★5月14日 
Tuesday, May 14, 2013, 10:34 PM
毎年旅行に同行する元ルーマニア大使のOさんは、子供の時、済南事件に出くわし、その折の日本の軍人の態度の立派さに感動を受けたそうです。歴史の本には色々書いてありますし、大きな政策的問題はありますが、いわば日本の代表だったのです。もちろん慰安婦なんていません。

私の一親等の身内は、ビルマのフーコン作戦(大きく言うとインパール作戦の一部で白骨街道を現出)に従軍し、陸軍省への転進を命ぜられ、輸送船で海南島の近くに差し掛かった時、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて撃沈。17、8時間の漂流の末助かりました。その輸送船の底には何人かの従軍慰安婦がいて、皆、海の藻屑と消えてしまったそうです。

北ビルマのフーコン作戦は18師団、つまり菊兵団であり、天皇陛下のご紋章をいただいた兵団としての強さと誇りを持って従軍したのです。我が身内も死ぬことしか考えていなかった。陛下のためです。なのに、シンガポールの兵営に東条の巨大な写真があったことに最初の違和感を覚えたとか。

それが、大阪市長だかそのシンパだかの言っていることは、実情を知らないとんでもない妄言です。菊兵団の北ビルマ奥地で戦った身内の兵団にはそんなわけですから従軍慰安婦何ぞいません。いたところもあります。全部いたなんてとんでもない。だったら靖国神社の英霊は皆従軍慰安婦にお世話になったのか、なんていう話です。正に戦死者に対する冒涜です。靖国神社の英霊は皆そんなことをしていたとでもいうのでしょうか。

こんなことだと、おじいちゃんが戦争に従軍した孫は、とんでもない誤解も抱くでしょう。

これだから戦争を全く知らない若者、そしてそれに同調する年寄りぶった人間どもには、大なる問題を覚えます。陸軍刑法、海軍刑法、軍法会議、戦時国際法の意義も分からず、先祖を貶める。自衛隊法を苦労して作った先輩の意図も分からず、現役自衛官を貶める。それでいて名前だけは勇ましく変えようとする。

正に極限まで法的存在であった2・26事件の青年将校なら、絶対にこんな妄言は許さなかったでしょう。保守などという言葉に騙されてはいけません。

法的国民ではなく、情緒の、お話の国民であることの面目躍如!?
靖国神社や日本遺族会こそ断固抗議すべきなのですが、まさか何とか恩給で骨抜きにされているわけではないでしょうね、と言いたくなります。


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★5月11日 
Saturday, May 11, 2013, 05:15 PM
近頃流行るものは「キャッチフレーズ」かなと思います。
2・3日前に飛び交ったのが「国益」。「固有の領土」とかいう余り世界でには通用しない観念もアジアのあちこちで使われています。

株主総会シーズンが近づいて、「株主平等の原則」。
株主は別段平等ではありません。同じ種類の株式ならば、「株式」が平等でなければいけない。いや、株式は人間じゃないんだから、むしろ株式は財産権の対象として、価値が同一であるべきという当為でしょう。分かりやすくいえば、財産権の侵害は許されません、というだけのことだと思います。益々難しくなったかもしれませんが。

こういうキャッチフレーズは便利です。また、分かったような気になります。
一緒に本を書いていた同業のAさんが最高裁判事になりました。彼はその辺のセンスがよくて(よくないと困ります)、最近の分かりやすそうな?法律の本を「麻薬」と言っていました。正にそうだね、と応じました。法律の本も最近は横書き、あるいは絵入り、カラーまで。何となく分かったような気になるだけです。

昔の法律の本は、何を言いたいのかさっぱりわからなくて、初めて読む頃は、こちらはノイローゼ状態。しかし、ある程度のところまで理解すれば、今度は自分で考えることができる。
「麻薬本」の場合は、時に重要フレーズが抜けている。法律は概念の数学である、とも言われるわけですから、その概念が一つでも抜けていたら、ロケットでいえば爆発を起こす。この話も神戸大の先生と話したことがありますが、我々は少数派?かもしれない最近の状況。

日本人が、キャッチフレーズに騙されない国民になることが、断固必要かと思います。

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★5月8日 
Wednesday, May 8, 2013, 11:46 AM
このところずっと考えているのは「国家」のことです。
今のような国家観が西洋でできたのはウェストファリア条約やユトレヒト条約の結果。あるいはルイ14世のライン川を国境とする領土観念など。
しかし、ルイ14世は「朕は国家なり」ですから、国家は一人の人間ともいえます。この観念は長い間人類共通でした。

そして後発のドイツは国家法人説をとって、日本でも美濃部達吉の天皇機関説が物議をかもしました。
日本人がお国のために云々というのもやはりこの論でしょう。

一方、アメリカでは、国家法人説はとられない。アメリカの思想の元はフランスやオランダ、イギリスなどの、正に啓蒙思想です。
それを取り入れたアメリカは、「国家」がいわば薄い。外交権を相当に議会という国民代表が握っているのもその一例でしょう。

一方、ヨーロッパの啓蒙の前は、国家?ははっきりしていない。叙任権闘争などをみても国のトップがはっきりせず、兵隊も個人の傭兵が主体。今のバチカンもスイスの傭兵によって守られています(話はどうしてもこういう武士道?の話になる?)。

近頃は憲法云々の議論も多いけれど、日本がこんな流れからまともな国家になって(なろうとして)からはまだ数十年(えっ、明治維新があるんじゃ?なんて声が聞こえてきそうですが、法的に考えれば無理。だって「せいぜいが」美濃部説で動いてますから)。むしろメソポタミアあたりと比べてみればよい。

そんなビギナーには、近頃の議論はいささか荷の重い話ではないかと思っています。
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★4月23日 
Tuesday, April 23, 2013, 11:46 PM
少々忙しくて、また間があきました。

この間カラオケで歌った曲に隠密剣士の歌があります。私が子供の頃、テレビでやっていたドラマの主題歌。「江戸の隠密渡り鳥」で始まるあの歌が大好きでした。

そして、一番好きな部分は「白刃の雨は好かないけれど、許せ世のため人のため」。この部分は、葉隠の「大慈悲を起こし人のためになるべきこと」や「念念に非を知る」ことと並んで、私の考えの根本を形成したような気がします。

つまり、急迫不正の侵害に対する止むを得ない防衛行為や緊急避難は当然許される、ということであり、一方、急迫性がなくなれば死刑ということには疑問があるということです。

世界では様々な凶悪事犯が発生していますが、その場合、犯人を止む無く射殺することは常識で、一方、死刑存置国は極めて少数。
今の日本はその逆。
隠密剣士は、実は極めて国際的だった、とさえ言えるのかもしれません。

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★4月9日 
Tuesday, April 9, 2013, 11:06 AM
この下の話しの続きみたいなことです。

客家の会に行きました。台湾関係が多いのですが、ここに出てきた政治家の若手はダメ。元民主党で、今はナントカ党のカントカさん。「イヤー地震ではありがとう。二百何十億もくれたこんな国がありますか。どこどこは何億」。要は、台湾大好きというだけの皮相的なもの。

二百何十億の中身もわからないし、一体、客家がどういう人たちなのかも念頭にないので、危険。正面には孫文の写真もあるわけだからピンとこなけりゃおかしいのに。
客家の人は、台湾だけじゃなくて、大陸にもどっさりですし、シンガポールをはじめとする東南アジアや、果てはアメリカ、ヨーロッパに住まいする、ある意味国境を超えた人たちです。そこに、台湾、台湾といっても意味がない。現に私の知る台湾、日本、大陸を動き回った劇的人物も列席していました。

なのにあんなこと言って、まさに[国益]を害するな、と思ったわけ。これだから民主党はこけたんだね、と。
その点、そのあと挨拶した知り合いの元防衛庁長官は、そつなくこなしました。あれでなきゃダメなんで、その点は自民が上。

ただ、だから自民の反省なしでは困るわけで、今のままでよいとはいえません。
要は、戦後の底の浅い教育のしからしめたもの。これをしっかり落ち着いた分析を行い、将来を見据える一つの柱を立てなければ、日本は衰退するだけです。

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★4月6日 
Saturday, April 6, 2013, 09:05 AM
マリへの旧宗主国と称されるフランス、そしてアメリカの対応を見ていて、この日本という国の、いやアジアの、後進性を思わざるをえません。

その昔、日本が勢力を築いていたA国B地域では、戦後、日本語を中学生から教えていました。しかし、今は教えられていません。変わって英語に最も人気があり、以前、留学先トップであった日本は凋落しています。
もし、以前のような状況が継続していれば、日本の資源外交も変わっていたかもしれません。何しろ今回のフランスやアメリカの介入には資源が当然絡んでいますし、B地域にも当然、様々な資源があります。

その昔は生命線とか利益線とか言って騒いでおきながら、何の利益も得ないどころか失う体たらく。もちろん、この奥には、1、2ヶ月前に書いた外務官僚のお粗末さもあります。

また、日本人が、国境というものを素直に守るいい人揃い、悪くいえば単純でナイーブということでもあります。

今、南北関係はきな臭い時で、北は、外交官に安全の保証ができない旨の通告をしていますが、その通告される側には板門店で対峙しているはずの国連軍の数カ国も入っているのです。つまり、戦いながら大使館を置いている。かと思えば、北と台湾には強いつながりがある。あるいは、最近の台湾のあちこちでは、自分のところの総統に並べて、中国の指導者のパネルを飾っている。

そのような重層的な発想が施行されていることに気づかず、ステレオタイプの好きとか嫌いとか言っている日本の人間あるいはマスコミは、本当に救いがたい気がします。

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★3月31日 
Sunday, March 31, 2013, 11:51 PM
年度末夜中の246はすいています。

車は下馬を過ぎました。もうすぐ瀬田を過ぎて多摩川を渡ります。このまま行くと、土橋のそばを通って、さっき通った渋谷とは別の高座渋谷の方に。渋谷はそちらが本家本元です。

つまりこの沿線は、源頼朝の奥州攻めの通り道。すなわち鎌倉街道であり、歴史の宝庫です。下馬も土橋も渋谷も頼朝やその御家人に因む名前です。

前にも書きましたが、律令時代の道は広いけれど直線的で、いわば不自然なため埋まってしまっているケースが多い。
鎌倉街道は、元は狭いけれど、自然と調和しながら機能的に巡って行く形態なので今に残る。

正にこの246はその典型であり、我々の生き方もそうでなければいけないのではないか。
そんなことを思うのです。

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★3月28日 
Thursday, March 28, 2013, 01:15 PM
先日、友人の米国人がご両親を連れてやってきました。
それじゃご馳走しなくっちゃ、というわけでランチをご一緒に。お母さんはお寿司が大好きで、その時も寿司。男性3人は花籠弁当でした。

そこでひとしきり世界の寿司談義となりました。カリフォルニアロールなどの米国発祥寿司や、寿司職人の外国人化について。
私も皆も、それには肯定的でした。

鍋島直茂が言った「実」の発想からすれば、要は本人にとって美味しければよいのです。鄧小平が、ネズミさえ獲れば、白い猫でも黒い猫でも、どっちでもよい、と言ったのと同じです。

ひところ、正当な日本料理はこれ、なんていうことで、締め付け?ようとする発想がありましたし、今もあるかもしれませんが、先例にこだわるのは敗れた公家主義、とは山名宗全の言葉でもあります。

例えば、早い話し、中華料理は世界に広まったといいますが、日本で食べている中華料理なども、あちらの人から見たら奇妙なもので、例えば豆とかが最初に出ないのはおかしい。要は、日本のは西洋化した中華料理と言います。でも、それで美味しければ問題ないし、お客の嗜好に合わなければ負けるだけです。

四川省のみならず、長江流域の食事の辛さは半端じゃなくて、武漢出身のT君は、食事にたっぷりと唐辛子をかけて食べます。ミャンマーの唐辛子ふりかけもすごいです。だから、そういうところで、日本発の牛丼にコーラが付くセットがあっても不思議ではありません。

我々は常に「実」を追求していかなければ、「公家は天下奪われ媚をなす」と宗全に揶揄された姿になってしまいます。下のアプリケーション話しの延長です。

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★3月27日 
Wednesday, March 27, 2013, 10:37 PM
ここ十年を激動の時代と言われた方がいました。私の本業の世界も一種激動の時代でした。
それは、様々な新制度が生み出されたという意味で。
で、それを種に、先日あるところでこんな話しをしました。

スマホに例えれば、そういう新制度は、いわばアプリケーションです。つまりはアップリケみたいなものですが、AndroidだとかiPhoneのiOSだとか、OSとしっかり対応させなければ動きません。

同様に制度も、基礎になる歴史や社会の状況に合わなければ、機能しません。
我々の世界でいえば、強制起訴なんていうのが全くおかしな制度であったことは今や歴然でしょう。法科大学院をはじめとする司法試験改革、被害者参加もへんてこ。

その昔、「私は日本の刑事司法制度を諸外国の人に説明できないのが最も残念」と、私の前で言われた有名な学者がおられました。だから私はそれを追求して、御成敗式目に至ったのに、実はその先生の関心はそういうところにはなく、いわばヨーロッパとアメリカをミックスした今の裁判員なるものがその先生のいう「日本の」ものだったようです。ミックスして新しいものを作ったから日本のだ、なら、誰にだってできますよね。

そんなことではなく、自分たちの本当の身の丈にあったものは何かを探すには、正に温故知新で、過去を知らなければなりません。

それをやらず、真の日本の追求を欠いたアップリケはOS無視のアプリケーションのようなもので、この傾向はこの激動の十年のいわば特徴のような気がします。

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★3月24日 
Sunday, March 24, 2013, 07:20 PM
3月は色々と忙しくて、間が空きました。

久しぶりに入った古本屋のご主人、私が買った本を取り上げ、こういう本が全く売れなくなったんですよね、と。

一冊は昔の東亜同文書院の大旅行を印刷したもの。戦前上海にあった同文書院の卒業生が、卒業旅行を前に行った中国各地への旅行、いや探査の報告書です。確かに今の人には何これ?ってことになるでしょうね。

もう一冊は明治維新後に尊王攘夷派を成敗した過程を研究したもの。これもちとメジャーではない。

でも、こうしたものを読み、かつ考えないと本質はわからないんですよね。とは、その古本屋さんと私の一致した意見。
価値ある本ですが、買う人がいないので、リーズナブルなのは私には嬉しい。

その方も私と同世代のようで、全学連を懐かしがるなんてもっての外、という辺り、意見一致でした。汽車の時間が迫って名前も名乗らず失礼したことが残念ですが、またいつか伺ってみるつもりです。
松本にて。

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