★4月4日 
Saturday, April 3, 2010, 10:47 PM
 アジアのA国裁判所の方から質問がきました。
 その国では、死刑についてあることをきっかけにより議論がなされるようになり、人権団体が死刑は違憲であるとの裁判を起したとのこと。それで、裁判所も慎重に考えているとのこと。
 で、質問というのは、日本では裁判所が死刑判決を出したあと、慎重を期するため、自身で上訴する制度はないか、ということ。もう一つは、上告審は、死刑事件についてやはり慎重を期するため、必要的に口頭弁論を開くことになっていないか、ということです。
 答えはいずれも否定。

 前者については、むしろ検事が、いわば裁判官の監視役みたいなもので、死刑が課せない事件に裁判所が誤って課したような場合、控訴できます(この点は、明治以来、本当に検事には監督権がありました。江藤新平のやったことは、実はそういうことなのであって、神様みたいにいうのは間違っているのです。一定の意義を認めるのはよいのですが。つまり、お相撲の行事と審判みたいな関係です〔本当は、怖いことです〕)。
 
 後者の問題についての典型は、三鷹事件。死刑事件を、口頭弁論を開くことなく、1票差で死刑の原判決維持としました(なお、当該死刑囚は獄中死)。

 今、日本の多くの法律家は、上記の問題について議論の必要性さえ感じていないのが実態でしょう。
 日本が色々な意味でアジアで置いてきぼりになっていく危険性を感じます。こういうことは統計に出る訳でないだけに厳しい。
 そんな中で、企業がどうあるべきか、といったことまで考えてしまいます。

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★3月28日 
Sunday, March 28, 2010, 10:26 PM
 ある行事に参加するために台湾に行ってきました。
 いささかあやしい北京語(普通話)で挨拶もして、いつもながらの大歓迎でした。
 しかし、私の語学力(?)が上がるたびに、多分それが台湾の北京語とは異なるせいでしょう、若い時からの友人から「ジャ ツン シャオ は大陸に搦め取られちゃうんじゃないか」との心配の声もありました。
 「とんでもない。台湾は第二のふるさと」が私の答えです。
 小学生以来、家族を入れると明治時代から。それを思えば台湾は親戚以上の間柄です。だからこそ真に台湾の人の為になる行動をとりたい。
 そうなると、いわゆる親台の最近の人とは違う考えになります。

 今回の訪問では、昨年にも増して大陸からの訪問客を見ました。雲南、安徽省、済南などなど。そういうところの人が、台湾の片田舎ともいえるところまでやってきています。
 この現象は、相互理解の観点からは、よいことでしょう。あたかも20年前の東ドイツ崩壊のように、民主主義の実態を大陸の人が見ることはかえって大陸の、少なくとも国民にとっては、お手本になるでしょう。私の中国語の先生も先日台湾を訪問してそう言っていましたし、大陸の人も分かっています。何より、大陸もこれまた複雑なのですから。
 それどころか、日本こそ台湾に学ばねばならないことがたくさんあります。
 そして、私の友人が空港で、カメラを向けたら直ちに停止を命ぜられたように、厳しい一権力がそこに存在することも必要です(友人さん、ごめんなさい)。

 そして一方、西洋の数百年前の産物である国境とか国観念を、真にアジアの地から考え直し、アジア人として互いに経済的に発展する道を探ること、これこそが我々の、特に今の実態を作った日本人のなすべきことと思います。
 
 そのためには何が必要か。それは、真の日本の歴史を知ること、いや、これこそ本当の日本のもの、どうぞご参考にしてくださいといえる、オリジナルで価値の高い、「思考の日本製品」を探り当てることです。裁判員制度のように、ヨーッロパとアメリカのミックスのようなものを、どこかの名誉教授のように「日本の制度」などと言うのではなく。


前ji天我去台湾訪問東部地方。
在那個地方有一個寺廟。那個寺廟和我hen老的関係。
 我参加在那個寺廟的ju会。那個ju会、従全台湾来hen多法尚和尼niang。
在那個会我説一点er講演。

結束以後我訪問離那個寺廟近的一個慈善団体。那個団体的領導是一個尼niang。
一個女士説明那個団体的意思。女也説這個団体和政治和宗教没有関係。
比如説、那個団体在印尼的地震的時候対再建伊期蘭寺廟寄付了。在高雄発生地震的時候那団体也対再建少数民族的基督教堂寄付了。
 所為我対女也的説明感動了。
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★3月22日 
Tuesday, March 23, 2010, 11:26 PM
 地下鉄の中で、久しぶりに旧知のMさんに会って、2駅ばかり話しをしました。
 以前、最近の役所の判断は、自分の方がおかしいのかと思ったら、嘉村さんと話していて、そうじゃないことがわかってほっとした、なんて話したことのある人です。
 去年9月の台湾行政法院視察の話をしたらまたまた意気投合。
 それに、北マリアナ連邦では、これまでに2人の裁判官が国民審査で罷免されたんですって、というと、ウーンなるほど。
 あの国の裁判所に行くと、裁判官のプロフィールが玄関に貼ってあり、みんなが裁判官の実態を知っています。そういう「制度」がやはり大事なんだろうな、と思います。

 江戸時代、制度通を書いたのは伊藤東涯。今でもこれを読まないと、役所制度の本質はわからないと思います。伊藤仁斎についで古学を深めた荻生徂徠も制度を大事にしました。つまりは、今風でいえば組織法ですが、内閣官制が勅令によったとおり、我々はこれに口出しできない体質を持っています。かろうじてみんなの党とやらがそれらしきことを言っていますが、戦時体制とか言って不徹底。奈良時代以前からです。
 脳みそにこびりついた観念を剥ぎ取ること、それは難しいです。
 
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★3月20日 
Saturday, March 20, 2010, 10:59 PM
 なが年、中近東の遺跡を掘っておられる先生に久しぶりに会って談論風発。様々なところで意見が一致しました。
 そして、自分の位置も再確認した気がします。つまり、自分は実務家なのだと。
 以前も書いたとおり、かつて上海にあった東亜同文書院の根津一校長は、入学式で、「物事の蘊奥を究めたければ大学に行け。ここでは、今何をしなければならないかを考究する。」という趣旨のことを言われたとか。根津校長が陸軍士官学校出だあったとおり、自衛隊の小平学校(元陸軍経理学校)の校歌にも同様の趣旨のことがあります。
 そして、今何をするかということは、今、歴史の1ページを作っていくということです。それが実務家であり、また、本来は国民自身でなければいけません。
 そして、それができるには、過去のページも知る必要があります。あくまでも実務家として。
 しかるにそれができていないのが今の政治家であり多くの国民ではないでしょうか。
 下の方にも書いたとおり、我々人間も、実はひとつの遺跡にほかなりません。その自分を知ることが今後の理想を追求する元と、とりあえず思ったことでした。
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★3月16日 
Tuesday, March 16, 2010, 10:49 PM
 年度末は何かと忙しく、間が空いてしまいました。
 忙しいといえば、週に何度も走り抜けるのが東京駅の改札口。
 その東京駅は、このところ昔に返す復元工事中ですが、一体、復元の意味があるのかどうにも疑問です。
 あの建物、佐賀の辰野謹吾の設計ですが、よく言われるとおり、オランダのアムステルダム中央駅にそっくり。というより、それを簡略化したものといってよいでしょう。
 保存でもめた、その真ん前の中央郵便局も、1月に書いたオットー・ワグナーのウイーンにある郵便貯金局によく似ています。国会議事堂がロサンゼルスの市庁舎にそっくりだったり、最近できた四ッ谷駅がこれまたワグナーの造ったカールスプラッツ駅にそっくりなどなど。
 
 こうしたそっくりも、全てが悪いとは必ずしも言いません。
 なぜならこれらの建物は「道具」なのですから、さっさとよいものを造って利用すればよかっただけのことで、鍋島直茂の実に通じます。

 ただし、であれば、用済みとなればさっさと壊すべきで、物まねを文化財などと言って保存しようとするのは、正に滑稽と考えるのです。
 それよりも、真にオリジナルの「日本の」作品を造ってこそ、保存を云々するのが当然でしょう。
 その意味からは、東洋伝統の建築にこだわっている中国や台湾の行き方こそ正しいものと思われてきます。

 また、このような建物だけでなく、意識しない思考、思想が外来であるにも関わらず、オリジナルと思い込み、見当違いの誇りや果ては排外主義にまで至ることは絶対に避けたいものです。
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★3月4日 
Thursday, March 4, 2010, 12:00 AM
 国際的活動をされている方々と夕食を一緒にして出てきた話が日本人のお客への対応は最高という話。
 それで思い出したのが対応最悪の横浜での1年前のこと。あるお役所に書類を出そうとして、絶対受け取らない雰囲気で、3、4度の長期押し問答。受け取ると仕事をせねばならないから受け取らないわけ。受け取る行為は、準法律行為的行政行為といいます(こういう言い方は今はやらない由ですが、便利)。
 結局、受け取らせたはいいけれど、今度は一向動かない。途中、何度催促してもだめ。
 そこで、こうして発生する慰謝料を裁判所に請求したらどうなる?こういう規制権限の不行使に対し、最近、少しだけ前向きの判決もないではないですが、多くはだめ。
 こうしたことへのお客扱いは、旧正月とは異なり、正に「アジアの一員」として、一向よろしくないわけです。
 それはどうしてか、というと、私があちこちで書いているとおり、新渡戸さんがその「武士道」に、誇らかに、封建君主は領民には責任を負わなかったが、天や祖先に高き責任感を有した、などという見当外れのことを書いても、それをもてはやしている抜き難い国民性があるからです。
 日本人よ、もっとしっかりせよ、と言いたくなります。

 我最近在思索日本的警察。去年2月、我去横浜訪問一箇警察。那箇訪問的目的是提出控告。可是警察官不軽易接収那箇控告。他イ門不喜歓多余的工作。最后他イ門接収了控告。可是到今天没有聯絡。
 対了、我三箇星期前去了長野県上田市参加一箇審判。在那箇審判、審判員説這箇事件在鹿児島比在上田処理好。他不喜歓処理那箇事件。
 在日本的警察、審判有hen多問題。



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★2月28日 
Sunday, February 28, 2010, 08:44 PM
 2月26日には、2・26事件の74年目の法要が行われました。改めて、「君側の奸」なる非日本的な観念を生み出し、悲劇を惹起させたばかりか、その後の日本あるいはアジア破滅の原因を作った江戸時代のおぼっちゃんの発想に言いようのないものを覚えます。
 このような発想に立てば、明治維新なるものはいわば通過点であり、昭和11年からの数十年こそ本当の画期であると考えます。
 ある農業関係の本には、昭和35年の農業基本法制定こそ江戸時代と現代とを分ける画期と書いてありますが、相当程度賛成できます。

 つまりは、時代区分というものの反省が絶対に必要と思うこと切です。



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★2月25日 
Thursday, February 25, 2010, 11:02 PM
 先日、ジャーナリストのYさんと食事して、今の政治情勢について話しましたが、共通する意見が多かったかなと思います。
 私が強く感じるのは世代問題です。
 80歳代は真ん中より上がまともが多い。70歳代の元軍国少年は、観念論が多くて、相当問題。60歳代の戦後薄っぺら教育世代はだめが多くて、特に、私の昔の天敵・ゲバ学生が最悪。
 ずいぶん目茶苦茶な、と言われそうですが、「被害者」としての偽らざる気持ちです。

 例えば、度々書いたように、裁判員などという本質論を欠いた制度を作ったのは、元軍国少年世代とゲバ学生上がりでしょう。その他様々な「改革」と銘打った新奇巧み(二条河原の落書・・・ならぬ葉隠の言葉)が同様です。これの悪影響は深刻なものになっていると考えます。
 そして、我々世代の下は予備校世代で、もっと下はマニュアル世代。マニュアル世代の特徴は「答え」がないと安心できないこと。考える、その中に真実がある、という葉隠の文章とは無縁で、法律にしても自説が持てない。大学者が何ほどのもんだい、という気概がないどころか、気概を持とうという気もない。答え、答え。
 では、その答えの更なる意味は?と問うと、「一流?の先生が言っていることにコメントなんてできない」と曰く。
 こうして「クリエイティブ」という言葉と無縁な様々な世代ができあがっているのが、今の停滞の大きな原因ではないかと思っています。会社の内部がこうなると大変。停滞どころか多くの国民的財産を流出させているというのが実態ではないでしょうか。
 おかしな総理を3代も出したのもこれであって、うわべだけの威勢のよさなどに騙されるな、と言いたくなります。

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★2月24日 
Thursday, February 25, 2010, 12:29 AM
 佐賀の未来についての講演を依頼されて、おしゃべりしてきました。演題は私が考えたわけではなかったので、まるで試験問題を出されたようなものです。
 で、どうお料理しようかと思って最初に持ち出したのが最近特に気になる宮崎市定先生です。余りにも自信満々で、「念念に非を知る」葉隠精神?とは反対のお方。
 近世において日本は外国(特に西洋)から何も取り入れなかった。大名は野人だったのである。観象台など日本にはない・・などよく言うな、という感じです。
 この論からは、よって佐賀のような田舎にゃ何もなか、ということになってしまいます。
 その反動は、佐賀にゃ反射炉があった、とか、アームストロング砲があった、とか。宮崎先生の影響を強く受けたといわれる司馬遼太郎さんあたりにほめられると、すっかりその気になってしまう。
 実は他藩も時期こそ違え同じものはあるのであって、要するに宮崎先生から出発したのでは話にならない(金沢の北国新聞社から出ている本には佐賀そっくりの蒸気機関車の模型や臼砲などが載っています)。
 ちなみに今、テレビで龍馬が行くとやらをやっているそうですが、岩崎英重・櫻田義挙録という大著がなければあの作品は生まれなかったとか。私はその本を持っていますが、確かに素晴らしい本です。
 一方、好きなのは江上波夫先生。
 テレビで「国際的な事が好きなんです」と言われていたとおり、戦前のオロンスム(内モンゴル自治区にあるネストリウス派キリスト教の遺跡)発掘以来のフィールドワークはすばらしい。私は騎馬民族(征服・これは必ずしも江上説ではない?)説に大いに共鳴します。
 そして、その目からみると、北部九州は正に国際的なところ。
 ですから、要は佐賀の未来は旧来の主流派的常識を打ち破るところにこそあり、ということになります。何しろ常識がひどいんですから。
 あとは様々な各論。ま、悪くはなかったかと思います。



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★2月15日 
Monday, February 15, 2010, 11:14 PM
 過日、埼玉県のあるところで同和問題をおしゃべりしてきました。
 この件については、私にはさほどの数の経験はありませんが、かつて裁判所にいたとき、ある深刻な件に遭遇したことはあります。
 それは、日本のあるところの出身者が、いわゆるその地区の人に差別されているというので、それを明らかにするためその地区の人の戸籍謄本をごっそり集めたという話です。

 その免職処分取り消しの事件、話が逆のような事例ですが、実はその人は、日本が明治以降に領有したところの出身者。だからその地区の人に差別されているという発想が生まれるわけです。
 改めて明治国家のヒエラルキーの問題を強く意識させられたものでした。明治の華族制度の名称は三千年も前の中国の言葉。
 それを思うと、真の日本とは何かを確立しえなかった民族の悲劇をさえ思わざるを得ません。だからこそ私は四十数年にわたって真の日本を追求してきたつもりです。
 そして、この博物館の表紙にあるとおり、最終的には、正に「日本的に」生きることでかまわないし、それは他の民族、文化を尊重することにもつながると思っています。
 
 いわゆる国粋的人士の言説が、実は全く日本的でなく、視野が狭いこと。これが問題です。

 その講演でも、本居宣長と上田秋成の論争を取り上げましたが、唐心を排する宣長のコンテンツが実は日本のものではない。これをしっかりと把握することが大切と思います。
 それには、視野を広く持つこと。秋成が宣長に対して、「大阪から見ればあなたは田舎人だからそんな発想になるのだ」とたしなめたことを想起したいし、秋成を雨月物語の作者とだけ考えていたのでは、彼らの真の価値はわかりません(もちろん、雨月物語は素晴らしい作品です)。



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