★10月15日 
Monday, October 15, 2012, 12:49 AM
政治家・若槻礼二郎の「古風庵回顧録」を読んでいますが、その序文は読売新聞の社長もしたジャーナリストの馬場恒吾によるものです。

曰く、「軍縮会議に若槻氏が日本の代表として行くと決定したころ、ある新聞が若槻氏その他民政党の幹部が政党の資金を集めるため前に何か悪いことをしたかの如く書きたてたことがある。これは後になんでもなかったことが明らかにされたのであるが、その記事が出た時、私は日本を代表して列国会議に行かんとする人物の背後から短刀を突き立てんとするような新聞があることを情けなく思った。」と。

何と今も昔も変わらぬものかと思います。ある外国人と話したら、いくら言論の自由といったってひどすぎる。日本の週刊誌はあんなことを吊り広告にして、と言われました。

とにかくレベルが低すぎだし、前にも再三書いたように、総理大臣の悪口ならまだしも、皇族の写真を吊り広告に使う週刊誌なんて、いくら保守的なことを言っても本当の保守じゃない。ただの金儲けでしょう。

昔は踏みつけられる危険性のある紙に陛下のお顔つまり龍顔を載せるなんてとんでもないし、だからイギリスと違ってコインにもお顔は無く龍の彫物だった。

ポピュリズムのインチキ政治家同様、当然マスコミにも注意すべし。

馬場恒吾さんが社長をしていた時代の読売新聞とも全く違うことは、今度の「ips事件」をみても明らかです。

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★10月14日 
Sunday, October 14, 2012, 10:44 AM
下のようなことを書いていたら、山中教授のノーベル賞受賞、これは誠に喜ばしいことです。何と言ってもノーベル賞を取るには独創的であることが必要なんでしょうから、こうしたことを種にして、みんなが独創的になる必要があると思います。
「だから日本はすごいんだ」みたいな、お話歴史と英雄待望論ではせっかくの快挙が活かせません。

畑違いの法律の世界。いくつかの委員会に関係しました、あるいはしていますが、日本のトップ大学の先生の一部には、いわばリステイトメント力というか、判例を金科玉条とし、そのリストが頭の中にあることの能力いや「脳力」でここまで来たのかいな、と言いたくなる御仁がいます。その大学からはノーベル賞が非常に少ない。しかも問題は、そうした人と役所が仲良しなこと。

官僚叩きには賛成しませんし、国民のための官僚なら大歓迎ですが(官吏服務規律の改正には以前もふれました)、吉宗の公事方御定書宜しくコチコチで、その割には賄賂がある、なんていう日本の近くの何処かの国に似たような行動様式と、独創性のない学者というより暗記機械が結びつくと、正に今の日本のように、賞をとったことだけで喜ぶ、機能的とか、伊達政宗などの述べる実の発想から遠ざかった社会になってしまいます。それでは、「次の」発想が生まれるはずがありません。

今の日本は「明るい話題」で喜び、「勇気を与えてくれた」で感動している変な社会ですが、もう一度、一言でいえば「戦国時代」を思い出し、あらゆることを機能的に考えていくこと、その根本に、この博物館の本文に書いた哲学というのか、価値観の突き詰めを据えることが大事じゃないかと思います。
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★10月7日 
Sunday, October 7, 2012, 09:27 AM
同じことを二度も三度も書いたり言ったりは恥と考えてはいますが、ついついブツブツ言いたくなるテレビ。東京駅がすごいすごいと。多分、販促の意味もあるのでしょう。

あれがオランダ・アムステルダム中央駅とそっくりとは昔から言われたこと(復元の中央部分は正に一緒)。国会議事堂はロサンゼルスの市庁舎のタワーを縮めただけ。
最近の四谷駅まで、世紀末のウィーン、独創的建築家オットー・ワグナーの地下鉄駅の簡略版。大騒ぎをした中央郵便局もワグナーの郵便局に相当似ています。

私の先生で彫刻家のK先生は、真似は絶対ダメ、と言われて、ユトリロもどきの絵を書く学生に怒っておられ、彫刻といういわば個性を出しにくいと思われる分野で独自のものを出しておられましたが、あれじゃなくちゃいけないと思います。

褒めそやしの一番いけないことは、そこで止まってしまい、自惚れて競争に負けてしまうことです。日本製品は世界一みたいなことを言いますが、相当蚕食されています。あるいは、例えば正気の歌みたいに元々中国のものなのに、日本の国粋主義の依拠する歌と勘違いしている滑稽かつ悲劇的現象まであります。

真の日本とは何か、やはりこれを探すことが大事ではないかと思っています。
その意味では、建築では伊藤忠太の悩みに共感を覚えます。
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★9月27日 
Thursday, September 27, 2012, 10:15 PM
私の知り合いに、台湾の原住民族を調べている方がいます。その人と台湾のある地方へ行った際、元国民政府軍の一員であった北海道出身の日本人に会いました。その人は、元日本のサーカス団員で、手品がすごく上手でした。私たちの目の前で、色々な手品をしてくれました。
名前も台湾式に変わっていましたが本来の日本の名前も教えてくれました。

でも、その複雑な過去を知った時、私はこんな調査をしていていいのかな、と思いました。

その時、周りには旧国府軍の人達が集まり、険悪な空気になりました。
やっぱりね、と私たちはそこを離れました。

ことほど左様に、台湾という所は単純にはいきません。

私の友人の台湾人Kさんは日本にも留学した親日派?ですが、そのお姉さんは日本が大嫌い。でも日本人形を集めるのが趣味。Kさんは、もちろん国民党が嫌いで客家もいや。

そんなわけですから台湾に多くの友人を持つ私も、食事を設定する時には少々気を使います。

単純な親日などというものではないのです。

今回の南の島を巡っての台湾との関係は、日本国民の目を少し開いてくれただけよかったと思います。正に雨降って地固まるにしなければいけません。

一方、上海の中国人の友人と今日電話で話したところでは、上海では大したことないですよ、との話。デモらしいものはないし(一部報道)、一部の地方が問題なんです、と。私自身も八月末1週間くらい寧波等に行っていましたが、もとより何もありませんでした。

問題は将来の中国、台湾の関係です。中国人であることを自覚している台湾の人も多くなってきました。

単純、ステレオタイプが一番いけないことです。
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★9月23日 
Sunday, September 23, 2012, 09:46 PM
吉野作造が大正8年に書いた文章には、「近頃、学者、軍人、記者等の一部の間に、外務当局を鞭撻して武断的対支外交の措置に出ずべきを、しきりに説き廻る連中があるという噂を耳にする。
顔ぶれを見ると、またあの連中かと真面目に相手にする気にもなれぬが、・・・曰く一泡吹かしてやるべし・・・と。」云々とあります。

正に一泡ふかすつもりが、元々資源のない我が国のこと、最後は昭和20年の敗戦に至ったことは歴史上の厳然たる事実です。
中に学者なるものが出て来ますが、学者と実務は違います。それぞれ相補完しあってこそ良い結果が得られるというか、ご飯も食べられるということでしょう。

ひところの共産主義なんていうものは、いわば学者の理屈を鵜呑みにして大失敗した典型とも言えます。何につけても、1+1が2にならないのがこの世の中なのに政治家が2と考えるようでは大変なのです。
このところのごたごたも、そういう意味で、目を開くチャンスにしなければなりません。

大正8年といえば、その前の大正4年、大隈内閣の対華21箇条の要求などにより正に日貨排斥の頃。当時福建省の領事館にいた私の祖父は、日本人排撃の中で、軍閥李厚基将軍勢力の動静を探る他、時には弾丸の下もくぐって拉致事件の解決などに当たったとか。

今の中国でも、私の友人の某企業総代表は、これをチャンスに変えるべく奮闘しています。

そんな時、政治家が足を引っ張るようでは、国家なるものの本質が何なのか全く分かっていないと言わざるを得ません。国民の福祉、それは通産行政を含めて、福利厚生に役立つ作用を行うことです。

下に書いたウェストファリア条約によってできた国は、それ自体が存立の目的というのではなく、国民を守る存在に昇華したはずです。明治初年の江藤新平の文章などをみても。

国家をそのために死すべきものなどというのは、遅れて来た国ドイツなどの真似でしかないし、日本本来のものでもありません。私は、ベルリンの武器庫で見た炸薬弾を日本人が戦争末期、正に使っていたことに、ヒトラーにうまいこと載せられた哀れな姿を見る思いがしました。鎌倉武士という日本人の身の丈に合わせた法律・御成敗式目を作った武士の発想ではないのです。

そこのところをよーく考えてみることが、本当の武士の道でしょう。
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★9月19日 
Wednesday, September 19, 2012, 09:21 PM
このところの日本と中国とのごたごた。何でもっと大きな視野を持てないのかねと思います。

国境というものは、東方アジアにおいては明治以降突然出て来た話、とも言えると思います。
30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約によって近代の国家というものが生まれ、それをアジアに移植させて出来上がった観念でしょう。
だから、世界?に遅れまいと、日本、ロシア、清国が互いにその境を決めた樺太千島交換条約、琉球処分を行い、中間の韓国においては、余りにも大きいので、勝手な線引きはできず、日清戦争、日露戦争を経て、日韓併合に至ったと思います。

それまでの日本も中国も冊封国家として威張って?いましたから、国境なんていうもので規制されるのは冗談じゃないよ、ということだったはずです。今になって何とか時代から国境はここにあった、なんて、えらく小さくまとまった発想になったものだと、お互いのご先祖様が嘆かれていることでしょう。

まあ、よいか悪いかは別として、江戸時代以前はお互い気宇壮大だったわけでしょう。ちなみに、この気宇壮大という言葉を言ったら結構な年配者が気宇広大なんて返して来たのには、こりゃいよいよ日本も重症だわと思ったものでした。

それはそれとして、だから、西洋の真似をしてアジア人同士がいがみ合っているなんていうのは、逆にアジアのレベルの低さを世界にご披露しているようなもので、見るにたえません。

昔の大物政治家みたいに日中を股にかけて話をまとめられる人間はいないのかね、と思います。

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★9月14日 
Friday, September 14, 2012, 10:02 AM
東アジア諸国は何のかんのと言いながらも同じ文化を持っています。そんな中で、中国にあるのは報道統制です。
これ、もちろん評判は悪いのですが、ここ数ヶ月あの国にも行って考えましたが、同じ文化の我が国にも指導機関??みたいなものが必要じゃないか、と思わざるを得なくなりました。

というのは、報道機関が余りにもお粗末で、民主主義の担い手として育っておらず、にもかかわらず、公共の電波を特許的に独占しているからです。

例えば今日も、韓国と日本が対立してます、なんて報道でしたが、対立してるのはせいぜい大統領とこちらの一部なだけで、ああいう取りまとめをするのは正に国益を害します。大統領には今後の選挙以後を睨んだ色々なお考えもありそうです。

自民党?政治学校みたいなのは、中国共産党何とか学院みたいにあって、深謀遠慮の勉強をしていまます。そういう隠密組織が必要な政体は不幸ですが、マスコミが余りにもお粗末だと本当に必要だよと思われてきます。

日本の諜報機関が全くお粗末(らしい)ということにももちろん関係します。
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★9月7日 
Friday, September 7, 2012, 10:59 PM
ちなみにこの軍務局長というもの、永田鉄山、富永恭次、武藤章、佐藤賢了なんていう人、私にも霞の如きご縁のある人もいますが、これ総じて東條一派であり、いわば日本をおかしくした張本人たちです。だから戦争を起こし、負けたのであって、領土問題なんてその結果にすぎません。
これの総括もしないで固有も何もありません。世界中で、取られちゃったら取られちゃった、が常識で、ブツブツ言ってるのは素人国だけです。南チロルその他考えろです。だから舐められるのです。

永田鉄山が陸軍三長官の合意なければ解任できなかった一種の法を無視して、真崎甚三郎教育総監を解任。それが、相澤三郎中佐による永田斬殺事件となり、2・26事件に、遂には粛軍人事とともに、いわゆる統制派に陸軍は牛耳られ、日中の戦争へと進んだという構図です。相澤中佐のお孫さんとは親しくお付き合いさせていただいています。

この真崎大将を悪く書いている本は、全く実態を知らない本だと思います。
私は大将のご子息、つまりは昭和天皇の通訳をされた元アフガニスタン大使と亡くなるまでお付き合いさせていただきました。かの方も、立場上何も言われませんでしたが、尊攘派の害だけはしっかり言われました。

富永が特攻出撃を散々命じながら、自身は敵前逃亡をしたこと、なのに師団長に栄転?したことは有名です。この人とは特にご縁はありません。

武藤が東京裁判でなぜ死刑になったかは、勉強してみればわかります。

佐藤賢了は、その東京裁判の弁護を私の恩師の父上がされたので少しはご縁がありますが、それよりも、彼は例の黙れ事件で有名である以上に、昭和30年代か40年代かの三国一朗さんが司会をされたテレビ・私の昭和史に出てきた時がひどかった。横柄を絵に描いたような態度でした。
あの番組に出てきた内、この佐藤、東條英樹の奥さんの勝子さん、それにインパール作戦の牟田口軍司令官、この3人は最悪でした。この番組は旺文社文庫に収録されています。

以上の連中は、みんないわゆる統制派に属し、中国のコアの部分に兵を進めようとし、つまりは文化人類学が分かっておらず、また、真崎大将の首を切った宮中の女官系のいわば公家さん的人間(だから敵前逃亡をした)だったことをよくわからなければいけません。
侵略がどうした以前の問題です。やってはいけない戦争だったのです。そんなことを始めたからビルマまでも兵を進めることになったのです。

アメリカでは、オバマ、ロムニーが2つの価値観をぶつけ合って大統領選を戦っています。日本にはそのような理念のぶつかり合いが民主、自民の間に見えません。維新に至っては、あの尊攘派の志士と称する人間の手紙なり文書なり読んでみたの?と聞きたいです。明治維新はよかった、という薩長の呪縛から抜け出ていません。改革とか言いながら。ここに日本の底の浅さがあると思います。
まだ、昭和史の中途までの方が、理念の対立がはっきりしていたのです。ただし、もちろん上級の軍人の間においてですが。

しかし、こんな現状をみると、せめて昭和史でもしっかり正確に把握してみたら、と思います。その場合、本じゃダメです。上記のとおり嘘を書いた本がたくさんある。最近の評論家などは本当に駄目。少しでも自分に関係ある、経験した部分から考えを押し進めて行くことが大切であると思います。

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★9月5日 
Wednesday, September 5, 2012, 10:39 PM
下に最高裁長官と書きましたが、ちょっと珍しいかもですね。今から何十年も昔ですが、あるところで、私の目の前にその人が座ったのです。おまけに色々な縁があって、結婚式にも出てもらいましたし、昨年は久しぶりに奥様にも会いました。

その初対面の時、その人は言いました。
裁判官ってのはね、大きな間違いは許されても、小さな間違いは許されないんだよ、と。
これに対して、私は答えました。わかりました。私は小さな間違いはしても、大きな間違いはしませんと。

何だか禅問答みたいでしょう。私はこの答えが正解と思っていますし、以後、すっかりお前分かってるなっていう感じになりました。

要は、戦前において「部」と名がついたところは、軍部と司法部だけなのです。そして、戦争により軍部は潰れました(今、威勢のいいことを言ってる連中はドラマをやってるようなもの)。でも、司法部は残り、その元締めさんは、昔でいえば陸軍省の軍務局長みたいなもの。

となれば、兵隊を動かすにはそれなりの発想をしているのです。思想問題に関わるのでこれ以上は書きませんが、そういうことにピンとこない人間だらけになったことが、今の日本のこれまた悲劇です。

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★9月4日 
Tuesday, September 4, 2012, 10:16 PM
政治のレベル低下は目を覆うばかりですが、かといって、この「目を覆うばかり」ということの意味はそれこそ千差万別だと思います。
ある人は日本の弱腰を言うでしょうし、ある人は逆にポピュリズムの横行を言うでしょう。つまりは全く反対の意見で、日本の政治状況を慨嘆しているところに、今の日本の本当の悲劇があると思っています。

私は、本質的に、名君待望論的傾向や日本は一番的小児傾向が最大の問題と思っています。いずれも小児的傾向であることは同様です。

英雄の出る国は悲劇的である、とは大島直政さんがケマル・アタチュルクに関する伝記に書かれていたことでしたが、誰々が期待できるとか、実行力がある、とかと言っているうちは一向国民は進歩しません。いや、現状は退歩でしょう。

私も子供の時から、言っては何ですが、真崎勝次少将、辰巳栄一中将など昭和史に名を残した人々から大空のサムライ・坂井三郎さんのようなたたき上げで世界的な海軍中尉、その他将官や衆議院議長、総理大臣、最高裁長官などなど色々な人に膝詰めで親しくお会いしてきましたが、最近の同種の人物はほとんどが小粒で話にならない。

唯一会社だけがまともなので、アメリカの傘の下で何とかご飯が食べられているというのが実態でしょう。そのまともな会社の足を引っ張っているにのが政治家なのですから何をかいわんや。

ただし、財界はどうみてもへんてこで、昔の財界人とは違うし、例えば桜田武さんみたいな本当に骨のある財界人もいない。日経連が経団連にいわば吸収されてしまってから、いよいよ財界にも危機が訪れているという気がします。その奥にはソ連などの崩壊による左右対立の消滅という事実があるわけで、現状の低落はその影響が遅く来たわが国ではまだまだ続くのかもしれません。
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