★9月3日 
Wednesday, September 3, 2008, 09:08 PM
 学生のシンポジウムに関係し、十数年ぶりに中国・杭州に行ってきました。高速道路を走ってみて一番感じたのはガードレールです。以前の山東省では、ガードレールのボルトがほとんど満足に差し込まれていませんでした。正に手抜きか窃盗だったのです。 ところが、今回の浙江省では、完璧にボルトが入っていました。
 省が違うからなのか、時代の変化か、それはわかりません。しかしきちんとした部分があることは事実です。新幹線などは、使用法やサービスは、勿論日本がずっと先を行っています。しかし、今後の展開はどうなるかわかりません。素晴らしい眺望の36キロメートルの杭州湾大橋を渡りながらそんなことを考えていました。
 そうしたところ、今回の総理辞任劇です。
 私が以前ご指導いただいた裁判長、身の危険さえ感じる有名な大事件を担当しながら、判決の後で私達に言われたのは、「裁判官に勇気が必要と言われた人がいますが、私はそうは思いません。弱虫でも泣き虫でもいいのです。ただ責任感が大事なのです。」と。
 今回の辞任の弁は、なんとなく弱虫っぽく見えます。しかし一番欠けているのは責任感ではないでしょうか。特に諸外国との関係で、前首相に負けず劣らず、日本の国家としてのダメさを世界にばらまいてしまいました。
 翻って、中国やその周りの同種の国の指導者が同じことをしたらどうなるでしょうか。正に命の保証もありません。
 今回のことも前回も、日本のこうした平和ボケを世界にさらしたという意味で、罪は深いです。ただ、勇気がありそうな威勢のよさに反してこういうことをした、という面がないだけ前回より少しはましかな、と思うのみです。

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★8月18日 
Monday, August 18, 2008, 07:34 PM
 お盆の帰省中に、北京オリンピックは満開。確かに異質ですが、世界の交流は、今後様々な影響を内外に与えることでしょう。
 あの開会式のマスゲーム的なものは、正に共産主義時代以来の御家芸。15年くらい昔、オフィシャルな訪問で杭州を訪れた時、会議が終わっての歓迎会はマスゲーム。当時でも上海の証券会社の前は黒山の人だかりで、これが社会主義の国かいなと思ったものですが、一方、北朝鮮のマスゲームはこんな調子なんだなとも思ったものです(もちろん中国の方が本家)。
 そんな意味で、オリンピックの仕切り方は表面的な経済繁栄の奥にある共産主義あるいは東洋封建社会の本質が、緊張状態を前に表面に出てきている面があることを否めません。更に、北朝鮮のようなショーウインドウ国家的現象も。
 しかし、こうした事象は産みの苦しみとも言えます。北一輝は、「支那革命外史」の中で、孫文の「民主主義」が、当時の封建中国にはなまじなことでは根付かないことをアメリカの独立戦争との対比で論じていますが、正に「革命いまだならず」。
 そして、その傾向は我が日本にもあるわけで、「人の振りみて我が振り直せ」という言葉を、日本人も考えるべきかと思います。

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★8月10日 
Monday, August 11, 2008, 01:03 AM
 昨日は、長崎に原爆が投下された日。一昨日は北京でのオリンピック(奥運会)開会式。1964年10月10日の東京オリンピックを思い出しますが、その使用エネルギー量は比較になりません。
 そんな時、カスピ海西方のグルジアにある南オセチアでは、グルジアとロシアとの本格的戦争が始まりました。この周辺に展開するコサックの騎兵には、日露戦争の折り、日本軍が随分悩まされたわけで、残念ながら激しい戦闘の程がしのばれます。
 しかし、この紛争と同様の事態は今や世界中に存在します。コソボ自治州の問題しかり。チベット問題しかり。ミャンマーも、太平洋の島々にも。北と南のオセチアは内と外の〇〇をも思わせます。
 その問題の基本にあるのは第一次世界大戦のころアメリカのウイルソン大統領らによって唱えられた民族自決の考えですが、更にその基底には、この博物館に記したサラゴッサ条約以来の領土という観念が横たわっています(サラゴッサには、先日、皇太子殿下がいらっしゃいました)。
 この「領土」観があるので、資源の争奪とからみ、「一所懸命」の戦争になります。
しかし、前にも書いたとおり、中国の清という国においては、チベット、モンゴルは皇帝への服属であり、移動する部属の個人への服属が「国家」を成り立たせていました。
この発想は、アメリカのシティ、タウンなどにむしろ類似するものです。そこには境はなく、人間のつながりと統合が町をなします。ニュージーランドに行った時もそうでした。
 東洋の社稷の発想(社稷を歌った「青年日本の歌」は、5・15事件の三上卓中尉の作といわれますが、実はそうではなくて、拓殖大学出身の老詩人・石原厳徹ともいわれます〔2・26事件の大蔵栄一大尉の言〕。いつも街宣車が歌っている歌)も正にそうであり、我々は、西洋に対し、「つまらぬ戦争はしなさんな。アジアでは社稷で考えてきたんですよ」と発想の転換をうながすものを秘めていると思います。
 そんな考えに立てば、竹島なども西洋に毒された言い争いはアジア的ではなく、まして、韓国の不法占拠を云々するのであれば、みすみす占拠を許した時の大臣や防衛の責任者は誰だったのか、その責任はどうなったのかこそ大事です。昔の陸軍刑法では占拠を許せば重罪に問われるところ。そこに気づかない今の状況は本当の平和ボケということになります。

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★8月6日 
Thursday, August 7, 2008, 02:12 AM
 今日はもとより広島原爆投下の日。当時江田島にいた人からうかがった投下時の爆風の話も思い出されます。かつて訪問した原爆の積み込み場所、テニアン島のピットも(「かつての掲示板」に写真あり)。
 その昔、高校生の頃、民族派T教授の本をバイブルみたいに読んでいた私は、慰霊碑の「過ちは云々」の言葉に、誤ったのはアメリカだ、何を言っとる、と米国への敵愾心を燃やしていたものでした(だから、英語が大嫌いだった)。
 しかしその後、様々な本を読み、公刊された史料をみると、日本には江戸時代を淵源とする、当該原爆投下以前の、いわば国家形成責任とでもいうべきものがあることを考えないわけにはいかなくなりました。
 しかして、この私の一種の「考え違い」は、自分で言うのもなんですが、まだ大いに許せるものです。だれもそのために死んだ人はいません。
 許せないのは、当時、正に左翼であって、今、右翼の人間(私の方は一貫して共産主義は嫌いで、いわゆる民族主義。ソ連なんぞと仲良くなっていたら、日本は今頃どうなっていたかわかりません)。
 昨日も某紙に、かつて同席した元某大教授とやらが出ていましたが、かつて共産主義信奉のその御仁、合いも変わらぬ極端と鼻持ちならないエリート意識。単に後期中等教育の試験ができたというだけで、アジテーターとして様々な害毒を流してきたのに。
 もちろん、こういう極端論を誉めそやす国民で、そのために何人もの人が死んだことに気がつかない国民であることが最大の問題です。我々は正に、この博物館の末尾に書いたように「勉強」しなければならないし、ごまかされてはならないと痛切に思います。

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★7月31日 
Friday, August 1, 2008, 01:20 AM
 最近読んでいる本は、大正時代の中国政策に関するものです。昭和初期の山東問題、満州事変等日本の戦争に至る過程を知るには、当然ながら辛亥革命以降の政策を知らなければ話しにならないので。
 で、このことを知るにはもちろん一次資料に当たらなければなりませんが、私は専門外であることと時間のなさで、やむなく研究者の本を読んでいる次第。
 しかしそれにしても、ちゃんとした研究者の本には当時の要路の人の一次資料が引用されていますから、それなりの情報は入る。
 そうすると悩ましいのが、例えば教科書を書いている多くの先生はまともと思えますが、中にとんでもないのがやっぱりいるなと思われてくることです。少なくとも専門の学者でもない人が教科書なんか書くなよと言いたくなる。一次資料に当たらない人は資格なしです。
 そんなことを考えながら書店をブラブラ歩いていたら、新書版の本で「歴史の見方」みたいな本を発見。手にとってみると、歴史は物語である、という「歴史家」の言。ありゃま、こりゃひどい。過日、ある「歴史家」と称する人が、昔の唯物史観を攻撃したのはいいけれど、その反対になって、やっぱり歴史はお話しだ、になっちゃってびっくりしたのですが、同じ。
 結局、そういう人は、唯物史観の裏返しのお話し史観であって、いずれも変と思います。
前者は論理のようで実は神話(奴隷制度の次は何が来る、なんていうたぐい)。しかし後者はこれまた間違いなしのお話し。実証主義を標榜しながら、真に論理的に歴史をみていない。
 実のところ、日本の最高学府の中にこの系統がしっかり根をはっているのが問題なのですが、これを打破する真の学者が多くなることを望みたいものです。

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★7月23日 
Thursday, July 24, 2008, 01:45 AM
 元外務官僚のお話を聞く機会がありました。いい人でしたがちと物足りない感じでした。そもそも日本とアメリカが互いに民主国、という前提にちょっと違和感を感じました。結局その前提があるので、国民のレベルアップに目が行かずに現状をいわばうわべだけ何とかしようという発想になる。これはマスコミもなにも同じですが。
 先日も防衛庁のお方と話して、政治論と政治教育満載なのに対して、「この人、明治天皇の下された軍人勅諭が分かってるのかね」と思ったものです。「世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ」が軍人の道であり、政治に関わる等邪道もいいところ。この根本の叩き直しが本来必要。
 しかし、今やこの文章も読めない子供、どころか大人も!ということは文科省がダメ。
 そして、そういうことに目が行かないで悲しんでいるのが外務省では、これもダメ。
 結局、皆が平和ボケであって、勉強しない。
 その元外交官は「危機感を持て」と言われていましたが、それだけは間違いなく当たっていたなと思いました。

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★7月21日 
Tuesday, July 22, 2008, 01:07 AM
 ある台湾人の方が5月20日、焼身自殺を遂げられたとのこと。享年81歳。
深くご冥福を祈りたいと思います。
 その方は、もとより戦前の日本教育を受け、私の知人と同じく軍隊に入り、兵長でした。しかし、戦後大陸から国民党の軍隊が進駐してくると、この軍歴があだとなり、処刑されるか国府軍兵士として国共内戦を戦うかの選択を迫られ、今度は国民党の兵士として大陸に渡り、共産軍と戦います。この中で、日本兵時代の武士道精神が沸々と沸き起こってきたとのこと。
 そして、昭和30年代、台湾独立運動の本をもっていたかどで10年の流刑。更に昭和60年にもパスポートを無効にされてカナダで亡命生活。平成3年にやっと帰国できるようになると、補償要求や平和の礎(いしじ)の建設に邁進。
 しかるに、民親党政権の不手際で支持率低下とともに民親党員までもが造ろうとしていた公園名を変更に賛成。そして、今年の総統選挙の結果は、平和の礎の構想を打ち砕くもの。その結果、上記のことになった次第です。これを報じた新聞には「武士道というは死ぬことと見つけたり」の文字がありました。
 今更ながら、台湾における戦前教育の「何か」を感じざるを得ませんでした。
 しかも、拉兵(らーぴん。拉致された兵隊)は大陸から台湾に、だけではなく台湾から大陸にもあったのだと、あの島の深さにまたまた重たいものを感じました。
 何とか、単なる親台ではなく、本当のシンパシーを感じてあげられる国民になってこそ、我が国も一流といわれるのではないかと思います。
 台湾とは50年近いかかわりを(祖父の代からいえば100年以上)持ってきた者として。



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★7月8日 
Wednesday, July 9, 2008, 01:50 AM
 大正時代の中国は、辛亥革命後の紛々たる乱離の間ともいうべき大変な時代ですが、今日の世界情勢を考える上で、様々な示唆を与えてくれます。
 そのころ北京で発行された「北京週報」の1927年版はこんなことを言っています。  「米国の著者カールクロウなる人、日米問題なる一書を公にして、徹頭徹尾日本を罵倒せるが、多くは肯綮に当たらずといえども、日本の資源の貧弱なるを指摘せる点は、すこぶる事実に近きもので、彼は曰く、日本人は如何に威張りたるとて、その全国土は米国のカリフォルニア一州より600平方哩広きに過ぎず。日本人は山水の優美をもって誇れども、その美なる山水は、たまたまもって日本の国土の貧弱を物語るに外ならず。・・・」つまり、いささか古い言葉ですが、「美しい国」とかいうような、鍋島直茂の「実」の発想からみると「お話」としか思えないような発想は、だめと言っているわけです。
 もちろん、ブルーノタウトみたいな外人に褒められたからといって景色の美で酔っている様な国民では困るわけです。
 まだまだ引用すると参考になる話が満載ですが、今度の洞爺湖サミットにおける日本の立場を示唆する警句に満ちた本を見直すことも大切でしょう。



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★7月4日 
Friday, July 4, 2008, 02:57 PM
 下の如き小説非難(?笑)を書いていたら、昔から興味をもっていて1冊も読んだことのない丸山健二さんが、昨日の日経に我が意を得たりのことを書いておられました。
 曰く「父が愛してやまない日本文学も嫌いだった。愚にもつかない苦悩をつづった病的なものに映ったのです。」、
 最新作については「ダイナミックな室町の日本人の精神を描きたかった。江戸時代以降の日本人は島国根性の狭い枠にとらわれてしまった。もともと日本人には強靭な生のエネルギーがあったのに」。
 正に私と同じ意見じゃないかと思いました。
 その昔、安曇野をバイクで翔る不思議な小説家。こりゃいいぞ、と思ったものです。

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★7月1日 
Tuesday, July 1, 2008, 01:43 AM
 そういえば、下段の席でそのA先生のお話し。例の晶子源氏や谷崎源氏など現代語訳の源氏については、全て一流の学者のアドバイスがあったとか。
 ちょうど、竜馬が行くという小説は(私は読んでいませんが)、太宰治の墓の前で死んだ田中英光の父・岩崎英重さんの著書がなければ書けなかったといわれているのと同じでしょう。
 私は、岩崎の素晴らしい著書は読みますが、司馬さんの小説は全くといっていいくらい読んだことがありません。およそ、小説なるものを読まないのです。
 親しくさせていただいている憲法のT教授によると、その方の先生・田上穣二さんも小説を読まない人だったとか。田上教授には口述試験で当たったことがあり、ややびっくりした面はありますが、正に美濃部的な厳格な論理の人だったと思います。
 こんなことを飛行機の中で同席した人に言ったらあきれられましたが、小説はあくまでもただの楽しみ。ましてやそれが高じて美談に酔うようになると大変です。
 この博物館に書いたとおり美談で歴史を作るのは決して日本式ともいえないのです。日本人が論理的国民になるには歴史は小説じゃないんですよ、という当たり前のことをまずは自覚してもらうことが大切かもしれません。 

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