昔ながらの発想の集団的自衛権 
Monday, June 9, 2014, 08:33 PM
輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち

と、輸送など第一線にかかわらない輜重兵を馬鹿にし、兵站線を伸ばしに伸ばして失敗したのが第二次世界大戦の日本軍でした。
ところが、今、集団的自衛権の議論でやっている政府側の話は正にそれそのままです。輸送をするのは戦争じゃないから許される、なんていうのは近代戦(現代戦以前)を全く理解していない者のいう話です。
戦闘地域と非戦闘地域、なんていう観念自体が、まるで江戸時代以前です。

現代の戦争は、戦闘地域も非戦闘地域もありません。第二次世界大戦の北ビルマの戦闘は、ウィンゲート旅団によるグライダー輸送で新たな兵站を、そして、兵站線の破壊を成し遂げ、最終的に連合軍の勝利に導かれました。退路を絶たれた我が身内は、遠く雲南省にまで迂回してシンガポールを目指さねばなりませんでした。
こういう議論については、軍事オタクは全く役に立ちませんし、有害です。
国防は政治と軍事との両輪でやらねばならないのであって、私が以前対談したオタクさんみたいに政治の仕組みも知らない人では本当に困ってしまいます。

そして、こうした兵站軽視の見方の奥にあるのは、毎度おなじみの「お話歴史」観。歴史をお話であると誤解した傾向です。

木口小平は死んでもラッパを口から話しませんでした、とか、旅順の広瀬中佐とか、原田重吉(となると、知らない人も多いでしょう。日清戦争の平壌の戦い)とか。真っ先かけて突進したりドンパチ撃ち合うのだけが戦争だと思っているのです。
それこそが敗戦の大きな原因だったのに分からない。

いよいよもって病気です。


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ナイジェリアの事件と我が国 
Tuesday, May 6, 2014, 11:39 PM
ちょっとした知り合いが、ナイジェリアに学校を寄付する活動をしています。彼が作った学校は、正に今回の拉致事件のあったタイプと全く一緒。何とも心が痛みます。

で、拉致した方の言い分は、西洋化に反対だ、というものだそうです。女性への教育や、女性の社会進出を好まない人たちです。

この傾向は、世界の色々なところにあります。イスラム諸国に多いようですが、知り合いの中国人が、韓国のソウル大学教授の家にホームステイした折、韓国では、女性はキムチを漬けられることがまず一番、奥さんを働かせるなんて恥。みたいなことでビックリした、と言っていました。

一方、我が国の保守を標榜する人々の中にも同様の傾向があります。我が故郷など、昔も今も、女性はやたらに座敷に入るものではないということになっています。もちろん、寝そべるなんてとんでもない。

で、アジアでこの傾向はどこから出てくるかというと、正に中国の明文化です。座敷に相当するメインルームには、主人と召使しか入れないというのが儒教を国教?的にした明文化ですから。
つまり、我が国で女性の社会進出や教育を否定している言説は明文化だと自覚しなければいけません。

じゃ、日本の真の文化はどうか、というと、巴御前、北条政子や日野富子に見られるような女性の社会進出ですよ、ということになります。詳しくはこの博物館で。


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ウクライナと台湾とアルザス・ロレーヌ 
Tuesday, April 29, 2014, 10:21 PM
ウクライナの東部で、住民の数はロシア系が多くても、ロシアへの併合は反対が多いという記事を見て思い出すのは台湾であり、アルザス・ロレーヌです(中国の朝鮮族自治州とか色々ですが)。

私と親しくしている台湾の年配者の仲間が詠んだ歌、「血の祖国 法の祖国の虚しさよ 我が憧れるは心の祖国」
同じ血、あるいは同じ言語だからといって、中国と一緒はいや。法的に上からの日本ともいや(だった)。自分が憧れるのは、自分たちで作った心の祖国、ということです。

この感覚がわからなかったのが、国というものについて素人の後進国家でしょう。かつての日本も、その後進国家性を見習ったところがありました。

もう一つアルザス。100年くらい前には一生に5回も国籍を変えた人がいたほどドイツとフランスとの間を行き来しました。人種的にはドイツ人ですが、今はフランスです。
ルイ14世がライン川を自然国境として併合した後、ルイ15世が訪問した時、後にマリーアントワネットも立ち寄ったストラスブールの司教座の建物の前で、住民は大歓迎したそうです。
何よりもドイツよりフランスの政治体制に共感したからです。ドイツは民主主義において、どうしても後進国だったのです。

今、アメリカのニューヨークにある自由の女神を作ったのもストラスブールの南のコルマールの人でした。又、同所で、ドイツ語の人権宣言を見たこともあります。

こうして、利益線や生命線といった古い発想を捨てることが国づくりの始まりのような気がします。
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本当の覚悟と責任感のある人 
Tuesday, April 22, 2014, 05:25 PM
沖縄の島守と呼ばれた第二次世界大戦最終局面における沖縄県官選知事・島田叡さん。この人と、私の祖父は面識がありました。
当時、佐賀県で色々な活動をしていた祖父は、村に忠霊塔を建立することを計画。しかし、今から見たら不意義な話ですが、物資不足のその頃、忠霊塔を建てるには警察部長(今でいう県警本部長)の許可が必要だったのです。
で、祖父は、当時、佐賀県警察部長を務めていた島田さんに会いに行き、忠霊塔のことを頼んだのです。
島田さんは、「今時、しっかり覚悟を決めていない人が多い中、立派な話ですね」という趣旨のことを言われ、建設許可となりました。

その島田さん、昭和20年1月という戦局絶望的な中、だれも沖縄に行こうという者もいない、どころか、官僚が逃げ出す中、担たんと赴任し、亡くなったことは、内務官僚の鏡として伝えられているところです。

但し、その最後に本当に従ったのは荒井退造さんという沖縄の警察部長1人だったかと思います。

摩文仁の丘の牛島満中将の壕などの写真は、武士道バーチャル博物館の「過去の掲示板リンク」にあります。

http://hagakurebushido.jp/f_top.htm

正に、「覚悟」を口にされた島田さんは、その立ち位置を微動だにされることなく亡くなりました。

今の政治家にそれがあるのか、改めて問いたいものです。

因みに私の村の忠霊塔、戦後、米軍のお咎めありとのことで、周りの忠霊塔は皆倒された中、祖父は断固拒否し、真崎甚三郎大将揮毫のそれは、今もそのまま納骨式の塔として村のシンボルになっています。

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韓国の海難事故と政治家の責任 
Sunday, April 20, 2014, 03:24 PM
韓国の船舶事故の報道を見ていて浮かんでくるのは、我が一親等の身内のことです(と書けば誰かはわかりますよね)。
以前も書いたことですが、第二次世界大戦中の昭和19年、輸送船でシンガポールから台湾に移動中、南支那海でアメリカの潜水艦の攻撃を受け、17・8時間の漂流の末生還しました(だから私がいるわけです)。

当時、今の東京都北区役所近辺には、陸軍省の関係機関が数多くありました。北区立博物館にも説明してあります。
ビルマのフーコン作戦、インパール作戦のあと、陸軍省出先の兵器行政本部に転属を命じられた身内は、シンガポールからオンボロの輸送船に乗船します。その時始めて、船倉に収容される担送患者とともに、同じく船倉に入っていった、いわゆる従軍慰安婦を見たとか。

船は駆逐艦の護衛を得ながら進みますが、海南島東方では他の船が潜水艦の餌食に。

今晩はうちかな、と思っている所に、ズシンと魚雷の衝撃。おんぼろの輸送船は魚雷が不発のまま突き抜け、滝のような水が船倉になだれ込み、くくりつけられた担送患者や従軍慰安婦の上に降りかかったそうです。

身内の方は、マラリアでフラフラしていましたが、カポーク、つまりは救命胴衣を著て真っ暗な海に飛び込み、必死で50メートルくらい泳ぐ。ふと振り向くと、真っ黒い物体が近くに浮いていて、すわ潜水艦が浮上してきて銃撃されるのか、と思うと何もない。つまりは撃沈されかけの輸送船が、今の韓国の船同様浮いていたというわけです。

海はさっと手を動かすと、夜光虫がキラキラと輝く海。

夜があけて周りを見れば見渡すばかりの大海原。こりゃダメかと思っていたら、サイパン陥落の以後でしたが、一機の日本の飛行機が飛んできたそうです。やった、助かった、と思ったものの、そも後も何もない。
これは見捨てられたのかな、と不安がっていると、漸く夕方になって一隻の海軍の砲艦がやってきたそうです。海軍はロープを海に流し、生き残っていた兵士はそれに捕まって引き上げられる。しかし、最後に安心した兵士は、やっと上がれるかという寸前、重くなった木製のカポークは役に立たず、力尽きて透き通る海の中に引き込まれて行ったそうです。

だから、私は小さい時から、気力が一番大事、海では救命胴衣を必ず装けること、転覆などの際は、いち早く飛び込んでできるだけ遠くまで泳ぐこと、などなど、散々聞かされてきました。

そして、砲艦は、中途半端に浮いている船を砲撃し、船内で生き残っていた人々は、正に海の藻屑と消えてしまったそうです。

昭和19年7月のサイパン島陥落以降、制空権はもとより制海権も失った日本は、こうしたケース、そしてむしろ見捨てられたケースもたくさんあったのです。例えば、韓国との間の玄界灘にもたくさんの船が沈んでいます。

かかる戦争遂行能力のなくなった時期まで、それを遂行させた為政者には
国民に対する極めて大きな道義的責任があるのです。

最近の集団的自衛権問題で、覚悟がどうのと言っている政治家がいるようですが、覚悟などという言葉は本当に軽々しく使うべきものでもないし、本当の覚悟を持って、韓国の先生のように自殺してお詫びまでするのでしょうか。2・26事件の安藤輝三大尉がそうであったように、本当の覚悟ある人こそが本当に逡巡するものです。

ウクライナの件といい、今回の韓国の事故といい、こうしたことをしっかり受け止めて、国家のあり方を考えるのでなければ、到底まともな国にはならないでしょう。

そして、こういう厳しい覚悟をしなくて済むような柔軟な外交をしていくのが政治家の本来の責任のはずです。
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腹芸のできる政治家が欲しい日本 
Friday, April 11, 2014, 09:52 PM
で、結局のところ、下の人は釈放となりました。まだまだ色々続きますが、劇的一日は終わろうとしています。

こんなことを色々していると、やっぱり交渉ごとをしている人間は、立場を超えて腹芸力がつくよね、と思います。それは、私の相手の方ももちろんです。尊敬します。

今の日本の政治家で、欠けているのが腹芸力、そして獅子吼力かと思います。長けているのが、人を騙す力、だったりしたら、日本の庶民は浮かばれません。

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ある元満州族の悲劇 
Thursday, April 10, 2014, 09:50 PM
突然、ある捜査機関から電話がきました。何事かと思ったら、旧知の元満州族の日本人女性が、どこかのレジでトラブルになって逮捕されてしまったとのこと。
早速面会してみたら、逮捕の必要もないような話でした。

その昔、私が北京の某博物館に行くと、その人の従姉妹がいて、他の漢族の博物館員が「R、日本人が来たよー」と大声で呼ぶのです。その人は英語が上手で、下手な私としては困ったものですが、行くたびに館内を案内してもらいました。何しろ満州族ですから、日本人が好きだし、周りの漢族も当然という感じだったのです。

一方、今日のNさんの場合は日本に来て、一流会社に勤めていましたが、退職。今日に至りました。
中国にいた時は正に少数民族で差別され、でも、親日ですから日本国籍は取れたし、一流企業にも勤められた。しかし、今回のようなトラブルに陥ると、「あなた何人ですか?」と訝られ、イントネーションが変わっていると「ああ中国人か」と十把一絡げにして日本でも差別される。

でも、彼らは戦前、日本に協力し提携していたのです。いわば天皇陛下のお友達の一族みたいなものです。なのに、歴史を知らず、実情を知らない日本人は彼らの苦しみがわからない。

日本人、特に若者はもっと勉強しようよ、そして、視野を広く持ちたいね、それが本当の武士道にもつながるよ、と思ったこと、しきりでした。
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大きな日本人に 
Saturday, April 5, 2014, 10:36 PM
ハーバード大学を出た黒龍会の領袖・Oさんのお孫さんと久しぶりに会い、楽しい時を過ごしました(もっとも彼女の方はそれどころではなかったかもですが)。
「右翼運動百年の歴史」を書いたAさんにもかつて会い、その本に書いてあるとおり余りにも小さくなってしまった保守のお粗末さに慨嘆しきりだったのですが、まあ、たまには昔の大物国粋の息吹に触れてみるのもよいことです。

この東アジア、領土がどうした、固有がどうのと、西洋発想の生半可な受け売りから争いを起こし、果てはどこかの国の大統領は小さな島に登ってみたりの子供みたいな発想。そしてこちらの誰かも登ってみたりで、どっちもどっちの低レベル。これじゃ世界の大物とはいえません。アメリカやイギリスの大統領や首相がそんなことをするでしょうか。

一方かつて、近隣某国のTは、P国と領土でもめた際、「いいよ、その島はおたくの国で」と言ったかと思うと、「だけど、その代わり、おたくの国全部うちのだよ」と言ったとか。
アジアとはいえ?こんな人を食った大きな人物はうちにはいないのかね、と思います。

少なくとも昔はいました。そういうのが本当の国粋主義者です。もう一度大きな日本人にならなければ、到底世界から尊敬など受けないでしょう。

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自分でけじめがつけられない国 
Monday, March 31, 2014, 11:53 PM
先日の日米韓の首脳会談を見ていて、どうして我が国は、事を「国内問題」として片付けられないのかね、と思いました。外国からいわれるから、どうこうするとかしないとか、なんていうのじゃダメなんです。
対外国に対して、やれ宜しくない事をしただのしないだのという事以前に、むしろ、国内問題として、許すべからざる事が行われた事は間違いないのです。それのけじめがついていないどころか、逆に、そんな事をした人物を持ち上げている事が問題なのです。
中には元共産党員が今は右翼かなんかになって、当時の堕落した軍人を持ち上げている。本当に許すべからざることです。

例えば、私に近い話でいうと、ビルマ(ミャンマー)のインパール作戦については、義理の叔父が死んでいますし、父は九死に一生を得ました。

そして私は、中学生の時、その軍司令官であるM中将の、見るに耐えない見苦しい弁解を、テレビで見たのです。彼は元々同郷であり、当時は確か千葉に住んでいました。彼にとっては、イギリスの何とか中佐がくれた手紙が唯一のよすがで、もうちょっと頑張っていればインドのディマプールまで行けたのに、というわけ。鼻水タラタラで泣きじゃくるような見苦しい姿でした。
当時の私は(今でも)コチコチの民族派でしたから、一発かませたいくらいの怒りを覚えました。

ジンギスカンの故事に習わん、なんて、20世紀とも思えない時代錯誤の戦争を始めてアラカン山脈を越えさせ、天長節(天皇誕生日)までにインパールを落とすとかいう硬直した方針の下、自分はメイミョーなどという軽井沢みたいな所にいて、兵士の方は補給も無く、敵の食料に依存するなんていう変な方針の下、占領してみたら敵さんは缶詰に穴を開けて逃走。熱帯地で、中は腐っていて食べられない。こうして、逆に白骨街道を現出させて、何万人もの兵士を死なせた。なのにその後、予科士官学校の校長にまで栄進したとは、ビルマ方面軍司令官の木村中将(のち大将でA級戦犯で死刑)共々、ただ呆れるばかりです。

こうした事は、当時の将官の多くに言えることです。私の恩師の父上が東京裁判で弁護人を務めた、東條の家来で、陸軍省兵務局長を務め、黙れ事件で有名な佐藤kなども、そのテレビでの横柄さには、これまた呆れました。

今の若い人は何も知らず、昔の予科士官学校の跡地である和光市の振武台に行ったら、若い説明員から、上記Mは偉い人ですなんて説明を受けて、唖然としました。
私みたいな「若い人間」も、決して若くはないんだな、と思ったのです。

私は、度々書くように、何人もの元将官、軍人に会ってきましたが、テレビの経験も貴重であり、これを伝える意味があるなと、あんな三者の映像を見ていて思われます。
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ノーベル賞とアジアを知ること 
Sunday, March 30, 2014, 10:23 PM
このままでは日本からノーベル賞は出なくなる!という危機感からのある本を書かれた先生の発表を聞きました。
数名の出席者は皆一流の大学に関わり、国際的な仕事をされている方です。

で、どちらかというと失敗した人を、救う西欧(そこからも超若いノーベル賞受賞者が出る)、若い人にお金をかける西欧、といった具体例が沢山出て、日本はダメなんですよね、みたいな話になって思ったのは、やはり根本論でした。日本社会を根本的に変えなければいけないのです。

どう変えるかというと、江戸時代より前に戻すことです。そんなに古くしちゃうの?ではありません。明治維新は江戸時代を引きずり、江戸時代は今と変わりません。その時代の儒学者の制度論を読めばすぐわかりますし、江戸の南北の奉行所は、明治維新後も、そのまま新政府に機能が引き継がれたのです。

これに対して、その前、つまり中世は実の世界です。失敗したって、今がよければOKなのです。わかりやすくいえば実力社会。鋳型にはめ込んだ、分を重んじる今の社会との対比は明らかです。

で、そういう偉い先生方に私は言いました。
皆さん素晴らしいんですが、アジアを知らないと処方箋は書けませんよ、と。頭の良い人こそ、よくアジアを、特に中国の歴史と今を見よと。
この点は先日のある代議士の会でも思いました。何しろエリートぞろいで、アメリカ、ヨーロッパばかりでは、ちといけません。

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