★2月15日 
Sunday, February 15, 2009, 09:16 PM
 2月11日にPDAに入れていたもの。いささか時期はずれですが、貼り付けます。
 今日は建国記念の日。大学生のころ、奈良の樫原神宮を参拝。拝殿の前で直立不動で写真に納まったものでした。もちろん、純粋右より?人間として。なぜならそこが神武天皇が即位された我が国建国の聖地と思わばこそ。
 しかし、その時、周囲にはその神武天皇の御陵だのがあり、天から降臨された方の数代後(つまりは日向三代のすぐあと)のお方の墓があるなんて、そりゃいくらなんでも非科学的でおかしいな、と思ったものです。そして、社殿は明治の初めに京都の御所から持ってきた、となると、こりゃいかに。何でそんな人工的なことをしなけりゃいけないのかと、あれが最初の疑問でした。
 そんな人工国家造りをやったのでは、北の問題国と同じことになってしまいます。しかも大きいことはいいことだ、という子供の発想です。
 やはり大人の国としては、そもそも建国の神話を大切にされつつ「山高きがゆえに貴からず。木あるをもって貴しとす」と言われた日本史家、中村孝也先生の言を大事にしたいものです。
 その論からいくと、最近の日本は全て子供の現象といわざるを得ない気がします。
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★2月9日 
Monday, February 9, 2009, 11:08 PM
 この数年の我が国は、いよいよもってまともな国家の体をなしていないことを深く感ずる今日この頃です。それはなぜか。深く考えない国民であることによるのか。
 数年前、公正取引委員会の委員を務められたある先生、私との儒教話しになって、「君とはどうも考えが違うんだよな。僕は小学校の頃、先生から『孔孟の教え』と習ったんだから、それでいいのさ」と。
 でも、孔子と孟子とは正反対です。孔子には放伐がない。孟子にはある。そもそもこの先生には放伐なんている問題意識自体がないんでしょう。いかなる最高学府をでても、小学校時代のごく単純な発想から抜けない。もちろん、小学校が悪いなんていっているわけではありません。そのときの教育を敷衍させていないのです。
 そして、この単純な発想は、実は中国皇帝が国民をなでなでするやり方のもたらしたところであることに気付かないのです。
 あるいは、複雑な儒教の数学的めんどくささを薄葬の2段階(殿様と家来)に単純化した水戸黄門のやり方のなれの果てでもあるかもしれません。
 中国は、巨大河川の氾濫に悩まされ、複雑な力学が発展しました。ローマは、巨大建築物を持たせるための数学がいやでも発展したでしょう。易といい、力学といい、数学です。それから哲学が生れました。
 しかし、中江兆民は「一年有半」のなかで、「我が国に哲学なし」といいます。このことの意味と原因を突き止めなければ、我が国は益々小児化を進め、世界から尊敬されるのとは反対の方向に進みそうです。なお、哲学という言葉は西周の言葉ですが、私はこの言葉自体余り好きではありますん。
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★2月1日 
Sunday, February 1, 2009, 11:48 PM
 毎年書くとおり、アジア諸国は春節となり、アジアの友人にメールで謹賀新年のあいさつを送りました(この記事、若干時期外れ)。
 フランスの革命歴でもわかるとおり、明治維新の新政権となって新しい暦を公布したい新政府は、今の暦を始めたわけですが、普段太陽暦を使うのはよいとして、全てをこれにしてしまったのは大間違いです(私の子供のころは、まだ旧正月が残っていましたが)。
 先日も新年会で中国語の先生と話しましたが、お月見などという行事がすっかりすたれてしまったのも、アジアとの共生を欠いた擬似西欧の鹿鳴館的発想です。ちなみに日本の歴史を知るのには、当然ながら中国語は必須。日本思想大系を編むにあたり、注釈を付す学者が中国思想の専門家しかいなかった、というのは数十年前の話ですが、一体、今はどうか。私が子供の時にお会いした真崎勝次海軍少将は、ロシア駐在武官、ソ連研究の権威としてロシア語が堪能であったことも思い出されます。

 話し変わって、随分昔、元駐米大使の話しを聞く機会がありました。その人曰く、外交は人脈が大事。特に米国との関係ではロンヤス(もう古い言葉)のような個人的関係が大事・・・。こんな話しでした。
 これを聞いて、私はウーンとうなったものでした。そんなことで済むほど外交とは甘いものかと。
 ところがこの度、外務省の官僚のお話しを承って、今も全く変わらないどころか益々そういう調子が増加している感を深くしました。去年、某総理のブレーンである大学教授がしきりに日米同盟という言葉を連発しているのにも違和感を感じましたが。だから拉致問題でも米国にお願いに行くような調子なんだなと。これじゃ全く国家として半人前です。それでいて威勢のいい掛け声だけはあるから困る訳ですが、問題はこういう傾向はどうして生じているかということでしょう。
 昨日も某大学の先生と話しましたが、要は日本国民が若返って古いことを知らないし、国語の能力がないし・・といったことに帰せられるような気がします。つまりは学力の低下。そして、昔の人を馬鹿にする傾向。日米同盟は当然あるよね的裸の王様的発想。これは大いなる問題だと思います。

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★1月20日 
Tuesday, January 20, 2009, 10:00 PM
 今日、ワシントンではオバマ新大統領の就任式が行われます。
 あのワシントンDCのモールと呼ばれる部分は、ワシントン記念塔を中心に、リンカーン記念堂とキャピトルヒルつまり議事堂が正対し、両翼にはホワイトハウス、ジェファーソン記念堂があります。
 このリンカーン記念堂とワシントン記念塔のとりあわせは、日本の近く、つまり北朝鮮の平壌とそっくりと以前雑誌(後に本「弁護士の目」)に書いたことがあります。敵対する両国が同じ「人口国家」としてのコンセプトを持つと。
 ただし、北朝鮮がよりお手本としたのはフランスのパリのようです。
 シャイヨー宮、セーヌ川、エッフェル塔のとりあわせは、労働人民文化宮、大同江、主体思想塔のそれとそっくりです。
 しかし、アメリカ独立に果たしたフランスの影響の大きさを考えれば、米・北両方ともフランスが元で、もっと考えれば古代ローマが大元だということになるのでしょう。つまりは、古代ローマで生れた衣装は、地球を一巡りして38度線でぶつかる、と上記「弁護士の目」にも書きました。
 こんなふうに衣装面だけ眺めれば、3国は皆同じなのに、実際の国民の生活は全く異なるわけで、ここに現象面や文字面だけを眺めることの危険性があります。
 こうした危険に陥らないためには、このような施設を作る場合の真意はもちろんですが、これをバックに語る人の「言葉」が大切。ただのきれいごとでなく、人間の生きる意味、価値を基礎にして語っているかということが。
 これについて、日本の為政者のおそまつなことは言うまでもありませんが、アメリカではどうか。オバマさんの今までの演説を聞く限り素晴らしいと思いますが、今後を注視していきたいものです。それにしても、日本の病気は深刻。

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★1月10日 
Sunday, January 11, 2009, 01:48 AM
 あけましておめでとうございます。 
 年末から年始にかけて、UKからヨーロッパに一人旅をしてきて更新が今頃になりました。
 外へ出れば外国といわず日本といわず、様々なことを考えるわけですが、特に極東から離れた極西のイギリスに行って見ると、そこに日本やアジアと全く同じものを見出す感激は一入です。
 ロンドンでは大英博物館よりもロンドン市自体の歴史を知りたいので、ロンドン市博物館にまず行ってみました。そこが、今の金融問題の本場シティの一角でもあるからです(博物館の一部には、シティの名の元になった城壁が残されています)。
 そこでは古いところでは石斧、更に青銅の矛、剣など、アジア太平洋と全く同じものがあるのに感激しました。石斧は、その昔訪れたニュージーランドに、中央アジアと同じタイプのものがあって、人類の様々な情報の伝播に感激したものでしたが、同様のものがこういう西にまであるとなると、「過去の掲示板」に貼ってあるドルメンなども日本の北九州のそれとアイルランドのそれとはつながっているんじゃないかと素人ながら思う次第です。
 そもそも明治4年に日本を出発した岩倉具視らの米欧回覧実記を見ますと、彼らもこうしたことにビックリして、中国の後漢書に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニウス)の使者が広東に来た記事のことを引用しています。
 こんな程度じゃ本当に「初夢」ですが、地球は昔から狭かった、ということだけは間違いないのじゃないかと思われます。
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★12月29日 
Monday, December 29, 2008, 12:55 AM
 いよいよ今年もおしまいに近づきました。
 今年の話題は、何といってもこの経済変動でしょう。私の知人は、14世紀のペストの流行に例えられると言い、いわゆるエキゾチック(というのは色々な債権がごちゃごちゃに組み合わさったわけのわからないもの。エキゾチックの本来の意味はそういうことで、反対はプレーンバニラだとか)な投資商品の世界全体の額が6京円とか言っています。
 となると、少々の対策は正に焼け石に水。
 かといって、ドルの機軸通貨性を崩すことは不可能でしょう。私が、高校生の頃、ベトナム戦争真っ只中の米国は、ドルと金との兌換をやめました。以来、約40年。あの時の新聞の見出しと写真は今もよく覚えています。ある意味、変動相場制移行よりショックでした。
 しかし、この間、何といっても米国は世界一の強国で、ドルは敵国例えば北朝鮮でも一番強いはずです。例えば、ミャンマーのチャットをよそへ持っていっても何も買えませんが、ミャンマーでも1ドルあげれば、子供はひっくり返って喜びます。現実のの機軸通貨性とは、それで何かが買える能力ではないかと思います。
 となれば、これからも当分、いわばだましだましドルを機軸にしていく時代は続くのでしょう。何といってもアメリカは一つにまとまった資源のある、かつ、軍事力ある強国です。ヨーロッパは、南北戦争というユナイトするためのもっとも厳しい戦争を経てまとまっているわけではありません。この点にアメリカとの根本的違いがあり、南北戦争の世界史的意味があると思っています。
 こんなことを色々考えていると、武士道なり戦争なりということが、経済の基礎を構成していて、決して経済に無縁なことではないと思われてきます。これに加えるべきは民主主義の問題でしょうか。英国のシティには女王も勝手に入れないのが伝統とか。
 で、やはりそうなると、武士道、武士道と声高にいう人の心性が、経済と無縁の武士道では「弱い」と思います。米国を見ればわかるとおり。しかし、この東洋ではお金と刀とが一緒なんていうことはいわば汚らわしいこと、との伝統がありました。でも、日本はどうか、というわけです。中世の日本は。
 少弐政介は四国の銅を朝鮮に輸出して軍資金を稼いだとか、奥州には、その資源を貿易に活用するため、中国の大内氏(少弐の天敵)まで出店を持っていたとか。
 我々は、ここ400年間の、上記意識を変換しなければ、ペスト以来の変革(経済戦乱)には勝てないのではないかと思います。

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★12月23日 
Wednesday, December 24, 2008, 01:33 AM
 今日は天皇誕生日。陛下のお誕生日を心からお祝いしたいと思います。
 その見地から、ここ数年、腹が立ってならないのはマスコミ、特にミーハーは論外として「保守」を標榜している週刊誌連。一体、天皇陛下に「陛下」の敬称を付けることは皇室典範に決まっていること。にもかかわらず、天皇、とか皇后とか、呼び捨てに近い言い方をしながら、あたかも皇室を守るかのごときいいかげんな記事。
 以前にも書いたとおり陛下のお顔はやたらにさらしたのでは踏みつけられたりして大変と、昔は、イギリスのようにコインの表にも刻まないし、ましてや週刊誌のチラシ広告に載せる等論外。
 こういうインチキなメディアに踊らされ、とんでもない国粋主義になるようでは本当に困るわけです。もっと、ごまかし連中の真意を見抜かねばなりません。
 しかし、こうしたことは奥が深いともいえます。陛下のことを記すのに敬語を極端に減らすテレビのアナウンサー。余計な敬語は省きましょう、という方針を立てた、と言いたいのは先刻承知ですが、これで日本語は乱れに乱れる。
 そうしたことになるのに良く出るフレーズが「今はそんな時代じゃありません」。
 しかし、そんな手抜きのようなことを言っているから乱れてとんでもないことが。
 例えば、今日もニュースに出ていたあの家裁書記官の話。最近の役所は、昔のように庁印などという重たい印を、書類に別に押すようなことをしません。確かに昔は重々しすぎのような大きな判子が公文書の後ろに別途押してあったもので、これは面倒、権威主義・・・で廃止になりました。
 でも、だからこそコンプライアンスへの重しがなくなり、ああした事件が起きるわけです。
 要は、官尊民卑と手続きの厳格さなり、法を守るという観念を混同するなということです。
 その点から考えると、先ごろ亡くなった加藤一郎先生などは、「自由法学」のごときことを提唱され、裁判官は先に結論は決めておくんです、的なことを言われていたわけで、申し訳ありませんが、いささか罪深いといわざるを得ません。同じ学会にも所属し、農業法については少々の縁もないではありませんが。
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★12月16日 
Wednesday, December 17, 2008, 01:23 AM
 このところ思い出す昔の話。
 1970年頃、北海道で自衛隊の基地をめぐっての裁判がありました。
その裁判長A氏に対して、当時の裁判所長B氏が手紙を書き、サジェスチョンを与えたことから、大問題になりました。どの憲法の本にも載っている有名な事件です。
 このケース、B所長は司法権の独立を害した件で懲戒に。一方、所長の手紙をバラしたA 裁判長も懲戒になりました。
 以上が簡単な経緯ですが、私はそのA裁判長にあとで同席したことがあったり、先日、数十年振りにあるところではるかに拝見したり、他にも色々擦るような縁があます(もちろん、あちらは覚えてなんかいないません)。
 で、そんな関連エピソードの一つに、その後、東京地方裁判所に見学に行ったおりの話があります。
 その件とは全く関係ないやさしいK裁判長、但し元軍人が、学生との懇談会を開いて下さいました。その席で、無遠慮な左翼学生が、あのA裁判官がマスコミにバラしたのが 懲戒になるのは納得いかないとやったのです。
それに対して、K裁判長はすかさず「私なら、ああはしません。外部に向かって、皆さーんなんてやるんではなく、内部の裁判官会議で堂々と問題にします」と言われたのです。
 色々な議論が有り得るとは思いますが、このK判事の言こそが天皇の軍隊、天皇の官吏以来の官僚の「忠実」という言葉の真骨頂でしょう(勅令・官吏服務規律)。
 そう思うと、本来、天皇陛下の官吏として、統治権の主宰者に対して徹底的に忠実であるべき役人が、外に向かって不満を垂れるような最近の現象は、とんでもない右翼の左翼化(いささかアバウトに言えば)、つまりはA判事化かむしろ厳正たるべき法の執行者の小児化に他ならないものと思われてきます。
 何でもかんでも「自由、自由」なんて騒いでいたのはベトナム戦争や文化大革命時代の左翼そのものなんですから。
 なお、裁判官会議がK判事の意見の前提をなす活性化したものであるかは、一考の要ありでしょう。

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★12月9日 
Wednesday, December 10, 2008, 01:14 AM
 遂に、古いページは完全にとじました。1,2年かけて、こちらの内容をもっと発展させたいと考えています。

 数日前の新聞・・・ではなくて、今月号の「選択」に、ミャンマーの軍人のインタビュー記事が載っていて、「我々は草原の遊牧民族だから、変幻自在で、少々のことではへこたれないんです」みたいなことが書いてありました。
 正にそのとおりで、ビルマ族は北のモンゴル高原から南下した部属のようです。ビルマは元寇を受けており、バガンというところで、その折り、元の軍隊が落書きしたあとを私も見たことがあります。
 つまり、中国の周辺、特にモンゴル高原からは、東西に人間が移動し、東は日本に、西から南にかけてはチベット、ミャンマーまで、大きな移動があったようです。
 だから、ミャンマーに行くと、日本人そっくりの人がたくさんいます。言葉も日本式だし、天皇家と同じく姓がありません。日本も韓国も、元々なかったのです。
 何でこんなことを書くかというと、これがアジアの大きな枠組みであり、この大きな円の中と外の違いが大事。アジア安定のためには、外の皮に当たる文化と、中のあんこの文化のよいところをミックスさせなければならないということ。
 そして、皮であるのにあんこと思ったりして変な自信を持つのが一番いけないし、時には悲劇の元ということ。残念ながら韓国は、皮なのにあんこという度が極めて高い。
 以上は、お団子をたとえにしましたから、日本は皮になってしまいましたが、おはぎに例えれば、日本や韓国、それにミャンマーは外のあんこ。中国がお米のもちということになります。
 中国史の考え方のモデルを、お団子とおはぎで示しましたが、私が真に言いたいことは、専門じゃない人には少々分かりにくいかもしれません。
 この、ブログは私の覚えみたいなものなので、この程度で。
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★12月4日 
Thursday, December 4, 2008, 10:05 PM
 下に書いたことは、実は4、50年前にもいえたことです。どういうことかというと、戦前には忠君愛国の塊のようなことを言っていた人間が、60年、70年安保の際には、すっかり左翼(いやな言葉ですが便宜使用)の教祖になり、学生をアジっていたのです。
 たから、私は考えを変える、あるいは変えた人間を信用しません。以前、同席したことのあるA氏は、丁大の教員で、その前は左翼でしたが、最近はすっかり右翼。そして曰くは、インテリは国民を指導しなければならないと。
 何のことはない。コミンテルンの手先として国民を指導するか、右翼評論家として指導するかの違いだけで、自分が国民一般よりも高い目線を持っているとの自負に違いはないのです。所詮は高校の勉強ができた、というだけなのに。
 つまりはそうなると、そういう人士にひれ伏してしまう国民一般が問題なのであって、我々はとにかく自分のレベルをアップすることが必要です。
 そのためには勉強ということになりますが、これまた下の記事に書いたように、教科書レベルじゃいけません。何しろ倫社などという最も真実を追求しなければいけない教科の教科書が、新渡戸さんを神様扱いなのですから。原典にどこまであたって書いたのか極めて怪しい。
 そして、そのレベルで推進しているのが裁判員制度なので困る訳です。
 イギリスで陪審が成立するには、1000年近い歴史がありました。
 当初は、国王の土地について巡回裁判の時、地元の長老から教えてもらう、などということから始まり、したがって、始めは陪審員に偽証の制裁があったことなど以前記しました。
 こうした制度の形成過程を考えると、このような制度作りには一定の期間が必要です。
 韓国では今年始めに裁判員制度が文字道理の参審という形でスタートしており、好評という評価が関係紙面にはありますが、先日会った元最高裁判事からは厳しい評価も。一方、台湾の教授からは、もう少し様子を見てと当局に言ったよ、という話。
 何につけ、拙速はいけないし、祝田橋交差点に、以前の「裁判員参上」の看板はなくなったにしても「よろしく裁判員」は、歌の文句じゃあるまいし、人の命がかかっているんですよ、まじめにやれ、と言いたくなるところです。

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