Thursday, January 7, 2010, 12:04 PM
謹賀新年年末年始は、バックパッカーとしてヨーロッパを回ってきました。これでないと、真実に少なくとも近づくことはできないと思いますから。
数々の哲学者の故地を巡りましたが、武士道の観点から言うと、ポツダムにあるフリードリッヒ二世(大王)の墓が何といっても印象的でした。数奇な運命をたどった大王の遺体は、やっと最近(統一後)になって、ポツダムの夏の離宮・サンスーシの葡萄棚の奥に、かわいがっていた6匹の犬の遺体とともに、一枚のプレートをわずかにその位置を示すものとして埋まっています。それは、華美とは全く無縁で、好物だったジャガイモが2、3個、10センチ近く積もった雪の中に備えてありました。
正にこれは、しばしば記す鍋島直茂と全く同じ発想です。プロシャという国が、なぜあのような強国になれたのかを示す強烈なメッセージであると思いましたし、発想は東も西も同じだな、と。
雪踏み分けて訪ねると、突然マイクを突き出されて、テレビ取材されるというおまけまでついて面白かったです。
東、西といえば、(表向き)37人も子供を作らせて、徳川家をつぶしたどこかの藩の藩主と、16人も子供を「生んで」、強国オーストリアを造ったマリア・テレジアとの「差」も、極めて示唆に富むものだったと思います。
我々は、「本物」を見極める目を持たねばならないとつくづく思ったことでした。
ちなみに、以下は今年の年賀状の原稿です。
謹 賀 新 年
臣不肖司法の長官を拝命し、部事の不煕を以て其責に任可云々の御委任を蒙り候に付、即ち夙に夜考慮仕候処、并立の元は国の富強にあり。富強の元は、国民の安堵にあり。安堵の元は、国民の位置を正すにあり。夫尚国民の位置正ざれば、安堵せず。
安堵せざれば其業を勤めず、其耻を知らず、業を勤めず、恥を知らず、何を以て富強ならんや。所謂国民の位置を正すとは何ぞや。婚姻・出産・死去の法厳にして、相続・贈遺の法定り、動産・不動産・貸借・売買・共同の法厳にして、私有、假有・共有の法定り、而て聴訟始て敏正、之に加て国法精詳、治罪法公正にして、断獄初て明白。是を国民の位置を正すと云なり。ここに於て民心安堵財用流通、民始て政府を信ずる深く、民始て其権利を保全し、各永遠の目的を立、高大の事業を企つるに至る。
昨年九月、台湾高雄行政法院を訪問し、その入口にあった言葉から思い出した江藤新平の言葉です。
ただし、これの解釈も極めて大事で、決して江藤新平が、神様みたいな民主主義者というわけではありません。彼が当時作ったといわれる「司法事務」というものを、あたかも現代的司法権独立の制度と同じと紹介する向きがありますが、誤りです。上記も世界的な司法発展過程の一コマにすぎません。ただし、常に振り返るべきものと思うわけです。特に最近は。
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Saturday, December 26, 2009, 11:18 PM
今日はある会合で、ボランティアの話。ボランティアと武士道とはつながるんです、と、以前、別の会で話したら、「は?」みたいなことになりました。しかし、鎌倉以来、これは武士の重要な生き方ですし、葉隠にも色々出てきます。だから、四誓願には「大慈悲を起し、ひとの為になるべきこと」です。
また、究極のボランティアといえば、お国の為に死ぬこと、ということになるでしょう。そういうボランティアが、無駄死にになってはいけない。もちろん、為政者が騙してボランティアに国民を駆り出してはいけない。
ここに武士道とボランティアとの究極的論点があるのかもしれません。
以上、今日の話に補足して。
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Wednesday, December 23, 2009, 05:06 PM
テレビで「坂の上の雲」をやっているとの話。あれはあくまでも小説であって、事実ではないはずで、そこのところはよく踏まえて観るべきでしょう。私は、小説にはほとんど関心がないので、司馬さんの小説は全く読んでいませんが。
彼の「街道を行く」は、三浦半島や台湾を読みましたが、さほど感心しません。三浦半島記は正にスカスカの本です。では、三浦半島についてのお勧め本はというと、永井道子さんの「相模の武士(もののふ)たち」。何十年も前に、鎌倉を歩く永井さんを拝見しましたが、正に足で書いた本です。素晴らしい内容の充実度です。
台湾紀行について、彼の東台湾旅行を案内したのは、知り合いの地元金融機関の理事Kさんでした。それで、早速読んでみましたが、東部・花蓮での宿泊先は地元では超高級の部類に入る、郊外のTホテルでした。あんな高級ホテルに泊まって、複雑な台湾がわかるはずがないよ、と思ったものです。
それで、読んでもいない「坂の上の雲」ですが、こんな議論を読みました。乃木大将が、第3軍司令官として203高地を攻めたとき、攻めあぐねたあげく、児玉源太郎が、一時その指揮権を譲り受けて例の28サンチ榴弾砲を使い、ロシアを陥落させたというのです。
しかし、そんなことが書いてあるとすれば大問題で、乃木大将は上記のとおり第3軍の司令官。児玉は満州軍総参謀長です。その参謀長が司令官の権限の譲り渡しを受けるなどというのは、それこそ組織法に完全に違反することで、法実証主義の当時の人の意識からしても、ありえないことです。
つまりは、ここ数回書いていることと同じ議論です。このあたりがあやふやになることを容認していることに、現代日本人の深い問題点を感じるわけです。
それにしても、あの旅順の辺りの発展ぶりは(も)すごいものです。随分前に、乃木大将とステッセル将軍の会見地・水師営を訪れた時には、回りは原っぱで、雰囲気がありましたが、今ではビルだらけ。ただ、復元された建物内部の机椅子は本物とのことです。以前、そこにいたおじさんに、「旅順開城約なりて」の歌を言うと、もちろんよく知っていて、「でも歌っちゃだめですよ」と優しく言ってくれたものでしたが、今はいません。ああいう人に苦労をかけるような外交をしてはいけないと思います。
ちなみに、より強烈はところは東鶏冠山。ロシア、特にウクライナ人コンドラチェンコ少将が日清・日露の戦役の間に造った(改造した)要塞施設は、そのコンクリートの厚みといい、半端なものではありません。あれを陥すのは、正に至難の技であるとともに、人間を消耗品としかみない恐るべきものです。これは、第一次大戦で有名なヨーロッパのベルダン要塞などと同じ発想かと思いますが(露仏同盟)、以前も書いたとおり、フランスの廃兵院内の博物館では、しっかりその惨さを展示してあります。こういうところに、東も西も大陸民族の強さをみる思いがします。
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Saturday, December 19, 2009, 08:56 PM
昨日は、半日、法律を講じてきました。たまに、「かわいそうだから救いましょうは法律でも裁判でもありませんよ」というと、「目から鱗か落ちました」などと言われてこっちがびっくりすることがあります。昨日はそういう発言がなくて安心でしたが(多分、公務員だからでしょう)、関心は持っていただいた感じでした。
今更ヴィントシャイドだローゼンベルクだのと言うまでもなく、少なくともこの命題?は最近までの常識でした。
今年亡くなられた滝川判事の著書にも「公平はあくまで立法者に向けられているのであり、裁判官が公平を基準にして裁判をするのは三権分立に反する」と書かれているとおりです。
ところが、この命題にいわば異を唱えている「ような」本が確かにあります。
これは大正時代「嘘の効用」を書かれた末広博士以来の世界的な大きな流れともいえ、裁判官はあらかじめ結論を決めているのであり、あとから解釈を加えてぎりぎりまで妥当性を追求する・・ってなことを書いた本が、初学者用としてまで売られているのです。でも、妥当性を勝手に裁判官に決められてはかないません。
しかるに、この病気はある意味深刻です。先日、たまたまテレビで大岡越前守の話をやっていて、越前守はやさしい裁判をしました・・みたいなことを言っていました。要は、裁判官は自由に結論を決められ(いわゆる自由法学)、やさしくしたから偉いと。
とんでもない。当時の法は厳格で、そんなことはできませんでした。だから彼は、「嘘」までついて妥当性を追求した、だから「嘘の効用」なのです。なのに、そんな話はどこにも出てこない。
こういう、番組を作る人の意識に、既に法というものについての根本的誤解があります。しかも、裁判官は偉い人、というおまけの観念までついて回っています。
そして、イギリスのロックに見られるとおり、元々司法と行政は同じで(彼は二権分立を説く)、司法に対する見方がこういうふうにブレているということは、行政も同じかもっとひどいということです。
下の議論にも正にそれは言えて、このままでは我が国は国家の体をなさず、アメリカというタガにかろうじて支えられる「地域」になってしまう危険があると思います。
ちなみに、私の友人のアメリカのジャーナリストも、韓国の裁判官も、先日来異口同音に、日本人はどうして法律を「解釈」してしまうのか、と言いました。
そして、上記には、「世界的流れ」を言いましたが、もうひとつは、大岡話に見られるとおり、日本国民がお話国民であることが大きいとも思っています。これも時々書くことです。
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Sunday, December 13, 2009, 01:34 PM
天皇陛下が中国の副主席とお会いする云々をめぐって論議あり。陛下を正に商売の道具に使っているとしか思えないいわゆる保守系マスコミが、政治の利用云々と騒いでいます(陛下を電車のつり広告に載せているなどとんでもないことなのに)。こういう時こそ、落ち着いて原則を考えてみればよろしい。
本来、憲法は、第7条において、天皇の国事行為を定め、天皇の行為を制限していました。ところが、旧憲法との一種の妥協で、象徴としての行為なるものをでっちあげたのが戦後の学者であり内閣です。例えば国会の開会式におけるお言葉などがそれ。もちろん、こうすることにより内閣の助言と承認を得ることにするというメリット?もあります。
しかし、憲法制定時の理想のとおり、また、私のお友達の新右翼・一水会の木村さんが言うように、陛下には京都にて国民の安泰を祈られる伝統の世界に回帰していただくことだけにすれば、問題は起こりようがないのです。それをおかしな国民代表が作った法律でもない制度を作って問題化させたのは戦後の政権でした。
憲法改正を云々する今の保守系と称する人々のやったことを、本来考え直さなければいけない。それが本当の戦後政治の総決算です。今回の議論について、まともなコメントをされているのは、日経にあった石原信雄元内閣官房副長官。さすがだな(いや当り前)と思いました。宮内庁長官の話は読んでもいませんが、そもそも内閣の助言と承認の執行機関の長が、あれこれ外部にしかも記者会見などして述べるのは、それこそ法律違反ではないでしょうか(こんなことが許されるなら密約問題などあり得ない)。このあたり石原さんと今の官僚との落差を感じます。この間、密約をしゃべった人も一応、法廷というところでの話。今回の処置自体は法律にかかわらない内規(上記のとおり、これは国民代表が作ったものではない)の話なのに、こちらの方が国家の根幹に問題のある、恐ろしい話です(陸軍刑法的に言えば抗命罪的)。
もっと話を戻せば、戦前から言われていることですが、天皇とか陛下とかいう敬称が、本来の日本のものかも問題。「すめらみこと」こそ日本のもののはず。だから、「真の日本の」を追求しない水戸黄門的発想はおかしいのです。何が右翼で何が保守なのか、よく勉強して考えるべき。
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Friday, December 11, 2009, 10:53 PM
12月8日も何という事なく過ぎてしまいました。昭和16年12月8日、ハワイを攻撃してアメリカとの戦争始まる、などといっても、正に夢物語の世代だらけですから。20年以上前、連合艦隊参謀の千早正隆さんと夕食を共にし、トラトラトラのお話をうかがったのも、遠い昔のことになりました。でもあの方の「日本海軍の驕り症候群」は立派な本です。
海軍関係でも、坂井三郎さんをはじめとして、ある程度お付き合いがありましたが、最近亡くなったMさんは、私が横浜勤務時代の裁判所の所長で、正にサイレントネイビーでした。とにかく寡黙。
戦艦扶桑に乗っていた方で、かの船は、レイテ沖海戦でスリガオ海峡に沈み、生存者は10名そこそこと聞きました。
そのM所長で忘れられないのが以下の話(本にも書きましたが)。
ある会議の時、誰かが「外は雨みたいです。傘をさした人がいますから」と言ったのに対して、「雨が降っているか否かは、雨そのものを見て判断すべきです」と言われたこと。いやはや脱帽。
しかし最近、この精神は正に地を払っている感じがします。私の世界でも病気蔓延。
そして、ここ数年行われた改革とかと称するものも、正にあの戦争開始と似たようなものだな、と思うこと切です。裁判員みたいなものもその一つですが、「とりあえずやってみるか」とか。せっかくここまでやったんだから、なんぞとなれば、「英霊に申し訳ないから、兵は引けぬ」というのと同じ。
そんな自民党政治の最後でしたが、今度の政権はどうなのか、昨日は、中国語の先生と、日本は世界で唯一社会主義が成功した国・・・みたいな話で盛り上がりましたが、小沢氏の訪中をみていると、国務院の上に共産党があるあの国の体制を・・・。
それにしてもあのチルドレンたちはお粗末。日本国民の代表としての国会における職権の行使者であることが分かっているのかね、といいたくなります。随分関係者もいますが。
あのツーショット、要は、アジアのいなかっぺの姿。もっとアジアを知り、自分を知ることが大切。それには、アジアがヨーロッパやアメリカとしっかりつながっていることを自覚することも大切。視野を広く、広く。
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Sunday, December 6, 2009, 11:57 PM
最近、中公から宮崎市貞先生の本が復刻されているのでパラパラめくっていますが、面白いところは面白いものの、これはどうかな、と思う点も多々あります。京都大学名誉教授で、郷里の飯山市では神様扱いですが、果たしてどうか。特にあの先生には「科挙」という有名な本があり、それが(意識するしないにかかわらず)日本人の頭を随分支配している気がします。科挙とは要は詰め込みなのだと。
これが、法科大学院の教育などにもアメリカのそれと並んで大きな意識的影響を与えていると思うのです。もちろんあの本は科挙のマイナス面だけ挙げているわけではありませんが。
実際のところ科挙は、むしろプラスが多かったと思います。この点は日本人の他の学者も指摘しています。
何より公平。門閥政治の反対です。君臣関係も日本のようながんじがらめにはならないのです。
このことを抜きにして明治時代の1905年、それが廃止された前後の状況だけで判断してはいけないと思います。
その他、宮崎先生本は自信満々。これまた葉隠にある「これも非なり非なりと思うて一生嘆息し」の精神には反するものです。
私は、地味でも同じ京都大学なら田村実造先生になかなか面白いところがあると思っています。特にちょんまげについての世界的考察には、先日も目が開かされることがありました。
我前児天去南京。我去南京的以前、期待訪問貢院。
貢院是科挙的考試場。現在這箇場変成小了。可是以前在這里有二万五千以上的考試房間。這箇房間中考生接受考査。
我最深受感動的点是平等制度。在日本従古代没有科挙制度。那箇時候有門閥制度。
在日本1889年左右開始国家公務員考試制度。在中国1905年結束了。
在日本那箇開始以前、所為、如果日本的公務員不喜歓他的主人、他不可以離開那箇主人。所為、日本的是強制。自己不能改変。
I read proffecer Ichisada Miyazaki's book these days.He was a professor of Kyoto university.He specialize in Asian history.Especially he was famous as writer of one book named "Kakyo".
In that book,he seid Kakyo was a examination hell.
Kakyo was a old Chinese test to be a national civil servant.It sterted in 6 century.And it ended in 1905.
In old Japan,there were not that system.In Japan,national servant's son becamed national servant.
Japanese government made new test sistem like Kakyo in 1889.
I think Kakyo was good system.Because that had equality.In Japan,If national servant's son dose not want to be a national servant,but,he had to be a national servant.he had to respect his master.
Of course,Kakyo's final age,there were a lot of ploblems.So,in Chaina,it was ended.
But resently,Chines governmnt made some new test sistems like Kakyo.It means that Kakyo sistem's core is not so bad.
So I have some doubts about Miyazaki's thinking.I think he was overconfident about Asian history.
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Friday, December 4, 2009, 12:27 AM
時々書くのですが、私がかつて立会した三菱重工爆破事件の法廷。2度にわたる法廷での大乱闘。それはノリピーなど及びもつかず、はっきり言ってオウムより厳しいものでした。近頃はとにかくたるんでいます。それに結末をつけられた陸軍士官学校出の裁判長、のちに語られるには、「裁判官に勇気が必要という人がいるが、私はそうは思いません。弱虫でも泣き虫でもよいのです。ただ一点、責任感が必要なのです」と。
今の「仕分け」で、外国製の制服では士気にかかわる、とは、正にこの発想に反するものです。士気よりもむしろ責任感こそ大切でしょう。第二次大戦における日本軍の幾多の事例が、この責任感の問題を露呈しています。
そもそも中世の武士は、よそのものでも一向構わない。正に鍋島の直茂の「実」です。それどころか、竜造寺でも鍋島でも、大友から分捕ったマークを家紋にまでしていました。
発想を転換すること、江戸時代のお公家さん武士みたいな形式にこだわる発想は御免蒙ります。
そういえば、数週間前、鍋島のおひいさまに久しぶりにお会いしました。昔で言えば華族ですが、「○○さんは一条家から嫁に来たので、私は公家はいやだと言ったんです」との発言には、おやおや、さすが武家の矜持はしっかりしておられるわ、と頼もしく感じたものでした。
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Saturday, November 28, 2009, 08:06 PM
最近書いた、ある雑誌の巻頭言です。割合好評なので、転載します。 昭和三一年頃のことだった。祖父に連れられて世田谷の真崎勝次元海軍少将(当時衆議院議員)のお宅に伺った。少将は幼稚園生の私に「君が嘉村さんのお孫さんですか」と優しく声を掛け、学童服をプレゼントされ写真屋さんに行って撮った記念写真が今も残っている。その著書「隠された真相」は、今も私にとって最高の昭和史本である。
祖父と少将の兄真崎甚三郎陸軍大将とは、大将が台湾軍司令官の時面識ができ、二・二六事件後予備役編入となり帰郷して佐賀県教育会長(今でいう教育長)をされていた大将と祖父とは、再び相当なつながりとなって、大将の日記にも主要登場人物として登場してくる。私も大将の息子さんでアフガニスタン大使や昭和天皇の通訳をされた秀樹様とは、亡くなるまで親しくお付き合いさせていただいた。
このような流れの中、祖父も含めた色々な人の話を聞いたが、そこに出てくる真崎大将、少将、近衞文麿公、有馬頼寧農林大臣(有名な有馬記念はこの人)、吉田茂さん、更には辰巳栄一陸軍中将(戦前のイギリス駐在武官で、吉田茂との関係は有名。学童疎開を推進して、死なば諸共などという東条首相と衝突。戦後、陸軍の将校クラブのあとをついだ偕行社の会長。私もお会いしたことがある)らは、同じ傾向を持つ人々であって、その後日本が犯したアジア全体を巻き込んだ大戦争とは全く異質の人達であったと思う。
およそ昭和の歴史を語る場合、戦前の日本は全て悪いという見方と、逆に、あの時代は仕方がなかったのだ。日本は悪くないという見方とが幅をきかせているように思うが、それらは正にステレオタイプと言わねばならない。
昭和戦前期を牛耳った軍部については、適切な表現とは言えないが、皇道派と統制派という二つの派閥があった(紙数上全くの便宜)。この二つの派の人物の傾向には一種のDNA的な違いを見ざるを得ない。それは、表現し難いが、兵農未分離派(前者)と分離派(後者)と言ってもよいであろう。要は、土の匂いのする暖かい人々と、よくいえば合理的、あるいは、吉田茂と関わり深いジャーナリストに言わせれば、「能面のような顔をした人」に代表されるグループとでもいうことになろうか。
昭和一桁の最後の時期、参謀総長を務めていたのは閑院宮殿下であり、参謀次長が真崎中将(当時の)であった。この二人のそりの合わなさも、根源的には公家と農民ということが大きいと聞く。総長閑院宮と林銑十郎陸軍大臣により三長官の合意という一種の法的拘束があったことを無視して教育総監真崎大将が罷免されたとき、相沢三郎中佐による永田鉄山軍務局長の殺害、そして二・二六事件へとつながっていくことになった。
同事件後のいわゆる粛軍人事のあと、それまで蒋介石も渋々ながら容認していた線を越えて翌年の盧溝橋事件、正に泥沼の日中戦争へとはまり込んでしまったのは、その能面派、あるいはもっと言えば西洋かぶれ派が牛耳ったことによる面が強い。よって、彼らは全く「合理的」ではない。
このような流れの根底に、今述べた青年将校のような、農民にシンパシーを持つ「優しい人々」兵農未分離派の悲劇が見られると考えるが、今日も、そのような誤りが起きるようなことのないよう、我々は深い考察と特に「戦前」というものへのステレオタイプの排除を怠ってはならない。
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Thursday, November 26, 2009, 01:31 AM
政権交替は仕分けをはじめとする様々な現象を生み出しています。今のところ、仕分けについては好評の声が多そうですが、これと同じようなことをしたA市の市長は、補助金をもらえない市民の支持を失って、次の選挙で落選しました。
その地方について、私とBさんは、「○○って、補助金と仕送りで成り立っている県ですよね」と、かつて語ったものでした。この現象がもし日本中にあるとすると(いわゆる地方はたいがいそれ)、補助金や仕送りをもらえない人々は、次回大いに考えるでしょう。
今後、そのあたりがどうなるのか考えています。
日本という国が、諸外国に比べてもいわば抜きん出た中央集権の国であることがポイントかと思います。それを最も推進したのは明治政府。私の専門?の法律でいえば、明治初年の司法職務定制。よく似た制度の状態にあるのが今の中国です。要は、中央集権にして、全て中央にお伺いを立てる制度。裁判の中身までそれ。もちろん、行政についても官選知事でした。ですから江藤新平を単純にほめている○○新書の著者たる某大学の先生など、批判されて当たり前。
何しろ神武天皇の創業に帰すという何のことはない律令国家という日本ではない国家に帰そうとしたのですから。
いずれにしても仕分けについては、最終的に国会でしっかり議論してほしいもの。以前の○○法務大臣のように、会社法改正にあたって、「偉い先生にしっかり議論していただいてますから大丈夫」、なんてことはないと思いますが。
○○は、論争などしている暇はないので。一応、伏字とします。
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