★3月1日 
Sunday, March 1, 2009, 02:01 PM
 昨日は、G大学名誉教授のG先生を囲んで数名の英語談義。一昨日は破綻した某証券の日本の代表者から体験談を聞きましたが、やはり英語の話が。
 英語大嫌い人間であった私には言う資格なしかもですが(とは本当は思っていない)、外国人とのコミュニケーションは、その代表者さんも言われるとおり英語が上手だろうと下手だろうと余り関係はないのではないかと思います。
 要は中身。自分で言うのも変ですが、私の話を聞きたいという英語圏の人は多いです。是非また聞きたい」と言われます。
 どうしてかというと、私の話が、文科省のいう日本文化とは全く違っているからじゃないかと思います。文科省にも友人はいますが、これまた昨日送ってきたそのOBたちの雑誌はひどいものでした。要は「お行儀よくさせましょう」、のオンパレード。
 これじゃ、いつも言う鍋島直茂や伊達政宗の「実」の発想から隔たることおびただしいです。
 こんな調子では、ヘリゲル(岩波の弓の話)のような、東洋文明というか日本文化に無批判なあこがれを抱いている変な外人くらいしたたぶらかされません。
 情報社会の今日、着物や花や茶などという精神文化が、実は中国、韓国からの渡来物であることぐらいたちまち露見してしまいます。
 だからこそ、私は「真の」日本文化なり、「日本の」武士道なりを追求しているし、それはしっかり存在するのです。
 また、それが本当に分かってこそ世界と真に和することもできるでしょう。

 一方、最近、この視点から、某省の雑誌に本物の日本論(?)を書きました。しかしいくら書いたとて、皆の頭に染み付いたものはなかなかはがせず理解は容易じゃありません。
 これまた数日前、カナダの弁護士と例の裁判員制度の問題点について意気統合しましたが、彼も同じこと、つまり、はがすことの困難さを言っていました。
 こうした状況を何とかしないと、日本はヒラリー国務長官が最初に来たからよかったね、とか、オバマ大統領が最初に会ってくれたからよかったね式の子供国から脱皮できず、常任理事国なんて何言ってるのさという呆れた国から脱皮できないと思います(この点の外務省もひどい)。
 もちろん日本にも本当のことが分かっている学者はいます(呆れたことにT大学とかいう最高学府に分かっていない集団がいて、名誉教授だのになっているクレージー現象もありますが)。しかし、その方々は表に出ません。また、政治と無縁です。ここに日本の悲劇があります。総合雑誌は、底の浅い中学の教科書レベルの知識を前提としたポピュリズム学者(?)の言説であふれかえっています。
 この博物館の本館末尾に書いたとおり、まともな価値観を前提にした人々が増えなければ、またもアメリカのツケのやり場にさせられるだけではないでしょうか。

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★2月25日 
Thursday, February 26, 2009, 12:37 AM
 明日は2・26事件の日です。
この事件は余りにも重く、語ることにも躊躇を覚えますが、一方、とんでもない考え違いによる解説などが横行している事件でもあるかと思います。
 もちろん事件の当事者となった青年将校にも色々な考えがあったと思いますが、彼らの考えをきちんと知るには、現に事件に参加し、銃殺された人の言こそまず注目されるべきで、青年将校運動?はしていたけれど、はるか遠くにいた、などという人の話は、割り引くべきではないかと思います。具体的な名前は記しませんが、そうした人の本が、出版社の都合かコネでべたほめにほめられ、何も知らない若い人が共感したりするのは困った現象と思っています。ここでも、宣伝文句ではなく、実体を読んだ素直な感想が大切です。
 一方、池田俊彦少尉のように、死刑を求刑されて生き残った方の話は襟を正してうかがいたいと思います。
 で、この池田さんの「生きている2・26」の中の最重要の言葉は「天皇は聖明なり」でしょう。この言葉は韓退之の拘幽操という詩の末節にある言葉が変わったものと思われますが(同詩では天王)、仏教排撃の闘士韓退之の言葉が明治維新の原動力となって、こうした教育が正に骨身にまで染み込んだ教育を受けた純粋な青年将校の血肉となって、君側の奸を除くというああした事件を起こす基本となったものです。
 その純粋さは今の人には到底分からないと思われますし、また、分かるようではむしろ危険とも言えます。そのような分からない日本人に改造してしまったのは米国ですが、しかし一方、そういう改造を誘発したのは、日本の純粋さが超極端ともいうべき特異さであったがためで、この点は、かの韓国衛正斥邪に勝るとも劣らなかったというべきかもしれません。
 しかし、いずれにしても、純粋過ぎるのはキャパを欠き、ことこころざしと違った悲劇を生み出します。
 我々は、こうした先人の体をはった悲劇を十分に考究して、二度と悲劇を繰り返さないようにしなければならないと思うのですが、いずれにしても昭和は遠くなりにけり、でしょうか。
 ちなみに私は、時々書くとおり、この事件の関係者真崎大将、その息子さんで昭和天皇の通訳をされた元アフガニスタンの大使真崎秀樹様、大将の弟勝次少将(のち衆議院議員)らと色々なかかわりがあります。何か書き残しておくべきかな、と思っています。



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★2月22日 
Monday, February 23, 2009, 01:54 AM
 都心の日曜日は閑散としています。そんな中を赤坂から麹町にかけて歩きました。
 途中、赤坂見附の交差点から三宅坂方面に登れば、かつての本当の赤坂御門があります。石垣がしっかりと敵を絡めとり、江戸城に侵入するのを防ぐ構え。いつ見ても興味がわきます。
 平河町から左へ入れば、落語にも出てくる貝坂通り。実は甲斐の国に通ずる本当の甲州街道だったとの話が多分真実ではなかったかと思われます。
 そして、このあたりは官庁や今はやりの外郭団体の街。江戸時代の地図では白色で示されます。新宿通りに面した両側は、昔から町屋の表示。百年も二百年もたっても、昔も今も全く変わりません。
 これを面白いと見るのか変化がないと見るのか、多分両方でしょう。
 しかし、一方通行がやたら多いこのあたりのことを考えると、江戸式はやはり不自由なのであって、変化がないということはネガティブに考えるべきではないか。
 そして、道路と同様、制度や仕組みが江戸時代に起因していることを考えると、抜本解決はやはり中世に戻ることなのですが「面白い」つまりお話歴史的発想が好きな国民だと、なかなかこの矛盾を解決することはできないのではないか、という気がします。
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★2月15日 
Sunday, February 15, 2009, 09:16 PM
 2月11日にPDAに入れていたもの。いささか時期はずれですが、貼り付けます。
 今日は建国記念の日。大学生のころ、奈良の樫原神宮を参拝。拝殿の前で直立不動で写真に納まったものでした。もちろん、純粋右より?人間として。なぜならそこが神武天皇が即位された我が国建国の聖地と思わばこそ。
 しかし、その時、周囲にはその神武天皇の御陵だのがあり、天から降臨された方の数代後(つまりは日向三代のすぐあと)のお方の墓があるなんて、そりゃいくらなんでも非科学的でおかしいな、と思ったものです。そして、社殿は明治の初めに京都の御所から持ってきた、となると、こりゃいかに。何でそんな人工的なことをしなけりゃいけないのかと、あれが最初の疑問でした。
 そんな人工国家造りをやったのでは、北の問題国と同じことになってしまいます。しかも大きいことはいいことだ、という子供の発想です。
 やはり大人の国としては、そもそも建国の神話を大切にされつつ「山高きがゆえに貴からず。木あるをもって貴しとす」と言われた日本史家、中村孝也先生の言を大事にしたいものです。
 その論からいくと、最近の日本は全て子供の現象といわざるを得ない気がします。
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★2月9日 
Monday, February 9, 2009, 11:08 PM
 この数年の我が国は、いよいよもってまともな国家の体をなしていないことを深く感ずる今日この頃です。それはなぜか。深く考えない国民であることによるのか。
 数年前、公正取引委員会の委員を務められたある先生、私との儒教話しになって、「君とはどうも考えが違うんだよな。僕は小学校の頃、先生から『孔孟の教え』と習ったんだから、それでいいのさ」と。
 でも、孔子と孟子とは正反対です。孔子には放伐がない。孟子にはある。そもそもこの先生には放伐なんている問題意識自体がないんでしょう。いかなる最高学府をでても、小学校時代のごく単純な発想から抜けない。もちろん、小学校が悪いなんていっているわけではありません。そのときの教育を敷衍させていないのです。
 そして、この単純な発想は、実は中国皇帝が国民をなでなでするやり方のもたらしたところであることに気付かないのです。
 あるいは、複雑な儒教の数学的めんどくささを薄葬の2段階(殿様と家来)に単純化した水戸黄門のやり方のなれの果てでもあるかもしれません。
 中国は、巨大河川の氾濫に悩まされ、複雑な力学が発展しました。ローマは、巨大建築物を持たせるための数学がいやでも発展したでしょう。易といい、力学といい、数学です。それから哲学が生れました。
 しかし、中江兆民は「一年有半」のなかで、「我が国に哲学なし」といいます。このことの意味と原因を突き止めなければ、我が国は益々小児化を進め、世界から尊敬されるのとは反対の方向に進みそうです。なお、哲学という言葉は西周の言葉ですが、私はこの言葉自体余り好きではありますん。
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★2月1日 
Sunday, February 1, 2009, 11:48 PM
 毎年書くとおり、アジア諸国は春節となり、アジアの友人にメールで謹賀新年のあいさつを送りました(この記事、若干時期外れ)。
 フランスの革命歴でもわかるとおり、明治維新の新政権となって新しい暦を公布したい新政府は、今の暦を始めたわけですが、普段太陽暦を使うのはよいとして、全てをこれにしてしまったのは大間違いです(私の子供のころは、まだ旧正月が残っていましたが)。
 先日も新年会で中国語の先生と話しましたが、お月見などという行事がすっかりすたれてしまったのも、アジアとの共生を欠いた擬似西欧の鹿鳴館的発想です。ちなみに日本の歴史を知るのには、当然ながら中国語は必須。日本思想大系を編むにあたり、注釈を付す学者が中国思想の専門家しかいなかった、というのは数十年前の話ですが、一体、今はどうか。私が子供の時にお会いした真崎勝次海軍少将は、ロシア駐在武官、ソ連研究の権威としてロシア語が堪能であったことも思い出されます。

 話し変わって、随分昔、元駐米大使の話しを聞く機会がありました。その人曰く、外交は人脈が大事。特に米国との関係ではロンヤス(もう古い言葉)のような個人的関係が大事・・・。こんな話しでした。
 これを聞いて、私はウーンとうなったものでした。そんなことで済むほど外交とは甘いものかと。
 ところがこの度、外務省の官僚のお話しを承って、今も全く変わらないどころか益々そういう調子が増加している感を深くしました。去年、某総理のブレーンである大学教授がしきりに日米同盟という言葉を連発しているのにも違和感を感じましたが。だから拉致問題でも米国にお願いに行くような調子なんだなと。これじゃ全く国家として半人前です。それでいて威勢のいい掛け声だけはあるから困る訳ですが、問題はこういう傾向はどうして生じているかということでしょう。
 昨日も某大学の先生と話しましたが、要は日本国民が若返って古いことを知らないし、国語の能力がないし・・といったことに帰せられるような気がします。つまりは学力の低下。そして、昔の人を馬鹿にする傾向。日米同盟は当然あるよね的裸の王様的発想。これは大いなる問題だと思います。

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★1月20日 
Tuesday, January 20, 2009, 10:00 PM
 今日、ワシントンではオバマ新大統領の就任式が行われます。
 あのワシントンDCのモールと呼ばれる部分は、ワシントン記念塔を中心に、リンカーン記念堂とキャピトルヒルつまり議事堂が正対し、両翼にはホワイトハウス、ジェファーソン記念堂があります。
 このリンカーン記念堂とワシントン記念塔のとりあわせは、日本の近く、つまり北朝鮮の平壌とそっくりと以前雑誌(後に本「弁護士の目」)に書いたことがあります。敵対する両国が同じ「人口国家」としてのコンセプトを持つと。
 ただし、北朝鮮がよりお手本としたのはフランスのパリのようです。
 シャイヨー宮、セーヌ川、エッフェル塔のとりあわせは、労働人民文化宮、大同江、主体思想塔のそれとそっくりです。
 しかし、アメリカ独立に果たしたフランスの影響の大きさを考えれば、米・北両方ともフランスが元で、もっと考えれば古代ローマが大元だということになるのでしょう。つまりは、古代ローマで生れた衣装は、地球を一巡りして38度線でぶつかる、と上記「弁護士の目」にも書きました。
 こんなふうに衣装面だけ眺めれば、3国は皆同じなのに、実際の国民の生活は全く異なるわけで、ここに現象面や文字面だけを眺めることの危険性があります。
 こうした危険に陥らないためには、このような施設を作る場合の真意はもちろんですが、これをバックに語る人の「言葉」が大切。ただのきれいごとでなく、人間の生きる意味、価値を基礎にして語っているかということが。
 これについて、日本の為政者のおそまつなことは言うまでもありませんが、アメリカではどうか。オバマさんの今までの演説を聞く限り素晴らしいと思いますが、今後を注視していきたいものです。それにしても、日本の病気は深刻。

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★1月10日 
Sunday, January 11, 2009, 01:48 AM
 あけましておめでとうございます。 
 年末から年始にかけて、UKからヨーロッパに一人旅をしてきて更新が今頃になりました。
 外へ出れば外国といわず日本といわず、様々なことを考えるわけですが、特に極東から離れた極西のイギリスに行って見ると、そこに日本やアジアと全く同じものを見出す感激は一入です。
 ロンドンでは大英博物館よりもロンドン市自体の歴史を知りたいので、ロンドン市博物館にまず行ってみました。そこが、今の金融問題の本場シティの一角でもあるからです(博物館の一部には、シティの名の元になった城壁が残されています)。
 そこでは古いところでは石斧、更に青銅の矛、剣など、アジア太平洋と全く同じものがあるのに感激しました。石斧は、その昔訪れたニュージーランドに、中央アジアと同じタイプのものがあって、人類の様々な情報の伝播に感激したものでしたが、同様のものがこういう西にまであるとなると、「過去の掲示板」に貼ってあるドルメンなども日本の北九州のそれとアイルランドのそれとはつながっているんじゃないかと素人ながら思う次第です。
 そもそも明治4年に日本を出発した岩倉具視らの米欧回覧実記を見ますと、彼らもこうしたことにビックリして、中国の後漢書に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニウス)の使者が広東に来た記事のことを引用しています。
 こんな程度じゃ本当に「初夢」ですが、地球は昔から狭かった、ということだけは間違いないのじゃないかと思われます。
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★12月29日 
Monday, December 29, 2008, 12:55 AM
 いよいよ今年もおしまいに近づきました。
 今年の話題は、何といってもこの経済変動でしょう。私の知人は、14世紀のペストの流行に例えられると言い、いわゆるエキゾチック(というのは色々な債権がごちゃごちゃに組み合わさったわけのわからないもの。エキゾチックの本来の意味はそういうことで、反対はプレーンバニラだとか)な投資商品の世界全体の額が6京円とか言っています。
 となると、少々の対策は正に焼け石に水。
 かといって、ドルの機軸通貨性を崩すことは不可能でしょう。私が、高校生の頃、ベトナム戦争真っ只中の米国は、ドルと金との兌換をやめました。以来、約40年。あの時の新聞の見出しと写真は今もよく覚えています。ある意味、変動相場制移行よりショックでした。
 しかし、この間、何といっても米国は世界一の強国で、ドルは敵国例えば北朝鮮でも一番強いはずです。例えば、ミャンマーのチャットをよそへ持っていっても何も買えませんが、ミャンマーでも1ドルあげれば、子供はひっくり返って喜びます。現実のの機軸通貨性とは、それで何かが買える能力ではないかと思います。
 となれば、これからも当分、いわばだましだましドルを機軸にしていく時代は続くのでしょう。何といってもアメリカは一つにまとまった資源のある、かつ、軍事力ある強国です。ヨーロッパは、南北戦争というユナイトするためのもっとも厳しい戦争を経てまとまっているわけではありません。この点にアメリカとの根本的違いがあり、南北戦争の世界史的意味があると思っています。
 こんなことを色々考えていると、武士道なり戦争なりということが、経済の基礎を構成していて、決して経済に無縁なことではないと思われてきます。これに加えるべきは民主主義の問題でしょうか。英国のシティには女王も勝手に入れないのが伝統とか。
 で、やはりそうなると、武士道、武士道と声高にいう人の心性が、経済と無縁の武士道では「弱い」と思います。米国を見ればわかるとおり。しかし、この東洋ではお金と刀とが一緒なんていうことはいわば汚らわしいこと、との伝統がありました。でも、日本はどうか、というわけです。中世の日本は。
 少弐政介は四国の銅を朝鮮に輸出して軍資金を稼いだとか、奥州には、その資源を貿易に活用するため、中国の大内氏(少弐の天敵)まで出店を持っていたとか。
 我々は、ここ400年間の、上記意識を変換しなければ、ペスト以来の変革(経済戦乱)には勝てないのではないかと思います。

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★12月23日 
Wednesday, December 24, 2008, 01:33 AM
 今日は天皇誕生日。陛下のお誕生日を心からお祝いしたいと思います。
 その見地から、ここ数年、腹が立ってならないのはマスコミ、特にミーハーは論外として「保守」を標榜している週刊誌連。一体、天皇陛下に「陛下」の敬称を付けることは皇室典範に決まっていること。にもかかわらず、天皇、とか皇后とか、呼び捨てに近い言い方をしながら、あたかも皇室を守るかのごときいいかげんな記事。
 以前にも書いたとおり陛下のお顔はやたらにさらしたのでは踏みつけられたりして大変と、昔は、イギリスのようにコインの表にも刻まないし、ましてや週刊誌のチラシ広告に載せる等論外。
 こういうインチキなメディアに踊らされ、とんでもない国粋主義になるようでは本当に困るわけです。もっと、ごまかし連中の真意を見抜かねばなりません。
 しかし、こうしたことは奥が深いともいえます。陛下のことを記すのに敬語を極端に減らすテレビのアナウンサー。余計な敬語は省きましょう、という方針を立てた、と言いたいのは先刻承知ですが、これで日本語は乱れに乱れる。
 そうしたことになるのに良く出るフレーズが「今はそんな時代じゃありません」。
 しかし、そんな手抜きのようなことを言っているから乱れてとんでもないことが。
 例えば、今日もニュースに出ていたあの家裁書記官の話。最近の役所は、昔のように庁印などという重たい印を、書類に別に押すようなことをしません。確かに昔は重々しすぎのような大きな判子が公文書の後ろに別途押してあったもので、これは面倒、権威主義・・・で廃止になりました。
 でも、だからこそコンプライアンスへの重しがなくなり、ああした事件が起きるわけです。
 要は、官尊民卑と手続きの厳格さなり、法を守るという観念を混同するなということです。
 その点から考えると、先ごろ亡くなった加藤一郎先生などは、「自由法学」のごときことを提唱され、裁判官は先に結論は決めておくんです、的なことを言われていたわけで、申し訳ありませんが、いささか罪深いといわざるを得ません。同じ学会にも所属し、農業法については少々の縁もないではありませんが。
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