★6月15日 
Monday, June 15, 2009, 07:25 PM
 科学的鑑定の問題で中部地方のある県に行きました。小学生の時以来の友人がお願い先。
 彼のような理科系の人と話すのは楽しいものです。嘘いつわりのない世界だからでしょうか。
 私も工作や理科の実験が大好きだった昔に帰って、もういちど別の人生をやってみたい気になります。もっとも、おっちょこちょいの私は、計算がからきしだめで、理科系では点数が取れなかったと思いますが。

 で、ひとわたり話が終わって、案内してもらったところが武田八幡宮。
 武田信玄が改築した本殿はじめ、みどころ満載。素晴らしいの一語。特に、この神社に願文をささげ、武田勝頼とともに自害した奥方は、小田原の北条氏政の妹で、わずか19歳ときては、その願文の素晴らしさとあわせて、昔の人はやっぱりすごかったな、とただただ感じ入るばかりでした。辞世の歌は
  黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒
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★6月10日 
Wednesday, June 10, 2009, 11:55 PM
 健康診断で、隣の弁護士会の講堂に行くと、正義の女神の像が置いてありました。
 よく議論になるのですが、その像は、右手に剣を持ち、左手に天秤を下げていました。最高裁にもありますが、大体、似たような形であった記憶です。
 だらんと下げた秤はどうも力なく、剣の方がしっかり立っているのは何かを暗示させます。

 以前も書きましたが、お隣韓国では、秤を高高と掲げ、剣は国柄に合わないと六法全書を持つ女神が、最高裁の真正面に。入り口には「自由、平等、正義」の文字です。

 陪審発祥の地、イギリスの中央刑事裁判所(ロンドン)では、庁舎の頂上のクーポラ天辺に、腕を真横にして剣と秤を持った女神像があります。公平を強く意識させます。

 そして、パリでは、パリ大学法学部の入り口に「自由、平等、博愛」。しかもその面前にはルソーらの墓があるパンテオンが。

 こうしたあつらえは、裁判官を信じず、人間は常に謙虚でなければならぬと教えているように思います。
 日本にはなぜこうしたものがないのか。あるいは設置できないのか、きわめて深い理由がありそうでなりません。そういえば、中国にもなかったな、とか。
 もっとしっかりした国になるとはどういうことか、考えるべきだと思います。
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★6月9日 
Tuesday, June 9, 2009, 09:24 PM
 ある学者の学会報告を拝聴。「私は木を見て森を見ずと言われています」との冒頭のお言葉。むしろ、学者は基本的にそれが正しいともいえるでしょう。木も見なければ、山も変な方向を見ているおかしな評論家がメディアを賑わしているご時世、とんでもない、立派な先生です。もちろん、そういう評価ありの人。

 しかし一方、この「学者の良心」のみで進んでいくと、まとまったものが完成されるには相当な年月を要しますし、うっかりすると自己満足にも陥ります。現に大学者の多くの業績は、相当な高齢でそれなりのものができ、貝原益軒のように、本を書き始めたのは70歳なんてことにもなります(もちろん、本居が言うように、晩学の人も、努めれば立派な業績を残すでしょうが)。

 そこで一方に、木はよく見ないけれども山を見て方向性で勝負するという人種にもそれなりの存在意義はあるでしょう。私がそれである実務家というのはその一種。

 実は、かの先生の報告のテーマは「国家神道」であり、明治以来の宗教法制をしっかり跡付けた上でなければ国家神道などという観念は持てない、という雰囲気が見られましたが、日々、人権などというものに対面している私からは(例えば、売買契約は、憲法29条で保障された財産権の移転にからむ人権の問題)、明治憲法、その制定に当たっての、枢密院における伊藤博文の言葉、憲法学者美濃部達吉の本などなどからみれば、旧憲法下の国家体制が法的にも倫理的にも国家神道という一種の宗教であったことは当然であると見られます。
 
 実務家の、太い「論理」をよすがとして。これに実証をほどこすことはもちろん大切でしょうが。



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★6月4日 
Thursday, June 4, 2009, 02:31 PM
 このところ、北朝鮮をめぐって重大な報道がなされていますが、その一つがアメリカのジャーナリスト2人が北朝鮮当局に逮捕され、裁判にかけられるという話しです。
 アメリカの報道でもどうなるか分からないということですが、かの国の制度については、額面と実態が全くことなるのは当然で、ましてや日本人の頭で考えてもだめです。

 その昔、「社会主義や共産主義になったら泥棒なんかいないはずなのに、ソ連にもちゃんといるじゃないか」という議論をすると、その国のシンパは、「それは資本主義の残滓としてあるのであって、革命が成就すればなくなるんだ」なんてうそぶいていたものです。
 そういう話しを聞いて、「そうだな」なんて納得してしまうおめでたい人間もいたわけで、そういう人間が自民党や(もちろん民主党や社民党にも)、官僚にいて、その昔のことはすっかり忘れるか、全共闘がなつかしいなんて言っているから困ったものなのです。
 つまりは、日本の「試験制度」に重大な欠陥があると思っています。私などはその被害者?です。

 一方、私は、その昔は北朝鮮と名が付けばあらゆる本を買って読んでいました。今では多すぎて手が回りませんが。そんな中に、朝鮮総連系のかの国の学者の書いた法律の本があり、これにはある意味目が開かされました。上記の泥棒の話しと同様、独特の発想を持っているからです。
 そんな目から見ると、テレビなどでしゃべっているお方の発想は余りにも日本的。大前提の違いを無視して外交を云々しているので、議論になりません。

 それはそれとして、先日、岩波から現代文庫を出された先生から、そのご本をいただいたので、久しぶりにお会いし、食事しました。
 その際、私が「あの福島正夫さんの罪は深いですよ」と言ったら、先生は「そうですね。私もその点は反省せざるをえない」と言われました。何しろあの福島さんの本など、正に地上の楽園のことが書いてあるわけですから。ああいう人が、要は右も左も、東大の名誉教授だの早稲田の客員教授だのになって、全集などを出し、権威に弱い素直な学生が、様々な過誤を犯し、自身をだめにしてしたどころか、それ以上のことになっていることを、我々は忘れてはならないと思います。
 ちなみに福島氏が客員教授をしていたw大の文書を読んでみたら、相変わらずのべたほめ。しかもあの人が北朝鮮のことを書いていたことなど全くカットといういわば故意的隠蔽にはあきれるばかり。
 新渡戸稲造の「武士道」といい、福島氏の本といい、ほめる人は本当に読んだのかね、と言いたくなります。もちろん読んではいないでしょう(そのことは葉隠の山本常朝にも言えることですが)。

 その福島さんは、早々と亡くなり、ほっかむりするか、あの世に逃げるか、なんていうのでは、本当に困る。だから我々は、勉強を怠ってはならないのです。



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★5月31日 
Monday, June 1, 2009, 01:07 AM
 先日、小松空港から飛んだので、空港近くの安宅関に寄ってみました。
 特別な遺跡は見えませんでしたが、すぐそばにある住吉神社の巫女さんが詳しく説明。最後に難関突破のお守りはご愛嬌。私としては、そこに航海の神である住吉さんがあることの方に興味が行きましたが。
 そして今日は謡曲安宅を鑑賞。歌舞伎と違って、少々眠くなりましたが、よかったです。
 考えてみれば、歌舞伎の題材も、こうした謡曲や落語から出ているものはまともなものが多い気がします。
 一方、歌舞伎座で始まる女殺し油の地獄みたいなものは、何しろ題材が題材だけに、しかもその山場といい、健全とは言えないと思います。
 「どろどろした何とか殺しみたいなのはおかしいよ」、とは、日ごろお付き合いある大手ゼネコンの会長さんの言で、私も大賛成(その方は葉隠の常朝さんが大嫌い)。謡曲でお尻が痛くなるくらい同じ所作ばかりしているのも変なら、おどろおどろしい場面をしかつめらしい顔をして「鑑賞」するのもばかげています。
 今の日本の芸術と称されるものには、実はそういう面もあるのだと言うことを考えるべきではないかと思います。それには真に国際的視野が必要でしょう。今日も外人さんはたくさんいましたが、ただただありがたがっている人も中にはいないではないので、ほめられただけで喜んじゃいけないと思います。
 
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★5月30日 
Saturday, May 30, 2009, 08:44 PM
 米国のジャーナリストと食事をしながらおしゃべりしました。きっかけは、エレベーターの中で、彼が「日本人はどうして法律を解釈してしまうんでしょうか」と言ったことによります。その真意を確認したく思いました。
 彼の意図は、主として憲法第9条の解釈改憲への批判にありましたが、私も、あらゆる場面にある「解釈」の罪については同感です。
 少なくとも解釈が許されるようになったのはここ100年もありません。明治憲法下の法律は、正に王言でした。この天皇の言葉を勝手に解釈するなどもってのほか、天皇の立法大権はもとより司法大権、行政大権を侵すことだったのです。
 しかるに、大正時代の世界的ムードにも乗り、解釈オンパレードの時代になりました。
 しかし、その主唱者末廣博士は標準的教科書を残さず、次代の学者の手に移りましたが、その影響は、日本だけでなく去年訪問した台湾の裁判所にも混沌とした影響を与えています。
 考えてみると、このようは大権干犯の概念は、実は極めて大切なことともいえます。それは、「天皇の」とさえ考えず、「国民の」大権と考えれば、侵してはならない重要な原則のはずです。
 ましてや裁判所という、あるいは彼がいう法制局という民主的基礎に大いなる問題のある機関が解釈を行って諸施策を進めることは、国会軽視の著しいものと言わなければなりません。

 それにしても、明治維新がよいものだったかは問題、とか、その推進者ともいうべき水戸の徳川斉昭(烈侯)には表向きでも37人の子供がいたんです、と言ったら、彼は「エッそれは何年かかってなんですか?」とびっくりしていました
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★5月23日 
Saturday, May 23, 2009, 01:18 AM
 今日は埼玉に行ってきました。
 埼玉で好きなのはその県立博物館です。何しろそこには、レプリカとはいえたくさんの板碑がありますから。これこそ、本当に日本的なものではないかという気がします。もとより大もとはインドの卒塔婆ですが。
 中に、最も感動的なのは、臨剣頌が彫られた入間市のもの。
 円覚寺開山である無学祖元は、南宋福建省の寺にいた時、元の軍隊に押し入られ、今まさに殺されそうになった時、この頌を吐きました。
 驚いた元の兵隊は、失礼しました、というわけで、引き上げたというわけ。
 その情報は、1333年の鎌倉幕府滅亡時、この埼玉にも届いており、新田、北条の戦争で死んだ武士の供養塔に、この頌が彫ってある次第。正に感動的です。

 ところで、ここまでは以前にも記しましたが、この話には更に続きがあり、今度は日本の僧・雪村友梅が中国に行き、元の政府に怪しまれ、殺されそうになりました。
 その時、雪村友梅は、正にこの頌を詠んだのです。驚いた元の官員は、これまた失礼しましたというわけで、殺すのをやめました。
 ですから長い間中国では、この頌は友梅のものと思われていたとか。
 なんともおもしろい話しです。


 在日本的埼玉県有hen多石碑。我イ門叫這箇石碑板碑。我最感興趣是入間市円照寺的石碑。 那箇石碑上有一箇詩。那箇詩是一箇中国人的和尚作的。他在南宋的一箇寺廟的時候、蒙古的士兵進入了。那箇士兵想殺了那箇和尚。那箇時候、那箇和尚作了那箇詩。那箇士兵口下了一跳。他没殺那箇和尚。那和尚的名字是無学祖元。
 那首詩叫臨剣公頁。以后、他来日本。在鎌倉建立了円覚寺。円覚寺最有名的鎌倉的寺廟。

 然后、那箇石碑1333年建了。那箇時候鎌倉幕府結束了。那箇戦争的時候、日本人為供奉戦争死的人建立了那箇石碑。
 我覚得中国的詩到日本的農村hen有意思。

 然后、日本的和尚雪村友梅在中国的時候中国的官員逮捕了他。官員想殺了那箇和尚(雪村友梅)。那箇時候、那箇和尚説了那箇詩。那箇官員口下了一跳。所為、在中国長箇的時間、中国人覚得那箇詩是日本的作品。hen有意思。

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★5月20日 
Thursday, May 21, 2009, 12:40 AM
 京浜東北線を横浜から出発して、すぐ右手に見えるのが権現山城。

 もちろん、昔は左手にもあったと思いますが、現在は線路で分断されています(あるいは、山側が攻め手であったようです)。

 この城は、足利尊氏や北条早雲の権現山合戦の場所であることは知っていましたが、実は東京湾から八丈島まで支配していた海賊の拠点ということを、横浜市立博物館で行われている特別展で知りました。

 かつての水運の重要性に鑑みれば、こうした海沿いの城が単なる陸地の城としての機能以上に海城としての意味を有していたことがうなずかれます。
 水運を中心として歴史を見なければいけないということを強く感じる特別展でした。

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★5月14日 
Friday, May 15, 2009, 01:13 AM
 昨日は、小人数の佐賀関係の会で卓話を頼まれ、30分ほどおしゃべりしました。
 大きなテーマは佐賀の国際性。
 色々ありますが、ドルメン(支石墓)から入りました。以前の掲示板に写真を貼っているとおりのものですが、遠くはアイルランドまでつながる?もの。それが福岡と佐賀、熊本に多いのがおもしろいところです。
 私は、九州への風の吹き方も関係しているのではと思います。冬なども関東と異なり、西風が激しいので、大陸からの渡来者は、福岡だけでなく、佐賀や熊本へもやってきやすかったとみます。
 下って中国でいえば宋の時代、1133年、宋の船が神埼の荘にやって来たというのもわかります。多分有明海ルートでしょう。
 これと私貿易をした平忠盛は、儲けたお金で、平家物語りにいう「三十三間の御堂を建てらる」。
 やはり中世はおもしろい時代です。


我昨天講演了佐賀的歴史。我説佐賀是国際県。

yu古代hen多人従大陸来了。比如説在佐賀有hen多古石墓。一様的古石墓在韓国、在中国、在印度、在欧州有hen多。
特別在法国、在愛er蘭有。

我興趣那箇吉石墓的放置。在福岡有hen多.在佐賀、在熊本有hen多。
我覚得這箇放置根据在九州的風向。

宋朝時代1133年、一箇船従宋到佐賀了。
那箇時候一箇武士平忠盛和那箇船開始日宋貿易。他貝兼了hen多銭。

所為他在京都興建三十三間堂了(這箇堂hen最有名的寺廟)。
日本的中世hen有意思。

I did a table speech at a dinner the other day.
The big theme of that speech is internationality of Saga.

There were many old tombs called "dolmen".
It is like a small ston henji.
Same shaped stones are in Ireland as well.

In Fukuoka,Saga and Kumamoto,ther are them a lot.So these places are interesting.

Why did they gather in those places?
I think there is a strong relationship between wind and locationing of Kyushu.
Strong wind blow from west in winter.So,a lot of sips arrived in western Kyusyu.

In 1333,one ship from China arrived in Kanzaki in Saga prefectur by western wind.
And the master of this place Tadamori Taira made new connection with this sip,and he started private trade with China at that time.

He got a lot of money from the trade and he built one big temple in Kyoto.Japanes famous book "Heike monogatari" said "33 ken no Mido wo tateraru".

The Japaneas middle Age is very interesting.


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★5月10日 
Monday, May 11, 2009, 12:51 AM
 連休は、葉隠にも登場する有名な坊さん、潮音道海ゆかりの山寺に参拝し、近くで蕎麦を食べてきました。そして今日は親戚の法事で鍋島家ゆかりの寺での宋朝禅の雰囲気いっぱいの法要。我が家の宗旨は浄土真宗ですが、宋朝禅のきりりと引き締まった禅風は見事です。
 潮音といえば、先代旧事本紀にからむ事件でも有名ですが、詳しいことは別として、その山寺のまわりには、熊や鹿などの動物を初め、ブッポウソウ、ジヒシンなどが鳴くとか。そして潮音禅師は、背後の山に日、月、星の名を付けたとのこと。これまた旧事本紀事件とかかわるものの、要は、この森羅万象が仏法を語って下さる、我々人間は、その中における小さな存在であるということを教えたかったことは間違いないでしょう。
 実は、浄土真宗においても、以前の掲示板に写真で示した三笑図を、お寺の本堂、庭園、書院で示した結構があります。

 こうした大きさこそ仏教の国際性といってもよいでしょう。
 そういえば、以前、長崎で会った傑僧は、その山寺方丈様の同期とか。おへそを出してゴミ焼きをしながら、不生禅の由来を語って下さったその禅師もすごかったです。道者、隠元、木庵ら明末清初の渡来僧と武士の道は、この博物館の本文にも書きましたが、奥が深いです。もちろん、ただ今勉強中。

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