Tuesday, December 25, 2012, 12:14 AM
イブの夜、東京駅まで行ってみると、途中からいるわいるわ人の波。地震も原発も関係ないとばかりにキラキラキラキラ。相も変わらず東京駅のドーム内のちっちゃな塑像みたいなのを携帯でパチパチ。うーん、こんなこと言ってると、おじさんとして嫌われるかな、と思いつつ・・・いつも思うのは、なぜ東京駅丸の内南口に来て、原敬に思いを馳せないのかね、という事です。
彼が暗殺された場所はこの南口。復元駅舎にも以前と同様パネルが貼ってあり、その場所をしめす星型があるのは当然ながらよい。
正に政治家らしい政治家であった彼は、いわゆる平民宰相として、本来は南部藩の家老の家に生まれながら、そのお墓にも一切の位記勲等などを書かせなかったとか。盛岡のその家やお墓を私もかつておとづれました。
彼が総理になるまでは、東北からは本省の局長も出なかったとは、会津の歴史の先生から伺った事です。薩摩や長州から山のように総理らが出ていたのは、いわば身内でたらい回しをしていただけのことでしょう。
この原敬の後妻となった新橋の芸者あがりの女性が立派だったようですね。お金ができた時、家を建てるより世界一周をしてきなさいと言って送り出し、事件の時は遺体を官邸だったかに連れてくる必要はないと毅然として言われたとか。
手練手管をろうした面もある彼のパワーが小選挙区から生まれたということもありました。また、腹を切る話から原が切られてしまったという武士道の話も。
その原敬日記は歴代総理大臣のいわば愛読書でしたが、その子孫で、そういう本とは反対の本を愛読していた政治家もいましたっけ。
やっぱり、東京駅ではイルミネーションよりも大政治家のことを考える人が少しでも増えた方がいいんじゃないかなと思うのですが。
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Sunday, December 16, 2012, 02:55 PM
昨日の話。入っていくと、アメリカ人のS先生。「来たきた。さあ歴史の話をしましょう」と。彼女の質問は「平成ってなあに?」。
まず、これは年号ってやつで、日本では一応、大化というのが初めてってことになってます。平成の出典は書経という中国の古い本の中の言葉からとったもので、中国にはそもそも五経というのがあって・・・なんて下手な英語で言ってるうちに思い出したのが、随分昔に会った村松剛氏のこと。当時は、筑波大学の教授でした。
彼が言うのは、アジアで唯一年号を持つ我が国を誇りましょう、ということ。
ハー?だけど、年号って元々中国のものですよ。で、中国はそれは捨てて西暦。台湾も民国とかを使ってます。韓国もベトナムも同じ。だのに日本だけがありがたく昔の中国の制度、価値観を守って、すごいでしょ、は可笑しくありませんかね。とその時思ったわけ。
それで考えると、今の多くの国粋主義者はほとんどこの村松さん方式でしょう。何が本当の日本で、世界に誇り、オファーできる日本なのかわからずに、日本は良い良い、と言っている。
これじゃ、いつまでもだめで、タタールの軛ならぬ何とかの軛。ロシア人を一枚剥くと、タタールが出てくるそうです。
因みにさっきの先生、じゃ、何でも中国から来たの?みたいな話になったので、いやいや、この博物館にあるとおり、しっかり日本のものがあります、でチョンとなりました。
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Saturday, December 15, 2012, 09:27 PM
アメリカでは26人の小学生らが射殺されるという痛ましい出来事が起こりました。銃の所持が認められているがゆえの悲劇ともいえ、この点は正に我が国と逆です。日本の場合、1590年(天正18年)の秀吉による小田原征伐に見られるとおり、その頃から私戦が禁止され、惣無事令の世の中となりました。そして、検地刀狩りですっかり牙は取られて、明治9年の廃刀令へ。
田中英夫先生の「アメリカの社会と法」は、エッセイの域を遥かに超える中身の濃い本で、ハーバードで日本法を講じたりはしたものの、確かまとまってさほど長期の滞在はされなかった方とは思えない名著と思います。
その本でも言われていましたが、自力救済が許される国アメリカ、ヨーロッパ。厳しく許されない日本。
そのおかげで平和ともいえますが、国民の真の強さ、民主主義の発達度は比べ物になりません。
酔生夢死するなかれと言った先人もいますが、選挙を前に酔生夢死か平和ボケの日本との対比をいやでも感じないわけにはいきません。
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Wednesday, December 5, 2012, 12:18 PM
選挙と一緒に行われるのが最高裁判所裁判官の国民審査。これの評判はすこぶる悪く、知らない人のやたら専門的な判決をいいも悪いもないでしょ、というわけ。しかも、何も書かなきゃ信任した事になる運用も確かに変です。
アメリカの一部に行われている制度の単純な移入に問題があるのでしょう。
何十年も昔、グアム島に行った折、友人のズボンのお尻が破れて、タクシーに乗り、デパート(といっても一階だてのスーパーのようなもの)に買いに行きました。
そのタクシーの中で、ドライバーさん曰く、「うちのジャッジは酒飲みで困ったやつだ」。
これを聞いて、正にカルチャーショックを受けました。そんなにもジャッジの情報が知られているのかと。
その後、北マリアナ(サイパン島など)の陪審裁判を見に行き、現地の友人曰く「あのジャッジは、司法試験に何回とか落っこちて、奥さんにはサイドビジネスをさせてるけど、最近はまともに仕事をやってるよ」。
サイパンでは、同じ国民審査で、当時、2人が罷免されていました。今はもっとかもしれません。
わずか数万の北マリアナで陪審が機能しているのは、こうした民主主義の正に土壌があるからかと思います。
日本の制度は、正に外国の制度のアプリケーションです。
同じような事は肝心の法律の解釈にもいえます。
スイス民法第1条というのは有名で、条理あるいは裁判官の法創造に法としての資格を認めたものとしてよく引かれますが、それはスイスの小さな都市国家を前提とした制度のはずです。日本のように民主的基礎を持たず、知らない裁判官に法創造をされてはたまりません。しかし、これは大手を振って教科書上を闊歩しています。
そういう身の丈を無視したアプリケーションを何とかやめて、本当の日本を本当に取り戻す。それができなきゃ第三極どころか第二極も立てられず、諸問題は解決できないと思います。
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Tuesday, December 4, 2012, 12:56 AM
このところ、日本、サムライ、みたいな話しに辟易していたら(これはもちろん「本当の日本」に自信があるから。とまではいわないけれど、少なくとも外国のおいただきを日本のとは言いたくない。天邪鬼?)、今度は選挙だとばかりに「党」がやたら強調されているような気がします。しかし、本来、立法権の行使者は議員という個人の寄せ集めの両議院であり、それが合わさった国会です。あたかも裁判官に独立があるように、議員にも独立があり、行政主体の意思を発動する行政機関にも独立性があるはず。
立法、行政、司法の職権の行使は各々独立していて、しかも批判されて選手交代、というのが健全な民主国では?
ところが、ここでも外国の受け売り大好き学者は、外国の政党法などを日本に無分別に入れようとし、政党の重要性を説いてきました。党議拘束とかも。
しかし、昔のように左右対立が激しくて共産国家になるかならないかが争点なら別ですが、こんな状況では政党に殉じるわけにはいきません。
本来の個人、つまりは自立した武芸者の世界を改めて考え直した方が良さそうに思います。
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Monday, November 26, 2012, 09:01 PM
昨日は25日。昭和45年(1970年)11月25日に三島由紀夫が自決して、その追悼の会に呼ばれ、遅れて行ったら、あれ、24日に終わっていました。恐縮。すっかり本来の25日の意識だったので。で、その近くの本屋さんに寄ると、ローザルクセンブルグの本がありました。それで思い出したのが、あの時代に流行ったゲバルトローザ。
女子学生で、いわば日本のローザルクセンブルグというわけですが、「民族派」の私からすればふざけてる。要は「革命ゴッコ」をやっていたに過ぎません。
本物のローザルクセンブルグは、ベルリンで殺され、彼女の遺体が投げ込まれたシュプレー川の支流を探し歩いたことを思い出します。ベルリン動物園の近くのそこには、雪に埋もれるようにして記念碑が立っていました。
彼女の遺体はここに数日間ほっぽらかしだったそうです。
本物のローザルクセンブルグとまがい物の日本のは、いずれも私にとって敵だったかもしれませんが、その深さ、あっぱれさは真逆です。本物は敵ながらあっぱれと言わせるものを持っています。まがい物は「ゴッコ」。
問題はそういうゴッコ人間が、政治の世界にわんさといることです。今回の選挙では、そういう過去を持つ、つまり元左翼は反省をして謝ったのを除き全て落とすべし、と思います。左翼という、あの時代の判断間違いをした人間は、要は感度が悪い。だから今もおかしい。民主だろうと自民だろうと。
だからいくら今は保守の顔をしていても、そんな連中には退場願わないと政治の底の浅さが治りません。ましてやあの時代を懐かしがるやからなどとんでもない。こちらは被害者ですから。因みに「被害者の人権」なんて言ってるのに限ってそういう手合いが多いのです。また、極端な保守傾向の人間の中にも、元共産党員がいるのも周知の事実。
なお、こうしたゴッコ傾向の根源は、いつも書くお話歴史、つまり美しいや大きいやと同じです。機能で考えない。これもしっかり落とすべし。
なんて言ってると、ほとんどの政治家はダメということになり、いよいよ日本もおしまいか、ということになる。でも、戦艦大和のある哨戒長が言ったとおり、いっぺんボトムまで落ちて初めて始まるのかもしれません。
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Sunday, November 25, 2012, 11:39 PM
因みに、美しさ、大きさなどで国家の価値を決める発想は、名君待望論やヒーロー願望に等しく、それは実は中国古代の発想(史記的名分論の流れ)であり、一向日本のものではないことを知らねばなりません。こうした傾向は、どこにでもあるといえばあるのですが、滑稽です。
朝鮮半島を南北に分ける38度線、ずいぶん昔に板門店に行きましたが、そこでは、北も南も、高い国旗掲揚塔を建てています。どちらが先かは忘れましたが、要するに双方が「世界一」を競っているわけです。
そんな限定をつけて世界一をいうなら、世界一の楊枝くらいすぐに作れるよと言いたいわけ。
あの半島はすっかり古代中国に絡め取られているというわけ。
これとそっくりの発想が、自立式電波塔では世界一、なんていう発想でしょう。日本人はやっぱり韓国人の親戚です。アメリカではだれもスカイツリーのことなど知らないし話題にもならないというのに。
肝心なことは、歴史学者の中村孝也先生が昔書かれていたとおり、「山高きが故に尊からず。木あるをもって尊しとす」という、戦国武将の「実」の発想です。中村先生は、戦後、古事記などが学校で教えられない事を憂いて古代物語などを書かれた、今からの目には一種保守と映る人かもしれませんが、正に「普通」であり、今の保守が、逆に何やらわからぬ観念論に陥ってしまっている事に正に慨嘆を覚えざるを得ない気がします。
先日亡くなった、防衛大学の校長もされた猪木正道先生の「共産主義の系譜」は、その冒頭に、共産主義のもつ個人人格の尊厳への侵害性を厳しく記すもので、左右対立の時代の私の心の支えとも言えましたが、最近はこの保守の方が個人人格を冒涜しかねない状況で、泉下の先生方の憂いを感じざるを得ません。
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Tuesday, November 20, 2012, 02:16 PM
オバマ大統領のミャンマー訪問の報道を見ていて、ルイ15世のアルザス訪問を思い出しました。アルザスは、フランスとドイツとの国境、ライン川の西岸に位置します。その中心都市はストラスブール。ドイツ名ではシュトラスブルグ。
ルイ14世が自然国境を主張し、ライン川を国境としたため、当時はフランス領でしたが、その後、フランス、ドイツを繰り返し、数十年前は一生に5回も国籍を変えた人がいたくらいで、シュバイツアーも2・3度変わった1人です。
しかし、そこの住人は、人種、言語はドイツでも、政治体制は、より進んだフランスを好むとして、ルイ15世を歓迎したそうです。
最近のミャンマーは、アメリカと中国の綱引きの場になってきていました。地政学的に西南シルクロードに位置し、第二次世界大戦中は、援蒋ルートが通っていたその地域には、中国も相当な縁を持っています。元寇も2・3度経験し、バガンの僧院には、その折の元軍の落書きなどが残っています。日本軍の水上源一少将の自決で有名なミッチーナは、「みつ」と支那です。ですからここも、正にアジアのアルザス・ロレーヌみたいなところ。
なので、そこをオバマ大統領が訪問し、歓迎されるのを見ると、ルイ15世の時のアルザスを思い出すというわけです。
因みに、アルザスでは、その後、ドイツ語の人権宣言ができ、ニューヨークの自由の女神を造ったのは、ストラスブールの南・コルマールの人でした。
ところで昨日、あるところで、台湾、中国の関係について質問を受けました。台湾人が中国人の自覚を持つんじゃないかと。
それは、実際、間違いないことだと思います。私自身も何度も経験しました。
しかし、大切なのは政治体制です。アルザス人が民主的なフランス人としてのアイデンティティーを持つようになったように、日本自体が健全な民主国になり、真に台湾の人からも慕われる国になれば、なにも危惧することはありません。
一方、中身のない、美しさとか大きさとか、システム以外の半島北の某国みたいなことを基準に国づくりをすれば、民主国としてむしろ先行する台湾の人々の共感を得ることはできないでしょう。
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Sunday, November 18, 2012, 11:19 PM
仕事帰りに明治記念館のそばを通り過ぎて考えたこと。ここが明治記念館と言われるのは、明治憲法の制定に当たり、枢密院の会議が開かれたため。
その折、伊藤博文は、他の宗教などは国家の基軸とするに足りず。よって、「豊葦原の千穂秋の瑞穂の国は・・・」の日本書紀の神勅、つまり天照大御神が天孫瓊々杵尊に与えた詔勅を国家の基軸とすると言いました。
だから、明治憲法は欽定憲法だし、天皇の大権中心の憲法なのです。いわば演繹の根拠がそこにあります。
この考え方は、日本の敗戦によっても清算されていません。中国がどうのこうのと言いながら、そういう御仁にかぎってこの中国の影響を強く受けた発想が好きで、抜けられないのです。
それをしっかり清算するのがこの3年間の政権の使命だったはずですが、そもそも問題点にさえ気づいていない実情で、おまけにイギリスの思想家でいえば、ロックばりの人権思想で教育されてきましたから、そのあとの、実質的なイギリスの確立者ベンサムやミル的な発想は乏しく、理想に走りすぎて蹉跌した、というところでしょうか。
今度の選挙では、その意味で与野党を問わず、真に清算できる人を選ぶベキかと思いますが、相当に難しい感じはします。
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Wednesday, November 7, 2012, 10:30 PM
先日、ある米国人の先生から教えていただいた映画の話。その「GHOST DOG」の内容ですが、それは、サムライ魂が宿る孤独な殺し屋を描くスタイリッシュ・アクションとかで、一番最初に出てくるのが「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」。主人公のGHOST DOGが居合まがいのことをしたり葉隠を読んでいるあたりから始まります。そして、殺し屋として生きるGHOST DOGがマフィアの幹部に命を救われたことから、その恩義に報いるためマフィアから指令を受けて人を屠る。しかし、手違いから逆にマフィアに命を狙われる羽目に陥り・・という物語の展開の節々にQUOTEとして、葉隠の一説が引かれていきます。その中身は、首を打ち落とされても一働きできる話や、「紅粉を懐中したるがよし」云々の話などなど。総じて山本常朝の述べている内の最も観念的な部分が引かれています。そして、最後にGHOST DOGは決闘で撃たれて死亡するという話です。
このようなQUOTEの羅列では、葉隠の持つ、より豊かな内容(例えば「大慈悲」)は、とりあえず見ることができません。
どうしてこういう映画ができたのかということを考えますと、根本的に、葉隠自体の持つ問題点を指摘せざるを得ません。1716年という江戸時代も中期になりますと、山本常朝の述べるところはどうしても真の戦争からは外れた観念的な話になってしまいます。そして、ある意味その部分を寄せ集めたものが三島由紀夫の「葉隠入門」ということになるかもしれません。
実は、この映画については、別のアメリカ人と話しをしたことががあるのですが、彼もこの『GHOST DOG』を見ていました。そして、彼の結論としては「これはあくまでも三島と同じ芸術なのだし、それでいいではないか」ということでした。アメリカ人の持つ一種の「強さ」を感じる面もありましたが、ただやはりこのような映画から葉隠の観念が、外国の人や日本人の一部に広まってしまうということは、「忍者」同様決して良いこととは思われません。
アメリカ人の持つ一般的な日本観の中に、この忍者などなどいろんな観念があるとは思いますが、正確とはいえないものが大部分で、日本大好きの研究者などにもそれがいえるのではないかと思っています。また、「恥の文化」といった見方もあると思いますが、本件の場合はそのような高尚な話しをする以前のような気がします。所詮エンターテイメント、と言ってしまうのも失礼でしょう。
再説すれば、三島由紀夫は、佐賀県出身の東京大学教授・相良亨先生からその誤りを指摘されているとおり、実証性がほとんどなく、しかし芸術として高い評価を得ているようで、しかも、上記のアメリカ人の言われることとは裏腹に、「芸術を現実にしてしまった」のであり(ある人が、彼が死んだ時、「これで彼の作品は、全て脚注になった」と言いました。つまり、彼の死に方が芸術だということになりますと、芸術と現実とが一緒になってしまったというわけです)、彼と葉隠とを結びつけるのは、やはり危険です。
また、葉隠の翻訳は世界でも数冊出ており、ネットにも以前から出ているのですが、そういったことに一部の日本人の翻訳者が関わり、そこでは彼らが日本文化を非常に皮相的なものとしてしか捉え得ていない為に、正に三島ばりの紹介に終わってしまっているという、もう一つの誤解の元もあるような気がします。
 やはり我々は、英語力をとりあえず措いたとしても、外の世界に向かって本当の日本というものはこんなものなんです、ということをアピールしていかねばならないように思います。その場合、その「本当の日本」というのがこれまた問題で、例えば、私がロサンゼルスタイムズにコメントさせていただいた「ラストサムライ」における古い日本が本当の日本だったかどうかは大いなる問題です。
 そのような意味で私としてはまだまだ真の日本を探ってみたいし、その為に葉隠の中にもあるそのようなものの痕跡を探していきたい。国際関係的に言うと、1644年の明の滅亡以来入ってきた文化に反発しつつも相当染まっている常朝さんの述べるところは、必ずしも真の日本というものではないのではないか。むしろ彼が憧れていた中世の人々の方にこそそれがあるのではないか、というふうに考える次第です。
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