★1月17日 
Thursday, January 17, 2013, 11:58 PM
新年に入って、というかこのところずーと、思うのは日本人の国際性のなさ。なんていうより内向き思考(志向)。
大学の先生と話すと、学生の日本国内志向が本当に強いとのこと。少数の学生と関わっている私もそれは思います。

正月には、日本人で最初にヨーロッパの土を踏んだ人物が学んだ大学、彼の墓のある教会を訪ねました。彼は、フランシスコザビエルと一緒にインドのゴアへ行き、中国への布教を志向して引き返したザビエルと別れて(ザビエルはマカオのそばの上川島で死ぬ)、最後は日本人としては単身、ローマなどに行ってイエズス会のイグナチウウス・ロヨラらに会い、ポルトガルのコインブラ大学に学び、そこで死んだのです。
鹿児島県人で、ベルナルドという洗礼名しか分からない彼ですが、正に壮図を持った人だったと言うべきでしょう。

コインブラ大学は、ボローニャ、パリなどに次ぐ、ヨーロッパで最も古い大学の一つ。その図書館の本の量には圧倒されますし、磨り減った廊下を歩けばベルナルドもかくやとジンときました。

ところで、その頃ザビエルの書いたものは良く引用されて、日本人の礼儀正しさや優秀さがよく引かれますが、彼が日本人の一種の島国根性を書いていることは余り引かれません。
一方、きちんとした歴史の本を書いている大川周明らは、江戸初期までの日本人の国際性とその後の衰滅を説きます。
つまり、ザビエルに少し苦情を言われながらも、この辺りまでの日本人は、やっぱりすごかった、と言うべきでしょう。

そうした意識の復活が、厳しいこれからの日本に、本当に求められているのではないかと思います。

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★1月1日 
Tuesday, January 1, 2013, 02:14 AM
明けましておめでとうございます。

約500年前、日本の運命を決定づけたと思っている所で新年を迎えることになりました。
もっとも、そんなことを思っている人は地元にもいないみたいですが。

歴史を大きく掴み、それをこれからの人類一人一人の幸福に役立てていけるようになればいいなと思いつつ。
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★12月27日 
Thursday, December 27, 2012, 01:52 AM
久しぶりに午前1時の渋谷をタクシーで通ると、それなりの人出に、まあまあこの国も何とかやっていけるのかなと、変な安心感を覚えました。

今日は若い人との忘年会だったのです。中国語の先生とその生徒たち。突出して年なのは私です。
でも、精神年齢では決して負けてはいないという自負はあります。

それは葉隠にいう、「ただこれも非なり非なりと思うて一生嘆息し、心を守りて打ちおくことなく」とか、「念念に非を知る」とかいう、葉隠の「非知り」の精神だけは忘れない積りだからです。数々の問題を持つ葉隠の、いや、山本常朝の、唯一あるいは唯二と言ってよい救われる部分はこれと大慈悲だと思っています。

もっとも、その非知り、つまりは聖を言ったのは常朝以外の僧であり、その根本には禅があります。即ち空あるいはそれを徹底した無の思想です。

この禅というもの、インドで生まれた仏教が中国に来て、道教を経て、その儒教文化と馴染み、雲水の守るべき清規という形になって生まれたものとか。無学祖元の臨剣頌や道元の正法眼蔵の現成公案など、私がいつも暗唱するものです。

こんな文化というか生き方を生んだアジアをもっとみんなで極めて、大きな人間の住む社会にできればよいなと思っています。

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★12月24日 
Tuesday, December 25, 2012, 12:14 AM
イブの夜、東京駅まで行ってみると、途中からいるわいるわ人の波。地震も原発も関係ないとばかりにキラキラキラキラ。相も変わらず東京駅のドーム内のちっちゃな塑像みたいなのを携帯でパチパチ。

うーん、こんなこと言ってると、おじさんとして嫌われるかな、と思いつつ・・・いつも思うのは、なぜ東京駅丸の内南口に来て、原敬に思いを馳せないのかね、という事です。

彼が暗殺された場所はこの南口。復元駅舎にも以前と同様パネルが貼ってあり、その場所をしめす星型があるのは当然ながらよい。

正に政治家らしい政治家であった彼は、いわゆる平民宰相として、本来は南部藩の家老の家に生まれながら、そのお墓にも一切の位記勲等などを書かせなかったとか。盛岡のその家やお墓を私もかつておとづれました。

彼が総理になるまでは、東北からは本省の局長も出なかったとは、会津の歴史の先生から伺った事です。薩摩や長州から山のように総理らが出ていたのは、いわば身内でたらい回しをしていただけのことでしょう。

この原敬の後妻となった新橋の芸者あがりの女性が立派だったようですね。お金ができた時、家を建てるより世界一周をしてきなさいと言って送り出し、事件の時は遺体を官邸だったかに連れてくる必要はないと毅然として言われたとか。

手練手管をろうした面もある彼のパワーが小選挙区から生まれたということもありました。また、腹を切る話から原が切られてしまったという武士道の話も。
その原敬日記は歴代総理大臣のいわば愛読書でしたが、その子孫で、そういう本とは反対の本を愛読していた政治家もいましたっけ。

やっぱり、東京駅ではイルミネーションよりも大政治家のことを考える人が少しでも増えた方がいいんじゃないかなと思うのですが。
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★12月16日 
Sunday, December 16, 2012, 02:55 PM
昨日の話。入っていくと、アメリカ人のS先生。「来たきた。さあ歴史の話をしましょう」と。
彼女の質問は「平成ってなあに?」。

まず、これは年号ってやつで、日本では一応、大化というのが初めてってことになってます。平成の出典は書経という中国の古い本の中の言葉からとったもので、中国にはそもそも五経というのがあって・・・なんて下手な英語で言ってるうちに思い出したのが、随分昔に会った村松剛氏のこと。当時は、筑波大学の教授でした。

彼が言うのは、アジアで唯一年号を持つ我が国を誇りましょう、ということ。
ハー?だけど、年号って元々中国のものですよ。で、中国はそれは捨てて西暦。台湾も民国とかを使ってます。韓国もベトナムも同じ。だのに日本だけがありがたく昔の中国の制度、価値観を守って、すごいでしょ、は可笑しくありませんかね。とその時思ったわけ。

それで考えると、今の多くの国粋主義者はほとんどこの村松さん方式でしょう。何が本当の日本で、世界に誇り、オファーできる日本なのかわからずに、日本は良い良い、と言っている。
これじゃ、いつまでもだめで、タタールの軛ならぬ何とかの軛。ロシア人を一枚剥くと、タタールが出てくるそうです。

因みにさっきの先生、じゃ、何でも中国から来たの?みたいな話になったので、いやいや、この博物館にあるとおり、しっかり日本のものがあります、でチョンとなりました。
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★12月15日 
Saturday, December 15, 2012, 09:27 PM
アメリカでは26人の小学生らが射殺されるという痛ましい出来事が起こりました。銃の所持が認められているがゆえの悲劇ともいえ、この点は正に我が国と逆です。

日本の場合、1590年(天正18年)の秀吉による小田原征伐に見られるとおり、その頃から私戦が禁止され、惣無事令の世の中となりました。そして、検地刀狩りですっかり牙は取られて、明治9年の廃刀令へ。

田中英夫先生の「アメリカの社会と法」は、エッセイの域を遥かに超える中身の濃い本で、ハーバードで日本法を講じたりはしたものの、確かまとまってさほど長期の滞在はされなかった方とは思えない名著と思います。

その本でも言われていましたが、自力救済が許される国アメリカ、ヨーロッパ。厳しく許されない日本。
そのおかげで平和ともいえますが、国民の真の強さ、民主主義の発達度は比べ物になりません。

酔生夢死するなかれと言った先人もいますが、選挙を前に酔生夢死か平和ボケの日本との対比をいやでも感じないわけにはいきません。

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★12月5日 
Wednesday, December 5, 2012, 12:18 PM
選挙と一緒に行われるのが最高裁判所裁判官の国民審査。
これの評判はすこぶる悪く、知らない人のやたら専門的な判決をいいも悪いもないでしょ、というわけ。しかも、何も書かなきゃ信任した事になる運用も確かに変です。
アメリカの一部に行われている制度の単純な移入に問題があるのでしょう。

何十年も昔、グアム島に行った折、友人のズボンのお尻が破れて、タクシーに乗り、デパート(といっても一階だてのスーパーのようなもの)に買いに行きました。
そのタクシーの中で、ドライバーさん曰く、「うちのジャッジは酒飲みで困ったやつだ」。
これを聞いて、正にカルチャーショックを受けました。そんなにもジャッジの情報が知られているのかと。

その後、北マリアナ(サイパン島など)の陪審裁判を見に行き、現地の友人曰く「あのジャッジは、司法試験に何回とか落っこちて、奥さんにはサイドビジネスをさせてるけど、最近はまともに仕事をやってるよ」。
サイパンでは、同じ国民審査で、当時、2人が罷免されていました。今はもっとかもしれません。
わずか数万の北マリアナで陪審が機能しているのは、こうした民主主義の正に土壌があるからかと思います。

日本の制度は、正に外国の制度のアプリケーションです。

同じような事は肝心の法律の解釈にもいえます。
スイス民法第1条というのは有名で、条理あるいは裁判官の法創造に法としての資格を認めたものとしてよく引かれますが、それはスイスの小さな都市国家を前提とした制度のはずです。日本のように民主的基礎を持たず、知らない裁判官に法創造をされてはたまりません。しかし、これは大手を振って教科書上を闊歩しています。

そういう身の丈を無視したアプリケーションを何とかやめて、本当の日本を本当に取り戻す。それができなきゃ第三極どころか第二極も立てられず、諸問題は解決できないと思います。

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★12月6日 
Tuesday, December 4, 2012, 12:56 AM
このところ、日本、サムライ、みたいな話しに辟易していたら(これはもちろん「本当の日本」に自信があるから。とまではいわないけれど、少なくとも外国のおいただきを日本のとは言いたくない。天邪鬼?)、今度は選挙だとばかりに「党」がやたら強調されているような気がします。

しかし、本来、立法権の行使者は議員という個人の寄せ集めの両議院であり、それが合わさった国会です。あたかも裁判官に独立があるように、議員にも独立があり、行政主体の意思を発動する行政機関にも独立性があるはず。

立法、行政、司法の職権の行使は各々独立していて、しかも批判されて選手交代、というのが健全な民主国では?

ところが、ここでも外国の受け売り大好き学者は、外国の政党法などを日本に無分別に入れようとし、政党の重要性を説いてきました。党議拘束とかも。
しかし、昔のように左右対立が激しくて共産国家になるかならないかが争点なら別ですが、こんな状況では政党に殉じるわけにはいきません。

本来の個人、つまりは自立した武芸者の世界を改めて考え直した方が良さそうに思います。

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★11月26日 
Monday, November 26, 2012, 09:01 PM
昨日は25日。昭和45年(1970年)11月25日に三島由紀夫が自決して、その追悼の会に呼ばれ、遅れて行ったら、あれ、24日に終わっていました。恐縮。すっかり本来の25日の意識だったので。

で、その近くの本屋さんに寄ると、ローザルクセンブルグの本がありました。それで思い出したのが、あの時代に流行ったゲバルトローザ。
女子学生で、いわば日本のローザルクセンブルグというわけですが、「民族派」の私からすればふざけてる。要は「革命ゴッコ」をやっていたに過ぎません。

本物のローザルクセンブルグは、ベルリンで殺され、彼女の遺体が投げ込まれたシュプレー川の支流を探し歩いたことを思い出します。ベルリン動物園の近くのそこには、雪に埋もれるようにして記念碑が立っていました。
彼女の遺体はここに数日間ほっぽらかしだったそうです。

本物のローザルクセンブルグとまがい物の日本のは、いずれも私にとって敵だったかもしれませんが、その深さ、あっぱれさは真逆です。本物は敵ながらあっぱれと言わせるものを持っています。まがい物は「ゴッコ」。

問題はそういうゴッコ人間が、政治の世界にわんさといることです。今回の選挙では、そういう過去を持つ、つまり元左翼は反省をして謝ったのを除き全て落とすべし、と思います。左翼という、あの時代の判断間違いをした人間は、要は感度が悪い。だから今もおかしい。民主だろうと自民だろうと。
だからいくら今は保守の顔をしていても、そんな連中には退場願わないと政治の底の浅さが治りません。ましてやあの時代を懐かしがるやからなどとんでもない。こちらは被害者ですから。因みに「被害者の人権」なんて言ってるのに限ってそういう手合いが多いのです。また、極端な保守傾向の人間の中にも、元共産党員がいるのも周知の事実。

なお、こうしたゴッコ傾向の根源は、いつも書くお話歴史、つまり美しいや大きいやと同じです。機能で考えない。これもしっかり落とすべし。

なんて言ってると、ほとんどの政治家はダメということになり、いよいよ日本もおしまいか、ということになる。でも、戦艦大和のある哨戒長が言ったとおり、いっぺんボトムまで落ちて初めて始まるのかもしれません。
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★11月25日 
Sunday, November 25, 2012, 11:39 PM
因みに、美しさ、大きさなどで国家の価値を決める発想は、名君待望論やヒーロー願望に等しく、それは実は中国古代の発想(史記的名分論の流れ)であり、一向日本のものではないことを知らねばなりません。
こうした傾向は、どこにでもあるといえばあるのですが、滑稽です。

朝鮮半島を南北に分ける38度線、ずいぶん昔に板門店に行きましたが、そこでは、北も南も、高い国旗掲揚塔を建てています。どちらが先かは忘れましたが、要するに双方が「世界一」を競っているわけです。
そんな限定をつけて世界一をいうなら、世界一の楊枝くらいすぐに作れるよと言いたいわけ。
あの半島はすっかり古代中国に絡め取られているというわけ。

これとそっくりの発想が、自立式電波塔では世界一、なんていう発想でしょう。日本人はやっぱり韓国人の親戚です。アメリカではだれもスカイツリーのことなど知らないし話題にもならないというのに。

肝心なことは、歴史学者の中村孝也先生が昔書かれていたとおり、「山高きが故に尊からず。木あるをもって尊しとす」という、戦国武将の「実」の発想です。中村先生は、戦後、古事記などが学校で教えられない事を憂いて古代物語などを書かれた、今からの目には一種保守と映る人かもしれませんが、正に「普通」であり、今の保守が、逆に何やらわからぬ観念論に陥ってしまっている事に正に慨嘆を覚えざるを得ない気がします。

先日亡くなった、防衛大学の校長もされた猪木正道先生の「共産主義の系譜」は、その冒頭に、共産主義のもつ個人人格の尊厳への侵害性を厳しく記すもので、左右対立の時代の私の心の支えとも言えましたが、最近はこの保守の方が個人人格を冒涜しかねない状況で、泉下の先生方の憂いを感じざるを得ません。

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