Friday, October 16, 2015, 11:39 PM
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アメリカのお姉さんとサイパン談義となる。彼の地にラマダンがあると。
数年前に行った折、テニアン島でのラマダンあけの大食事会に呼んでいただいたのです。
でも、あそこってカトリックですよね、というわけ。
実は771年、シリアのダマスカスがアッバース朝に滅ぼされ、ウマイア朝の王子が北アフリカ伝いにイベリア半島に逃れ、その地に後ウマイア朝を立てた。しかしその後のレコンキスタでムスリムは半島を追われた。でも、ムスリムのラマダンの風習はキリスト教徒の中に残り、スペインの世界制覇の中でサイパン、つまり北マリアナにやって来た。というわけ。
なので、そのお祭りでは、スペインらしき豚の丸焼きというおご馳走が出る。
と、ここまで話したら、あれ、ムスリムって、豚は食べないはずじゃ、という話。
そんな具合に文化はコンバインするんですよね、と。
そういうことは、最近見たバルカンのキリスト教などにも顕著に言えることで、要は世界中にある現象。だから、人類文化のDNAが大事だ、という話です。
そして、そうなるとこの日本だって、色々なものが国際的に混ざってその文化が出来上がっているのであって、何でもかんでもオリジナル、みたいなことを言っていたら笑われます。むしろ、混じりながらその中にある独自性を言うべきでしょう。
その場合の誇りの基準は、自分の身の丈に合わせている、ということではないかと思っているわけです。この博物館にある「御成敗式目」のように。
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Wednesday, September 23, 2015, 12:49 AM
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ここひと月あたりの世相は、何とも理解しかねるものでした。
しばらく前には、中国の北京で戦勝70周年のパレードがありましたね。もちろん、実際の戦いの大部分は台湾に追い出された国民党の軍隊が戦ったのですが、その点は措いて、これを報じるマスコミ、更には政府も、問題の捉え方が不十分というより、的外れと言わざるをえません。
どうしてあの行事にそれなりに世界中から集まったり、招待がなされたかといえば、それが「法西斯戦勝70年」だからです。法西斯はファシズムです。日本という国家にでは、正確に言えばない。
ですからファシズムと戦ったドイツのヴァルキューレ作戦、つまりヒトラー暗殺作戦に敗れたクラウス・フォン・シュタウヘンベルグ大佐が「ここにもう一つのドイツがある」と言って亡くなったとおり、ドイツの現政権はヒトラー政権とは違う。ムッソリーニを逮捕して、ドイツに宣戦布告したイタリア然り。
それに対して日本は、東条以下をきちんと断罪していない。だから、現政権も、自身そのつながりと思っているし、よって、捉え方も反日と、「国家」として捉える。つまりは認識不足がある。東条はもとより、その取り巻きで、ビルマ作戦において女性を連れて飛行機で逃げたなんていうビルマ方面軍司令官は、断罪されてしかるべきなのです。
私の父が参加したこのビルマの戦争。東条と衝突してビルマにやられた田中新一中将は、ビルマ方面軍参謀として最後までラングーンに残り、上記司令官に対する徹底的な批判をされていました(戦後の戦友会で)。
日本は、ドイツやイタリアのようなけじめがついていない。
ここに大きな問題があることまではわかっても、その先の論理がわからないので、中国指導者の演説にもトンチンカンな反応をする。
で、それと並行してのいわゆる安保法案。これの取り上げ方もおかしい。まず、60年や70年の安保と一緒にするなよ、です。あれは、米国による片務的な、日本を助けるだけの条約であり、だから、代わりに日本は基地を提供するし、核は持たないし、ということでやってきた。だから、あれに反対する方がおかしいんであって、特に70年安保の過激派連中はなってない。私の方が被害者です。大学の入試も中止にされちゃったんだから。ところが、今の政権の中にもこの反対だった人間がちゃっかり座って法案を提出している。内閣法6条に基づき閣議で決めたんでしょうから。まことにけしからん話です。
で、話を聞いていると眠くなるような、底の浅い話をしていたある外務官僚が駐米大使などになった頃から、急に「日米同盟」と言い出した。同盟というのは、本来双務的であるべきで、昔は日米同盟なんて言っていなかった。ここらから怪しくなる。
およそ日本の裁判所が編集した本にだって、集団的自衛権は憲法で認められてはいません、と書いてあるわけで、勝手な解釈は、明治憲法だったら「王言」つまり、天皇陛下のお言葉に反する違勅行為です。
それはそれとして、今度は、このことと戦争反対がごちゃごちゃ。日本国憲法も自衛のための戦争つまり迎撃は認め、それでやってきた。ハリネズミのような武装をし、急迫不正の侵害があれば身を捨てる覚悟でそれに当たるのが自衛官。ただの戦争反対じゃない。だから、反対しているまともな人は、60年や70年の連中とは違う。あの、特に70年の、甘えたファッションで反対をしていた(のが多い。大部分とも言える。上記閣僚もその一人)のとは違う。
だから、60・70と一緒にするなと言いたい。
一方、改めて、法案を出してきた方はひどい。国会が終わったら息抜きのスポーツとは何か。上記のビルマの腑抜け司令官と大差なし。
2・26事件の時、説得に説得を重ねられて遂に決起した安藤輝三大尉は、原隊復帰の局面に断固反対。最後は自決まで試みた。本当に命をかけた人の純粋さがそこにある。台湾の大学の先生が、その純粋さを言っておられた。正に皇民としての教育を受けられた方なればこそわかる一つの悲劇とも言えるかもしれない。
あんな日本の為政者の姿は、前線が白骨街道になっている時、軽井沢にも比せられるメイミョー(ミャンマーの避暑地。イギリスが作った)で、のほほんとしていたり、シンガポールでご馳走を食ったりしていた将官を思い出す。そんなのが日本の今の政治家にも沢山いるということでしょう。これじゃ国家が持たない。
そして、今日あたりのロシアの話に至っては何をかいわんや。ロシアの指導者をファーストネーム?で呼んでいたのは一体何?これも、ロシアが何かがちっともわかっていない。文化人類学的素養の欠如。日中の戦争で、中国の北と南の違いが分からず、南京を攻めたのと同じ過ち。
北方2島どころじゃない沿海州を、ロシアが清朝から取ったのが1860年。その時の北京条約締結の船は函館から出ていた。その時、日本の過激派は何をし、どう幕府の足を引っ張り、2島どころか樺太、千島を失った。この辺りは、徳島の先覚者・岡本監輔あたりを勉強して、今、何が本当に良いことか、考えるべし。
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Wednesday, August 26, 2015, 10:09 PM
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8月も終わりそうです。
この一ヶ月は色々なことで半月を留守にしました。8月15日は中国の重慶。言わずと知れた(と言っても最近は分からない人が多い)第二次大戦中の中国の首都です。日本軍による爆撃でも有名です。街は山坂が多くて、町全体が要塞のようなもの。しかし、空港から乗ったタクシーの運転手さんは、そんなこととは全く無縁の友好。もちろん、色んな人がいるんですが。
そして、この訪問と並行して読んでいたのが、文庫本になった「上海時代」。松本重治さんの名著です。
読めば読むほど満州事変から盧溝橋事件ころへの日本のまずい政策、あるいは傾向の稚拙さを思います。松本さんも数行書かれていますが、中国がどういう国なのかが分かっていなかった。
よく書くとおり、中国の北と南は違います。蒋介石はそれを踏まえた南重視の人でした。なのに、一時の勢いから、南京という南の肝心なところを攻め落とした。私が幼少の砌お会いした真崎勝治海軍少将も言われたとおり、また、松本さんの本にもあるとおり、ビスマルクの普澳戦争の故事に習えば断固南京を攻めるべきではなかった。
そんなことを今更ながら思いました。
そのあと、成都、上海をめぐり、成都の今後に発展が見込まれたとともに、上海の繁栄ぶりも町歩きの中から感じました。
ご縁のある旧東亜同文書院(現交通大学)近くの宋慶齢の旧居。フランス租界の中の超豪華な家。これで共産党を支持していたとは、こは如何に。いつも感じる変な人。
そこから地下鉄で一駅降れば徐光啓にゆかりの一角。
彼の書いた本や、彼にまつわる科学的器具は、徳川初期の日本に想像できないほどの大きな影響を及ぼしたものと思います。もちろん武士道に対しても。
ところが、世界史の教科書では、彼の先生マテオリッチと並んだ絵が載っているくらい。それじゃまともな教育にはなりません。
上海の夜は日系企業に勤務する中国の友人と得難い意見交換。こういうところで得る生きた情報は貴重です。
第二次大戦後前も今も、マスコミを含めた日本人は残念ながらアジアが分かっていない。「上海時代」にも正にそれが書かれており、そのことを今更ながら感じた今月でした。
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Friday, August 7, 2015, 10:38 PM
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このところ、特殊潜航艇のニュースがよく流れますね。4年ほど前、伊万里湾の奥にあった川南造船の跡地に行ったことも思い出されます。あそこも、特殊潜航艇を造るところでしたが、壊されてしまいました。
人間魚雷の現物は、もちろん都内に置いてあります。その悲惨さはいうまでもありません。
ただ、その悲惨さだけを何十回、何百回叫んでみても、根本的解決にはならないでしょう。
なぜあんなことが行われたか。その、いわばソフト面が大切なのです。
そうすると、ああした作戦、兵器の奥に、ある一定の人物が浮かんできます。そして、そうした人物を育んだ、土壌が見えてきます。そして、そこまで行くと、例の、日本の一番長い日の将校たちも同じ土壌から生まれてきたのだとわかります。
そして、もっと先まで行かねばならないことになり、江戸時代の議論に行き着きます。
かくして、そこで本当に自己を見つめ直すことによって、初めてこの国の住人は、更にその前を考え、まともな人間、社会を作ることができると思います。
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Thursday, July 30, 2015, 03:14 PM
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近頃流行っている言葉に「責任」があります。
以前も書いたことですが、40年近い昔、企業爆破事件の一審判決を出された、陸軍士官学校出の裁判長は、案件から離れたあと、「裁判官に必要なのは、勇気ではない。弱虫でも泣き虫でも構わない。必要なのは責任感だ」と言われました。
この観念が、相当以前から大きく揺らぎ、一方では「勇気」とか、時には「絆」とかいうものが大事という、物語国家性が顕著です。
国立競技場などというものは、公物である行政財産であり、国民に一定の作用をもたらすものとして管理者がおり、相当の権限が付与されています。壊して建てるについても、それぞれの権限の問題であり、上記の裁判官同様、その権限を責任を持って行使したかが問題なのです。
スポーツ団体の長の責任も問題にされていますが、それは、外野であって、パワーがあるから責任があるかのごとき論調は変です。本来の責任者が、弱虫だろうと泣き虫だろうと、パワーに負けずに、権限を、正に粛々と遂行すれば良いだけの話です。
そして、こういう物語性の極致が「法的安定性はいらない」なんていう話です。
例えば、中国では、法律の未整備とか、裁判官の独立の欠如とかで、予測もできない判決が出ると指摘されてきました。これが、法的安定性がないということです。
それで、諸外国から責められた中国では、せっせと法律作りをしています。それはまだまだとは言いながら、方向性は法的安定性を目指す意気込みです。
ところが日本は、結果的妥当性さえあれば良いとばかり、勝手な法解釈?とも言えないことや、安定性無視発言がまかり通っては、正に日本の、以前の中国化。
日本大好きみたいなことを言いながら、日本を捨てる。いい加減に気づいて欲しいと思います。
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Tuesday, July 7, 2015, 11:56 AM
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ちなみにそんなわけで、ギリシャは正に遺産で食ってるような国なわけですが、我が国も今度の「世界遺産」で大喜び。しかし、前にも言ったように、「遺産の食いつぶし」は全くもって真の武士道的ではない。「売り家と唐様で書く三代目」ではありませんが、どうしてもっと前向きになれないのかね、と思います。
韓国さんからは色々あったようですが、例のアウシュビッツも世界遺産です。つまりは負の世界遺産になる可能性性もあるということでしょう。それにも意義ありか、とも言えますが。例えば、松代大本営の跡には韓国から徴用されてきた人たちの碑が建っています(同所に天皇陛下をお移し申し上げる云々にかかわった、昭和天皇のいわばSPである陸軍中尉・下村さんとは、随分仲良くさせていただきました。そのご親族とも)。
アウシュビッツの場合は、本来はオフィシェンチムという町。それをドイツがかってにアウシュビッツにした。だからあそこは「アウシュビッツ博物館」。
オフィシェンチムの元からの住民にとっては、いい迷惑とも言えることは、年初に記しました。
どちらにしても、遺産よりも前向きの実業で頑張ろうよと言いたくなります。
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Sunday, July 5, 2015, 10:50 PM
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以前ギリシャに行った折、マックのような店で警察官が食事をしているのを見て、「けじめがついとらんなー」と思ったものでしたが、正にそのツケともいうべき事態。
といって、人の振り見て我が振り直せ、であって、いつも書く新幹線の車掌さんのけじめにも大いに問題あり。ドアを通る時、頭を下げての礼は、けじめなきこと夥し。安全を確保する立場なら、下を向くのではなく、挙手の礼をすべし。そういう弛緩があのような事件を惹起したとしたら、正に問題。
またまた、かといって、やたらに固く、形だけいかめしくしろなどと言っているのではもちろんありません。この観点から見ると、最近の国会は、法的厳格性無視で形だけ厳格にしようという姿勢が顕著。これまたけじめなし。
この傾向の「元」は何か。私は、明治、大正の時の流れの中で、自分の歴史を忘れ、外国の制度を咀嚼せずに取り入れ、結局は法や法律、あるいは国家なるものの形だけしか分からず、しかも、正にモノマネをしてきたツケのような気がします。
ドイツのローゼンベルクという先生は、公平は裁判所に向けられているのではなく、国会に向けられているのだ、と言われたそうですが、法律の本では公平、つまり具体的妥当性が一番大事的な論調が多い。これでは法の権威はめちゃくちゃになります。これが始まったのが大正時代。その流れが今日に行き着いています。
で、その議論の最中に、マスコミ懲らしめ発言。この重みも、当事者さんは全く気づいていない感じです。
私の縁続きや友人にアメリカ人がいますが、そのうちの1人は、「政治活動」で在留資格がなくなり、日本にいられなくなった。何をしたかといえば、キューピーさんみたいなものを棒の先につけてデモをしたという(有名な判例になりました)。こうした行動が在留を認めないという結論に行き着くなら、日本では、外国人による政治批判は在留資格喪失につながるということになります。外国人記者クラブがセンシティブになるのは当たり前ですし、現に、上記キューピーさんを研究しているアメリカ人の教授は以前からこれを言っていた。
要は、そういう、正に普通の、標準的な国の常識が相当な日本人にはないということでしょう。
この傾向はますますひどくなっている。
となれば、やはり先ずは自分の国を、つまりは真の日本的なものは何かを探って身につけなければなりませんが、実態は逆で、中国輸入の明治維新礼賛とか、なんとかの国とか、これまた正にトチ狂った状態です。
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Sunday, May 17, 2015, 11:15 PM
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香港の友人が、先日の雨傘革命についてコメントしてくれました。
「あの若者たちは何もわかっていないんですよ」と。というのは、英国統治時代は総督による一種強権的な政治だったのに、いざ返還となると、英国は「あのね、実は民主主義というものがあるんですよ」とやったので、歴史を知らない若者はああなるんだ、という言い分。
真偽は別として(最後のパッテン総督の嫌われ具合から見ると、一つの真実を含んでいるのでしょう)、思い出したのは、沖縄のキャラウェイ高等弁務官です。
私が子供の頃は、しょっちゅう物議をかもしていた高等弁務官でした。彼による沖縄の苦労も大変なものだったと思います。
植民地とはそういうものです。
高校生の頃、沖縄からインターハイに参加していた同じ年代の生徒と東京駅から一緒になりました。こちらは22時間とはいえ博多で降りるのですが、彼らは、それから鹿児島まで行って、更に船です。もちろん、パスポート要の時代。
一緒に急行列車に乗りながら、沖縄の人々の苦労が思われました。
沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
は、沖縄戦における大田実海軍少将(のち中将)の最後の言葉であり、佐賀県警察部長(私の祖父とも面識あり)も務められた内務官僚の鑑・島田叡さんとともに頭が下がりますが、近頃の議論はこうした武士道的人物の行動から見ると、正に風上にもおけない傾向と思われてきます。
そして、本当は香港もこの日本も、香港の友人のコメントを突き抜ける国にならなければ、アングロサクソンには負けてしまうと思われます。
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Wednesday, May 13, 2015, 09:40 PM
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たったの1時間半でしたが、台湾の友人2人の東京案内をしました。
東京駅の南口で会って、目の前の中央郵便局へ。昭和3年、東台湾の原住民47名が東京に来た時の、ここの屋上からの写真があります。新装なった東京駅の眺めはうけました。
そのあとは三菱村。日本のトップの街並み、中通りも好評。もちろん、ここでその昔、大事件があったなんていうのは省略。そのあと、お堀に面したビルから皇居を眺め、お茶を一服。
隣の第一生命ビルに入って、マッカーサーの話。
その先には、砂糖業界の会館が。戦前の4大製糖会社の力に感動。しかも、世界史的な第一次大戦との関係も。更には4大製糖の一つは日清戦争以前の台湾の財閥・林本源との深い関係。林本源の家は台湾の名所で、小人国にミニチュアもあり。
その隣は、これまた戦前、強い力を持っていた蚕糸会館。
最後は電気ビルのほとりでコーヒーを飲みながらの台湾の歴史談義。
漢語の力はまだまだなれど、英語と混ぜれば一応通じるというところで、まずは楽しいひと時でした。しかも、彼ら台湾人は、こうした歴史には全く不明です。
そのこと自体が、まさにカルチャーショックを覚えることです。とにかく、国際的に物事を見ることは絶対に必要でしょう。
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Tuesday, May 5, 2015, 12:13 PM
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下の記事を書いたあと、ふと聞いたのが安保法制について、自衛官は死んでも仕方ないかのごとき暴言。
坂井三郎さんの、「部下を一人も死なせていない」という誇りの正に反対の発想であり観念論です。
このあいだ死んでしまった外務省OBで、元なんとか国大使も、その昔憲法の勉強会でご一緒しましたが、同様のことを言っていた。外務省の一部にある大きな問題です。
そもそも、自衛隊に入った以上、覚悟はあるでしょう。でも、死ぬために入ったわけではないし、家庭の都合でやむなく入った人だって多い。もちろん、きちんとした法的枠組みを前提に入っているのであって、どこへでも行って命を的に、なんていうことではない。
第二次大戦末期は、我が身内にように血書嘆願までして18師団に入り、北ビルマのフーコン(死を意味する言葉)まで行き、挙げ句の果てには潜水艦に沈められて漂流なんていう人もいっぱいいたわけですが、今は違う。
こういうことについての基本の基本が分からぬ人間が、識者のような顔をして出てくるこの国は、正に普通の国以下。要は、教科書に毛の生えた程度の入試の成績で律すのるので、広い視野を欠いた人物に運転を任せることになる。
自分は死にもしないであなた任せ。そんな国が強国になるはずもないでしょう。
時々ご一緒する外務省OBでヨーロッパの大使をされたKさんは、戦前の東亜同文書院出身で、卒業旅行の大旅行も経験された人。中国の底辺を経験し、また、その面白さも問題点もわかっている方であって、そういう経験のない、無菌動物かお公家さん的外交官では、山名宗全ではありませんが「天下奪われ媚をなす」程度のことでしかありません。
真の武士的発想というのは、戦国末期の岩屋城主・高橋紹運のような、部下と一緒に死ぬ発想です(ただし、だからこそ無駄死にではない)。
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