★4月24日 
Sunday, April 24, 2011, 11:27 PM
 下のほうに書いたミャンマー人の知り合いは、この週末、友人と一緒に東北に行くとのことでした。
 ミャンマーのカレーを被災した人々にふるまうのだそうです。いやー、どこまでやさしいのかなー、と、全く持って頭が下がります。「絶対に蚊だって殺さない。蚊だって生きる権利?がある」と言いますし。
 
 確かにミャンマーにはそういう人は多いです。いや、アジアの仏教の基本的性格は同一の方向でしょう。日本が特殊なのです。特に明治5年以降。

 一方、私の方は、あるところで「一言」ということになったので、何をしゃべろうか、と考えて、やっぱり地震のことをしゃべりました。
 それは、「日本はすごい」とか何とかテレビで言ってるけど、日本が本当にすごいかどうかは外国と比べてみなけりゃわからない。だからこういう時こそ目を大きく世界に開いて、自らの寄って立つ位置を確認し、しっかりした制度を作っていくことが大切。そうでなきゃ死んだ人も浮かばれません、ってな話でした。

 本当にそう思うのです。これも下のほうに書いたとおり、すごいすごいはお話歴史の発想。ドイツ系の人が住むフランスのアルザスが、ルイ14世に臣従したのは、その制度をドイツより優れたものとしたがゆえ。なんていう話もありますし。台湾についても同じ。もちろんそれが世界共通の大人の発想だと思います。
  |  このエントリーのURL
★4月22日 
Friday, April 22, 2011, 11:26 PM
 アメリカ人のMさんと、パンダ談義になりました。彼いわく、「どうして日本人はあんなにフィーバーするのか」と。私も、某知事と趣味は異なりますが、特に多額のお金が出て行くことはどうかな、と思います。私の意見は、アニメ、コスプレと同様な傾向ではないかと。若い人たちにアニメが大人気の台湾では、さほどのパンダ人気ではないとの話もありますが。
 そして、結局は日本は平和ボケなんですよ、というあたりでおさまりました。

 その翌日の今日、久しぶりに新装成った議員会館の裏を歩いていると、ここでも警備員さんは民間業者のガードマン。公権力を行使しなければならない可能性のあるこういうところを民間に任せてよいのか、といつも思います。これは決して官尊民卑の発想ではなく。
 で、そのガードマンさん、まるで警察官そっくりの格好をしていますが、帽子を被ったままで、深々とお辞儀をしてくれたのです。
 いつも書きますが、あの格好は、常に前を警戒すべき格好なのであって、鉄道の車掌もそうですが、挙手の礼、つまり敬礼をすべきで、頭を下げるべきではないのです。もちろん、雨が降っても傘をさすべきではありません。
 
 なのに、車掌もああいう人も、頭を下げる「スキあり」の始末。
 
 要は、けじめがついていない、公私の別なし、平和ボケ・・・ということなのです。

 まあまあそんなに目くじら立てなくても・・なんて声も聞こえてきそうですが、とんでもない、このことにこそ日本の今の本質的問題があると思っています。このあたり、フランスみたいなところはもっとカチッとしている印象です。パリのカルナバレで、トイレを借りようとしたときのこと、やさしいおじさんとやさしくないおじさんとがいて、後者から気持ちが良いくらいに怒られたことがありました。
 マゾヒズムではなくあれは好きです。

 今回の地震は、そこをしっかり認識する機会であるべきで、でなければ亡くなった人が浮かばれないと思うのですが、やさしさ、つまり上の話で言う、パンダやお辞儀の面だけが強調され、規律の面がおろそかなのは、いただけません。 

  |  このエントリーのURL
★4月17日 
Monday, April 18, 2011, 12:27 AM
 昨日は台湾関係の会合に参加し、かの地からも参加と聞いていたのですが、台湾当局は関東地方への渡航自粛を呼びかけているとのことで友人に会えませんでした。誠に残念。
 代わりといっては何ですが、胸を打つ話が。

 ある日本人の男性、昭和15年頃のお生まれだそうですが、明治45年生まれの父上が、第2次大戦で召集され、フィリピンに出征されたそうです。そして、負け戦が終わって名古屋に復員。自分は5歳。それまでお父さんから育てられたことがなかったので、「お父さんだよ」と言われても、一向親しみはわかず、一生違和感のうちに終わってしまったとか。
 戦争時におけるこれも悲劇の一つでしょう。

 今日は朝からあちこち飛び回っていましたが、ふとしたことから教えていただいたのが荻生徂徠のお墓。港区の、あれこんなところに、と、びっくりしました。

 荻生徂徠といえばもちろん巨大な人物で、その明律国字解は私も持っています。この法律書は明の法律を解説した膨大な本ですが、実は明治初年に一番読まれたとの報告もあります。政談は徳川政権の将来を予知した本。
 武士道の形成にも大きな影響を与えました。一方、彼自身、時代の影響を大きく受け、中国語には正に堪能であったようですが、本居宣長らの国学の形成にも大きな影響を与えています。

 そんなことを色々勉強してみなければ、武士道も何も語ることなどできない、というわけ。とにかくそんなわけで、お墓に参って、へーっという感じでした。
 
  |  このエントリーのURL
★4月12日 
Tuesday, April 12, 2011, 05:34 PM
 まことにこの地震には困ったものです。また、被災された人はお気の毒です。私も募金に応じましたが、難民として日本にいるミャンマー人の知り合いが5万5000円ものお金を赤十字に寄付されたのにはびっくりしました。
 海外からは、今も大丈夫かという電話やメールが来ます。カナダのBC州は3月末までは日本への電話代をただにしてくれたそうですが、外にもそういうところがあるのでしょう。
 こんな時こそ、国家とは何か、それは国民の権利を守るもの、という基本が大事じゃないかと思うのですが、はっきりしていないな、と思います。
 ひところ、例の原発に水をかける人を特攻隊扱いにしたりは全くけじめがついていません。日本には労働基準法や労働安全衛生法があり、安全配慮義務も決まっていて、死を賭して行うなどという一銭5厘的な発想からはおさらばしたはずです。
 もちろん、御苦労様という気持ちは人一倍ですが。
 いつも書くとおり、陸軍士官学校をでて、三菱重工爆破事件の裁判長をされた方が、裁判官に必要なのは勇気ではなく責任感、といわれた、あの心を大事にするような国民でなければ荒波は越えられません。
 「美談」に酔うのは、史記に毒されたか、アメリカの人工国家性に毒されたか、北朝鮮のお話しに毒されたか、いずれにしても健全な国家を作る発想からはずれています。
 そういう発想の弱さは、官尊民卑でもあり、一方、公私のけじめをつけられません。
その昔、佐賀の脊振に広滝水力発電所ができ、これは松永安左衛門さんらが関わった日本でも最も古い発電所です。今もあります。
 ただ、そのころの民間が扱った電力と今の電力は違います。
 戦後、日本発送電、その後の電源開発、今のJパワーができたころは、トップは高崎達之助さん。周恩来から、こんな大きな人間はいないといわれた人です。正に波乱万丈の人生です。
 今のトップはとてもとてもでしょう。
 今の経営主体でよいのか、やはり考えなければいけないのではないかと思います。
  |  このエントリーのURL
★4月7日 
Friday, April 8, 2011, 12:09 AM
 今日は変な日でした。
 いくつかのアクシデントがありましたが、そのいずれもが、法律用語でいえば失権効と呼ばれるものにかかわる話です。
 要は、ある期日までに主張しなければ権利がなくなるってな話。
 まずお昼過ぎに、「何日までに出すと言った言わない」の話。あとから考えると相当複雑な話ですが要はそういうこと。
 そのあとは、「あれ、期日におくれっちゃったっけ」と思っていたらセーフだった話し。
 もう一つ、明日が期日のところへハプニング勃発。
 仕事の上でこういう期限にやたら気を付けなければならなくなって久しいです。

 これ、率直に言ってドイツの悪影響。
 今から30年も前、ドイツのシュツットガルトにえらく熱心な裁判官がいますとさ、っとばかり、こういう失権効的な話しがはやってきて、地下水脈か地球のマントルのムーブメントみたいに色々な制度をいじくり、ついには今日のようなハプニングを起こさせたというわけ。

 尊王攘夷なんていうわけではないけれど、どうしてこうも外国のコピーが好きなのか、三ケ月先生など単なる外国の受け売りはだめと再三いわれていたのに、右往左往している自分の周りががいやになってしまいます。

 ちょっと専門的だったかも。


  |  このエントリーのURL
★3月29日 
Tuesday, March 29, 2011, 10:29 PM
 私が小学生の時、台湾から手紙が来たことは以前も記しました。以後、そのホーさんと長い間文通が続きました。
 そして、1987年、戒厳令が解除されたあと、我々は台北の駅で初めて会いました。

 そのあと、彼が連れて行ってくれたのが、台湾東部の原住民の部落です。そこのタイヤル族の人達は、実にきれいな日本語を話します。
 ジャングル戦が得意だった彼らは、戦争中、フィリピン、バターン半島の戦闘に参加。多くの人が死亡しました。
 そんな彼らが、その折り、正に「鬼畜米英」というのです。
 私は、その場で土下座したくなったことを忘れることができません。
 いわゆる「親日」は、そこでは半端じゃないのです。

 一方、その近くに、外省人の部落がありました。そこには、ある日本人が国民党の軍隊の一員として進駐。そのまま台湾人になっていました。
 その人は、元は日本の軍人。軍隊内で、ここで書くのもはばかられる事件があって、脱走。国府軍に身を投じ、中国の軍人として台湾に進駐し、余生を送っていたのです。
 それを、同行したTさんが根掘り葉掘り調べ始めると、辺りには不穏な空気がただよい始めました。
 やっとのことでそこを脱出。その数奇な運命の人も既に亡くなったそうです。
 私は、こうした人々全ての幸福に反することをしたくはないと切に思います。政治とはかくあるべしと。



  |  このエントリーのURL
★3月28日 
Monday, March 28, 2011, 09:28 PM
 それにしても地震のすぐあと、色々なところからお見舞いの連絡をいただきましたが、いの一番は台湾からの電話でした。そしてメールも。今日も来ました。
 同様に中国からも電話やメールをいただきました。
 台湾での募金は莫大だそうで、いただいた電話でも、「こちらには、食べるものはたくさんあるから、早くいらっしゃい」とか。
 広く言えば中華世界の義理堅さ・・・。

 ただ私は、こうしたことを単純には喜べません。そんなにまで日本を・・・と思ってしまうのです。

 特に台湾という重層社会における複雑な過去、複雑な人間関係、更に、電話をくれた中国人の家系における古くからの日本との関係(大正時代の軍閥と日本との関係)を思うと、こんなに多様な人類が、みんな幸せになれるとよいな、と思ってしまいます。


  |  このエントリーのURL
★3月27日 
Sunday, March 27, 2011, 09:42 PM
 このところ1カ月くらいブログの更新がないので、会う人から時々どうしたんです か?と聞かれます。
 特にどうとかはないのですが、世の変わり方にウーンとうなっているというか・・・。
 一昨日も昔の仲間や先輩の元高裁長官とお酒を飲んで、最近の法律改正(悪?、特に会社法関係や倒産関係)はおかしいよ、という話で意見一致。しかし、おかしくはない、というのが世の中の一応のトレンドなもので、何とも書けなくなってしまった次第。

 上記お酒飲みの前には、検察審査会の強制起訴の話が、ある会での話題に。
 これもどうみても変。別に小沢氏を支持しているわけではないけれど。
 要は、この改正(?)も、「民意の反映はよい」、というごく単純な、逆に身分差別的発想から生まれたもの。
 ここ数年、そういう考え方が郵政民営化から始まって、まるで英米との開戦時のように、ムードで広まってしまった・・・。
 そこへ降ってきたのが未曾有の地震・津波。

 あの日は、事務所から家まで22、3キロを4時間半かけて歩きました。昔、1里1時間と言っていましたから、体調の方は問題ないようです。

 被災された方々には心からお悔やみ申し上げますが、これを機に我が国もしっかりして欲しい・・・と思っていたところ、初めの方こそよかったのですが、段々と私の嫌いな英雄作りになる傾向が。あるいは日本はすごいとか。

 改めてこれは何か。この博物館にも書いた史記ばりのお話歴史病か。
 いや、ひょっとすると、アメリカのまねとしての人工国家性か、とも思います。

 初めてワシントンDC郊外のアーリントン墓地を訪ねた際、爆発したスペースシャトルの乗組員が正に神様扱いされて統合の象徴になっている姿に、強い違和感を覚えたものでしたが、そんな傾向にも似ているのかな、と思います。

 国民を統合するにはお話や、名君待望やではなく、システムが大事、ということを、ボーダーに生きる人々である台湾や、マリアナや、最近ではアルザスやらの人々を見て思うのですが、何とかそういうふうにならないのかな、いや、そうなるには日本は大国過ぎるのか、でも、これからはどうかわからないけど・・・なんて思っています。

 それにしても、今回の地震のあとのメディアには、これまた見る気が起きません。
 特に新聞はひどい。一般紙もとうの昔にタブロイド紙なみに成り下がり?センセーショナルだけが売り物。号外を出してみたり、まるで狼少年。
 売れない新聞は益々信用をなくし、自らの首を締めているだけでしょう。

 淡々と事実を伝えるテレビが意外によかったですが、これも、ゆとり?が出てくるにつれ、要は英雄レポートに。
 結局、株の報道が一番まともに将来を予見していそうだと思っています。



  |  このエントリーのURL
★2月27日 
Monday, February 28, 2011, 12:08 AM
 アメリカ人のAさんは、お正月に函館に行って来たとか。五稜郭が面白かったというので、長野県にも同じ西洋式の城がありますし、東京のお台場も同じ発想ですよ、と教えてあげたら、是非見てみたいとのこと。

 お台場は周りを土手で囲った五稜郭と同様の西洋式の保塁でしょう。ただ、海の中にあるのが奇異かもしれませんね。
 私はお台場研究をやったわけではありませんから、ただの思いつきですが、昔はあれが品川の方まで延びていたようで、明らかに先手必勝とばかりに打ち寄せる外的を手前でたたこうとの戦術。
 とまあ、言ってしまえば格好はいいですが、そもそもそれができる20年くらい昔、中国ではアヘン戦争がありました。そして、揚子江に浮かんだイギリスの軍艦が南京を射程に捉えたとき、清国は自国の砲との射程差に、白旗を上げざるを得なかったようです。
 となれば、下の方に書いたとおり、お粗末な砲しか持っていなかった幕府は、射程を稼ぐために台場を前に造ったということではないでしょうか。

 同じことは、昔、軍艦島と言われたサイパンのマニャガハ島にも言えます。
 「以前の掲示板」にその写真が貼ってあるとおり、その島の大砲は明治時代の代物。火力の弱さを自分が進出しておくことで稼ぎ、一発撃ったまではよいけれど、場所がわかればマニャガハは、木っ端微塵にやっつけられてしまう。
 そうなると、江戸時代も昭和も、発想は同じ特攻精神となる。
 うーん、これではいけない。何とかこの精神構造を転換させないと、日本は勝てない。そんなことを電車の中でつらつら思いました。
 
  |  このエントリーのURL
★2月12日 
Saturday, February 12, 2011, 09:58 PM
 連休なので、少しゆっくりテレビをみました。
 一つはベトナム戦争を扱ったディスカバリーチャンネルでした(この番組のあとは、大いに仲良し?だった零戦のエース坂井三郎さんたちの番組)。
 ああそうだったなー、と思うことがたくさんありました。
 私はあのとき、多くの世論に抗して断固南ベトナム支持でした。ゴ・ジンジエムは許せませんが、北ベトナムには自由がないからです。そのこともはっきり番組に出ていました。

 ところが最近は、あの時代に北やベトコンを支持していた連中が自民にしろ民主にしろ政権党なり政権をとったら、リベラルかと思いきや、自由がなくなっていること著しいと思います。このことは民主だけではありません。自民党の元ゲバ学生も同じです。

 まるでこれでは、最近の日本は北ベトナム化です。元が左翼の連中ですから当たり前??。
 
 というのも、もうひとつみたエジプトの映像。ムバラクさんも遂に退陣となったわけですが、あれを起こすのに、群衆はエジプトの国旗を盛んに打ち振っていました。
 今の日本であんなことが起きるでしょうか。旗にも国歌にもそんな力はありません。

 
 日本の国力の低下が言われていますが、みんながまとまれる、本当の意味の統合の象徴、中世でいえば一味同心のシンボルを欠いていることも大きいのではないか、と思われてきます。
 皇族の最長老A殿下は、かつて、君が代は天皇歌とし、もっとみんなが歌える歌をと提唱されましたが、味あうべきお言葉ではないかと思います。

 ベトナムのその後はボートピープルなどを出したあと、今は経済発展が一応の印象でしょうが、本当にこれからも伸びていけるのか。かつて、友人のベトナム人の案内で、ホーチミンにある旧大統領官邸を訪ねた折り、同行のBさんが、ちょっと政権批判を言ったとたん、ガイド役のお姉さんから厳しく咎められました。
 シンガポールが明るい北朝鮮と呼ばれているように、自由がないのはアジアの御家芸?なのか。
 それとも、真の自由によって国家を組み立て、経済的にも発展していくという能力があるのか、エジプトにしてもアジアにしても、世界からそのあたりを試されている時代なのかもしれません。


  |  このエントリーのURL

戻る 進む