Sunday, March 30, 2014, 09:50 PM
俗物とは何か、ということを考えた数日間でした。
というのは、昔左翼のあるお方とお話ししたからです。その方は、今やその左翼が右翼と結託しているため、自身も主流派です。
そして、そのような主流派を人類不変の原理から批判したリベラル派を、口汚く罵るのです。
そんなことを考えているところに、ある刑事事件の逆転現象がありました。そこへ出てきた弁護人も、やっぱり左翼です。しかし、今は同様に主流派です。で、多分、勲章をもらうんでしょう。もちろん、先のお方ももらうでしょう。
左翼がもらうなんておかしい、という私のような考えは、ほとんど消えかからんばかりの少数派かもしれません。
しかし、上記の現象は、上記の人類不変の原理からはおかしいと思います。
じゃ一体、人類不変の原理とは何かというと、一般的には西欧的価値観、デカルト、スピノザらに出るところ、と言いたいですし、我が国でいうと鎌倉時代の法観念と言いたいです。個人の尊厳を基礎に据えたそれは、やはり素晴らしいと思います。
これに対し、東欧、中東、ロシアでは、宗教改革がなく、ルネサンスがありませんでした。これが、いささかラフですが、私のいう彼らの後進性です。もちろん、個々的には例外があります。どころか、古いからこそラジカルに現状を変えようとした革命家や深い洞察をした思想家、小説家もいたのでしょう。
で、俗物は、そんな人類不変の原理になんて関心はありません。刑事事件で、無実の者が救われるべきだという基本も、一種のトレンドとして受け入れ、うまく世を渡っていくだけです。
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Monday, March 24, 2014, 10:27 PM
ウクライナの国境にロシアが軍隊を展開しているのは、盧溝橋事件前の北京近郊みたいなものです。
これまた、義和団事件のあとの駐兵権に基づくもので、今回のロシアと同じ。1900年から何十年も紛争の種を置いていたことが誤り。下の方に書いたとおり、義和団事件後のロシアのやり方をなぞったのが当時の日本と言ってよいと思います。利益線、生命線という発想も。
私はそんな盧溝橋や秦皇島、山海関、ロシアとの紛争地帯・張鼓峰などにも何度か足を運びました。以下の2004年11月4日の記事 に張鼓峰の写真があります。
http://hagakurebushido.jp/f_top.htm
要は、そんなロシア、あるいはソ連の真似をしたのが戦前の日本だったことを自覚し、こうした過去の例に学ぶことも重要です。
そんな発想になる民族は、契約や法律というものの重みを理解しない遅れた民族、ということになるでしょうし、また、国家という観念についても遅れていると思います。
民族自決という考えもあり、それは、米国のウィルソン大統領によって主唱された大正時代の一概念で、満蒙の独立などは正に支持したいと思いますが、ウクライナでは妥当しません。
そもそも一方には多民族国家という観念もあります。
昨日も台湾関係の会に出席しましたが、台湾こそ多民族の国家であり、これを民族のモザイクで分ければ、昔の蕃界というものを復活させる話になります。台湾には、昔はこの蕃界があって、その中には蕃界巡査しか住めませんでした。大日本帝国憲法の適用されざる地域とされたのです。その跡は今も台湾に残り、アメリカインディアンの保留地のような制度もありますが、普通の日本人観光客には、さっぱりわからないでしょう。
今回の韓国大統領との会談にしても外圧でやるようでは真に事実を把握したとはいえません。要は、国内問題こそ重要ともいえます。日本人が日本の過去の為政者の誤りを総括できない。死んで仏様とは別次元の話です。
そういうことのできない我が国民って本当に平和だなと思わざるを得ませんが、これを脱出し、真にグローバルな発想を持つことが、我々を世界に伍する民族にしてくれると思います。
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Monday, March 17, 2014, 12:22 AM
クリミヤ情勢は本当に色々考えさせられます。タタール系の人の中には日本人そっくりの人もいますし。
また、先日話したアメリカ人は、その前のロシアのグルジアに対するものが同一パターンだったとしきりに言っていました。確かにそうでしょう。
下の方にも書いたとおり、日本としては、ロシアが、義和団事件以降の極東情勢とそっくりの、文化人類学的に同じ行動を取っていることを注視すべきだと思います。
また、この行動は、ロシア・モンゴル(ロシア人の皮を一枚剥くとタタールが出てくると言われます)、北方中国、南方中国、台湾、日本という人類の行動様式を基準にした地政学的なものを発想させます。
一方、今日のテレビは理化学研究所の例の問題で持ちきりでした。おととい会ったある知人は、一月半ほど前、理化学研究所の偉い人に会った際、どんなもんだい、と自信満々だったのに、という話を披露してくれました。
まあ、マスコミの取り上げ方も上げたり下げたりがひどいのと、ネイチャーに載ったら、もうそれだけで裏を取るなんてことはしないんでしょうね。もちろん、こういう事案が裏を取るのに大変で、しかも同業他社に抜かれちゃ困るというのもわかりますが。
何でも、もっとじっくり考えることが大切でしょう。
そうそう、ここ何年常に思うのは、演繹ということの大切さです。一つの見方として、世の中が帰納的になりすぎているからあんな事件が起きるんじゃないかと思うことしきりです。私の本業の法律もそうで、大正時代後期以降の判例研究なるものが花盛り。いささかラフに言えば、それを並べて「分析」するのが判例研究、とか。法科大学院で、中学か高校の文化祭の発表みたいなゼミをやらされそうになって参ったのはずいぶん前でした。
判例よりも、元は法律の条文なんですからね。
この条文というもの、私の昔の裁判長M判事(のちに筑波大学教授)が、民法587条の消費貸借契約の要件は、何千年前の中東の粘土板から続いてきているのであって、単なる気まぐれでできているのではない、という趣旨のことを本に書かれ、条文を軽んじる最近の傾向を嘆いておられますが、正にそうだと思います。
集団的自衛権の解釈変更なんていうのも、全くそれと同工異曲。法律に対する見方も、日本の周りの国を笑えないレベル低下です。
そんなわけで、何のカンのと、話は繋がっていきます。
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Monday, March 10, 2014, 12:41 PM
先日、元総理大臣の講演を聞きました。
彼は、自身は「穏健保守」だそうで、今の状況は「陰険保守」が跋扈している、これを是正しなければいけない、と言っていました。
私もそのとおりと思いますが、その穏健保守は、自身のよって立つべき基軸がわからないというのが現在の状況ではないでしょうか。
私に言わせれば、基軸は単純に日本的に生きること、ということになるわけで、それこそ自身を大事にする保守だと思うのですが、この「日本的」が何かがわからない。その原因は、とりあえずは教育・マスコミにあると思います。単に日教組とかいうのではなく。ただし本当は、教育などに責任を負わせるのはある意味気の毒で、明治維新を奉る江戸以来の罪だと言ってよいでしょう。
多くの人が思う「日本的」は、「着物」に代表されるとおり中国からの貰い物です。以前の掲示板(2006年9月4日)に、漢の武帝の墓の近くの資料館で見た着物を貼ってあります
http://hagakurebushido.jp/f_top.htm
過去の掲示板リンクの該当ページをクリックして下さい。
私のいう日本的は、鎌倉武士の生き方であり、中世武士の生き方ということになりますが、ここで引っかかるのは南北朝の正閏論。詰まり、南朝こそ日本の正統で、北朝や鎌倉幕府はそれを押し込めたひどいやつ、という議論です。
でも、後醍醐天皇の絵を見ればわかるとおり、彼は冕という中国の冠をかぶった非日本的な発想の人なのです(これをいやいや日本の独自性がある云々などというのはいわば強弁です。目の前に糸みたいなものを垂らしたあれですから)。書体にしても、北朝の天皇の方が和風です。
しかも彼の大義名分論は、それこそ中国の宋からの受け売り。
南宋の首都杭州の西湖のそばには小さな橋がありますが、この橋を挟んで男女がその思いを遂げようとして行きつ戻りつ、みたいなことをした話があります。これこそ一種の恋闕(意味わかりますか。2・26事件に関わる青年将校の本の題です)みたいなものです。この発想が北の金や元への激しい発想になり、ひいては明治維新前の志士の悲憤慷慨に繋がっていったと思います。それは北京オリンピックにまで繋がっています。浙江省出身の彼が手がけたのがあの開会式ですから。
こういうことは、中国をよく見なければわからず、結局は自分というものもわからないのに、あそこは嫌いとか、行ったことないとか、アメリカ好きとかやっている多くの論者は、いわば小学生時代の私のような発想なので、何とか大臣以下、保守は益々奇妙な中国化になってしまうのです。
下に書いた、真崎勝次少将のように、しっかりロシア語を物にしてロシアを批判するようじゃなければだめ。ますます内向きになるわが国民は困り者です。
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Tuesday, March 4, 2014, 10:56 PM
ついでに書くと、今回のロシアの動きは、ラインラントへ進駐したヒトラーのドイツ、チェコのスデーデン地方を併合したドイツに極めてよく似ているということです。
ミュンヘン会談における宥和政策が、その後の第二次大戦を招いたという1つの評価は、多分、相当程度当たっているのでしょう。
だとすると、今のヨーロッパあるいはアメリカの対応は疑問です。もう一歩あるいは半歩でも積極的な行動が必要な気がしますが、もちろんお金の問題、資源の問題、色々あります。
一方、問題は我が国「政府」です。プーチンさんの名前をファーストネーム?で呼んだり、北方領土の問題があるからどうの。
これは、スターリンに騙された松岡洋右そっくりです。
度々記す真崎勝次少将には、衆議院議員の時、お家に連れて行かれて会ったことがありますが(当時、私は幼稚園)、少将はロシア語に堪能で、ロシアの駐在武官をされていたこともありました。
ロシアは油断のできない相手、中国とは提携すべし、と言われたのです。
南京への攻撃についても、ビスマルクのウイーン攻撃中止の故事を引いて、断固反対でした。
こうした、大きな意見を無視し、スターリンの、同じアジア人だよなんていう言葉にいい気持ちになって、日ソ中立条約を結び、結局は破滅を導いたのが松岡ら。
要は、益々A級戦犯なるものはどうしようもないわけで、それとDNA的に繋がっている人達は、よほど反省しないと、使い物にはならない御仁ということになるはずです。
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Sunday, March 2, 2014, 06:27 PM
少々ひどい風邪?に罹って少しお休みしました。
この間、ほぼ最後の海軍兵学校の学生であった同業のN先生が亡くなりました。
海兵出身でありながら、その身分差別的なことについては大いに否定的であったN先生。原爆の体験者でもありました。
江田島にいる時の昭和20年8月6日、ズシンという言い方では表現できないものすごい衝撃を受けたそうです。あのような実体験のない、あるいは実体験がないことを自覚していない国民、あるいは政治家が、観念だけで最近のことを進めるのは、本当に危険だと思います。
集団的自衛権とやらで、どうして遠いイラクやアフリカのことを考えるのでしょう。ごく近い国から原発あたりに破れかぶれの攻撃がこないとは言えないこと、そんなことになったら、今の福島の比ではないことは、この下の記事にも記しましたが、国会議員の、まるで教科書棒読みのような抽象的議論には、およそ国家というものを身体で受け止めたことのある人間の議論とは思えないものを感じます。
なんて思っているところにウクライナの問題が緊急課題になってきました。ロシア軍のクリミヤ進駐で思い出すのは(?もちろん私は生まれていませんが)、義和団事件のあとの満州居座りです。その旧満州のハルビンにもウクライナ寺院、つまりウクライナ正教のキリスト教寺院があって、今も稼働中なのには驚きました。一方、クリミヤ半島及びその近辺にはタタール簡単にいえばモンゴルの居住地なり離れれば自治共和国があって、スターリンの強制移住の対象にもなりました。遠い国の話しではないのです。
話しを戻して、例の義和団事件のあとのロシアの動き、そして日露戦争前の東清鉄道の付属地に関わるロシアの動きは、正に今回の動きとそっくりです。要は、法律、あるいは条約というものに対する見方が、よく言って遅れている。
更に、この非法律的動きは、日露戦争勝利後の日本が真似てしまったものでもある、という点が大事なことではないかと思います。日本も法律を守れない遅れた国だったのです。何しろ、上記のとおり繋がっていますから。
ソクラテスの例を持ち出すまでもなく、法律というものを文言通りにきちんと実行しようという発想に対して、結果さえよければ法律の文言は少々動かしたっていいんだよ、という発想もあります。我が国の場合、大正時代の、私から言わせれば少し以上におかしいな、と思わせる発想のドイツ(ここも日本の親戚みたいなもの)からの生半可な輸入以来、判例研究なるものが大流行りとなり、果ては、法律の初学者に向けた、しかし権威ある本にまで、結果が大事、つまりは結果的妥当性を先行させる考え方が、特に学者と称する人の間で強くなっています。
だから、法科大学院で、かわいそうだから救うなんていうのは法律じゃない、と言ったら、「目から鱗が落ちました」なんていうコメントがくるわけです(それを言った彼が、法科大学院を辞めて、旧試験に一発で合格したのには嬉しくなりましたが)。
で、今の集団的自衛権の議論も、結論先行の政府(この、政府という言葉も、実は基本法には根拠のない不正確な言葉。昔の官吏服務規律にはありました)は、法律をないがしろにするおかしな発想。
そもそも、昔の法律は詔、つまり天皇陛下のご命令であって、十七条憲法にあるように承詔必勤だったんですから、これを政府見解かなんかでねじ曲げようなんていうのは、 天皇陛下に逆らうものでもあるのです。丁度聞いた話しですが、実務では陛下の御印をいただくことを、今もご裁可と呼んでいるそうですから(これもちょっと正確性を欠くとは思いますが)、ひん曲げはますます陛下の御心に反する。
その昔、内閣法制局長官から最高裁判事になられた高辻正己さんと食事をご一緒する機会がありましたが、あの方の「憲法講説」のように、あまりポピュラーじゃなくても良い本、のような発想できちんとしたことが行われなければなりません。
それに反する行動は、世界的にも遅れている上に、不忠の極めということに気がつかなければいけません。
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Thursday, February 6, 2014, 11:09 PM
何とかいう耳が聞こえないということになっていた音楽家の交響曲以下が、ゴーストライターによるものだったというので大騒ぎです。
まあ、私としてはこういう話をしっかり掘り下げる力が日本の国民に求められていると思うのです。
彼が広島の出身者だったり、地震の鎮魂の曲を作ったりで、みんなジーンと、きたのでした。
でも、音楽でジーンと来るのは一種のお話や物語の世界です。機能的に国家をどうする、国や為政者の責任をどうするという直接的な意義はとりあえずありません。
これは、例えば戦後、いわゆる左翼の人々が平和平和と叫んでいたことと同じです。いくら平和平和と叫んだり、歌を歌っても、それでは平和はこないのです。冷徹な分析と責任に基づく作用が行われて始めて実現できることです。ベトナム戦争時代もそうでした。戦争を止めるのはアメリカ大統領だったり、北ベトナム政府だったのです。
だから、私はあの何となく浮いた感じの報道に違和感を覚えていたものでした。
で、同じことは今の日本政府にもいえます。今の日本政府は、美しいとか言っているお話族です。その淵源は、史記などにある。
そうでありながら、いや、だからこそか、積極的に平和を作る、なんていう美しい言葉になるわけですが、それは、白馬は馬にあらず、といった中国古代の名家みたいですし、みんながそういう美名に踊らされているというか、見抜けない人が増えている。結局、お話国民だからでしょう。
これもお話の零戦の(特攻の)映画が流行って、涙を流している人が多いようですが、戦争とはそんなものではない、いや、あってはならない。統帥の外道であるということは私でも言えます。もちろん、そういう戦争もあったし、私の母はそれを見送り、何十年も前に私の頭上をバンクして去って行った零戦には、目達原基地を飛び立った特攻機のことを幼少時から聞いていただけに、正にジーンときましたが、今の取り上げ方はおかしい。
いつも書くとおり、ご町内の飲み友達、東條英樹の弁護人清瀬一郎先生(戦後最大の衆議院議長。こう書かないとわからない時代になった)のご子息が言っていました。海軍はいつも海を見ているのでおかしくなっちゃうんですよと。当時はなかった空軍も同じです。機械で行う戦争ですから。
海軍中尉で、何度もお家に遊びに行った零戦の撃墜王・坂井三郎さんも同様なことを言っていました。彼は海軍嫌いで、陸軍好きです。
シンガポールから北ビルマまで、撃つに弾なしの状態で行軍させられた陸軍兵士、ましてやアメーバ赤痢や脚気で苦しんだ兵士、更に、輸送船が撃沈され17・8時間大海原に漂流しての戦死(これも関係)と、ひと思いとは大いに違います。
坂井さんの最大の誇りは、自分が隊長として出撃し、1人の部下も死なせていないこと。命を的に、の戦争はあってはならないし、それを命じて、戦後ぬくぬくと生き延びた人間は一体何か。
この間も人間魚雷の話しが出たのですが、脱出装置がない回天で、何時間も航行せざるを得なかった海軍兵士の苦しさを考えられるでしょうか。現に回天が当たって撃沈のケースはほんのわずかの例外を除いて聞いたことがありません。それを積んでいた伊号潜水艦が、終戦間際に、原爆を積んできたアメリカの巡洋艦インディアナポリスを撃沈した、ということは聞きましたが。また、そんな回天を企画立案した人はどういう人か。私はそことも関係を持っています。
もちろん、殉職した黒木、仁科さんたちは本当に気の毒ですが、彼らをそんなことに持っていった制度論が大事です。
こういう厳しい部分は、ムードや、音楽や絵画や映画で解決できる問題ではありません。逆にそういうものは適切な判断力を欠く原因になるのです。幕末に戦記物ですっかり盛り上がってしまって、蛤御門に突入しようとした某さんのようなものです。
こんなふうに、ムードで流れて行く日本国民を尻目に、アメリカの一部は集団的自衛権賛成とか。そりゃそうですよ。単純に言えば負担が減るんですから。しかし、うかうかそんなことを始めるならば、敗戦の泥沼の中から戦後の日本を、いわば騙し騙し苦労して作ってきた先輩政治家から馬鹿者と言われるのがオチじゃないかと思います。
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Thursday, January 30, 2014, 10:09 PM
何かとおかしなこのところ、ある軍事評論家の講演会のお手伝いをしてみたら、ある質問。
日本の近くの半島からアメリカに向けてミサイルが打たれたら、日本の真上は通らなくても、近くなんだから撃ち落せばいいんじゃないですか?
おいおい、それこそ集団的自衛権の容認だよ。アメリカさんからの被害の表明と要請が必要ともされているけどね。どっちにしても、そのシチュエーションで打ち落としをやれば、某国は日本を敵として、原発だろうと何だろうと、攻め寄せて来る危険があるんだよ。だから問題なんじゃないか。福島の原発がああなって、ワイワイやっている日本にそんなことの解決能力があるのかね、と。
そしたら今日は、同じ講演者の席で、集団的自衛権を容認すれば(集団だから?)攻めてこないんじゃないですか?と。
上記のとおり逆で、こんな議論じゃ話になりません。
昨日のテレビを見ていたら、政党トップの政治家でも似たり寄ったりの記者会見で、びっくりします。
その昔、不当労働行為を、不当に労働者をいじめる行為、と解釈していた裁判官がいて呆れましたが(不当労働行為は労働組合法7条に定められた、支配介入、団交拒否など、パターン化された一定の行為)、日本の病気も深刻です。
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Monday, January 27, 2014, 12:55 AM
それで、2・26事件のご遺族とお会いし、色々な話をしましたが、そこで出てきたのが、天皇の戦争責任の話。
これについても、世間では、あった、なかったという表層議論ばかりです。
そもそも明治憲法では、天皇は誰に施政の責任を負っていたかといえば、皇祖皇宗に対してです。
となれば、外国に対して敗れ、国を潰された陛下には、恐れながら皇祖皇宗に対する責任があったと言わねばなりません。
じゃ、国民はどうなったのといえば、元々国民は、法的には反射的利益しか得られない立場だったのです。だから、規制権限不行使の事案では、公務員の違法を問うことができなかったのです。板橋火薬庫事件とかです。
少々難しい話ですが、そうなると、そういう仕組みにしていたこと、つまりは国民に対する為政者の責任をそもそも認めなかった憲法体制の構築に問題があります。
このスタイルは、韓国なども全く同じで、水原にある民俗村に行ってみればよくわかります。
だから、アジアの持つ後進性なのです。
こういうことがわからないと、世界に恥をかくだけです。総理大臣や大使らが、ヨーロッパで何のかんのというたびに、こういう発想法のないことが露わになり、日本という国はもとよりそれを選んでいる国民のレベルが白日の下にさらけ出される。
日本は世界一なんて言ってる奢りもおまけとして明らかになります。
なんて思っているところに、今度はまたもやNHKの会長がめちゃくちゃ発言。
書くもおぞましい従軍慰安婦を、大阪の何とやらに引き続き、真正面から肯定するような発言は、「皇軍」という存在を何と考えているのでしょう。
上記のように天皇は皇祖皇宗に責任を負い、官吏や軍人は天皇陛下及び天皇陛下の政府に対し忠順勤勉をむねとすべしとされ、上官の命令は朕が命令と心得よとされたればこそ(官吏服務規律や軍人勅諭。読んだことあるのか、と言いたくなります)、そんなことはあってはならず、正に「神兵」でなければならなかったのです。
あんな発言こそ、靖国神社に祀られた英霊に対する冒涜であり、靖国神社こそ抗議すべきなのに、これがなされない。
日本はそんな正々堂々たるモグリ売春認容国家だったりしたのでしょうか。
私もアムステルダムの飾り窓を外から見たことはありますが、むしろそのことと対になる、博物館のキリスト教とは無縁の解剖の絵の数々や、デカルト、スピノザ、ライプニッツらの故地の数々に、一種哲学的な高度さを感じたものでした。
日本の上層のお粗末さは、むしろスキャンダルという形に現れていないだけにより危険なものを覚えざるを得ません。
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Friday, January 24, 2014, 01:42 PM
健康診断で病院に行きました。
正にコンプライアンスの塊で、きちんとされていましたが、一方、こんなにきちんとできるのに、国がというか、国家の上層部がきちんとなっていないのはどういうことなのかね、と、どうしても思ってしまいます。
ビルマ戦線における日本軍は、兵隊は一流、中堅幕僚は保身で、上層部は堕落していると言われたそうで、それは、インパール作戦の一環ともいうべきフーコン作戦(フーコン谷地のフーコンは死を意味する。白骨街道を現出)に従軍して、生還した身内からも散々聞かされてきました。
私自身何度もビルマ(ミャンマー)に行きましたが、色々な意味で、極めて厳しいところです。
当時のビルマ方面軍司令官木村兵太郎中将は、マンダレー街道を南下する敵・英印軍の攻撃に、上層部の許可も得ず独断で、ラングーン(今のヤンゴン)から、話では女性と一緒に、飛行機でモールメンまで逃げ(敵前逃亡罪)、部下を置き去りにし、最後まで踏みとどまった参謀長の田中新一中将は、それ以前に東條と衝突し、左遷された将軍でした。身内とはいつも、師団の会合で会っていました。しんがりを徒歩で後退したチャンドラボースの責任感は高く称えられています(軍人にせよ裁判官にせよ、勇気など必要ではない。責任感こそ大切、といつも書く典型の話です)。
田中参謀長が歯噛みした相手の木村中将の方は、だのに後に大将に昇進(インパール作戦の牟田口軍司令官と同じパターン)。木村中将は東條さんの時の陸軍次官でもあります。
ビルマでの戦死者は20数万とも言うのにです。一兵卒からしたら許されない所業でしょう。
なのにつまりは、日本人はこういうことにけじめがつけられず、のほほんとしていて、アメリカさんの指図で木村大将はA級戦犯で死刑になりました。
こういう次第なのに、死ねば仏様とかいう奇怪な理由で、その命令を受けて死んだ人と彼・木村とを一緒の神様にして頭を下げることなんかできるか。というのが多くの兵隊達の意見だったし、私のお友達でいえば零戦の撃墜王坂井三郎さんだった、というわけです。
およそ法的に考えると、昔のそういう軍人や為政者は、その責任の名宛人は天皇であったわけで、これは、明治憲法や軍人勅諭から導かれることです。なのに、「陛下の国家」を潰しておきながら、何の責任もないとは如何に、です。
「戦争責任」の第一次的意味は、当時の制度を前提にすると、正に天皇に対する絶対の責任であったはずです。だから、本庄繁侍従武官長は立派に切腹したのです。
この点は、戦後のいわゆる戦争責任の話と、明治憲法を踏まえた話とはきちんと分けるべきで、分ければますます、知らぬ顔の半兵衛なんて許されないはずです。こういうところも法的厳密性がないからそもそも議論にならない。
そしてもちろん法的責任が問えない。
さっきの仏様論のような感情論かお話論に行ってしまうのです。
こうして、コンプライアンスどころか、法律を無視する傾向はいつから始まったか、また、その原因は何かを考えていくと、日本の、というか、アジアの恐るべき後進性に行き当たるのですが、その後進性を正にリニューアルしたのが明治維新でした。
へーなんで?なんて言われそうですが、もとより学校ではそうは教えない、どころかマスコミも小説家も明治維新を持ち上げるからおかしなことになるわけです。
このことについては「武士道バーチャル博物館」を見てください。
http://hagakurebushido.jp/
もっとも、別の角度から見ると、実は、明治時代は、法律は正に王言、つまりは天皇のお言葉でしたから、その文言通りに事を処す文理解釈が花盛りで、勝手な捻じ曲げはできなかった。律令時代でも江戸時代でも、通信手段が文書しかなくて、正にロゴスがものをいったと言えるかもしれません。
しかし、ドイツのエールリッヒなどの受け売りを強調するようになった大正中期。末広厳太郎に代表される「嘘の効用」などという、ある意味強烈な名著が出る頃から、結果の具体的妥当性なるものが強調され、法律の文言はそっちのけになって行きました。エールリッヒではないドイツの学者は、「公平は立法府に向けられた理念であって裁判官に向けられたものではない」と言ったのに。これが公平だろう、なんていう思い込みで裁判はよし、とする考えが蔓延してきたのです。
ここでも真似っ子国家の悲劇が見られます。
そして今や、表面的な具体的妥当生で何でもOKの時代に。法律を守らなくて、秘密を暴露しても英雄みたいな調子。秘密保護法なんていう以前の話です。
この表面的な具体的妥当生とは何かというと、お話です。美しさです。極端なのが日本の誇り、富士山!みたいなこと。あるいは、同様に法律を作っても守らない日本の近くの寒い国には数々の美談があります。
このお話し性の元は、戦前の国定教科書の元になった大日本史であり、その元は中国の史記!何のことはない、国粋の元は外国だった、ということ。これも、上記の博物館で確認できます。
ずいぶん書いたので、今日はここでおしまいにしますが、日本の為政者レベルの色々な意味での低下傾向は著しいと言わねばなりません。
以上を1とし、2はおって。
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