★7月21日 
Tuesday, July 22, 2008, 01:07 AM
 ある台湾人の方が5月20日、焼身自殺を遂げられたとのこと。享年81歳。
深くご冥福を祈りたいと思います。
 その方は、もとより戦前の日本教育を受け、私の知人と同じく軍隊に入り、兵長でした。しかし、戦後大陸から国民党の軍隊が進駐してくると、この軍歴があだとなり、処刑されるか国府軍兵士として国共内戦を戦うかの選択を迫られ、今度は国民党の兵士として大陸に渡り、共産軍と戦います。この中で、日本兵時代の武士道精神が沸々と沸き起こってきたとのこと。
 そして、昭和30年代、台湾独立運動の本をもっていたかどで10年の流刑。更に昭和60年にもパスポートを無効にされてカナダで亡命生活。平成3年にやっと帰国できるようになると、補償要求や平和の礎(いしじ)の建設に邁進。
 しかるに、民親党政権の不手際で支持率低下とともに民親党員までもが造ろうとしていた公園名を変更に賛成。そして、今年の総統選挙の結果は、平和の礎の構想を打ち砕くもの。その結果、上記のことになった次第です。これを報じた新聞には「武士道というは死ぬことと見つけたり」の文字がありました。
 今更ながら、台湾における戦前教育の「何か」を感じざるを得ませんでした。
 しかも、拉兵(らーぴん。拉致された兵隊)は大陸から台湾に、だけではなく台湾から大陸にもあったのだと、あの島の深さにまたまた重たいものを感じました。
 何とか、単なる親台ではなく、本当のシンパシーを感じてあげられる国民になってこそ、我が国も一流といわれるのではないかと思います。
 台湾とは50年近いかかわりを(祖父の代からいえば100年以上)持ってきた者として。



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★7月8日 
Wednesday, July 9, 2008, 01:50 AM
 大正時代の中国は、辛亥革命後の紛々たる乱離の間ともいうべき大変な時代ですが、今日の世界情勢を考える上で、様々な示唆を与えてくれます。
 そのころ北京で発行された「北京週報」の1927年版はこんなことを言っています。  「米国の著者カールクロウなる人、日米問題なる一書を公にして、徹頭徹尾日本を罵倒せるが、多くは肯綮に当たらずといえども、日本の資源の貧弱なるを指摘せる点は、すこぶる事実に近きもので、彼は曰く、日本人は如何に威張りたるとて、その全国土は米国のカリフォルニア一州より600平方哩広きに過ぎず。日本人は山水の優美をもって誇れども、その美なる山水は、たまたまもって日本の国土の貧弱を物語るに外ならず。・・・」つまり、いささか古い言葉ですが、「美しい国」とかいうような、鍋島直茂の「実」の発想からみると「お話」としか思えないような発想は、だめと言っているわけです。
 もちろん、ブルーノタウトみたいな外人に褒められたからといって景色の美で酔っている様な国民では困るわけです。
 まだまだ引用すると参考になる話が満載ですが、今度の洞爺湖サミットにおける日本の立場を示唆する警句に満ちた本を見直すことも大切でしょう。



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★7月4日 
Friday, July 4, 2008, 02:57 PM
 下の如き小説非難(?笑)を書いていたら、昔から興味をもっていて1冊も読んだことのない丸山健二さんが、昨日の日経に我が意を得たりのことを書いておられました。
 曰く「父が愛してやまない日本文学も嫌いだった。愚にもつかない苦悩をつづった病的なものに映ったのです。」、
 最新作については「ダイナミックな室町の日本人の精神を描きたかった。江戸時代以降の日本人は島国根性の狭い枠にとらわれてしまった。もともと日本人には強靭な生のエネルギーがあったのに」。
 正に私と同じ意見じゃないかと思いました。
 その昔、安曇野をバイクで翔る不思議な小説家。こりゃいいぞ、と思ったものです。

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★7月1日 
Tuesday, July 1, 2008, 01:43 AM
 そういえば、下段の席でそのA先生のお話し。例の晶子源氏や谷崎源氏など現代語訳の源氏については、全て一流の学者のアドバイスがあったとか。
 ちょうど、竜馬が行くという小説は(私は読んでいませんが)、太宰治の墓の前で死んだ田中英光の父・岩崎英重さんの著書がなければ書けなかったといわれているのと同じでしょう。
 私は、岩崎の素晴らしい著書は読みますが、司馬さんの小説は全くといっていいくらい読んだことがありません。およそ、小説なるものを読まないのです。
 親しくさせていただいている憲法のT教授によると、その方の先生・田上穣二さんも小説を読まない人だったとか。田上教授には口述試験で当たったことがあり、ややびっくりした面はありますが、正に美濃部的な厳格な論理の人だったと思います。
 こんなことを飛行機の中で同席した人に言ったらあきれられましたが、小説はあくまでもただの楽しみ。ましてやそれが高じて美談に酔うようになると大変です。
 この博物館に書いたとおり美談で歴史を作るのは決して日本式ともいえないのです。日本人が論理的国民になるには歴史は小説じゃないんですよ、という当たり前のことをまずは自覚してもらうことが大切かもしれません。 

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★6月29日 
Monday, June 30, 2008, 02:12 AM
 このところ源氏物語がやたら出てくるね、と思ったら、今年はできて1000年目ということになっているそうですね。
 それで、先日、文部科学省OBのA先生に「あんなに難解で、解釈に苦労するような男女の機微の本は高校生には教えるべきではない。徒然草の前向きの部分とか吾妻鑑を読ませるべし」と言ったら、否定的でないお言葉で、やや溜飲が下がりました。
 とにかくあれ(源氏)はいけません。あんなものを教えるので、かえって若い人の国語力が低下するのです。今や、日本の若者の国語力は地を払っています。
 確かに中国のある有名人が、「我が国では紅楼夢が出るまで、紫式部という女性にああいう本では負けてしまっていた」と言ったのは事実です。
 しかし、その中国には武では三国志演義が、侠では水滸伝があります。源氏は情です。しかも男女の。
 こんな実情をみれば、武士道の徒?があんなナヨナヨの源氏をありがたがって我が国の誇りみたいなことを言うなんて、正にもってのほかです。
 よろしく源氏ではなく、平家物語、徒然草の40段以降あたり(この前とあとでは違います、といわれていたのは学芸大の安良岡康作先生。徒然草は、ただの無常感だけの本ではありません。もっと積極的な本です)、それに吾妻鑑、甲陽軍艦あたりを読ませるべし。そうすれば戦争の意味もわかります。
 そして、もっと国語ができるようになり「声に出して?」なんていうややおかしな本をありがたがるような風潮はなくなります。あの程度じゃ困るのです。
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★6月20日 
Saturday, June 21, 2008, 02:04 AM
 昨日は仕事で長野市に行きました。
 駅前で、中国政府を非難するビラを配っている中国系と見られるおばさんがいたので、つい簡単な中国語で声をかけるとマレーシアから来たとの話。「もっとビラを配りたいから長野に友達はいないか」と聞くので「没有(いない)」と答えました。
 これは例の?宗教のビラなので、いささか危険かとも思いましたが一応の友好(ヨウハオ)。
 夜になって、今度は相談かたがた深い中国思想の研究家と話すと、その宗教自体は危険じゃありませんよ。ただ「気」を大事にするんです、との話。
 しかし、気といわれると、私にはやはり眉唾で、今や正に長野市の一部になった松代の先覚者・佐久間象山といえども、自分の身内がコレラだかで死んだとき、火葬にすると気が飛んでよくないので土葬にすべしと言ったとか。正に非科学的で、今の墓地埋葬等に関する法律の趣旨にも反します。
 藤田東湖の正気の歌が残念ながらパクリであると以前も書いたとおり、決して西洋万能とはいわないし、漢方薬の信奉者ではあれど、やはり怪しいものは怪しいのではないかと思います。
 水戸黄門も合理を追求したとは言えるのですが、根本が不合理で大変な問題の源を残す。合理と不合理の区別は本当に難しいです。
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★6月17日 
Wednesday, June 18, 2008, 01:08 AM
 先日、何十年か前に最高裁判所で担当した事件の受刑者から手紙がきました。
 何十年も刑務所に入っているということは尋常ならざる事件なのであって、当然、
私の気持ちも穏やかではないわけですが、かといって、私はそのケースに死刑を
選択することには少なくとも躊躇を覚えます。
 ロンブローゾという学者の、犯罪は遺伝学的なもので、必然であるとの見方はと
らないとしても、「自分はなぜこういう事件から手を引けないのだろう」と呻吟
する被告人や、その意識さえ「持ち得ない」つまり、自分は悪くないと思ってし
まう人間(少なくとも外形は)がいることも事実なのです。
 そういうことを知り、死刑の実態も知った国民であってほしいのですが、後世の
人類から、当時の日本人は、韓国のように死刑場も見せられず、被告人の実態も
知らされずに、闇雲に世間の敵を抹殺していた、などという評価だけは受けない
ようにしたいものです。
 後者の点について、来年からの裁判員制度が一定の役割を果たすことは間違いないでしょうが、先行している韓国の域には達しなければ世界からあきれられます(今日の死刑報道を見て)。

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★6月10日 
Tuesday, June 10, 2008, 10:39 PM
8日間があくと色々考えさせられることだらけです。
 日曜は、恩師の奥様のお見舞いで山形に行きました。ご夫妻との数時間の対談でしたが、やはり年配の方と話すと、最近の日本人の能力低下が話題になることは否めません。
 恩師の父上はA級戦犯・佐藤賢了の東京裁判における弁護人を務めた有名な学者であり、裁判官です。佐藤は「黙れ事件」で有名な東条の側近であるとともに、戦後は宇都宮徳馬さんとともにアメリカのベトナム介入を批判した人。あれだけの問題児(私は彼が話すのをテレビで見ました)でも昔の人の方がキャパが広かったかと思います。
 そうしたキャパの広さを涵養するには、国語、特に古文の力が必須でしょう。かろうじて教える能力のある人がいないではない今の時期に、源氏物語はやめて平家物語をしっかり教えろと言いたいです。
 日経で、源氏がブームということで特集がなされていましたが、その初めにもあったとおり、徳川家康など、それを愛読していたからこそ、後の雅趣味、幕府崩壊につながったのです。そのことは漢学者も予言していました。
 学校では、もっと雄渾な国民文学を教えるべきで、宮廷の変てこ文学は余裕があればやればよし、です。

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★6月2日 
Monday, June 2, 2008, 10:37 PM
 以前も書いたことですが、30年近く前、ある高名な刑事訴訟法学者のお話を聴いた事があります。
 その先生いわく、「私は『日本の』刑事訴訟法というものがどういうものか外国の人に説明できないのが残念です」と。
 そして30年、実はその先生こそが今回の「裁判員」なるものを考え出された重要人物?と知りました。そして、「えっ先生、あなたの言う『日本の』というのはこういうキメラみたいなものだったんですか?」とも。
 陪審でもない、参審でもない。奇妙なものだし、理念から導き出されてこない。つまり、国民が歴史を作るという陪審の根本からずれているし、鎌倉的にいうと、実は日本のものでもない。いわゆる妥協の産物みたいなものです。
 いよいよ施行まで1年を切って反対論もかえって盛んになってきましたが、こうした理念をとりあえず措けば、大化けしないとも限らない。韓国では先行して行われ、ポジティブな評価もあるそうです。もっとも牛の輸入などを見ていると、韓国と日本では、それをになう国民性が違うかな、という気もしますが。

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★5月30日 
Friday, May 30, 2008, 10:25 PM
 おとといは仕事で、この博物館に関係深い水戸へ行きました。茨城県人会で話しをした時のこと、ある人から「あなたのいばらぎは間違いで、いばらきが正しい」とのやや厳しいご指摘。
 しかし私としては「は〜、そんなこと言ってるからおかしくなるんですよ」との応答。
 なぜなら、茨城県なるものは明治政府のやらかした一種の創氏改名みたいなもので、今日の新聞に民俗学者の谷川さんが書いていた平成町などというとんでもない文化破壊の一例に過ぎないからです。
 茨城でいえば、常陸の国風土記に石岡の土蜘蛛の話しがあって、それに備えるために城(き)を造った。だから、県全体の名を茨城にしましょうという話し。東京などという人工地名から始まって、皆適当にそういう方式。栃木に至っては字まで作ったとのこと。
 で、そうなろと、実は佐賀県にも小城というところがあり、これも土蜘蛛に対抗するために小さな城(き9を作ったことに由来します。でも「おき」では言いにくいので、「おぎ」です。
 ワープロでも「いばらぎ」ででるとおり、そんなことに正しいも間違いもなし。以前書いたとおり、こうした議論は上田秋成と本居宣長との間にもあったのですが、自然であるのは秋成。宣長の教科書的名声?によって判断を誤ることなかれといいたいです。
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