Wednesday, March 27, 2013, 10:37 PM
ここ十年を激動の時代と言われた方がいました。私の本業の世界も一種激動の時代でした。それは、様々な新制度が生み出されたという意味で。
で、それを種に、先日あるところでこんな話しをしました。
スマホに例えれば、そういう新制度は、いわばアプリケーションです。つまりはアップリケみたいなものですが、AndroidだとかiPhoneのiOSだとか、OSとしっかり対応させなければ動きません。
同様に制度も、基礎になる歴史や社会の状況に合わなければ、機能しません。
我々の世界でいえば、強制起訴なんていうのが全くおかしな制度であったことは今や歴然でしょう。法科大学院をはじめとする司法試験改革、被害者参加もへんてこ。
その昔、「私は日本の刑事司法制度を諸外国の人に説明できないのが最も残念」と、私の前で言われた有名な学者がおられました。だから私はそれを追求して、御成敗式目に至ったのに、実はその先生の関心はそういうところにはなく、いわばヨーロッパとアメリカをミックスした今の裁判員なるものがその先生のいう「日本の」ものだったようです。ミックスして新しいものを作ったから日本のだ、なら、誰にだってできますよね。
そんなことではなく、自分たちの本当の身の丈にあったものは何かを探すには、正に温故知新で、過去を知らなければなりません。
それをやらず、真の日本の追求を欠いたアップリケはOS無視のアプリケーションのようなもので、この傾向はこの激動の十年のいわば特徴のような気がします。
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Sunday, March 24, 2013, 07:20 PM
3月は色々と忙しくて、間が空きました。久しぶりに入った古本屋のご主人、私が買った本を取り上げ、こういう本が全く売れなくなったんですよね、と。
一冊は昔の東亜同文書院の大旅行を印刷したもの。戦前上海にあった同文書院の卒業生が、卒業旅行を前に行った中国各地への旅行、いや探査の報告書です。確かに今の人には何これ?ってことになるでしょうね。
もう一冊は明治維新後に尊王攘夷派を成敗した過程を研究したもの。これもちとメジャーではない。
でも、こうしたものを読み、かつ考えないと本質はわからないんですよね。とは、その古本屋さんと私の一致した意見。
価値ある本ですが、買う人がいないので、リーズナブルなのは私には嬉しい。
その方も私と同世代のようで、全学連を懐かしがるなんてもっての外、という辺り、意見一致でした。汽車の時間が迫って名前も名乗らず失礼したことが残念ですが、またいつか伺ってみるつもりです。
松本にて。
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Sunday, March 3, 2013, 10:17 PM
2・26の次は2・28。それは台湾の話であることは何度も記しました。1947年2月28日、蒋介石政権のために何万人もの本省人が殺された、と、ごく簡単に言えばそういう事件です。
私の知り合いの台湾の弁理士さんは、無政府状態があんなに怖いものだとは思わなかった、と言われます。
で、現在では、その日は休日です。40年間にわたりその実態は伏せられてきました。この事件のあと敷かれた戒厳令のせいです。
その後、民進党の市長が出て、台北に記念館ができ、話がオープンになりました。私の深い関係者も獄中にあった事は、これまた以前記しました。
今回の記念日、感動したのは式典参加者の言葉です。過ちを繰り返さず、本当の団結を成し遂げるために、ありのままをオープンにしようと。
これは当たり前のことです。多民族国家台湾では、特に大事なことでしょう。それは、日本も同じはずです。
ですから、今日あったアメリカ人は、Knowledge is Power.Power is Knowiedge.と言いました。
ところが最近の日本は、何とかふさいじゃえ、の発想です。私がその昔食事でご一緒した名将辰巳栄一中将は、偕行社の理事長時代も、ふさいじゃえの反対をされていたのに、これでは本当に、国民のパワーは生まれません。
この発想の奥は実は深く、歴史的なものです。
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Tuesday, February 26, 2013, 10:47 PM
今日は2月26日。私が若者の時代までは2・26事件があった日、として色々と話題に出たものですが、最近は12月8日と同様、ほとんど話に出ることがなくなりました。また、話に出ても極めて皮相的なものと言わざるを得ません。それは、学者と称する人の論からしてがそうなのですから、あとは推して知るべしです。私の経験で、この事件について最もその本質をついているなと思った方は、15年ほど前に一緒に食事をした台湾の元大学教授でした。
青年将校の純粋さと悲劇を、あそこまで理解されていたのは、台湾における戦前の教育が、そこまでピュアであったことと無縁ではないでしょう。「天皇は聖明なり」この言葉の徹底です。徹底しないから、誰かが糸を引いていた、などという、青年将校が聞いたら烈火の如く怒るであろう不徹底な議論になるのです。それはつまらぬ詮索であり、思想の純粋さというものの力を知らない議論です。
聖明を曇らせる妖雲を払えば、聖明はたちどころに現れるのです。もちろん、そう考えていたのです。
そして、青年将校の悲劇は、それほどまでに体の芯にまで植えこまれていたともいえる観念の元が、実は純粋日本製ではなかったということです。いわば明治維新の最終到達点は、明治維新自体が尊王攘夷という、尊華攘夷つまり宋学の焼き直しであったことの必然として、そのような形で純粋化したのです。
もとより、事件のあとの最大の悲劇は粛軍人事、そして、日本の敗戦です。今、日本を取り戻すだのといった言葉がありますが、こんなあたりへの取り戻しでは、再び破綻します。
その意味で、この事件をきちんと捉える事は、本当は日本国民にとって必須のことであると思っています。
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Wednesday, February 20, 2013, 05:32 PM
酷刑という言葉があります。残酷な刑という意味で、「目には目を」などもその一例と言われる事があります。本当は、この意味はそんな単純なものではないと思っていますが。で、酷刑の典型は古代中国などにあって、恐ろしい刑が沢山例示されます。
ところで最近の日本、「もっと重たくしろ!」みたいな声がしきりです。しかし、人類の歴史を見ると、単なる応報や見せしめは、だんだんと減って行ったのです。ヨーロッパでも、昔は市中の公開処刑。今、それは見られませんし、中国でも、私が昔見た市中引き回しはぐっと減りました。
刑というものを機能的にみようとした一つの結果だと思います。
ところが最近の日本は逆方向です。これは、携帯と同じで、ガラパゴス化ともいえます。
因みに、最近、タレントの女の子がお泊り云々で丸坊主になりましたが、あれは中国古代の酷刑の一番軽いものです。親からもらった体を傷つけさせて不孝を強いる刑です。
何のことはない。最もトレンディーな若者は、最も伝統的だった!
これじゃ、世界に伍せないのではないかと思います
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Saturday, February 9, 2013, 03:38 PM
いじめとか体罰とかがテレビの上で議論されていますが、どうも皮相的の感を否めません。そして、残念ながら後進性をも。武士道?の観点からみると、「弱い者をいじめてはなりませぬ」は、この博物館にある日新館童子訓などにある言葉です。また、体罰も同様の教訓にあります。但し、これらは、正確にいうと武士道ではなくて士道です。
これまたこの博物館にあるとおり、中国の一つの観念なのです。日新館は、儒教主義の会津教育が生み出したものですから。
ですから本場中国の学校には、正に同じものがあり、体罰の道具まであります。
今のテレビでの議論はこれを前提にしているようです。つまり、先生は偉い人、という東洋的な当然の前提です。教育のために体罰はどうのこうのと。それはそれでよい面もあるのですが。
と、これでは何を言われているのかわからない、というのが一般的反応かもしれませんね。
要は、西洋的にいえば、体罰は行政処分として考えろ、という事です。つまり、ラフに言うと、フランス革命以後しっかりできあがった「処分」という観念です。処分は、交通整理と同様、本来国民を守るためのもの。教育もその一環です。生徒という国民を守るための自由の制限なのです。
この観念はドイツのフリードリッヒ大王、ヴォルテールなどにも当然ながらつながります。そして、フリードリッヒの時代は、東洋と同じく、その処分を行う公務員の責任の名宛人は王様にでした。しかし、現在は全体の奉仕者として国民に対してです。すなわち、民主的基礎を持った公務員による、国民を守るための体罰であり、それが違った方向に行くなら、刑事事件であるだけでなく、懲戒をきちんとしなければなりません。イジメの少年も、当然ながら刑事処分か保護処分の対象です。
問題は、こうした前提に立てば、組織としての国家が、きちんとした民主的組織でなければなりません。教育委員会という組織も、その理想から生まれたはずでした。
それは、これまた武士道的に考えれば、何も西洋の真似をする必要はありません。要は鎌倉武士的な組織を備えればよい。まちがっても、日本の近くの戦前の日本みたいな国の真似をしてはいけない。
ところが、それがそうではない。様々な東洋封建社会の観念が頭を持ち上げてくる。ここが根本的問題、そして、後進性だと考えるのです。
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Saturday, February 2, 2013, 09:18 PM
トルコのアメリカ大使館前での事件の映像を見ていて、ある事を思い出しました。アンカラには、建国の英雄ケマル・アタチュルクの廟があります。それは、広大な廟で、ご本人は決してこういうものを建てる事は望まなかった、とは言いますが、我々には彼の偉大さ、というより、本当の偉さが分かる資料館のようなものです。
で、その警備には軍隊が当たっていますが、行進の時にも周囲に目をやり、注意を怠りません。
私は、これこそ本当の軍隊であり、歩哨の意味があると思います。
アジアの数カ国では、兵隊がまるでお人形のように動かない事を褒め称える風があり、中国あたりでも、以前はダメだ、お行儀良くしなくちゃ、とばかり、まっすぐ前を向かせる傾向が始まっているようですが、全く実践的ではありません。
いわば、戦国武将の実(実質)から外れる姿であり、だから負けてしまった国も多いといえます(アメリカのアーリントン墓地のように動かない所もありますが)。
トルコは、正に西洋と中東の境にあり、お人形のような事はやっておれません。これは、100年以上前からそうなのであって、フランスの廃兵院の前に置かれた巨大なトルコの大砲を思い出します。以前も書いたとおい、その手前の小さな砲が日本と中国のものでした。
東アジアにいる我々は、そういう点に思いを致し、世界標準とは何かを常に考える必要があると思います。
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Monday, January 28, 2013, 08:19 PM
完全武装の歩兵が制圧できる範囲は数十メートル四方とか。だから、海軍と違って陸軍は相当の兵員が必要になります。アルジェリアの話しから、そこまで極端に言ってるとは思いませんが、自衛隊員を現地に、などと頓珍漢なことをいう政治家や識者?がいるのにはがっかりです。上記のとおり、まさか多数派とも思えませんが、何しろ観念論に凝り固まっているので、第二次世界大戦前の大陸における点と線の占領に内在する問題点にも考え及ばないようです。
私の知り合いにもいくらかのアラブ系の人がいますが、一桁違う誇り高さを持つ彼らを日本の力で抑えるなんてできません。やれば、その影響は日本国内にまで飛び火するでしょう。
要するに、ゴタゴタを起こさない事と、起きた時は一番先に解放される国民にしておく事。これが大事と思います。もちろんハード面も大事ですが、だったら強力な警備員を雇うとか。表に出ない事がむしろ一番でしょう。
もとより国家は国民を守るためのもの。その守り方が問題なのです。
若干話しが飛びますが、今の日本人は死刑制度は存置。しかし、窮迫不正の侵害に対しては話し合い、という、世界の常識(死刑は廃止。窮迫不正は速やかに抹殺)の逆を考えています。平和だから、と言ってしまえばそれまでですが、リアルさに欠けると言わざるを得ません。そういうところがアルジェリアの問題にも見えています。
死刑を存置するにしても、本当に国民への危険が失せたなら、国が殺人をする事は、その本質に反するのでは?という悩みないし哲学がありません。所詮、自分が殺すわけじゃなくて刑務官がやるんだからいいや、では、民主国の国民として「ひ弱」です。
カルネアデスの舟板同様、今回の問題は、国家論をはじめとして、様々な問題を投げかけています。
因みに、「企業戦士」はアルジェリアやアラブだけではありません。足下のアジアにわんさといるのです。しかも、その人々が日本の貿易収支を支えています。
ですから、国家が目を配るべきはアラブよりもずっと近い所にもあります。くれぐれも彼らの足を引っ張らない事を望みます。
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Wednesday, January 23, 2013, 10:09 PM
あるところのある会合でこんなことが。仕事場のビルのお友達・某元代議士の息子さんが、今回の選挙で当選しました。その会合に、その息子さんが出席されていたので、挨拶くらいはしておこうかと、「マルマル先生ですか?」。実は隣の人だった。
途端にその問われた人、「違います」と言ったかと思うと、自分の名札をピシャ!
「アッ失礼しました」。何と、某国の大使をしている日本人。
でも、あれってないよな。正にユーモアがない。あんなのが大使をやっていて、日本は大丈夫なの?と、心ある周りの人も思ったんじゃないでしょうか。だいたい大使であることをピシャとやっちゃ、国益あるいは自分益を損ねる恐れもあります。そういうことだから、領土交渉でも腹芸ができない。
帰りのタクシーの中で、運転手さんと「頭が寒い」話しをして、「今日はいいお客さんを乗せた」と言っていただけたのが、あの日の救いでした。
そんなことを思っていたら、知り合いの政治家某さんのブログ。
国会だったかのエレベーターの中で、元総理を含めた数人と一緒になったそうです。
そしたら1人、元総理だけが完全無視を決め込んだそうです。
こういう現象は、一つには世代問題もあるかなって気がします。若いから、というんでなく、世の中教育を含めた教育のせいです。何かというと教育が大事、なんて言いますが、その教育の中味が問題。自分で深めていく、柔軟性という訓練を欠いた教育を受けてしまうと、正に世界で通用しないという気がします。
因みに、葉隠にはこんな歌が。
慈悲の目に憎しと思う人あらじ 科のあるをばなをもあわれめ
ところでまたまた因みに、新渡戸稲造さんは、大正時代、この歌を紹介する前置きに、いかなる高位高官も、門付けの女も、人力車夫も・・・慈悲の目からは憎くない・・・と書きます。これもずれている。この歌は、そんなステータスを前提にした話ではないでしょう。
逆に言えば、大使も、大臣も、新渡戸さんも、ステータスを前置きにしなければものを考えられない人になってしまっていたのかもしれません。
正に、鍋島直茂、伊達政宗の「実」(じつ)の発想ではないということでしょうか。
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Sunday, January 20, 2013, 09:27 PM
大鵬さんが亡くなりました。まだ小学生の時分、二所ノ関部屋を訪ねて、稽古中の大鵬さんを見ました。その色白でツヤツヤした肌が忘れられません。何しろ腰が重くてなかなか崩れない。決して面白い相撲ではありませんでしたが、その前の栃若時代に続く相撲人気の絶頂期を築いた人でしょう。そのあとの北の湖、千代の富士さんたちは圧倒的に強くて一人でしたから、ちょっと気の毒です。
その大鵬という名前をつけた二所ノ関親方は、しこ名を佐賀ノ花といい、大関時代に九州の私の家に二度ばかり泊まりました。赤ん坊の私を抱っこしてくれたそうですが、ちっとも大きくなりませんでした。
今日の日経によると、何とか山とか、色々候補があったそうですが、親方はそんな小さなのじゃダメと、この大鵬という名を付けたそうです。確か大鵬の名は荘子に由来していましたね。
この荘子、あるいは、その前の老子、これがなければ特に禅は生まれなかったといってよいでしょう。インドで生まれた仏教が、このような老荘思想、そして、儒教のきまりと結びついて禅が生まれたことは前にも書きました。ですから、例えば八宗綱領では、禅と浄土は付けたしです。あとからできたものですから。
そんなことを思うと、大鵬とは本当に大きく深い名だな、と思います。子供になって部屋でお会いした二所ノ関さん、そして大鵬。もう一度、昔の相撲のよさを取り戻してほしいもの。
ただ、そのためには、品格がどうした、なんて言っててはだめでしょう。例えば、もっと土俵を低くして、最後まで頑張っても怪我しにくいように改める、なんてことが案外良いのではないかと思います。公傷制度とかはありますが、とにかく粘らない、うっちゃりがない。こんな相撲は詰まりません。
そういえば、大鵬、安念山の微妙な取り組み、今もはっきり記憶に残っています。あれもうっちゃりの成立、不成立でした。
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