★12月6日 
Tuesday, December 4, 2012, 12:56 AM
このところ、日本、サムライ、みたいな話しに辟易していたら(これはもちろん「本当の日本」に自信があるから。とまではいわないけれど、少なくとも外国のおいただきを日本のとは言いたくない。天邪鬼?)、今度は選挙だとばかりに「党」がやたら強調されているような気がします。

しかし、本来、立法権の行使者は議員という個人の寄せ集めの両議院であり、それが合わさった国会です。あたかも裁判官に独立があるように、議員にも独立があり、行政主体の意思を発動する行政機関にも独立性があるはず。

立法、行政、司法の職権の行使は各々独立していて、しかも批判されて選手交代、というのが健全な民主国では?

ところが、ここでも外国の受け売り大好き学者は、外国の政党法などを日本に無分別に入れようとし、政党の重要性を説いてきました。党議拘束とかも。
しかし、昔のように左右対立が激しくて共産国家になるかならないかが争点なら別ですが、こんな状況では政党に殉じるわけにはいきません。

本来の個人、つまりは自立した武芸者の世界を改めて考え直した方が良さそうに思います。

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★11月26日 
Monday, November 26, 2012, 09:01 PM
昨日は25日。昭和45年(1970年)11月25日に三島由紀夫が自決して、その追悼の会に呼ばれ、遅れて行ったら、あれ、24日に終わっていました。恐縮。すっかり本来の25日の意識だったので。

で、その近くの本屋さんに寄ると、ローザルクセンブルグの本がありました。それで思い出したのが、あの時代に流行ったゲバルトローザ。
女子学生で、いわば日本のローザルクセンブルグというわけですが、「民族派」の私からすればふざけてる。要は「革命ゴッコ」をやっていたに過ぎません。

本物のローザルクセンブルグは、ベルリンで殺され、彼女の遺体が投げ込まれたシュプレー川の支流を探し歩いたことを思い出します。ベルリン動物園の近くのそこには、雪に埋もれるようにして記念碑が立っていました。
彼女の遺体はここに数日間ほっぽらかしだったそうです。

本物のローザルクセンブルグとまがい物の日本のは、いずれも私にとって敵だったかもしれませんが、その深さ、あっぱれさは真逆です。本物は敵ながらあっぱれと言わせるものを持っています。まがい物は「ゴッコ」。

問題はそういうゴッコ人間が、政治の世界にわんさといることです。今回の選挙では、そういう過去を持つ、つまり元左翼は反省をして謝ったのを除き全て落とすべし、と思います。左翼という、あの時代の判断間違いをした人間は、要は感度が悪い。だから今もおかしい。民主だろうと自民だろうと。
だからいくら今は保守の顔をしていても、そんな連中には退場願わないと政治の底の浅さが治りません。ましてやあの時代を懐かしがるやからなどとんでもない。こちらは被害者ですから。因みに「被害者の人権」なんて言ってるのに限ってそういう手合いが多いのです。また、極端な保守傾向の人間の中にも、元共産党員がいるのも周知の事実。

なお、こうしたゴッコ傾向の根源は、いつも書くお話歴史、つまり美しいや大きいやと同じです。機能で考えない。これもしっかり落とすべし。

なんて言ってると、ほとんどの政治家はダメということになり、いよいよ日本もおしまいか、ということになる。でも、戦艦大和のある哨戒長が言ったとおり、いっぺんボトムまで落ちて初めて始まるのかもしれません。
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★11月25日 
Sunday, November 25, 2012, 11:39 PM
因みに、美しさ、大きさなどで国家の価値を決める発想は、名君待望論やヒーロー願望に等しく、それは実は中国古代の発想(史記的名分論の流れ)であり、一向日本のものではないことを知らねばなりません。
こうした傾向は、どこにでもあるといえばあるのですが、滑稽です。

朝鮮半島を南北に分ける38度線、ずいぶん昔に板門店に行きましたが、そこでは、北も南も、高い国旗掲揚塔を建てています。どちらが先かは忘れましたが、要するに双方が「世界一」を競っているわけです。
そんな限定をつけて世界一をいうなら、世界一の楊枝くらいすぐに作れるよと言いたいわけ。
あの半島はすっかり古代中国に絡め取られているというわけ。

これとそっくりの発想が、自立式電波塔では世界一、なんていう発想でしょう。日本人はやっぱり韓国人の親戚です。アメリカではだれもスカイツリーのことなど知らないし話題にもならないというのに。

肝心なことは、歴史学者の中村孝也先生が昔書かれていたとおり、「山高きが故に尊からず。木あるをもって尊しとす」という、戦国武将の「実」の発想です。中村先生は、戦後、古事記などが学校で教えられない事を憂いて古代物語などを書かれた、今からの目には一種保守と映る人かもしれませんが、正に「普通」であり、今の保守が、逆に何やらわからぬ観念論に陥ってしまっている事に正に慨嘆を覚えざるを得ない気がします。

先日亡くなった、防衛大学の校長もされた猪木正道先生の「共産主義の系譜」は、その冒頭に、共産主義のもつ個人人格の尊厳への侵害性を厳しく記すもので、左右対立の時代の私の心の支えとも言えましたが、最近はこの保守の方が個人人格を冒涜しかねない状況で、泉下の先生方の憂いを感じざるを得ません。

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★11月20日 
Tuesday, November 20, 2012, 02:16 PM
オバマ大統領のミャンマー訪問の報道を見ていて、ルイ15世のアルザス訪問を思い出しました。
アルザスは、フランスとドイツとの国境、ライン川の西岸に位置します。その中心都市はストラスブール。ドイツ名ではシュトラスブルグ。

ルイ14世が自然国境を主張し、ライン川を国境としたため、当時はフランス領でしたが、その後、フランス、ドイツを繰り返し、数十年前は一生に5回も国籍を変えた人がいたくらいで、シュバイツアーも2・3度変わった1人です。

しかし、そこの住人は、人種、言語はドイツでも、政治体制は、より進んだフランスを好むとして、ルイ15世を歓迎したそうです。

最近のミャンマーは、アメリカと中国の綱引きの場になってきていました。地政学的に西南シルクロードに位置し、第二次世界大戦中は、援蒋ルートが通っていたその地域には、中国も相当な縁を持っています。元寇も2・3度経験し、バガンの僧院には、その折の元軍の落書きなどが残っています。日本軍の水上源一少将の自決で有名なミッチーナは、「みつ」と支那です。ですからここも、正にアジアのアルザス・ロレーヌみたいなところ。

なので、そこをオバマ大統領が訪問し、歓迎されるのを見ると、ルイ15世の時のアルザスを思い出すというわけです。

因みに、アルザスでは、その後、ドイツ語の人権宣言ができ、ニューヨークの自由の女神を造ったのは、ストラスブールの南・コルマールの人でした。

ところで昨日、あるところで、台湾、中国の関係について質問を受けました。台湾人が中国人の自覚を持つんじゃないかと。
それは、実際、間違いないことだと思います。私自身も何度も経験しました。

しかし、大切なのは政治体制です。アルザス人が民主的なフランス人としてのアイデンティティーを持つようになったように、日本自体が健全な民主国になり、真に台湾の人からも慕われる国になれば、なにも危惧することはありません。
一方、中身のない、美しさとか大きさとか、システム以外の半島北の某国みたいなことを基準に国づくりをすれば、民主国としてむしろ先行する台湾の人々の共感を得ることはできないでしょう。
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★11月18日 
Sunday, November 18, 2012, 11:19 PM
仕事帰りに明治記念館のそばを通り過ぎて考えたこと。

ここが明治記念館と言われるのは、明治憲法の制定に当たり、枢密院の会議が開かれたため。

その折、伊藤博文は、他の宗教などは国家の基軸とするに足りず。よって、「豊葦原の千穂秋の瑞穂の国は・・・」の日本書紀の神勅、つまり天照大御神が天孫瓊々杵尊に与えた詔勅を国家の基軸とすると言いました。
だから、明治憲法は欽定憲法だし、天皇の大権中心の憲法なのです。いわば演繹の根拠がそこにあります。

この考え方は、日本の敗戦によっても清算されていません。中国がどうのこうのと言いながら、そういう御仁にかぎってこの中国の影響を強く受けた発想が好きで、抜けられないのです。

それをしっかり清算するのがこの3年間の政権の使命だったはずですが、そもそも問題点にさえ気づいていない実情で、おまけにイギリスの思想家でいえば、ロックばりの人権思想で教育されてきましたから、そのあとの、実質的なイギリスの確立者ベンサムやミル的な発想は乏しく、理想に走りすぎて蹉跌した、というところでしょうか。

今度の選挙では、その意味で与野党を問わず、真に清算できる人を選ぶベキかと思いますが、相当に難しい感じはします。

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★11月7日 
Wednesday, November 7, 2012, 10:30 PM
先日、ある米国人の先生から教えていただいた映画の話。

その「GHOST DOG」の内容ですが、それは、サムライ魂が宿る孤独な殺し屋を描くスタイリッシュ・アクションとかで、一番最初に出てくるのが「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」。主人公のGHOST DOGが居合まがいのことをしたり葉隠を読んでいるあたりから始まります。そして、殺し屋として生きるGHOST DOGがマフィアの幹部に命を救われたことから、その恩義に報いるためマフィアから指令を受けて人を屠る。しかし、手違いから逆にマフィアに命を狙われる羽目に陥り・・という物語の展開の節々にQUOTEとして、葉隠の一説が引かれていきます。その中身は、首を打ち落とされても一働きできる話や、「紅粉を懐中したるがよし」云々の話などなど。総じて山本常朝の述べている内の最も観念的な部分が引かれています。そして、最後にGHOST DOGは決闘で撃たれて死亡するという話です。 
このようなQUOTEの羅列では、葉隠の持つ、より豊かな内容(例えば「大慈悲」)は、とりあえず見ることができません。
どうしてこういう映画ができたのかということを考えますと、根本的に、葉隠自体の持つ問題点を指摘せざるを得ません。1716年という江戸時代も中期になりますと、山本常朝の述べるところはどうしても真の戦争からは外れた観念的な話になってしまいます。そして、ある意味その部分を寄せ集めたものが三島由紀夫の「葉隠入門」ということになるかもしれません。
実は、この映画については、別のアメリカ人と話しをしたことががあるのですが、彼もこの『GHOST DOG』を見ていました。そして、彼の結論としては「これはあくまでも三島と同じ芸術なのだし、それでいいではないか」ということでした。アメリカ人の持つ一種の「強さ」を感じる面もありましたが、ただやはりこのような映画から葉隠の観念が、外国の人や日本人の一部に広まってしまうということは、「忍者」同様決して良いこととは思われません。
アメリカ人の持つ一般的な日本観の中に、この忍者などなどいろんな観念があるとは思いますが、正確とはいえないものが大部分で、日本大好きの研究者などにもそれがいえるのではないかと思っています。また、「恥の文化」といった見方もあると思いますが、本件の場合はそのような高尚な話しをする以前のような気がします。所詮エンターテイメント、と言ってしまうのも失礼でしょう。
再説すれば、三島由紀夫は、佐賀県出身の東京大学教授・相良亨先生からその誤りを指摘されているとおり、実証性がほとんどなく、しかし芸術として高い評価を得ているようで、しかも、上記のアメリカ人の言われることとは裏腹に、「芸術を現実にしてしまった」のであり(ある人が、彼が死んだ時、「これで彼の作品は、全て脚注になった」と言いました。つまり、彼の死に方が芸術だということになりますと、芸術と現実とが一緒になってしまったというわけです)、彼と葉隠とを結びつけるのは、やはり危険です。
また、葉隠の翻訳は世界でも数冊出ており、ネットにも以前から出ているのですが、そういったことに一部の日本人の翻訳者が関わり、そこでは彼らが日本文化を非常に皮相的なものとしてしか捉え得ていない為に、正に三島ばりの紹介に終わってしまっているという、もう一つの誤解の元もあるような気がします。
 やはり我々は、英語力をとりあえず措いたとしても、外の世界に向かって本当の日本というものはこんなものなんです、ということをアピールしていかねばならないように思います。その場合、その「本当の日本」というのがこれまた問題で、例えば、私がロサンゼルスタイムズにコメントさせていただいた「ラストサムライ」における古い日本が本当の日本だったかどうかは大いなる問題です。
 そのような意味で私としてはまだまだ真の日本を探ってみたいし、その為に葉隠の中にもあるそのようなものの痕跡を探していきたい。国際関係的に言うと、1644年の明の滅亡以来入ってきた文化に反発しつつも相当染まっている常朝さんの述べるところは、必ずしも真の日本というものではないのではないか。むしろ彼が憧れていた中世の人々の方にこそそれがあるのではないか、というふうに考える次第です。

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★10月31日 
Wednesday, October 31, 2012, 11:07 AM
たまたまテレビの番組欄を見ていたら、寧波の乱をやるというので教育テレビをつけてみたら、こりゃひどいわ、NHK夜11時の教育テレビのレベルもここまで来たか、と、もっと寝たかった、時間を返せ!と言いたくなりました。
一番ひどかったのは、明の官員が辮髪だったこと。儒教国家明では「身体髪膚これを父母に受く」というわけで、清朝成立に際し、辮髪にして髪を剃るなんて断固拒否したのは有名な話で、あんなことありえません。

それだけではなくて、寧波の映像は全く(多分)出てこないし、寧波の乱の歴史上の意味付けもはっきりしない。これは難しいとしても、何を言いたいのか分からない。がっかりでした。

ま、それはそれとして、今や中国の貿易港として最上位の何本かの指に入る寧波は、古来より日本と最も強いといってよい関係があります。寧波の乱は、室町時代にその勘合貿易の利権を巡って大内、細川の軍隊が現地で戦争したことであることは、高校の日本史では習います。

今の寧波は、数日前、化学工場の拡張だかで、反対のデモ行進が報じられていましたが、その佇まいの中に昔のそのままが残っており、感動的です。町の骨格は宋の時代の地図と全く変わっていません。

中世、博多にいた3人の商人が、寧波に道路を寄進したことなど、福岡市立博物館に展示してありますが、寧波市の博物館には、その現物が置いてあったり、その他ここでは書き尽くせない古代から近世に至る日本との関係。

NHKさんももうちょっと何とかして欲しかったです。現地の取材をしたとは思えません。予算のせいでしょうか。
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★10月29日 
Monday, October 29, 2012, 04:32 PM
近頃の維新、維新には、必ずしも薩長土肥がよいとも思わない私としては、もっと勉強してから、いや、原典に当たってから言ってよ、と言いたくなります。小説で分かった気になって血湧き肉躍ってるのは、太平記を読んでその気になってついには切腹にまで至った◯◯と同じです。

維新の志士なるものが、いわば神がかりであり、しかも、大義名分論という中国南宋の思想に凝り固まっていた事は、正に歴史のパラドックス。いわば、明治維新を起こしたのは中国だ、という何とも矛盾した話である事は、靖国神社の遊就館を見れば、いや、遊就なる言葉が荀子から出ている事を見れば明らかでしょう。

そんなわけですから、維新なるものを成し遂げたからとて、その政治体制の本質は、大君つまり将軍の命令で動く国か、天皇の命令で動く国かというだけで、文明開花以外は全く以前と同じ、どころかむしろおかしくなった面もあります。だから戦争に負けてしまった。
文明開化だって幕府がやろうとしていたことです。

江戸時代、将軍の統治下でお勉強した人は、日本の主は天皇じゃないか、とハタと気がつき、維新を起こしたのですが、その「主が何とか」ということでよいのか、についての反省というか突き詰めがなかった。中江兆民のいう「日本に哲学なし」だったからです。

ですから、私が上に書いたように、靖国神社も荀子だよ、にハタと目が覚めても、「じゃやめた、日本ので」何ていっても何が本当の日本なのかも分からないし、突き詰めがないから、所詮、今までと同じということになってしまうでしょう。
中国というお釈迦様の手のひらの上であっちに行ったりこっちに来たりの有様に。

おまけに、ハロウィンに見られるとおり、表面だけ西洋化していますから、ますますアジアが分からず、自分の立ち位置が分からない。これじゃ、ロック、デカルト、スピノザ、ベンサムなどなど、政治の仕組みの根本にスピノザのエティカにみられるような抽象的演繹、あるいは突き詰めをした西洋人の社会にかないません。

じゃ、どこへ行ったらいいの?といえば、要は鎌倉武士ですわ、と言いたいのがこの博物館のポリシーです。鎌倉武士は後鳥羽上皇や後醍醐天皇をいじめたからダメ、なんて考えてるようじゃ、A級戦犯の大川周明さんが書いた日本二千六百年史から笑われてしまいます。
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★10月23日 
Tuesday, October 23, 2012, 09:13 PM
10月23日、毎年行われる会津若松の西軍墓地墓前祭が、今年も地元の方々により神式仏式混合型でしめやかに執り行われ、薩長土肥それぞれの代表・関係者が列席しました。
これを取り仕切っておられる東明寺住職中村昌道先生は、数々の経験を積まれた方で、これまたシベリア抑留の経験者です。

中村先生がその最も上位の一人であられる藤沢市の時宗総本山遊行寺には、有名な「敵味方供養塔」があります。室町時代の上杉禅秀の乱のあと、その敵味方を弔ったというものです。かつての掲示板に写真が貼ってありますので、お時間ある方はどうぞ。
中村先生の博愛精神の奥にはこういう一つの観念があるのでしょう。

中世の敵味方供養塔は。島津関係にもみられ、これも私のいう中世武士道の一つの鑑でしょう。

それで、今の日本人はどうか。第二次世界大戦のアッツ島の戦いで、良く似た話があった事は、この博物館からアクセスできる「弁護士の目」に書きましたが、最近の風潮からすると、相当な危惧を覚えざるを得ない気がします。
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★10月23日 
Tuesday, October 23, 2012, 09:05 AM
日中関係なかなか大変な昨今。ただ、一つ言えることは財界までも強行になっているわけではないということで、この点は救いかと思います。

戦前の昭和10年代の初めはといえば、財界自体が冀東政権などについてこんな結構なものはない、などと言って、いわばきちんとものを見ていた石橋湛山などとは真逆だったのです。

塘沽停戦協定については色々な評価があるでしょうが、参謀次長真崎甚三郎中将(当時、のち大将)は、断固万里の長城でのストップ派であり、参謀総長として彼とうまくいっていなかった閑院宮つまりは宮中などが、のちの拡大派と組んで教育総監真崎解任を行い、先に述べたとおり中国のコアに部分に兵を進め、これを財界が後押ししたというのが戦前の構図でしょう。

このコアの部分とは長城以南、特に南京です。オーストリア・ドイツの戦争において、一国の首都を攻撃してよいのか、が論じられたことがあります。私が幼稚園の時お会いした、真崎大将の弟真崎勝次少将(2・26事件で予備役編入。私が会った時は衆議院議員)は、この南京攻撃時にも、何たる事をと慨嘆しておられたとか。

このあたり、本当の政治学や文化人類学がわからないと、失敗してしまう。今回の政府の行動にも一つ欠けていた点があって、次の一手を早めに打つべきだと思っています。とりあえず選手交代という手もあるでしょう。

因みに昨日、長野県の穂苅甲子男様から貴重な葫蘆島訪問のご本をいただきました。穂苅様は旧満州協和会、シベリア抑留など数々の経験をされつつ松本深志高校の同窓会長などつとめられ、大きく生きる素晴らしい方ですが、その恩師・旧制松本中学の清水謙一郎校長と真崎少将とは大の仲良しで、松本で何度も講演会を行いました。

そのような健全な集まりのない事も、日本の本当の国力を削いでいる原因の一つではないかと思います。
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