★11月13日 
Sunday, November 13, 2011, 09:53 PM
「あらゆる民族は、それぞれ人類の構成部分にすぎないから、一民族の歴史は常に人類の歴史(世界史)の構成部分の一つである。従って、民族の歴史を書くとき、全人類的な側面を見逃して孤立したものとして扱ってはならない。」とは革命前のロシアの歴史家 こE.Fシュムルロの述べるところですが、正に同感。
65年前の終戦後、学校ではようやく本格的な世界史という授業が始まったそうで、我々には当たり前の「世界史」という授業は、実は昔からのものではないのです。
そんなことを考えているところに、先日、ある官僚OBの方と学生とで杯をかたむける機会がありました。そこで、この激動ともいえる時代の今後は、どうあらねばならないか、というような話になって・・・
私は、ギリシャ文明の思考方法の徹底か、その廃棄(ということはないと信じていますが)か・・・ってなことを考え、あるいは言ったのですが(というのはギリシャ文明は例えば仏教という形でも我が国に到達し、いわば思考の根幹を支配しているから。仏教はインドと、ギリシャと中国の文明の混合物)、そのすぐあと、別の席で、ある米国人は、アメリカが憲法無視で、裁判なく自国民を殺したことを、ギリシャから文明は始まって、ローマに行くと皇帝政治になった。イギリスで生まれた民主主義国の仕組みも、アメリカで専制的になった、なんて言ってました。
ここでも、文明の伝播をいう人がいたわけですが、もうちょっと大きく考えてもいいかなと思います。
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★11月7日 
Monday, November 7, 2011, 08:45 PM
伊万里市に残る川南造船所跡地を視察してきました。
戦前、戦中、川南豊作氏によってつくられ、敗戦間近には特攻兵器海龍を製造していたところです。その実態にはわからないところが多々ありますが、海龍は人間魚雷回天をより強力にしたものといってよいかもしれません。頭部に爆薬を装着する以外に魚雷を抱き、翼をつけて操作性をあげたもののようです。
ここでも海軍は、兵器というものの範疇を超えたものをつくりました。

先にも書いたとおり、ご町内での食事仲間にして同じ大学の講師仲間、そして東条英機の弁護人で衆議院議長・清瀬一郎さん(ここまで説明しなけりゃいけなくなった時代が悲しい)の息子、清瀬信次郎先生は、「海軍はね、毎日海を見ているのでおかしくなっちゃうんですよ」と言われていたことが思い出されます。

しかし、そのことと関連はしますがそれだけではない原因もあります。
海龍の土手っ腹には菊水のマークが入っていました。言わずとしれた(知れないか)楠正成のマーク。遡れば水戸黄門の趣味です。その趣味は「黄門」という中納言の中国式表記からわかるとおりの中国趣味。にもかかわらず尊王攘夷という、結局外国からのいただきものの価値観から脱皮できていないのに外国を排するいう矛盾したものです(木村三浩氏がいう、拝することと排することの同居!!)。
楠正成についても、わざわざ楠公などと称する。

その菊水をつけて排外をするという究極の矛盾。それに携わることになった人々の悲劇は、理解してみばみるほどかわいそうです。メカの話し以前の思考なり、政策なりのメカが狂っている。

だから我々はちゃんと勉強して、そういう矛盾の中で生活するようなことがないようにする。それこそがこういった「遺跡」を残す意味だと思うのですが、その議論に参加しておられた大学の先生らの議論は、恐縮ながら、どうにも底の浅いものとしかみえませんでした。幾人かは以前、お会いもしましたが。
結局、今月終わりから壊し始めるそうです。

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★10月28日 
Friday, October 28, 2011, 05:31 PM
その会津若松の松平家墓所は、極めて広大なものです。しかも、それは誰が何と言おうと中国式です。大きく造るということ自体が中国式ともいえます。
では、他の式はというと、端的な話、鍋島直茂式です。それは、小さくてよいから敵方に向けよ、というもの。そうしておけば、万一敵が攻めてきた時、殿様の墓が敵に蹴散らされては大変と、家来が頑張るだろうから、という「戦略」あってのもの。
私はこれはすごいと思います。
しかも、そこに、ある国際性も感じます。

ユーラシア大陸のモンゴル、ツングースなど騎馬民族は、常に移動していました(ツングースは一応定住的)。彼らはモンゴル、あるいはチベットの仏教を尊崇していましたが、移動する民族ですから大きな寺は造れません。もちろんウランバートルなどにそれなりの大きさの寺はありますが。
で、普段はどうしたかというと、石を小さな山状に積んで、それをお寺の代わりにしたというわけです。
満州族が関内つまり万里の長城以南を支配するようになってから、彼らは承徳などに豪華な離宮を営むことになりますが、そこにも上記のような小山は残してあります。

しかし、大きいことはいいことだ、の考えに取り込まれてしまった時、遂に清朝は滅びました。正に100年前のことです。
同じことは、清朝だけでなく、その他多くの王朝にも、ついでに会社にもいえるのではないかと思っています。
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★10月27日 
Thursday, October 27, 2011, 09:32 PM
10月23日、恒例の会津若松における西軍墓地墓前祭に参列したあと、急に秋も深まってきました。
もっとも、会津の紅葉は明らかに遅れ、例年真っ赤に染まる山々は青々としています。やはり異常でしょう。

福島県会津地方は、地震としてはむしろ新潟地震の影響がつよく、寺の灯篭には何年も前からの棒で支えがしてありました。
そして、ひどかったのが過日の大雨。知り合いのホテルは、地下の露天風呂がそっくり只見川に流されていました。
こんな中、猪苗代などのホテルもお客がいなくて大変かと思いきやさにあらず。税金から補助をして、避難の人々や復旧工事の方々が相当泊まっているとのこと。まずは一息というところでしょうか。

時間がなかったので寄りませんでしたが、若松のお城などでは保科正之の400年祭の特別展とか。この人については、この博物館の本文に書いておきましたが、よーくその本質を見ることが必要です。

何はともあれ、墓前祭には、侵攻を受けた会津、侵攻した長州、土佐、そして佐賀の何人もが集い、薩摩からも長文の弔電。実はこれらの藩が、元々強い関係にある藩どおしであったということを調べてみるのも有益でしょう。
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★10月10日 
Monday, October 10, 2011, 12:11 PM
ある人権団体の代表をされていた先生が研修所の恩師だったので、その偲ぶ会に出かけて行きました。いわば人権派の多くの方がおいでで、尊敬に値する方が多かった、というより大部分でした。

それに比べると、私などは至って地味。無罪は取ったことがありますが、そんなにメジャーな話ではありません。
ただ、その件もそうですが、国選弁護を頼まれて懐中電灯1本を持っていたかどで軽犯罪法違反に問われた発達障害の前科前歴のない被告人のために、半年以上無罪を争ったり、人しれないところで頑張った経験はあります(でも、結局後者は有罪で、20日間の拘留。未決算入で、即日釈放という和解的判決??)。最近はほとんど刑事はありませんが。

その偲ぶ会の席にもいた関係者が関与するOさん絡みの裁判。先日、著名なSさんが、判決結果を見て、こんな裁判見たことない、と憤られたそうですが、見たことないのは、大きな、報道されているものしかみないからでしょう。
ひっそり、片隅で、まるで江戸時代の時代劇の悪役みたいなのにやられているケースが残念ながらあることを我々は忘れてはいけないと思います。「国家」を知るには、それこそが大切とも言えるはずです。

ともあれ、その亡くなった先生、「書面を書くならこのレベルまでは書かなきゃダメだぞ」というレベルというか、一つのイメージを下さったことが私への大きなプレゼントだったな、と思っています。忙しいとなかなかそれができませんが。

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★9月28日 
Wednesday, September 28, 2011, 10:50 PM
友人で北海道の同業役員を務めたFさんの先祖は、奈良の十津川村から北海道に移住したそうです。北海道には新十津川村があるとおりで、先日もテレビに出ていましたね。

この十津川郷士は、神武天皇以来ともいう歴史を持ち、税金の免除を受けてきました。それが、幕末の天誅組の乱などにもつながることにもなりましたが、明治時代になって特権がなくなり、かつ巨大な豪雨で壊滅的打撃を受け、北海道に移住したといいます。

それで思い出すのが原発の被災地です。もちろん、全て同日に論ずることはできませんが、この十津川郷士と原発被災者とには重なるところがあります。

明治時代に、被災しても、よしやるぞの気概で故郷を捨てて、別天地に羽ばたいた十津川の人と同様の気概が、今の日本人に欠けていないとはどう考えても言えないと思うのです。何やら作為的な、お涙頂戴の話や、戦争の悲惨さと同一視する傾向には強い違和感を覚えます。
あえて誤解を恐れずに一言というわけです。


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★9月25日 
Monday, September 26, 2011, 12:32 AM
今はタクシーで帰宅途中。ふと目に入ったのが、青山の子供の城の横に立つ岡本太郎さんの彫刻。このまま行くと多摩川を超えた右側には太郎さんが作った岡本カノ子の記念碑があるわけで、この沿線は岡本さんのうちと縁が深いな、なんて考えています。
と、思い出したのが大阪千里の万博跡地にある太陽の塔と国立民族学博物館のこと。もう長いこと行っていませんが、昔行った時、あの博物館はひどかったな、と。
これまたかつて誌上対談したメキシコ人の記者アナマリア女史。あそこの初代館長の梅棹忠夫氏は変、とのことが武道通信に載っています。私もあの時は、ちょうどそんなことを思っていた時で、正に意気投合。
文化人類学なるものは、共通のコンセプトが存在するのかよくわかりませんが文明の生態史観だかで、地球のあっちこっちで文明が起こるとか、日本は特別とか、どうもあり得ない小さな視点。
我々の世代は、世界史という科目を当然と思っていますが、その昔は存在しない科目だったそうです。
敗戦後、それをどう教えるか苦労された先生・伊瀬仙太郎先生の本などを読んでみると、派手な梅棹さんとは全く違う、地味ですが論理的な、しかも一から立ち上げる歴史の論理が展開されている気がします。
もちろん素人の私ですが、マスコミ受けする学者の説には相当怪しいものがあるのでは、と思っています。もちろんそれを承けた小説家の説は論外かとも。

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★9月20日 
Tuesday, September 20, 2011, 09:27 PM
9月18日には、千鳥ヶ淵で西本願寺による全戦没者追悼法要が行われました。これから行われる福島県会津若松市における戊辰戦争西軍墓地墓前祭と同じく、その差別のない法要には感動します。

その前には、久しぶりに新右翼の木村三浩さんとゆっくり話しました。
私より5歳の年少ですが、青春時代の話題はほとんど私と重なることに面白さを覚えました。
彼と私の共通点は、一貫して民族派であることです。右へ左へと動く人間は、いかに学校の成績がよくとも信用できません。成績なんて関係ないのです。

彼の場合、それと共に世界の民族派との連携が面白いです。中東、ロシアやヨーロッパ、みんな芋づる式で知り合いになったそうです。

排外も拝外も排すという立論の基本には共感を覚えます。
問題は、そうして自己を確立のするについて、何をアイデンティティーとするかでしょう。
私は、どこやらの誰か言っていた美しい日本なんていうのではだめだと思います。結論をいえば国家のシステムです。美しい置物のような日本ではなく、精密機械のように、また、有機的な動きを持って国民を守る国。それこそが逆に守るに値する国だと思っています。それは、必然的に国家という仕組みの「論理」につながります。

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★9月13日 
Tuesday, September 13, 2011, 10:56 PM
 先日は、せっかく任命された経済産業大臣が辞任。あれじゃやめてもらわなきゃしょうがないな、という御仁ではありました。

 ただ、最近本当に強く考えるのは、行政はこうした批判にさらされるので、まだましですよ、ということ。

 先日、参議院議長が急に元気を出して、色々なことをのたまわっていましたが、あれには議院事務局も色々かんでいるようです。議院事務局は、行政を担当していますが、内閣からは独立。だから議院内閣制という範疇に入ってきません。同様のことは司法にも言えます。
 こうした分野に国民代表の目が届かないこと、また、マスコミも敬して遠ざかっていることをだれも不思議と思わないし、教科書を書いている学者も問題にしない。どころか積極推進?
 しかし、実はこうした分野のメルトダウンは相当なものではないのか、と思っています。
 
 立法、司法、行政、それぞれの分野を有機的にどう位置づけるかということを改めて考える頭の柔らかさが必要な気がします。
 
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★9月3日 
Saturday, September 3, 2011, 09:53 PM
十何歳かでブラジルに移住し、その後帰国してレストランを経営するIさん(女性)。外国からの政局の見方は、我が意を得たものでした。
要するに、こんなにくるくる首相が代わる国は世界から異常と見られているし、信用喪失というものです。

 「日本はさすがにすごい。あの地震や津波にも負けずに頑張っている」という、台湾の友人などからの、いや、中国だってアメリカだって、のお褒めの言葉をいただいていた私も全く同意見。
 しかも、みんなでよってたかって首相を引きずり降ろそうとする卑しい連中。

 彼らの中にある大きな問題は、一つは名君待望論という哀れな江戸初期以来の撫民思想(それは大宝律令の詔にみられるとおり中国伝来で、今や中国では捨ててしまったもの)であり、それを法的に構成すると、議院内閣制ということがわかっていないといことです。
 日本の憲法は、東条らの勝手なリーダーシップが国を滅ぼしたことを反省し、行政権は内閣というキャビネットに属することにして、内閣総理大臣に属することにはしていません。そして、むしろ議会との協働による行政を規定しています。
 だから、おかしなことがあるのなら、それは議会もおかしいわけです。

 自らの顔に唾を吐きかけるような政争をする日本の政界。正に世界に恥をばらまいています。その国益を害すること著しい。
 この、バックに、上記のとおり、名君待望論という中国史記ゆずり?の非日本的発想があることに、元祖民族派?としては強い憤りを感ずるわけです。




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