Wednesday, November 10, 2010, 11:42 PM
海上保安庁のビデオ流出についての日本人の対応は、正に我が国民の法的観念というより民度を計るバロメーターです。法哲学四季報に、ある元最高裁判事の「悩み」に関する一文が載っていてびっくりしたことがあります。それは、結論はよいけれど実は管轄違いという案件が上告審に上がってきた場合、本来は職権で破棄すべき事案なれど、そのまま維持すべきか悩む、というものです。
素人の方にはわかりにくい話しでしょうが、要は権限のない案件の一種のごまかしを維持すべきか、という話しで、こんなのは悩むまでもない。管轄ということの重要性、つまり職権を行使しうる範囲の事だと認識したならば、断固破棄。
いや、身を賭して違法を行うというなら懲戒以上のものを覚悟せよ、ということ。
今回もそこまでの覚悟があるなら、とんでもないけどあくまでもご家族的世界では立派かもしれないというだけのこと。
まるで英雄みたいな評価をするならば、国家が壊れます。
閑話休題、最近のお役所、民間企業に警備をやらせていますが、犯罪の嫌疑を受けている者の名前まで会社が見分している実態があります。
正に公私混同。いつもいうとおり、官尊民卑は絶対排除。しかし、公私の別だけはしっかり守るべし。
このことも、ビデオ流出につながる話しでしょう。それにしても、こういうことをあやふやにしている「学者」が多いのには慨嘆を禁じえません。日本という国家の法秩序、これをもう一度考え直すべきでしょう。
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Monday, November 8, 2010, 11:11 PM
西南シルクロードというものがあります。日本にかかわり深いところでいうと、インドのレドから北部ミャンマーを経て中国の雲南省を通り。四川・重慶に行く昔の援蒋ルートが正にそれです。こうしたルートがありますから、例えば、雲南で産出する漆器とミャンマーのマンダレーあたりで産出される漆器とはそっくりです。第二次大戦では、日本は正にその西南シルクロードを遮断して蒋介石への物資補給を遮断するためにビルマ攻略作戦を行ったわけです。大きいといえば大きい、無鉄砲といえば無鉄砲です。
そんなわけですから、ずいぶん昔からビルマ(ミャンマー)は、中国、インドの争奪の場みたいなものです。北部マンダレーは雲南に近いですから華僑がたくさんおり、中華料理屋とかもいっぱい。一方、安いインド製の薬を売り込もうとするインド商人もたくさんです。
そんなミャンマーで選挙が行われましたが、ご承知のとおりの状況です。
かつては、ミャンマーといえばわが国の外交力が唯一通用する国とも言われましたが、最近の現状では、到底中国、インドに太刀打ちできず、無理なのでしょう。
しかし、ビルマ族はモンゴル族が南下して土着した民族とも言われ、日本の皇室と同様姓がありません。現に元寇を2,3回受けてもいます。
街中では、つい声をかけたくなるような日本人そっくりの人によく会いますし、走っているのは日本製の中古車とイギリス時代の古いバス。神奈川中央交通のバスとか、名古屋のバスが多いです。
そんなミャンマーに戦時中の一時期とはいえ関係を持ち、浅からぬ影響を与えてしまったわが国としては、何らかのイニシアティブをとってその国民の福祉に資することが、現代日本人の責任でもあると思っています。
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Thursday, November 4, 2010, 10:32 PM
昨日は、私の大好きな場所である都下の東村山で、年に1回のイベントが行われたそうです。東京で唯一の国宝建築物。室町時代の建築といわれますが、伝承は鎌倉時代からあり、付近の遺跡は律令時代まで遡ります。ひとつ面白いのは、今、国立博物館に貸し出し中の瓦塔です。
同様の塔はアジア大陸でしっかり見られ、特に古代中国ではポピュラーです。その屋根は平行垂木であり、日本の神社と一緒。かつて京都の下賀茂神社に詣でた折、神殿の前に立つ塀風に、神主さんに「こりゃアジア大陸や沖縄のピンプンと一緒ですね」と言うと、「古くなるほどそなんですよ」とのお答えでした。
こういう話からは是非またその先まで考えてみることが大事です。多くの文物がアジア大陸から来るばかりでなく、仏教にギリシャからの影響があるとおり、その先があるのであって、関東地方にも東西南北色々な文物が来ているはずです。
我々の周りは、人間も含めて一種の遺跡みたいなもの。それはものすごく積極的で、大きな生き方につながっていくはずです。
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Monday, October 25, 2010, 09:44 PM
10月23日には、会津若松の西軍墓地にて、同市関係者はじめ様々な方々列席の上で、西軍死者の供養が行われました。いつも言うとおり、敗者による勝者側への、神式、仏式混合型の供養です。
薩長土肥大垣など会津に来寇した諸藩の関係者が集い、西軍側から寄付や大きなお花も供えられ、心を打ちました。
この博愛的事業をある外国の人に話したら、「それは、許すということですか?」という質問がありました。「うーん、許すと言うのとは違う。死を前にした平等感の確認かしら」と、とっさに答えましたが、納得してもらえません。
なるほど、文化が違うということはこういうことかな、でも、確かに、何かと死ねば水に流してしまう日本のやりかたにも問題があるのかも・・・(もちろん本件は違うけれど)。
じっくり考えてみたい一つの見方でした。
前ji天、我去福島県的会津若松市参加一個追悼会。144年前、在東北天皇的軍隊和東北的軍隊発生戦争了。天皇的軍隊打勝了。所為勝利的軍隊自己埋葬了他イ門的死者。
一方面、新政府(天皇的軍隊)没許可東北的軍隊人的埋葬。
可是、那天、東北軍隊人的子孫為天皇軍隊人祈冥福。会津若松市議会議長也参加那個追悼会。他イ門用仏教和神道参拝。這個儀式hen感動的。
我是佐賀人。那個時候佐賀人是天皇的軍隊人。
所為、我参加那個儀式深表感謝。
我覚得、最近的日本人中少了那個会津人的精神。
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Thursday, October 21, 2010, 12:03 AM
その年代差というのは、我が国の将来に極めて大切ではないかと思っています。この度、中国では習さんが軍事のトップに近い位置を占めました。中国では、共産党が最上層、軍が二番目、政府は三番目です。習氏がその全てのトップに近い位置を占めたということで、次期ナンバーONEになることが決まった、ということです。
そして、彼は五十代後半の文革時下放世代。苦労をしています。私の友人の朝鮮族も、あの下放は貴重な人生の経験になったと言います(もちろん、ひどい話ではありますが)。
一方、我が国のここ数年のトップは、彼よりやや年長の、全共闘世代。これは甘くて無責任。
自民党で官房長官をした某氏なども、自分の石投げを懐かしむ風情。とんでもないことです。しっかり反省の弁を述べるべきなのに。
そんな時代に、「左翼」に負けちゃだめというわけで作られたのがOO塾。今や政治家の登竜門の雰囲気です。
しかし、その「右」の綱領?も今や古いと思います。あんな時代錯誤の国家意識万能の教育を受けては、何も知らない私より若い世代の政治家は余りにも固すぎになるのも当然。しかも、彼らは、エリートとして、欧米の一応の経験や知識はあっても、アジアの教養あるいは少なくとも知識がありません(アジアには行ったことがない、なんていう人物も多い)。だから、およそ外交などには向いていないわけ。
そもそもOOさんを神様みたいに考えるなんてどうかしています。
台湾のOOさんといわれた豪商Oさんが昨年なくなりましたが、OOさんと同じかどうかは別として、随分女性の方も発展家だったようで、尊敬すべき人物を誤るべからず、です。
だから、アジアで伍していける政治家たるには、習氏に負けない苦労を積んでおくことと、アジアの知識なり、その習性を知っていること、何よりも、真の日本とは何かを知っておくことが必要と思います。
ところが習さんのカウンターパートナーたる日本の政治家が、ゲバ学生憧れ派であったり、無思慮の国粋派であったりでは余りにも思慮深さに欠け、困ったことだと思うわけです。日教組なんていう問題以前の、日本の戦後教育の成果??ともいえます。もっと考えましょう。
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Sunday, October 17, 2010, 09:58 AM
実りの秋の三連休。故郷の田圃のお米は、暑い夏を反映して豊作です。九州でリンゴを作っている従兄弟のリンゴ園もこれまた豊作。何よりです(もっとも、暑すぎて色々問題もあるようですが)。そんな時に、中国では尖閣にからんでのデモが。3箇所とも友人、知人がいますので、心配です。特に同級生が会長をしている成都のI堂には、以前も訪れたことがありますが、日本式の素晴らしい接客ぶりの従業員の方々も当惑していることでしょう。日本のアンパンが1日8000個も売れる店です。
こうした事態の裏に、お互い極めて近視眼的な勉強不足があることが残念です。
日本人にしろ中国人にしろ、「こんな問題は西洋のデマルカシオン以来のアジアに似つかわしくない発想。毛唐(失礼)の発想は棄てて、転換を図ろうよ!」という気宇壮大な大きな政治家がでないものかな、と思います。
明治以降の、征台の役、日清・日露戦争から樺太に至るまで、全てこれ近代化か文明開化という名の、西洋人の猿まねを前提とする「線引き」のなせる技で、そのため何千万人もの人が死んだわけです。
要は、西洋かぶれの成れの果て。
ついでに言うと、今から40年位前の学園紛争の時代、いわゆるゲバ学生の教祖みたいなことをしていた教授(つまりは、マルクス、レーニン、毛沢東かぶれ)の中に、今日の問題の種蒔きをした人物がいたことを本当は忘れてはならないのです。
その信奉者の成れの果ては、民主党にも自民党にもいるわけで、ある意味問題の本質は世代問題でもありますが、要は、国家観、歴史観の根本的転換を図らねばなりません。アジア全体で。
ちなみに、あの現象、問題は、かの国の少数民族にはほとんど関係ないでしょう。そこに、中国というコンセプトを立てる事自体に問題があるのです。
北京には21のチベット仏教寺院があるといわれますが、70以上ともいわれるイスラム寺院もあります。その前で新疆産の産品を売っているウイグル族の人々には正に「帝力我に何かあらんや」でしょう。
以上、問題の複雑さもあって、いささか難しい記述ですが、これは、私のただの「覚え」なので、失礼。
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Friday, October 8, 2010, 07:16 AM
その上海でテレビを看ていて、ひとつ行われていたのが、教育テレビでやっていた中国への留学生のいわばOB会。それもテレビの番組としての盛大なものです。流暢な中国語を話すアメリカ人の女性元留学生が司会者で、世界中からの元留学生が飛んだり撥ねたりの大イベント。これには強烈な国家の意志を感じるな、と思わざるを得ませんでした。
同行した韓国留学中の日本人の友人によれば、韓国にも留学生専用の番組があるとか。
番組の内容については、米国にも共通する人工国家性を感じないわけにはいきませんでしたが、我が国は、余りにも戦略を欠いているな、と思わざるを得ませんでした。
25日にも書いたとおり、現状を打破する新発想の下、世界とうまく付き合う真の戦略が今こそ求められていると思います。
そのためには、自分自身を見つめるアジアの視点が絶対に必要と思います。
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Thursday, October 7, 2010, 10:37 PM
仕事と合わせて上海に行ったきました。万博の10月2日は佐賀県の日で、佐賀からの人達に何人も会ったり見かけたり。地下鉄を徹底的に乗り回した感じでしたが、この時期、連休でものすごく混んでいました。ですから過日書いたポライトな感覚はなく、正に割り込み、突進の世界。
ただし面白いのは、あの国民は、一旦中に入ってしまうと、目の前に高齢者がいれば必ずといってよいほど席を譲ってくれること。昨日はある国の大使をした方と昼食をいっしょにしましたが、その方も、数年前のギクシャク時代にJAPANなんていう刺繍?を付けたいでたちで地下鉄に乗っても同様の対応でびっくりしたということです。
今回も、JAPAN、SAGAの刺繍を付けているおじさんももとよりノープロブレム。
一応の簡単な意思疎通はできるつもりの私も、今回は正直ちと緊張したものの、全く問題ありませんでした。
「老人専用の入り口がありますよ」なんてわざわざ遠くから声をかけてくれた女子学生に本当に感謝の気持ちです。
もとより政府と国民は別です。また、国民の中も色々と別れています。
このことは同じ中華世界の台湾にも強く言えることであり、日本からの、あるいは日本だけの尺度で見ては絶対にいけません。
その意味で、日本のマスメディアのステレオタイプで視野の狭い見方は正に国益を損なっています。そして、政治家もそのマスメディア程度では本当に困るわけです。もっと勉強しようよ、と言いたいこと切です。
また、若い人はどこであれどんどん海外に出てみることが必要です。
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Sunday, September 26, 2010, 12:23 AM
イギリスの非行少年に対する処遇の言葉として「ショート、シャープ、ショック」というのがあります。今回の尖閣諸島の問題については、正に我が国にとっての「ショート、シャープ、ショック」の処遇ととらえ、国家を根本的に変革するくらいの覚悟が必要だと思います。
現象面を見たとき、初動から最近までのありかたは、余りにも稚拙で、特に国際感覚を欠いていたと思います。この点は、今日、台湾の友人とも話しましたが、台湾だったらしょちゅうこんなことがあるから慣れているけど、日本は不慣れですね、という話しでした。
下にも書いたとおり、これを国内法に則る正常な刑事司法に載せるとすれば、国家を2分か1対何かは知りませんが、国内の痛みが発生するのが法律のプロからすれば目に見えていたのに、強行。ここに国粋的な精神論があったとすれば余りにも子供ということになります。
次に、勾留延長というこれまた余りにも国内的センスの選択肢を取ったことにびっくりし、釈放時期が唐突なのはとりあえず措いたとしても、記者会見がひどい。
検察庁(官)に、起訴、不起訴の権限があることは刑事訴訟法の大原則ですが、「日中関係」の発言は権限を逸脱。そんなことを言うとは、法的センスを疑いますし、正に国益を損なう。
ここが正に腹芸で、しっかり捜査を遂げ、起訴相当とは認められなかった、と、昔の政治家みたいに言えばよかったんです。吉田茂の著書でも読んでみたら、と言いたくなります。
最近どうも、そういう具合にスキルが低下してるんだよな、と言いたい。これは、実は法教育の問題でもあります。最高裁判事クラスの回顧録を読んでも、最近の某さんなど、「人がよい」、という感想しか持てませんでした。まるでままごとです。
そこで、こういう実情をどうするかですが、まずは国家とは何か、から始めなきゃいけないでしょう。それは、排外でも拝外でもありません(木村三浩さんの言葉)。日米同盟だとか言っている抽象フレーズでもありません。まして、テレビに出ている評論家が言ってるのなんてほとんど役立たず。
真の考える基本から出発し、小さくてもピリッと辛い日本を作ることが大事です。そして、境界域については、ここには書けませんが、正に政治的深謀遠慮を。これは、らち問題でも同じです。
そもそも竹島にしても、占領されたと騒ぐなら、その時の責任者は何をしていたんだ、ということになります。負け犬の遠吠えのように騒ぐだけが政治じゃありません。
本当の政治、それは、天下りの追放から仕分けから、はては指導力とかいう名君待望論の放擲から、やたらな強硬論の化けの皮をはがすことから、小説や劇と政治をまぜこぜにしていることから・・・(ということは、寒い北国で頑張っているイギリスみたいになること、とも「少しは」いえるかも)、つまり、真の意味の平和ボケを直すことを、今こそこれを行う好機と捉えなければ、せっかくの機会も生かされません。
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Thursday, September 23, 2010, 09:56 PM
元日本のトップの方と、日本の最近のことをお話ししました。気宇壮大さが足りないなー、とか、政治家が腹芸ができないなー、とか。
例の尖閣列島の話しは、このままもし公判請求となると、当然、(多分日本人の)弁護人が就くことになります。私選が就けば当然ですが、国選が就いても、その被告人の言い分つまりは「日本じゃない」みたいなことを言わなきゃならなくなります。言わないと、懲戒の問題にもなりかねません。それが、下に言う「国内問題」であり、そんなことをやっていたのでは、日本人どうしの間で深刻なゴタゴタが起きます。
かつて、恵庭事件では、自衛隊法違反が問題になった件について、裁判所は、破壊された電線が「その他の防衛の用に供するもの」に当たらないとして、違憲の判断を回避し、収束させました。
裁判官がそうじゃ困るという議論が当然あるわけですが、例の件は今は行政の段階にあるわけで、そこでは、ただ粛々とばかりやればよいというものではありません。
政治というものの大きさをよく踏まえた大人の処理を迅速にすべきだったと言えます。
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