Sunday, May 1, 2011, 09:04 PM
4月24日に書いた、ミャンマー難民のボランティアの人たちの記事は以下です。http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210501020.html
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Friday, April 29, 2011, 09:48 PM
たまたま本の整理をしていたら、2004年のDAYS JAPANが出てきて、新潟地震の際、東電はなんてことなく原発の運転を継続、何たる危機感のなさか、という記事に出くわしました。私自身、素人の悲しさで当時は関心も持っていませんでしたが、今回については止めただけまだましだったか、いや、もちろんあれで止めなかったら空恐ろしいことになっていたんだろうな、と思います。
ところで先日、あるマスコミ人の話を聞くと、現地では、陸に上がってしまった船をどけたりするについて、既存の法律がネックになってどけれらないとかいうのんびりした話。もちろん、より大きな利益の侵害が問題になっているとき、という条件がつきますが。
これまた本当かいなと思います。台湾大地震の際、馬総統は憲法上の緊急命令を発令して軍隊を出さなかったことから批判されました。
日本にはそういう制度はないし、行政上の強制執行や即時強制といわれるものにも厳しい制限があります。
しかし、だからこそ時限立法などで私権の制限を図る法律を「国会」が速やかに作るべきでしょうし(緊急命令は内閣は出せない)、その作成を官僚に命じればよいと思います。それが本当の政治主導というやつで、なんでも政治家がやれるものでもないし非効率。
あのマスコミ人が言っていたことが本当ならば、という仮定の話であって、実際はもっと迅速にやってます、ならいいんですが、どうもそうじゃないみたいですね。そもそもマスコミにそうしたことを提言できる能力がないのが大きな問題でしょうね。困った困ったしか言えないのは本当に困りもので、電波を独占している資格もなしということでしょう。もっと「公」を考える国民になりたい。
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Tuesday, April 26, 2011, 10:18 PM
震災の義捐金として、台湾から100億円以上が贈られたとのお話。本当にありがたいことです。で、これを台湾が親日だから、というふうに小さく捉えてしまってはかえって失礼です。
あの100億円(4月初めの段階)の3分の1は、私とも関わり深い団体からのものです。その団体は、こうした不幸があった場合、政治とは関係なく、世界中の人々に寄付をします。その指導者は50代でノーベル賞の候補にもなりましたし、アジアのノーベル賞・マグサイサイ賞を受賞し、近年は日本の仏教団体からの受賞も受けています。
かつての南アフリカ、北朝鮮、中国、どこにでも寄付をされるわけです。
よって、この寄付の中身をきちんと考えてみること自体が、台湾とはどういう国か、その本質は何かを知る極めて有意義な営みになることでしょう。
単純な発想、それだけは避けたいものです。
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Sunday, April 24, 2011, 11:27 PM
下のほうに書いたミャンマー人の知り合いは、この週末、友人と一緒に東北に行くとのことでした。ミャンマーのカレーを被災した人々にふるまうのだそうです。いやー、どこまでやさしいのかなー、と、全く持って頭が下がります。「絶対に蚊だって殺さない。蚊だって生きる権利?がある」と言いますし。
確かにミャンマーにはそういう人は多いです。いや、アジアの仏教の基本的性格は同一の方向でしょう。日本が特殊なのです。特に明治5年以降。
一方、私の方は、あるところで「一言」ということになったので、何をしゃべろうか、と考えて、やっぱり地震のことをしゃべりました。
それは、「日本はすごい」とか何とかテレビで言ってるけど、日本が本当にすごいかどうかは外国と比べてみなけりゃわからない。だからこういう時こそ目を大きく世界に開いて、自らの寄って立つ位置を確認し、しっかりした制度を作っていくことが大切。そうでなきゃ死んだ人も浮かばれません、ってな話でした。
本当にそう思うのです。これも下のほうに書いたとおり、すごいすごいはお話歴史の発想。ドイツ系の人が住むフランスのアルザスが、ルイ14世に臣従したのは、その制度をドイツより優れたものとしたがゆえ。なんていう話もありますし。台湾についても同じ。もちろんそれが世界共通の大人の発想だと思います。
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Friday, April 22, 2011, 11:26 PM
アメリカ人のMさんと、パンダ談義になりました。彼いわく、「どうして日本人はあんなにフィーバーするのか」と。私も、某知事と趣味は異なりますが、特に多額のお金が出て行くことはどうかな、と思います。私の意見は、アニメ、コスプレと同様な傾向ではないかと。若い人たちにアニメが大人気の台湾では、さほどのパンダ人気ではないとの話もありますが。そして、結局は日本は平和ボケなんですよ、というあたりでおさまりました。
その翌日の今日、久しぶりに新装成った議員会館の裏を歩いていると、ここでも警備員さんは民間業者のガードマン。公権力を行使しなければならない可能性のあるこういうところを民間に任せてよいのか、といつも思います。これは決して官尊民卑の発想ではなく。
で、そのガードマンさん、まるで警察官そっくりの格好をしていますが、帽子を被ったままで、深々とお辞儀をしてくれたのです。
いつも書きますが、あの格好は、常に前を警戒すべき格好なのであって、鉄道の車掌もそうですが、挙手の礼、つまり敬礼をすべきで、頭を下げるべきではないのです。もちろん、雨が降っても傘をさすべきではありません。
なのに、車掌もああいう人も、頭を下げる「スキあり」の始末。
要は、けじめがついていない、公私の別なし、平和ボケ・・・ということなのです。
まあまあそんなに目くじら立てなくても・・なんて声も聞こえてきそうですが、とんでもない、このことにこそ日本の今の本質的問題があると思っています。このあたり、フランスみたいなところはもっとカチッとしている印象です。パリのカルナバレで、トイレを借りようとしたときのこと、やさしいおじさんとやさしくないおじさんとがいて、後者から気持ちが良いくらいに怒られたことがありました。
マゾヒズムではなくあれは好きです。
今回の地震は、そこをしっかり認識する機会であるべきで、でなければ亡くなった人が浮かばれないと思うのですが、やさしさ、つまり上の話で言う、パンダやお辞儀の面だけが強調され、規律の面がおろそかなのは、いただけません。
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Monday, April 18, 2011, 12:27 AM
昨日は台湾関係の会合に参加し、かの地からも参加と聞いていたのですが、台湾当局は関東地方への渡航自粛を呼びかけているとのことで友人に会えませんでした。誠に残念。代わりといっては何ですが、胸を打つ話が。
ある日本人の男性、昭和15年頃のお生まれだそうですが、明治45年生まれの父上が、第2次大戦で召集され、フィリピンに出征されたそうです。そして、負け戦が終わって名古屋に復員。自分は5歳。それまでお父さんから育てられたことがなかったので、「お父さんだよ」と言われても、一向親しみはわかず、一生違和感のうちに終わってしまったとか。
戦争時におけるこれも悲劇の一つでしょう。
今日は朝からあちこち飛び回っていましたが、ふとしたことから教えていただいたのが荻生徂徠のお墓。港区の、あれこんなところに、と、びっくりしました。
荻生徂徠といえばもちろん巨大な人物で、その明律国字解は私も持っています。この法律書は明の法律を解説した膨大な本ですが、実は明治初年に一番読まれたとの報告もあります。政談は徳川政権の将来を予知した本。
武士道の形成にも大きな影響を与えました。一方、彼自身、時代の影響を大きく受け、中国語には正に堪能であったようですが、本居宣長らの国学の形成にも大きな影響を与えています。
そんなことを色々勉強してみなければ、武士道も何も語ることなどできない、というわけ。とにかくそんなわけで、お墓に参って、へーっという感じでした。
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Tuesday, April 12, 2011, 05:34 PM
まことにこの地震には困ったものです。また、被災された人はお気の毒です。私も募金に応じましたが、難民として日本にいるミャンマー人の知り合いが5万5000円ものお金を赤十字に寄付されたのにはびっくりしました。海外からは、今も大丈夫かという電話やメールが来ます。カナダのBC州は3月末までは日本への電話代をただにしてくれたそうですが、外にもそういうところがあるのでしょう。
こんな時こそ、国家とは何か、それは国民の権利を守るもの、という基本が大事じゃないかと思うのですが、はっきりしていないな、と思います。
ひところ、例の原発に水をかける人を特攻隊扱いにしたりは全くけじめがついていません。日本には労働基準法や労働安全衛生法があり、安全配慮義務も決まっていて、死を賭して行うなどという一銭5厘的な発想からはおさらばしたはずです。
もちろん、御苦労様という気持ちは人一倍ですが。
いつも書くとおり、陸軍士官学校をでて、三菱重工爆破事件の裁判長をされた方が、裁判官に必要なのは勇気ではなく責任感、といわれた、あの心を大事にするような国民でなければ荒波は越えられません。
「美談」に酔うのは、史記に毒されたか、アメリカの人工国家性に毒されたか、北朝鮮のお話しに毒されたか、いずれにしても健全な国家を作る発想からはずれています。
そういう発想の弱さは、官尊民卑でもあり、一方、公私のけじめをつけられません。
その昔、佐賀の脊振に広滝水力発電所ができ、これは松永安左衛門さんらが関わった日本でも最も古い発電所です。今もあります。
ただ、そのころの民間が扱った電力と今の電力は違います。
戦後、日本発送電、その後の電源開発、今のJパワーができたころは、トップは高崎達之助さん。周恩来から、こんな大きな人間はいないといわれた人です。正に波乱万丈の人生です。
今のトップはとてもとてもでしょう。
今の経営主体でよいのか、やはり考えなければいけないのではないかと思います。
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Friday, April 8, 2011, 12:09 AM
今日は変な日でした。いくつかのアクシデントがありましたが、そのいずれもが、法律用語でいえば失権効と呼ばれるものにかかわる話です。
要は、ある期日までに主張しなければ権利がなくなるってな話。
まずお昼過ぎに、「何日までに出すと言った言わない」の話。あとから考えると相当複雑な話ですが要はそういうこと。
そのあとは、「あれ、期日におくれっちゃったっけ」と思っていたらセーフだった話し。
もう一つ、明日が期日のところへハプニング勃発。
仕事の上でこういう期限にやたら気を付けなければならなくなって久しいです。
これ、率直に言ってドイツの悪影響。
今から30年も前、ドイツのシュツットガルトにえらく熱心な裁判官がいますとさ、っとばかり、こういう失権効的な話しがはやってきて、地下水脈か地球のマントルのムーブメントみたいに色々な制度をいじくり、ついには今日のようなハプニングを起こさせたというわけ。
尊王攘夷なんていうわけではないけれど、どうしてこうも外国のコピーが好きなのか、三ケ月先生など単なる外国の受け売りはだめと再三いわれていたのに、右往左往している自分の周りががいやになってしまいます。
ちょっと専門的だったかも。
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Tuesday, March 29, 2011, 10:29 PM
私が小学生の時、台湾から手紙が来たことは以前も記しました。以後、そのホーさんと長い間文通が続きました。そして、1987年、戒厳令が解除されたあと、我々は台北の駅で初めて会いました。
そのあと、彼が連れて行ってくれたのが、台湾東部の原住民の部落です。そこのタイヤル族の人達は、実にきれいな日本語を話します。
ジャングル戦が得意だった彼らは、戦争中、フィリピン、バターン半島の戦闘に参加。多くの人が死亡しました。
そんな彼らが、その折り、正に「鬼畜米英」というのです。
私は、その場で土下座したくなったことを忘れることができません。
いわゆる「親日」は、そこでは半端じゃないのです。
一方、その近くに、外省人の部落がありました。そこには、ある日本人が国民党の軍隊の一員として進駐。そのまま台湾人になっていました。
その人は、元は日本の軍人。軍隊内で、ここで書くのもはばかられる事件があって、脱走。国府軍に身を投じ、中国の軍人として台湾に進駐し、余生を送っていたのです。
それを、同行したTさんが根掘り葉掘り調べ始めると、辺りには不穏な空気がただよい始めました。
やっとのことでそこを脱出。その数奇な運命の人も既に亡くなったそうです。
私は、こうした人々全ての幸福に反することをしたくはないと切に思います。政治とはかくあるべしと。
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Monday, March 28, 2011, 09:28 PM
それにしても地震のすぐあと、色々なところからお見舞いの連絡をいただきましたが、いの一番は台湾からの電話でした。そしてメールも。今日も来ました。同様に中国からも電話やメールをいただきました。
台湾での募金は莫大だそうで、いただいた電話でも、「こちらには、食べるものはたくさんあるから、早くいらっしゃい」とか。
広く言えば中華世界の義理堅さ・・・。
ただ私は、こうしたことを単純には喜べません。そんなにまで日本を・・・と思ってしまうのです。
特に台湾という重層社会における複雑な過去、複雑な人間関係、更に、電話をくれた中国人の家系における古くからの日本との関係(大正時代の軍閥と日本との関係)を思うと、こんなに多様な人類が、みんな幸せになれるとよいな、と思ってしまいます。
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