてきぼりになっていく危険性を感じます。こういうことは統計に出る訳でないだけに厳しい。
そんな中で、企業がどうあるべきか、といったことまで考えてしまいます。
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Sunday, March 28, 2010, 10:26 PM
ある行事に参加するために台湾に行ってきました。いささかあやしい北京語(普通話)で挨拶もして、いつもながらの大歓迎でした。
しかし、私の語学力(?)が上がるたびに、多分それが台湾の北京語とは異なるせいでしょう、若い時からの友人から「ジャ ツン シャオ は大陸に搦め取られちゃうんじゃないか」との心配の声もありました。
「とんでもない。台湾は第二のふるさと」が私の答えです。
小学生以来、家族を入れると明治時代から。それを思えば台湾は親戚以上の間柄です。だからこそ真に台湾の人の為になる行動をとりたい。
そうなると、いわゆる親台の最近の人とは違う考えになります。
今回の訪問では、昨年にも増して大陸からの訪問客を見ました。雲南、安徽省、済南などなど。そういうところの人が、台湾の片田舎ともいえるところまでやってきています。
この現象は、相互理解の観点からは、よいことでしょう。あたかも20年前の東ドイツ崩壊のように、民主主義の実態を大陸の人が見ることはかえって大陸の、少なくとも国民にとっては、お手本になるでしょう。私の中国語の先生も先日台湾を訪問してそう言っていましたし、大陸の人も分かっています。何より、大陸もこれまた複雑なのですから。
それどころか、日本こそ台湾に学ばねばならないことがたくさんあります。
そして、私の友人が空港で、カメラを向けたら直ちに停止を命ぜられたように、厳しい一権力がそこに存在することも必要です(友人さん、ごめんなさい)。
そして一方、西洋の数百年前の産物である国境とか国観念を、真にアジアの地から考え直し、アジア人として互いに経済的に発展する道を探ること、これこそが我々の、特に今の実態を作った日本人のなすべきことと思います。
そのためには何が必要か。それは、真の日本の歴史を知ること、いや、これこそ本当の日本のもの、どうぞご参考にしてくださいといえる、オリジナルで価値の高い、「思考の日本製品」を探り当てることです。裁判員制度のように、ヨーッロパとアメリカのミックスのようなものを、どこかの名誉教授のように「日本の制度」などと言うのではなく。
前ji天我去台湾訪問東部地方。
在那個地方有一個寺廟。那個寺廟和我hen老的関係。
我参加在那個寺廟的ju会。那個ju会、従全台湾来hen多法尚和尼niang。
在那個会我説一点er講演。
結束以後我訪問離那個寺廟近的一個慈善団体。那個団体的領導是一個尼niang。
一個女士説明那個団体的意思。女也説這個団体和政治和宗教没有関係。
比如説、那個団体在印尼的地震的時候対再建伊期蘭寺廟寄付了。在高雄発生地震的時候那団体也対再建少数民族的基督教堂寄付了。
所為我対女也的説明感動了。
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Tuesday, March 23, 2010, 11:26 PM
地下鉄の中で、久しぶりに旧知のMさんに会って、2駅ばかり話しをしました。以前、最近の役所の判断は、自分の方がおかしいのかと思ったら、嘉村さんと話していて、そうじゃないことがわかってほっとした、なんて話したことのある人です。
去年9月の台湾行政法院視察の話をしたらまたまた意気投合。
それに、北マリアナ連邦では、これまでに2人の裁判官が国民審査で罷免されたんですって、というと、ウーンなるほど。
あの国の裁判所に行くと、裁判官のプロフィールが玄関に貼ってあり、みんなが裁判官の実態を知っています。そういう「制度」がやはり大事なんだろうな、と思います。
江戸時代、制度通を書いたのは伊藤東涯。今でもこれを読まないと、役所制度の本質はわからないと思います。伊藤仁斎についで古学を深めた荻生徂徠も制度を大事にしました。つまりは、今風でいえば組織法ですが、内閣官制が勅令によったとおり、我々はこれに口出しできない体質を持っています。かろうじてみんなの党とやらがそれらしきことを言っていますが、戦時体制とか言って不徹底。奈良時代以前からです。
脳みそにこびりついた観念を剥ぎ取ること、それは難しいです。
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Saturday, March 20, 2010, 10:59 PM
なが年、中近東の遺跡を掘っておられる先生に久しぶりに会って談論風発。様々なところで意見が一致しました。そして、自分の位置も再確認した気がします。つまり、自分は実務家なのだと。
以前も書いたとおり、かつて上海にあった東亜同文書院の根津一校長は、入学式で、「物事の蘊奥を究めたければ大学に行け。ここでは、今何をしなければならないかを考究する。」という趣旨のことを言われたとか。根津校長が陸軍士官学校出だあったとおり、自衛隊の小平学校(元陸軍経理学校)の校歌にも同様の趣旨のことがあります。
そして、今何をするかということは、今、歴史の1ページを作っていくということです。それが実務家であり、また、本来は国民自身でなければいけません。
そして、それができるには、過去のページも知る必要があります。あくまでも実務家として。
しかるにそれができていないのが今の政治家であり多くの国民ではないでしょうか。
下の方にも書いたとおり、我々人間も、実はひとつの遺跡にほかなりません。その自分を知ることが今後の理想を追求する元と、とりあえず思ったことでした。
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Tuesday, March 16, 2010, 10:49 PM
年度末は何かと忙しく、間が空いてしまいました。忙しいといえば、週に何度も走り抜けるのが東京駅の改札口。
その東京駅は、このところ昔に返す復元工事中ですが、一体、復元の意味があるのかどうにも疑問です。
あの建物、佐賀の辰野謹吾の設計ですが、よく言われるとおり、オランダのアムステルダム中央駅にそっくり。というより、それを簡略化したものといってよいでしょう。
保存でもめた、その真ん前の中央郵便局も、1月に書いたオットー・ワグナーのウイーンにある郵便貯金局によく似ています。国会議事堂がロサンゼルスの市庁舎にそっくりだったり、最近できた四ッ谷駅がこれまたワグナーの造ったカールスプラッツ駅にそっくりなどなど。
こうしたそっくりも、全てが悪いとは必ずしも言いません。
なぜならこれらの建物は「道具」なのですから、さっさとよいものを造って利用すればよかっただけのことで、鍋島直茂の実に通じます。
ただし、であれば、用済みとなればさっさと壊すべきで、物まねを文化財などと言って保存しようとするのは、正に滑稽と考えるのです。
それよりも、真にオリジナルの「日本の」作品を造ってこそ、保存を云々するのが当然でしょう。
その意味からは、東洋伝統の建築にこだわっている中国や台湾の行き方こそ正しいものと思われてきます。
また、このような建物だけでなく、意識しない思考、思想が外来であるにも関わらず、オリジナルと思い込み、見当違いの誇りや果ては排外主義にまで至ることは絶対に避けたいものです。
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