★10月20日 
Thursday, October 21, 2010, 12:03 AM
 その年代差というのは、我が国の将来に極めて大切ではないかと思っています。
 この度、中国では習さんが軍事のトップに近い位置を占めました。中国では、共産党が最上層、軍が二番目、政府は三番目です。習氏がその全てのトップに近い位置を占めたということで、次期ナンバーONEになることが決まった、ということです。
 そして、彼は五十代後半の文革時下放世代。苦労をしています。私の友人の朝鮮族も、あの下放は貴重な人生の経験になったと言います(もちろん、ひどい話ではありますが)。
 一方、我が国のここ数年のトップは、彼よりやや年長の、全共闘世代。これは甘くて無責任。
 自民党で官房長官をした某氏なども、自分の石投げを懐かしむ風情。とんでもないことです。しっかり反省の弁を述べるべきなのに。
 そんな時代に、「左翼」に負けちゃだめというわけで作られたのがOO塾。今や政治家の登竜門の雰囲気です。
 しかし、その「右」の綱領?も今や古いと思います。あんな時代錯誤の国家意識万能の教育を受けては、何も知らない私より若い世代の政治家は余りにも固すぎになるのも当然。しかも、彼らは、エリートとして、欧米の一応の経験や知識はあっても、アジアの教養あるいは少なくとも知識がありません(アジアには行ったことがない、なんていう人物も多い)。だから、およそ外交などには向いていないわけ。
 そもそもOOさんを神様みたいに考えるなんてどうかしています。
 台湾のOOさんといわれた豪商Oさんが昨年なくなりましたが、OOさんと同じかどうかは別として、随分女性の方も発展家だったようで、尊敬すべき人物を誤るべからず、です。
 だから、アジアで伍していける政治家たるには、習氏に負けない苦労を積んでおくことと、アジアの知識なり、その習性を知っていること、何よりも、真の日本とは何かを知っておくことが必要と思います。
 ところが習さんのカウンターパートナーたる日本の政治家が、ゲバ学生憧れ派であったり、無思慮の国粋派であったりでは余りにも思慮深さに欠け、困ったことだと思うわけです。日教組なんていう問題以前の、日本の戦後教育の成果??ともいえます。もっと考えましょう。
 
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★10月17日 
Sunday, October 17, 2010, 09:58 AM
 実りの秋の三連休。故郷の田圃のお米は、暑い夏を反映して豊作です。九州でリンゴを作っている従兄弟のリンゴ園もこれまた豊作。何よりです(もっとも、暑すぎて色々問題もあるようですが)。
 そんな時に、中国では尖閣にからんでのデモが。3箇所とも友人、知人がいますので、心配です。特に同級生が会長をしている成都のI堂には、以前も訪れたことがありますが、日本式の素晴らしい接客ぶりの従業員の方々も当惑していることでしょう。日本のアンパンが1日8000個も売れる店です。
 こうした事態の裏に、お互い極めて近視眼的な勉強不足があることが残念です。
 日本人にしろ中国人にしろ、「こんな問題は西洋のデマルカシオン以来のアジアに似つかわしくない発想。毛唐(失礼)の発想は棄てて、転換を図ろうよ!」という気宇壮大な大きな政治家がでないものかな、と思います。
 明治以降の、征台の役、日清・日露戦争から樺太に至るまで、全てこれ近代化か文明開化という名の、西洋人の猿まねを前提とする「線引き」のなせる技で、そのため何千万人もの人が死んだわけです。
 要は、西洋かぶれの成れの果て。
 ついでに言うと、今から40年位前の学園紛争の時代、いわゆるゲバ学生の教祖みたいなことをしていた教授(つまりは、マルクス、レーニン、毛沢東かぶれ)の中に、今日の問題の種蒔きをした人物がいたことを本当は忘れてはならないのです。
 その信奉者の成れの果ては、民主党にも自民党にもいるわけで、ある意味問題の本質は世代問題でもありますが、要は、国家観、歴史観の根本的転換を図らねばなりません。アジア全体で。
 ちなみに、あの現象、問題は、かの国の少数民族にはほとんど関係ないでしょう。そこに、中国というコンセプトを立てる事自体に問題があるのです。
 北京には21のチベット仏教寺院があるといわれますが、70以上ともいわれるイスラム寺院もあります。その前で新疆産の産品を売っているウイグル族の人々には正に「帝力我に何かあらんや」でしょう。
 以上、問題の複雑さもあって、いささか難しい記述ですが、これは、私のただの「覚え」なので、失礼。
 

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★10月8日 
Friday, October 8, 2010, 07:16 AM
 その上海でテレビを看ていて、ひとつ行われていたのが、教育テレビでやっていた中国への留学生のいわばOB会。それもテレビの番組としての盛大なものです。流暢な中国語を話すアメリカ人の女性元留学生が司会者で、世界中からの元留学生が飛んだり撥ねたりの大イベント。
 これには強烈な国家の意志を感じるな、と思わざるを得ませんでした。
 同行した韓国留学中の日本人の友人によれば、韓国にも留学生専用の番組があるとか。
 番組の内容については、米国にも共通する人工国家性を感じないわけにはいきませんでしたが、我が国は、余りにも戦略を欠いているな、と思わざるを得ませんでした。
 25日にも書いたとおり、現状を打破する新発想の下、世界とうまく付き合う真の戦略が今こそ求められていると思います。
 そのためには、自分自身を見つめるアジアの視点が絶対に必要と思います。


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★10月7日 
Thursday, October 7, 2010, 10:37 PM
 仕事と合わせて上海に行ったきました。万博の10月2日は佐賀県の日で、佐賀からの人達に何人も会ったり見かけたり。
 地下鉄を徹底的に乗り回した感じでしたが、この時期、連休でものすごく混んでいました。ですから過日書いたポライトな感覚はなく、正に割り込み、突進の世界。
 ただし面白いのは、あの国民は、一旦中に入ってしまうと、目の前に高齢者がいれば必ずといってよいほど席を譲ってくれること。昨日はある国の大使をした方と昼食をいっしょにしましたが、その方も、数年前のギクシャク時代にJAPANなんていう刺繍?を付けたいでたちで地下鉄に乗っても同様の対応でびっくりしたということです。
 今回も、JAPAN、SAGAの刺繍を付けているおじさんももとよりノープロブレム。
 一応の簡単な意思疎通はできるつもりの私も、今回は正直ちと緊張したものの、全く問題ありませんでした。
 「老人専用の入り口がありますよ」なんてわざわざ遠くから声をかけてくれた女子学生に本当に感謝の気持ちです。
 もとより政府と国民は別です。また、国民の中も色々と別れています。
 このことは同じ中華世界の台湾にも強く言えることであり、日本からの、あるいは日本だけの尺度で見ては絶対にいけません。
 その意味で、日本のマスメディアのステレオタイプで視野の狭い見方は正に国益を損なっています。そして、政治家もそのマスメディア程度では本当に困るわけです。もっと勉強しようよ、と言いたいこと切です。
 また、若い人はどこであれどんどん海外に出てみることが必要です。

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★9月25日 
Sunday, September 26, 2010, 12:23 AM
 イギリスの非行少年に対する処遇の言葉として「ショート、シャープ、ショック」というのがあります。
 今回の尖閣諸島の問題については、正に我が国にとっての「ショート、シャープ、ショック」の処遇ととらえ、国家を根本的に変革するくらいの覚悟が必要だと思います。
 現象面を見たとき、初動から最近までのありかたは、余りにも稚拙で、特に国際感覚を欠いていたと思います。この点は、今日、台湾の友人とも話しましたが、台湾だったらしょちゅうこんなことがあるから慣れているけど、日本は不慣れですね、という話しでした。
 下にも書いたとおり、これを国内法に則る正常な刑事司法に載せるとすれば、国家を2分か1対何かは知りませんが、国内の痛みが発生するのが法律のプロからすれば目に見えていたのに、強行。ここに国粋的な精神論があったとすれば余りにも子供ということになります。
 次に、勾留延長というこれまた余りにも国内的センスの選択肢を取ったことにびっくりし、釈放時期が唐突なのはとりあえず措いたとしても、記者会見がひどい。
 検察庁(官)に、起訴、不起訴の権限があることは刑事訴訟法の大原則ですが、「日中関係」の発言は権限を逸脱。そんなことを言うとは、法的センスを疑いますし、正に国益を損なう。
 ここが正に腹芸で、しっかり捜査を遂げ、起訴相当とは認められなかった、と、昔の政治家みたいに言えばよかったんです。吉田茂の著書でも読んでみたら、と言いたくなります。
 最近どうも、そういう具合にスキルが低下してるんだよな、と言いたい。これは、実は法教育の問題でもあります。最高裁判事クラスの回顧録を読んでも、最近の某さんなど、「人がよい」、という感想しか持てませんでした。まるでままごとです。
 そこで、こういう実情をどうするかですが、まずは国家とは何か、から始めなきゃいけないでしょう。それは、排外でも拝外でもありません(木村三浩さんの言葉)。日米同盟だとか言っている抽象フレーズでもありません。まして、テレビに出ている評論家が言ってるのなんてほとんど役立たず。
 真の考える基本から出発し、小さくてもピリッと辛い日本を作ることが大事です。そして、境界域については、ここには書けませんが、正に政治的深謀遠慮を。これは、らち問題でも同じです。
 そもそも竹島にしても、占領されたと騒ぐなら、その時の責任者は何をしていたんだ、ということになります。負け犬の遠吠えのように騒ぐだけが政治じゃありません。
 本当の政治、それは、天下りの追放から仕分けから、はては指導力とかいう名君待望論の放擲から、やたらな強硬論の化けの皮をはがすことから、小説や劇と政治をまぜこぜにしていることから・・・(ということは、寒い北国で頑張っているイギリスみたいになること、とも「少しは」いえるかも)、つまり、真の意味の平和ボケを直すことを、今こそこれを行う好機と捉えなければ、せっかくの機会も生かされません。

 

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★9月22日 
Thursday, September 23, 2010, 09:56 PM
 元日本のトップの方と、日本の最近のことをお話ししました。
 気宇壮大さが足りないなー、とか、政治家が腹芸ができないなー、とか。
 例の尖閣列島の話しは、このままもし公判請求となると、当然、(多分日本人の)弁護人が就くことになります。私選が就けば当然ですが、国選が就いても、その被告人の言い分つまりは「日本じゃない」みたいなことを言わなきゃならなくなります。言わないと、懲戒の問題にもなりかねません。それが、下に言う「国内問題」であり、そんなことをやっていたのでは、日本人どうしの間で深刻なゴタゴタが起きます。
 かつて、恵庭事件では、自衛隊法違反が問題になった件について、裁判所は、破壊された電線が「その他の防衛の用に供するもの」に当たらないとして、違憲の判断を回避し、収束させました。
 裁判官がそうじゃ困るという議論が当然あるわけですが、例の件は今は行政の段階にあるわけで、そこでは、ただ粛々とばかりやればよいというものではありません。
 政治というものの大きさをよく踏まえた大人の処理を迅速にすべきだったと言えます。

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★9月20日 
Monday, September 20, 2010, 09:55 PM
 下に記したとおり、8月には山東省に行ってきました。
 その煙台の町中で、面白いものに出会いました。それは、福建人の「会館」です。会館とは本来、一定の土地の出身者の、いわば県人会館みたいなものです。
 私に関係あるのは、そこには一種の仲裁制度があったということ。大審院長池田寅次郎さんの本では、その由来を記したあと、裁判、調停、仲裁の3つがうまく機能して、民事紛争の解決が図れると記載されています。
 その会館は、残念ながら扉が閉まっていていて、十分に内部を見ることができませんでした。
 しかし、中心に廟があることについては、しっかり見届けられました。
 つまり、そこは亜細亜伝統の社です。
 この社の観念は社しょくという観念で、昭和の歴史にも登場したものです(この博物館にも写真あり)。
 こうした観念を国家成立の元にすえるのが、亜細亜共通の考え方(いや、世界共通とも)。

 となると、東シナ海波静かに、と思われてきますが、何やら明治時代の大津事件も思い出されてきます。もっともそれは裁判になってからの話。今は、被疑者段階ですから被疑者国選がついていておかしくない。となると、勾留延長に準抗告はどうしてしないのかな。そのあたりはどうなっているんだろう。新聞は一般紙でもタブロイド並で
あおりすぎじゃないか、とか、色々考えます。
 ともあれ、あれを公判請求すると、相当面倒な「国内問題」にもなるでしょう。大きな見方が必要です。

 今年的暑暇我去了山東省。在山東、我看了一個新鮮的古跡。是在煙台福建省人的会館。
 我以前看了一個書本。那個書本説中国的会館是像日本人的県人会館一様的。在那個会館有仲裁制度。
 在世界的民事解決手段上仲裁制度是最重要的三個制度之一。審判、調停、仲裁是這個三個。
 那個会館関門了。hen遺憾。可是、我看到了一個廟和集会処。所為我覚得那個会館是一個社会。所為有審判処和仲裁制度。
 在亜州社是最重要的観念。社是郷土関係的結合社会。
因為我看了那個会館、所為越来越有興趣。

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★9月19日 
Sunday, September 19, 2010, 09:56 PM
 アメリカの小説家であるPさんは、遠藤周作の「沈黙」に感動を受けたそうで、ちょうど、オランダ風説書関係の本を読んでいたら、そのモデルの話が出てきました。

 それで、以下のような話をしたわけですが、西川如見の華夷風説考といい、風説書といい、江戸時代の日本は、しっかり世界中に目配りしていたわけで、「太平の眠りを覚ますじょうきせん・・・」なんていう、実体と異なる歌を載せているわが国の教科書は、我々の江戸時代というものに対する判断を誤らせるものだと思います。

I am reading a book named "World Information from Dutch Captain" now.
That book said 5 missonaries went to Japan in 1642.
I wanted to reserch them.But,I didn't have enough time.So I tried to check that easily.The report investigated is as follows.
They arrived at the island of Oshima.It was located north of Hirado in Nagasaki Prefecture.
They shaved thir hair, and They were in kimono.
But, the goverment official spotted them as missonarys from the difference in their eyes and the nose.

They were took to Nagasaki, and they went to Edo.
After all, they abandaned thir faiths.And Mr,Joseph changed his name to San-emon Okamoto.And he married with Japanese daughter.They lived in the Christian mansion which was in Koishikawa for 42 years.

He is the model of the novel "Silence" of Mr.Shyusaku Endo.

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★9月5日 
Sunday, September 5, 2010, 10:18 PM
 初代若乃花が亡くなりました。彼は昭和30年代はじめの大関の時、私の故郷に巡業に来て、私の実家に宿泊しました。その前には、大鵬の師匠佐賀乃花も2度ほど泊まり、赤ん坊だった私もだっこしてもらったとか。
 当時は、力士も山の奥まで巡業に来ていたものです。しかし、その後はそういう田舎まで巡業することはなくなったのではないでしょうか。
 そんなわけで、私が子供の時は、栃錦、若乃花の勝負には真剣でした。また、現に面白かったです。
 彼とも関わり深い青森県十和田市にも行ったことがありますが、新渡戸稲造さんのお祖父さんという傳さんらが開いたと言われる寒冷地で、全ての木の枝が東にしか張っていない、寒い、強風の吹くところです。やませの本場で、冷害に強い水稲藤坂5号ができたところ(古い!)。
 あそこから戦後出てくれば、土俵の中にお金がある、というわけで、頑張るのも分かる気がしました。本当に力の入った相撲でした。
 最近、木村庄之助を務められた元行司さんともたまに会いますが、今の相撲はつまらない、という点で意見一致です。まして形式だの品格なんて二次的なもので、そんなことを問題にしている識者?は実は全く識者じゃありません。
 昔の相撲がなぜ面白かったかといえば、うっちゃりがたくさんあったこと。だから見る方にも力が入るし、最後まで気が抜けない。とく俵に足がかかってからこそ本当の勝負が始まる。
 ところが今の相撲は、俵の手前で勝負あって、あっさり土俵を割ってしまう。これじゃ面白い相撲になるはずもありません。
 識者なら、もっと一途に相撲を取らせるべし。意見をいうならまず相撲の内容に。
 そういうポイントを知らないでよけいなことばかり言っている人間は識者じゃないし、そうしないで余計な注文を付けるから、正に力士は余計な所に目が行くというのも一理ありではないでしょうか。



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★9月1日 
Wednesday, September 1, 2010, 03:48 PM
 日本の政治がどうもうまく回っていない気がする(もちろん、うまく回っているとする意見も有り得るでしょうが。現にあるんです)、その原因は何かと考えています。
 一つの大きな要素に「年代」というものがあるでしょう。昔の政治家がよかったとは言いたくないけれど、いわゆる健全な保守が厳然として存在したでしょう。
 「個人の責任か民主か」と問われたとき、しっかり「責任だ」と答える一群が。
 しかるに今は、責任は取らないわ、民主はあやふやだわ・・・。
 こうした傾向の奥にやはり戦後の教育の問題があるように思います。それは日教組がどうのなどという小さな話ではありません。国民全体が考えた戦後の国家像というものの底の浅さです。
 私の小学校、中学校時代といえば、戦後わずか10数年しかたっていませんでした。なのに先日まで鬼畜米英といっていたその国にすっかり心を奪われた礼讚教師がいたのには腹が立ちました(笑)。そうした教師はソ連などと仲良くしようというわけではありませんから、日教組なんぞには入っていません。だから日教組が原因なんていうのは当たらないのです。
 ある意味日本人というものの持つ、数百年にわたって作られた抜き難い性癖です。
 で、そうした教師の教育内容は、ごく単純な自由と民主と平和です。これは、もちろん巨大メディアも同様です。
 だから、バカの一つ覚えのようにしか平和が捉えられないし、戦争反対、平和!!というごく単純な図式です。
 もちろん一方には、日本は悪くなかった、日本のお陰でアジアは独立した!!なんていう権利と反射的利益をゴチャゴチャにしたような議論をする一群やメディアもあるわけです。
 いずれも、戦前なら戦前、今なら今の行政システムを前提にして、どうずれば戦争が起きなかったか、とか、起こさないためにはどうするべきか、なんていう議論がありません。
 また、アジア全体から見た戦前のシステムの欠陥とか、本当に問題のあった人物についての評価とかもまるっきりできていません。
 だから、森久男教授が「日本陸軍と内蒙工作」に書かれているとおり、何を伝えたいのかわからないような本(そこで指摘されているのは岩波新書の「満州事変から日中戦争へ」)が本屋にうずたかく積まれ、ますます総理大臣のお勉強が必要になるわけです。
 そして、そういう教育や吹き込みを受けた一般国民はもっとお勉強が足りませんし、否、むしろ変なお勉強をさせられてきましたから、悪い奴は死刑にしろ、といった単純な論理!?明治人の奥の深い議論には到底及びません。新聞の論説委員長クラスでも勉強不足で疑うことを知らない(疑うことは悪いこと、なんていう信じられない発想も)人が、最近は結構いるもの。
 そして、全て底が浅いので簡単にステレオタイプになる。
 僕たち早く、学校の教科書レベルから脱却しようよ、と言いたい訳ですが、「た
だこれも非なり非なりと一生嘆息し、心を守りてうちおくことなく」の葉隠精神(葉隠が全てすばらしいわけではありませんが、この言葉はよい。上記の疑うこ精神)が ないので進歩しない。

先日会った中国の友人、別れる時よい言葉をプレゼントしてくれました。

「偏聴則信
  兼聴則明」

 一方に偏して聴いたのでは、単純な信に。
 色々と聴いてみれば、物事を明らめることができる。

というようなことみたいです。上記葉隠の「非知り」の精神につながるものといえるでしょう。

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