★1月20日 
Tuesday, January 20, 2009, 10:00 PM
 今日、ワシントンではオバマ新大統領の就任式が行われます。
 あのワシントンDCのモールと呼ばれる部分は、ワシントン記念塔を中心に、リンカーン記念堂とキャピトルヒルつまり議事堂が正対し、両翼にはホワイトハウス、ジェファーソン記念堂があります。
 このリンカーン記念堂とワシントン記念塔のとりあわせは、日本の近く、つまり北朝鮮の平壌とそっくりと以前雑誌(後に本「弁護士の目」)に書いたことがあります。敵対する両国が同じ「人口国家」としてのコンセプトを持つと。
 ただし、北朝鮮がよりお手本としたのはフランスのパリのようです。
 シャイヨー宮、セーヌ川、エッフェル塔のとりあわせは、労働人民文化宮、大同江、主体思想塔のそれとそっくりです。
 しかし、アメリカ独立に果たしたフランスの影響の大きさを考えれば、米・北両方ともフランスが元で、もっと考えれば古代ローマが大元だということになるのでしょう。つまりは、古代ローマで生れた衣装は、地球を一巡りして38度線でぶつかる、と上記「弁護士の目」にも書きました。
 こんなふうに衣装面だけ眺めれば、3国は皆同じなのに、実際の国民の生活は全く異なるわけで、ここに現象面や文字面だけを眺めることの危険性があります。
 こうした危険に陥らないためには、このような施設を作る場合の真意はもちろんですが、これをバックに語る人の「言葉」が大切。ただのきれいごとでなく、人間の生きる意味、価値を基礎にして語っているかということが。
 これについて、日本の為政者のおそまつなことは言うまでもありませんが、アメリカではどうか。オバマさんの今までの演説を聞く限り素晴らしいと思いますが、今後を注視していきたいものです。それにしても、日本の病気は深刻。

  |  このエントリーのURL
★1月10日 
Sunday, January 11, 2009, 01:48 AM
 あけましておめでとうございます。 
 年末から年始にかけて、UKからヨーロッパに一人旅をしてきて更新が今頃になりました。
 外へ出れば外国といわず日本といわず、様々なことを考えるわけですが、特に極東から離れた極西のイギリスに行って見ると、そこに日本やアジアと全く同じものを見出す感激は一入です。
 ロンドンでは大英博物館よりもロンドン市自体の歴史を知りたいので、ロンドン市博物館にまず行ってみました。そこが、今の金融問題の本場シティの一角でもあるからです(博物館の一部には、シティの名の元になった城壁が残されています)。
 そこでは古いところでは石斧、更に青銅の矛、剣など、アジア太平洋と全く同じものがあるのに感激しました。石斧は、その昔訪れたニュージーランドに、中央アジアと同じタイプのものがあって、人類の様々な情報の伝播に感激したものでしたが、同様のものがこういう西にまであるとなると、「過去の掲示板」に貼ってあるドルメンなども日本の北九州のそれとアイルランドのそれとはつながっているんじゃないかと素人ながら思う次第です。
 そもそも明治4年に日本を出発した岩倉具視らの米欧回覧実記を見ますと、彼らもこうしたことにビックリして、中国の後漢書に大秦王安敦(マルクス・アウレリウス・アントニウス)の使者が広東に来た記事のことを引用しています。
 こんな程度じゃ本当に「初夢」ですが、地球は昔から狭かった、ということだけは間違いないのじゃないかと思われます。
  |  このエントリーのURL
★12月29日 
Monday, December 29, 2008, 12:55 AM
 いよいよ今年もおしまいに近づきました。
 今年の話題は、何といってもこの経済変動でしょう。私の知人は、14世紀のペストの流行に例えられると言い、いわゆるエキゾチック(というのは色々な債権がごちゃごちゃに組み合わさったわけのわからないもの。エキゾチックの本来の意味はそういうことで、反対はプレーンバニラだとか)な投資商品の世界全体の額が6京円とか言っています。
 となると、少々の対策は正に焼け石に水。
 かといって、ドルの機軸通貨性を崩すことは不可能でしょう。私が、高校生の頃、ベトナム戦争真っ只中の米国は、ドルと金との兌換をやめました。以来、約40年。あの時の新聞の見出しと写真は今もよく覚えています。ある意味、変動相場制移行よりショックでした。
 しかし、この間、何といっても米国は世界一の強国で、ドルは敵国例えば北朝鮮でも一番強いはずです。例えば、ミャンマーのチャットをよそへ持っていっても何も買えませんが、ミャンマーでも1ドルあげれば、子供はひっくり返って喜びます。現実のの機軸通貨性とは、それで何かが買える能力ではないかと思います。
 となれば、これからも当分、いわばだましだましドルを機軸にしていく時代は続くのでしょう。何といってもアメリカは一つにまとまった資源のある、かつ、軍事力ある強国です。ヨーロッパは、南北戦争というユナイトするためのもっとも厳しい戦争を経てまとまっているわけではありません。この点にアメリカとの根本的違いがあり、南北戦争の世界史的意味があると思っています。
 こんなことを色々考えていると、武士道なり戦争なりということが、経済の基礎を構成していて、決して経済に無縁なことではないと思われてきます。これに加えるべきは民主主義の問題でしょうか。英国のシティには女王も勝手に入れないのが伝統とか。
 で、やはりそうなると、武士道、武士道と声高にいう人の心性が、経済と無縁の武士道では「弱い」と思います。米国を見ればわかるとおり。しかし、この東洋ではお金と刀とが一緒なんていうことはいわば汚らわしいこと、との伝統がありました。でも、日本はどうか、というわけです。中世の日本は。
 少弐政介は四国の銅を朝鮮に輸出して軍資金を稼いだとか、奥州には、その資源を貿易に活用するため、中国の大内氏(少弐の天敵)まで出店を持っていたとか。
 我々は、ここ400年間の、上記意識を変換しなければ、ペスト以来の変革(経済戦乱)には勝てないのではないかと思います。

  |  このエントリーのURL
★12月23日 
Wednesday, December 24, 2008, 01:33 AM
 今日は天皇誕生日。陛下のお誕生日を心からお祝いしたいと思います。
 その見地から、ここ数年、腹が立ってならないのはマスコミ、特にミーハーは論外として「保守」を標榜している週刊誌連。一体、天皇陛下に「陛下」の敬称を付けることは皇室典範に決まっていること。にもかかわらず、天皇、とか皇后とか、呼び捨てに近い言い方をしながら、あたかも皇室を守るかのごときいいかげんな記事。
 以前にも書いたとおり陛下のお顔はやたらにさらしたのでは踏みつけられたりして大変と、昔は、イギリスのようにコインの表にも刻まないし、ましてや週刊誌のチラシ広告に載せる等論外。
 こういうインチキなメディアに踊らされ、とんでもない国粋主義になるようでは本当に困るわけです。もっと、ごまかし連中の真意を見抜かねばなりません。
 しかし、こうしたことは奥が深いともいえます。陛下のことを記すのに敬語を極端に減らすテレビのアナウンサー。余計な敬語は省きましょう、という方針を立てた、と言いたいのは先刻承知ですが、これで日本語は乱れに乱れる。
 そうしたことになるのに良く出るフレーズが「今はそんな時代じゃありません」。
 しかし、そんな手抜きのようなことを言っているから乱れてとんでもないことが。
 例えば、今日もニュースに出ていたあの家裁書記官の話。最近の役所は、昔のように庁印などという重たい印を、書類に別に押すようなことをしません。確かに昔は重々しすぎのような大きな判子が公文書の後ろに別途押してあったもので、これは面倒、権威主義・・・で廃止になりました。
 でも、だからこそコンプライアンスへの重しがなくなり、ああした事件が起きるわけです。
 要は、官尊民卑と手続きの厳格さなり、法を守るという観念を混同するなということです。
 その点から考えると、先ごろ亡くなった加藤一郎先生などは、「自由法学」のごときことを提唱され、裁判官は先に結論は決めておくんです、的なことを言われていたわけで、申し訳ありませんが、いささか罪深いといわざるを得ません。同じ学会にも所属し、農業法については少々の縁もないではありませんが。
  |  このエントリーのURL
★12月16日 
Wednesday, December 17, 2008, 01:23 AM
 このところ思い出す昔の話。
 1970年頃、北海道で自衛隊の基地をめぐっての裁判がありました。
その裁判長A氏に対して、当時の裁判所長B氏が手紙を書き、サジェスチョンを与えたことから、大問題になりました。どの憲法の本にも載っている有名な事件です。
 このケース、B所長は司法権の独立を害した件で懲戒に。一方、所長の手紙をバラしたA 裁判長も懲戒になりました。
 以上が簡単な経緯ですが、私はそのA裁判長にあとで同席したことがあったり、先日、数十年振りにあるところではるかに拝見したり、他にも色々擦るような縁があます(もちろん、あちらは覚えてなんかいないません)。
 で、そんな関連エピソードの一つに、その後、東京地方裁判所に見学に行ったおりの話があります。
 その件とは全く関係ないやさしいK裁判長、但し元軍人が、学生との懇談会を開いて下さいました。その席で、無遠慮な左翼学生が、あのA裁判官がマスコミにバラしたのが 懲戒になるのは納得いかないとやったのです。
それに対して、K裁判長はすかさず「私なら、ああはしません。外部に向かって、皆さーんなんてやるんではなく、内部の裁判官会議で堂々と問題にします」と言われたのです。
 色々な議論が有り得るとは思いますが、このK判事の言こそが天皇の軍隊、天皇の官吏以来の官僚の「忠実」という言葉の真骨頂でしょう(勅令・官吏服務規律)。
 そう思うと、本来、天皇陛下の官吏として、統治権の主宰者に対して徹底的に忠実であるべき役人が、外に向かって不満を垂れるような最近の現象は、とんでもない右翼の左翼化(いささかアバウトに言えば)、つまりはA判事化かむしろ厳正たるべき法の執行者の小児化に他ならないものと思われてきます。
 何でもかんでも「自由、自由」なんて騒いでいたのはベトナム戦争や文化大革命時代の左翼そのものなんですから。
 なお、裁判官会議がK判事の意見の前提をなす活性化したものであるかは、一考の要ありでしょう。

  |  このエントリーのURL
★12月9日 
Wednesday, December 10, 2008, 01:14 AM
 遂に、古いページは完全にとじました。1,2年かけて、こちらの内容をもっと発展させたいと考えています。

 数日前の新聞・・・ではなくて、今月号の「選択」に、ミャンマーの軍人のインタビュー記事が載っていて、「我々は草原の遊牧民族だから、変幻自在で、少々のことではへこたれないんです」みたいなことが書いてありました。
 正にそのとおりで、ビルマ族は北のモンゴル高原から南下した部属のようです。ビルマは元寇を受けており、バガンというところで、その折り、元の軍隊が落書きしたあとを私も見たことがあります。
 つまり、中国の周辺、特にモンゴル高原からは、東西に人間が移動し、東は日本に、西から南にかけてはチベット、ミャンマーまで、大きな移動があったようです。
 だから、ミャンマーに行くと、日本人そっくりの人がたくさんいます。言葉も日本式だし、天皇家と同じく姓がありません。日本も韓国も、元々なかったのです。
 何でこんなことを書くかというと、これがアジアの大きな枠組みであり、この大きな円の中と外の違いが大事。アジア安定のためには、外の皮に当たる文化と、中のあんこの文化のよいところをミックスさせなければならないということ。
 そして、皮であるのにあんこと思ったりして変な自信を持つのが一番いけないし、時には悲劇の元ということ。残念ながら韓国は、皮なのにあんこという度が極めて高い。
 以上は、お団子をたとえにしましたから、日本は皮になってしまいましたが、おはぎに例えれば、日本や韓国、それにミャンマーは外のあんこ。中国がお米のもちということになります。
 中国史の考え方のモデルを、お団子とおはぎで示しましたが、私が真に言いたいことは、専門じゃない人には少々分かりにくいかもしれません。
 この、ブログは私の覚えみたいなものなので、この程度で。
  |  このエントリーのURL
★12月4日 
Thursday, December 4, 2008, 10:05 PM
 下に書いたことは、実は4、50年前にもいえたことです。どういうことかというと、戦前には忠君愛国の塊のようなことを言っていた人間が、60年、70年安保の際には、すっかり左翼(いやな言葉ですが便宜使用)の教祖になり、学生をアジっていたのです。
 たから、私は考えを変える、あるいは変えた人間を信用しません。以前、同席したことのあるA氏は、丁大の教員で、その前は左翼でしたが、最近はすっかり右翼。そして曰くは、インテリは国民を指導しなければならないと。
 何のことはない。コミンテルンの手先として国民を指導するか、右翼評論家として指導するかの違いだけで、自分が国民一般よりも高い目線を持っているとの自負に違いはないのです。所詮は高校の勉強ができた、というだけなのに。
 つまりはそうなると、そういう人士にひれ伏してしまう国民一般が問題なのであって、我々はとにかく自分のレベルをアップすることが必要です。
 そのためには勉強ということになりますが、これまた下の記事に書いたように、教科書レベルじゃいけません。何しろ倫社などという最も真実を追求しなければいけない教科の教科書が、新渡戸さんを神様扱いなのですから。原典にどこまであたって書いたのか極めて怪しい。
 そして、そのレベルで推進しているのが裁判員制度なので困る訳です。
 イギリスで陪審が成立するには、1000年近い歴史がありました。
 当初は、国王の土地について巡回裁判の時、地元の長老から教えてもらう、などということから始まり、したがって、始めは陪審員に偽証の制裁があったことなど以前記しました。
 こうした制度の形成過程を考えると、このような制度作りには一定の期間が必要です。
 韓国では今年始めに裁判員制度が文字道理の参審という形でスタートしており、好評という評価が関係紙面にはありますが、先日会った元最高裁判事からは厳しい評価も。一方、台湾の教授からは、もう少し様子を見てと当局に言ったよ、という話。
 何につけ、拙速はいけないし、祝田橋交差点に、以前の「裁判員参上」の看板はなくなったにしても「よろしく裁判員」は、歌の文句じゃあるまいし、人の命がかかっているんですよ、まじめにやれ、と言いたくなるところです。

  |  このエントリーのURL
★12月2日 
Wednesday, December 3, 2008, 01:59 AM
 この度、某国立大の総長とかに元学生運動で「石投げ」をしていた人がなったとの記事を見て、何たることかね、と思ったものでした。
 高校の生徒会で連中と議論をしていた私としては、そんな地位に立つならば、きっちり自分の非を懺悔したのかね、と言いたいのです。あの時代、日本がソ連、中国の側についていたらどんなことになったか。もちろん、アメリカという重しがありましたから、つけもしなかったでしょうが、要はピントのずれていた人士です。
 彼らの革命ゴッコのために、多くの人命まで失われ、あるいは、彼らの仲間としてデモった結果、警察官の死をもたらし、ついには無期懲役。40年近くたつ今に至るまで刑務所につながれている人間がいたりすることを思う時、はては、私が卵の時に実見した企業爆破事件の死刑囚のように、ダッカ、クアラルンプール事件の時、脱出できたのにしないで死刑を言い渡された人間がいるとき、同じような、あるいは付和雷同的行動を取っていたのに、かたや最高学府のトップとはと、その境遇の違いに慄然とします。
 まずは深く自らの不明を謝し、天下に謝ることが先です。
 なのにこんな具合ですから、逆におかしな戦争を始めた人��間まで、死ねば仏様とかいう理屈にもならぬ理由をつけて拝んだりするのです。要は、日本国民に、考えの深みがなく、徹底的に浅いので、この調子。
 それはますます激しくなりました。
 昨日、ある米国人と例の裁判員制度のことを話しました。見事に、あれは米国の陪審よりずっと落ちると指摘。
 日本のことを考えても、戦前の陪審を行うにあたっての主要テーマは陪審員のレベルの底上げの話であり、そのための勉強の場所として日比谷公会堂などができたのに、今回の主要テーマは、どういう時に出頭しないで済むか、であるというに至っては、民主主義とは奉仕の精神であると喝破したイギリスの学者の一言や、ギリシャの民主制が直接民主制であったこと、現に、地方自治法にもそれがあることを何と心得るのかね、と、明治憲法世代に顔向けできない体たらくだな、と思われてきます。
  |  このエントリーのURL
★11月16日 
Monday, November 17, 2008, 02:09 AM
 台湾で、以下の如きことがあったようです。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/195932/
 台湾の苦労を人並み以上には知り、ある意味体験している私としては、時間があれば観てみたい映画です。
 
 韓国では、数日前、例年どおり入試の大騒ぎ?があったようです。これは、もちろん韓国が儒教国家であることの帰結です。フィジーに滞在したとき、韓国人の女性と話しました。
 「儒教は数学ですよね」というと、わが意を得た感じで、すっかり打ち解けました。
 日本では、ある公取の委員までした人が、私に、「僕は小学校の時に、孔孟の教えと習ったから(数学だなんて信じない)」といわれます。

 台湾の痛みがわからず、儒教が孔孟の教えなんて言っていることは、実は徳川吉宗らが中国の明の教えを仕入れたもの。

 じゃ、真の日本のものはといえば、鎌倉・中世の生き方がちゃんとあること、これらをしっかり把握すれば本当の日本人の自信もでてくるはずなんですが、頭にこびりついたものははがすのが難しい・・・と最近の事象を見て思います。
 
 
  |  このエントリーのURL
★11月5日 
Thursday, November 6, 2008, 02:03 AM
 新アメリカ大統領がオバマさんに決まった日、ある米国人とその感想を話しました。オバマ支持のその人は今回の結果に燃えていました。特に、アメリカという国の民主主義の素晴らしさをたたえて。
 しかして、日本はどうか、と彼はいいます。私は、いやいや表面的には、あるいは今現在は、日本はアメリカに比べて民主国の度が低いように見えるかもしれないけれど、本当の日本は昔から民主的だったんですよ、と答えました。もちろん、この博物館の末尾にある社稷の考え方や鎌倉政権を指してのことです。決して一方的なアメリカ礼讚になるのではなく、日本の民族主義として、民主主義があったことに我々は気が付くべきだと思うからです。
 こうして、外国人にだって日本の「伝統的民主制」を胸を張っていえるはずなのに、うっかりすると、その反対が日本的なものとして横行しかけそうになるのには残念です。
 要は勉強が足りないということでしょう。米国のR.Nべラーや英国のジョージ・サンソムなど外人こそが本質を掴んでいることは口惜しいかぎり。
 外から見ていることの強みもあるでしょうが、こういう外人は下の段に書いたような人より数等上と見ます。
 また、我々は明治政府の薩摩・長州的御用歴史観に惑わされているともいえます。特に軍人勅諭の明治維新礼讚主義には要注意。もっとも、その軍人勅諭に軍人は政治に関わらずとあるのは正しい。例えどんなそしりをうけようと、淡々職務に邁進する真の軍人の素晴らしさがここ数十年地を払っているのは、これまた残念なことです。
 その昔、陸軍士官学校を出られたのに、戦争のため軍人の道を絶たれて裁判官になられ、厳しい公安事件を処理された大先輩のお顔が常に浮かびます。
 そう考えてみると、正に、「近頃の若い者」で、戦争経験のないものは観念論だけでだめ「が多い」ということになりそうです。



  |  このエントリーのURL

戻る 進む