Monday, March 30, 2009, 07:35 PM
中国からの留学生を連れて長野の善光寺に参拝。先日、盛岡での学会に参加した留学生は、ついでに有名な平泉に行ったそうですが、金色堂の小ささにびっくり、がっかりであったとか。しかし、善光寺の大きさには納得。しかも、立派な庫裏にはこれまたびっくり。
そんな現象を見ていて思ったのは、確かに善光寺は大きいということと、この大きさはどこから来たのか、ということでした。
今の善光寺の元は飯田にあって、その前は蘇我、物部の仏教をめぐる戦争にあり、つまりは聖徳太子の時代に由来することは解説書にあるとおりです。そして、これを造った本田善光さん夫妻の像をよく見ると、奥さんの方はいわば立て膝をして韓国の女性と同じ姿勢をとっていることに大陸との関連が言われてきました。
そうすると、今の建物は江戸時代のそれとは言いながら、あの大きさそのものが、正に大陸的ということではないかと思います。いわば、東国にある数少ない大陸的規模を持つ遺跡といってよいのではないかと。
2年前に、また最近、ある雑誌に我が国民の「気宇壮大さ」の大切さを書き、その代表として大野城や奈良の大仏様のことを書きましたが、同じことがここでも言えそうです。
もちろん、平泉の遺跡も、現象面の小ささとは反対に、目に見えない大きさはあることを、留学生ならぬ日本の「地元」人間として、踏まえなければならないことはもちろんです。
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Monday, March 23, 2009, 01:33 AM
今年も先日、北マリアナ連邦、つまりサイパン、ロタ、テニアンの連邦で、高校生の陪審コンテストが行われたとの報が入りました。友人のHさんが送って下さった資料によると、敗訴した検事による相手弁護士殺し。それに至るまでのおぞましいともいえる様々な事情。中には性的スキャンダルまで。そして、心神こう弱の主張。
これを種にして高校生が陪審の訓練をしている。しかも本来小学校から。
こういう下地があっての陪審だよね、といつも思います。
一方、これまたいつもいうとおりで、昭和3年の旧陪審法が施行されたとき、わが祖先たちは、しっかりそれを行うには勉強をしなければ、というわけで、あの日比谷公会堂を造り、模擬裁判に汗を流したものでした。
どういうときに辞退できるの?が論点になっている最近の傾向をみれば、まさに退歩です。
もちろん、裁判員とかいう中途半端なものには全面的に賛成できるわけではありませんが、あまりにも今の論点はお粗末です。
なお、こういう民意の反映(この言葉も変)は、戦後の司法改革でも調停委員など行われたわけで、あの下請け的やり方を清算できる国民にならなければ当面成功は・・・と思います。
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Wednesday, March 18, 2009, 09:53 PM
数年前、地下鉄の中で偶然言葉を交わした紳士がスーダンの難民の方でした。以来、何かとスーダンが気になっていました。もちろんその西部での紛争のことです。そんな最近、国際刑事裁判所(ICCP)が、同国大統領に対する逮捕状をが出たとのこと。
一方、地元ではICCPにやられるなんて国家の体をなさないじゃないかというわけで、独自に裁判にかけるという勢力が。
もちろん、アラブ系、その反対のチャドの支援を受けている系、その中でも政府にくっついた系などなど、複雑極まりないのでやたらなコメントはできませんが、思い出すのは日本の戦後、東条英樹らの責任を自分たちで問おうとしたまともな勢力がいたことです(以前、木村三浩さんと誌上対談)。
今の日本にこうした動きが極めて少ないのは憂うべきことです。
一方、この紛争を見ていると、国家という枠組みの罪が正にアフリカという人工性の極致で現れているなという感じがします。
となると、本来、コミュニティーとは何だったのかという基本に人類は立ち返らなければならないのではないか。やはり人工性の極致であるアメリカなどにおいて、州やカウンティーは人工的な線で引かれていても、その下の単位は一つのまとまりとして協同体を作る。それは東洋の社しょくに通ずる、という具合。会社や社長という言葉も本来はこの社から来ていると本文に書いたとおりです(会社法が改正されましたが、私が作ったなどと宣っていた某公務員には、こんな発想は一向なさそうでした)。
今や、スダーダンは資源争奪がからんで大変な具合ですが、人類がこの基本に帰らなければ、宇宙船地球号の乗組員には若田さん以上のプレッシャーがかかりそうです。
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Thursday, March 12, 2009, 01:09 AM
仕事で川越まで行き、帰り道を駅まで歩きました。途中、喜多院や東照宮があり、古い板碑も相当数”発見”。やはり川越は古いところなんだな、と益々興味がわきました。以前、鎌倉の国宝館に行った時、ギリシャ人の先生がいて、板碑の光背にある丸い輪は、ギリシャから来たものですと言われていましたが、本当にそうだろうと思います。もちろん、今の日本の仏像のルーツはガンダーラなどにあり、それはギリシャの強い影響の下にありますし。
そんなことを考えていると、そういうこととは逆に、日本国民の間に我が県こそ最高、みたいな視野の狭さがままみられるのは本当に困ったことだと思います。各県それぞれに”名物牛”がいて、アラブとかに売り込んでいるとか(最近の新聞にも載っていましたが)、何たる無駄。
やはり手っ取り早い話し、道州制的なものは必要なのだろうと思います。
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Wednesday, March 11, 2009, 02:23 AM
昭和20年3月10日の大空襲を私の身内は滝野川にあった陸軍省兵器行政本部で経験。そのころは兵器も何もなく、毎日、敵戦車への体当たり訓練。しかも、そこへたどり着くまでには、フーコン作戦(フーコンは死の意味)のビルマから南シナ海で潜水艦に撃沈され、海南島から台湾に着く直前に爆撃で火災。
そんな状態でまだ半年近くも戦争を続けた当時の意識の元は何か。それが問題と思います。
先日訪問したフランスの廃兵院にある軍事博物館には、入り口そのものにむごい戦争の絵が。こういうものを軍事の博物館の入り口に展示するフランス人の精神の真の強さに感服しました。以前、サッカー、トルシエ監督の通訳を務めたフローラン氏と話した際も、彼の、アメリカとは一味も二味も異なる強さに感動しましたが、あの博物館はすごかったです。
ちなみにそこにはナポレオンの墓もあるし、70数名の傷痍軍人が今も住んでいます。
一方、東京の某神社。先代だかの宮司さんが偉い人で、大空襲で焼けた木を境内
に展示していましたが、誰かの申し入れで引っ込めてしまいました。
戦争というものは昔の日本の絵のような美しいものではないのです。それを隠して論じようなんて言うのは全く子供。世界の大人に伍す為に、真の日本人の強さが求められます。
週刊誌などではやされている単なるポピュリズムやワンフレーズではない。
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Thursday, March 5, 2009, 01:20 AM
もう一つ変だねと思われるのが中央郵便局の立て替えの話(かんぽの宿売却がおかしい、というのは大賛成ですが)。そもそもあの建物は重要文化財ではないし、近くにある某建物など、わざわざ税金を使って手を入れて復元工事まで行い、あげく重要文化財。一体、それらはそんなに大事な建物なのかねと思います。東京駅なども、早く言えば西洋のまね。そっくりの様式は世界中にあるのに、また、そんなものより小さく重要で、でも名も知られない意義のある建物はいくらもあるのに、お金のかけ場所を間違った話です。
そもそもこの中央郵便局、私はよく行きます。もちろん取り集め局として24時間開いていますし、あそこから出すと早く着くので。友人の弁理士は私書箱も持っています。
そういう我々からみると、あんなに古くて使い勝手の悪い建物は、合理的に建て替えるのに大賛成。郵便局が文化財なんていう必要はそもそもなし。実用の具のはずです。いつも言う鍋島直茂の「実!」です。
あの使い勝手の宜しくなさがわからず、文化財などと言っている人は、中の汚さもわからず、そもそも普段自分で郵便局にもいかず、郵便局の何たるかを知らない人でしょう。すぐそばのオフィスで仕事をしているのに、手紙を出すのも秘書任せで、切手もほとんど貼ったことがなく、したがって手紙が着くのが1日遅いという友人を思い出しますす。そういう御仁は、中世武士たる山名宗全にいわせれば、武士ではない公家。
「向後(きょうこう)は例という文字を忘れ、時という文字にお心得あるべし」と言ったという宗全は、それを忘れて天下を奪われた公家は「(武士に)天下奪われ媚をなす」とまで言いました。
こういう問題でも武士の行き方をよーく考えないと、本当に「天下を奪われる」ことになるでしょう。
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Tuesday, March 3, 2009, 09:31 PM
この国はなんと法律というものに対していいかげんなのかね、とつくずく思います。それというのも最近の解散論議。内閣総理大臣に解散権があるなんていう条文は、憲法のどこを探してもないのに、みんながそれを当然としています。
この実質的解散権の所在については戦後の紆余曲折があり、結局、「内閣」にあるということにされて、運用上は憲法第7条を根拠に解散することになっています。しかし、この説を取っても、あるのは「内閣」にあるのであって、「内閣総理大臣」にあるわけではありません。閣議で解散を議決しようとしたとき、反対する大臣を総理大臣が罷免できるというだけです。
もちろん、めちゃくちゃな罷免をすれば国民からしっぺ返しがあります。そのことを前提としての総理大臣の権限なのに、官房長間が総理大臣の「大権」だなどと言うに至っては、正にクレージー。
大権概念は元々イギリスなどに発生し、日本でも戦前は天皇の大権が存在しましたが、総理大臣が大権を持っているなんて聞いたことはないし、そんな国じゃ困る訳。
三権の長なんておかしいと言われていたのは故橋本公旦先生でしたが、こんなマスコミ用語(例えば日米同盟)が、法的な政治の世界にまで蔓延したいてのでは、それこそ法治国家とはいえません。
つまりは、改正をする能力に、おおいなる?がつきます。
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Sunday, March 1, 2009, 02:01 PM
昨日は、G大学名誉教授のG先生を囲んで数名の英語談義。一昨日は破綻した某証券の日本の代表者から体験談を聞きましたが、やはり英語の話が。英語大嫌い人間であった私には言う資格なしかもですが(とは本当は思っていない)、外国人とのコミュニケーションは、その代表者さんも言われるとおり英語が上手だろうと下手だろうと余り関係はないのではないかと思います。
要は中身。自分で言うのも変ですが、私の話を聞きたいという英語圏の人は多いです。是非また聞きたい」と言われます。
どうしてかというと、私の話が、文科省のいう日本文化とは全く違っているからじゃないかと思います。文科省にも友人はいますが、これまた昨日送ってきたそのOBたちの雑誌はひどいものでした。要は「お行儀よくさせましょう」、のオンパレード。
これじゃ、いつも言う鍋島直茂や伊達政宗の「実」の発想から隔たることおびただしいです。
こんな調子では、ヘリゲル(岩波の弓の話)のような、東洋文明というか日本文化に無批判なあこがれを抱いている変な外人くらいしたたぶらかされません。
情報社会の今日、着物や花や茶などという精神文化が、実は中国、韓国からの渡来物であることぐらいたちまち露見してしまいます。
だからこそ、私は「真の」日本文化なり、「日本の」武士道なりを追求しているし、それはしっかり存在するのです。
また、それが本当に分かってこそ世界と真に和することもできるでしょう。
一方、最近、この視点から、某省の雑誌に本物の日本論(?)を書きました。しかしいくら書いたとて、皆の頭に染み付いたものはなかなかはがせず理解は容易じゃありません。
これまた数日前、カナダの弁護士と例の裁判員制度の問題点について意気統合しましたが、彼も同じこと、つまり、はがすことの困難さを言っていました。
こうした状況を何とかしないと、日本はヒラリー国務長官が最初に来たからよかったね、とか、オバマ大統領が最初に会ってくれたからよかったね式の子供国から脱皮できず、常任理事国なんて何言ってるのさという呆れた国から脱皮できないと思います(この点の外務省もひどい)。
もちろん日本にも本当のことが分かっている学者はいます(呆れたことにT大学とかいう最高学府に分かっていない集団がいて、名誉教授だのになっているクレージー現象もありますが)。しかし、その方々は表に出ません。また、政治と無縁です。ここに日本の悲劇があります。総合雑誌は、底の浅い中学の教科書レベルの知識を前提としたポピュリズム学者(?)の言説であふれかえっています。
この博物館の本館末尾に書いたとおり、まともな価値観を前提にした人々が増えなければ、またもアメリカのツケのやり場にさせられるだけではないでしょうか。
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Thursday, February 26, 2009, 12:37 AM
明日は2・26事件の日です。この事件は余りにも重く、語ることにも躊躇を覚えますが、一方、とんでもない考え違いによる解説などが横行している事件でもあるかと思います。
もちろん事件の当事者となった青年将校にも色々な考えがあったと思いますが、彼らの考えをきちんと知るには、現に事件に参加し、銃殺された人の言こそまず注目されるべきで、青年将校運動?はしていたけれど、はるか遠くにいた、などという人の話は、割り引くべきではないかと思います。具体的な名前は記しませんが、そうした人の本が、出版社の都合かコネでべたほめにほめられ、何も知らない若い人が共感したりするのは困った現象と思っています。ここでも、宣伝文句ではなく、実体を読んだ素直な感想が大切です。
一方、池田俊彦少尉のように、死刑を求刑されて生き残った方の話は襟を正してうかがいたいと思います。
で、この池田さんの「生きている2・26」の中の最重要の言葉は「天皇は聖明なり」でしょう。この言葉は韓退之の拘幽操という詩の末節にある言葉が変わったものと思われますが(同詩では天王)、仏教排撃の闘士韓退之の言葉が明治維新の原動力となって、こうした教育が正に骨身にまで染み込んだ教育を受けた純粋な青年将校の血肉となって、君側の奸を除くというああした事件を起こす基本となったものです。
その純粋さは今の人には到底分からないと思われますし、また、分かるようではむしろ危険とも言えます。そのような分からない日本人に改造してしまったのは米国ですが、しかし一方、そういう改造を誘発したのは、日本の純粋さが超極端ともいうべき特異さであったがためで、この点は、かの韓国衛正斥邪に勝るとも劣らなかったというべきかもしれません。
しかし、いずれにしても、純粋過ぎるのはキャパを欠き、ことこころざしと違った悲劇を生み出します。
我々は、こうした先人の体をはった悲劇を十分に考究して、二度と悲劇を繰り返さないようにしなければならないと思うのですが、いずれにしても昭和は遠くなりにけり、でしょうか。
ちなみに私は、時々書くとおり、この事件の関係者真崎大将、その息子さんで昭和天皇の通訳をされた元アフガニスタンの大使真崎秀樹様、大将の弟勝次少将(のち衆議院議員)らと色々なかかわりがあります。何か書き残しておくべきかな、と思っています。
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Monday, February 23, 2009, 01:54 AM
都心の日曜日は閑散としています。そんな中を赤坂から麹町にかけて歩きました。途中、赤坂見附の交差点から三宅坂方面に登れば、かつての本当の赤坂御門があります。石垣がしっかりと敵を絡めとり、江戸城に侵入するのを防ぐ構え。いつ見ても興味がわきます。
平河町から左へ入れば、落語にも出てくる貝坂通り。実は甲斐の国に通ずる本当の甲州街道だったとの話が多分真実ではなかったかと思われます。
そして、このあたりは官庁や今はやりの外郭団体の街。江戸時代の地図では白色で示されます。新宿通りに面した両側は、昔から町屋の表示。百年も二百年もたっても、昔も今も全く変わりません。
これを面白いと見るのか変化がないと見るのか、多分両方でしょう。
しかし、一方通行がやたら多いこのあたりのことを考えると、江戸式はやはり不自由なのであって、変化がないということはネガティブに考えるべきではないか。
そして、道路と同様、制度や仕組みが江戸時代に起因していることを考えると、抜本解決はやはり中世に戻ることなのですが「面白い」つまりお話歴史的発想が好きな国民だと、なかなかこの矛盾を解決することはできないのではないか、という気がします。
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