★4月9日 
Thursday, April 9, 2009, 02:56 PM
 その昔の勉強仲間の会の50周年行事があり、取りまとめ役であったことから、打ち上げ旅行で2度目のテニアンを訪問。地元の人との交歓や、サイパンでは裁判所を見学したり、高校生の陪審コンテストで優秀な成績を収めた高校生に話を聞いたり。有意義な時間を過ごしました。

 そのテニアンの衛星放送テレビで見たのが日本による台湾領有の話。
 NHKが好きというわけではありませんが、やっとまともな台湾領有論が行われているわ、と思いました。
 以前台北で1度食事をしたこともある台湾人の医者Kさんがメインの登場人物。彼らはR総統の仲間でもありますが、むしろ批判的です。その大きなポイントは、かつての台湾領有における差別にありといってよいでしょう。私のごく近い親戚にも台北一中や台北第一高女に行った人がいますが、番組でも言っていたとおり明らかな差別がありました。
 この差別の根源や蒋介石進駐後の悲劇に番組はふれていませんでしたが、当時の日本人の意識は正にこの博物館に記述した儒教武士道の延長にあり、それがああしたことに至る大きな要因になったと思います。
 それは、正にサイパンなどの南洋諸島においても全く変わりません。サイパンガラパンにある博物館で購入してきた本に、台湾の人々との全く共通することが書いてありました(当たり前ですが)。
 もちろん、一応原地の人に納得してもらえば、それなりの評価も得、それが台湾人は日本好きという半分は本当の話にもなるわけですが、ことはそんなに単純ではありません。
 番組の最後で、言葉というアイデンティティの根幹を奪われ、自らの思いを台湾語で語れない憤りが述べられていましたが、その苦しみは十分わかります。
 以前、Kさんの仲間と食事したときも、「Rがそんなに日本が好きなら日本人になってしまえ」と吐き捨てるように言われた人がいたことが思い出されます。
 そんな彼らも徐々に減ってきています。去年、台北に行った時、取りまとめ役のCさんと電話で話しましたが、既に施設で生活する日常となっていました。
 私に「僕の体は半分以上日本人になってしまっているんだよ」と言いつつ、様々なもどかしさを訴えていた祖父以来の関係者・別のKさんの悲痛な言葉が今も思い出されてなりません。

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★4月3日 
Saturday, April 4, 2009, 01:04 AM
 旧知の考古学者O先生が中近東の遺跡発掘の件で新聞に出ていました。
 トルコは、日本と同じころ成文憲法を作ったアジアの同胞です。そのケマル・アタチュルクの改革は、私が尊敬する日本人の改革者・原敬と同方向ながらその困難さと到達点は原のはるか上をいくものでしょう。まちろん、原の生命を賭しての改革もすばらしいもので、最近の「改革まがい」とは大違いです。
 そして、このあたりは、2000年くらい前は、中国、ローマのちょうど中間としてのパルチアの地域。
 ここを知らずしては人類の何たるかもわかりません。
 金銭抜きで何十年にもわたって真実を求める発掘活動をしているO先生の仕事が日の目を見てほしいと思うとともに、こういう学者の功績を実際の政治や経済に生かすことこそ余人の務めではないかと思われます。
 
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★3月31日 
Tuesday, March 31, 2009, 11:15 PM
 ソマリア沖の海賊対策のため、護送船団が組まれることで思い出すのが私の身内。
 昭和19年7月、サイパン島陥落後の日本は、南方へのシーレーンは正に喪失。私の故郷・佐賀県の北の海も朝鮮半島への安全は確保されず、今も多くの船が呼子沖の海に沈んでいるそうです。
 ですから、シンガポールから護送船団を組んだ我が身内の船も、海南島近辺の大海原で米軍の潜水艦の攻撃を受け、運よく私の身内は、17、8時間の漂流ののち助けられました。その反面、助けられなかった人がこれまたおびただしい数、南の海に沈んでいることでしょう。
 つまり、すでに戦争遂行能力など全くなかったわけで、にもかかわらずこれを遂行したトップは、一体どんな頭の構造をしていたのか、それを明らかにしなければ、再び同じ過ちを起こしてしまいます。
 その、深い深い理由を探るのが私のテーマ。
 そんな中、昨日も今回の裁判員制度の話と武士道とがどう結び付くのか・・・といった質問を受けましたが、被告人という国民ないし人間に、刑罰という賦課を与える権限の問題ということになれば、切り捨て御免などの権限(権力)を持っていた武士の倫理と当然結び付いてくるわけで、我々はそうした発想法を常に磨いておかなければ、深いところからの「改革」にはなり得ないと思うのです。
 ソマリアも裁判員もつながっている・・・これは本当のことです。

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★3月30日 
Monday, March 30, 2009, 07:35 PM
 中国からの留学生を連れて長野の善光寺に参拝。
 先日、盛岡での学会に参加した留学生は、ついでに有名な平泉に行ったそうですが、金色堂の小ささにびっくり、がっかりであったとか。しかし、善光寺の大きさには納得。しかも、立派な庫裏にはこれまたびっくり。
 そんな現象を見ていて思ったのは、確かに善光寺は大きいということと、この大きさはどこから来たのか、ということでした。
 今の善光寺の元は飯田にあって、その前は蘇我、物部の仏教をめぐる戦争にあり、つまりは聖徳太子の時代に由来することは解説書にあるとおりです。そして、これを造った本田善光さん夫妻の像をよく見ると、奥さんの方はいわば立て膝をして韓国の女性と同じ姿勢をとっていることに大陸との関連が言われてきました。
 そうすると、今の建物は江戸時代のそれとは言いながら、あの大きさそのものが、正に大陸的ということではないかと思います。いわば、東国にある数少ない大陸的規模を持つ遺跡といってよいのではないかと。
 2年前に、また最近、ある雑誌に我が国民の「気宇壮大さ」の大切さを書き、その代表として大野城や奈良の大仏様のことを書きましたが、同じことがここでも言えそうです。
 もちろん、平泉の遺跡も、現象面の小ささとは反対に、目に見えない大きさはあることを、留学生ならぬ日本の「地元」人間として、踏まえなければならないことはもちろんです。

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★3月22日 
Monday, March 23, 2009, 01:33 AM
 今年も先日、北マリアナ連邦、つまりサイパン、ロタ、テニアンの連邦で、高校生の陪審コンテストが行われたとの報が入りました。
 友人のHさんが送って下さった資料によると、敗訴した検事による相手弁護士殺し。それに至るまでのおぞましいともいえる様々な事情。中には性的スキャンダルまで。そして、心神こう弱の主張。
 これを種にして高校生が陪審の訓練をしている。しかも本来小学校から。
 こういう下地があっての陪審だよね、といつも思います。
 一方、これまたいつもいうとおりで、昭和3年の旧陪審法が施行されたとき、わが祖先たちは、しっかりそれを行うには勉強をしなければ、というわけで、あの日比谷公会堂を造り、模擬裁判に汗を流したものでした。
 どういうときに辞退できるの?が論点になっている最近の傾向をみれば、まさに退歩です。
 もちろん、裁判員とかいう中途半端なものには全面的に賛成できるわけではありませんが、あまりにも今の論点はお粗末です。
 なお、こういう民意の反映(この言葉も変)は、戦後の司法改革でも調停委員など行われたわけで、あの下請け的やり方を清算できる国民にならなければ当面成功は・・・と思います。
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★3月18日 
Wednesday, March 18, 2009, 09:53 PM
 数年前、地下鉄の中で偶然言葉を交わした紳士がスーダンの難民の方でした。以来、何かとスーダンが気になっていました。もちろんその西部での紛争のことです。
 そんな最近、国際刑事裁判所(ICCP)が、同国大統領に対する逮捕状をが出たとのこと。
 一方、地元ではICCPにやられるなんて国家の体をなさないじゃないかというわけで、独自に裁判にかけるという勢力が。
 もちろん、アラブ系、その反対のチャドの支援を受けている系、その中でも政府にくっついた系などなど、複雑極まりないのでやたらなコメントはできませんが、思い出すのは日本の戦後、東条英樹らの責任を自分たちで問おうとしたまともな勢力がいたことです(以前、木村三浩さんと誌上対談)。
 今の日本にこうした動きが極めて少ないのは憂うべきことです。
 一方、この紛争を見ていると、国家という枠組みの罪が正にアフリカという人工性の極致で現れているなという感じがします。
 となると、本来、コミュニティーとは何だったのかという基本に人類は立ち返らなければならないのではないか。やはり人工性の極致であるアメリカなどにおいて、州やカウンティーは人工的な線で引かれていても、その下の単位は一つのまとまりとして協同体を作る。それは東洋の社しょくに通ずる、という具合。会社や社長という言葉も本来はこの社から来ていると本文に書いたとおりです(会社法が改正されましたが、私が作ったなどと宣っていた某公務員には、こんな発想は一向なさそうでした)。
 今や、スダーダンは資源争奪がからんで大変な具合ですが、人類がこの基本に帰らなければ、宇宙船地球号の乗組員には若田さん以上のプレッシャーがかかりそうです。


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★3月12日 
Thursday, March 12, 2009, 01:09 AM
 仕事で川越まで行き、帰り道を駅まで歩きました。途中、喜多院や東照宮があり、古い板碑も相当数”発見”。やはり川越は古いところなんだな、と益々興味がわきました。
 以前、鎌倉の国宝館に行った時、ギリシャ人の先生がいて、板碑の光背にある丸い輪は、ギリシャから来たものですと言われていましたが、本当にそうだろうと思います。もちろん、今の日本の仏像のルーツはガンダーラなどにあり、それはギリシャの強い影響の下にありますし。
 そんなことを考えていると、そういうこととは逆に、日本国民の間に我が県こそ最高、みたいな視野の狭さがままみられるのは本当に困ったことだと思います。各県それぞれに”名物牛”がいて、アラブとかに売り込んでいるとか(最近の新聞にも載っていましたが)、何たる無駄。
 やはり手っ取り早い話し、道州制的なものは必要なのだろうと思います。



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★3月10日 
Wednesday, March 11, 2009, 02:23 AM
 昭和20年3月10日の大空襲を私の身内は滝野川にあった陸軍省兵器行政本部で経験。そのころは兵器も何もなく、毎日、敵戦車への体当たり訓練。
 しかも、そこへたどり着くまでには、フーコン作戦(フーコンは死の意味)のビルマから南シナ海で潜水艦に撃沈され、海南島から台湾に着く直前に爆撃で火災。
そんな状態でまだ半年近くも戦争を続けた当時の意識の元は何か。それが問題と思います。
 先日訪問したフランスの廃兵院にある軍事博物館には、入り口そのものにむごい戦争の絵が。こういうものを軍事の博物館の入り口に展示するフランス人の精神の真の強さに感服しました。以前、サッカー、トルシエ監督の通訳を務めたフローラン氏と話した際も、彼の、アメリカとは一味も二味も異なる強さに感動しましたが、あの博物館はすごかったです。
 ちなみにそこにはナポレオンの墓もあるし、70数名の傷痍軍人が今も住んでいます。
 一方、東京の某神社。先代だかの宮司さんが偉い人で、大空襲で焼けた木を境内
に展示していましたが、誰かの申し入れで引っ込めてしまいました。
 戦争というものは昔の日本の絵のような美しいものではないのです。それを隠して論じようなんて言うのは全く子供。世界の大人に伍す為に、真の日本人の強さが求められます。
 週刊誌などではやされている単なるポピュリズムやワンフレーズではない。



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★3月5日 
Thursday, March 5, 2009, 01:20 AM
 もう一つ変だねと思われるのが中央郵便局の立て替えの話(かんぽの宿売却がおかしい、というのは大賛成ですが)。
 そもそもあの建物は重要文化財ではないし、近くにある某建物など、わざわざ税金を使って手を入れて復元工事まで行い、あげく重要文化財。一体、それらはそんなに大事な建物なのかねと思います。東京駅なども、早く言えば西洋のまね。そっくりの様式は世界中にあるのに、また、そんなものより小さく重要で、でも名も知られない意義のある建物はいくらもあるのに、お金のかけ場所を間違った話です。
 そもそもこの中央郵便局、私はよく行きます。もちろん取り集め局として24時間開いていますし、あそこから出すと早く着くので。友人の弁理士は私書箱も持っています。
 そういう我々からみると、あんなに古くて使い勝手の悪い建物は、合理的に建て替えるのに大賛成。郵便局が文化財なんていう必要はそもそもなし。実用の具のはずです。いつも言う鍋島直茂の「実!」です。
 あの使い勝手の宜しくなさがわからず、文化財などと言っている人は、中の汚さもわからず、そもそも普段自分で郵便局にもいかず、郵便局の何たるかを知らない人でしょう。すぐそばのオフィスで仕事をしているのに、手紙を出すのも秘書任せで、切手もほとんど貼ったことがなく、したがって手紙が着くのが1日遅いという友人を思い出しますす。そういう御仁は、中世武士たる山名宗全にいわせれば、武士ではない公家。
 「向後(きょうこう)は例という文字を忘れ、時という文字にお心得あるべし」と言ったという宗全は、それを忘れて天下を奪われた公家は「(武士に)天下奪われ媚をなす」とまで言いました。
 こういう問題でも武士の行き方をよーく考えないと、本当に「天下を奪われる」ことになるでしょう。



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★3月3日 
Tuesday, March 3, 2009, 09:31 PM
 この国はなんと法律というものに対していいかげんなのかね、とつくずく思います。
 それというのも最近の解散論議。内閣総理大臣に解散権があるなんていう条文は、憲法のどこを探してもないのに、みんながそれを当然としています。
 この実質的解散権の所在については戦後の紆余曲折があり、結局、「内閣」にあるということにされて、運用上は憲法第7条を根拠に解散することになっています。しかし、この説を取っても、あるのは「内閣」にあるのであって、「内閣総理大臣」にあるわけではありません。閣議で解散を議決しようとしたとき、反対する大臣を総理大臣が罷免できるというだけです。
 もちろん、めちゃくちゃな罷免をすれば国民からしっぺ返しがあります。そのことを前提としての総理大臣の権限なのに、官房長間が総理大臣の「大権」だなどと言うに至っては、正にクレージー。
 大権概念は元々イギリスなどに発生し、日本でも戦前は天皇の大権が存在しましたが、総理大臣が大権を持っているなんて聞いたことはないし、そんな国じゃ困る訳。
 三権の長なんておかしいと言われていたのは故橋本公旦先生でしたが、こんなマスコミ用語(例えば日米同盟)が、法的な政治の世界にまで蔓延したいてのでは、それこそ法治国家とはいえません。
 つまりは、改正をする能力に、おおいなる?がつきます。
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