Friday, January 14, 2011, 11:16 PM
以前から、洋の東西は正につながっているという思いしきりです(当たり前)。そのことを思ったのがドイツのザールブルグにあるローマ時代のとりででした。北からのライン川、東からのドナウ川、それらの間に川の空白地帯があります(今は、運河で黒海と北海、地中海はつながっているはずですが)。それが黒森です。
かのゲルマン民族大移動のころ、川という障壁のないここを突破されると、ローマ人の押さえるガリアは危なくなりました。それで、ローマ人は二つの川の間に長城をおいたわけです。そして、たくさんのとりでを造りました。その一つがフランクフルトの北20キロメートルばかりのところにあって、世界遺産になっています。深い雪の中をたずねてみました。
たまたまバスの中で知り合ったドイツ人の老夫婦と一緒に、復元された建物内の資料館を巡ってみて、まず驚いたのは起源0年ころの石臼。私が子供のころ、佐賀の田舎にあったのと全く同じ。ドイツの元先生という紳士もこれはぐるぐる回してパウダーを作るんですよと。
そして外へ出てみると、その堀の形にまたびっくり。九州の吉野ケ里遺跡と正に同じです。
エルベ川以東はアジアだ、とは何冊かの本で読みましたが、誠にもってその通りだな、と深く感じた次第で、そのことは、戦争をはじめとする人間の行動パターンの相当な要素になっているように思いました。
そういえば、何かとドイツが好きな日本人。
我々の世界でも、裁判員なる言葉を発明?されたというA教授は、アメリカと、(やっぱり)ドイツをミックスしたような本を書かれています。その制度自体そうです。
正にこうした発想は「血」か!!とつくずく思うところでもありましたが、そこから列車で南に下ったフランスのアルザス地方、コルマールでは、ドイツ語で書いた「自由、平等、博愛」、そして人権宣言。
人間にとって大切なものは、血ではない。政治制度であると考えた人達の跡を見て、再び熱いものを感じました。
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Sunday, January 9, 2011, 11:09 PM
謹賀新年この間色々なアクシデントもありましたが、年末からの休みはヨーロッパの6つの都市を回りました。行政法の発祥の地とその伝播先へということです。
電車に並ぶということは全くなく、中国とちっとも変わらんなー(つまり、ユーラシア大陸はやっぱりつながっている。この経験は枚挙にいとまなし)、とか、街中で、前から歩いてきた男性がサッと手袋の中から紙片を出し、私の後から歩いてきた人物にすれ違いざまにそれを渡すとか(恐ろしい)、随分変な経験もしました。
その中でオーソドックスだった見聞談。
パリのアンバリッド。ルイ14世が造った廃兵院と呼ばれるもので、ナポレオンの墓があることでも有名です。
2度目の訪問ですが、その前庭に、フランスが諸外国から分捕ってきた大砲が並んでいて、中には下関の長州藩からのそれもあるというので見に行きました
。
早速発見。
というよりも、その手前にあったのが中国・清の道光帝時代のもの。その次が、
それより若干大きな長州のもの。毛利家の紋が入っていました。そして、その次が、一回り大きな上にアラビアかトルコの文字が彫られたもの。
あれはどうみてもオスマントルコのそれです(ちなみにトルコのブルーモスクの柱の大きさは、同時代のバチカン・サンピエトロ寺院よりも太い)。
うーん、と、うならざるを得ませんでした。
瀕死の病人と言われたオスマントルコよりもはるかに小さな大砲で、江戸末期から明治始めはアジアでは通用し、それをもとに日本にしろ清にしろ、この東アジアを分割しようとしたのかと。
その発想自体が西欧のまねであるばかりか、それに用いた道具のお粗末さ。
アジア人はもっと違った発想で人類に貢献できないのかね、と、つくづく思いますし、これからだって絶対何とかなると思います。
勉強と自己反省を怠らなければ。
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Wednesday, December 29, 2010, 12:00 AM
何年か前のお正月は、語学の勉強のために赤道近くの島国にホームステイしました。私よりも年上は2人だけ。私よりも若いパパ、ママの家にお世話になりました。小さな島ですが、複雑な過去を持ち、非常に勉強になりました。
私が初めて外国に出たのはグアムですが、あの時、友人がパンツのお尻を破ってしまい、デパートへ買い物に行ったときのタクシーの運転手さんの話に、強烈なショックを受けました。
彼は、うちのジャッジは大酒のみなんだ、と言ったのです。
私がショックを受けたのは、そういう情報を島民がちゃんと知っているということ。これは、その後何度も訪れることになるサイパンなども同じです。そこでは国民審査がしっかり機能していて、罷免された裁判官もいます。
最近、若者の外国離れが進んでいるとか。これは、わが国においては絶対にあってはならないことと思います。いくら近い外国でも、必ず得るものがあります。
そして、お酒のみでしょうがない、という言葉を、ああそうですか、で済ませてしまわない感度も大事でしょう。要はちゃんと仕事をすればいいんだよ、という考えが裏にあるのです。
外国を見ることは絶対に大事。まずはその意識を持つ若者、だけでなく成年も是非作らなければなりません。
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Saturday, December 25, 2010, 01:12 PM
日本人はどうしてこうも名君待望論や、その延長あるいは裏腹の、お話しを歴史と考える習性から抜けられないのかね(ちなみに為政者をけなすのも名君待望論の裏返し)、と、このごろの忙しい中で考えているうちに、ようやく読んだ「選択」の12月号。その編集後記に「龍馬ブームにようやく幕が下りると思ったらまた『坂の上の雲』が茶の間を賑わすという。政治も経済もお先真っ暗なご時世だ。『かつて日本人は偉大であった』そういう物語にでも光を求めないとやりきれない人が多いのだろう」と。正に同じことを考える人がいるものだなと思いました。その後ろの文章も、以下のとおりなかなかよいのですが、以上を読んで思い出したのが夏目漱石の講演「現代日本の開化」の中にあった、「外国人に対しておれの国には富士山があるというような馬鹿は今日余りいわないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすれば出来るものだと思います」という言葉。
名君や、金メダルや、日清、日露の戦勝に浮かれていた時勢に、漱石先生はやっぱりすごかったよな、と思われてきます。
およそお話にはウソがつきもの。例えば日本史の教科書にも載っている日本海海戦の東郷元帥らの場面、各参謀らが艦橋に勢揃いした場面ですが、現実の測距儀の大きさからしてもああいう場面はありえないし、人間がこぼれてしまう。しかし、こうしたお話で皆の気持ちを高揚させてきたわけでしょう。
そんなお話大好き国民、名君待望論国民にどうしてなったか、それこそが大事で、選択さんも、「選択を読んでいると暗くなる」という「ご意見」に対し、「カラ元気やユーフォリア(イタリア語で幸福感)ではなく、小誌ならではの『明るさ』もあるはずだ。聖域の中に巣くう闇を、地道に解明していく調査活動、事の本質を明確にし、・・・『これはけしからん』とふつふつと沸き上がる怒りの炎も、世を照らす一助となろう」と言われます。
正に、本質の解明が大事。それにより明日を切り開いていきたいものです。
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Sunday, December 12, 2010, 02:00 PM
ノーベル平和賞の受賞を見ていて、ボーダーラインに生きる民族のことを考えています。私の知る満族は、一部の例外を除いて厳しい人生を送っています。朝鮮族もまた、民族自体が厳しい歴史を背負っています。以前も書きましたが、戦前、吉林省の朝鮮族自治州へ出て行ったのは日本にプッシュアウトされたせい。なのに、戦後は「日本人」だからと迫害を受け、そこで、1960年代、「地上の楽園」に逃げ出そうとしたところ、周恩来さんに止められ、危ういところで助かった。しかし、今も厳しい、とは知り合いの何人もの朝鮮族が語ってくれたことです。
そこへいくと、日本はそれなりに大きいので、ボーッとしていられる。やはり平和ボケです。
ところでヨーロッパはどうかというと、重要なモデルがアルザス・ロレーヌでしょうか。
フランスのルイ14世がこの地方をフランスに組み入れた時、ドイツ民族であるはずのアルザス住民は、自分たちはフランスの政治制度に共感を抱くので、ルイ14世に忠誠を尽くす、と言ったとか。
また、私の知り合いの台湾人の仲間が詠んだ歌に、「血の祖国 法の祖国のむなしさよ 我があこがるるは心の祖国」というのがあります。血の、つまり中国の、でもなく、法の、つまり日本のでもない、自分たちの台湾というわけです。
戦前の行政法学者の本をみると、国民と天皇との関係は「血による」忠誠で関係づけられており、であるからこそ、公務員には日本人しかなれない、という議論がなされています。
これは、ルイ14世時代のアルザス地方の住人の意識とは逆であり、欧州議会をストラスブールに持ってきた今のヨーロッパの意識とは全く違います。
いったい何が妥当であるのか、それを決めるのはやはりあまり好きな言葉ではありませんが、哲学とか価値観とか世界観というものなのでしょう。少なくとも狭い視野はよくないと思います。
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Saturday, December 11, 2010, 10:12 PM
12月8日という、昔だったらそれなりに色々なことを考える日も何となく過ぎて行きました。そして昨日は、旧知の中東関係の古代史学者の先生からちょっとした相談を受けて、そのあと、現今の政治情勢などの話しになりました。
その中でも述べたのですが、最近の日本には獅子吼する政治家がいないということが私の慨嘆するところです。蒋介石の昔の写真などを眺めていると、この獅子吼がしっかりあります。いや、よい悪いは別として、当時の政治家には多かったし、現代の外国の政治家にはいます。しかし、日本の今はだめ。せいぜいあったとしてもただ大きな声を上げるだけ。
本文にも書いたとおり、中江兆民は、「一年有半」の中で、「日本に哲学なし。ただ仏教僧中創意を発して開山作仏の功を遂げたるものなきにあらざるもこれ遂に宗教家範囲のことにて純然たる哲学にあらず。速やかに教育の根本を改革して死学者よりも活人民を打出するに務むるを要する」と述べました。
だとすれば、日本の政治家も、政権党になったなら(いや、もちろんなる前から)、せめて開山作佛の功を遂げた先人がいた日本の中世でも勉強して、今と全く違った社会のモデルを日本の中に求めてみたら、といいたいのですが、さっぱり勉強が足りません。
一方、勉強というと欧米一辺倒、あるいは遺跡などは日本という狭い見方だけ、これが正に主流です。
その先生も言われましたが、中東の紀元前の政治の変化が日本の遺跡にまで影響を及ぼしているとの話。そういう大きな目で見ましょうよ、といいたくなります。
戦前出されたある本。古本屋で200円で買ってきたのですが、内容は中央アジアから西欧まで。副題が「シナを超えて」もちろん「中国を越えて」の意味。やっぱり戦前の日本人の方がでっかいや、と思ったものです。
とにかく勉強しなきゃ話になりません。
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Sunday, December 5, 2010, 10:00 PM
ノーベル賞が注目されています。 今から20年以上前、中国のあるところで、今回のノーベル賞受賞者そっくりの名前のある人に会いました。その後も何度か会い、今もその関係者とは行き来がありますが、その人とは今は縁がありません。
複雑な人生を歩む満州族です。
大陸には、日本の昔と同じ通字というものがあり、韓国も同様です。
だから、ノーベル賞受賞者とその人とは、親戚である可能性が大きいのかなと思っています。
その職場では、「日本人が来たよー」と同僚が呼びかけると喜んで出てきてくれました。
あのころ、日本に行くというと、ハーバードに留学するくらいの羨望の的だったようです。
そんな関係が再びやってくるくらいの立派な日本にならなきゃいけないのですが。
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Tuesday, November 23, 2010, 09:36 PM
台湾では、数カ所の大都市で市長選挙が行われており、町中のバスの横っ腹には、各候補者の大きな写真が踊っています。ミャンマーと同様以上ともいえる40年間にわたる戒厳令が解かれて今だ20年くらいにしかならないのに、その意識の高さには恐れ入ります。20年どころか、10年前の総統選挙を視察した折りにも、その激しくも規律ある(罰金を払ってでも演説を続ける)姿勢に感動したものでした。
ですから、その姿勢は、立法や行政に止まりません。司法界においても、極めてアクティブな試みがなされています。
例えば多くの違憲判決が出され、それが漢語だけでなく日本語、英語に訳されて裁判所から頒布されています。
最近の憲法教科書を入手しましたが、具体的な政治家の名が出てきたり、中国の皇帝政治から説き起こしたり、日本の教科書のように、フランスだアメリカだ、だけではありません(それももちろん大事ですが)。
こうした地に足のついた議論をしなければ、日本人の法的観念は、かの国に劣っていくことを否めない気がします。
上個星期、我参加了一個在台湾的活動。
日本的明治四十三年、日本政府開始了東台湾的一個地方的開発。今年是一百周年。
我参加那個記念会。
然后、我去台北。我拝訪了一個律師事務所。他也是我的朋友。他和我討論日本和台湾司法制度。
前幾天、台湾的最高検察院検察長辞職了。因為他反対死刑制度。所為、他拒絶通過死刑。然后、在台湾死刑制度成為大的問題。
台湾的法律専家討論了死刑制度。比如説対死刑審判員上訴。
我覚得台湾的法律専家的覚悟比日本的要高。
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Monday, November 15, 2010, 10:23 PM
ミャンマーではアウンサンスウーチーさんの自宅軟禁が一応解かれました。何年か前、その自宅前を通ったときには、大きな遮断機様のものが家の両側に立ち、原地の人から決して家の方向を見てはならないと言われ、高速で真っすぐ前を向いて通り過ぎました。
近くにはアメリカの大使館があり、これを政府は嫌って、首都をピンマナー近くの現在地に移動させたといわれます(未確認情報)。
ピンマナーについては、その数年前の夜、車で立ち寄ったことがあります。食堂に原地の人がたくさんいて、食事をしていたことが思い出されます。
ミャンマーも正に複雑で、ビルマ族と少数民族との対立がある上に、最近のようなビルマ族内部の問題もあるということでしょう。
しかし、そういう国の人達には、苦労をしてどういう国にしたらよいかという、真実「考える」という「体質」が備わっています。しかも、筋を通せという矜持のようなものが。
最近の日本はどうでしょうか。尖閣問題は、先に私が書いたとおり、案の定、経路は違いますが日本人どおしの争いとなり、国家公務員法違反じゃない、などという「国」というものを無視したことをいう弁護士や学者までいる始末。
国家公務員法はごく単純な規定になっていますが、そもそも憲法で規定された国会の国政調査権に制限があったものを(それは、銀行の貸し出し先リストが問題になったように、公務員の守秘義務とのせめぎ合いの結果です。憲法の教科書にも載っていること)、行政組織内部で見ていたから秘密じゃないとはこりゃいかに。
組織内部限りという事項はたくさんあり、一々厳秘の判子がないからというので外に出してもおとがめなしでは国家は持ちませんし、会社だったらだめになります。
もうひとつ大事なことは、諸外国からもなめられるだけということでしょう。わが国はスパイ天国とも言われるのに。国内問題は、立派な国際問題なのです(ロシアにやられても分かっていない)。
そうでなくてもマスコミは、こういう時に平和ボケで、政府の揚げ足とりだらけじゃ、外国は笑い、国家は瓦解です。
くだんの海上保安官も甘んじて罪を受けると言っていたはずで、それでこそ符節も合うというもの。
その昔、裁判への所長の指示つまり、司法権の独立の侵害をばらした裁判官が懲戒」を受けた事案がありましたが(所長も懲戒を受けました)、所長がいけないからというので、それを」内部での是正手段に訴えず、マスコミ(今で言うユーチューブみたいなもの)に出すのは公務員の節度を越えています。
国民のためにあえてやったというのなら、きちんと罪を問うべし。本人もそれでこそ浮かばれる。
その昔、ドイツのヴィントシャイドという法律家や日本の滝川判事らは、公平は立法に向けられているのであって裁判官に向けられているのではないと言いました。
今回の話しもそれとパラレルで、結果はこれがいいから、などというので「法律家」たる海上保安官のやりたい放題を許したら、本当に国家は目茶苦茶です。
最近の司法でも、結果を裁判官の勝手な判段にゆだねる傾向が強いのですが、国家」を標榜する人士こそ上記の危機に気づくべきでしょう(なお、この司法界の問題には大正時代以来の世界的問題があります)。
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Wednesday, November 10, 2010, 11:42 PM
海上保安庁のビデオ流出についての日本人の対応は、正に我が国民の法的観念というより民度を計るバロメーターです。法哲学四季報に、ある元最高裁判事の「悩み」に関する一文が載っていてびっくりしたことがあります。それは、結論はよいけれど実は管轄違いという案件が上告審に上がってきた場合、本来は職権で破棄すべき事案なれど、そのまま維持すべきか悩む、というものです。
素人の方にはわかりにくい話しでしょうが、要は権限のない案件の一種のごまかしを維持すべきか、という話しで、こんなのは悩むまでもない。管轄ということの重要性、つまり職権を行使しうる範囲の事だと認識したならば、断固破棄。
いや、身を賭して違法を行うというなら懲戒以上のものを覚悟せよ、ということ。
今回もそこまでの覚悟があるなら、とんでもないけどあくまでもご家族的世界では立派かもしれないというだけのこと。
まるで英雄みたいな評価をするならば、国家が壊れます。
閑話休題、最近のお役所、民間企業に警備をやらせていますが、犯罪の嫌疑を受けている者の名前まで会社が見分している実態があります。
正に公私混同。いつもいうとおり、官尊民卑は絶対排除。しかし、公私の別だけはしっかり守るべし。
このことも、ビデオ流出につながる話しでしょう。それにしても、こういうことをあやふやにしている「学者」が多いのには慨嘆を禁じえません。日本という国家の法秩序、これをもう一度考え直すべきでしょう。
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