本当に自衛官のことを考えているのか 
Tuesday, May 5, 2015, 12:13 PM
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下の記事を書いたあと、ふと聞いたのが安保法制について、自衛官は死んでも仕方ないかのごとき暴言。
坂井三郎さんの、「部下を一人も死なせていない」という誇りの正に反対の発想であり観念論です。
このあいだ死んでしまった外務省OBで、元なんとか国大使も、その昔憲法の勉強会でご一緒しましたが、同様のことを言っていた。外務省の一部にある大きな問題です。

そもそも、自衛隊に入った以上、覚悟はあるでしょう。でも、死ぬために入ったわけではないし、家庭の都合でやむなく入った人だって多い。もちろん、きちんとした法的枠組みを前提に入っているのであって、どこへでも行って命を的に、なんていうことではない。

第二次大戦末期は、我が身内にように血書嘆願までして18師団に入り、北ビルマのフーコン(死を意味する言葉)まで行き、挙げ句の果てには潜水艦に沈められて漂流なんていう人もいっぱいいたわけですが、今は違う。

こういうことについての基本の基本が分からぬ人間が、識者のような顔をして出てくるこの国は、正に普通の国以下。要は、教科書に毛の生えた程度の入試の成績で律すのるので、広い視野を欠いた人物に運転を任せることになる。

自分は死にもしないであなた任せ。そんな国が強国になるはずもないでしょう。

時々ご一緒する外務省OBでヨーロッパの大使をされたKさんは、戦前の東亜同文書院出身で、卒業旅行の大旅行も経験された人。中国の底辺を経験し、また、その面白さも問題点もわかっている方であって、そういう経験のない、無菌動物かお公家さん的外交官では、山名宗全ではありませんが「天下奪われ媚をなす」程度のことでしかありません。

真の武士的発想というのは、戦国末期の岩屋城主・高橋紹運のような、部下と一緒に死ぬ発想です(ただし、だからこそ無駄死にではない)。
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思い出される坂井三郎さんの言葉 
Friday, May 1, 2015, 04:52 PM
またまたゼロ戦の撃墜王・大空のサムライ・坂井三郎さんの言葉が思い出されました。私は彼の最後の講演会を開催したご本人です。
彼によると、「アメリカ相手の戦争は、堂々たる横綱相手の相撲。しかし、アジア、特に彼が最初に戦った中国相手の戦争は、どうにも説明のつかないものだった」と。
戦車は無く、飛行機も、搭乗員はもとより他国の援助で辛うじて、という国相手は、一言で言えば弱いものいじめ。武士道にもとること甚だしいというわけ。

当時も「膺懲」の師みたいな言葉があって、国内的には大義名分があったのですが、所詮これは、いつもいう「お話」の世界。機能的な、また真の日本文化から紡ぎ出した論理的なものではありませんでした。

この坂井さんの見解から言えば、謝る対象はアメリカというより、むしろアジアに対してでしょう。昨日おとといの話は、変な具合の話です。

もう一つ、近頃の議論の変なことは、安保法制云々を言いながら、ニコニコしていることです。
坂井さんは、部下の僚機を引き連れて大空の戦闘に加わった時、部下を一機も死なせていない、それが自分の誇りだと言われていました。戦闘は人の命が失われることなのに、ニコニコは、それだけでごまかしが明らかです。

実際の戦闘には加わりもしないのに軍服で空母に降り立ち、一つの「お話」を作り上げ、結局は今につながる破綻したイラク政策に終始した米国の大統領のやり方は、米国の持つ最もマイナスの人工国家性の発露です。

しかし、もちろんアメリカにも(には)しっかりとした機能的、論理的な国づくりの伝統があるのであって、その昔訪れたワシントンDCの連邦議会議事堂にある本には、「歴史はお話ではなく、ここで作られる法律の中に歴史があるのだ」と書かれていました。
そんなわけで諸外国を参考にする場合、自分をきちんと確立して、底の浅い国粋ではなく、真の民族的な発想から「紡ぎ出す」作業が必要です。

ちなみに先日、議員会館で歴史の話をしました。当日、旧知の、2・26事件の青年将校の弟様がみえておられ、自然、熱くなりました。ご本人も陸軍士官学校のその方などが、正に「法律を守った」方であり、法律は、はっきりいえば守らなくてよい、嘘の効用、などとのたまわった人々のDNAがまだ蔓延するようだと、我が国は極めて問題です。

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パラオご訪問から 
Saturday, April 11, 2015, 10:12 PM
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天皇皇后両陛下のパラオご訪問の映像で、思うことは様々です。
私自身、まだパラオには行ったことがありませんが、一度は訪ねてみたいところです。特に、ペリリュー島やアンガウル島の戦闘は、どう見ても中央の発想の誤りに由来し、亡くなった皆様がその実態を知れば、いたたまれない、どころか、憤られるだけでしょう。

サイパンをはじめとする北マリアナは既に昭和19年7月に壊滅し、同島の意義はほとんどなくなっていました。
そういう時、戦国時代の主君は、積極的に開城を勧め、その隙に別の作戦を考える、など、柔軟かつ将兵の無意味な死を避け、かつ後日に備える方途を講じました。
ところが、第二次大戦の遂行者は、例えばインパールの牟田口司令官にしても、天長節までにインパールを陥すとか、硬直的な用兵で益々被害を拡大させる愚を犯したのです。
実際のところ、国家の本質を考えれば、サイパンを失陥して以降の戦争遂行能力をなくした国家は、国民を死出に導く戦争を続行すべきではなかったのです。

ところがそうならない、この思考方法は現代にもつながる問題点です。

もちろん、戦った将兵こそ真に尊敬されるべきで、命令の下、正に粛々と任務を遂行されたことには、万感の思いを禁じ得ません。
しかし、なればこそ、そういうことを命じた為政者と命令を受けて死んだ人とを、靖国神社で同時に頭が下げられるか、ということになるわけです。ここに、現代の多くの議論の中にある非法律的人士の、けじめのつかない実態があります。
昔の軍人は、先に書いたように、そこがしっかりしていたからこそ、零戦の撃墜王坂井三郎さんも、いわゆるA級戦犯に下げる頭はない、と言われて、自分のご自宅に、英霊を祀っておられました。

ゆるゆる発想は国家を危殆ならしめます。

で、私も、サイパン、テニアン、グアムなどの島にある戦跡は随分と訪れました。ロタは、米軍がいわば素通りしたので、ほとんど戦跡がないのですが、行ったことはあります。
米軍は、これらの島に、戦後、空から豆科植物の種を蒔き、全てと言っていいくらいにジャングルになってしまいました。ですから、テニアン島などは正に戦争終了そのままの姿とも言えます。そのジャングルの下に、回収されないご遺骨が何万と眠っているのです。
そのことを教えてくれたのは、北マリアナに置き去りにされた韓国人の金さんでした。北マリアナの人口構成は、チャモロ、カロリニアン系が半分、韓国系が4分の1。そして、当時は中国系が4分の1でした。
韓国人は、戦時中まで労働力としてそこにいて、戦後、帰るに帰れないことになったというわけ。

原爆を運んだB29は、ご存知の通りテニアンから飛び立ち、その原爆を運んだ巡洋艦インディアナポリスはこの近海で日本のイ号潜水艦に沈められ、1500人が亡くなったといいます。

小さな小さな島の重く深い歴史を我々は忘れてはいけません。
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法律解釈のゆるゆると「民法」 
Thursday, April 2, 2015, 12:23 AM
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近頃の日本における法の軽視は著しく、これでは全体的瓦解が危惧されるのではないか、と考えて、法哲学や法理学の本を紐解いてみると、やっぱりなかなか良いことが書いてあります。
特に純粋法学のハンス・ケルゼンなんぞの話は、ドイツ語なんぞ全然わからない私にもぴったりです。
ただ、相当偉い先生でも、アジアや中東の話について、つまりは日本法について甘い気がします。即ち、一部わかっていない。

この点は、例の2・26の青年将校こそ圧倒的にシャープな法律家だったでしょう。彼らは組織法を極限まで文理解釈したのです。軍隊とはそのようなところでもありました。この点をしっかりわかっていたのは、私の経験では15年くらい前にあった台湾の先生でした。その時の会食の仲間は、多くが亡くなるか施設に入っておられます。

こうして法律の解釈がゆるゆるになった大きな原因は、大正時代の「嘘の効用」なる本に代表される結果重視の法律無視の傾向にあったと思っています。

近頃、民法の改正が話題になっていますが、飲み屋さんのツケは1年で時効とか、まるで「ご家庭」の話みたいです。でも、本当は違う。飲み屋とか、タケノコがどうした、とかも民法ではありますが、金融機関のこと、特許のこと、いわば最先端の話の元が民法なのに、要は、「民」という名前がそうさせるとすれば、これまた輸入の悲劇です。また、民草を低くみる国民性の悲劇です。民法は「民(たみ)の法」ではありません。
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桜の花から思うこと 
Thursday, March 26, 2015, 09:18 PM
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東京でも桜が咲き出しました。
市ヶ谷のあたりを歩くと思い出すのは、数年前、堀の向こうに一生懸命桜の写真を撮っているアジアの留学生を認めた時のことです。

日本にはたくさんの留学生が来ていますが、ひところは政治問題が紛糾して気の毒でした。彼女は、祖先が日本に来ていた縁で日本に憧れ、留学したのに、政治問題で居心地の良くない雰囲気に浸っていました。

しかし、「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず」というとおり、そんな時こそしっかりとした度量を示し、温かく接してあげることこそ本当の武士道でしょう。
ましてや私の祖父は、16歳で、一人で領台後間もない台湾に渡り、現地の多くの人々の助けを得て、それが今日の私にまで及んでいますし、そうしたことは直接間接を問わず日本に生きる全ての人に言えることでしょう。何しろそこは日本の植民地であり、日本人は本当にその恩恵を得たのですから。ダムだの水路を造ってあげたなんていうのは、日本の植民政策の一環にすぎません。

その点、最近の日本人の度量の狭さと理屈の分からなさは残念です。

そんな昨日、89歳のある元官僚の方や大きな会社の元会長さんらと昼食をとり、敗戦前後の話をしたのですが、上記の点については意見一致でした。そして、80代前半あたりの意識低下が困ったもの、という話になりました。

☆ ☆
私自身の経験として、牟田口廉也将軍とかのテレビでの映像を観たことがある、という話になって、驚かれました。とにかくあれはひどかったです。責任なき戦場インパールとはよく言ったもので、全く責任が感じられない。

一方で今の為政者はどうでしょう。単純な過去への「回帰」は再びあの様な無責任時代を現出しそうです。

その意味で、問題は我々の時代、世代にあります。戦争を経験していない、ということは免罪符になりません。過去の先輩のやったことを真に反省し、しっかりとした行政、司法制度を作らなければいけませんし、そのことに我々世代は責任を負わねばならないと思います。アジアに対しても、戦死者に対しても。

そうすれば、留学生もしっかり勉強できて日本の真の友人になれるでしょう。
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武士道の国チュニジアから 
Saturday, March 21, 2015, 10:40 PM
数年前、チュニジアの出先にお伺いすることができ、外交官の皆様にお会いしました。
あの国の英雄は、何と言ってもハンニバルです。必然的に武士道と結びつき、皆さん揃って日本の武士道が大好き。
その後間もなくジャスミン革命。そんな国での今回の事件は胸が痛みます。

そして、一昨日は中東の専門家の話をうかがい・・・・一体どうしてああいうことが起きるんだろうとつらつら考えました。

確かに一般のムスリムの人は、極めて寛容で丁寧です。私にも何人かの知り合いがいますが、排他的なところはありません。逆といってよいでしょう。

一つの問題点は、あの地域からむしろ北方にかけての女性の地位です(広く言えば社会的・・・)。その社会進出はもっとあって良いのではないか。イスタンブールで電車に乗った折、女性が全く乗っていないのにはびっくりしました。あるいはロシアにおいても、教会では女性は必ずベールをかぶる。つまり、キリスト教、イスラム教という宗教を越えたあの地域(といっても、東方ロシアも勿論同じ)の問題?いや傾向です。この辺り、キリスト教のカルビニズム的な合理性からみると理解できない。

しかし、日本の軍人橋本欣五郎大佐らが大きな影響を受けたと言われるケマルアタチュルクなどは、そういうところで、正に革命的に女性にブルマーを履かせて軍事訓練をやらせていますから、超人としか言いようがありません。本当に尊敬に値します。

もっとも、同じイスラムでも、シーア派であれば、絨毯の模様もアラベスク的なものだけでなく、人の顔も動物も許されています。

そんな次第で、とかく難しいあの地域の大使に、英語しかしゃべれない人を置いたりと、日本の政治はゴッコそのものです。
そして遂には、そういう土地の文化もわからないで、安保法制なるものに手をつける。
「目には目を」はイラク・イランの紀元前1750年も昔の決まりですが、それは目には目しか許さない厳格なものです(酷刑というのは二の次の話)。日本の法律だって、国民の言葉である以上、同様に、いや、一層厳格なものであるべきと思いますが、上記安保法制のゆるゆるといい、選挙無効の判決の結果といい、およそ法治主義の体をなしていないな、と思われてきます。

これではあの地域の社会的・・・を云々する資格もありません。
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機雷の話とシビリアンコントロール 
Wednesday, March 4, 2015, 11:44 PM
機雷の掃海に関わる国会の議論を見ていて、頭に浮かぶのは、ウラジオストクの丘の上に立つマカロフ提督の像でした。
彼は、水雷システムの専門家で、日露戦争において日本軍の敷設した機雷に乗艦が触れ、撃沈、死亡した人です。日本の多くの軍人が彼の本で勉強し、石川啄木は彼の死を悼む詩を残しています。

現物の機雷はあちこちにあり、東京の山手通り沿いのある神社の境内にもありました。あの大きさの機雷が、巨大な軍艦を沈める威力を持っています。機雷は正に有力な武器であり、戦争状態を現出する主役なのです。どこまでその重みを分かって議論しているのか、怪しい。

同じことはシビリアンコントロールについても言えます。

以前も書きましたが、山岡鉄舟の「武士道」に記されている桂太郎のエピソード。彼は当然軍人ですが、文官としての総理大臣の時は、しっかり文官としての服装でドイツ関係の会合に出席したとか。それに対して、東条英機の場合は、ご存知の通り、総理大臣になってからも軍服。

その部下ともいうべき佐藤賢了は、軍服を着て国会の答弁に臨み、 議員に対して「黙れ」とやった。その東京裁判での弁護をされたのが、私の先生の父上でした。戦後になっても傲岸不遜な態度は一向変わらず、テレビでも見ました。もっとも、アメリカの行うベトナム戦争には、宇都宮徳馬さん共々反対。この辺りは面白いものです。ついでながら、宇都宮徳馬さんの父上は、佐賀閥の陸軍宇都宮太郎大将。宇都宮さんの会社の顧問をされていたのが、私の先生。

まあ、こんなつながりが、やはり実態把握には大事ではないかと思います。もちろん、そういう経験を糸口として、勉強もしなければいけませんが。

そんなわけで、政治家なら少し以上、そういう糸口を持っているだろうと思われるのに、そういう勉強のあとが極めて怪しいのが残念です。

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2・26の考え方 
Saturday, February 28, 2015, 11:58 PM
2月も今日でおしまいですが、2日前が26日でした。私が子供の頃は日米開戦の12月8日と同じで、毎年、2・26事件のことが話題になりました。

このことでも、上っ面の議論じゃダメで、自分の経験が重要かなと思うわけです。
それに、その当時は、いわゆる法実証主義的な考えも強かったので、事を法的に考える力がなければ真実を見失います。

法的に考えるということは、法律を踏まえること以上に、例えば軍人勅諭や教育勅語を法的に捉えるだけのセンスが必要です。
それがないので、誰かが底意地が悪かっただの、奸佞邪知だのみたいなお話でことを処理しようとする。

またまた今日も抽象的ですが、本当のことは書いたつもりです。

そういえば、先日、MK氏が亡くなりました。彼とも2・26の会合で会いましたが、上記の切れ味はいまひとつだった気がします。要は彼の研究対象の人のシャープさに、若い彼は追いついていなかったからです。

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強きをくじき弱きを助けるのが武士道だったはず 
Friday, February 27, 2015, 11:44 PM
坂井さんのことはしょっちゅう書きますが、実戦の人として、18師団(菊兵団)の作戦参謀だったか、牛山才太郎さんにも何度か会って、お話ししたり、賀状のやり取りをしました。当時既に90近かったと思いますが、まさに矍鑠としておられました。練馬の普通科連隊の連隊長もされたので、覚えている人も沢山いるはずです。
どちらにしても、我が身内共々、ビルマの戦線を戦った人で、立派な作戦の眼を持たれた方です(実戦の経験もない私がこんなことを書くほうが失礼)。

その18師団が壊滅したのは、中部ビルマ(ミャンマー)のメークテーラです。ビルマというところは、日本の倍くらいの広さですが、中は様々な気候に分かれています。メークテーラは砂漠と言ってよく、サボテンがあちこちに生えているところ。地べたを見れば数センチの鋭いトゲを持つ草が一面です。匍匐前進なんて到底できません。
そんなところで、対戦車砲も持たない日本軍が2000両のM4シャーマン戦車と対峙したのです。日本の軽戦車も若干はあれど、その装甲は、装甲とも言えない数ミリ程度。およそ勝負になりません。サイパンなどの南の島も同じです。

それ以前、戦車を持たない中国軍相手なら通用したわけですが、これでは話にならない。
坂井さんも言われていたとおりで、強気をくじき弱気を助ける武士道の反対をやっていたわけで、こういう本当のことを今の人はわからねばならないと思います。
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ウクライナとベラルーシから 
Monday, February 16, 2015, 11:12 PM
刀を抜かないのが本当の武士道なのに(つまり、抜かずして相手を屈服させること)、世界中が刀を抜きまくり、為政者も、モグラ叩き状態になっちゃったな、と思う今日この頃。ベラルーシでの合意もそっちのけで、ウクライナでも停戦はいっこう守られないようです。

で、このウクライナ人、実は東方に極めて多く、シベリアにはたくさん。多分、北方領土にいる人の多くがウクライナ人でしょう。そして、中国・ハルビンのウクライナ寺院は今も稼働中。

ちなみにこのベラルーシ。なぜ白ロシアというかというと、ロシアが黒で、ベラルーシが白。つまり、相撲の黒房、白房と同じ陰陽五行説から出ているとか。

世界はみんなつながっている。そういえば、先日の旅行でも、クラクフの町で元旦に、後ろから私を呼ぶ声が。アレーと振り返ると、前日バスの中で話しをしたベラルーシ人のグループでした。何て世界は狭いんだ。

それもこれも、ゴソゴソ歩きの成果かもしれない。世界を知らない為政者に任せていたんじゃ80年前と同じ失敗をやらかす危険があります。もっとも、坂井三郎さんが言われていたように、どこかの国による歯止めがしっかりあるとも言えるかもしれませんが。

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