Thursday, September 24, 2009, 10:34 PM
連休は、公式行事の台湾行政法院訪問に参加し、台湾の裁判官からのお話をうかがいました。台湾というと我が国の法制が残っているという先入観があるかもしれませんが、基本は国民党が戦後持ち込んだ大陸時代のもので、五権分立は孫文の考えによります。もっとも辛亥革命以前に日本が清朝への情報提供をした時代がありますから、その意味では日本の影響もありでしょう。でも、最近、特に民主化以降は、日本どころかドイツの進んだ立法を取り入れ、はるかに日本の先を行っている面が強いと思います。
少なくとも現象面ではそうみえましたが、そこは複雑極まる台湾のこと、途中でずいぶん古い目の傾向の人にも会い、韓国同様、法律の条文とその適用の実態、特に、その前提となる官僚制度という共通の文化に思いが至りました。
一方、そういうこと以外に、関西のK大学から参加された高名な二人の名誉教授には関心しました。お一人は、最近の日本の裁判官の脳神経に関心があると言われます。私とある意味同じです。戦争時代の日本人が、特に将校以上において、なぜあのような発想になったのか、脳神経における固体変異的なところがあるでしょう。私はその変異の原因を歴史から見たいとも思っているわけです。
もう一人の先生は、難しい話をかみ砕いて考えて提示する、正に私の昔のM教官と同じ。いや、これも勉強をしていた時代の私は正にそうだったつもりで、それで書いた答案は、独創的とほめられたものですが、今は、判例とかいう法的拘束性がないことになっているものに縛られて、身動きできない暗記人間になりかけている。これではいけないと改めて思いました。
そういう大先生に比べると、「海外経験がそれだけあってもその程度?」と言いたい、これまた戦争を始めた参謀本部や海軍軍令部の将校にも当てはまりそうな人物がいたことも事実(どこの国の人とは言いません)。
そんな台湾の高雄行政高等法院の入り口に、以下の言葉がありました。
司法透過
博愛与智恵 実現公平正義 保障人民権利 安定社会秩序 維護国国家福祉 促進世界和平
それこそ台湾にしろいつも書く韓国にしろ、同様のことがなされているのに、なぜ日本にはそれがないのか。大きな問題だと思います。
高雄で一行と別れて、一人花蓮へ向かい1泊しました。旧知の市長(に相当)、議長らが夕食を用意してくれましたが、根本的主催者はこれまた旧知の大学教授。彼が精進料理しか食べないので、全員14、5名が精進料理です。ある意味子供の時から知っている一同ですが、改めてカルチャーショックを受け、台湾の奥の深さを感じました。
皆、日頃は乾杯乾杯のオンパレードなのです。半年ほど前、イギリスの牧師さんと話して、台湾の仏教は生きている、と盛り上がりましたが、まだまだ認識不足と思った次第です。
久しぶりの台湾のテレビには日本のこともよく登場し、親日的という表面の印象は受けますが、同席した旧世代の人の厳しい目と、理解してもらった時の優しい目を見落としてはいけませんし、日本がよくしてあげたなんていう尊大さは絶対にあってはならないことと思います。
| このエントリーのURL
Friday, September 18, 2009, 12:23 AM
新政権が発足し、官僚政治の打破という言葉が新聞紙面に踊っています。昨日は、その官僚の一番上の方におられた方と会食しました。中に、「きちんとした官僚なら、退職を命ぜられてやめない人はいない」とのお話(例外はあり、何年か前にもめる)。
日本にもスポイルズシステムを導入しうるということか。それが健全に働くなら、それこそ民主主義です。
しかし、立法、行政が例え変わっても、断固として変わらないのが世界各国司法の習いでもありました。アメリカの違憲立法審査権はその変わらない司法というものに資する武器として、フェデラリストと反対派との政治的闘争の中で、選挙で敗れた方のフェデラリスト、ジョン・マーシャル判事によって生み出されたといいますし(マーベリー対マディソン事件)、フランスのコンセイユ・デタ・行政裁判制度は、守旧的な司法に任せておけないという欲求から生まれてきたものだったかと思います。
我が国の場合、戦後、司法行政権を裁判所が握り、その行政にかかわっているのは裁判官です。そして、裁判官には厳格な身分保証があります。
もちろんこれは、戦前への反省から生まれたもので、これを壊して直ちに民主化すべきか、その「かねあい」に難しいものはありますが、こここそが最も守られている官僚主義の牙城であること、それは地味ですが、国家の根幹を形作っていることだけはわきまえ、司法権の独立という言葉に潜む教条主義に陥らないようにしなければ、悪い歴史が繰り返す、という危険もないではありません。
| このエントリーのURL
Thursday, September 17, 2009, 01:06 AM
新政権発足の日、またも新聞に踊っているのが「宰相」なる言葉。明治憲法から日本国憲法に変わっても、明治憲法以前の古い言葉を使い、時代の変化を押し止どめようとしてきたのが日本のマスミ?、としか言いようがありません。政治は文学ではないのだから、法律用語は法律の条文どおり、首相とかも言わずに、総理大臣とかせめて総理くらいにしたらどうかと思います。
政治を文学にしてしまうのは、正にお話歴史の発想です。
国会と議院との区別も厳格にすべし。
刑事の話も、勾留を拘留と書いたり拘置としたり、憲法との整合性上もおかしい。だから、逮捕された人間も、自分が刑事訴訟法上、どの段階にいるのかわからず、人権擁護の上から誠によろしくない。
マスコミって人権はどうでもよかったの?国の政治はあやふやでもいいの?と言いたくなります。
| このエントリーのURL
Monday, September 14, 2009, 12:27 AM
山梨の恵林寺に行ってきました。有名な快川和尚の「心頭を滅却すれば・・・」のお寺です。方丈背後の夢窓疎石作と伝える庭園も見事で、正に色々考えさせられました。
宝物館で購入した本や説明で印象に残ったのは、この寺に墓がある柳沢吉保のこと。信玄の遺臣の子孫ということで、墓もあり、自ら納めた寿像もあるということです。それを納めるに当たっては、信玄の菩提寺でもあり、他人に非難されるかもしれないが(許してほしい)との大いに遠慮した言。
これらから、説明の先生は、ドラマやお芝居、小説家らの悪役見做しは許せないと憤ります。確かにそうなんでしょう。小説を本物と思う読者も困り者ですが、勝手な創作はよろしくないし、底が浅いと思います。
で、門外漢ではあるものの、私が思い出したのは、以前も記した柳沢吉保の側室・正親町町子の「松蔭日記」のこと。それを読めば、悪役というより、彼らの雅な生活がしのばれます。町子の兄は、有名な垂加神道家。つまり、葉隠の常朝からいうと会津型で、上方風の打ち上がりたる武道の人々(直接的に常朝が非難している赤穂浪士から見ると反対派ですが、要は新しい武士道の人々。複雑!)。
しかし、ここでの見聞は打ち上がりたる?徳川の武士道も、為政の局に当たっていただけに、上記解説の先生が言われるとおり、やはりよいものもあるな、とも思われます。その中に、仏像の姿など明文化を大いに感じたのも事実でした。
| このエントリーのURL
Saturday, September 12, 2009, 12:05 AM
選挙で当選した人物の中には、我々世代かその上あたりに、その昔いわゆるゲバ棒を振り回していた人も相当数見受けられます。この人物ら、ちゃっかり保守系です。東大どころか東京教育大の入試まで中止にされた世代としては、とにかく許せません。いや、しっかり謝ればまだよいのです。ところが、謝るどころか昔をなつかしがった文章など書いているから信用できません。
こういう態度は、戦争中は若者を戦地に駆り出しておきながら、60年、70年安保のときは、正にちゃっかりゲバ学生をアジっていた学者などと同列です。
そういう人物がいわゆる高位高官やマスコミの世界などに君臨しているわけですから、国民のレベルも知れるというもの。
一方、話変わって驚いたのが、最近某放送局を訴えているいわゆる保守系のデモ。「シュプレヒコール」とかいう掛け声から始まって、わっしょいこらしょいは、例のゲバ学生のやっていたこと。いつから右が左になったのか。
こうなると、やはり右だ左だじゃなくて、人間性の問題だとつくづく思われます。教育勅語や歴代天皇を丸暗記していた元祖右?の私はぶれていないつもりです。
| このエントリーのURL
Monday, September 7, 2009, 12:44 AM
1週間ほどのショートステイをしたことのあるフィジーが、軍事政権を理由に英連邦から外されてしまったとのニュースに、かの優しいホストファミリーを思っています。あの国は、元々フィジーアンの国。ところが、植民者イギリスが砂糖栽培の労働者としてインド人を移住させ、わずかな年月なのに今や人口の半分を占めるまでになりました。しかも、彼らインド人は危険な漁や薬などに長けており、農業主体のフィジーアンの生活を圧迫。政治的にも強くなり、首相を出すまでに至りました。
フィジーアンは何度も無血クーデターを。しかし、なかなか形勢逆転といきません。
つまり元はといえば悪いのはイギリスですが、私のホストファミリーのお母さんなど、英国式の分列行進など大好き。
一体、植民政策とは何だろう。あんなトラブルを置いていって、未だに宗主国として慕われる英国。一方、確かにアジアの同朋に行ったこととして、決してほめられない日本。ここの違いは、やはり世界的な広がりから検証する必要がありそうです。
もちろん、台湾、韓国、旧満州国、みんな違いますが、葉隠の山本常朝の先生・石田一鼎が言うとおり、先祖の名字を断絶すべからず、のアジア諸国において、いわゆる創姓改名をしたり、首都のど真ん中に伊勢神宮を祀ったり、韓国ソウルの円丘壇(天壇に相当)を壊して今の朝鮮ホテルを建てたりというやり方は、明らかに不適なもの、いや、国民にそれ以上の傷を与えるものと言わざるをえないでしょう。
これは、正にアジアを知らない無知から出たことで、要は、当時の為政者が欧米かぶれで、本当の日本もアジアも知らなかったがゆえ、と言っても過言ではありません。知っていたらできません。正に、明治以降の欧風政治方針と教育のしからしめるところ(全然国粋でもない)。
今の日本もそこから考えるべきです。ただし、私は頑迷固陋な保守派などではありません。これまた葉隠の言葉で言えば、この境危うきなり。
| このエントリーのURL
Thursday, September 3, 2009, 12:38 AM
9月1日のようなことを言いながら、私はたくさんの学者の友人を持っています。要は、はっきり言えば、学問の節を曲げ、実は真に学問的でない御用学者がいけないということ。
そして、やはり実務家の中で、ちゃんとした実務家はやはり偉い。
過日、旧東亜同文書院関係者と長春を訪れましたが、初代、3代の院長・根津一は、その入学式で以下のように言ったとか。
「同文書院は単に学問を教えるだけの学校ではない。学問をやりたい者は大学にゆくべきだ。大学は学問の蘊奥を究めるところであるから、そこで学ぶのが正しい。
諸子の中で学問で世に立ちたい者があれば、よろしく高等学校から大学に進むべきで、本日この席において退学を許す。志を中国にもち、根津に従って一個の人間たらんと欲する者は、この根津とともに上海にゆこう」と(石川順・砂漠に咲く花」)。
この気概・大きさを、実務家たる我々多くの人は持ちたいものです。
| このエントリーのURL
Tuesday, September 1, 2009, 08:27 PM
選挙が終わって、予想どおり民主党が勝ち、新しい政治が始まろうとしています。しかるに、新しいことを始めるのに一つの問題になるのが官僚機構でしょう。
アメリカに伝統的なスポイルズシステムにはなっていませんから、その組織は厳然として無傷?です。故後藤田さん的にいえば、こういうときに中立公平な官僚であることこそ官僚精神?の真骨頂ということになるでしょう。
これは、官僚の責任感に依存する東洋あるいはドイツ官僚主義のある意味理想です。そしてこれは、ポカをしたときは切腹しておわびする立派?な姿ともいえ、マスコミでもこれを素晴らしいこととする論調がしばしば見られます。
ただし、その責任の名宛人が国民に向かわなかったり、責任を取ることを怠ったりした場合、悲劇が生じます。人間という生きている動物である以上、そうしたことは起きるでしょうし、古くからアジア社会の問題でもありました。
そうすると、最初に戻ってスポイルズシステムを取り入れた社会を作ること、あるいは、鎌倉時代を考えると、その社会に「戻ること」が必要ではないかと思われてきますが、ここに、我々の頭を支配し、その発想にブレーキをかけるのが学者という存在でもあります。実務家、例えば内閣法制局長官をされた高辻さんの憲法の本などは、私と同じ方向の考えですが、そういう本は売れず、純粋学者の権威者の本が、何を言っているのか分からないような内容なのに、裸の王様然として、すごいよね、いいよねの声とともに版を重ねていきます。
こうした傾向の背後に何があるのか、実は実務家としての官僚の、静かな働きかけが存在するようなことのないことを願います。
| このエントリーのURL
Saturday, August 29, 2009, 12:33 AM
今日の日経新聞の最後のページは興味あるものでした。右側の大きな欄にあったのが孫文の日本人の妻とお孫さんの話。確か蒋介石にも同様の日本人がいました。左の私の履歴書に出ていたのが浅岡ルリ子さんで、過日大連で、彼女が訪問した写真を見ました。彼女のお父上は上海にあった東亜同文書院の関係者だそうです。
つまり、末尾のページは、日本と大陸との関係バッチリ。
この孫文、本文にもあるとおりですが、まだまだ研究の必要があるような気がします。彼の憲法は五権分立で、台湾が正にそれですが、少なくとも監察については独立させることの意味が我が国においてもありそうな気がします。
葉隠において、山本常朝の究極の目的は殿様に諌言する立場に立つことだったそうですが、そもそも中国には伝統的に台監というものがあって、殿様に諌言するのは立派な家来の職務でした。東洋特有のものとして、会社に監査役があるのと似ています。
そうすると、過去を引きずった現代の日本においても、監察は必ず有効な気がするわけです。
西洋では、ロックの二権分立から行政、司法が別れ、三権分立となりました。東洋では、三権から四権に別れたとて、決して不思議ではないはずです。
そういうことを具体的に考えるのが本当の憲法改正論議のはずです。
| このエントリーのURL
Sunday, August 16, 2009, 08:23 PM
今日は8月16日、旧盆も終わって、地獄の釜の蓋も開くと九州では言われる要は薮入りです。今年の8月15日前後は、様々に戦争の悲惨さを訴える番組が多かったように思います。戦後60数年たって、当時の事情を知る人が少なくなり、いわゆる観念論に陥る傾向が見える現在、大事な事かとは思いますが、問題を感じないではありません。いや、むしろ感じます。
それはいつも言う、「お話し歴史」ということ。戦争の悲惨さだけで戦争はいやだいやだと叫ぶだけでは、どうして戦争が起きたのか、あるいは起こさないようにする国家体制とは何か、という論理につながりません。
ちょうど今、マニュフェストが騒がれていますが、どうするこうするがあるだけで、どういう国が何をする、がありません(もちろん、一部にはそれをメインに持ってきている新政党もありますが)。つまり、昔で言えば、「木口こ兵は死んでもラッパを口からはなしませんでした」なんていう話を歴史としていた(古い!!)国定教科書大切の傾向人も、戦争は悲惨だったの人々も、同じ発想ということなのです。
そうなると、金メダルを取ったから国を誇りに思いましょう、とかという小学生以下の子供の発想から抜けきれないというわけです。
最近、東京で目にする「日本だけが出来る何とやら」という旗の文字も同じでしょう。
我々は、要は大人にならなければいけない。そのことを恐縮ながら強く感じたここ数日でした。
| このエントリーのURL
戻る 進む