演繹に耐える日本人を作ること 
Thursday, September 4, 2014, 06:16 PM
日本人のまずは知識が、そして深く考える力が、全体的に低下しているなと考えること、著しいものがあります。もちろん、例外がなくはありませんが。
時々、80歳くらいの方々と食事をすることがあります。で、このクラスの人も、上記の傾向は否めません。

特に戦争経験のないことは致命的で、私の一親等は92でビルマ戦線、もう1人が87で特攻隊見送りですが、一方80歳では戦争中でも何も分からない世代。70代後半は、ますます知りません。この辺りの年代がしっかり勉強でもしてくれれば、若い政治家に一言言えるのですが、だめ。むしろ、その後ろの私たち世代の方がましかもしれません。ただ、今度は、戦後の高度成長期に育っていますから、お坊ちゃんが一般で、ひどいのは、昔ゲバ学生(なんて言ったって分からない。要はマルクス、レーニン、毛沢東が大好きな、恵まれた若者)今は、超保守なんてのがいて、こういうのが大臣になったりする。あとは推して知るべしです。

となると、やはり勉強が必要、ということになるのですが、これがお粗末。要はステレオタイプ教育ということになろうかと思います。

これを克服するには、少しでも自分の生活に引き合わせ、あるいは関係あるところから敷衍していけば、ずいぶんよくなる。本だけじゃだめ。経験が大切でしょう。
この辺りは、かつて2・26事件の供養の折、同意見の人がいました。

しかし、それも難しくなっていっている。ここは、一踏ん張り、90歳以上の方に頑張っていただくしかないか。その昔は陛下のために戦場に立ち、苦労をされたのに、またとはお気の毒ですが。戦友もたくさん亡くなったので、隠すことなくお話しいただきたい。

とかいっても、大事なのは、ではなぜそんな戦争が起きたか、です。
この部分が日本では全く弱い。いわゆる左翼の「害」もそこにあります。
テレビのインタビューが典型ですが、日本は戦後、何十年にわたって、戦争はひどかった、悲惨だった、ばかり言ってきました。それは間違いないのですが、そういう物語的な話の「原因」が大事です。つまりはやはり演繹的思考ということでしょうか。

アメリカに長く滞在されたある人と、ちょっとした中国談義になりました。中国人にいかにルードな振る舞いがあったとて、彼らは日本人の文化に対して、少なくとも一般的には、えっそんなのうちにあるよ、と感じている、という点で意見は一致しました。
なぜなら、それこそ何千年の歴史を有する発想の「元」に親和性があるからです。

先日、上海の地下鉄に乗った折も、年長者がやってくれば、彼らはすぐに席を譲ります。私が初めて席を譲られたのは、ハルビンのバスの中でした。まだそんな年じゃないつもりの私は本当にびっくりしましたが、この行動の奥に何があるか。それは孝の観念です。いわば儒教の本質をなすものです。これが身についていて、そこから演繹的に席を譲ります。どうして演繹的にそうなるかは、ちょっと難しい論理ですが、事実です。本当は、その孝観念の前に甲骨文字時代の翡翠などに絡む観念もあります。
そこまでいくと、ニュージーランドなど、環太平洋的な歴史時代以前の話になりますが、それが大事です。日本人は、孝について相当な本を書かれている教授も、ここの論理が甘いのです。だから上記のような評価を受ける。
実をいえば、そういう単純な儒教観も中国由来の寺子屋教育で培われたものです。そのことを知るためには、南京、北京、沖縄、鹿児島、そして東京を調べ上げる必要があります。根本は明の文化だからです。
もちろん、今の中国人が一般的にそこまで関心を及ぼすことはないとも言えますが、何しろ日常的な問題であり、深いです。

こうした傾向に打ち勝つ発想をどうしたら得られるのか、というと、真の日本を発見することだと思います。どこやらの人が言っていた美しい国とか、死んだらみんな仏様が日本です、なんていうレベルで、すごいでしょ、では笑われるだけですし、逆に、2・26事件で刑死した将校はもとより兵隊からも、なんていう甘い考えなんだ、と激しく叱られるでしょう。それくらい彼らは厳しい論理を展開していました。ただそれが、明治維新の延長であった点に悲劇があったということです。

かねて言うとおり、真の日本とは何か、自信を持って世界にこれが日本ですと言えるもの、それは鎌倉武士の発想なんですよ、と私は言いたいわけです。それに対して、国粋をいう人士は大概が中国伝来のものをありがたがっているだけ、ということです。

と、いつも同じようなことを言っているわけですが、とにも角にも長い間(55年以上)武士道なるものをリサーチしてきたことから、先日も私の所有している古い本を使わせて下さいとお願いがあり、下の方に書いたとおり映像を使用させてあげました。

しかして、送られてきた本は、半分以上いわば嘘が書いてある本でした。要は新渡戸さん礼賛ですが、その根本の根本が中国の元曲などに由来することは露ほども書いてはありません。
これじゃますます、本当に目の開かれた世界の人からは尊敬されないなと思いました。

こうして、最近の世情の議論で思うことは、根本の議論がない、ということです。政策を繰り出すなら、それを繰り出す行政主体そのものの問題点に皆口をつぐんでいます。もちろん、うわべだけでも幸せならそれも一つの価値観ですが、いつまで持つのかね、という問題があります。

その意味で、日本の根幹を固める作業、これは必須かと思います。
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テレサの歌を聞いていて 
Sunday, July 13, 2014, 07:46 PM
新幹線で帰宅途中は、YouTubeで聞くテレサテンの歌。
何日君再来は、ジーンというか、ズシッとくるというか、何十年もに渡る台湾のおじさんとの交流のことが思い出されて自然にどうかなってしまいます。
戦前我が家に留学し、小学生の私に手紙をくれ、以後、文通、そして私の渡台、彼の来日。12年前、タクシー事故で死亡。

台湾の複雑さ、歴史の重みを身をもって教えてくれた人でした。
こんな経験を持つ私は、まあ、少数派だろうと思います。しかし、我々皆が忘れてはいけない方向性ではないかと思うのです。

誰の前にも、どんなところにも・・・地球という物が昔から丸い以上、皆が世界につながっています。私たちの立ち居振る舞いの中に、世界が詰まっているはずなのです。
それを、知ろうとするかしないかで、その人の世界が広くも狭くもなるのではないかと思います。

話は飛びますが、この間、歌舞伎教室と落語を立て続けに鑑賞しました。
若い人が多くてよかったのですが、歌舞伎はどうしても衣装や道具に目が奪われて、それで満足する、あるいはご贔屓登場でお値段ほどのものでなくても高い評価を与えてしまう気がします。特に若い人の場合。その点、落語は一人芝居で衣装も一種類ですから、ごまかしが効きません。もちろん古典落語です。

歌舞伎はもとより落語も、多く海外の影響を受けています。
そういう中でのものだということで鑑賞できれば、日本人の視野もより広がるのだけれど、と思ったことでした。


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真の日本の武士道を 
Thursday, July 10, 2014, 12:06 AM
またまた随分間が空いて、ご心配をおかけしたりしました。
どうもこのところの異常な諸情勢をみると、その元を考えて話が広がり過ぎのきらいがあることが明らかで、筆が下ろせなかったのです。

とにかく日本国民が、機能的にものを考えず、美談とか、名画とか、遂にはお得意のアニメとかに行動の基準を求めていて、それが、政治だけでなく経済にまでも及んでいることには、危惧を覚えますし、その原因である百数十年前の出来事に、更には、そのまた原因である400年近く昔のアジアの情勢に思いを致すと、うたた感慨を禁じ得ないこと切です。

と、これじゃ、何のことかわからんよ。あなたしっかりして、みたいな話になっちゃいますよね。

そんなことを思っているところに、過日も写真を貸して下さい、と頼まれて、貸してあげた出版社の関係会社から、再びその「武道初心集」の写真を貸して下さいとの連絡が入りました。

それ自体はいいんですし、ちゃんと著作権法上の許諾を求めてきたんですから、結構ですよ、なんですが、以前貸してあげた時の本が来てないので、判断しかねますよと言ったら、来ました。その本が。

要は「武士道」なるものを紹介したものですが、真実の真逆の内容で、正に慨嘆。これだから日本はよくならないと思いました。

メインに置かれていたのが新渡戸稲造さんの武士道で、そこで最大のスペースが割かれていたのが、歌舞伎の菅原伝授手習鑑。アジアのある国のかつての指導者も、最も感動したというあれです。

でも、あの話は、もちろん本当ではないばかりか、中国の約800年前の、元の、元曲から来ていることをご存知でしょうか。それをイタリア人のマテオリッチが訳して日本に入ってきて、一方、ヨーロッパに渡って、かの地では、ハッピーエンドのお話になったということを。
ここらを監修している人が、某大学の教授か何かで、かつて著作権法違反まがいで連載やテレビ番組をストップさせた方だということもついでにご存知でしょうか。

要は、意外かもしれませんが、日本人はこの武士道なるものをきちんと捉え直すことができず、歌舞伎という非実証的なものに酔っているようでは、ただひたすらに崩れて行きそうに思うのです。
古い表現ながら、右翼も左翼もお話し歴史観です。

一方それを捉えなおすということは、史記の発想から抜け出るということです。史記は、そして、それの焼き直しの大日本史は、人間を鼓舞します。しかし、それは所詮、歌舞伎に感激しているに止まり、現実世界の機能的なオペレーションにはなりません。
今の為政者の親戚のあだ名は、かつて、団十郎でした。
でも、現実世界は、大見得切られたからとて動きはしません。

ここらを分かる若い人が、ぐっと減っている感じなのが、とにかく心配です。

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昔ながらの発想の集団的自衛権 
Monday, June 9, 2014, 08:33 PM
輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち

と、輸送など第一線にかかわらない輜重兵を馬鹿にし、兵站線を伸ばしに伸ばして失敗したのが第二次世界大戦の日本軍でした。
ところが、今、集団的自衛権の議論でやっている政府側の話は正にそれそのままです。輸送をするのは戦争じゃないから許される、なんていうのは近代戦(現代戦以前)を全く理解していない者のいう話です。
戦闘地域と非戦闘地域、なんていう観念自体が、まるで江戸時代以前です。

現代の戦争は、戦闘地域も非戦闘地域もありません。第二次世界大戦の北ビルマの戦闘は、ウィンゲート旅団によるグライダー輸送で新たな兵站を、そして、兵站線の破壊を成し遂げ、最終的に連合軍の勝利に導かれました。退路を絶たれた我が身内は、遠く雲南省にまで迂回してシンガポールを目指さねばなりませんでした。
こういう議論については、軍事オタクは全く役に立ちませんし、有害です。
国防は政治と軍事との両輪でやらねばならないのであって、私が以前対談したオタクさんみたいに政治の仕組みも知らない人では本当に困ってしまいます。

そして、こうした兵站軽視の見方の奥にあるのは、毎度おなじみの「お話歴史」観。歴史をお話であると誤解した傾向です。

木口小平は死んでもラッパを口から話しませんでした、とか、旅順の広瀬中佐とか、原田重吉(となると、知らない人も多いでしょう。日清戦争の平壌の戦い)とか。真っ先かけて突進したりドンパチ撃ち合うのだけが戦争だと思っているのです。
それこそが敗戦の大きな原因だったのに分からない。

いよいよもって病気です。


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ナイジェリアの事件と我が国 
Tuesday, May 6, 2014, 11:39 PM
ちょっとした知り合いが、ナイジェリアに学校を寄付する活動をしています。彼が作った学校は、正に今回の拉致事件のあったタイプと全く一緒。何とも心が痛みます。

で、拉致した方の言い分は、西洋化に反対だ、というものだそうです。女性への教育や、女性の社会進出を好まない人たちです。

この傾向は、世界の色々なところにあります。イスラム諸国に多いようですが、知り合いの中国人が、韓国のソウル大学教授の家にホームステイした折、韓国では、女性はキムチを漬けられることがまず一番、奥さんを働かせるなんて恥。みたいなことでビックリした、と言っていました。

一方、我が国の保守を標榜する人々の中にも同様の傾向があります。我が故郷など、昔も今も、女性はやたらに座敷に入るものではないということになっています。もちろん、寝そべるなんてとんでもない。

で、アジアでこの傾向はどこから出てくるかというと、正に中国の明文化です。座敷に相当するメインルームには、主人と召使しか入れないというのが儒教を国教?的にした明文化ですから。
つまり、我が国で女性の社会進出や教育を否定している言説は明文化だと自覚しなければいけません。

じゃ、日本の真の文化はどうか、というと、巴御前、北条政子や日野富子に見られるような女性の社会進出ですよ、ということになります。詳しくはこの博物館で。


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ウクライナと台湾とアルザス・ロレーヌ 
Tuesday, April 29, 2014, 10:21 PM
ウクライナの東部で、住民の数はロシア系が多くても、ロシアへの併合は反対が多いという記事を見て思い出すのは台湾であり、アルザス・ロレーヌです(中国の朝鮮族自治州とか色々ですが)。

私と親しくしている台湾の年配者の仲間が詠んだ歌、「血の祖国 法の祖国の虚しさよ 我が憧れるは心の祖国」
同じ血、あるいは同じ言語だからといって、中国と一緒はいや。法的に上からの日本ともいや(だった)。自分が憧れるのは、自分たちで作った心の祖国、ということです。

この感覚がわからなかったのが、国というものについて素人の後進国家でしょう。かつての日本も、その後進国家性を見習ったところがありました。

もう一つアルザス。100年くらい前には一生に5回も国籍を変えた人がいたほどドイツとフランスとの間を行き来しました。人種的にはドイツ人ですが、今はフランスです。
ルイ14世がライン川を自然国境として併合した後、ルイ15世が訪問した時、後にマリーアントワネットも立ち寄ったストラスブールの司教座の建物の前で、住民は大歓迎したそうです。
何よりもドイツよりフランスの政治体制に共感したからです。ドイツは民主主義において、どうしても後進国だったのです。

今、アメリカのニューヨークにある自由の女神を作ったのもストラスブールの南のコルマールの人でした。又、同所で、ドイツ語の人権宣言を見たこともあります。

こうして、利益線や生命線といった古い発想を捨てることが国づくりの始まりのような気がします。
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本当の覚悟と責任感のある人 
Tuesday, April 22, 2014, 05:25 PM
沖縄の島守と呼ばれた第二次世界大戦最終局面における沖縄県官選知事・島田叡さん。この人と、私の祖父は面識がありました。
当時、佐賀県で色々な活動をしていた祖父は、村に忠霊塔を建立することを計画。しかし、今から見たら不意義な話ですが、物資不足のその頃、忠霊塔を建てるには警察部長(今でいう県警本部長)の許可が必要だったのです。
で、祖父は、当時、佐賀県警察部長を務めていた島田さんに会いに行き、忠霊塔のことを頼んだのです。
島田さんは、「今時、しっかり覚悟を決めていない人が多い中、立派な話ですね」という趣旨のことを言われ、建設許可となりました。

その島田さん、昭和20年1月という戦局絶望的な中、だれも沖縄に行こうという者もいない、どころか、官僚が逃げ出す中、担たんと赴任し、亡くなったことは、内務官僚の鏡として伝えられているところです。

但し、その最後に本当に従ったのは荒井退造さんという沖縄の警察部長1人だったかと思います。

摩文仁の丘の牛島満中将の壕などの写真は、武士道バーチャル博物館の「過去の掲示板リンク」にあります。

http://hagakurebushido.jp/f_top.htm

正に、「覚悟」を口にされた島田さんは、その立ち位置を微動だにされることなく亡くなりました。

今の政治家にそれがあるのか、改めて問いたいものです。

因みに私の村の忠霊塔、戦後、米軍のお咎めありとのことで、周りの忠霊塔は皆倒された中、祖父は断固拒否し、真崎甚三郎大将揮毫のそれは、今もそのまま納骨式の塔として村のシンボルになっています。

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韓国の海難事故と政治家の責任 
Sunday, April 20, 2014, 03:24 PM
韓国の船舶事故の報道を見ていて浮かんでくるのは、我が一親等の身内のことです(と書けば誰かはわかりますよね)。
以前も書いたことですが、第二次世界大戦中の昭和19年、輸送船でシンガポールから台湾に移動中、南支那海でアメリカの潜水艦の攻撃を受け、17・8時間の漂流の末生還しました(だから私がいるわけです)。

当時、今の東京都北区役所近辺には、陸軍省の関係機関が数多くありました。北区立博物館にも説明してあります。
ビルマのフーコン作戦、インパール作戦のあと、陸軍省出先の兵器行政本部に転属を命じられた身内は、シンガポールからオンボロの輸送船に乗船します。その時始めて、船倉に収容される担送患者とともに、同じく船倉に入っていった、いわゆる従軍慰安婦を見たとか。

船は駆逐艦の護衛を得ながら進みますが、海南島東方では他の船が潜水艦の餌食に。

今晩はうちかな、と思っている所に、ズシンと魚雷の衝撃。おんぼろの輸送船は魚雷が不発のまま突き抜け、滝のような水が船倉になだれ込み、くくりつけられた担送患者や従軍慰安婦の上に降りかかったそうです。

身内の方は、マラリアでフラフラしていましたが、カポーク、つまりは救命胴衣を著て真っ暗な海に飛び込み、必死で50メートルくらい泳ぐ。ふと振り向くと、真っ黒い物体が近くに浮いていて、すわ潜水艦が浮上してきて銃撃されるのか、と思うと何もない。つまりは撃沈されかけの輸送船が、今の韓国の船同様浮いていたというわけです。

海はさっと手を動かすと、夜光虫がキラキラと輝く海。

夜があけて周りを見れば見渡すばかりの大海原。こりゃダメかと思っていたら、サイパン陥落の以後でしたが、一機の日本の飛行機が飛んできたそうです。やった、助かった、と思ったものの、そも後も何もない。
これは見捨てられたのかな、と不安がっていると、漸く夕方になって一隻の海軍の砲艦がやってきたそうです。海軍はロープを海に流し、生き残っていた兵士はそれに捕まって引き上げられる。しかし、最後に安心した兵士は、やっと上がれるかという寸前、重くなった木製のカポークは役に立たず、力尽きて透き通る海の中に引き込まれて行ったそうです。

だから、私は小さい時から、気力が一番大事、海では救命胴衣を必ず装けること、転覆などの際は、いち早く飛び込んでできるだけ遠くまで泳ぐこと、などなど、散々聞かされてきました。

そして、砲艦は、中途半端に浮いている船を砲撃し、船内で生き残っていた人々は、正に海の藻屑と消えてしまったそうです。

昭和19年7月のサイパン島陥落以降、制空権はもとより制海権も失った日本は、こうしたケース、そしてむしろ見捨てられたケースもたくさんあったのです。例えば、韓国との間の玄界灘にもたくさんの船が沈んでいます。

かかる戦争遂行能力のなくなった時期まで、それを遂行させた為政者には
国民に対する極めて大きな道義的責任があるのです。

最近の集団的自衛権問題で、覚悟がどうのと言っている政治家がいるようですが、覚悟などという言葉は本当に軽々しく使うべきものでもないし、本当の覚悟を持って、韓国の先生のように自殺してお詫びまでするのでしょうか。2・26事件の安藤輝三大尉がそうであったように、本当の覚悟ある人こそが本当に逡巡するものです。

ウクライナの件といい、今回の韓国の事故といい、こうしたことをしっかり受け止めて、国家のあり方を考えるのでなければ、到底まともな国にはならないでしょう。

そして、こういう厳しい覚悟をしなくて済むような柔軟な外交をしていくのが政治家の本来の責任のはずです。
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腹芸のできる政治家が欲しい日本 
Friday, April 11, 2014, 09:52 PM
で、結局のところ、下の人は釈放となりました。まだまだ色々続きますが、劇的一日は終わろうとしています。

こんなことを色々していると、やっぱり交渉ごとをしている人間は、立場を超えて腹芸力がつくよね、と思います。それは、私の相手の方ももちろんです。尊敬します。

今の日本の政治家で、欠けているのが腹芸力、そして獅子吼力かと思います。長けているのが、人を騙す力、だったりしたら、日本の庶民は浮かばれません。

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ある元満州族の悲劇 
Thursday, April 10, 2014, 09:50 PM
突然、ある捜査機関から電話がきました。何事かと思ったら、旧知の元満州族の日本人女性が、どこかのレジでトラブルになって逮捕されてしまったとのこと。
早速面会してみたら、逮捕の必要もないような話でした。

その昔、私が北京の某博物館に行くと、その人の従姉妹がいて、他の漢族の博物館員が「R、日本人が来たよー」と大声で呼ぶのです。その人は英語が上手で、下手な私としては困ったものですが、行くたびに館内を案内してもらいました。何しろ満州族ですから、日本人が好きだし、周りの漢族も当然という感じだったのです。

一方、今日のNさんの場合は日本に来て、一流会社に勤めていましたが、退職。今日に至りました。
中国にいた時は正に少数民族で差別され、でも、親日ですから日本国籍は取れたし、一流企業にも勤められた。しかし、今回のようなトラブルに陥ると、「あなた何人ですか?」と訝られ、イントネーションが変わっていると「ああ中国人か」と十把一絡げにして日本でも差別される。

でも、彼らは戦前、日本に協力し提携していたのです。いわば天皇陛下のお友達の一族みたいなものです。なのに、歴史を知らず、実情を知らない日本人は彼らの苦しみがわからない。

日本人、特に若者はもっと勉強しようよ、そして、視野を広く持ちたいね、それが本当の武士道にもつながるよ、と思ったこと、しきりでした。
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