★1月23日 
Sunday, January 24, 2010, 11:37 AM
 ご縁の深いS弁護士が頑張っている足利事件で、管家さんという人の話がメディアに取り上げられています。Sさんもよく頑張ったし、素晴らしいです。
 一方、こうした有名になった事件以外に、名も知れず不合理がまかり通っている事実を我々は決して忘れてはならないと思います(裁判員なんて、本来、そういう事件についてなされるべき)。
 無罪判決を獲得したこともある私ですが、数年前まで弁護士の義務である、と考えて受任していた国選事件。簡易裁判所の事件でこんなものがありました。
 IQ63の被告人、たまたま夜中に懐中電灯を携帯していた廉で、侵入具携帯という軽犯罪法違反として逮捕。傍聴人もいない法廷で、6カ月にわたり無罪を争い、結局有罪で、但し拘留20日。未決算入で、即日釈放。
 しかし、問題は刑の重さではないのです。無罪という人間の尊厳の問題なのです。こんな妥協的判決なんてくそくらえ、と深く思ったものでした。
 話変わって、現在、最も基本的な私法である民法の改正が話題となっていますが、関係する大学の先生は、国選以下の例えば法テラスの扶助事件のような強烈オドロオドロシイ実態を踏まえて考えるべきだと思います。地裁や高裁の事件からは考えられない正に赤裸々な実態を知らずして日本人の法意識(この言葉は川島武宜先生の本の名前)など分かるわけもないし、法改正の前提を掴むこともできないと思います。
 何であれかんであれ、テレビにもとりあげられないどろどろの実態、これを知って、解決を図るのが真の実務家でしょう。

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★1月17日 
Sunday, January 17, 2010, 02:40 PM
 知り合いの米国人が借りている建物から追い出しの危険に。彼は又借りの立場で、オーナーと第一次のテナントが双方弁護士を立てて交渉しています。
 そのいわゆる渉外系つまり外国関係を扱うと言われる弁護士の作ったドラフトを見てびっくりしました。まずはお互いがぶつけあっている契約条項の量。微にいり細を穿ち、はんぱな量ではありません。
 しかし最も驚いたのは、借地借家法を全く無視していること。日本にはこういう統制法規があって、善し悪しは別として、これに違反したらせっかくの約束も無効で全く意味はないのに、たがいに言いたい放題をぶつけあっています。この量でお金を請求するつもりでしょうか。無効でも。
 別の外国人が離婚をするというので、同じく渉外系の弁護士が作ってきた離婚の合意書を点検したこともありますが、まずは全く効力を認められない離婚の約束からはじまって、親権者の指定から親権の内容まで。何のことはない。これらは法律の条文を並べただけ。一体、どうなっているんでしょうか。
 昨日も、別の人から「国際弁護士って、その資格取るの大変でしょうね」と。「そんな資格ありませんよ」というと、「でも、テレビに出てますよ」だって。
 
 私がかつて憲法の勉強会をしていた佐藤謹子さんあたり、米国留学の経験もあったので、自称・国際弁護士と称しておられましたが、どうかなと思います。
こういうふうに我が世界も、何が何やらわからなくなっていますから、いわゆるハッタリがきいたり、企業がやる必要のないことをやらされたり、真実を見極めるのはなかなか大変なことになっていると思います。

 最近在日本的公司要求遵守法律。可是為遵守法律要很多銭。因為得買電脳和軟件。
我听説為了買電脳和軟件一個日本公司対徳国公司付了四〇億日円。可是那個軟件不適合日本公司的方式。所為那個公司得変更別的件。
 這様的浪費実例很多。

我覚得遵守法律好像是美国的策略。

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★1月16日 
Saturday, January 16, 2010, 03:40 PM
 以前も書いたことですが、思い出すのが35年くらい前の伊藤栄樹検事総長のお話。
 当時、いわゆるオイルショックで、トイレットペーパー、灯油の買い占め騒ぎが起きたころでした。
 彼は、我々の前で、検察庁がメーカーか倉庫に1本電話をかければ、たちまちトイレットペーパーが出回るようになりますよ、というのです。だから検察はすごいし、検事になるのはよいことだ、と。
 これには、純粋に巨悪を捕まえることしか頭になかった私は変な感じを覚えたものでした。検察庁の行政指導ってそんなふうに働くのか、と。
 その後の数々の事例は、検察が極めて政治的に動いていることを示しています。検察だけでなく裁判所も、文明国とはいえないような長期勾留を行うなどしています。
 こうしたことをチェックするのは、まずは国会。そして第四権を標榜するならマスコミでしょうが、これは記者クラブ廃止でいきり立つような存在ですから全くといってよいほど期待できません。
 別段小沢一郎さんが好きでもなんでもありませんし、特に、自民党幹事長時代のやり方には嫌悪感を覚えましたが、最近の検察、マスコミのあり方にも大いに??をつけたいと思います。もちろん4億円の出所は大事です。



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★1月10日 
Sunday, January 10, 2010, 09:52 PM
 もう一人、葉隠を思い出す哲学者の造った家に行きました(なんていったら、そもそも桁が違うので、その哲学者に怒られそうですが)。
 ウィーンにあるウィトゲンシュタインが造った家です。世紀末の建築家オットー・ワグナーの傑作・郵便貯金局を過ぎ、ラデッキー将軍の像が立つオーストリア・ハンガリー帝国参謀本部の建物を過ぎてから、随分歩いてそのあたりに着きました。しかし、目指す家が見つかりません。
 すれ違う人何人に聞いても、そんな家は知らないとか、古い家があったが、反対運動を無視して壊されたとか。これは決して私の英語力が低いからだけではありません。同じところをぐるぐる回ったあげく、どうもこの家は怪しいとなめ回すように点検すると、小さな説明のプレートを発見。今はブルガリアの外交関係の家でした。
 20世紀最大の哲学者ともいわれるウィトゲンシュタインが、論理哲学論考を書いたあと、小学校の教師をして生徒をたたいたりし、退職を強いられ、修道院に入ろうかとすると止められて庭師になったりという失意の日々に、一切の妥協を廃して造った凝った建物。
 確かに変わった家でした。彼は、イギリスで大学の先生もしますが、授業の予定など立てず、思考そのものが授業。納得しないと、学生の前で50分も黙りこくったままだったとか。葉隠の「これも非なり非なりと思うて」の精神に通じますが、はるかにその上を行き、少なくとも、暗記主体の今のどこかの大学教育と正反対であることだけは事実でしょう。
 それにしても、こんな大学者の家を回りの人も一向知らないし、わかりやすい表示も出していないとは、かえって西洋の深さを感じました。
 ちなみに、帰国のために寄ったアムステルダムでも、デカルトの家を探しましたが、これは、全く表示なし。たまたま電気がついていた家に、ノックをして尋ねると、「ここがそうですよ。」と、にこやかな女性の説明。
 ウーンとうなりました。



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★1月7日 
Thursday, January 7, 2010, 12:04 PM
謹賀新年
 年末年始は、バックパッカーとしてヨーロッパを回ってきました。これでないと、真実に少なくとも近づくことはできないと思いますから。
数々の哲学者の故地を巡りましたが、武士道の観点から言うと、ポツダムにあるフリードリッヒ二世(大王)の墓が何といっても印象的でした。数奇な運命をたどった大王の遺体は、やっと最近(統一後)になって、ポツダムの夏の離宮・サンスーシの葡萄棚の奥に、かわいがっていた6匹の犬の遺体とともに、一枚のプレートをわずかにその位置を示すものとして埋まっています。それは、華美とは全く無縁で、好物だったジャガイモが2、3個、10センチ近く積もった雪の中に備えてありました。
 正にこれは、しばしば記す鍋島直茂と全く同じ発想です。プロシャという国が、なぜあのような強国になれたのかを示す強烈なメッセージであると思いましたし、発想は東も西も同じだな、と。

 雪踏み分けて訪ねると、突然マイクを突き出されて、テレビ取材されるというおまけまでついて面白かったです。

 東、西といえば、(表向き)37人も子供を作らせて、徳川家をつぶしたどこかの藩の藩主と、16人も子供を「生んで」、強国オーストリアを造ったマリア・テレジアとの「差」も、極めて示唆に富むものだったと思います。
 我々は、「本物」を見極める目を持たねばならないとつくづく思ったことでした。

 ちなみに、以下は今年の年賀状の原稿です。

  謹 賀 新 年

 臣不肖司法の長官を拝命し、部事の不煕を以て其責に任可云々の御委任を蒙り候に付、即ち夙に夜考慮仕候処、并立の元は国の富強にあり。富強の元は、国民の安堵にあり。安堵の元は、国民の位置を正すにあり。夫尚国民の位置正ざれば、安堵せず。
 安堵せざれば其業を勤めず、其耻を知らず、業を勤めず、恥を知らず、何を以て富強ならんや。所謂国民の位置を正すとは何ぞや。婚姻・出産・死去の法厳にして、相続・贈遺の法定り、動産・不動産・貸借・売買・共同の法厳にして、私有、假有・共有の法定り、而て聴訟始て敏正、之に加て国法精詳、治罪法公正にして、断獄初て明白。是を国民の位置を正すと云なり。ここに於て民心安堵財用流通、民始て政府を信ずる深く、民始て其権利を保全し、各永遠の目的を立、高大の事業を企つるに至る。

 昨年九月、台湾高雄行政法院を訪問し、その入口にあった言葉から思い出した江藤新平の言葉です。

 ただし、これの解釈も極めて大事で、決して江藤新平が、神様みたいな民主主義者というわけではありません。彼が当時作ったといわれる「司法事務」というものを、あたかも現代的司法権独立の制度と同じと紹介する向きがありますが、誤りです。上記も世界的な司法発展過程の一コマにすぎません。ただし、常に振り返るべきものと思うわけです。特に最近は。



          
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★12月26日 
Saturday, December 26, 2009, 11:18 PM
 今日はある会合で、ボランティアの話。ボランティアと武士道とはつながるんです、と、以前、別の会で話したら、「は?」みたいなことになりました。
 しかし、鎌倉以来、これは武士の重要な生き方ですし、葉隠にも色々出てきます。だから、四誓願には「大慈悲を起し、ひとの為になるべきこと」です。

 また、究極のボランティアといえば、お国の為に死ぬこと、ということになるでしょう。そういうボランティアが、無駄死にになってはいけない。もちろん、為政者が騙してボランティアに国民を駆り出してはいけない。
 ここに武士道とボランティアとの究極的論点があるのかもしれません。
 以上、今日の話に補足して。



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★12月22日 
Wednesday, December 23, 2009, 05:06 PM
テレビで「坂の上の雲」をやっているとの話。
あれはあくまでも小説であって、事実ではないはずで、そこのところはよく踏まえて観るべきでしょう。私は、小説にはほとんど関心がないので、司馬さんの小説は全く読んでいませんが。
彼の「街道を行く」は、三浦半島や台湾を読みましたが、さほど感心しません。三浦半島記は正にスカスカの本です。では、三浦半島についてのお勧め本はというと、永井道子さんの「相模の武士(もののふ)たち」。何十年も前に、鎌倉を歩く永井さんを拝見しましたが、正に足で書いた本です。素晴らしい内容の充実度です。
 台湾紀行について、彼の東台湾旅行を案内したのは、知り合いの地元金融機関の理事Kさんでした。それで、早速読んでみましたが、東部・花蓮での宿泊先は地元では超高級の部類に入る、郊外のTホテルでした。あんな高級ホテルに泊まって、複雑な台湾がわかるはずがないよ、と思ったものです。

 それで、読んでもいない「坂の上の雲」ですが、こんな議論を読みました。乃木大将が、第3軍司令官として203高地を攻めたとき、攻めあぐねたあげく、児玉源太郎が、一時その指揮権を譲り受けて例の28サンチ榴弾砲を使い、ロシアを陥落させたというのです。
 しかし、そんなことが書いてあるとすれば大問題で、乃木大将は上記のとおり第3軍の司令官。児玉は満州軍総参謀長です。その参謀長が司令官の権限の譲り渡しを受けるなどというのは、それこそ組織法に完全に違反することで、法実証主義の当時の人の意識からしても、ありえないことです。
 つまりは、ここ数回書いていることと同じ議論です。このあたりがあやふやになることを容認していることに、現代日本人の深い問題点を感じるわけです。

 それにしても、あの旅順の辺りの発展ぶりは(も)すごいものです。随分前に、乃木大将とステッセル将軍の会見地・水師営を訪れた時には、回りは原っぱで、雰囲気がありましたが、今ではビルだらけ。ただ、復元された建物内部の机椅子は本物とのことです。以前、そこにいたおじさんに、「旅順開城約なりて」の歌を言うと、もちろんよく知っていて、「でも歌っちゃだめですよ」と優しく言ってくれたものでしたが、今はいません。ああいう人に苦労をかけるような外交をしてはいけないと思います。
 
 ちなみに、より強烈はところは東鶏冠山。ロシア、特にウクライナ人コンドラチェンコ少将が日清・日露の戦役の間に造った(改造した)要塞施設は、そのコンクリートの厚みといい、半端なものではありません。あれを陥すのは、正に至難の技であるとともに、人間を消耗品としかみない恐るべきものです。これは、第一次大戦で有名なヨーロッパのベルダン要塞などと同じ発想かと思いますが(露仏同盟)、以前も書いたとおり、フランスの廃兵院内の博物館では、しっかりその惨さを展示してあります。こういうところに、東も西も大陸民族の強さをみる思いがします。

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★12月19日 
Saturday, December 19, 2009, 08:56 PM
 昨日は、半日、法律を講じてきました。
たまに、「かわいそうだから救いましょうは法律でも裁判でもありませんよ」というと、「目から鱗か落ちました」などと言われてこっちがびっくりすることがあります。昨日はそういう発言がなくて安心でしたが(多分、公務員だからでしょう)、関心は持っていただいた感じでした。
 今更ヴィントシャイドだローゼンベルクだのと言うまでもなく、少なくともこの命題?は最近までの常識でした。
 今年亡くなられた滝川判事の著書にも「公平はあくまで立法者に向けられているのであり、裁判官が公平を基準にして裁判をするのは三権分立に反する」と書かれているとおりです。
 ところが、この命題にいわば異を唱えている「ような」本が確かにあります。
 これは大正時代「嘘の効用」を書かれた末広博士以来の世界的な大きな流れともいえ、裁判官はあらかじめ結論を決めているのであり、あとから解釈を加えてぎりぎりまで妥当性を追求する・・ってなことを書いた本が、初学者用としてまで売られているのです。でも、妥当性を勝手に裁判官に決められてはかないません。
 しかるに、この病気はある意味深刻です。先日、たまたまテレビで大岡越前守の話をやっていて、越前守はやさしい裁判をしました・・みたいなことを言っていました。要は、裁判官は自由に結論を決められ(いわゆる自由法学)、やさしくしたから偉いと。
 とんでもない。当時の法は厳格で、そんなことはできませんでした。だから彼は、「嘘」までついて妥当性を追求した、だから「嘘の効用」なのです。なのに、そんな話はどこにも出てこない。
 こういう、番組を作る人の意識に、既に法というものについての根本的誤解があります。しかも、裁判官は偉い人、というおまけの観念までついて回っています。

 そして、イギリスのロックに見られるとおり、元々司法と行政は同じで(彼は二権分立を説く)、司法に対する見方がこういうふうにブレているということは、行政も同じかもっとひどいということです。
 下の議論にも正にそれは言えて、このままでは我が国は国家の体をなさず、アメリカというタガにかろうじて支えられる「地域」になってしまう危険があると思います。
 ちなみに、私の友人のアメリカのジャーナリストも、韓国の裁判官も、先日来異口同音に、日本人はどうして法律を「解釈」してしまうのか、と言いました。

 そして、上記には、「世界的流れ」を言いましたが、もうひとつは、大岡話に見られるとおり、日本国民がお話国民であることが大きいとも思っています。これも時々書くことです。
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★12月13日 
Sunday, December 13, 2009, 01:34 PM
 天皇陛下が中国の副主席とお会いする云々をめぐって論議あり。陛下を正に商売の道具に使っているとしか思えないいわゆる保守系マスコミが、政治の利用云々と騒いでいます(陛下を電車のつり広告に載せているなどとんでもないことなのに)。
 こういう時こそ、落ち着いて原則を考えてみればよろしい。

 本来、憲法は、第7条において、天皇の国事行為を定め、天皇の行為を制限していました。ところが、旧憲法との一種の妥協で、象徴としての行為なるものをでっちあげたのが戦後の学者であり内閣です。例えば国会の開会式におけるお言葉などがそれ。もちろん、こうすることにより内閣の助言と承認を得ることにするというメリット?もあります。
 しかし、憲法制定時の理想のとおり、また、私のお友達の新右翼・一水会の木村さんが言うように、陛下には京都にて国民の安泰を祈られる伝統の世界に回帰していただくことだけにすれば、問題は起こりようがないのです。それをおかしな国民代表が作った法律でもない制度を作って問題化させたのは戦後の政権でした。
 憲法改正を云々する今の保守系と称する人々のやったことを、本来考え直さなければいけない。それが本当の戦後政治の総決算です。今回の議論について、まともなコメントをされているのは、日経にあった石原信雄元内閣官房副長官。さすがだな(いや当り前)と思いました。宮内庁長官の話は読んでもいませんが、そもそも内閣の助言と承認の執行機関の長が、あれこれ外部にしかも記者会見などして述べるのは、それこそ法律違反ではないでしょうか(こんなことが許されるなら密約問題などあり得ない)。このあたり石原さんと今の官僚との落差を感じます。この間、密約をしゃべった人も一応、法廷というところでの話。今回の処置自体は法律にかかわらない内規(上記のとおり、これは国民代表が作ったものではない)の話なのに、こちらの方が国家の根幹に問題のある、恐ろしい話です(陸軍刑法的に言えば抗命罪的)。
 
 もっと話を戻せば、戦前から言われていることですが、天皇とか陛下とかいう敬称が、本来の日本のものかも問題。「すめらみこと」こそ日本のもののはず。だから、「真の日本の」を追求しない水戸黄門的発想はおかしいのです。何が右翼で何が保守なのか、よく勉強して考えるべき。
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★12月11日 
Friday, December 11, 2009, 10:53 PM
 12月8日も何という事なく過ぎてしまいました。昭和16年12月8日、ハワイを攻撃してアメリカとの戦争始まる、などといっても、正に夢物語の世代だらけですから。
 20年以上前、連合艦隊参謀の千早正隆さんと夕食を共にし、トラトラトラのお話をうかがったのも、遠い昔のことになりました。でもあの方の「日本海軍の驕り症候群」は立派な本です。
 海軍関係でも、坂井三郎さんをはじめとして、ある程度お付き合いがありましたが、最近亡くなったMさんは、私が横浜勤務時代の裁判所の所長で、正にサイレントネイビーでした。とにかく寡黙。
 戦艦扶桑に乗っていた方で、かの船は、レイテ沖海戦でスリガオ海峡に沈み、生存者は10名そこそこと聞きました。
 そのM所長で忘れられないのが以下の話(本にも書きましたが)。
 ある会議の時、誰かが「外は雨みたいです。傘をさした人がいますから」と言ったのに対して、「雨が降っているか否かは、雨そのものを見て判断すべきです」と言われたこと。いやはや脱帽。
 しかし最近、この精神は正に地を払っている感じがします。私の世界でも病気蔓延。
 そして、ここ数年行われた改革とかと称するものも、正にあの戦争開始と似たようなものだな、と思うこと切です。裁判員みたいなものもその一つですが、「とりあえずやってみるか」とか。せっかくここまでやったんだから、なんぞとなれば、「英霊に申し訳ないから、兵は引けぬ」というのと同じ。
 そんな自民党政治の最後でしたが、今度の政権はどうなのか、昨日は、中国語の先生と、日本は世界で唯一社会主義が成功した国・・・みたいな話で盛り上がりましたが、小沢氏の訪中をみていると、国務院の上に共産党があるあの国の体制を・・・。
 それにしてもあのチルドレンたちはお粗末。日本国民の代表としての国会における職権の行使者であることが分かっているのかね、といいたくなります。随分関係者もいますが。
 あのツーショット、要は、アジアのいなかっぺの姿。もっとアジアを知り、自分を知ることが大切。それには、アジアがヨーロッパやアメリカとしっかりつながっていることを自覚することも大切。視野を広く、広く。
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