Wednesday, January 23, 2013, 10:09 PM
あるところのある会合でこんなことが。仕事場のビルのお友達・某元代議士の息子さんが、今回の選挙で当選しました。その会合に、その息子さんが出席されていたので、挨拶くらいはしておこうかと、「マルマル先生ですか?」。実は隣の人だった。
途端にその問われた人、「違います」と言ったかと思うと、自分の名札をピシャ!
「アッ失礼しました」。何と、某国の大使をしている日本人。
でも、あれってないよな。正にユーモアがない。あんなのが大使をやっていて、日本は大丈夫なの?と、心ある周りの人も思ったんじゃないでしょうか。だいたい大使であることをピシャとやっちゃ、国益あるいは自分益を損ねる恐れもあります。そういうことだから、領土交渉でも腹芸ができない。
帰りのタクシーの中で、運転手さんと「頭が寒い」話しをして、「今日はいいお客さんを乗せた」と言っていただけたのが、あの日の救いでした。
そんなことを思っていたら、知り合いの政治家某さんのブログ。
国会だったかのエレベーターの中で、元総理を含めた数人と一緒になったそうです。
そしたら1人、元総理だけが完全無視を決め込んだそうです。
こういう現象は、一つには世代問題もあるかなって気がします。若いから、というんでなく、世の中教育を含めた教育のせいです。何かというと教育が大事、なんて言いますが、その教育の中味が問題。自分で深めていく、柔軟性という訓練を欠いた教育を受けてしまうと、正に世界で通用しないという気がします。
因みに、葉隠にはこんな歌が。
慈悲の目に憎しと思う人あらじ 科のあるをばなをもあわれめ
ところでまたまた因みに、新渡戸稲造さんは、大正時代、この歌を紹介する前置きに、いかなる高位高官も、門付けの女も、人力車夫も・・・慈悲の目からは憎くない・・・と書きます。これもずれている。この歌は、そんなステータスを前提にした話ではないでしょう。
逆に言えば、大使も、大臣も、新渡戸さんも、ステータスを前置きにしなければものを考えられない人になってしまっていたのかもしれません。
正に、鍋島直茂、伊達政宗の「実」(じつ)の発想ではないということでしょうか。
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Sunday, January 20, 2013, 09:27 PM
大鵬さんが亡くなりました。まだ小学生の時分、二所ノ関部屋を訪ねて、稽古中の大鵬さんを見ました。その色白でツヤツヤした肌が忘れられません。何しろ腰が重くてなかなか崩れない。決して面白い相撲ではありませんでしたが、その前の栃若時代に続く相撲人気の絶頂期を築いた人でしょう。そのあとの北の湖、千代の富士さんたちは圧倒的に強くて一人でしたから、ちょっと気の毒です。
その大鵬という名前をつけた二所ノ関親方は、しこ名を佐賀ノ花といい、大関時代に九州の私の家に二度ばかり泊まりました。赤ん坊の私を抱っこしてくれたそうですが、ちっとも大きくなりませんでした。
今日の日経によると、何とか山とか、色々候補があったそうですが、親方はそんな小さなのじゃダメと、この大鵬という名を付けたそうです。確か大鵬の名は荘子に由来していましたね。
この荘子、あるいは、その前の老子、これがなければ特に禅は生まれなかったといってよいでしょう。インドで生まれた仏教が、このような老荘思想、そして、儒教のきまりと結びついて禅が生まれたことは前にも書きました。ですから、例えば八宗綱領では、禅と浄土は付けたしです。あとからできたものですから。
そんなことを思うと、大鵬とは本当に大きく深い名だな、と思います。子供になって部屋でお会いした二所ノ関さん、そして大鵬。もう一度、昔の相撲のよさを取り戻してほしいもの。
ただ、そのためには、品格がどうした、なんて言っててはだめでしょう。例えば、もっと土俵を低くして、最後まで頑張っても怪我しにくいように改める、なんてことが案外良いのではないかと思います。公傷制度とかはありますが、とにかく粘らない、うっちゃりがない。こんな相撲は詰まりません。
そういえば、大鵬、安念山の微妙な取り組み、今もはっきり記憶に残っています。あれもうっちゃりの成立、不成立でした。
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Friday, January 18, 2013, 09:16 PM
私の大学入試にあたり、東大と東京教育大の入試がありませんでした。いわゆる過激派学生が騒いだからです。その学生の成れの果ては、自民、民主を問わずいますし、官僚、法律家の世界にも沢山います。だから日本はよくならない、と思っています。一方、その過激派の一派は、東京駅のそばで爆弾を爆発させ、多くの人が死んだり傷ついたりしました。その裁判の法廷に私は立ち会ったことがありますが、後に、その仲間は、ダッカ(その頃クアラルンプールも)でハイジャック事件を起こし、獄中の仲間の釈放を要求。当時の福田総理は、人命は地球より重いと言ったか言わずか、強盗殺人の犯人まで釈放し、未だに戻ってこない元被告人もいます。
最近大阪では入試中止が問題になっていると思ったら、アルジェリアでの人質事件。日本の首相は人命第一云々。そんなことを言っている御仁が領土問題で血を流しかねない発言をしているとは、如何に物事を本質的に重く考えていないかの証左です。また、入試中止はそんなに軽いものではありません。
マリの問題については、何ヶ月も前からその危険性と深刻さが報じられてきました。一方の当事者であるフランスの、いやフランス人の発想は、そんなやわなものではありません。その植民地であったアルジェリアもそうなのでしょう。あのアルジェの戦いを経てきたのですから。ちょうど私の小学生の頃はその真っ只中でした。高校の頃見た「アルジェの戦い」を描いたイタリア映画の中で、警察官が殺される場面がありますが、正に非情です。
対して日本は、最近の南方の領土を巡る紛争では放水という水鉄砲の世界。
一国の総理がこの水鉄砲の観念を前提に強硬発言をするなんていうのは、正に子供の喧嘩レベルです。
総理にしろ、知事にしろ、市長にしろ、本当に深く考えてものを言っているんだよ、ということが諸外国の人に理解されるレベルにならなければ、あるいは、ましてやその逆で、ママゴトレベルで発言しています、なんていうんでは、外国人はもとより、心ある国民からもそっぽを向かれてしまうでしょう。
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Thursday, January 17, 2013, 11:58 PM
新年に入って、というかこのところずーと、思うのは日本人の国際性のなさ。なんていうより内向き思考(志向)。大学の先生と話すと、学生の日本国内志向が本当に強いとのこと。少数の学生と関わっている私もそれは思います。
正月には、日本人で最初にヨーロッパの土を踏んだ人物が学んだ大学、彼の墓のある教会を訪ねました。彼は、フランシスコザビエルと一緒にインドのゴアへ行き、中国への布教を志向して引き返したザビエルと別れて(ザビエルはマカオのそばの上川島で死ぬ)、最後は日本人としては単身、ローマなどに行ってイエズス会のイグナチウウス・ロヨラらに会い、ポルトガルのコインブラ大学に学び、そこで死んだのです。
鹿児島県人で、ベルナルドという洗礼名しか分からない彼ですが、正に壮図を持った人だったと言うべきでしょう。
コインブラ大学は、ボローニャ、パリなどに次ぐ、ヨーロッパで最も古い大学の一つ。その図書館の本の量には圧倒されますし、磨り減った廊下を歩けばベルナルドもかくやとジンときました。
ところで、その頃ザビエルの書いたものは良く引用されて、日本人の礼儀正しさや優秀さがよく引かれますが、彼が日本人の一種の島国根性を書いていることは余り引かれません。
一方、きちんとした歴史の本を書いている大川周明らは、江戸初期までの日本人の国際性とその後の衰滅を説きます。
つまり、ザビエルに少し苦情を言われながらも、この辺りまでの日本人は、やっぱりすごかった、と言うべきでしょう。
そうした意識の復活が、厳しいこれからの日本に、本当に求められているのではないかと思います。
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Tuesday, January 1, 2013, 02:14 AM
明けましておめでとうございます。約500年前、日本の運命を決定づけたと思っている所で新年を迎えることになりました。
もっとも、そんなことを思っている人は地元にもいないみたいですが。
歴史を大きく掴み、それをこれからの人類一人一人の幸福に役立てていけるようになればいいなと思いつつ。
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Thursday, December 27, 2012, 01:52 AM
久しぶりに午前1時の渋谷をタクシーで通ると、それなりの人出に、まあまあこの国も何とかやっていけるのかなと、変な安心感を覚えました。今日は若い人との忘年会だったのです。中国語の先生とその生徒たち。突出して年なのは私です。
でも、精神年齢では決して負けてはいないという自負はあります。
それは葉隠にいう、「ただこれも非なり非なりと思うて一生嘆息し、心を守りて打ちおくことなく」とか、「念念に非を知る」とかいう、葉隠の「非知り」の精神だけは忘れない積りだからです。数々の問題を持つ葉隠の、いや、山本常朝の、唯一あるいは唯二と言ってよい救われる部分はこれと大慈悲だと思っています。
もっとも、その非知り、つまりは聖を言ったのは常朝以外の僧であり、その根本には禅があります。即ち空あるいはそれを徹底した無の思想です。
この禅というもの、インドで生まれた仏教が中国に来て、道教を経て、その儒教文化と馴染み、雲水の守るべき清規という形になって生まれたものとか。無学祖元の臨剣頌や道元の正法眼蔵の現成公案など、私がいつも暗唱するものです。
こんな文化というか生き方を生んだアジアをもっとみんなで極めて、大きな人間の住む社会にできればよいなと思っています。
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Tuesday, December 25, 2012, 12:14 AM
イブの夜、東京駅まで行ってみると、途中からいるわいるわ人の波。地震も原発も関係ないとばかりにキラキラキラキラ。相も変わらず東京駅のドーム内のちっちゃな塑像みたいなのを携帯でパチパチ。うーん、こんなこと言ってると、おじさんとして嫌われるかな、と思いつつ・・・いつも思うのは、なぜ東京駅丸の内南口に来て、原敬に思いを馳せないのかね、という事です。
彼が暗殺された場所はこの南口。復元駅舎にも以前と同様パネルが貼ってあり、その場所をしめす星型があるのは当然ながらよい。
正に政治家らしい政治家であった彼は、いわゆる平民宰相として、本来は南部藩の家老の家に生まれながら、そのお墓にも一切の位記勲等などを書かせなかったとか。盛岡のその家やお墓を私もかつておとづれました。
彼が総理になるまでは、東北からは本省の局長も出なかったとは、会津の歴史の先生から伺った事です。薩摩や長州から山のように総理らが出ていたのは、いわば身内でたらい回しをしていただけのことでしょう。
この原敬の後妻となった新橋の芸者あがりの女性が立派だったようですね。お金ができた時、家を建てるより世界一周をしてきなさいと言って送り出し、事件の時は遺体を官邸だったかに連れてくる必要はないと毅然として言われたとか。
手練手管をろうした面もある彼のパワーが小選挙区から生まれたということもありました。また、腹を切る話から原が切られてしまったという武士道の話も。
その原敬日記は歴代総理大臣のいわば愛読書でしたが、その子孫で、そういう本とは反対の本を愛読していた政治家もいましたっけ。
やっぱり、東京駅ではイルミネーションよりも大政治家のことを考える人が少しでも増えた方がいいんじゃないかなと思うのですが。
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Sunday, December 16, 2012, 02:55 PM
昨日の話。入っていくと、アメリカ人のS先生。「来たきた。さあ歴史の話をしましょう」と。彼女の質問は「平成ってなあに?」。
まず、これは年号ってやつで、日本では一応、大化というのが初めてってことになってます。平成の出典は書経という中国の古い本の中の言葉からとったもので、中国にはそもそも五経というのがあって・・・なんて下手な英語で言ってるうちに思い出したのが、随分昔に会った村松剛氏のこと。当時は、筑波大学の教授でした。
彼が言うのは、アジアで唯一年号を持つ我が国を誇りましょう、ということ。
ハー?だけど、年号って元々中国のものですよ。で、中国はそれは捨てて西暦。台湾も民国とかを使ってます。韓国もベトナムも同じ。だのに日本だけがありがたく昔の中国の制度、価値観を守って、すごいでしょ、は可笑しくありませんかね。とその時思ったわけ。
それで考えると、今の多くの国粋主義者はほとんどこの村松さん方式でしょう。何が本当の日本で、世界に誇り、オファーできる日本なのかわからずに、日本は良い良い、と言っている。
これじゃ、いつまでもだめで、タタールの軛ならぬ何とかの軛。ロシア人を一枚剥くと、タタールが出てくるそうです。
因みにさっきの先生、じゃ、何でも中国から来たの?みたいな話になったので、いやいや、この博物館にあるとおり、しっかり日本のものがあります、でチョンとなりました。
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Saturday, December 15, 2012, 09:27 PM
アメリカでは26人の小学生らが射殺されるという痛ましい出来事が起こりました。銃の所持が認められているがゆえの悲劇ともいえ、この点は正に我が国と逆です。日本の場合、1590年(天正18年)の秀吉による小田原征伐に見られるとおり、その頃から私戦が禁止され、惣無事令の世の中となりました。そして、検地刀狩りですっかり牙は取られて、明治9年の廃刀令へ。
田中英夫先生の「アメリカの社会と法」は、エッセイの域を遥かに超える中身の濃い本で、ハーバードで日本法を講じたりはしたものの、確かまとまってさほど長期の滞在はされなかった方とは思えない名著と思います。
その本でも言われていましたが、自力救済が許される国アメリカ、ヨーロッパ。厳しく許されない日本。
そのおかげで平和ともいえますが、国民の真の強さ、民主主義の発達度は比べ物になりません。
酔生夢死するなかれと言った先人もいますが、選挙を前に酔生夢死か平和ボケの日本との対比をいやでも感じないわけにはいきません。
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Wednesday, December 5, 2012, 12:18 PM
選挙と一緒に行われるのが最高裁判所裁判官の国民審査。これの評判はすこぶる悪く、知らない人のやたら専門的な判決をいいも悪いもないでしょ、というわけ。しかも、何も書かなきゃ信任した事になる運用も確かに変です。
アメリカの一部に行われている制度の単純な移入に問題があるのでしょう。
何十年も昔、グアム島に行った折、友人のズボンのお尻が破れて、タクシーに乗り、デパート(といっても一階だてのスーパーのようなもの)に買いに行きました。
そのタクシーの中で、ドライバーさん曰く、「うちのジャッジは酒飲みで困ったやつだ」。
これを聞いて、正にカルチャーショックを受けました。そんなにもジャッジの情報が知られているのかと。
その後、北マリアナ(サイパン島など)の陪審裁判を見に行き、現地の友人曰く「あのジャッジは、司法試験に何回とか落っこちて、奥さんにはサイドビジネスをさせてるけど、最近はまともに仕事をやってるよ」。
サイパンでは、同じ国民審査で、当時、2人が罷免されていました。今はもっとかもしれません。
わずか数万の北マリアナで陪審が機能しているのは、こうした民主主義の正に土壌があるからかと思います。
日本の制度は、正に外国の制度のアプリケーションです。
同じような事は肝心の法律の解釈にもいえます。
スイス民法第1条というのは有名で、条理あるいは裁判官の法創造に法としての資格を認めたものとしてよく引かれますが、それはスイスの小さな都市国家を前提とした制度のはずです。日本のように民主的基礎を持たず、知らない裁判官に法創造をされてはたまりません。しかし、これは大手を振って教科書上を闊歩しています。
そういう身の丈を無視したアプリケーションを何とかやめて、本当の日本を本当に取り戻す。それができなきゃ第三極どころか第二極も立てられず、諸問題は解決できないと思います。
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