Sunday, May 22, 2011, 10:30 PM
お誘いを受けて、仏教の声明と二胡とのコラボレーションでの震災チャリティー音楽会に出席してみました。日本の日蓮宗、天台宗、真言宗のお坊さんの声明、台湾のお坊さんの声明、そして中国の演奏家の二胡と楊琴、歌。国際的で、しかも中央アジアの雰囲気まであり、なかなかよかったです。
やはり台湾のお坊さんは、正に気合が入っていて、あれを全く楽譜も本もなく節をつけて読み上げるのですからたいしたものです。あのお坊さんたちは昼過ぎからはご飯も食べませんよ、と言うと、同行の人は驚いていました。
その台湾では、地震についても、「さすが日本はすごい」という評価が多いのですが、ひるがえって最近の日本の政治家にはひどいのがいるな、と思います。ましてやいわば模範ともなるべき議長が中立を害する発言をするなどというのは、内容は全く別として、正に政治のメルトダウンです。
これを支持する声が多いのにもびっくりで、こういう傾向は10日に書いたとおり既に大正時代から始まっており、法律を厳密に解しようという考えの基礎がそもそもない人が実務家の中にも多い。日本国民の法的仕組みについてのレベルの低さを思わせます。別に難しい話ではありません。世界の常識の話です。
こんな調子なのにコンプライアンス、なんて言ってるから、ただの形だけか、実態無視の話で終わってしまい、会社で言えば貴重なお金をどこやらの国の会社に召し上げられているわけです。しかも気がつかないうちに、そうだそうだのムードで。
そもそも台湾の人は、日本の仕組み、制度、その運用をほめているのであって、その部分がすごく大事です。個人を俎上に上げて品定めするのは、名君待望論の江戸時代的なもので、当時おそまつに扱われた農民意識から抜け出ていない典型で、全くサムライなんかじゃないことを知らねばなりません。もうひとついえば、本紀、列伝の史記の発想か、キャビンを大事にしてリンカーンを神様にしている一部アメリカの発想でしかなく、日本のものでもないのです。
| このエントリーのURL
Tuesday, May 10, 2011, 01:58 PM
地震のテレビを看ていると、どうにも困った報道に出くわします。下の方に書いたのもそうですが、今日の朝は、自衛官が被災者の写真を探してあげている行為について、「これは、命令ではなくやっている行為である」というコメントでした。
もちろん自衛官には御苦労様ですが、命令ではない行為とはこりゃいかに、です。
自衛官は自衛隊法に基づき命令を厳格に執行するのが職務。そこに指揮官の責任もあるはずです。
言いたいことは、やさしい気持ちからしています、とでも言いたいんでしょうが、それでは法律家としての自衛官を軽視しています。
その昔の防大の校長・猪木正道先生はファンでしたが、ああいう方がそんなことをいうとも考えられないし、最近の防大校長の訓示にも真逆の話があったはずです。
淡々と職務をこなす、昔の軍人直喩でいえば、上官の命令は朕が(の)命令と心得よ、です。命令で動いていないなんていうのは違勅罪(律令法)です。
そういう発想は、もちろんある意味、今の日本を象徴するもので、東南アジアで人気の「萌え系」の発想といってもよいかもしれません。これで稼いでいるのが日本、ともいえます。しかし、これが主流では困るのです。
そして、この発想の更に奥には、法律というものに対する学者をはじめとする人々の「緩み」があると思っています。
それは、大正時代に始まりますが、戦後を指摘しているHさんという学者もいます。要は、裁判はかわいそうな人を勝たせればよい、という考えです。
しかし、裁判はあくまでも法に則らねばなりません。勝手にかわいそうか否かを裁判官に判断されてはかないません。
ライン川に沿って電車で走ったことがありましたが、ドイツもスイスも中世は小さな単位としての町です。だったら、スイス民法にあるように、裁判官の法創造も許されるかもしれません。
でも日本は大国です。裁判官の顔も見えないのに勝手な判断は困るのです。
しかし、今から20年も前の、H先生を囲む座談会でも、H先生の攻撃にあったこれまたH先生は「何が悪いのさ」ってな感じでした。
いずれにしてもこの人達、ドイツやアメリカの勉強ばかりで、日本や中国、韓国の勉強は皆無に近いのではないでしょうか。
だから自分がわからない。このことも、最近亡くなったR先生が指摘しておられたことです。
しかし、その先生の専門である法制史は「絶滅危惧種」だそうで、本当に困ったことです。
| このエントリーのURL
Wednesday, May 4, 2011, 11:10 PM
今日は憲法記念日でした。こういう日こそ、そしてこんな時こそ憲法の意味を本当に考えたいと思います。というと、9条改正とか、逆に人権、となるのがステレオタイプ国のメディアや国民です。
以前、新右翼の木村三浩さんと誌上対談した折も言いましたが、まずはこの国の組織と作用という「体」が問題で、体が病気なのに勢いのいい改正をしても肝心の人間が動きません。
その意味で、例えば先日、原発の周辺住民を立ち入り禁止にした処分を「とんでもねえこった」みたいなことを言っていた人を登場させていたメディアは失格と思います。要は、国民を守るために行政警察的活動をするのが国家の責務であるという基本がまるっきりわかっていない。あれで「そうだそうだ」になっちゃったら、交通整理もできなくなります。
つまりはメディアがわかっていないからあんな発言を大きく載せるわけ。もちろん言論は自由ですが、ずれています。
一方、今度は、何とか委員会の委員であった大学の先生が辞任して、記者会見を開こうとしたら、守秘義務で止められた、とかの話。こういうのもしっかり考えれば、正にブレークスルーする話です。
今から40年も前、自衛隊の違憲性が問題になったある訴訟。担当裁判官に所長からアドバイスのお手紙が。司法権の独立を害するというので、当該所長は懲戒。また、そのことをマスコミに言った担当裁判官も司法部内部の話を外に出したというので懲戒になりました。
そのあと、学生であった私たちが東京地裁に見学に行って、裁判官とそれが話題になり、のちに札幌の長官になったK判事と話し、ある学生が「国民のためには記者会見してもよいのでは」と尋ねたところ、Kさんは「いや、私は言いません。私だったら部内の会議で処理します」と言われました。
当時は、なるほど、と思いました。
つまり、古い日本の伝統からすれば官僚の責任感に依存すべきで、マスコミに流すなどということは正道から外れるということなのです。
しかし、今もそれでよいかは一考の余地ありと思っています。私の著書でいうならば、(ややラフにいうと)民主か、責任か、ということです。
あるいは、その辞任した先生、真に国民のためを思えば刑事処分覚悟でぶちまけるという選択肢もあるでしょう。杉原何とかさんのように。公務員には常にそれがつきまとうのです。そのくらい公を背負った公務員は厳しいし、その自覚が必要。
ところが、平和ボケで、そのあたりを詰めきれないのが今の日本の最大の問題と思います。日本はすごい、なんて簡単には言えません。
| このエントリーのURL
Monday, May 2, 2011, 12:48 PM
リビアでは、カダフィ大佐の息子さんが多国籍軍の攻撃で死亡したことが大きな問題になっているようです。それで思い出すのが、日本が当時の中国の首都南京を攻撃、占領したとき、真崎甚三郎大将だったか真崎勝次少将だったか(多分、大将)が言われた一国の首都を攻撃、占領するようなことをしてはならない、との話し。
その意味では、東京に無差別攻撃をかけたアメリカも同罪ですが、そういうことをきちんと言われていた人を何やら悪人のように書いているそこらの本には、困ったものです。
昔、偕行社の理事長をされていた辰巳栄一元中将と席を同じくしたことがありました。
偕行社は陸軍の将校クラブのようなものです。以前は九段坂の途中にありましたが、今は、どういう経緯か知りませんが違った姿になっています(靖国神社の中に偕行資料室はあります)。
中将が最も尊敬する人は吉田茂、本間雅晴中将、そして真崎大将だったそうです。
イギリス駐在武官の時に、ドイツとの提携を吉田茂から断固拒否され、吉田さんと同じ考えになったことは有名です。
学童疎開を推進した辰巳中将、死なば諸共なんていって拒否した東条総理。
今の世の中、東条的な観念論が横行しているように思えてなりません。
その「体質」はどこから出てくるのか、歴史学や文化人類学の分野なのかもしれませんが、単なる学問で終わらせるのではなく、実地の日本や日本人の進み方、生き方に生かせなければいけないと思っています。
| このエントリーのURL
Sunday, May 1, 2011, 09:04 PM
4月24日に書いた、ミャンマー難民のボランティアの人たちの記事は以下です。http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210501020.html
| このエントリーのURL
Friday, April 29, 2011, 09:48 PM
たまたま本の整理をしていたら、2004年のDAYS JAPANが出てきて、新潟地震の際、東電はなんてことなく原発の運転を継続、何たる危機感のなさか、という記事に出くわしました。私自身、素人の悲しさで当時は関心も持っていませんでしたが、今回については止めただけまだましだったか、いや、もちろんあれで止めなかったら空恐ろしいことになっていたんだろうな、と思います。
ところで先日、あるマスコミ人の話を聞くと、現地では、陸に上がってしまった船をどけたりするについて、既存の法律がネックになってどけれらないとかいうのんびりした話。もちろん、より大きな利益の侵害が問題になっているとき、という条件がつきますが。
これまた本当かいなと思います。台湾大地震の際、馬総統は憲法上の緊急命令を発令して軍隊を出さなかったことから批判されました。
日本にはそういう制度はないし、行政上の強制執行や即時強制といわれるものにも厳しい制限があります。
しかし、だからこそ時限立法などで私権の制限を図る法律を「国会」が速やかに作るべきでしょうし(緊急命令は内閣は出せない)、その作成を官僚に命じればよいと思います。それが本当の政治主導というやつで、なんでも政治家がやれるものでもないし非効率。
あのマスコミ人が言っていたことが本当ならば、という仮定の話であって、実際はもっと迅速にやってます、ならいいんですが、どうもそうじゃないみたいですね。そもそもマスコミにそうしたことを提言できる能力がないのが大きな問題でしょうね。困った困ったしか言えないのは本当に困りもので、電波を独占している資格もなしということでしょう。もっと「公」を考える国民になりたい。
| このエントリーのURL
Tuesday, April 26, 2011, 10:18 PM
震災の義捐金として、台湾から100億円以上が贈られたとのお話。本当にありがたいことです。で、これを台湾が親日だから、というふうに小さく捉えてしまってはかえって失礼です。
あの100億円(4月初めの段階)の3分の1は、私とも関わり深い団体からのものです。その団体は、こうした不幸があった場合、政治とは関係なく、世界中の人々に寄付をします。その指導者は50代でノーベル賞の候補にもなりましたし、アジアのノーベル賞・マグサイサイ賞を受賞し、近年は日本の仏教団体からの受賞も受けています。
かつての南アフリカ、北朝鮮、中国、どこにでも寄付をされるわけです。
よって、この寄付の中身をきちんと考えてみること自体が、台湾とはどういう国か、その本質は何かを知る極めて有意義な営みになることでしょう。
単純な発想、それだけは避けたいものです。
| このエントリーのURL
Sunday, April 24, 2011, 11:27 PM
下のほうに書いたミャンマー人の知り合いは、この週末、友人と一緒に東北に行くとのことでした。ミャンマーのカレーを被災した人々にふるまうのだそうです。いやー、どこまでやさしいのかなー、と、全く持って頭が下がります。「絶対に蚊だって殺さない。蚊だって生きる権利?がある」と言いますし。
確かにミャンマーにはそういう人は多いです。いや、アジアの仏教の基本的性格は同一の方向でしょう。日本が特殊なのです。特に明治5年以降。
一方、私の方は、あるところで「一言」ということになったので、何をしゃべろうか、と考えて、やっぱり地震のことをしゃべりました。
それは、「日本はすごい」とか何とかテレビで言ってるけど、日本が本当にすごいかどうかは外国と比べてみなけりゃわからない。だからこういう時こそ目を大きく世界に開いて、自らの寄って立つ位置を確認し、しっかりした制度を作っていくことが大切。そうでなきゃ死んだ人も浮かばれません、ってな話でした。
本当にそう思うのです。これも下のほうに書いたとおり、すごいすごいはお話歴史の発想。ドイツ系の人が住むフランスのアルザスが、ルイ14世に臣従したのは、その制度をドイツより優れたものとしたがゆえ。なんていう話もありますし。台湾についても同じ。もちろんそれが世界共通の大人の発想だと思います。
| このエントリーのURL
Friday, April 22, 2011, 11:26 PM
アメリカ人のMさんと、パンダ談義になりました。彼いわく、「どうして日本人はあんなにフィーバーするのか」と。私も、某知事と趣味は異なりますが、特に多額のお金が出て行くことはどうかな、と思います。私の意見は、アニメ、コスプレと同様な傾向ではないかと。若い人たちにアニメが大人気の台湾では、さほどのパンダ人気ではないとの話もありますが。そして、結局は日本は平和ボケなんですよ、というあたりでおさまりました。
その翌日の今日、久しぶりに新装成った議員会館の裏を歩いていると、ここでも警備員さんは民間業者のガードマン。公権力を行使しなければならない可能性のあるこういうところを民間に任せてよいのか、といつも思います。これは決して官尊民卑の発想ではなく。
で、そのガードマンさん、まるで警察官そっくりの格好をしていますが、帽子を被ったままで、深々とお辞儀をしてくれたのです。
いつも書きますが、あの格好は、常に前を警戒すべき格好なのであって、鉄道の車掌もそうですが、挙手の礼、つまり敬礼をすべきで、頭を下げるべきではないのです。もちろん、雨が降っても傘をさすべきではありません。
なのに、車掌もああいう人も、頭を下げる「スキあり」の始末。
要は、けじめがついていない、公私の別なし、平和ボケ・・・ということなのです。
まあまあそんなに目くじら立てなくても・・なんて声も聞こえてきそうですが、とんでもない、このことにこそ日本の今の本質的問題があると思っています。このあたり、フランスみたいなところはもっとカチッとしている印象です。パリのカルナバレで、トイレを借りようとしたときのこと、やさしいおじさんとやさしくないおじさんとがいて、後者から気持ちが良いくらいに怒られたことがありました。
マゾヒズムではなくあれは好きです。
今回の地震は、そこをしっかり認識する機会であるべきで、でなければ亡くなった人が浮かばれないと思うのですが、やさしさ、つまり上の話で言う、パンダやお辞儀の面だけが強調され、規律の面がおろそかなのは、いただけません。
| このエントリーのURL
Monday, April 18, 2011, 12:27 AM
昨日は台湾関係の会合に参加し、かの地からも参加と聞いていたのですが、台湾当局は関東地方への渡航自粛を呼びかけているとのことで友人に会えませんでした。誠に残念。代わりといっては何ですが、胸を打つ話が。
ある日本人の男性、昭和15年頃のお生まれだそうですが、明治45年生まれの父上が、第2次大戦で召集され、フィリピンに出征されたそうです。そして、負け戦が終わって名古屋に復員。自分は5歳。それまでお父さんから育てられたことがなかったので、「お父さんだよ」と言われても、一向親しみはわかず、一生違和感のうちに終わってしまったとか。
戦争時におけるこれも悲劇の一つでしょう。
今日は朝からあちこち飛び回っていましたが、ふとしたことから教えていただいたのが荻生徂徠のお墓。港区の、あれこんなところに、と、びっくりしました。
荻生徂徠といえばもちろん巨大な人物で、その明律国字解は私も持っています。この法律書は明の法律を解説した膨大な本ですが、実は明治初年に一番読まれたとの報告もあります。政談は徳川政権の将来を予知した本。
武士道の形成にも大きな影響を与えました。一方、彼自身、時代の影響を大きく受け、中国語には正に堪能であったようですが、本居宣長らの国学の形成にも大きな影響を与えています。
そんなことを色々勉強してみなければ、武士道も何も語ることなどできない、というわけ。とにかくそんなわけで、お墓に参って、へーっという感じでした。
| このエントリーのURL
戻る 進む