Friday, July 4, 2008, 02:57 PM
下の如き小説非難(?笑)を書いていたら、昔から興味をもっていて1冊も読んだことのない丸山健二さんが、昨日の日経に我が意を得たりのことを書いておられました。曰く「父が愛してやまない日本文学も嫌いだった。愚にもつかない苦悩をつづった病的なものに映ったのです。」、
最新作については「ダイナミックな室町の日本人の精神を描きたかった。江戸時代以降の日本人は島国根性の狭い枠にとらわれてしまった。もともと日本人には強靭な生のエネルギーがあったのに」。
正に私と同じ意見じゃないかと思いました。
その昔、安曇野をバイクで翔る不思議な小説家。こりゃいいぞ、と思ったものです。
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Tuesday, July 1, 2008, 01:43 AM
そういえば、下段の席でそのA先生のお話し。例の晶子源氏や谷崎源氏など現代語訳の源氏については、全て一流の学者のアドバイスがあったとか。ちょうど、竜馬が行くという小説は(私は読んでいませんが)、太宰治の墓の前で死んだ田中英光の父・岩崎英重さんの著書がなければ書けなかったといわれているのと同じでしょう。
私は、岩崎の素晴らしい著書は読みますが、司馬さんの小説は全くといっていいくらい読んだことがありません。およそ、小説なるものを読まないのです。
親しくさせていただいている憲法のT教授によると、その方の先生・田上穣二さんも小説を読まない人だったとか。田上教授には口述試験で当たったことがあり、ややびっくりした面はありますが、正に美濃部的な厳格な論理の人だったと思います。
こんなことを飛行機の中で同席した人に言ったらあきれられましたが、小説はあくまでもただの楽しみ。ましてやそれが高じて美談に酔うようになると大変です。
この博物館に書いたとおり美談で歴史を作るのは決して日本式ともいえないのです。日本人が論理的国民になるには歴史は小説じゃないんですよ、という当たり前のことをまずは自覚してもらうことが大切かもしれません。
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Monday, June 30, 2008, 02:12 AM
このところ源氏物語がやたら出てくるね、と思ったら、今年はできて1000年目ということになっているそうですね。それで、先日、文部科学省OBのA先生に「あんなに難解で、解釈に苦労するような男女の機微の本は高校生には教えるべきではない。徒然草の前向きの部分とか吾妻鑑を読ませるべし」と言ったら、否定的でないお言葉で、やや溜飲が下がりました。
とにかくあれ(源氏)はいけません。あんなものを教えるので、かえって若い人の国語力が低下するのです。今や、日本の若者の国語力は地を払っています。
確かに中国のある有名人が、「我が国では紅楼夢が出るまで、紫式部という女性にああいう本では負けてしまっていた」と言ったのは事実です。
しかし、その中国には武では三国志演義が、侠では水滸伝があります。源氏は情です。しかも男女の。
こんな実情をみれば、武士道の徒?があんなナヨナヨの源氏をありがたがって我が国の誇りみたいなことを言うなんて、正にもってのほかです。
よろしく源氏ではなく、平家物語、徒然草の40段以降あたり(この前とあとでは違います、といわれていたのは学芸大の安良岡康作先生。徒然草は、ただの無常感だけの本ではありません。もっと積極的な本です)、それに吾妻鑑、甲陽軍艦あたりを読ませるべし。そうすれば戦争の意味もわかります。
そして、もっと国語ができるようになり「声に出して?」なんていうややおかしな本をありがたがるような風潮はなくなります。あの程度じゃ困るのです。
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Saturday, June 21, 2008, 02:04 AM
昨日は仕事で長野市に行きました。駅前で、中国政府を非難するビラを配っている中国系と見られるおばさんがいたので、つい簡単な中国語で声をかけるとマレーシアから来たとの話。「もっとビラを配りたいから長野に友達はいないか」と聞くので「没有(いない)」と答えました。
これは例の?宗教のビラなので、いささか危険かとも思いましたが一応の友好(ヨウハオ)。
夜になって、今度は相談かたがた深い中国思想の研究家と話すと、その宗教自体は危険じゃありませんよ。ただ「気」を大事にするんです、との話。
しかし、気といわれると、私にはやはり眉唾で、今や正に長野市の一部になった松代の先覚者・佐久間象山といえども、自分の身内がコレラだかで死んだとき、火葬にすると気が飛んでよくないので土葬にすべしと言ったとか。正に非科学的で、今の墓地埋葬等に関する法律の趣旨にも反します。
藤田東湖の正気の歌が残念ながらパクリであると以前も書いたとおり、決して西洋万能とはいわないし、漢方薬の信奉者ではあれど、やはり怪しいものは怪しいのではないかと思います。
水戸黄門も合理を追求したとは言えるのですが、根本が不合理で大変な問題の源を残す。合理と不合理の区別は本当に難しいです。
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Wednesday, June 18, 2008, 01:08 AM
先日、何十年か前に最高裁判所で担当した事件の受刑者から手紙がきました。何十年も刑務所に入っているということは尋常ならざる事件なのであって、当然、
私の気持ちも穏やかではないわけですが、かといって、私はそのケースに死刑を
選択することには少なくとも躊躇を覚えます。
ロンブローゾという学者の、犯罪は遺伝学的なもので、必然であるとの見方はと
らないとしても、「自分はなぜこういう事件から手を引けないのだろう」と呻吟
する被告人や、その意識さえ「持ち得ない」つまり、自分は悪くないと思ってし
まう人間(少なくとも外形は)がいることも事実なのです。
そういうことを知り、死刑の実態も知った国民であってほしいのですが、後世の
人類から、当時の日本人は、韓国のように死刑場も見せられず、被告人の実態も
知らされずに、闇雲に世間の敵を抹殺していた、などという評価だけは受けない
ようにしたいものです。
後者の点について、来年からの裁判員制度が一定の役割を果たすことは間違いないでしょうが、先行している韓国の域には達しなければ世界からあきれられます(今日の死刑報道を見て)。
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Tuesday, June 10, 2008, 10:39 PM
8日間があくと色々考えさせられることだらけです。日曜は、恩師の奥様のお見舞いで山形に行きました。ご夫妻との数時間の対談でしたが、やはり年配の方と話すと、最近の日本人の能力低下が話題になることは否めません。
恩師の父上はA級戦犯・佐藤賢了の東京裁判における弁護人を務めた有名な学者であり、裁判官です。佐藤は「黙れ事件」で有名な東条の側近であるとともに、戦後は宇都宮徳馬さんとともにアメリカのベトナム介入を批判した人。あれだけの問題児(私は彼が話すのをテレビで見ました)でも昔の人の方がキャパが広かったかと思います。
そうしたキャパの広さを涵養するには、国語、特に古文の力が必須でしょう。かろうじて教える能力のある人がいないではない今の時期に、源氏物語はやめて平家物語をしっかり教えろと言いたいです。
日経で、源氏がブームということで特集がなされていましたが、その初めにもあったとおり、徳川家康など、それを愛読していたからこそ、後の雅趣味、幕府崩壊につながったのです。そのことは漢学者も予言していました。
学校では、もっと雄渾な国民文学を教えるべきで、宮廷の変てこ文学は余裕があればやればよし、です。
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Monday, June 2, 2008, 10:37 PM
以前も書いたことですが、30年近く前、ある高名な刑事訴訟法学者のお話を聴いた事があります。その先生いわく、「私は『日本の』刑事訴訟法というものがどういうものか外国の人に説明できないのが残念です」と。
そして30年、実はその先生こそが今回の「裁判員」なるものを考え出された重要人物?と知りました。そして、「えっ先生、あなたの言う『日本の』というのはこういうキメラみたいなものだったんですか?」とも。
陪審でもない、参審でもない。奇妙なものだし、理念から導き出されてこない。つまり、国民が歴史を作るという陪審の根本からずれているし、鎌倉的にいうと、実は日本のものでもない。いわゆる妥協の産物みたいなものです。
いよいよ施行まで1年を切って反対論もかえって盛んになってきましたが、こうした理念をとりあえず措けば、大化けしないとも限らない。韓国では先行して行われ、ポジティブな評価もあるそうです。もっとも牛の輸入などを見ていると、韓国と日本では、それをになう国民性が違うかな、という気もしますが。
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Friday, May 30, 2008, 10:25 PM
おとといは仕事で、この博物館に関係深い水戸へ行きました。茨城県人会で話しをした時のこと、ある人から「あなたのいばらぎは間違いで、いばらきが正しい」とのやや厳しいご指摘。しかし私としては「は〜、そんなこと言ってるからおかしくなるんですよ」との応答。
なぜなら、茨城県なるものは明治政府のやらかした一種の創氏改名みたいなもので、今日の新聞に民俗学者の谷川さんが書いていた平成町などというとんでもない文化破壊の一例に過ぎないからです。
茨城でいえば、常陸の国風土記に石岡の土蜘蛛の話しがあって、それに備えるために城(き)を造った。だから、県全体の名を茨城にしましょうという話し。東京などという人工地名から始まって、皆適当にそういう方式。栃木に至っては字まで作ったとのこと。
で、そうなろと、実は佐賀県にも小城というところがあり、これも土蜘蛛に対抗するために小さな城(き9を作ったことに由来します。でも「おき」では言いにくいので、「おぎ」です。
ワープロでも「いばらぎ」ででるとおり、そんなことに正しいも間違いもなし。以前書いたとおり、こうした議論は上田秋成と本居宣長との間にもあったのですが、自然であるのは秋成。宣長の教科書的名声?によって判断を誤ることなかれといいたいです。
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Sunday, May 18, 2008, 10:12 PM
かつてのブログの引越しです。★5月13日
ミャンマーのサイクロンが大変と思っていたら、今度は中国の四川省で大地震発生。
私の友人は10数年前に11人で成都に赴任し、日本のスーパーマーケットを立ち上げ、今日の隆盛を迎えました。今回の地震で店舗は相当の被害にあったようですが、ご本人は無事で、しかも営業再開との事、先ずは安心しましたが、被災者にはミャンマー同様、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
震源地に近い都江堰は、秦の始皇帝が李ひょうという親子に造らせた巨大な水利施設です。長江の上流にかかる巨大な岩山を火で焼き、水をかぶせて岩をもろくさせ、水路を開き、四川盆地に水を流す施設で、2300年前に造られて、今も四川盆地を潤しています。四川省の地図をよく見ると、その重要性と巨大さがわかります。そして、これとそっくりの小型版が葉隠の佐賀にある石井樋という水利施設。
最近、漸く都江堰との関連が注目されているようですが、以前は成富兵庫のグッドアイディア程度ですまされていました。江戸初期とはいえ、どうしてあのような土木技術が佐賀までやってきたのか(可能性が大)を探ることの方が面白いのに、ただのお国自慢にしてしまってはつまりません。ちなみに、私はほとんど読んでいない司馬遼太郎さんは、宇治の水利施設と都江堰との関係に注目しているようです。
このような土木技術と新しい武士道の発生とは極めて深い関係を有しています。
★5月11日
ミャンマーのサイクロン被害は甚大のようです。
元々、農村では竹の柱に・・的な家に住む人が多く、一方、パゴダには一生懸命寄進するという国民性を考えると、心が痛みます。ビルマは元寇の被害を受けていて、バガン(日本ではパガンといいますが、地元ではバガン)には、元の軍隊が書いた落書きなどが残ります。そして、ビルマ族には姓がありません。日本の皇室と同じです。アウンサン・スーチーさんと言っても、あれ全体が一つの名前というわけです。
となるとそれは、チベットを含め、モンゴル・日本あるいは台湾の現住民族にまでつながる中国周辺民族のひとつということになり、親近感がわくのも当然です。京都大学の田村先生は、中国周辺の民族は一様に頭を剃っていると書かれていますが、ちょん髷といい、辮髪といい、この指摘は正しいでしょうし、姓もそのひとつの共通要素です。
そんなときたまたま、トルコのいわば突厥に当たる人に会いました。顔は日本人そっくりですが、ムスリムですから豚肉を食べません。
そして、ムスリムであることを利用してアラブでのビジネスとか。正に、中国周辺をぐるッと回ってのビジネス。チベット問題の先には〇〇スタンという多数の国家・地域の問題が横たわっていることを再認識させられました。
チベット問題を考えるには先に書いたとおり、昔の満蒙あるいはそれ以上の大きさで考えなければなりません。そうでなければ、明治・大正の日本人に負けてしまいます。
★5月8日
連休初めには台湾に行ってきました。
仕事の上でも関係ある弁理士さんの昔話。「無政府状態の怖さは経験してみなければわかりません。」は、最もズシッときた言葉でした。もちろん1947年の2・28事件関係のことを言います。
この件については何回も書きましたのでふれませんが、こうした痛みは一体何か。台湾という島の西を開いた中国。東を開いた日本のいわば文化的綱引きのようなもの。
そう思ってみると、台湾には昔から生と熟という観念があります(最近は使われません)。この観念は、苗族などの大陸の種族でも、中華化されたか否かを表す言葉として使用されるものです。そして、実はチベットもモンゴルも同じ事象が見られます。更に、実はこの日本についても使用されるべき重要なフレーズではないかと思っています。アジアをどう論理的に「解釈」していくか、という視点です。
★4月21日
いよいよもってチベットの問題は聖火とともに広がってきてしまいました。しかし、テレビ等でしゃべっている日本の識者?はいかがなものかと思います。14日に私が書いたちょっとした「論理」もないのですから。
あるいは、先日、ダライラマ14世が成田を通った時、あれは、昔の中国との関係でいうと、孫文が神戸に来たときみたいなものです。その時は、政府は誰も出迎えません。中国の孫文派か北京等政府か勝敗の帰趨不明だったからです。今回も、政府関係者は当然ながら迎えなかったようですが、のこのこ行った人は何かな、と思います。
むしろ、さすが14世は、軍事権、外交権のない自治を要求すると明確に言われたようで、一つのオファーでしょう。ただ、これもなかなか難しい。具体例としては北マリアナですが、チベットは元が藩で、つまりはグアム(準州)みたいなものですから、その「差」は他の地域との関係からも重要・重大と思います。
話し変わって、近頃、靖国神社の映画の話が話題に。私と旧知の一水会の木村三浩さんらが上映会をされたのは立派。見なけりゃ話になりません。そして今日は、郵便局に行ったので、戦没者に哀悼の意を表したあと、閉館ま近の遊就館に入ってみました。以前、私が指摘した張作霖の写真はボードごと入れ替えられていました。
しかし、とにかく昔とはポリシーが全く違います。私は今の前の前から見ていますが、昔はやたら軍歌を流してなどいませんでした(一部の映像のところだけ)。つまり、いつも言うとおり、今は昔の鎮魂の場と違い、我々は正しかったということを主張する展示館になってしまったのです。しかし、そもそも軍人勅諭にあるとおり、軍人が政治的に主張することはおかしいわけです。たんたんと職務に邁進してこそ軍人です。
軍人だった桂太郎も日露戦争で首相の時は文官の服を着るというけじめがあったのに、東条さんは総理になっても軍服で、憲兵政治をしたからおかしくなった、といわれているのに、そのあたり全く分かっていない感じです。
このことは洋の東西を問わないわけで、先日ある機会にお話を聞いた米軍の司令官も、政治向きの話は、ワシントンで決めることといわれていました。軍人は烏合の衆ではありません。政治と職務をくっつけることは、むしろ軍人に非礼ともいえます。
本庄侍従武官長、大西中将、阿南大将を並べてあるのはよいとして(この人たちはきちんと責任をとり、軽挙を戒めた立派な人たち)、そこに、戦争終了後若者を道連れに一種の特攻を行った宇垣氏があるというのは、ここでもけじめがつきません。日本人の論理の浅さと本当のけじめの知らなさを感じます。なにやら分からぬ漫画に至っては、人間の崇高な死をなんと考えているのやら。「裁判員参上」「よろしく裁判員」とかいう最近のふざけた広告に通じるものを感ずるのは私だけでしょうか。日本人よ真にしっかりしろ、です(いや、それ以前の「真面目にやれ」かもしれません)。
★4月14日
チベットの問題は聖火もからんで世界各地に波及しています。この問題こそある意味西洋と東洋との衝突ともいえます。
中国瀋陽の清の故宮に行くと、昔から清の王様の奥さんは蒙古から来ていたことが知られます。そして、1644年、明が滅んで大清が中国の主になったとき、蒙古、チベットの奉ずるラマ教、つまりチベット仏教を大切にしていた清の皇帝に対して、チベットは服属します。学者にも、清はそれだけ大きく幅のある存在であったことを指摘する人がいるとおりです。現に清の版図こそ中国最大の版図であったともいわれます。
しかるに1911年、辛亥革命がおきて清がつぶれました。ただし、中国がつぶれたわけではありません。王朝がつぶれたのです。しかし、その王朝ないし皇帝に服属していたチベットなどは後継者たる国民党や共産党に服属するいわれはないとします。
しかし、この時代、「国」という西欧的仕組みが東洋に入り、しかも人間の「欲」というものが加われば、共産党といってもおいそれと利益は手放しません。それどころか、北京の雍和宮に展示してあるとおり、共産党がパンチェン・ラマを任命(承認)したりします。毛沢東記念堂の正面の柱が11本で、正に皇帝と同じ、といったことにも関係してくるでしょう。
そんなわけで、問題は本質的で簡単に片付きません。しかし、であればこそ、かつて中国の国民に対して多大な迷惑をかけていたことは間違いないわが国としては(3月30日参照)、それと同様、ネットにも散々流れている人権侵害が停止されるようアジアの知恵で説得しうるだけの力量をもたなければならないと思います。
しかもこうした問題は、チベットだけでなく、中国の都市と農村といった問題でもあるはずです。そのためには西欧的国家像をもう一度反省し、あるいはむしろこの博物館に書いた社稷的西欧行政主体を再評価してみることも必要ではないでしょうか。
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Sunday, May 18, 2008, 02:00 PM
★4月4日今年の初めに書いた外国の兵士が、実は今回横須賀で事件を起こした人物と同様、米軍の一員として、中東に行っていた人です(もちろん、今回の事件の人が私が会った本人ではないので誤解なきよう)。
米軍、オーストラリア、ニュージーランド、皆そういう兵士を雇っているようです。
金銭の自由な移動が財産権の証券化をもたらしてサブプライムローン問題が日本に波及しているように、国際間のこうした人員の移動と事実上の権力の行使が、従前の国内法はもちろん国際法でも律しきれない様々な問題を引き起こすようになりました(簡単な話し、傭兵が国外で戦争して人を殺したとき、国内法で殺人罪に問えるか、とか)。
ありとあらゆる事象を国際的視点から見なければならなくなった今日、改めて真の「法の支配」の意味も問われています。単なる「法律による支配」ではなく。
その昔、国王が法の支配の下にあることが自覚されていましたが、むしろ国家が(あるいは企業が、そして、少し下に書いた三浦事件が)、より普遍的な法の支配の下にあることを改めて考えるべき時代になっています。それは、西欧が世界に提供した国家という枠組みへの疑問でもあり、宇宙船地球号的日本の中世武士道への見直しでもあるでしょう(荒唐無稽ではなく、考えの方向としては)。
★3月30日
3月25日は、東洋のマタ・ハリと呼ばれた(これ自体も問題)清朝の王女・川島芳子さんが銃殺された日であるということで、29日にその供養が松本でありました。
彼女とチベットの今回の事件とは、22日に書いた次第で関係があります。つまり、チベット、モンゴルの独立は連動し、モンゴルと旧満州の独立も連動しているのです(第一次、第二次満蒙独立運動)。私はそれを台湾での地図実見体験から知ることになりました。「日本人たる前にアジア人でなければならぬ」とわずか17歳くらいの彼女が大書したとおり、我々はまずはアジア人であるという視点に立たなければ他者を理解することができません。
国際的であるということは、最低限を理解しているということではないかと思います(この博物館に以前あった掲示板に、軍国主義のサイトと誤解して、中国からサイバー攻撃があった時、「請理解我的真意」と書いたら、すっかり恐縮して、「友好」になったこともありました)。
ところで、その芳子さんが昭和12年に松本で当時の日本の政策を厳しく批判し、正に「武士の情け」をもって大陸政策を進めるべしと述べたことがあります(以前も書きました)。その少し前、2・26事件の青年将校村中孝次は、天津に駐在した時、日本人の余りのひどさに、この状態を治すことも事件の一動機であると調書の中で述べています。私も長春の溥儀の宮殿に行った時など、アヘン貿易の恐ろしさをつくづく感じました。正に芳子と一致する見方であるし、芳子の記念室にその書がある荒木貞夫大将が、満州国十周年に、理想と違うといって出席しなかったこととパラレルです。
それが、2・26のあと、こうした人々は殺されたり予備役に編入されたり、あげくは憲兵に狙われたりするに至ったわけで、こうした日本の当時の路線対立を正確に見なければ戦前の日本に対する正しい評価やA級戦犯への評価はできません。
ところが、今の日本ではこうした実態把握が極めて乏しいと言わざるを得ず、戦前を十把ひとからげ。正に憂うべき事態であると思わざるを得ません。戦前は左翼が弾圧され、為政者側に立つ人が一枚岩だった、というわけではありません。左翼ではない人の中での対立をきちんと捉えることが大切なのです。もちろん、その前提としての明治憲法の理解も重要です。
★3月23日
結局、台湾総統選挙は馬英九氏の勝利となりました。このことが、日本人にとっては一時の誤解を解く鍵になることを期待したいと思います。
私の祖父の代から関係ある台湾の一族は、国民党による2・28の被害を受け、外省人と敵対しながらも、かねてより国民党支持です。その他ここではあえて詳しくは書きませんが、いわゆるステレオタイプな見方はできないのです。
昔の日本人は、蒋介石のお蔭で賠償も取られず云々ということで、国民党べったり。その間の白色テロなど知る由もなかったのですが、民進党が登場すると、内政干渉ばりに応援をしたり、新渡戸さんまで持ち出してみたり。
そして、その当然の前提として親日国だというステレオタイプ。もちろんその傾向は強いですが、全てそうとはいえませんし、それが当たり前でしょう。
頭を冷やして、過去の日本を考えるきっかけにしたいものです。
★3月22日
下の話に続けると、台湾の元々の地図ではモンゴルが中国領になっています。国民党の発想からは、モンゴルは中国の一部。確かに昔はその扱いで、だからモンゴルとチベットとは提携して中国から独立しようとした時期がありました。
この動きは、満蒙独立運動ともつながっており、日ソの約束からモンゴルが独立。旧満州(中国東北)も独立ということになっていました。一人チベットはこの枠組みから外れましたが、逆に東北は、結局中国に組み入れられ、ソ連の影響を受けたモンゴルは独立しています。しかし、内蒙いわゆる内モンゴル自治区は今や漢民族が多数派。こういう流れを深謀遠慮というわけ。全部つながっています。
こうした国際関係を考えると、話しは他人事ではないし、台湾としても正に微妙な立場。候補者も、今回のことにやたらなコメントはできないことになります。
★3月19日
その台湾で、3日後に総統選挙が行われます。李総統後の最初の選挙である8年前の選挙では、各候補の選挙事務所を訪問しました。その前年に、私の好きな歴史博物館を訪れると、のちに候補になるはずの連戦氏の実家の特別展が行われており、こりゃ何だと思ったものでしたが、選挙事務所には熱気が充満し、見事でした。上の本にも書きましたが、夜10時の締め切りを過ぎても、各候補とも罰金を払ってサッカー場での大演説を続けるのです。似たような例はアメリカにもあったと思いましたが、国会での乱闘とは別の健全な民主主義を見る思いがしたものでした。
これは総統、つまり大統領制のなせるわざともいえるでしょうが、それとともに、2・28事件、白色テロといった平和な日本では考えられない血で購った歴史があることが大きいでしょう(実は日本でも300万人の人が戦争で死んだのに。なお、2・28事件も大変ですが、白色テロはある意味もっと長く恐いものでした。私が初めて渡台したころまでは、その残り火がありました)。
それなくしての日本での大統領制は、少なくとも直近ではろくなことが起きないでしょう。
そんなことを考えているところにチベットの流血事件が起きました。チベットと日本も色々な関係があります。
例えば、この博物館に貼ってある京都万福寺にはチベットと全く同一の衣装があります。何しろあの建物は、江戸時代初期、長崎のいわゆる三福寺同様、中国で材木を刻んで日本で建てたわけですから、つながっているのが当たり前です。
チベット問題が総統選挙にも影響を与えているようですが、2月24日に書いた話とも関係し、改めて漢民族の深謀遠慮を思わされること切です。
★3月13日
台湾、南京の人を交えて職場の交歓。日本文化の特質を一わたり語った挙句、アジアは仲良くしなけりゃいけない、が大方の結論。以前、掲示板に貼っておいた清朝の王女川島芳子の「日本人である前にアジア人でなければならぬ」の大書が思い出されます。
そんな折、「ちょうど出ますよ」と長野県の松本から歴史読本の4月号「明治女傑伝」が事前に送られてきました。芳子が昭和12年に松本高女で演説した時の内容は以前にもふれましたが、確かに昔の女傑はすごい。押さえられていただけに今よりすごいかもと思います。
そのすごさというのは、日本を大陸国家として見ていることではないかと思います。
今の日本人は、目が主としてアメリカ方向やヨーロッパ方向に向いていますから(これは中国でも同じか)、自身を太平洋の一島国としか見きれないのです。価値基準の中にアジアが入らない。だから、逆に、実はアジアが極めてヨーロッパ的であることが分からず、日本が島国ながら独自の島国と思う誤りを起こしているように思います。実は独自の島国ではなく、昔のアジアの残滓が残った博物館のような存在であることを見きれない(本当はその中に、真の日本のものがあるのに)。そして、この「博物館性」から抜け出さなければ、ヨーロッパ化している世界に遅れを取るかと思いますし、今の政治も変わりません。日本のテクノロジーの先進性と精神の非ヨーロッパ性とは違います。
★3月6日
ただ1個の「事件」とはいいながら、そんなわけで、M容疑者のサイパンでの扱いは、様々なことを考えさせてくれます。
テレビに出てくるススペは官公庁の集まったところですが、ドイツの10数年間の統治、日本の35年間の統治、アメリカの軍政という様々な統治を経て、人種的には半分のチャモロ系(ただし色がブラウンより濃いカロリ二アン系も)、4分の1の韓国系、同じく4分の1の中国系と、様々な利害の中で、いかなる統治機構を持つかについてしっかり議論して今の形を作ったことは、国つくりのいわばモデルケースであり、日本の改憲論議などよりよっぽど実態に根ざしています。
我々もあの「国」に学ぶことは極めて多いはずです。
★2月26日
今年正月にいただいたメールによると、そのサイパン島では、今年も高校生による刑事模擬裁判が開かれるとのこと。例のニュースに出てくる裁判所でです。
もちろん、それは陪審裁判で、日本でこれから始まる裁判員とは違います。何かとドイツが好きな日本は、ドイツの参審に似た形の裁判員という悪く言えばキメラの如きものを考え出したのですが、それは民主主義を具現化し、歴史を国民が作るという発想とは無縁とさえいえる奇妙なものです。実はドイツは、よほど民主的に変わっているのにです。裁判は裁判官のみによれ、などという反対論には組しませんが、逆に、その不徹底に異を唱えたくなります。
あたかも今日は、2・26事件の日。
あの事件で、民間からただ一人死刑になった水上源一さんは最後にあたり、「国民よ軍部を信頼するな」と述べたとか。戦前、軍部とともに「部」と称された司法部が、一体どうなっているのか、我々はより本質的に考えるべきでしょう。
★2月24日
先日のコゾボ自治州の独立宣言を見ていたら、色々なことを考えました。よそから入ってきたアルバニア系住民が9割を占めたからとて独立というのでは、セルビアの方々も納得できないでしょう。
こんなケースはあちこちにあり、1月17日や22日に書いた南方の某国も同じです。元々の住民がいるところに、イギリスがインドから労働力として連れてきたインド系が半分近くに達し、彼らはすごい才能の持ち主ですから、経済のみならず政治的力まで持つようになり、旧来の住民は何回かのクーデター騒ぎを起こしています。
実際、中に入ってみると、相当な緊張感があり、いわば坩堝のように混じっているからいいようなものの、きちんと区分けされてしまえば、正に一触即発になるでしょう。
コソボも慎重に対応することが必要です。
しかも、こんなケースは中国東北地方などでは数十年前に逆の形で現出したことがあり、日本の為政者の、真の戦略を欠いた戦争惹起のため、今や、東北のほとんどは漢民族によって占められています(内モンゴルもみんなそう。つまり東北は巨大なコソボみたいなもので、独立じゃなくて併合されてしまったわけ。これもまた、東条さんたちのお粗末さの一例です)。餃子くらいで、とは言いませんがあの程度のことで大騒ぎし、戦略を欠いているという点では、今の日本もちっとも変わっていません。
閑話休題、南の「国」サイパンではMという被疑者が逮捕されました。小さいとはいえ、あの国は純粋なアメリカではなく、自治を持った北マリアナ連邦です。ここでも、日本が戦略を欠いたためその姿になった、とも言えます。何しろ戦前は、ほとんど日本みたいなものだったのですから。
Mを無罪にした人とも少々の関わりがありますが、今後に関心が持たれます。それにしても、長銀の事件といい、今度といい、小さい島国も大きな裁判にかかわるもので、我々はもっと太平洋を見つめ直すべきでしょう。
★2月12日
韓国ソウルの南大門・崇礼門が消失したことについては、驚くとともに、深くお見舞いの気持ちを表したいと思います。
この崇礼門、読んで字の如しで、礼を崇拝するですが、ここにいう礼は、日本でよくいう礼儀作法のことではありません。それも一部かもしれませんが、もっと数学的な階層・秩序です。礼記をはじめとする周礼、儀礼の礼です(三礼)。例えば、公侯伯子男などという華族制度の言葉は、礼記などにある言葉です。日本人の多くが単純に礼儀としか読めないところに、日本のアジアとの断絶、あるいは、哲学的思考の薄さ、更にはむしろ単純さを感じざるを得ません(そして、その単純さの根源も問題)。
韓国の友人もいうとおり、この礼は究極的には天を向き、地に対し、例え門は燃えても、その奥の天と地は、そしてそれを機軸とする階層(人間も都市も)は、微動だにしません。特に、朝鮮儒教全盛の昔の韓国では。
問題は、そのような階層秩序のみで政治をしてよいか、現代はそれに別のもの、一言で言えばより高次の「法の支配「を加えるべきかです。私は今の韓国では加わっている、少なくとも加える方向にあると思います。その意味で、韓国のやり方は、大いに日本の参考になるものです。
★2月10日
アジアで初めて成文の憲法を持った国は、日本とトルコ。
そのトルコで、公立学校での女子生徒によるスカーフ着用が解禁されかけているとのこと。スカーフだけでなくトルコ帽についても厳罰を持って望み、正に上からの革命を成し遂げ、世俗主義を定着させたケマル・アタチュルクの思いやいかに、と思われます。
オスマントルコの瓦解を世俗主義の確立で切り抜け、近代国家をなし遂げたケマル・アタチュルクの手法とその意志は、よく似た政治形態の日本にとっては示唆するところ多く、現に、昭和初期の我が国では、十月事件の橋本欣五郎大佐ら影響を受けた人は多かったのです。
一体、これからどうなるのか、ユーラシア大陸の東と西とで、実はよく似た点も多い日本とトルコの今後が懸念されますが、その厳しさは、イラクとの関係も含め、日本の比ではありません。日本はアメリカの傘の下なればこその能天気。少しはトルコの厳しさも見習って、物事を深く考えろよと言いたくなる首長なども多いこの国。
トルコの遺跡にかかわる知人のプロジェクトも心配です。
★2月6日
立春も過ぎ、明日7日は旧正月の元旦。いつも書くことですが、旧正月は大事にしたいものです。
それはそれとして、今年もいくつかの新年会に出ましたが、どちらかというと疲れたのが「偉い」人との会合。頭が固く、もっと知りたい、という葉隠精神に欠けている傾向の方が多くて。
面白かったのは台湾最大の慈善団体のそれ。日本人はほとんどいませんでした。
大陸はもちろん世界中に援助の手を差し伸べるその団体(地震の時も、政府の集めるおかねより、その団体の方が多い)のキャッチフレーズは「敬天愛地」。仏教の団体ですが、しっかり天と地の東洋思想だな、と思いました。
儒教的な、きちんと整除された世界と仏教的な愛情とをミックスさせるのがアジアの智恵でしょう。そこで買ってきたそのトップ証厳法師(彼女は50代でノーベル賞候補となり、アジアのノーベル賞・マグサイサイ賞を授与される。昨年も日本の賞を受賞。数年前、面会)の法話を聴いていてそう思いました。
★2月3日
中国から輸入した餃子の問題でニュースはもちきりです。私の知り合いも何人かテレビに登場し、コメントしていますが、今朝も登場し、私がリンクを張っている(ただ今はつながらず)科学的鑑定の専門家・木下さんがされているような分析がまずは必要でしょう。彼とは小学生以来のペンフレンドです。
何箇所かの中国工場を見学した私の経験からは、一般的にいって日本向けはそうめちゃくちゃなことはありません。もちろん格差社会の典型ですから、下を見ればきりはありませんが(それがちゃんとなれば、日本は太刀打ちできないということ)。
そして、もっと大きな問題はいわずとしれた日本の食糧自給の問題です。他の先進国に比べてもあまりにお粗末。その根底には兵農分離以来の農に対する偏見がある。そして、アメリカの影響を受けた肉食は、牛一頭で何倍かの穀物を消費する非効率。
正に砂上の楼閣か累卵の危うきにあるのに、皆飽食している(ただし、日本人の食べる量はまあまあ少ない。どこかの国と同量を食べれば、たちまち自給率は20パーセントに落ちるでしょう)。うまいものを食べる以前に食べられるかどうかが問題なのに、そこがわかっていない。正に、親鸞の火宅無常の世界に住んでいるのが日本の住人ということです。
★1月27日
1週間ほど前に、久しぶりに小田原に行きました。駅の前の変わりようにはビックリしました。
小田原といえば後北条氏で、様々な遺跡があり、大好きですが、もう一人、二宮尊徳も有名です。
しかし、彼のどこがどうすごかったのか、というといまいち。私の知る限り、そこのところを経済学的にきちんと説明してみせたのは、総理大臣をやった宮沢喜一さんくらい。20年以上前の報徳桜会でのことでした。
あの話し以外は、「芝刈り縄ない」や洪水を防いだとか、稲の苗を大事にしたとかの国定教科書的な話だけ。せいぜいが「報徳仕法」というのがあったんだよ、程度。やっぱり宮沢さんは大したものでした。
ところでそのころ、尊徳の戦前の位置づけは、天皇家でもそれを尊崇し、たたえて頭を下げるというものであったことを知りました。
ということは、明治憲法下における尊徳は、いわば、中国における孔子の位置づけか、と思われてきます。このことについては私は全くの素人ですから、ただの感覚ですが、研究してみる価値があるのでは?つまり尊徳は、孔子に成り損ねた人!?そう考えると、話は大きいです。もちろん「規模」が違うので、初夢かもしれませんが。
★1月22日
17日に書いた南国の兵士の名は、ビリブさん。実はフェリペと同じです。フェリペというと、大航海時代のスペインの王・フェリペ2世が浮かびます。現に、赤道以南の彼の国にはスペインの教会のファザードつまり表玄関が残っていて、それは、赤道の北の私が時々訪問するサイパンにあるのとそっくりです。
今更ながら、スペイン、ポルトガルらの影響の大きさを感じないではいられません。
特に日本は、この博物館の中に書いたとおりサラゴッサ条約によるデマルカシオンの境界のいわば真下にあります。ですから、ポルトガル・スペインの両方から人がやってきて、様々な情報が届いたはずです。あるいは、マゼランはスペインの船団として世界一周をしましたが、相当数のポルトガル人が乗船してもいたのです。
そのような世界情勢の中で、ヨーロッパ思想が日本にどういう影響を与えたか、あるいは、逆に、東洋の思想が西洋の思想にどういう影響を与えたか、この視点なくして武士の道はもちろん、日本の思想など語れるわけがありません。
★1月17日
お正月に会ったある外国の兵士の話。日本の自衛隊と合同で仕事をすると、軍帽、軍服を着用しているのにやたら頭をさげますね、とのこと。
そのことは以前もこの欄に書きましたが、正にそのとおりで、アジア大陸に行った時、すぐ日本人とわかるのは、やたらペコペペコと頭を下げるから、というのは有名な話しです。
この「風習」は丁寧といえば丁寧。しかし、危険でもあります。もちろん、素性がすぐわかる、ということもありますし、「戦闘をもって基準とすべし」の軍人がそれをやっていたのでは、相手からやられてしまいます。だから、挙手の礼でよいのです。
ちなみに、以前書いたとおり、新幹線の車掌さんも制帽を被りながら挙手の礼でなく、頭を(しかも帽子を被ったままで)下げます。もちろんそれが丁寧と考えてのことでしょうが、服装と行動がミスマッチです。乗客が要求しているのは規律に基づく安全のはずなのに、あれでは「油断」ありと同じ。
こういうところに、官尊民卑と公私のけじめとを混同した発想が見られます。前者はいけませんが、後者は尊重されるべきです。そして、挨拶文化は、これまた日本に残った古いアジア文化かな、と深い興味も持たれます。
★1月1日
あけましておめでとうございます。
今年も真に世界に誇り、貢献できる日本とは何かを考えていきたいと思います。中学生の時からの葉隠の徒として。
10数年前、筑波大学M教授の「アジアで唯一、年号を持つ国として誇りを持ちましょう」なんていう発言に、?を感じたものでした。年号は所詮輸入品なのですから。そもそもそういう価値観自体が輸入品であって、その輸入価値観を前提に判断していたのでは「日本の・・」などわかりませんし、世界の人に「日本ではこうなっているんだよ」とより本質的な別の価値観を示し、誇りを持つことができません。日本にはアジアからやってきた(よいか悪いかは別にして)「文化財」がこんなに残っていますと言っているだけのことで、自分のオリジナリティを主張していることにも、その有用性を述べていることにもなりません。
私の身内が60数年前、戦争でビルマに行く途中タイに寄ったら、かろうじて「独立」していた地元・タイ軍の軍人が、日本のお下がりの小火器を示して、「すごいでしょ」なんてやったらしいのですが、それと同じことです。もちろんこの時のタイは、それ以前もそうですが、形ばかり独立の形式をとっていただけです。だから連合国から戦後、責任を問われなかったわけで、何やら今の日本をも思わせるところがあります(タイは、ただの「微笑みの国」ではないこと言うまでもありません)。
大学の教授(あるいは名誉教授)と称する人が、上記のタイの軍人や亡M教授のようなことを言ってマスコミの寵児となっているような現象は本当に困ったことです。
結論からいえば、鎌倉武士の生き方こそ真の日本的なもの、と言いたいわけですが、またおいおい書いて生きましょう(かつての掲示板の復活も何とかします)。鎌倉武士の発想は、日本独自であると共に、世界に和する、また、世界の参考になる大きなものなのですから。
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