ゴキブリが結ぶ縁 
Friday, October 3, 2014, 10:27 PM
何十年ぶりかで朝のテレビ小説・花子とアンを見終わったら、勢い?でその次も観ています。

スコットランドからのお嫁さんを見ていたら、その昔、我が故郷に嫁いで来たドイツ人のおばあさんを思い出しました。ご主人が門司の税関長をされていた方で、国際結婚に至り、私が知った頃は既にご主人は亡くなられ、寂しく隣の部落に住んでおられて、やはり外地に暮らしたことのある私の祖母に会いに時々見えていました。
あの方から教わった茄子を蒸した料理は、私が作れる数少ない料理です。

それにしても彼女は結局寡婦となり、お気の毒でしたが、人口千数百人の村に彼女が来てくださったことは、山村の国際化に大いに貢献することになったような気がします。

先日、村では九州全体の剣道大会がありました。こんな小さな村が、佐賀県一を続けたりするのは、よそからの長年にわたる血の要素も大きな気がします。佐賀から博多への最短距離にあるため、山の中でも多くの人々が行き交ったのです。

そんなことを考えていた今日、久しぶりに友人と、近くの中華料理屋に行きました。たまたま隣の人たちの席の後ろにゴキブリ登場。それがきっかけで言葉を交わしてみたら、福岡からやってきたお医者さんのグループ。上記の村のことはもとより、村内のお店の情報もツーカーで、すっかり盛り上がってしまいました。

そしてついには武士道談義でも意気投合。特に九州の国際性は同意見でした。早く九州に帰ってきてくださいよ、には参りましたが。

そこへいくと、東京の非国際性は、確かに顕著な気がします。政治の中心であるためにアジアとの交流とかも遅れています。

東京を国際化させること、それには鎌倉時代の江戸を再確認し、鎌倉武士のアジアに通じるネットワークを学ぶことかと思います。

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人間性と国家 
Saturday, September 20, 2014, 04:32 PM
ロンドンに行ったとき、地下鉄で隣に座った男性がスコットランドの人で、地下鉄の乗り換えの不便さが話題になりました。穏やかな、すごくよい人で、メールアドレスの交換をしなかったことを悔やんでいます。
スコットランドは法律についても、日本と同様、大陸法に近いところがあり、波長が合うのかもしれません。

いずれにしても、今回の件や、ウクライナの件、そしてイラク情勢などから、日本人は国家というものはどういうものなのかを考え直してみる必要があろうかと思います。

例えば、台湾の友人で1947年の2・28事件を体験したH先生は、「無政府状態があんなに怖いものとは思いませんでした」と言われています。

無政府状態に比べれば、38度線の北の国でも、まだましなのかもしれません。しかし、そこで真に人間性ある生活ができるか、というと否定的でしょう。この「人間性」ということがすごく大切な気がします。

人間性が十分に機能している国なら、多民族国家でも大丈夫。機能していなければ、民族自決にならざるを得ないのではないでしょうか。イラクも正に人間性でしょう。戦争や人を傷つけることの罪も、人間性という言葉が一番総括りできそうな気がします。

そんなことを思ったのは、この夏のテレビ・ペリリュー島の戦いと、その後、九州で起こった例の事件を考えてでした。あの女子生徒に対して真っ向から答えを提示することは難しい。しいて大括りの答えを言うなら、人間性かなと思ったのです。

そういえば、8月の中国出張も色々なことを考えさせてくれました。福岡から、単身飛行機に乗って上海浦東空港に降り、リニアモーターカーから地下鉄に乗り換えて虹橋空港に向かいました。車内には白くて丸いムスリムの帽子をかぶったおじさんがいたりして面白かったのですが、いつもながら年長者に席を譲るマナーは見事でした。

ところが、ある席が空いた途端、ちょっとしたアクシデントが起きました。空いた席の隣には、都市住民と思われるお金持ちそうなおばさんが元々座っていました。その隣が空いた途端、農民のおばさんと上記金持ちの娘さんとが席の奪い合い、というほどでもありませんが、タッチの差で席をゲットした農民のおばさんに対し、美人である金持ちの娘は正に射るような視線を注ぎました。
そして、金持ちのである母親は「この席にはうちの娘が座るはずだった」とまくし立てます。しかし、農民さんは素知らぬ顔で前を向いたまま。自分が降りる駅まで全くの無表情で通して降りて行きました。

これを見ていて、私が感じたのは、都市住民と農民との歴然たる差別(意識)です。これは、昔から感じるところであり、正に制度的非人間性です。そして、それへの農民さんの対応も見事!?でした。

しかして地下鉄が虹橋空港に着いて、私が空港ターミナルを探していると、(農民の)お掃除のおばさんが寄ってきました。そして、親切にわかるところまで案内し、「友好友好!」と言って去って行きました。
そういうことを言わねばならなくなった点は両国にとって不幸ですが、こういう感じは普通です。
日本のマスコミも、いわば制度的人間性不足と個々人の優しさの存在を分けて報道もすべきです。

そして、我が国も制度的人間性不足にならないように日々努力をすることによって、真に尊敬される国になるかと思います。



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明治維新と華族 
Tuesday, September 16, 2014, 11:43 PM
先日、20年くらい前におしゃべりをしたロータリークラブで、久しぶりに「真の日本の武士道とその生かし方」の題で講演してきました。
この、「真の」というフレーズと「日本の」というフレーズが大事なわけです。残念ながら、今、蔓延しているのは「嘘の」「日本のじゃない」「武士道と称するもの」なんです。

わかりやすい話、江戸を東京と変えたという事実だけからでも、明治維新以降の日本が奇妙な中国化を果たしたことが明らかでしょう。つまりは明治維新そのものをまずはきちんと検証しなければいけないんですが、それ以降の美しいお話に酔っている人にはわからないんです。別に私は中国の好き嫌いを言っているのではなく、身の丈に合わない洋服を急に着ちゃったのでおかしくなっていますよ、と言いたいわけ。

ところが、この明治維新以降の刷り込みは強烈です。

今日の朝ドラ・テレビで、柳原白蓮さんの息子さんの戦死をやっていました。あれだけの悲劇に遭遇し、以後、平和運動に熱心だった方でも現皇后陛下の御成婚に大反対だったとは、私にもその友人クラスの知り合いがいましたし、現にいますからわかります。反対の理由は華族じゃないということです。

でも、この華族というもの、靖国神社の灯篭の裏にも書いてある言葉、これは中国の何千年も昔からのものであることは以前も記しました。

私の仕事場のそばが、柳原二位の局、つまり大正天皇の生母でもある方の屋敷跡で、今も「下馬」とか「下乗」とか書いた大きな石があります。これ自体中国にゴロゴロしているものですが、要はこういうヒエラルキーの世界は、明治維新で強化されたのです。だから、一君万民的に考えていた2・26の将校は憤ったのです。

また、先日は昭和天皇の記録が公になりました。終戦時、昭和天皇の直近で警備した陸軍中尉とは亡くなるまでおつきあいがありましたが、あの録音版を奪取しようとして森近衛師団長を殺害した将校は、師団長のご遺体をいわばゴミ捨て場の如きところに捨てたそうで、それを見て、皇軍の権威地に堕つと感じたとか。
彼ら録音版奪取を意図した将校のバックと、2・26の将校に影響を及ぼした人とは全く異なるわけで、このことだけからも、戦前の世界のまともな人士とおかしな人士との違いが明らかなのです。本当は。



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遺産ではなく、機能でものを考える 
Thursday, September 4, 2014, 11:38 PM
この間仕事で高崎の駅に降りたら、いました、いました。ものすごい数の人が。富岡の製糸場が世界遺産になったから。

でも、ことは製糸場だけの話じゃないんであって、それを積み出す横浜が大事で、昭和39年に生糸の輸出にブレーキがかかるまで、横浜では生糸検査所が、また、大正期の不況後の価格調整の帝蚕倉庫があったりして、色々なものが機能的に動いていました。

ですから、どこかを遺産にしてしまうというのは、そのように機能的に考えることを止めさせ、またも「物語国」を作る一助になってしまいます。

中国の史記だけでなく、アメリカにも、リンカーンの丸太小屋のようなお話歴史大好き人間がいます。むしろ本質とさえ言えるかもしれません。

しかし、それではいけない、と、きっぱりと述べる勢力もあるのです。
一方、中東のある友人は、前にも書きましたが、うちは5000年の歴史。アメリカはたかだか300年、たいしたことないよと。

でも、大きかったり、古かったりで喜ぶのは子供でしょう。そもそも人類の歴史としては一緒ですから。
しかも、実質で勝負しようと言った鍋島直茂、伊達政宗らの発想は絶対にそんなものではなかったはずです。


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演繹に耐える日本人を作ること 
Thursday, September 4, 2014, 06:16 PM
日本人のまずは知識が、そして深く考える力が、全体的に低下しているなと考えること、著しいものがあります。もちろん、例外がなくはありませんが。
時々、80歳くらいの方々と食事をすることがあります。で、このクラスの人も、上記の傾向は否めません。

特に戦争経験のないことは致命的で、私の一親等は92でビルマ戦線、もう1人が87で特攻隊見送りですが、一方80歳では戦争中でも何も分からない世代。70代後半は、ますます知りません。この辺りの年代がしっかり勉強でもしてくれれば、若い政治家に一言言えるのですが、だめ。むしろ、その後ろの私たち世代の方がましかもしれません。ただ、今度は、戦後の高度成長期に育っていますから、お坊ちゃんが一般で、ひどいのは、昔ゲバ学生(なんて言ったって分からない。要はマルクス、レーニン、毛沢東が大好きな、恵まれた若者)今は、超保守なんてのがいて、こういうのが大臣になったりする。あとは推して知るべしです。

となると、やはり勉強が必要、ということになるのですが、これがお粗末。要はステレオタイプ教育ということになろうかと思います。

これを克服するには、少しでも自分の生活に引き合わせ、あるいは関係あるところから敷衍していけば、ずいぶんよくなる。本だけじゃだめ。経験が大切でしょう。
この辺りは、かつて2・26事件の供養の折、同意見の人がいました。

しかし、それも難しくなっていっている。ここは、一踏ん張り、90歳以上の方に頑張っていただくしかないか。その昔は陛下のために戦場に立ち、苦労をされたのに、またとはお気の毒ですが。戦友もたくさん亡くなったので、隠すことなくお話しいただきたい。

とかいっても、大事なのは、ではなぜそんな戦争が起きたか、です。
この部分が日本では全く弱い。いわゆる左翼の「害」もそこにあります。
テレビのインタビューが典型ですが、日本は戦後、何十年にわたって、戦争はひどかった、悲惨だった、ばかり言ってきました。それは間違いないのですが、そういう物語的な話の「原因」が大事です。つまりはやはり演繹的思考ということでしょうか。

アメリカに長く滞在されたある人と、ちょっとした中国談義になりました。中国人にいかにルードな振る舞いがあったとて、彼らは日本人の文化に対して、少なくとも一般的には、えっそんなのうちにあるよ、と感じている、という点で意見は一致しました。
なぜなら、それこそ何千年の歴史を有する発想の「元」に親和性があるからです。

先日、上海の地下鉄に乗った折も、年長者がやってくれば、彼らはすぐに席を譲ります。私が初めて席を譲られたのは、ハルビンのバスの中でした。まだそんな年じゃないつもりの私は本当にびっくりしましたが、この行動の奥に何があるか。それは孝の観念です。いわば儒教の本質をなすものです。これが身についていて、そこから演繹的に席を譲ります。どうして演繹的にそうなるかは、ちょっと難しい論理ですが、事実です。本当は、その孝観念の前に甲骨文字時代の翡翠などに絡む観念もあります。
そこまでいくと、ニュージーランドなど、環太平洋的な歴史時代以前の話になりますが、それが大事です。日本人は、孝について相当な本を書かれている教授も、ここの論理が甘いのです。だから上記のような評価を受ける。
実をいえば、そういう単純な儒教観も中国由来の寺子屋教育で培われたものです。そのことを知るためには、南京、北京、沖縄、鹿児島、そして東京を調べ上げる必要があります。根本は明の文化だからです。
もちろん、今の中国人が一般的にそこまで関心を及ぼすことはないとも言えますが、何しろ日常的な問題であり、深いです。

こうした傾向に打ち勝つ発想をどうしたら得られるのか、というと、真の日本を発見することだと思います。どこやらの人が言っていた美しい国とか、死んだらみんな仏様が日本です、なんていうレベルで、すごいでしょ、では笑われるだけですし、逆に、2・26事件で刑死した将校はもとより兵隊からも、なんていう甘い考えなんだ、と激しく叱られるでしょう。それくらい彼らは厳しい論理を展開していました。ただそれが、明治維新の延長であった点に悲劇があったということです。

かねて言うとおり、真の日本とは何か、自信を持って世界にこれが日本ですと言えるもの、それは鎌倉武士の発想なんですよ、と私は言いたいわけです。それに対して、国粋をいう人士は大概が中国伝来のものをありがたがっているだけ、ということです。

と、いつも同じようなことを言っているわけですが、とにも角にも長い間(55年以上)武士道なるものをリサーチしてきたことから、先日も私の所有している古い本を使わせて下さいとお願いがあり、下の方に書いたとおり映像を使用させてあげました。

しかして、送られてきた本は、半分以上いわば嘘が書いてある本でした。要は新渡戸さん礼賛ですが、その根本の根本が中国の元曲などに由来することは露ほども書いてはありません。
これじゃますます、本当に目の開かれた世界の人からは尊敬されないなと思いました。

こうして、最近の世情の議論で思うことは、根本の議論がない、ということです。政策を繰り出すなら、それを繰り出す行政主体そのものの問題点に皆口をつぐんでいます。もちろん、うわべだけでも幸せならそれも一つの価値観ですが、いつまで持つのかね、という問題があります。

その意味で、日本の根幹を固める作業、これは必須かと思います。
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テレサの歌を聞いていて 
Sunday, July 13, 2014, 07:46 PM
新幹線で帰宅途中は、YouTubeで聞くテレサテンの歌。
何日君再来は、ジーンというか、ズシッとくるというか、何十年もに渡る台湾のおじさんとの交流のことが思い出されて自然にどうかなってしまいます。
戦前我が家に留学し、小学生の私に手紙をくれ、以後、文通、そして私の渡台、彼の来日。12年前、タクシー事故で死亡。

台湾の複雑さ、歴史の重みを身をもって教えてくれた人でした。
こんな経験を持つ私は、まあ、少数派だろうと思います。しかし、我々皆が忘れてはいけない方向性ではないかと思うのです。

誰の前にも、どんなところにも・・・地球という物が昔から丸い以上、皆が世界につながっています。私たちの立ち居振る舞いの中に、世界が詰まっているはずなのです。
それを、知ろうとするかしないかで、その人の世界が広くも狭くもなるのではないかと思います。

話は飛びますが、この間、歌舞伎教室と落語を立て続けに鑑賞しました。
若い人が多くてよかったのですが、歌舞伎はどうしても衣装や道具に目が奪われて、それで満足する、あるいはご贔屓登場でお値段ほどのものでなくても高い評価を与えてしまう気がします。特に若い人の場合。その点、落語は一人芝居で衣装も一種類ですから、ごまかしが効きません。もちろん古典落語です。

歌舞伎はもとより落語も、多く海外の影響を受けています。
そういう中でのものだということで鑑賞できれば、日本人の視野もより広がるのだけれど、と思ったことでした。


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真の日本の武士道を 
Thursday, July 10, 2014, 12:06 AM
またまた随分間が空いて、ご心配をおかけしたりしました。
どうもこのところの異常な諸情勢をみると、その元を考えて話が広がり過ぎのきらいがあることが明らかで、筆が下ろせなかったのです。

とにかく日本国民が、機能的にものを考えず、美談とか、名画とか、遂にはお得意のアニメとかに行動の基準を求めていて、それが、政治だけでなく経済にまでも及んでいることには、危惧を覚えますし、その原因である百数十年前の出来事に、更には、そのまた原因である400年近く昔のアジアの情勢に思いを致すと、うたた感慨を禁じ得ないこと切です。

と、これじゃ、何のことかわからんよ。あなたしっかりして、みたいな話になっちゃいますよね。

そんなことを思っているところに、過日も写真を貸して下さい、と頼まれて、貸してあげた出版社の関係会社から、再びその「武道初心集」の写真を貸して下さいとの連絡が入りました。

それ自体はいいんですし、ちゃんと著作権法上の許諾を求めてきたんですから、結構ですよ、なんですが、以前貸してあげた時の本が来てないので、判断しかねますよと言ったら、来ました。その本が。

要は「武士道」なるものを紹介したものですが、真実の真逆の内容で、正に慨嘆。これだから日本はよくならないと思いました。

メインに置かれていたのが新渡戸稲造さんの武士道で、そこで最大のスペースが割かれていたのが、歌舞伎の菅原伝授手習鑑。アジアのある国のかつての指導者も、最も感動したというあれです。

でも、あの話は、もちろん本当ではないばかりか、中国の約800年前の、元の、元曲から来ていることをご存知でしょうか。それをイタリア人のマテオリッチが訳して日本に入ってきて、一方、ヨーロッパに渡って、かの地では、ハッピーエンドのお話になったということを。
ここらを監修している人が、某大学の教授か何かで、かつて著作権法違反まがいで連載やテレビ番組をストップさせた方だということもついでにご存知でしょうか。

要は、意外かもしれませんが、日本人はこの武士道なるものをきちんと捉え直すことができず、歌舞伎という非実証的なものに酔っているようでは、ただひたすらに崩れて行きそうに思うのです。
古い表現ながら、右翼も左翼もお話し歴史観です。

一方それを捉えなおすということは、史記の発想から抜け出るということです。史記は、そして、それの焼き直しの大日本史は、人間を鼓舞します。しかし、それは所詮、歌舞伎に感激しているに止まり、現実世界の機能的なオペレーションにはなりません。
今の為政者の親戚のあだ名は、かつて、団十郎でした。
でも、現実世界は、大見得切られたからとて動きはしません。

ここらを分かる若い人が、ぐっと減っている感じなのが、とにかく心配です。

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昔ながらの発想の集団的自衛権 
Monday, June 9, 2014, 08:33 PM
輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち

と、輸送など第一線にかかわらない輜重兵を馬鹿にし、兵站線を伸ばしに伸ばして失敗したのが第二次世界大戦の日本軍でした。
ところが、今、集団的自衛権の議論でやっている政府側の話は正にそれそのままです。輸送をするのは戦争じゃないから許される、なんていうのは近代戦(現代戦以前)を全く理解していない者のいう話です。
戦闘地域と非戦闘地域、なんていう観念自体が、まるで江戸時代以前です。

現代の戦争は、戦闘地域も非戦闘地域もありません。第二次世界大戦の北ビルマの戦闘は、ウィンゲート旅団によるグライダー輸送で新たな兵站を、そして、兵站線の破壊を成し遂げ、最終的に連合軍の勝利に導かれました。退路を絶たれた我が身内は、遠く雲南省にまで迂回してシンガポールを目指さねばなりませんでした。
こういう議論については、軍事オタクは全く役に立ちませんし、有害です。
国防は政治と軍事との両輪でやらねばならないのであって、私が以前対談したオタクさんみたいに政治の仕組みも知らない人では本当に困ってしまいます。

そして、こうした兵站軽視の見方の奥にあるのは、毎度おなじみの「お話歴史」観。歴史をお話であると誤解した傾向です。

木口小平は死んでもラッパを口から話しませんでした、とか、旅順の広瀬中佐とか、原田重吉(となると、知らない人も多いでしょう。日清戦争の平壌の戦い)とか。真っ先かけて突進したりドンパチ撃ち合うのだけが戦争だと思っているのです。
それこそが敗戦の大きな原因だったのに分からない。

いよいよもって病気です。


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ナイジェリアの事件と我が国 
Tuesday, May 6, 2014, 11:39 PM
ちょっとした知り合いが、ナイジェリアに学校を寄付する活動をしています。彼が作った学校は、正に今回の拉致事件のあったタイプと全く一緒。何とも心が痛みます。

で、拉致した方の言い分は、西洋化に反対だ、というものだそうです。女性への教育や、女性の社会進出を好まない人たちです。

この傾向は、世界の色々なところにあります。イスラム諸国に多いようですが、知り合いの中国人が、韓国のソウル大学教授の家にホームステイした折、韓国では、女性はキムチを漬けられることがまず一番、奥さんを働かせるなんて恥。みたいなことでビックリした、と言っていました。

一方、我が国の保守を標榜する人々の中にも同様の傾向があります。我が故郷など、昔も今も、女性はやたらに座敷に入るものではないということになっています。もちろん、寝そべるなんてとんでもない。

で、アジアでこの傾向はどこから出てくるかというと、正に中国の明文化です。座敷に相当するメインルームには、主人と召使しか入れないというのが儒教を国教?的にした明文化ですから。
つまり、我が国で女性の社会進出や教育を否定している言説は明文化だと自覚しなければいけません。

じゃ、日本の真の文化はどうか、というと、巴御前、北条政子や日野富子に見られるような女性の社会進出ですよ、ということになります。詳しくはこの博物館で。


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ウクライナと台湾とアルザス・ロレーヌ 
Tuesday, April 29, 2014, 10:21 PM
ウクライナの東部で、住民の数はロシア系が多くても、ロシアへの併合は反対が多いという記事を見て思い出すのは台湾であり、アルザス・ロレーヌです(中国の朝鮮族自治州とか色々ですが)。

私と親しくしている台湾の年配者の仲間が詠んだ歌、「血の祖国 法の祖国の虚しさよ 我が憧れるは心の祖国」
同じ血、あるいは同じ言語だからといって、中国と一緒はいや。法的に上からの日本ともいや(だった)。自分が憧れるのは、自分たちで作った心の祖国、ということです。

この感覚がわからなかったのが、国というものについて素人の後進国家でしょう。かつての日本も、その後進国家性を見習ったところがありました。

もう一つアルザス。100年くらい前には一生に5回も国籍を変えた人がいたほどドイツとフランスとの間を行き来しました。人種的にはドイツ人ですが、今はフランスです。
ルイ14世がライン川を自然国境として併合した後、ルイ15世が訪問した時、後にマリーアントワネットも立ち寄ったストラスブールの司教座の建物の前で、住民は大歓迎したそうです。
何よりもドイツよりフランスの政治体制に共感したからです。ドイツは民主主義において、どうしても後進国だったのです。

今、アメリカのニューヨークにある自由の女神を作ったのもストラスブールの南のコルマールの人でした。又、同所で、ドイツ語の人権宣言を見たこともあります。

こうして、利益線や生命線といった古い発想を捨てることが国づくりの始まりのような気がします。
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