Thursday, September 17, 2009, 01:06 AM
新政権発足の日、またも新聞に踊っているのが「宰相」なる言葉。明治憲法から日本国憲法に変わっても、明治憲法以前の古い言葉を使い、時代の変化を押し止どめようとしてきたのが日本のマスミ?、としか言いようがありません。政治は文学ではないのだから、法律用語は法律の条文どおり、首相とかも言わずに、総理大臣とかせめて総理くらいにしたらどうかと思います。
政治を文学にしてしまうのは、正にお話歴史の発想です。
国会と議院との区別も厳格にすべし。
刑事の話も、勾留を拘留と書いたり拘置としたり、憲法との整合性上もおかしい。だから、逮捕された人間も、自分が刑事訴訟法上、どの段階にいるのかわからず、人権擁護の上から誠によろしくない。
マスコミって人権はどうでもよかったの?国の政治はあやふやでもいいの?と言いたくなります。
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Monday, September 14, 2009, 12:27 AM
山梨の恵林寺に行ってきました。有名な快川和尚の「心頭を滅却すれば・・・」のお寺です。方丈背後の夢窓疎石作と伝える庭園も見事で、正に色々考えさせられました。
宝物館で購入した本や説明で印象に残ったのは、この寺に墓がある柳沢吉保のこと。信玄の遺臣の子孫ということで、墓もあり、自ら納めた寿像もあるということです。それを納めるに当たっては、信玄の菩提寺でもあり、他人に非難されるかもしれないが(許してほしい)との大いに遠慮した言。
これらから、説明の先生は、ドラマやお芝居、小説家らの悪役見做しは許せないと憤ります。確かにそうなんでしょう。小説を本物と思う読者も困り者ですが、勝手な創作はよろしくないし、底が浅いと思います。
で、門外漢ではあるものの、私が思い出したのは、以前も記した柳沢吉保の側室・正親町町子の「松蔭日記」のこと。それを読めば、悪役というより、彼らの雅な生活がしのばれます。町子の兄は、有名な垂加神道家。つまり、葉隠の常朝からいうと会津型で、上方風の打ち上がりたる武道の人々(直接的に常朝が非難している赤穂浪士から見ると反対派ですが、要は新しい武士道の人々。複雑!)。
しかし、ここでの見聞は打ち上がりたる?徳川の武士道も、為政の局に当たっていただけに、上記解説の先生が言われるとおり、やはりよいものもあるな、とも思われます。その中に、仏像の姿など明文化を大いに感じたのも事実でした。
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Saturday, September 12, 2009, 12:05 AM
選挙で当選した人物の中には、我々世代かその上あたりに、その昔いわゆるゲバ棒を振り回していた人も相当数見受けられます。この人物ら、ちゃっかり保守系です。東大どころか東京教育大の入試まで中止にされた世代としては、とにかく許せません。いや、しっかり謝ればまだよいのです。ところが、謝るどころか昔をなつかしがった文章など書いているから信用できません。
こういう態度は、戦争中は若者を戦地に駆り出しておきながら、60年、70年安保のときは、正にちゃっかりゲバ学生をアジっていた学者などと同列です。
そういう人物がいわゆる高位高官やマスコミの世界などに君臨しているわけですから、国民のレベルも知れるというもの。
一方、話変わって驚いたのが、最近某放送局を訴えているいわゆる保守系のデモ。「シュプレヒコール」とかいう掛け声から始まって、わっしょいこらしょいは、例のゲバ学生のやっていたこと。いつから右が左になったのか。
こうなると、やはり右だ左だじゃなくて、人間性の問題だとつくづく思われます。教育勅語や歴代天皇を丸暗記していた元祖右?の私はぶれていないつもりです。
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Monday, September 7, 2009, 12:44 AM
1週間ほどのショートステイをしたことのあるフィジーが、軍事政権を理由に英連邦から外されてしまったとのニュースに、かの優しいホストファミリーを思っています。あの国は、元々フィジーアンの国。ところが、植民者イギリスが砂糖栽培の労働者としてインド人を移住させ、わずかな年月なのに今や人口の半分を占めるまでになりました。しかも、彼らインド人は危険な漁や薬などに長けており、農業主体のフィジーアンの生活を圧迫。政治的にも強くなり、首相を出すまでに至りました。
フィジーアンは何度も無血クーデターを。しかし、なかなか形勢逆転といきません。
つまり元はといえば悪いのはイギリスですが、私のホストファミリーのお母さんなど、英国式の分列行進など大好き。
一体、植民政策とは何だろう。あんなトラブルを置いていって、未だに宗主国として慕われる英国。一方、確かにアジアの同朋に行ったこととして、決してほめられない日本。ここの違いは、やはり世界的な広がりから検証する必要がありそうです。
もちろん、台湾、韓国、旧満州国、みんな違いますが、葉隠の山本常朝の先生・石田一鼎が言うとおり、先祖の名字を断絶すべからず、のアジア諸国において、いわゆる創姓改名をしたり、首都のど真ん中に伊勢神宮を祀ったり、韓国ソウルの円丘壇(天壇に相当)を壊して今の朝鮮ホテルを建てたりというやり方は、明らかに不適なもの、いや、国民にそれ以上の傷を与えるものと言わざるをえないでしょう。
これは、正にアジアを知らない無知から出たことで、要は、当時の為政者が欧米かぶれで、本当の日本もアジアも知らなかったがゆえ、と言っても過言ではありません。知っていたらできません。正に、明治以降の欧風政治方針と教育のしからしめるところ(全然国粋でもない)。
今の日本もそこから考えるべきです。ただし、私は頑迷固陋な保守派などではありません。これまた葉隠の言葉で言えば、この境危うきなり。
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Thursday, September 3, 2009, 12:38 AM
9月1日のようなことを言いながら、私はたくさんの学者の友人を持っています。要は、はっきり言えば、学問の節を曲げ、実は真に学問的でない御用学者がいけないということ。
そして、やはり実務家の中で、ちゃんとした実務家はやはり偉い。
過日、旧東亜同文書院関係者と長春を訪れましたが、初代、3代の院長・根津一は、その入学式で以下のように言ったとか。
「同文書院は単に学問を教えるだけの学校ではない。学問をやりたい者は大学にゆくべきだ。大学は学問の蘊奥を究めるところであるから、そこで学ぶのが正しい。
諸子の中で学問で世に立ちたい者があれば、よろしく高等学校から大学に進むべきで、本日この席において退学を許す。志を中国にもち、根津に従って一個の人間たらんと欲する者は、この根津とともに上海にゆこう」と(石川順・砂漠に咲く花」)。
この気概・大きさを、実務家たる我々多くの人は持ちたいものです。
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Tuesday, September 1, 2009, 08:27 PM
選挙が終わって、予想どおり民主党が勝ち、新しい政治が始まろうとしています。しかるに、新しいことを始めるのに一つの問題になるのが官僚機構でしょう。
アメリカに伝統的なスポイルズシステムにはなっていませんから、その組織は厳然として無傷?です。故後藤田さん的にいえば、こういうときに中立公平な官僚であることこそ官僚精神?の真骨頂ということになるでしょう。
これは、官僚の責任感に依存する東洋あるいはドイツ官僚主義のある意味理想です。そしてこれは、ポカをしたときは切腹しておわびする立派?な姿ともいえ、マスコミでもこれを素晴らしいこととする論調がしばしば見られます。
ただし、その責任の名宛人が国民に向かわなかったり、責任を取ることを怠ったりした場合、悲劇が生じます。人間という生きている動物である以上、そうしたことは起きるでしょうし、古くからアジア社会の問題でもありました。
そうすると、最初に戻ってスポイルズシステムを取り入れた社会を作ること、あるいは、鎌倉時代を考えると、その社会に「戻ること」が必要ではないかと思われてきますが、ここに、我々の頭を支配し、その発想にブレーキをかけるのが学者という存在でもあります。実務家、例えば内閣法制局長官をされた高辻さんの憲法の本などは、私と同じ方向の考えですが、そういう本は売れず、純粋学者の権威者の本が、何を言っているのか分からないような内容なのに、裸の王様然として、すごいよね、いいよねの声とともに版を重ねていきます。
こうした傾向の背後に何があるのか、実は実務家としての官僚の、静かな働きかけが存在するようなことのないことを願います。
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Saturday, August 29, 2009, 12:33 AM
今日の日経新聞の最後のページは興味あるものでした。右側の大きな欄にあったのが孫文の日本人の妻とお孫さんの話。確か蒋介石にも同様の日本人がいました。左の私の履歴書に出ていたのが浅岡ルリ子さんで、過日大連で、彼女が訪問した写真を見ました。彼女のお父上は上海にあった東亜同文書院の関係者だそうです。
つまり、末尾のページは、日本と大陸との関係バッチリ。
この孫文、本文にもあるとおりですが、まだまだ研究の必要があるような気がします。彼の憲法は五権分立で、台湾が正にそれですが、少なくとも監察については独立させることの意味が我が国においてもありそうな気がします。
葉隠において、山本常朝の究極の目的は殿様に諌言する立場に立つことだったそうですが、そもそも中国には伝統的に台監というものがあって、殿様に諌言するのは立派な家来の職務でした。東洋特有のものとして、会社に監査役があるのと似ています。
そうすると、過去を引きずった現代の日本においても、監察は必ず有効な気がするわけです。
西洋では、ロックの二権分立から行政、司法が別れ、三権分立となりました。東洋では、三権から四権に別れたとて、決して不思議ではないはずです。
そういうことを具体的に考えるのが本当の憲法改正論議のはずです。
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Sunday, August 16, 2009, 08:23 PM
今日は8月16日、旧盆も終わって、地獄の釜の蓋も開くと九州では言われる要は薮入りです。今年の8月15日前後は、様々に戦争の悲惨さを訴える番組が多かったように思います。戦後60数年たって、当時の事情を知る人が少なくなり、いわゆる観念論に陥る傾向が見える現在、大事な事かとは思いますが、問題を感じないではありません。いや、むしろ感じます。
それはいつも言う、「お話し歴史」ということ。戦争の悲惨さだけで戦争はいやだいやだと叫ぶだけでは、どうして戦争が起きたのか、あるいは起こさないようにする国家体制とは何か、という論理につながりません。
ちょうど今、マニュフェストが騒がれていますが、どうするこうするがあるだけで、どういう国が何をする、がありません(もちろん、一部にはそれをメインに持ってきている新政党もありますが)。つまり、昔で言えば、「木口こ兵は死んでもラッパを口からはなしませんでした」なんていう話を歴史としていた(古い!!)国定教科書大切の傾向人も、戦争は悲惨だったの人々も、同じ発想ということなのです。
そうなると、金メダルを取ったから国を誇りに思いましょう、とかという小学生以下の子供の発想から抜けきれないというわけです。
最近、東京で目にする「日本だけが出来る何とやら」という旗の文字も同じでしょう。
我々は、要は大人にならなければいけない。そのことを恐縮ながら強く感じたここ数日でした。
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Tuesday, August 11, 2009, 11:41 PM
おとといから、NHKで、日本海軍軍令部のことをやっています。我々の世代からは、そうだろうな、解るよ、という話も多いですが、若い人には新鮮なこともあるでしょう。亡くなってしまいましたが、同じ海軍の坂井三郎さん(私と仲良しの64機の撃墜王。「大空のサムライ」で有名)がいれば、その通り。もっとひどかった、と言うでしょうし、仕事場ご町内のお仲間・東条英機の弁護人清瀬一郎さん(60年安保時の衆議院議長。戦後最大の議長)の息子さんとお酒を飲むと、「海軍はね、海を見ているので変な気持ちになるんですよ」と言われていたことも思い出されます。
海軍はスマートで戦争に反対だった、なんて言うのは大嘘だということがわかります。
そこで、私の感想も忘れない内にここに記しておこうと思います。
まず1日目は伏見宮軍令部長(後、軍令部総長)のいわば弊害の話。これは、今までも指摘されてきたことですし、全く同じことは陸軍にも言えて、参謀総長を閑院宮様が長いこと務めて、特に真崎甚三郎参謀次長とよくなかった話は、子供の時から聞かされてきました(大将の息子、つまり昭和天皇の通訳で、アフガニスタンの大使をされた秀樹様とはなくなるまで懇意にさせていただきました。また、弟の勝次少将から小学校に入るときは洋服をいただいたりしたものです)。閑院宮も確か伏見宮家から出ていたはず。
真崎参謀次長の時に中国との間で締結されたのがタンクー停戦協定で、この線でストップしておけば、蒋介石としてもやむなしの線であり、それは蒋介石の文書にも書いてあります。
ところが多くの本は、この機微がわからず、2・26事件後の所謂統制派による中国万里の長城以南への侵入、ひいては破滅の意味がわかっていません。これはチベット問題などともかかわるのに。
そして、番組でも言っていた宮様総長や軍令部長を利用した悪巧みや組織的欠陥等々のことがわからねば、本当の歴史はわかりません。
2日目の特攻の話。正にそのとおりですが、足りなかったのは、ああしたとんでもない戦法に導いた思想と、それを指導した人物のほっかむりの件。この無責任な人物の後継者は現在もしっかりと、いわゆる言論界どころか、学会と称するところにまで根をはっているから困ってしまう。
それも私の関係者といえば関係者。大西中将も(海軍でただ一人〔一人しか!〕自決した将官。宇垣纏氏がやったのは、とんでもない戦争終了後の若い人道ずれの特攻自殺。指揮官としてとんでもない上に、世界への恥)。
それはそれとして、1回目もそうですが、ムードに流されて、ここまで来たからやっちゃいましょう的言辞は、今の社会というか、最も根幹である役所に今も巣食っていて、最近の様々な「改革」と称されるものの中にも、とんでもないものがあろうかと思う次第です(戦争じゃないだけましか。それじゃ寂しいものです)。
今日の東京裁判での島田大将の話など。島田さんの弁護人関係者とも大いにかかわりありですが、あの人の判決後の態度も有名といってよいでしょう。
戦争責任の遡及を阻む話は、この博物館の江戸武士道の話と非常に関り深いです。
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Sunday, August 9, 2009, 01:18 AM
ある方の紹介で某国憲法裁判所の裁判官が事務所にやってきました。以前、別の裁判官からもらったその国最高裁正面の正義の女神の写真を種に何十分かの正義談義。そのあと食事をしながら色々話しました。その中で、今回の裁判員制度について、量刑を素人に担わせるのは奇妙と。これは過日、米国の弁護士も言っていたことで全く同感。
最近、日本では刑事で400日以上も未決勾留されるんですよと言ったら、「それじゃ裁判官も無罪にはしにくくなりますね」と、目の覚めるような素直な感想。同感。
最高裁が平等かどうかを判断するには条文によるべきで(例えば憲法14条後段。これは今の日本では少数説)、単なる平等という一言をもって判断しては法治主義ではなく、裁判官の個人的趣味の裁判になってしまう、との言。これはドイツの学者ヴィントシャイドや日本の滝川さんの言葉を思い出し、相当にそのとおり。特に、最近の行き過ぎには同感。
要は、彼は裁判官は自己を信じるな、冒頭の正義論でも、正義の女神はやはり目隠しをするのが正しい、との見解。
私はひところ、目隠しはしない方がよいと思っていましたが、最近の自信満々で無罪の推定を受けている人を400日もぶち込んでいる裁判官を見ると、やはり目隠しが正しいかと思ってきます。
それで、葉隠にも関係深い名裁判官板倉重宗(彼は、当事者の顔が見えないように、目隠しの代わりに障子を立てて話を聞いた)のことを書いた穂積陳重の法窓夜話を贈ってさし上げました。
これからも大いに仲良しになれそうです。
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